思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

AI時代になって価値が爆上がりすること。

AI時代に価値が爆上がりする事。

1)不便さ

2)無駄

3)自分の頭で考える事

人々は不便さと無駄を求めて、自分の頭で考える事の莫大な価値に気づくであろう。

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先ほど僕がthreadsに書き込んだメモです。

AIとは世の中を超便利にし、超無駄をなくすものです。しかしそれが当たり前になると人間は違うものを求めたくなり、その結果AIの仕事とは真逆のことに価値が出るはずです。そもそも不便さによって人間は自ら動こうとするものだし、無駄とは言い換えれば人生の余裕でもあります。

そしてAIによって人間は考える必要がなくなると思われていますが、人間が人間たる所以は「考える」と言う行為にあります。AIが浸透するにつれ、人間はその事に気づくはずです。

僕自身、数学や理論物理、そして最近は理論生物学などの問題に取り組んでいますが、考えようによっては数年後にこれらの研究をAIがやるようになってもおかしくありません。しかしそのような世界が本当に楽しく面白い世界でしょうか?生成AIの急激な発展を見て、僕自身強い危機感を覚えました。将棋なら人間が戦うことに意義があるので、どれだけAIが発展しても藤井聡太さんの価値は下がることはありません。しかしAIが数学をするようになると、人間が出した結果か?AIが出した結果か?と言うことは関係ありません。ならばもう人間の数学者は用済みなのでしょうか?これまでのように社会的評価だけを考えていては、数学を研究する原動力は生まれません。ならば自分の頭で考えることがどれだけ価値があるか?そしてそれがどれだけ楽しいことなのか?そのような事を第一に考えて打ち込むしかありません。

AIを使いこなすだけの世の中って、人間がAIを使いこなしているように見えて、実は人間がAIの奴隷状態になっているのです。しかし人間は自分が奴隷になっていることさえ気づきません。奴隷になるのか?人間として生きるのか?それはその人の生き方・考え方にかかっています。

本を読むこと。

今月、このブログのレンタルサーバーおよび独自ドメインの、年一回の使用料の引き落としがあった。はっきり言って今の僕にとっては決して小さな額ではない。それなのに去年はほとんどブログを更新せずに放置状態だった。せっかくこのように発言の場を構築しているのに、それを使わないのは非常にもったいない話だ。なのでこらからはまた頻繁にこのブログを更新していきたいと思っている。

とは言え久しぶりに執筆してみると、毎日更新していた時のようにスラスラと文章が出ない。少し書く手がおぼつかないのだ。やはり何でも毎日続けることによってスキルを維持できるのだとひしひし実感してしまう。これまで積み重ねたものを維持するためにも、毎日行動を起こすことが重要である。

ところでタイトルにあるように僕が読んでいる本について書こうと思うのだが、特定の本に関することではない。僕が読んでいる本に関する全般的な話だ。初めに言っておくと、最近は専門書および科学書しか買っていない。そしてそれらの本の購入に(僕にとっては)多額のお金を注ぎ込んでいる。僕の専門はもともと数学・物理(数理物理)だが、最近はあらゆる科学が面白くて、理論生物学や化学、そしてコンピューター関連の専門書なども読んでいる。そして本だけでなく、論文もできるだけチェックして目を通すようにしている。

論文に関しては、数学・物理に関する最新の論文は「arXiv」と言うサイトに全て集まっているので、無料で論文が読み放題である。そしてここ数年になって、arXivの生物学版、医学版、化学版などもでき、それらの分野に関する最新の論文も読み放題である。このarXivに載っている論文はプレプリントと言われるもので、基本的に査読はされていない。つまり専門家のチェックが入っていない状態のものがまずは掲載される。そしてarXivに載せた後、論文雑誌に投稿するという流れである。

先ほど述べたように僕は専門書を買いまくっているのだが、別に全ての研究者が大量の本を買いまくっている訳ではない。本にほとんど頼らずに研究を実行している研究者もいる。そのような研究者は僕から見ると本当に尊敬に値する。ただ僕自身はとにかく本を買いまくって構想するスタイルをとっており、これからも本を買いまくっていくと思う。それが良いのか悪いのかはわからないが、それが僕のスタイルだ。

