科学・数理(サイエンス)」カテゴリーアーカイブ

絶滅危惧種のDNA保存プロジェクト

現在、英国で絶滅危惧種のDNA保存プロジェクトが行われている。もちろんその目的は、一度絶滅した動物を、再生科学が発達した未来にもう一度よみがえらそうというものである。

地球では過去に5度の大量絶滅が起きたという。前回の大量絶滅では恐竜が絶滅した。そして現在6度目の大量絶滅が進行中である。

現在生活している我々は、現在大量絶滅が起きていると言ってもピンとこないが、大量絶滅は1日1年で起きるものではない。何十年・何百年かけて進行するものだ。何百年というと非常に長いように思えるが、地球の歴史数十億年と比べれば数百年など一瞬である。

そして過去の大量絶滅と現在の大量絶滅の決定的な違い、それは現在の大量絶滅の原因が99%人間によるものだということだ。人間の活動による乱獲・温暖化・大気汚染など、原因は複合的だが、全て人間由来のものだ。

もちろん現在絶滅に瀕している動物の生態を回復できればそれに越したことはないが、絶滅危機の多数の種を救うことは今の人間にはできない。苦肉の策としてDNA保存のプロジェクトが行われている。この領域まで人間が手出ししていいものかと考え込む人も多いだろうが、生命倫理は時代によって進歩(変遷)していく。数十年後にはDNA保存は当たり前のことだととらえられているかもしれない。さらに人間のDNA保存による人命再生なども行われている可能性も十分に考えられる。

生命科学にとって、科学技術と生命倫理は両輪である。科学の暴走を倫理が抑制する、そのように科学は発達してきた。ともあれ、個人的には今回のDNA保存プロジェクトに関してはかなり賛成である。100%とは言いきれないが。

2位じゃダメなんですか?

おなじみになった、民主党政権時の事業仕分けでの蓮舫議員の言葉。この発言のおかげで、科学は1位ではないといけないこと、そしてオリジナリティの重要性が広く国民に知れ渡った。そういう意味では蓮舫議員の発言は非常に重要であったと言える。

それにしてもこの発言のきっかけとなったスーパーコンピューター「京」、このコンピューターの維持費に年間130億円かかっているという。予算というものは無尽蔵にあるわけではない。ある研究に予算をつぎ込むと、他の研究予算が削られるわけだ。科学は1番でないといけないが、ただお金をつぎ込めばよい研究結果が出る訳ではない。そういう意味では予算の効率的な使い方を考えなければいけない。

もしかしたら、京コンピューターは極限まで効率を考えて、それでも130億円が必要なのかもしれない。しかし現在の京の利用用途は学術研究が主で、民間にはあまり活用されていないという。積極的に民間に貸し出し、使用料を上げることもこれからの課題であろう。

京は計算能力では今はもう1位ではない。しかしコンピューターの評価方法はいろいろな尺度がある。エネルギー効率だとか、あるいはコストで測るということもあるかもしれない。これらの多様な尺度で測った時、総合的に見て優れているということをこれからは目指すべきかもしれない。

イギリス、遺伝子操作細胞で白血病を治療

イギリスで、小児がん(白血病)の1歳の女の子に対して、遺伝子操作細胞という技術による白血病治療に成功したという。遺伝子操作という言葉には拒絶反応を起こす人も多いが、今回の治療の成功により遺伝子操作の有用性が一つ証明されたという。

今回の遺伝子操作細胞による治療は、生後14週で小児がんに侵された少女に対して行われたものであり、少女には終末治療しか選択肢がないと医者に宣告されていたところに、他の病院から治験、すなわち実験をしないかと持ちかけられたものだ。この技術には応用の余地は非常に大きいとみられており、将来の医療の大きな選択肢になるかもしれない。

この様に科学技術の発展は人々を助ける新たな手段となることが度々あるが、全ての科学技術が人々を助けるとは限らない。核兵器などは最たる例である。最近一番心配されているのはAI(人工知能)ではないだろうか。AIはもちろん人々の生活を支えるものとして開発されているが、AIが意識を持つようになるとどうなるか、想像に難くない。

