IT社会の今、日本はどのように舵を取れば良いのだろうか?

近年、社会におけるプログラミングの重要性がますます高まっている。それに伴って、学校教育においても、小学校からプログラミング教育が導入されることが決定されている。初めは試行錯誤で手探りの教育になることが予想されるが、それらが洗練されるのにはおそらく二十年はかかるものと思われる。

日本でプログラミングの重要性が議論される時、ほとんどの場合GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)の話が持ち出される。もちろん、これらの企業に共通するのはITであり、つまりプログラミングであるので、これらの事例を見てプログラミングの重要性へと話が進むのは分からない事ではないが、ただプログラミングの技術だけを高めればITで覇権が取れると思い込むのは早とちりではないだろうか?なぜなら、AppleにしてもFacebookにしても、そしてMicrosoftにしても、それぞれ世界で一、二を争う企業ではあるが、ジョブズが、ザッカーバーグが、そしてビルゲイツが世界で一、二を争うプログラマーである訳ではない。ジョブズやザッカーバーグ、ビルゲイツはもちろんIT技術は高いものを持っているだろうが、彼らが世界トップの企業を作るのに成功したのは、確実壮大で未来を見据えたビジョンを持っていたからではないだろうか?今、日本に一番欠けているのは、技術そのものではなく、むしろビジョンの方である。技術を高めるのは短期間である程度出来るであろうが、ビジョンを持てる人材を養成するのは一朝一夕では出来ない。日本ではこちらの方の教育が完全に欠けている。

なぜ日本の教育はビジョン構想には向かないのか?それは一番に受験システムに問題があると僕は考えている。そもそも学校は、大学は、何のためにあるのか?それはもちろんそこでの教育を通じて教養や技術、知識を身に付けるためである。しかし現在の教育システムでは、受験そのものが最大の目的になっている。受験技術をどれだけ身に付けるかという教育を推進する限り、ビジョンを持てる人間を養成するのは非常に難しい。学校に入ること自体が目的ではなく、入ってから研鑽することが重要なのである。

今、日本の教育の方向性は本当に正しいのか?この問いに絶対的な答えがないのは明らかだが、ただ正しい方向へ進んでいるとは思えない。もちろん、現場の教育者だけの責任ではなく、国を動かす政治家にも問題がある訳だが、そのような国の舵取りをする人たちの示す方向性が間違えば、数十年単位で致命的な問題になる。しかしだからと言って、政治家だけに問題を押し付けるのも間違っている。我々市民がこれらの問題を自己の問題だと捉え、積極的に発言し行動しなければならない。ではどのように考えれば良いか?それは今現在の問題だけを考えるのではなく、次世代、次々世代の事まで考え、長いスパンで物事を捉えることが必要である。現役世代至上主義で物事を考えることは、次世代の人間だけでなく現役世代に対してもデメリットは大きいのではないだろうか?

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