科学・数理(サイエンス)」カテゴリーアーカイブ

小保方氏とは何だったのか

最近、STAP細胞騒動の張本人小保方氏が論文を雑誌に載せるのにかかった60万円を理研に返却したという報道があった。この騒動が60万円で済むわけがない。理研としても「形として」ということであろう。一言で言えば「ポーズ」である。

正しいことを証明することはできても、間違ったことを証明するのは意外と難しいものだ。小保方氏の疑惑についても99%嘘だと思っていても残りの1%はどうだ、と言うことになる。

数学ではこれは意外と簡単だ。理論が正しければ正しい、間違いがあれば正しくないということである。とは言ってもアンドリュー・ワイルズがフェルマーの大定理の証明論文を提出した時には、数グループに分担した検証グループが1年以上かけて判定した。とはいえ、このような例は数学でも例外的な部類に入る。

話は小保方氏に戻るが、多くの若手研究者は研究ポストに就こうと必死に努力している。その中でも正規のポストに就けるのは一部だ。時間もかかる。お金もかかる。小保方氏は理研の正規のポストに就き、年収は1000万円だったと言われている。記者会見の時には立派な指輪が話題になった。今考えると本当に強い憤りを感じる。

研究者として成功するには非常に困難ないばらの道を歩まなければならない。その途中で自殺する研究者も多いと言われている。小保方氏への社会の対応と、研究者への厳しい試練双方に何ともやるせない気持ちを感じてしまう。

最近立て続けに起きる火山噴火について

ここ最近、日本列島各地で火山の噴火が立て続けに起きている。西之島での海底噴火では陸地の拡大が続き注目度も大きく、これからの行方が気になる。ここ数日では箱根山の小規模噴火が話題になっている。僕は地学の専門家ではないので詳しいことは判断できないが、やはり気になるのは地震と火山の関係、東日本大震災との関連、そして一番気になるのはやはり富士山の噴火ではないだろうか。

今、日本列島は地殻変動活動期に入っていると言われる。その幕開けが東日本大震災だ。しかしそもそもそのような活動期なるものが科学的に存在するかどうかは疑問だ。科学的にそのような活動期に入ったというよりも、地震噴火が頻繁に起きているから活動期だと言っているだけに思える。

そして今、富士山の噴火と同等以上に注目を浴びているのが南海トラフ地震だ。20年ほど前までは地震の話題と言えば、今にも起こると言われていた首都圏直下型地震一色であった。しかし阪神・東日本大震災を経験し、首都圏直下型地震の話題はすっかり影を薄めたように思う。しかし地震は忘れたころに起きる。話題が薄れた今、人々の警戒感も緩み首都圏直下型の危険は増しているのではないかと思う。

今、南海トラフ地震が警戒されているのはその桁外れの大きさだ。東日本大震災もマグニチュード9という超巨大地震だったが、南海トラフも最大予測はそれに匹敵すると言われている。数年前まで話題にのぼらなかったのがウソのようだ。

日本に住んでいる限り火山と地震は切っても切り離されない。この様な話題は時には必要以上に煽られているようにも感じるが、人々に警戒感をもたらすという意味では非常に良いことではないかと思う。日本人である限り、頭の隅には少しでも火山・地震のことを念頭に置いておくことは必要だ。

米宇宙ロケット打ち上げ失敗

アメリカの宇宙ベンチャー企業スペースX社のロケットの打ち上げが失敗した。その前は別のベンチャー企業の打ち上げも失敗している。これはアメリカの宇宙政策の失敗につながるのではないかと僕は危惧している。

数年前、アメリカはNASAのスペースシャトルの引退を宣言し、今はNASAは独自の宇宙船を持たない。スペースシャトル事業からの撤退の原因は、船体の老朽化とコスト高からだ。そこでスペースシャトルの穴埋めの役割を期待されているのがスペースX社だ。