科学技術というものはパンドラの箱であって、一度開けてしまうともう元には戻せない。僕には科学”技術”が、人類の破滅へと追いつめているような悪い予感を感じる。

量子テレポーテーションの実験に、NTT物性科学基礎研究所のグループが成功

今年の9月に、アメリカの研究所と日本のNTT物性科学基礎研究所のグループが、約100kmの量子テレポーテーションの実験に成功したらしい。

量子テレポーテーションとは、二つの離れた位置にある素粒子間の間で情報を瞬時に伝送する技術だ。この実験の鍵となるのが「量子もつれ(エンタングルメント)」といわれる現象だ。単に二つのどんな粒子間でも情報が伝送できるかといえば、それは無理だ。この二つの素粒子がエンタングルメント状態、すなわちもつれ合っていなければテレポーテーションはできない。今回の実験では100km離れた位置にある、お互いエンタングルメントされた二つの素粒子間で情報の伝達に成功したということだ。

ところで21世紀に入ってから、このエンタングルメント理論はブームともいえる発展を遂げている。これらの興味はもともと量子情報理論から発するものであるが、最近はあらゆる物理理論で応用がなされている。

その代表的な例が、Ryu(笠)-Takayanagi(高柳)理論とも呼ばれる、「ホログラフィックなエンタングルメント-エントロピー理論」だ。この理論は京都大学基礎物理学研究所の高柳匡教授が2006年に提唱された、日本発の理論だ。最近は素粒子論関係の研究で、この理論が盛隆を極めている。原論文はネット上で公開されており(英文)、僕も原論文を読まさしていただいた。この理論の特徴は、あらゆる理論のエッセンスが含まれていることだ。弦理論のAdS-CFT対応理論・重力理論・極小曲面理論、そしてエンタングルメント理論だ。

素粒子論・弦理論関係は、日本が非常に強い分野だ。2008年の南部・小林・益川の三氏がノーベル賞を受賞したのが記憶に新しい。それらの系譜に量子情報理論のエンタングルメント理論が合流した形だ。高柳理論がこれから先、ますます発展していくのか、頭打ちになるのか、予想できないが、カリフォルニア工科大学の大栗教授たちのグループがこの笠-高柳理論を利用して重要な結果を導いたとの情報もあり、これからこれらの分野から目を離せない。

iPS細胞の山中伸弥の目指すところは

MBSオンデマンドで、テレビ番組「情熱大陸」の山中伸弥iPS細胞研究所所長の特集を観た。ここ15年程、日本人研究者のノーベル賞受賞が続いているが、山中伸弥先生の存在感はその中でもまた別格の雰囲気を感じる。それはなぜか?その一つの答えが情熱大陸の中で見て取れたような気がする。

多くの研究者にとってノーベル賞は研究人生の頂点に違いない。しかし山中先生は違う。ノーベル賞は研究の通過点であり、これからのiPS細胞研究・医療においてノーベル賞受賞という肩書をいい意味でツールとして上手く使いこなしている。そういう意味で山中先生のノーベル賞の価値は、他のノーベル賞研究者のものよりも何倍も価値があるのではないかと感じる。

山中先生は今は研究者としてより、研究経営者としての役割を重要視している。彼の発見したiPS細胞研究をこれから発展させるには彼一人の仕事では大きく成し遂げられないことを山中先生は自覚している。そのため「研究経営」に徹して、より多くの研究者の力を利用してiPS細胞研究を大きく進めようとしているのである。

そして日本で生まれたiPS細胞の研究を、日本の技術として、メイドインジャパンとして大きく発展させたいという思いが山中先生にはある。

以前、山中先生は、iPS細胞研究において日本は1勝9敗だと言われていた。その1勝とは彼がiPS細胞を発見したこと。それからの発展においては全敗だということだ。

現在、iPS細胞の研究は国を挙げてオールジャパン体制で行われている。民間からの寄付も集まりつつあるという。そしてもうすぐ第三の研究棟が完成するという。日本発の発明で日本の技術として、これからのiPS細胞研究・技術が大きく発展することを願うばかりである。