専門書や科学書は頻繁に買ってはいるが、小説などの類の本は本当に全く買わなくなった。学生時代は小説などもそれなりに読んで楽しんでいたが、最近は小説を読むのがお金も時間も無駄に感じてしまう。もちろん時間が無限にあるのなら小説なども読んでみたい気は少しある。しかし時間は有限である。そう考えた時、少しでもサイエンスに時間を割きたいと思ってしまう。

近年は出版不況と言われ、皆本を買わなくなったと言われている。情報はネットから無料でいくらでも手に入る。そして本を買う時も最近は電子書籍を購入することが多くなったのではないだろうか。僕自身も電子書籍を購入することがあるが、専門書は基本的に紙の本にこだわっている。確かに紙の本は持ち歩きに不便だ。電子書籍なら何万ページの本でもiPad一枚で済んでしまう。僕自身はどちらがいいと断言しようとは思わないが、専門書に関しては圧倒的に紙のほう効果があるように感じる。しかし論文はネットからダウンロードしてiPadで読むのが便利だ。そして小説などは電子書籍をスマホで読むのがいいだろう。

とにかく紙の本であろうと電子書籍であろうと、本を読むことは人間の知的活動においては不可欠だ。最近はAIを利用する機会も出てきているが、人間が人間である所以は「思考する」と言う行為にある。考えることを放棄してしまえば、それは人間であることを放棄しているのも同然だ。自分はどこまで思考し続けることができるのか?その究極的な限界を追及していくのも非常にエキサイティングな行為だと僕は強く思っている。

「自分の頭で考えること」と、「人の言うことを聞かないこと」

「人の言うことを聞くことは大事である。」多くの人はそう思っていることだと思う。そして多くの人にとってそれは間違いではない。しかし人の言うことを聞くのはいいとしても、全てを人の意見に丸投げして自分は一切考えないとなると本末転倒だ。もちろん、自分ではどうしても手に入れられない情報を他人から手に入れることは非常に重要だ。今のウクライナ戦争でプーチンが苦境に立たされているのは、周りをイエスマンで固め、正しい情報がプーチンに行き渡らないことが原因だとも言われている。

確かに人の意見を聞くことは重要だが、僕はあえて人の意見を聞かないことが多々ある。それは人の意見に左右されずに自分の頭で徹底的に考えて判断するためだ。僕は何よりも「自分の頭で考えること」を最重要視している。極論を言うと、人の言うことに素直に従って成功するよりも、例え失敗しても自分の頭で徹底的に考えて行動することの方が価値があると考えている。そして自分の頭で考えて動いた結果の失敗は、必ず後の成功に結びつく。それに対して、人の意見に従って成功しても、それは後に続かない。とは言え、僕だって自分の頭で考えて最終的に成功する自信があるから自分の頭に従っているのだが。

現在、生成AIが非常に話題になっている。正直言って、現時点でのAIはまだまだ人間に比べて不完全だ。確かに将棋のように単純であるが膨大な手があるようなゲームには大きな力を発揮するが、論理的に物事を構築することに関してはまだまだ人間には及ばない。しかし数年後どのようになっているかは断言できないが。しかし例えAIが発達したとしても、人間が自分の頭で考えることを放棄しては決してならない。人間を人間たらしめているのは「思考する」と言う行為にあるのだから。思考することをやめたとき、その時人間が人間でなくなる。

とは言え、僕はIT社会に逆行しろと言っているわけではない。テクノロジーの否定は人間に何ももたらさない。たとえ社会にとってネガティブなテクノロジーが現れても、それを凌ぐポジティブなテクノロジーで解決しなければならないのである。科学もテクノロジーも退化することは絶対にないのである。開けたパンドラの箱は戻らない。しかしテクノロジーがどれだけ発達しようが、僕は人間の知能と思考の限界に挑戦して行こうと強く心に決めている。

本を力に変える!

またまた本を注文してしまった。かなり高額な専門洋書をAmazonで予約注文したのだ。はっきり言って今回の本はかなり高額だったので、注文するかどうか数日考え込んでいた。しかしいつもの如く、買うかどうか迷ったときには結局買ってしまう。本当に懐が痛い!

