科学・数理(サイエンス)」カテゴリーアーカイブ

メダカでパーキンソン病を再現

京都大学の研究グループが、メダカを使ってパーキンソン病を再現することに成功したそうだ。

パーキンソン病は脳の伝達物質が減少し、筋肉の震えなどの症状が出る難病だ。これまでに治療方法は見つかっていない。

今回京都大学のグループは、メダカの遺伝子のうちの一つを抑制させることによってメダカにパーキンソン病の症状を出すことに成功した。遺伝子を操作して特定の症状を出すのは、iPS細胞の作製に通じるものがあるのではないかと私は思ってしまう。iPS細胞は、通常の細胞(例えば皮膚の細胞)に山中ファクターと呼ばれる四つの遺伝子を入れることによって万能細胞に変化させる。

21世紀の生物学・医学の研究の中心は「脳」の解明だと言われていた。1987年にノーベル医学生理学賞を受賞された利根川進博士も免疫の研究でノーベル賞を受賞し、脳の研究に移った。

1990年代のヒトゲノム解析計画から遺伝子の研究が躍進し、山中博士のiPS細胞の発見で一つの絶頂を迎えたのではないかと思う。iPS細胞の万能性によってiPS細胞をさまざまな病的な細胞に変化させ、それを(実験台として)利用し、創薬のペースが飛躍的に早くなることが予想されている。

今回のパーキンソン病のメダカの作成成功は、この病的なメダカを実験台にし、薬の有効性、治療方法の確立など、様々な期待を背負うだろう。

生物学・医学は単に科学の発展のみならず、病気の治療など人類への貢献度が非常に大きいものが多く、一つ一つの研究が持つ社会的意味合いも大きい。それはiPS細胞の医療への貢献が年々急拡大していることからも容易に感じられる。

今回のパーキンソン病のメダカの研究も、将来医療に大きく貢献させる、そんな予感を感じるものである。

野依理研理事長交代

理研のトップが野依良治氏から松本前京大総長に交代した。野依氏にとっては苦悩の理事職だったに違いない。STAP細胞不祥事時の理事長と記憶に残るだろう。今ではSTAP責任問題で揺れた野依体制であったが、野依氏が偉大な化学者だったことを忘れてはないだろうか。

野依氏は言わずと知れたノーベル賞化学者である。名古屋大学教授時代の2001年にノーベル化学賞を受賞されている。受賞時には大きく取りざたされて持ち上げられたものだが、それもこんなに手のひらを返されるような扱いをされるものかと悲しい気がした。

ノーベル賞受賞時は「鬼の野依」と呼ばれて、研究姿勢の厳しさが注目浴びた。それをあざ笑うかのような小保方氏の研究姿勢の甘さである。野依氏は理研中枢におり、小保方氏を直接指導することはなかったと思われるが、小保方氏にこの野依氏の厳しさが伝わっていればここまで大きな問題になっていなかったのではないかと悔やまれる。

野依氏はノーベル賞受賞以降、研究機関管理職として多忙を極めたと予測されるが、偉くなったからと管理職に登用するのはどうかと思う。野依氏のような超一流の化学者を最後まで第一線で現役として研究に打ち込める環境を与えるのも周りの役目ではないか。

なにはともあれ、野依さん、お疲れ様でした。これからまた研究生活に戻ってくれればと思っています。

スキージャンプと数学

先ほどスキージャンプの試合をテレビ中継していた。スキージャンプの飛距離を左右するのが風の抵抗だ。風邪は一刻一刻と変わっていくので、風邪を読むのは非常に難しい。

ところで、風などの流体は数学的には「ナビエ・ストークスの方程式」という方程式で記述される。偏微分方程式と言われるものの一つだ。しかしこの方程式は非常に複雑で、まだ数学的に厳密な解は求まっていない。何十年か何百年か知らないが、非常に長い間未解決問題をして残されている。偏微分方程式を研究している解析学者の多くは、ナビエ・ストークス方程式の解を導くことを夢見ている。

流体が問題になるものの一つに、飛行機の空気抵抗がある。現在このような流体による抵抗を計算するときには、シミュレーションするか近似的な解を求めることになる。しかしナビエ・ストークス方程式の厳密解が求まれば、飛行機の設計にも大きな影響を与えるとも言われている。スキーのジャンプの理想的な飛び方なども見つかるかもしれない。

