学問の世界を全て制覇する!

学問の世界を制覇するとはなんだかおかしな言葉だが、学問を理解し新しい結果を出して行くとは、学問を制覇して行く道のりだと考えられる。もちろん、学問を制覇したからと言って、学問を意のままに変えられる訳ではない。物理学であれば、自然法則は人間の存在に関わらず存在する訳であって、それらの物理法則を人間が変えられる訳ではない。数学に関しても、数学は人間の創造物だと主張する人もいるが、僕は数学とは一種の実在法則だと思っている。だから人間の存在の有無にかかわらず、数学の定理は存在する。古代ギリシャ時代の数理的哲学者もそのように考えていたようだ。

スペシャリストになることとジェネラリストになることはどちらが重要か?もちろん人によってその答えは変わって来るとは思うが、僕はどちらも大事だと思っている。そしてこの両方を成し遂げる事こそ、学問の世界を制覇すると言う事である。そのためにはやはり専門と言う足場を作らなければならない。そしてその足場を軸に活動の範囲を広げて行かなければならない。決して専門の殻に閉じこもってはならない。

日本では、高校あたりから理系・文系と分けられることが多い。これは日本の悪習だと僕は思っている。なぜ理系・文系に分けられるのかと考えると、それは受験対策を効率的に行うという理由以外にない。従ってその結果、受験至上主義が蔓延する事になる。受験生であれば受験しか目に入らなくなることも理解できない訳ではない。しかしいい歳した大人が学歴だけで人間を判断する事ほど恥ずかしいものはない。そのような人は、物事を多角的に判断するという能力が欠如していると公言しているみたいなものだ。特に日本においては、学歴がその人の知力を表していると勘違いされることが多いが、学歴はあくまで入学時のペーパーテストの成績を表しているだけだ。学校に入学してからどれだけ勉学に打ち込むかと言う事が最も重要なのである。そして卒業してからもその知力を維持し深める事、それが非常に重要である。

人間の人生というものは、多くの人にとっては大人になってからの時間の方が長い。そして知識というものは、学生時代に身に付けた知見を基に大人になってからどれだけ身に付けるかと言う事にかかっている。学問が小学・中学・高校・大学の16年だけで身に付けられると考えるのは大きな間違いである。その16年は学問を身に付ける基盤を固める時代であって、それを基に自分の中でどれだけ学問を昇華させるかと言う事にかかっている。学問と言うものは、学生時代だけで完結するほど浅いものではない。さらに学問を制覇するためには、大学を卒業してからどれだけ深められるかと言う事にかかっている。

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