しかし本は買って終わりではない。身につけて着飾るものでもない。読んで理解して、頭脳の血となり肉とするのが目的だ。血となり、知となる。そして知となった血は一生の宝となるのだ。それらの知は大きな力となる。野球で大谷翔平を超えることはできないが、知の世界で大谷級のホームランをかっ飛ばすことは可能かもしれない。そのためにはもちろん努力も必要だし、強い意志と覚悟も必要だ。

今回高額な本を注文した訳だが、普通に考えて僕のように本にこんなにもお金を注ぎ込む必要は全くない。しかし僕のスタイルは、本を買って集めて、それらの本の知を縦横無尽に駆使して結果を出そうと言うものだ。なので今では本を買いまくることに躊躇しない。必ず大きな結果となって表れることだろう。

しかしどうやら近年は出版不況だと言われ、本が昔ほど売れていないようだ。そりゃそうだ。平均的な情報ならスマホでいつでもどこでも手軽に読んで手に入る。もしかしたら今存在するすべての本に書かれている情報の総量よりも、ネット情報の総量の方が多いかもしれない。僕も電車の中では、スマホでニュースなどを読んだりして気軽にネット情報にアクセスする。しかしそれでも紙の本の優位は揺るがないと考えている。もちろん最近では電子書籍というものもある。僕も電子書籍を部分的に利用はしている。しかし何かが違うのだ。専門書は紙の本で読みたくなる。しかしこれも読む本の性質によるのだろう。小説なら電子書籍で全然構わないし、教科書を電子書籍で読むのも良いと思う。特に小学生がランドセルに教科書を何冊も入れて重そうにしているのをみると、iPadひとつに全ての教科書を入れることのメリットは絶大だ。しかも手軽にどこでも読める。しかし紙の本はこれからもなくならないだろう。いかに紙と電子書籍の「ハイブリッド使用法」を確立するかがこれからの課題になるのかもしれない。

ストレスを筋トレで乗り切る!

僕は今、非常にきついストレスを感じている。周りの環境もそうだし、それに加えて自分自身も非常にストレス耐性が弱まっている。特にここ三日ほどは地獄だった。しかしそんなストレスも何とかして乗り越えなければならない。乗り越え方はいくつかあるが、僕が行った中で最も効果的で最も健康的なのは「筋トレ」だ!ここ二日間は筋トレばかりしてストレスを乗り越えた。

今では筋トレはストレス解消の特効薬だと思っている。特にハードにやればやるほど効果がある。ストレスを感じるたびに腹筋と腕立て伏せ、そしてダンベルを持ち上げている。今日(10月9日)は合計で7回くらいはやったであろう。とにかく今のストレスは筋トレをして解消しないと自分が壊れてしまうレベルだ。しかし筋トレをしてなんとか1日を乗り切った。おそらく一時的にストレスが異常に高まっていると思われるが、筋トレをすることによってなんとかこの状況を乗り越えようと考えている。

この「筋トレ・ストレス解消法」は断然おすすめである。腹筋を50回くらいしたあたりで自分の体からストレスがスーッと抜けていくのがわかる。そして腕立て伏せ・ダンベル運動をすると一セットが完了する。このような筋トレに加えて、ランニングなどの有酸素運動を取り入れるのも良い。なので普段はランニングと筋トレをセットでやっているが、今日は雨が降っていたので筋トレばかりをしていた。

最近では、運動は思考力にも好影響をもたらすと言われている。特にランニングを20分ほどコンスタントに取り組めば、脳の働きに良いらしい。そのような理由もあって僕はマメにランニングを行なっている。それとは対照的に、ストレスは脳に多大な悪影響をもたらす。いや、脳だけではない。身体にも悪影響をもたらし、ストレスは百害あって一利なしだ!なので今はなんとかストレスを撃退してストレス耐性を少しでも上げることを考えている。なので今週は筋トレばかりしているかもしれない。大袈裟ではなく、今週の筋トレが僕の将来を決定するかもしれない。明日目覚めたら、即筋トレに取り組んで1日を始めよう!