ちなみにナビエ・ストークス方程式を解くと、クレイ数学研究所から約1億円が懸賞金として送られる。

そうそう、スキージャンプの話をしているのだった。団体戦、最後はレジェンド葛西選手が締めくくって日本は4位だった。葛西選手の飛型は非常に美しいので、見ていてすごく気持ちいいものである。

巨大ブラックホール

最近、とてつもなく大きなブラックホールが見つかったみたいだ。どれくらい大きいかと言うと、太陽の120億倍の質量があるそうだ。

そもそもブラックホールとは超高密度な天体で、周りの空間が重力によって歪みすぎて光さえも脱出できない星だ。どれくらい超高密度かというと、地球をギュッと数百メートルくらいに圧縮して縮めるとブラックホールになるらしい。

たまにアインシュタイン方程式のシュバルツシルド解などを扱うことがあり、具体的な数値を出すことは少ないのであまり実感はなかったが、おそらくチロルチョコくらいの重さが何トンもするのだと思う。

ところでブラックホールの中心には特異点というものが存在する。ブラックホールは一般相対性理論を解析すると出てくるのだが、特異点では一般相対論自体が破たんしてしまうような点だ。すなわち特異点領域の様子を知るためには他の理論が必要で、量子重力理論がそれを解明するだろうと言われている。ちなみに量子重力理論はまだ完成していない。

現時点で、量子重力理論の候補として二つの理論が有力視されている。超弦理論とループ量子重力理論だ。もちろんこれらの理論以外の理論が突如として現れる可能性も否定できない。

量子重力理論を完成させ、アインシュタインの直系の後継者が現れるのはいつのことになるのだろうか。

 

やっぱり素粒子論は面白い

僕は大学学部は数学系、大学院も数理系の研究科にいたこともあって、今まで勉強、研究してきたことは数理物理とはいえかなり数学よりに偏っていた。しかしもとをただせば小学生のころに長岡半太郎の原子モデルに魅せられたことに始まって、興味の重みは物理の方にあった。大学に入る前から素粒子論を研究すると周りの人に言いふらしていた。

ではなぜ大学に入るときに数学科(数理・自然情報科学科)を選んだかというと、数学は学校でやって、物理は独学でやろうと思ったからだ。しかし大学入学早々、大学図書館にこもって数学の授業も出ずに数学も物理も独学でやろうと挑戦してしまった。おかげで単位はほとんど取らずに一年が過ぎた。

その後いろいろアクシデントがあったりしてかなり回り道をしたが、数学と物理に対する情熱は持ち続けてきた。

最近になって、数学よりから物理よりのことをするようになり、原点であった素粒子論に近いことをやりだして、やはり素粒子論はめちゃくちゃ面白いと改めて感じてきた。

最近していることの一つにゲージ理論というものがあるが、これは数学ではフファイバー束という理論と等価であり、数学と物理の双方で研究がされている。しかし物理としてのゲージ理論の醍醐味は「量子論」としてのゲージ理論であり、この量子化がゲージ理論をより深いものにする一方、非常に複雑なものにしている。

この量子ゲージ理論はまだ厳密に数学的理論化はされていなくて、その数学化はアメリカのクレイ数学研究所の七つの懸賞問題の一つとして一億円の懸賞金がかけられている。

七つの懸賞問題のうち現在までに解かれたのは、ペレルマンが解決したポアンカレ予想だけで(ちなみにペレルマンは一億円の受け取りを拒否し、その一億円は宙に浮いている)他の六個は未解決である。

量子ゲージ理論の問題(厳密には「ヤン・ミルズ理論の存在と質量ギャップ」の問題と言う)はその中でも最も物理寄りで、最も地味な問題に思えるが、この数理物理の問題に数学研究所が懸賞金をかけていることは素晴らしいことである。

次に一億円の懸賞金を獲得するのはいったい誰になるのだろうか。楽しみである。

一般相対性理論、誕生百周年

今年はアインシュタインが一般相対性理論が発表されてから約100年になる。一般相対論関連の論文は1914年あたりから出ているが、決定的な確定打となった論文は1916年、つまり厳密には100周年は来年になる。

