佐藤幹夫・大先生がお亡くなりになられた。

1月16日の夜、Yahooニュースを見て驚いて声をあげてしまった。大数学者の佐藤幹夫先生が亡くなられたというニュースを見たからだ。佐藤先生にはお会いしたことはないが、僕は以前から佐藤先生の理論を応用しようとずっと格闘してきたからだ。

個人的な意見だが、僕は一番偉大な日本人数学者は佐藤幹夫先生だと思っている。これまで3人の日本人数学者が数学のノーベル賞と言われているフィールズ賞を受賞されたが、佐藤先生の業績はこの3人を大きく凌駕する。佐藤先生の業績は数学の中でも非常に多岐にわたっている。その中でもまず言及しなければならないのは、もちろん「佐藤超関数」そしてそれに続く「代数解析」の創始であろう。もちろん、ソリトン理論における佐藤理論も忘れてはならない。これらのどの理論も、世界的な超一級の理論ばかりなのである。

ニュースによると、佐藤先生は94歳だったそうだ。佐藤先生は京都大学数理解析研究所の所長もされていた。そして佐藤先生と言えば、多くの一級の弟子を育てたことでも有名である。柏原正樹教授、河合隆裕教授をはじめ、数学者なら誰もが名前を聞いたことがある数学者ばかりだ。佐藤先生とそれらの弟子たちのグループは京都スクールと言われている。

佐藤先生の理論に取り組んでいる僕としても、やはり一度は佐藤先生にお目にかかりたかった。そして誰が何と言おうと、僕は佐藤幹夫先生が日本人最高の数学者だと断言したい。佐藤先生が亡くなったことは非常に残念だが、94歳という年齢を考えると大往生であり、「お疲れ様」と言うのが一番相応しいのかもしれない。

コロナ禍、「終わりの始まり」か?、それとも「始まりの終わり」か?

思い返せば、初めてワクチンが出回ったことは、これでコロナ禍とはお別れだと思った。実際、ワクチン1回目接種後の2021年度終わり頃は、日本では劇的に感染者数が減っていた。しかしコロナ禍は今でも収まることはなく、延々と続きそうな気配である。それどころか、感染者数はますます増えてきており、それだけを見れば悪化しているとも捉えられる。幸いにもコロナウイルスは弱毒化しているように感じられ、コロナ問題は弱小化しているようにも感じられる。しかしこれも本当にコロナウイルスが弱毒化しているのか?それともワクチン効果で重症化が抑えられているのか?はっきりと判断できない。

今社会ではコロナ禍の「終わりの始まりだ」と言う声が叫ばれている。しかし本当にそうなのだろうか?僕にはむしろ「始まりの終わり」のように思えてならない。むしろこれからが、本格的なコロナ共存社会に突入するのではないかと感じられるのである。確かに今ではコロナは弱毒化して重症化の危険性は圧倒的に低下してきているので、本症状自体は過度に恐れるものではなくなった。しかしそれに変わって今は「後遺症問題」が顕著になってきている。しかもこれがかなり深刻な問題なのだ。コロナの本症状が軽症だった人でも、寝たきりレベルの重篤な後遺症が現れることもそれなりにある。後遺症が発症する確率は8人に一人と言われている。これは異常な割合だ。軽い倦怠感が残ると言うレベルだと、半数くらいの人が発症しているとも言われている。今はコロナが治った後の方が恐ろしい状況なのである。

このようなことから、本当に社会がコロナ禍を克服したと言えるには、コロナ後遺症のほぼ完全な治療法が確立した時なのではないかと僕は考えている。ではそれまで我々ができるコロナ対策は何なのか?それは日々の行動やマスクに加えて、定期的にワクチン接種するくらいしかない。とは言え、僕自身はワクチンに対してかなり肯定的な考えを持っておりワクチンは積極的に打つべきだと考えているが、そのような僕でも最近の状況を見るとワクチンに対して疑問を持つことも出てきた。ワクチンが出てきた2021年度後半、まだデルタ株が猛威を奮っていた頃、ワクチンの発症予防率は95%と言われてなり物入りで登場してきた。しかし今では発症予防などはほとんど言われず、重症化予防が目的だと内容が完全にすり替えられている。とは言え、ワクチンは後遺症の危険性も低下することがわかっている。なので今僕は後遺症予防だと考えてワクチンを打っている。

ではこのように、コロナ禍はこれからも延々と続いていくのかと言われれば、僕は決してそうではないと言いたい。治療薬が次々と開発されていくように、後遺症の治療法も確立される日が必ず来るだろう。しかしそれにはまだまだ時間がかかるように思える。その理由は、コロナ後遺症の発症メカニズムがまだ完璧にわかっていないからだ。発症メカニズムがわからないことには対処のしようもない。まずはコロナ後遺症のメカニズムを突き止めることが今の一番の課題だ。しかし近い将来、コロナ後遺症が大きく解決する日が来るであろう。その時こそ「始まりの終わり」から「終わりの始まり」に変わったと言えることであろう。

YouTube再起動!