「考えること」の重要性。

このブログのタイトルが「考える部屋」としてあるように、僕は考えることに最も重きを置いている。考えると言う行為は最も人間らしい行為であり、人間が人間であるために最も必要な行為であると考えている。しかし現在、人間は自分自身でAI(人工知能)と言うものを作り上げようとしている。僕自身はAIに対してそんなに楽観視していない。しかし現代社会にAIと言うシステムが存在する限り、「AIとは何か?」と言うことを考え理解することは絶対に必要だ。科学的観点からAIのシステムを理解すると言うことはこれからの人間にとって重要なスキルとなる。しかし今社会は、「どのようにAIを利用するか?」と言うことばかりに気を取られて、「AIとは何か?」を理解すると言う観点が完全に欠落しているように思えてならない。

考えることはAIに任せて、人間は何も考えなくなるのか?それは絶対に違う。これから人間はAI以上に考えなくてはならないと僕は考えている。なので僕はとことん考えることにこだわって、知を追究して行こうと考えている。

そして今最も危険なのは、「AIでなんでもできる」と考えることだ。僕が以前、「科学を理解している人は科学には何ができないかを理解している。しかし科学を理解していない人は科学で何でもできると思っている。」と書いた。すなわり理解するとは、「今何ができないかを理解する」ことなのである。何ができないかを理解しているからこそ、そこを乗り越えようとする。そのような考えはAIにも言えるのではないだろうか?「AIを理解している人は、AIは何ができないかを理解している。しかしAIを理解していない人は、AIで何でもできると思っている。」なので、AIと言うシステムを科学的(例えばディープラーンニング)に理解して、AIにできるもの、できないことをしっかりと理解することが必要だ。そうすると意外に(少なくとも現在は)AIより人間の方が圧倒的に優っていることがわかる。現在AIが圧倒的に優っていると思われるものは、例えば将棋のように単純であるが膨大なデータの解析が必要なことに対してであり、学問的な思考はまだまだ人間の方が優っているのだ。

人間の時代が終わる時は、それは人間が思考を捨てた時である。なので人間が思考という行為を捨てない限り、まだまだ人間の時代は続くと僕は考えている。まだまだ人間は捨てたものじゃない!

逆境をチャンスに変える!

現在、コロナ禍が急速に悪化している。今このブログ記事を書いているのが7月18日(月)だが、連休明けの火曜日(19日)の感染者数が発表される水曜日(20日)はおそらくとんでもない状況になっているのではないかと僕は考えている。この危機的状況が続くと思われる一、二ヶ月は外出を極力控えるという人も多いのではないだろうか。そうなると、活動的な人にとってはストレスが溜まるし、家でお酒を飲んで暮らすという人も多く出てきても不思議ではない。僕はお酒は大好きだが、家にはお酒を一切備蓄しないことにしている。そうすることによって、お酒を飲むには必ず外出して買ってこなければいけないという障壁を作っている。

そこで、このコロナ禍の急速的な悪化のなか、それを逆手にとってお酒を一切飲まないことにするのも非常に良い選択ではないかと思っている。もしかしたら数日に一度、缶ビールを飲むくらいのことはあるかもしれない。しかしこれを機にアルコールから体と脳をデトックスするのは非常に良い選択だ。そしてYouTube動画を作成しまくるのも良い。僕は今、その準備に打ち込んでいる。もちろん、数学・物理の研究も疎かにしない。とにかく何でも取り組んで行こうと思っている。

ネガティブな状況をネガティブなままにするか?それともそれを逆にポジティブな状況に変えていけるか?そこに自分の人間力がかかっている。そして僕はこの状況を徹底的にポジティブに変えてやろうと強く思っている。その一つとして、お酒を飲まないと言うことにも取り組もうと思っているのである。

僕は常に前を見て生きている。僕の目の前には希望しかない。正確に言うと、今は非常に苦しい状況ではあるが、非常に楽しい状況でもある。はっきり言って、徹底的にポジティブである。過去は変えられないが、未来どうなるかは自分次第だ!さあ、これから明るい未来を切り開いて行こう!

成功の反対は・・・・・?