スペースX社に一番求められていたのは、スペースシャトルでの問題点でもあったコスト問題の解決だ。そのためスペースX社の開発はコスト的には安く抑えられているものと思われる。しかしコスト安を重視して打ち上げの失敗すれば元も子もない。最近のロケット打ち上げ失敗でNASAの宇宙政策は見直しを迫られるかもしれない。

今回の失敗の影響は日本にも多岐的に及んでいる。その中の一つが日本の大学が作った観測カメラの打ち上げだ。しかし用意周到だったというべきか、予備まで含めて三台用意していたそうだ。次の打ち上げで再挑戦することになる。

思えばスペースシャトルは世界の子供の夢であった。スペースシャトルをみて宇宙飛行士に憧れた子供がたくさんいたものだ。コスト重視で宇宙政策を見直すのも仕方のないことかもしれないが、宇宙政策に夢は必須だと思う。子供たちの宇宙への夢が次世代の宇宙開発の原動力になる。子供たちの夢を甘く見ないでほしいものである。

人間と地球上生物の大量絶滅

現在、地球史上6度目の生物大量絶滅期に入っているというアメリカの大学の研究グループの結果が出ている。今、通常の100倍のペースで種の絶滅が進んでいるそうだ。現在の絶滅期は6度目だということだが、過去の5回と決定的に違うことがある。それは現在の絶滅期が人間の手によるものだということである。過去の絶滅期は隕石の衝突や火山の爆発など天災的なものであった。しかし現在、人間は地球上の種の存続の運命まで握っている。

そしてもう一つ、われわれに直接的にかかわることがある。それは将来、その絶滅種の中に「人間」も入る可能性が非常に高いことだ。人間は人間まで絶滅させてしまうかもしれない。

僕の私観だが、もし人間の絶滅がおこるならばそれは一瞬、あるいは非常に短期間で絶滅するのではないかと思う。わかりやすい例では核兵器によるもの、急激な環境汚染、あるいは想定しえない要素も現在の社会には山ほどある。むしろ核兵器などは核削減など対策もわかりやすいが、想定しえないものに対しては対策もしえない。

現在の生物学では人間は哺乳類の一種とみなされている。しかし何十万年後、何百年後に知的生物が存在していれば、人間は既存の生物の一種とはみなされないだろう。おそらく知的新生物とでもいうような全く新しい系統の生物種とみなされるはずだ。

文明の発展は大天災でも起きない限り発展し続ける。しかし今、人間は無制限の発展に進むのではなく適切な発展を遂行していくことに注意を払わなければいけないのではないかとと思う。これから人間は人間とその文明をうまくコントロールしていかなければならない。

体内時計のずれ

早稲田大学の研究グループのマウスによる実験により、マウスにストレスを与えると体内時計が大きく狂うことがわかったみたいだ。特に就寝前のストレスに対しては顕著な結果が出たみたいだ。マウスによる実験で出た結果は、同じ哺乳類である人間でも類似の現象が言えることが予想される。

現代の社会がストレス社会と言われて久しい。多くのサラリーマンにとって、毎日決まった時間に起き、決まった時間に寝、しっかりした睡眠をとることは必須だ。しかし実際にそれを実行するのは意外に難しい。もちろん個体差はあるので、それが容易にできる人とできない人がいる。

僕の話になるが、僕は睡眠のリズムが全く取れない体質だ。睡眠障害というより睡眠リズム障害と言ったほうがいいかもしれない。短時間睡眠の翌日長時間爆睡してまた眠れない、また寝ないといけない時に眠れなくて、起きていなければならない時に寝てしまう。そのため周りからは人に合わせろと責められストレスもたまる。もしかしたらそのストレスも睡眠リズム障害の一因なのかもしれない。

睡眠の科学は非常に深く、現段階の睡眠に対する研究は表面的なものだ。今回のマウスの実験でも体内時計という言葉を使って説明しているが、そもそも体内時計というもの自体が現段階では怪しい存在だ。

