最近、あらゆる学問が面白い!

最近、あらゆる学問に対して面白いと感じている。以前はサイエンス、特に物理・数学に対してだけというところがあったが、今、あらゆる学問が面白く感じ、あらゆる学問に取り組み始めている。

なぜ、以前は他の学問に興味を持てなかったのか?その理由を考えると、一つ目は学問と言えば受験勉強を意味していたこと、もう一つは時期的なものであると僕は考えている。受験勉強というものは非常に小さいものである。そして表面的なものである。なので、なかなか面白さの核心に迫れない。そのような中、本当の面白さを伝えようとすると、自然、受験勉強の範囲を超えてしまう。しかし学校ではなかなか受験勉強を超えるようなことを教えようとしない。僕が大学受験生だったころ、自分が取り組んでいた数学や物理学は、高木貞治の解析概論であり、ファインマン物理学であった。しかし受験にこだわていると、なかなかそのレベルの事まで取り組もうとは思えない。このような事を解決するためには、学生と学校の教師の双方の意識を変えなければならない。

とは言え、大学に入れば自由に学問に取り組むことができる。しかし一般教養の授業の中には、どうしてもやりたくない授業も存在する。僕ならば第二外国語のフランス語の授業がそうだった。しかし今、あらゆる学問が面白く、フランス語にも興味を持っている。要はやりたくなった時にやればよいのである。学生時代にやりたくなければ無理してやる必要はない。しかし面白く感じた時には思いっきり取り組めばよい。それでいいのである。

科学(サイエンス)と言うものは、層構造をなしている。一番土台になるのは物理であって、その上に化学(バケガク)、生物学・地学と重なっている。なので、生物学に取り組むためにはその土台にある化学を理解しなければならない。もちろん、さらに基をたどれば化学は物理を土台にして成り立っている。今、専門の数理物理の研究の合間に、生物学の勉強に取り組んでいる。しかしその土台にある化学が完全に理解できていない。なので化学も真剣に取り組む必要がある。そのような事を考えると、学問というものは全て有機的に繋がっており、全ての学問に対して(強弱はあれ)取り組む必要があるのかもしれない。

学問に取り組むうえで大切なのは、受験勉強ではなく楽しさの本質に迫れるレベルまで取り組むこと、そして面白いと思ったときに思いっきり取り組むことである。学問とは本質的に楽しいものである。(そして時には苦しいものでもある。)そこに学問の本質が存在していると僕は思っている。

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