YouTubeを見ていると、ガンと闘ったアイドルの動画があった。その中で彼女が言った言葉が非常に共感するものであり、また今の日本に最も欠けていることではないかとも思った。それは、

「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」

と言う言葉である。

現在の日本人は極度に失敗を恐れているように感じる。そして失敗を恐れるあまり挑戦をしないと言う選択ばかりとっているように感じる。そしてさらには、挑戦する人をバカにする風潮さえあるようにも感じる。もしこのような僕の感覚が本当なら、日本に将来は全くないはずだ。しかし現実として、日本は曲がりなりにも成り立っている。経済は確かに後退しているが、スリランカのように破産しているわけではない。それはこのような日本の中にも、それなりに挑戦者が存在するからではないかと僕は思っている。

僕は失敗はたくさん経験すべきだと考えている。失敗は挑戦した証であり、誇れるものでもある。そして多くの失敗を重ねる中で成功を生み出して行けば良いのである。しかし何を勘違いしているのか、多くの人は失敗をしないで成功することが善だと考えている。しかしはっきり言って、そのような人には100%、いや、200%成功は訪れない。なぜなら失敗を避けている時点で、挑戦を全くしていないからである。そして挑戦をしないと言うことは、もちろん成功もありえない。今日本に必要なのは、目先の利益、目先の成功ではなく、積極的に挑戦するという精神である。

僕自身のことになるが、僕は失敗の数は誰にも負けないと(変な)自負を持っている。そしてそれだけ失敗していると言うことは、それだけ多くの挑戦をしていると言うことである。もちろん挑戦し続けていることは僕の誇りでもある。しかし残念なことに、まだ成功には至っていない。しかし成功する自信、いや、確信は強固にある。数学・物理だけでなく、サイエンスのさまざまな分野の研究にも挑戦している。YouTubeも始めたし、今年は本を出版することもできた。なんだか年を重ねるにつれ、挑戦心が増してきているようだ。

挑戦しない人たちは、できない理由を必死に探しているように感じる。「自分には才能がないから」、「面倒だから」、「もう年だから」と。しかしこれらの理由は僕から見れば全てバカバカしいものばかりだ。才能がないなら才能を磨けばいいし、年を理由に諦めている人は、ならば若ければやっていたのか?と言う話である。

若くして結果を出せれば凄く良い。しかし遅くても結果を出せればそれも凄く良い。藤井聡太五冠のように若くして大きな成功を成し遂げた人には非常に憧れるし、とてつもなく偉大でもあると思う。しかし若くなくても挑戦し続け、これから大きな結果を出せばよいのである。自分には自分の人生がある。それが個性というものである。人と同じ人生を歩む必要なんて全くない。人生にも多様性が大事なのである。さあ、また今から新しいことにでも挑戦しようか!

僕が徹底的に本(主に専門書)にお金をかける理由。

僕はこれまで何度かブログにも書いてきたように、本(主に専門書)に多額のお金をかけてきた。たとえお金に余裕がなくとも、本にかけるお金はできる限り確保するようにしてきた。ホンゲル係数(収入のうち、本にかけるお金の割合)は日本一だと自負している。では、それらの本を全て活用できているのか?と言われれば、決してそうではない。しかしトータルで見ると、大きく活用できているはずである。

本とは知への入り口である。多くの人は、お金を稼ぐための知識をつけるために本を読むと言うだろう。それも全然間違いではないし、むしろそのような考えの方が世間一般の常識的に見て正しいであろう。またある人は、小説を読んで感性の豊かさを身につけると言うだろう。それも全然間違いではないし、こちらも世間一般的に見て常識であろう。では、専門書を買いまくるのはどうか?とても人にお勧めできるお金の使い方ではない。また、専門書を買いまくる人など社会的に見て圧倒的少数派であろう。また専門書を集めるのが趣味だなんて言うと、完全に変態扱いされるに違いない。そんなお金があれば、ロレックスの時計を買う方が圧倒的にメリットが大きいであろう。しかし世の中には変な人がいるもので、専門書を買うことに喜びを感じる人(すなわち僕のような人)が少数いるのである。