簡単に推測できることだが、睡眠は脳の機能に大きく関わっていると思われる。しかし脳の研究が本格的に行われ始めたのは1990年代からだ。日本の理化学研究所の脳科学研究センターもそれくらいの時期にできたのではないか。

脳は生命科学に最後に残された広大なフロンティアだ。脳の科学についてまだわからないことは膨大にあると思われる。もしかしたら1%もわかっていないかもしれず、また最も根本的な機能のかけらも認識されていない可能性もある。

21世紀の生命科学である脳科学の進展を日本の研究者がたくましく開拓していく姿を見ていきたいものである。

巨大地震に対する科学的理解

30日午後8時過ぎ、太平洋の日本沖合で巨大地震が起きた。地震の大きさを表すマグニチュードは8.5で、普通なら超巨大地震になろうかというレベルだ。日本でも広い範囲で大きな揺れを感じたようだ。しかしこれだけの巨大地震が沖合で起きて、津波が起きなかったことには非常に不思議に感じた。

今回の巨大地震で津波が起きなかった理由は、震源の深さにあるらしい。今回の地震の深さは590kmだった。普段日本付近で起きる地震の震源の深さは数十キロというものが多かった記憶がある。わかりやすく言えば、地震は海水のある海から500キロ以上離れたところに起きたと言える。そう考えれば津波が起きなかったことも納得できるだろう。

地震研究は基本的に実験ができない。(最近は人工地震というものを起こして地殻を調べることができるそうだが。)すなわち一回一回の地震そのものが実験のサンプルみたいなものであって、一回の地震でどれだけデータをとれるか、どれだけ解析できるかが地震学者の腕の見せ所である。

今回の地震は深さ590キロという非常に特殊な巨大地震であり、サンプルとしても非常に貴重だ。地震研究というと防災に直結する研究が主流のように思えるが、今回の地震からは地球の内部構造など地球科学に大きなヒントを与えるような地震ではないかと僕は勝手に思っている。

社会では地震学者に防災に役立つ研究を100%望んでいるが、科学的意義のある研究に一般市民も理解を示し、興味を持たなければならないのではないかと思う。

今回の特殊な巨大地震からどのようなことが解明されるのか、科学的興味のあるところである。

iPS再生医療は着々と進む

iPS細胞が山中伸弥教授に発見されてから8年になろうかとする。以前は基礎研究が主流だったiPS研究も、今では着々と臨床応用研究に入ってきている。理化学研究所の高橋政代博士が眼の網膜のiPS細胞からの移植に成功したことは記憶に新しい。最近ではiPS細胞研究所の高橋淳教授が進めているパーキンソン病の臨床研究が注目を浴びている。この二人は実は夫婦でもある。

iPS細胞が発見された当時、その基礎科学的重要性は瞬時に世界に伝わったが、数年でここまで臨床に応用されるとは思わなかった。生命科学の門外漢の僕にとっては、iPS細胞の科学は非常に魅力的に映ったが、医学的展望に関してはほとんどと言っていいほど理解できなかった。こうして現実に臨床が行われるにつれ、重要性が伝わってくる。

この様に全く新しい基礎研究がこんなにも早く一般に応用される例も非常に珍しい。改めて山中教授の凄さに驚かされる。世界を見渡しても、基礎から応用まで幅広く研究し、しかもどれをとっても最重要な研究ばかりだという例は、今では世界を見渡しても山中教授くらいではないかと思う。

山中教授、そしてそのグループ、それらの日本の組織のさらなる躍進を願わずにはいられない。

ネパール大地震とヒマラヤ山脈

4月25日、ネパールで大地震が起きた。ネパールでは建物の作りが弱いこともあり、建物が崩れ少なくとも千人以上の犠牲者が出そうだ。それからネパールといえばヒマラヤ山脈への玄関口。ヒマラヤ山脈でも地震による雪崩が起き、犠牲者が出た模様だ。