欧米を追いかける研究と、追いかけない研究のバランス

ノーベル賞、化学賞も日本人、とはいかなかったが、連日の医学・生理学賞と物理学賞の受賞に日本がわいた。

ところで今回のお二方の研究は、研究結果の重要性はもとより、日本独自のオリジナリティが大きな評価の対象になったのではないかと感じた。物理学賞の梶田氏の研究は、岐阜県神岡鉱山跡にある「スーパーカミオカンデ」という実験施設が舞台になった。世界の物理界では巨大な加速器の建設競争が過熱し、加速器物理こそ欧米の研究の中心の一つともいえる。ところがスーパーカミオカンデは、地下に大量の純水を貯め、宇宙線粒子と反応した水が発生した微弱な光を検出するという非常に地味な実験施設だ。この様な施設は日本以外では(少なくとも僕は)聞いたことがなく、おそらくあまりにも地味すぎて外国では興味を持つ人がいなくて作られなかったのではないかと思われる。それに対して加速器物理は素粒子物理の華である。

とはいえこの地味に思えるスーパーカミオカンデは最先端の科学技術も取り入れられている。巨大な光電子倍増菅だ。純水貯蔵施設の壁にぎっしりと取り付けられている。この巨大光電子倍増菅は静岡にある浜松ホトニクスという企業の専売特許である。2002年の小柴氏の受賞時にも話題になった。

このカミオカンデのように外国が注目しない実験施設を作り、日本独自の研究を行ったことがオリジナリティの高さにつながり受賞に結び付いたのだろう。まさしく欧米を追いかけない研究の典型だ。

欧米中心の研究に取り組むことが悪いのではない。ただしそのような研究に取り組むならば後追いではなく先駆者にならなければ、単なるハイエナと呼ばれることになる。

連日のノーベル賞受賞、梶田隆章氏。昨日の大村氏とは思想の違う研究で。

前日の大村智氏のノーベル医学・生理学賞受賞に続き、10月6日、梶田隆章東京大学宇宙線研究所所長がノーベル物理学賞を受賞された。前日の大村氏に続き、梶田氏にも一国民としておめでとうという気持ちを送りたい。

ところで前日の僕のブログで、医学・生理学賞の大村氏の研究思想に対して、科学研究には大村氏とは異なった思想・視点も大事だと述べた。そして今日の梶田氏の物理学賞の受賞、そこで梶田氏は前日僕が述べたことをそのまま表現してくれた。現在の僕がいくら主張しても全然影響力はないが、ノーベル賞を受賞された梶田氏が発言すると非常に説得力があるだろう。

具体的には、科学は役に立つものだけではなく、役に立たないもの、実学ではないものに真の科学的価値があるということだ。そしてまさしく梶田氏の研究がそれにあたる。梶田氏の研究は、宇宙線の研究によりニュートリノ振動という現象を観測され、ニュートリノに質量が発見されたというものだ。分野としては素粒子物理学にあたるが、2008年の南部・小林・益川氏らの「素粒子論」に対し、今回の梶田氏は2002年の小柴氏の流れをくむ「素粒子実験」である。

今回の梶田氏の受賞に際しての発言は、僕自身も非常にうれしいものであった。梶田氏は

「すぐに役に立つ研究ではなく、知の地平線を広げるような研究だ」

ということを話されていた。僕が前日のブログで述べたことはまさしくこのことである。梶田氏の発言によって少しでもそのような科学思想の重要性が国民に浸透すれば非常にうれしい。

二日続けてのノーベル賞日本人受賞、気は早いが次の化学賞で「三日続けて」となるかどうかが楽しみである。そして文学賞では村上春樹氏が有力候補とされている。この時期は日本人にとって恒例の楽しみな季節となりつつある。

大村智氏、ノーベル賞受賞。大村氏の信念は素晴らしいが、科学には別の視点も必要だ

10月5日、ノーベル医学・生理学賞が発表され、北里大学の大村智特別栄誉教授が受賞された。何はともあれ、一国民としておめでとうという気持ちを送りたい。

大村氏の科学に対する信念は非常に素晴らしい。大村氏は、科学は人の役に立てなければいけない、実学でなければいけないということを非常に強調されていた。それはそれでもっともかもしれない。しかし変人である僕はその信念に反発を感じるのである。

僕は数理物理と言う分野を研究してきたが、なぜ数理物理を選んだのか?それは一番は興味があり面白さを感じたからであることは言うまでもないが、それとは別に「役に立たないから、そして実学からはほど遠いから」だ。しかしこのような思想はほとんどの人に理解されない。役に立つ素晴らしさを理解するのは簡単だが、役に立たないものの素晴らしさは説明をしないと理解してもらえない。説明をしても理解されないかもしれない。