その1916年の論文は、当時論文言語として主流だったドイツ語で書かれている。アインシュタインは当時は確かベルリン大学の教授だったと思う。

ところでアインシュタインの相対性理論には2種類ある。「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」だ。名前とは裏腹に、特殊相対論の方が一般的で、一般相対論の方が特殊だと言われている。1905年の特殊相対論はとてつもなく革新的だった。そして1916年の一般相対論も非常に革新的なのだが、それに加えてとてつもなく壮大な理論だ。壮大さでは一般相対性理論の右に出る科学理論は存在しない。

アインシュタインは特殊相対論で時間と空間を合体させ、時空という概念を作った。そして一般相対論で重力を時空のゆがみであると提唱した。

多くの理論が数年で消えていく中、この両理論は今でも基礎理論として色あせることなく生き残っている。アインシュタインの先見性は驚くべきものである。

20世紀は物理学の世紀とも言われている。特殊・一般相対論、そして量子力学を基礎として、物理学は大きな飛躍を遂げた。

そしてアインシュタインがもう一つもたらしたものは、「物理学の数学化」だ。これはヤン・ミルズ理論によっていっそう拍車がかかり、最近の超弦理論などは物理というよりむしろ数学だ。この数学的物理理論は本当に正しいのだろうか。

最近は素粒子論研究者の多くが超弦理論に流れ、その比重が偏りすぎているように思える。超弦理論へエスカレーターがつながっているかのような様相だ。既存の分野を覆すような革新を起こすような、オリジナリティあふれる研究に取り組むような学者がもっと増えてきてほしいものである。

地震学者の解説があまりにもひどい

大きな地震が起こると、決まって地震学者の解説がテレビで流れるが、その解説があまりにもひどい。大概その地点はひずみが溜まっていたとか地震の空白地帯だったとか言っているが、その説明が全然科学的ではない。似非論理学者の似非科学レベルの話なのである。サイエンスというのにはほど遠い。しかもその論理も事後の後付けなのである。それでいて自身を学者と名乗っている。もうちまたによく出てくる預言者が後になって私は予言していたというレベルである。

何も地震学自体を否定するつもりはない。地道な観測と、筋の通った論理地球学に基づいてコツコツと研究している地震学者もいるだろう。地震学は役に立たないどころか成功すれば計り知れないくらい大きな利益をもたらす。そのことは少し考えればわかる。大地震を一回予知するだけで、数万人の命が助かる可能性があるのだ。であるから一回の地震の予知に失敗したからと言って非難するのは早計だろう。

しかし不真面目でいい加減な地震学者が多い。それともテレビなどに出ている地震学者がいい加減なのか。東大教授というような高名な学者もよく出ているが。

思い返してみれば、阪神大震災が起こる前にも地震特集みたいなテレビ番組はよくあった。しかしその内容と言えば、すぐにでも首都圏直下型地震が起きてもおかしくないというものである。べつに首都圏直下型地震を危惧することに異論はない。しかし首都圏以外に関しては全くというほど触れられてはいなかった。そこでの阪神、東日本である。事後になって関西は危なかった、東日本は巨大地震の巣だったなどとわめいている。最近になってようやく南海トラフ巨大地震がクローズアップされているが。

首都圏の危機的状況を伝えること自体は否定しない。しかし人間は首都圏だけに住んでいるのではない。もちろん人口密集地の情報が重要なことはわかる。しかし「科学的」に公平に議論されなければならない。

地震学は規模が大きく、非常に難しい学問であることはわかる。だからと言って事後の貼り付けのような説明は、素人相手とはいえそんなことはしてほしくない。国民をバカにしているのか、地震学者がバカなのか。

とにかくより確実なメカニズムを解明し、大地震を一発でも予知するような大勝利を挙げてほしいものである。

われわれ一般国民もその日が来るのを信じ、静かに見守ろう。

人工知能は人間の頭脳を超えられるのか

最近人工知能の研究が社会的に話題になっている。特に話題の中心は、「人工知能は人間を超えるのか」というものだ。

そもそも何をもって人工知能が人間の頭脳を超えたというのかという定義自体があいまいだが、一つの定義として「チューリングテスト」というものが半世紀ほど前に考え出されている。