ところで日本は地震の巣といわれているが、ネパール周辺も地質学的に大地震が起こりやすい構造になっている。その一番の象徴が世界で一番高いヒマラヤ山脈の存在である。

なぜヒマラヤ山脈が巨大地震の象徴か。ネパールの巨大地震とヒマラヤ山脈の高さは切っても切れない関係にある。ヨーロッパからロシア・中国にかけてはユーラシアプレートという巨大な一枚のプレートの上に乗っている。しかしネパールの南にあるインドはインドプレートという別のプレートの上にある。その境目にあるのがネパール、そしてヒマラヤ山脈なのである。

インドプレートの上にあるインドはもともとアフリカ大陸の東、マダガスカルのあたりにあった。それが長い年月をかけて移動し現在の位置までたどり着いた。しかしインドプレートの移動は今でも続いている。インドは今でも北上し続けているのである。その影響でインドプレートとユーラシアプレートの境目は上下から挟まれるように曲がって上昇している。それがヒマラヤ山脈なのである。つまりこの境目にあるネパールはいつ巨大地震が起きてもおかしくない状態なのである。

今回の地震によってさらにヒマラヤ山脈の高さが変わった可能性がある。もしかしたらエベレストは以前よりも高くなっているかもしれない。今後の正確な地質調査が待たれるところである。

猿橋賞が決定

猿橋賞というのがある。自然科学分野の女性研究者に毎年贈られる賞だ。今年の猿橋賞が、米ワシントン大の鳥居啓子教授(49)に送られることが決まった。専門は植物発生学という分野らしい。植物発生学と聞いてもいまいちピンとこないのだが、生命科学の研究者であることは予想がつく。

ところで僕は大学・大学院と数学物理関係の研究をしていたが、数学物理関係の女性研究者は本当に少なく、当時は女性研究者が少ないことは当たり前のことと感じていた。理系には女性研究者は少なく、だからこそたまにいる女性理系研究者・学生は「リケジョ」ともてはやされるのだが。理系の中でも数学物理は特に少ない。逆に生命関係の研究者には女性が多いように感じる。この様な女性理系研究者の少なさを解消するためにも、猿橋賞はできたのであろう。

海外の研究者でも日本ほどではなくても女性理系研究者は少ないが、重鎮とも呼ばれ女性研究者は昔から存在する。キュリー夫人は有名だが、数学・物理の双方で19世紀の終わりに活躍したエミー・ネーター女史なども数学物理をしている学生にはおなじみだ。

女性だからといって研究者の門戸を狭くしてはいけない。しかし女性だからといって優遇するのも間違っている。男女同じ目線で評価することが大事だ。それが男女平等につながってくる。

小保方ショックから女性研究者に対して多少評価が厳しくなったかもしれないが、多くの男性研究者を凌駕する大物女性研究者が現れるのを楽しみにしている。

科学と科学技術

日本では特に、科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)をひとまとめにして「科学技術」と言われることが多い。技術は科学に基づいているとはいえ、科学と技術は区別しなければならない。

技術は社会への応用・人の役に立つものという色彩が強い。しかし科学(サイエンス)は純粋に自然への探求心に基づくものであって、本来は人に役立てるためにするものではない。結果論として人の役に立つことが往々にあるということである。

しかしこの科学と技術を科学技術とひとまとめにすることによって、科学(サイエンス)自身が役に立つものとみられ、役に立たない科学は価値がないと思われるようになる。

科学(サイエンス)をやっていると言うと、「何の役に立つのですか?」と聞かれることが多いが、僕ははっきり「役に立ちません」と答えることにしている。うやむやにごまかして役に立つこともあるなんていうことはいわない。

しかしこの役に立たない科学は、長い目で見ると大きく役に立つことが多い。ただ現時点では何に役に立つのかわからないだけなのである。何かに役に立つように研究されていものより、むしろ何に役に立つかわからない基礎研究の方が後々大きく役に立つことが多いのである。

科学の価値を判断するときに、役に立つかという論点は一つの目安かもしれないが、純粋に科学的価値を判断することも忘れてはならない。