400年ほど前のニュートンの時代、当時、万有引力の法則が役に立つなどと理解した人はどれだけいるであろうか。20世紀の初めの量子論、そして相対性理論が人の助けになると想像した人がどれだけいるだろうか。おそらく全くと言っていいほどいないだろう。しかし万有引力の法則も、量子論も、相対論も科学史に輝く金字塔だ。なぜ役に立たない(と当時思われていた)これらの理論がそんなにも偉大なのか?それは役に立たないからである。もう少し詳しく言えば、役に立たないのに取り組むべき価値のあるほど重要な理論なのである。分野にもよるだろうが、数学や物理では役に立てるために発明したものよりも、役に立つかどうかということを度外視して打ち立てた理論の方が圧倒的に重要なことが多い。

とはいえ、当時役立てることからはほど遠かった量子論は、現在の科学技術、人々の周りで最も中心的な役割を担っている。現在最も役立っている理論は量子論だといっても過言ではない。相対論も現在ではカーナビなどの技術に取り入れられている。

役立てるための短期的な科学技術ももちろん大事だが、役立つかどうかなどを度外視して真に重要な理論を研究している科学者たちに対しても、周りの人は見守ってほしいものである。それが結果的に科学立国として大国になるために必要な資質である。

津波の原因は地震だけではなかった。想定外災害時代に突入した日本

10月4日(日)、NHKで「巨大災害」という番組を観た。いま注目されている災害の一つに、「カルデラ噴火」がある。カルデラ噴火は普通の噴火とは規模も質も全く違い、桁違いの巨大災害をもたらす。鹿児島の桜島では、普通の噴火は桜島の火口から噴火するが、カルデラ噴火では桜島が浮かんでいる鹿児島湾全体が噴火口となる。

カルデラ噴火は鹿児島湾だけでない。阿蘇山などをはじめ、北海道から鹿児島まで日本にはカルデラが多数存在する。日本でカルデラ噴火が起きる頻度は平均すると6500年に一度だそうだ。

そしてこのブログのタイトルでもある津波についてだが、津波は地震の専売特許ではないという。驚くことに火山の噴火でも津波は起こることがわかっている。厳密に言うと、海底噴火が原因の津波である。鹿児島湾では地上にある桜島だけではなく、鹿児島湾内の海底でも噴火が起きるという。そうなれば鹿児島湾沿岸では10メートルにもなる巨大津波が襲ってくる。

日本に住んでいる限り、巨大自然災害からは縁が切れないといっても過言ではない。そして東日本大震災から学んだこと、「想定外」はもう許されない。想定外はいつ起こってもおかしくないのである。従来ならカルデラ噴火などは想定外だったかもしれない。海底噴火による津波が起これば想定外と言われたかもしれない。しかし想定外が当たり前になった現在、もう想定外は存在しない。

日本人には自然災害に対してもう想定外と口にすることはできなくなってしまった。頭の片隅に、そのような想定しえないことが起きる可能性というものについて気を留めておく必要がある。

侮ってはいけないチリ地震津波

17日早朝、チリ沿岸でマグニチュード8.3の大地震が起こり、18日早朝、日本でも津波が観測された。チリと言えば日本から地球の裏側にあると言っていいほど遠く離れているが、なぜこのような離れたところの地震による津波が日本まで来るのだろうと疑問に思う人が多くいるかもしれない。さらに太平洋のど真ん中にあるハワイはもっと大きな津波が来るのではと思うかもしれない。しかし実際はハワイでの津波の高さは日本の半分ほどである。それはなぜか。

ポイントはチリが日本の裏側にあるということだ。チリで起きた津波はそこをを中心にして四方八方に散っていく。しかし地球儀を思い出すとわかるように、地球の裏側から四方に直線をのばしてほしい。一度は遠く離れるが、地球の裏側でこの四本の直線は出会うことになることがわかる。チリ地震津波も同じだ、チリからいったん離れた津波は地球の裏側の日本でまた合わさって再び高くなるのである。

約半世紀ほど前に起きたチリ地震(これはマグニチュード9.5という巨大なものであった)の時は、日本にも6メートルもの津波をもたらし、日本の太平洋沿岸に大きな被害をもたらした。この時もハワイでの高さは約半分である。

この様に地球の裏側での地震は決して侮ってはいけない。地球の裏側だから危険なのである。今回の津波は大きくはなかったが、日本は常に津波の危険性をはらんでいることを忘れてはいけない。