しかし僕の経験上、専門書を買うことは決して無駄ではないと感じている。実際、僕が大学時代に買いまくっていた専門書は、その時には全く活用できていなくても、後になって大きく活用されていたりする。もちろん中には読まない本もあるが、それも含めて自分の血となっているのである。ある時期、本を買いまくることをセーブしていたことがあったが、今はその時本を買わなかったことを後悔している。なので今はお金の許す限り本を買いまくることにしている。

本とは知への入り口であると先ほど言った。なのでその分野の基礎知識を身につけるには、専門書を避けては通れない。そしてさらに先に進めたくなれば論文を読むことになる。なぜ知への挑戦をしようとするのか?それは自己の科学に対する欲求でもあり、自分の限界への挑戦でもある。プロ野球選手が野球の技量に対する限界への挑戦をするように、科学者は科学的な知に対して人間はどこまで迫れるのか?と挑戦し続ける。そのためには専門書や論文は必要不可欠である。そして僕に関して言えば、「とことん本を購入しまくって、それを徹底的に活用する」と言うスタンスをとっている。しかし皆が皆そのようなスタンスを取る必要なはい。ただ僕はそのようなスタンスを取ることにこだわっているだけなのである。

本への投資は株への投資とは少し意味合いが違う。株への投資の最大の目標は金銭的利益にあるのに対して、本への投資の最大目標は自分の知的レベルの向上と人間性の向上にある。しかしそのようなことに価値を見出せる人は実際はあまり多くないのかもしれない。なので多くの人は株に多額の投資をし、千円の本一冊も買わない。しかしもし皆が皆本に多額の投資をしまくってしまえば、それはそれで世の中が偏ってしまうかもしれない。しかし現代の世の中において、年間に一冊も本を買わないと言うことになれば、それは明らかに知的危機であるに違いない。

世界最強の亀になる!

日本では、兎と亀の話がよく話される。ご存じの通り、兎は足が速くどんどん先に進むが、最後には地道に前に進んで行った亀が先に着くと言う話だ。僕は現在は兎でも亀でもない。しかし結果的には亀になればいいと思っている。しかし目指すなら、普通の亀ではなくて世界最強の亀だ!

僕の人生は、三歩進んで二歩下がる、いや、時には一歩進んで十歩下がるという時もあった。なのでなかなか前に進まない。困難の連続だ。時には不調に陥り、しばしば失敗を繰り返す。しかし時間がたって気づけば、それなりに前に進んでいるものである。不調に陥った時はかなり絶望的な状況になるが、それを乗り越えると心身共に前より強くなっているのだ。最近もかなり不調に陥っていたが、その原因が明らかになり解決方法が見つかりつつある。そしてそれを乗り越えることができれば、以前より心身共に強くなっているような気がする。そのためにも、最近はかなりハードな筋トレも再開した。

今開かれているオリンピックでは、最年少のメダルとかがよく話題になる。そして最年少と言えば、将棋の藤井聡太さんの話を避けては通れない。藤井さんはとてつもなく凄い。彼は言うなれば「史上最強の兎」である。そのような最強の兎に立ち向かっても勝てるわけがない。別に僕が藤井さんに対抗心を燃やしているわけではないが、僕は兎では全くないが、「最強の亀」ならまだ目指せるのではないかと思っている。ドラゴンボールと言うアニメでは、戦闘民族サイヤ人はダメージを負うほど回復したときにはさらに強くなっている。僕はサイヤ人ならぬ「サイヤ亀」、そして「亀仙人」を目指そうと思っている。

人間は誰しも歳を取る。しかし「歳を取ったからもう無理だ」と言うのは、単なる言い訳にしか聞こえない。特に挑戦もせずに、そして努力もせずに初めからあきらめるのは愚の極致だ。なので僕は何でも挑戦してみる。その結果、失敗しても良いのだ。失敗は挑戦の証であり、途中で100回失敗しても最終的に成功すればいいのだ。しかし「最年少の天才」は良く聞くが、「最長老の最強の亀」とはほとんど聞かない。しかし前例がないなら、自分が前例を作ればいいだけだ。幸い、気力だけは誰よりも維持し続けている。人間は老化するだけでなく進化もし続けることができる。死ぬまで進化し続ける事、それが僕の最大の目標だ!そして人生を終える時、亀仙人になっていたいと思っている。