最近、YouTube動画を出せないでいた。原因はまず、いまいち調子が乗らなかったと言うこと、そしてもう一つは動画で取り上げようと考えている一冊の本だ。調子が乗らなかったと言うのは不調だったとも言えるが、別に病気であったわけではない。とは言えかなりストレスを抱えている状況なので、それも大きな原因である。

もう一つの原因である本とは、真鍋淑郎著「地球温暖化はなぜ起こるのか」(講談社ブルーバックス)と言う本だ。著者の真鍋博士は言わずと知れた2021年度のノーベル物理学賞受賞者だ。そしてこの本は真鍋博士自身のノーベル賞受賞の対象となった研究の解説本でもある。なので今年のノーベル賞発表の時期に合わせて真鍋博士の著書の解説動画を出したかったが、この本の動画がなかなか作りづらいのである。その理由は、なかなか特徴が捉えづらいと言うことにある。そしてこの本は専門外の人にとってはそこそこ難解であるが、それは僕が視聴者にわかりやすく解説する必要がある。

真鍋博士の研究は、基本的にコンピュータシミュレーションに基づいている。なので何かの中核的な理論に基づいて構成していくと言う理論研究とはまた違った物であり、そこに特徴の捉えづらさがある。しかしうまく捉え、解説していくのが僕に求められた役割である。

上手く作れるかどうかはわからないが、またこれからどんどんと動画をアップしていきたいと考えている。真鍋博士の本以外にも色々取り上げていきたいし、またあるテーマについての短期講座の動画も作っていきたいと思っている。これからの僕の動画を楽しみにしてくれると、非常に嬉しく思います。

最後に僕のYouTubeチャンネルのリンクを貼りますので、よろしくお願いします。

リンク:三分間サイエンス By Kihara

今の日本の選挙制民主主義は絶対か?

戦後日本は民主主義を掲げ、それは日本国家の根幹であると言う体制をとってきた。それは絶対に間違いではないし、僕もその考えには大きく賛同している。しかしその民主主義の根幹と言われる選挙制が絶対か?と言われれば、今国民の多くは大きな疑問を持っているのではないだろうか。これまでも度々票を金で買っていることが問題になってきた。そして今ではそこに宗教勢力が加わっている。金問題・宗教問題である。

今自民党は、この二つの問題に直面している。宗教問題に関しては、現在大きな問題になっているのとは別に、公明党問題もあるだろう。公明党は皆が認知している通り宗教勢力である。そして自民党はその宗教勢力と連立を組んでいる。なので今の与党は宗教と政治の関係問題に大きく踏み込めない。しかしそこを知って知らぬふりをすると、国民の疑念は大きくなるばかりである。

票を金で売り買いし、そして宗教勢力と取引されている現在において、果たして選挙制が民主主義の絶対だと言えるだろうか?今の「選挙は絶対」と言うスタンスは単に表面を繕っているだけのように思えてならない。最も重要なのは政治に民意を反映させることだが、今の選挙が本当に民意を表しているかどうかと言われれば疑わしい。

そしてもう一つ大事なことは、政治に民意を反映させる(つまり多数決)ことは大事だが、さらに長期的観点から少数意見も取り入れることも重要である。典型的な例で言うと、現在は人口の多い高齢者の意見ばかりが通っているが、それより少数の若者の意見がおざなりになっている。しかしこれからの社会を作っていくのは老人ではなく若者である。しかし国は若者に投資をすることに積極的ではない。老人優遇の政策ばかりである。しかし若者の意見も聞かず投資もしないのは高齢者逃げ切りの体制であり、未来の破壊である。なぜこんなことになるのか?それは少数派(若者)の政策は票にはならないし、そもそも政治家自身がほとんど高齢者である。そしてこれが現在の選挙制民主主義の結果である。