チューリングテストとは簡単に言うと、質問の相手を隠し、相手がコンピューターであることを知らせないで質問者にいろいろ質問してもらう。そのやり取りを通じて質問者の30%以上の人が相手が人間であると判断すれば、そのコンピューターは人間の頭脳と同等であると言える、というものである。2014年になって初めてチューリングテストに合格したコンピューターが現れた。

コンピューターと人間の頭脳を比較するとき、二つの視点がある。それは計算量、計算のスピードを見るのか、あるいは計算の「質」を見るのか。

計算の量やスピードを見ると、もうとっくにコンピューターは人間を超えている。何十年も昔の電卓でさえ人間は太刀打ちできない。今では理研にある「京」というコンピューターのように、一秒間に一京回(10000000000000000回)も計算してしまうような化け物のようなコンピューターも現れている。

では「質」についてはどうだろう。これについて二つの解釈があると思う。一つは今社会で話題になっていることだが、コンピューター自身が自分をより高度に学習発展させていけるかというもの。もう一つは問題を解く能力ではなくて、問題の質、すなわちどの問題が重要であってどの問題は重要でないと判断できるかということである。

そしてその質について考えたとき、今のコンピューターの仕組みと人間の頭脳の間には、断層のようなそもそも根本的な仕組みの違いがあるかということが問題になる。

ツイスター理論で有名な物理学者ペンローズ博士は、人間の脳の仕組みには量子重力理論的効果(量子重力理論は現在完成していない)が本質的役割を果たしていると指摘した。それが合っているか間違っているかは別にして、ペンローズ博士はコンピューターと人間の頭脳には、質的な違いがあると言いたかったのであろう。もしそのような質的な違いがあるならば、今のコンピューターをいくら高度に発展させても人間の頭脳と同じ働きをするコンピューターはできない。

話を元に戻そう。コンピューターが人間を超えることで一番危惧されているのは、人間社会がコンピューターに取って代わられるのではないかということであろう。映画のターミネーターみたいな世界である。もしそうなれば人間はコンピューターの奴隷になってしまうかもしれない。そんなSFのような世界も徐々に現実味を帯びてくるであろう。

医療行為に倫理観が欠かせないのと同じように、これからはコンピューター開発にもしっかりした倫理観が必要になる。むやみに開発すればいいという考えはもう終わりにしなければいけないかもしれない。

量子コンピューターが来る日は近いのか?

現在はIT社会、コンピューターがなければ何もできない状態になっているが、次世代、あるいは次々世代のコンピューターとして、「量子コンピュータ」という原理が考案され、研究されている。

現在のコンピューターは、それに対して「古典型」コンピューターとでも呼ぶべきであろうか。

現在の量子コンピュータの研究開発は、理論的研究はかなり進んでいるが、実用化にはまだまだほど遠い状況で、実用化には数十年かかるといわれている。

ところが去年、突然、とある量子コンピュータが発売された。「D-Wave 2」というマシンだ。厳密にいうと、このマシンは量子コンピューター研究開発の主流の論理ゲートを使ったものではない(すなわち計算していない)ので、意味的にはコンピュータではないのかもしれないが、量子コンピューターと似たようなことができる。

このようにして、科学技術は突如として、誰もが予想しえなかった飛躍が起きる。

そこで、1990年代に始まった、ヒトゲノム解析計画のことを思い出した。ヒトゲノム解析計画とは、人の遺伝子情報を全部読み取ろうという計画だ。この計画が始まった当初、全部読み終えるには数十年かかるとも言われた。しかし計画が進むにつれ、解析装置、実験機器の飛躍的向上により、10年ほどで完了した。

このように、長期計画にはその途上で予想しえない飛躍・技術の向上が起こることがよくあるので、何年かかるというような予想はあまりあてにならない。

このようなことは量子コンピューターにも当てはまるのではないかと思う。現在は電子一個を操作する量子論理ゲートの開発、すなわち量子コンピューターの部品を開発している段階だが、いつ、どのような飛躍が起こるかわからない。

実用化には数十年かかるといわれている量子コンピューターの実用化も、もしかしたら意外に早く来るかもしれない。

今から、ニールセン、チャンの本(量子コンピューターの世界的な教科書)を熟読するのも悪くないかもしれない。