僕は選挙制自体を否定しようとは全く思わない。しかし現在の選挙制は良い方向に機能していないのではないかと考えているのである。もしかしたらこの原因は選挙関連の法にあるのかもしれない。そして宗教関連の法に原因があるとも考えられる。とにかく今の日本では、未来に光を見ることができない。現在円安・インフレが急激に進行しているが、これによって皆が平等になっている。正確に言うと「平等に貧しくなっている」のである。これまでデフレばかりが問題になっていたが、今の円安・インフレであるが給料が全く上がらないという状況では、まだデフレ時代の方が幸せであった。コロナ前、インバウンドによる観光客の増加が歓迎されていたが、(日本人は日本の観光資源が素晴らしいからだと言っているが)一番の原因は物価安である。日本に来れば物が格安で手に入るから来ていると言うことなのである。

とにかく今を凌ぐことしか考えない政治家たちの姿勢は大きな問題であり、今のままでは日本の将来に期待が持てない。

ストレスを筋トレで乗り切る!

僕は今、非常にきついストレスを感じている。周りの環境もそうだし、それに加えて自分自身も非常にストレス耐性が弱まっている。特にここ三日ほどは地獄だった。しかしそんなストレスも何とかして乗り越えなければならない。乗り越え方はいくつかあるが、僕が行った中で最も効果的で最も健康的なのは「筋トレ」だ!ここ二日間は筋トレばかりしてストレスを乗り越えた。

今では筋トレはストレス解消の特効薬だと思っている。特にハードにやればやるほど効果がある。ストレスを感じるたびに腹筋と腕立て伏せ、そしてダンベルを持ち上げている。今日(10月9日)は合計で7回くらいはやったであろう。とにかく今のストレスは筋トレをして解消しないと自分が壊れてしまうレベルだ。しかし筋トレをしてなんとか1日を乗り切った。おそらく一時的にストレスが異常に高まっていると思われるが、筋トレをすることによってなんとかこの状況を乗り越えようと考えている。

この「筋トレ・ストレス解消法」は断然おすすめである。腹筋を50回くらいしたあたりで自分の体からストレスがスーッと抜けていくのがわかる。そして腕立て伏せ・ダンベル運動をすると一セットが完了する。このような筋トレに加えて、ランニングなどの有酸素運動を取り入れるのも良い。なので普段はランニングと筋トレをセットでやっているが、今日は雨が降っていたので筋トレばかりをしていた。

最近では、運動は思考力にも好影響をもたらすと言われている。特にランニングを20分ほどコンスタントに取り組めば、脳の働きに良いらしい。そのような理由もあって僕はマメにランニングを行なっている。それとは対照的に、ストレスは脳に多大な悪影響をもたらす。いや、脳だけではない。身体にも悪影響をもたらし、ストレスは百害あって一利なしだ!なので今はなんとかストレスを撃退してストレス耐性を少しでも上げることを考えている。なので今週は筋トレばかりしているかもしれない。大袈裟ではなく、今週の筋トレが僕の将来を決定するかもしれない。明日目覚めたら、即筋トレに取り組んで1日を始めよう!

「考えること」の重要性。

このブログのタイトルが「考える部屋」としてあるように、僕は考えることに最も重きを置いている。考えると言う行為は最も人間らしい行為であり、人間が人間であるために最も必要な行為であると考えている。しかし現在、人間は自分自身でAI(人工知能)と言うものを作り上げようとしている。僕自身はAIに対してそんなに楽観視していない。しかし現代社会にAIと言うシステムが存在する限り、「AIとは何か?」と言うことを考え理解することは絶対に必要だ。科学的観点からAIのシステムを理解すると言うことはこれからの人間にとって重要なスキルとなる。しかし今社会は、「どのようにAIを利用するか?」と言うことばかりに気を取られて、「AIとは何か?」を理解すると言う観点が完全に欠落しているように思えてならない。

考えることはAIに任せて、人間は何も考えなくなるのか?それは絶対に違う。これから人間はAI以上に考えなくてはならないと僕は考えている。なので僕はとことん考えることにこだわって、知を追究して行こうと考えている。

そして今最も危険なのは、「AIでなんでもできる」と考えることだ。僕が以前、「科学を理解している人は科学には何ができないかを理解している。しかし科学を理解していない人は科学で何でもできると思っている。」と書いた。すなわり理解するとは、「今何ができないかを理解する」ことなのである。何ができないかを理解しているからこそ、そこを乗り越えようとする。そのような考えはAIにも言えるのではないだろうか?「AIを理解している人は、AIは何ができないかを理解している。しかしAIを理解していない人は、AIで何でもできると思っている。」なので、AIと言うシステムを科学的(例えばディープラーンニング)に理解して、AIにできるもの、できないことをしっかりと理解することが必要だ。そうすると意外に(少なくとも現在は)AIより人間の方が圧倒的に優っていることがわかる。現在AIが圧倒的に優っていると思われるものは、例えば将棋のように単純であるが膨大なデータの解析が必要なことに対してであり、学問的な思考はまだまだ人間の方が優っているのだ。

人間の時代が終わる時は、それは人間が思考を捨てた時である。なので人間が思考という行為を捨てない限り、まだまだ人間の時代は続くと僕は考えている。まだまだ人間は捨てたものじゃない!

それでも新庄剛志が大好きだ!

9月28日、「BIGBOSS」がユニホームを脱いだ。これで一年の監督人生が終わるのかと思いきや、来年からは新生「SHINJO」監督として再出発することを表明した。新庄の大ファンの僕としては、本当に喜ばしい限りだ。僕自身は実は子供の頃から阪神ファンである。なので1992年の阪神・新庄の実質的なデビュー年は非常に印象に残っている。その年は「新庄・亀山フィーバー」として今でも阪神ファンに語り継がれている。僕は阪神ファンであるが、その1992年以来、大の新庄ファンでもある。なので今年、新庄の日ハム監督就任が決定してからは、阪神以上に新庄日ハムを応援していた。日ハムには少し悪いが、「日ハムファン」というより「新庄ファン」なのである。しかしそんな新庄が指揮する日ハムは、今ではすごく好きな球団である。

来年日ハムは新球場「エスコンフィールド」で再出発する。その記念すべき一年目に新庄監督が指揮することが決定したことは、非常に喜ばしいことである。新庄も大好きだが、その新庄のもとで活躍する新庄の愛弟子たちも大好きである。特に愛弟子・清宮君の活躍には非常に心が踊らされる。プロ入り後は完全にヤクルト・村上選手の影に隠れていたが、来年以降エスコンフィールドの星となって輝いてくれることを願っている。

ところで僕は、新庄は日本で一番プロ野球のことを理解している野球人だと思っている。「スポーツ」としてのプロ野球を理解している人は無数にいるであろう。特にプロ野球選手、そしてプロ野球監督ならば当たり前のように熟知しているはずだ。しかしプロ野球にはもう一つの側面がある。それは「エンターテイメント」としてのプロ野球だ。そしてこのエンターテイメントとしての側面を限りなく理解しているのが新庄監督その人だ。このエンターテイメントとしての側面はスポーツとしての側面以上に重要かもしれない。なぜなら、エンターテイメントとしての側面があるからこそ観客が入り、そしてファンが金を落とし、それによって選手に巨額な年棒が入ってくるのである。なのでエンターテイメントとしての側面を無視し、技術がトップレベルだから巨額な年棒を払えと要求する選手がいたら、それは全く的外れな要求なのである。新庄とは逆に、それを全く理解していない的外れなスポーツ選手がいた。それはテニスの大坂なおみ選手である。彼女は技術だけを見せればいいと考え、インタビューを拒否するということをしていた。それは全く観客・ファン無視の行動である。もし技術を極めることだけが全てならば、山奥のコートで一人で黙々と励めばいいだけなのである。しかしもちろんそれではお金は一円も手に入れることはできないであろう。インタビューまでも含めて「プロ」スポーツ選手なのであり、それによって巨額の金を手に入れられるシステムなのである。新庄の指揮する野球がここまで面白いのも、新庄がエンターテイメントとしてのプロ野球を熟知しているからと言える。しかしもちろん、野球の技術がトップレベルであるという前提があるのは言うまでもない。

ところで、来年始動する日ハムの本拠地「エスコンフィールド」はとてつもなく魅力的なボールパークである。日ハムもよくここまでお金をかけたものだと感心してしまう。おそらくエスコンフィールドは北海道の名所・観光地になると僕は考えている。プロ野球が開催されない日でも、観光客が数多く訪ねて来るだろう。僕も機会があればエスコンフィールドに行ってみたいと思い、すごく楽しみにしている。今年は最下位に沈んでしまったが、来年は新庄監督が「2位も6位も一緒」と宣言しているように、日本一を目指してそれを実現してもらいたい。

来年も引き続き新庄剛志監督を応援するぞ!

コロナ後遺症の問題が議論されなさすぎではないか?

現在コロナ禍が悪化の一途を辿っているが、ただそれは感染者数においてであり、重症化率、死亡率は初期の頃に比べてかなり低下している。とは言え、感染者数(母数)が多くなれば重症化率が下がっても多くなるのは言うまでもないが、ただコロナウイルスの毒性は(もちろんワクチンの効果もあるが)大幅に低下していると言える。そう言うこともあって、「もうコロナはそんなに恐れる病気ではない」と言う論調もあるが、僕はその論調には徹底的に欠けている視点があるように思えてならない。それは「コロナ後遺症問題」だ。

確かにコロナによる本症状は確実に軽症化している。しかしその本症状と後遺症は全くの別問題だ。現時点でわかっていることとして、本症状の程度と後遺症の程度にはほとんど相関はないと言うことがある。つまり、本症状が軽症あるいは無症状であっても、重篤な後遺症を発症するケースもかなりあるという。そして現時点では、それがいつまで続くのかは全くわからない。一ヶ月で治る人もいれば、一年以上経っても治らない人もいる。

そしてもう一つ言えることは、肺や血管に対する損傷である。これについてもまだ確実なことはわかっていないのであくまでも可能性ではあるが、コロナ感染によって受けたダメージを一生背負っていかなければならない可能性もある。とにかくまだわからないことがたくさんあるのである。そのような状況の中、コロナを軽視するのは時期尚早ではないかと僕は考えている。

特に子供などの若い人にとってはこれからの人生は長く、コロナによる後遺症やダメージを長期間背負っていかなければならない可能性が強い。しかし現在、そのような議論がほとんどされていないことに僕は危機感を抱いている。最近になって、コロナ後遺症を専門的に診る病院がいくつかできてきている。そのような病院による統計によると、コロナに感染して後遺症を発症するのは一割とも三割とも言われている。(おそらくまだ正確な統計は出せていないと思われるが)もしこの数字が正確なら、若い人にとっては本症状の重症化よりも後遺症の方が大問題になる。しかし現在になっても、メディアや専門家のコメントに後遺症に関する発言はほとんど見られない。なので専門家は専門的な見地から後遺症問題に対しても積極的に正確な意見をどんどん発信してほしいものである。

逆境をチャンスに変える!

現在、コロナ禍が急速に悪化している。今このブログ記事を書いているのが7月18日(月)だが、連休明けの火曜日(19日)の感染者数が発表される水曜日(20日)はおそらくとんでもない状況になっているのではないかと僕は考えている。この危機的状況が続くと思われる一、二ヶ月は外出を極力控えるという人も多いのではないだろうか。そうなると、活動的な人にとってはストレスが溜まるし、家でお酒を飲んで暮らすという人も多く出てきても不思議ではない。僕はお酒は大好きだが、家にはお酒を一切備蓄しないことにしている。そうすることによって、お酒を飲むには必ず外出して買ってこなければいけないという障壁を作っている。

そこで、このコロナ禍の急速的な悪化のなか、それを逆手にとってお酒を一切飲まないことにするのも非常に良い選択ではないかと思っている。もしかしたら数日に一度、缶ビールを飲むくらいのことはあるかもしれない。しかしこれを機にアルコールから体と脳をデトックスするのは非常に良い選択だ。そしてYouTube動画を作成しまくるのも良い。僕は今、その準備に打ち込んでいる。もちろん、数学・物理の研究も疎かにしない。とにかく何でも取り組んで行こうと思っている。

ネガティブな状況をネガティブなままにするか?それともそれを逆にポジティブな状況に変えていけるか?そこに自分の人間力がかかっている。そして僕はこの状況を徹底的にポジティブに変えてやろうと強く思っている。その一つとして、お酒を飲まないと言うことにも取り組もうと思っているのである。

僕は常に前を見て生きている。僕の目の前には希望しかない。正確に言うと、今は非常に苦しい状況ではあるが、非常に楽しい状況でもある。はっきり言って、徹底的にポジティブである。過去は変えられないが、未来どうなるかは自分次第だ!さあ、これから明るい未来を切り開いて行こう!

安倍元首相に哀悼の意を表す。

7月8日、安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。安倍氏に哀悼の意を表したい。

安倍氏は良くも悪くも非常に存在感のある人物であった。なので安倍氏を支持する人は熱狂的に支持するし、反対派は徹底的に安倍氏を叩きのめそうとする。僕自身は安倍氏の総理在任中、基本的には安倍氏支持のスタンスをとってきた。確かに政権末期はおかしいことが立て続けに出てきて疑問を抱くこともあったが、だからと言って安倍氏が大きな業績を残したことには変わらない。特に防衛面での安倍氏の実績は非常に大きかったと僕は考えている。そこでここでは防衛面について僕の考えを少し述べようと思う。

まず、安倍氏の強固な防衛政策には反対する人も多かった。特に安保法案に関しては「戦争法案」とレッテルを貼り付け反対を叫ぶ人も多かった。しかし安保法案は安保法案であって、決して戦争法案ではない。ではなぜ安倍氏は安保法案を強固に打ち出したのか?それはやはり現状のままでは有事に日本を守ることができないという思いがあったからだろう。これまでは何も変えずにそのままにしておけば平和を保つことができた。しかしこれまでは良かったからといって、これからも従来の方法で通用するとは全く限らない。しかし今の日本人は過去の成功に囚われ過ぎている。その結果が現在の悲惨な経済状況である。変化を好まないというのは日本人の気質だと言われているが、しかし変えるべきところは変えていかなければならない。

そして現在の日本人が変化しようとしない理由が、中学・高校の社会科教育にもあると僕は考えている。それは「憲法第9条絶対主義」だ。憲法第9条さえ固持すれば、そして憲法を不変に保てば、平和を維持できると思っているのである。中学校では憲法第9条を徹底的に暗記させられ、それが平和の全てだと教え込まれる。そしてそう教え込まれた生徒はそのまま大人になるのである。これは完全な思考停止状態である。国民が思考停止状態では、平和を維持するのは難しい。まずはどうすれば平和を維持できるかを国民一人一人が自分の頭で考え、維持すべきことは維持し、変えるべきことは変えていかなければならない。

平和状態とは物理で言えば熱力学的平衡状態みたいなものであって、マクロに見ればなんの動きもないように見える。しかしミクロに見れば全ての分子は猛烈な勢いで飛び回っているのである。それと同じように、平和状態にはなんの動きも争いもないように見えるが、それぞれの政治家が頻繁に飛び回り各国と交渉を重ね、そして自衛隊は他国の動きに目を光らせ、他国機の違法侵入があれば即座にスクランブル発進をしているのである。このように平和状態を保つことは、政治家や自衛隊にとっては紛争状態に勝るとも劣らない苦労がつきまとうのである。しかし一般国民の目には表面的には「何も起きていないから平和」と映り勘違いしているのである。実際は「あらゆることが起きまくっているが、それが故に全体的には平衡状態を保っているので平和に映っている」のである。

ここで安倍氏の話に戻るが、安倍氏は防衛政策に非常に力を入れていた総理であった。だからこそ現状のままではいけないと思い、様々なことを変えようとした。そしてそれが海外の国家・政治家たちに「安倍氏はただならぬ人物だ」という認識をもたらし、安倍氏のいる日本には容易に手を出せないと言う状況を作り出していた。今少なくとも日本が平和なのも、安倍氏が存在しているからと言う理由も少なからずあったと思う。尖閣海域では度々中国船が侵入しているが、軍事行動を起こすまでには至っていない。しかしこれからはどうなるかはわからない。尖閣、そして隣国である台湾有事がいつ起こるかわからない状況である。そのような中で安倍氏抜きでどのように切り抜けていくか?難しい判断に迫られることであろう。しかし幸いに、日本には有能な政治家が複数いる。(無能な政治家もいるが。)現在総理をされている岸田氏をはじめ、これらの有能な政治家のリーダーシップのもと、平和を維持していくことは決して不可能ではないと僕は信じている。しかし一歩間違えば破滅を迎えるかもしれないという状況である。平和を守るのに与党も野党も関係ない。今回の安倍氏襲撃に対する対応では、与党・野党が一致した声明を発していた。いつもは与党のすること全てに反対というスタンスをとっている野党も、もし国家の利害に対する意見が一致することに対しては、与党野党共に一致して事を進めて行ってもらいたいものである。