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役に立つ科学は、役に立たない科学から生まれる。

とある科学雑誌で、今年のノーベル医学・生理学賞受賞者の大隅良典さんの特集をやっていた。その中で、大隅教授の弟子の研究者が、最近の学生は「役に立つ科学をして社会に貢献したい」ということを強く主張するということに嘆いていた。

僕も以前のブログで、科学では、「役に立つかどうかということ以外の物差しを持つことが大切だ」と書いた。これはどういう意味か。

役に立つかどうかということは誰が見ても非常によくわかりやすい。しかし「科学的価値」というものは役に立つかどうかということとは全く別であり、それを理解できる人は意外にも非常に少ない。

役に立つ科学とは、科学技術など工学や医学のことであって、純粋科学の価値と役に立つかどうかとは無関係である。もちろん去年ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村さんなどは、発明した薬によってアフリカを中心とする多くの人々を救った。この様に、役に立つということは非常に素晴らしいことは言うまでもない。

しかし、基礎科学・数理科学に取り組んでいる人にとって「それは何の役に立つのですか?」という問いほど悲しいものはない。なぜならそのような問いは科学的価値が全く認識されていない表れだからである。

現在、山中伸弥教授が発見したiPS細胞が医療や創薬において非常に大きな力を発揮し、役に立つ科学の代表のように言われている。そのようなことからiPS細胞は役に立てるために開発されたと勘違いしている人が多い。しかし山中教授がiPS細胞を開発した本来の目的は、「各臓器に分化した細胞にも、分化する前の受精卵と同じ全ての情報を無くさずに保持している」ということを示すことであった。その証拠に、2012年のノーベル医学・生理学賞での山中教授の他のもう一人の受賞者であるガートン博士は、そのことをカエルで証明したことを評価されての受賞である。山中教授はそれをマウス、そして人間でも同じであることを示したのである。

話しは変わるが、20世紀初めに打ち立てられた物理の量子論は、純粋に自然の根本的な仕組みを理解するためだけに研究された。量子論のような原子レベルの理論が人間の役に立つと思った人は、当時は皆無であったであろう。しかし科学技術の基に成り立っている現代社会において、量子論を利用することは必要不可欠である。そういう意味で「役に立つ科学は、役に立たない科学から生まれる」と言えるのである。

真の科学的価値を判断できるセンスを持った人が少しでも増えることを願うばかりである。

なぜ自然(宇宙)は「古典」ではなく、「量子」を選んだのか?

物理学をやっている人がまず思うことは、「なぜ自然(宇宙)は量子の論理に支配されているのか」ということではないだろうか?

ここで言う「古典」と「量子」とは、古典力学と量子力学(広く一般に量子論)のことである。古典力学とはいわゆるニュートン力学のことで、1600年代に誕生し、もう300年以上の歴史がある。それに対して量子力学が誕生したのは1925年、プランクの量子論仮説までさかのぼっても1900年なので、高々100年ちょっとの歴史しかない。

ちなみに、1905年に特殊相対性理論、1916年に一般相相対性理論がアインシュタインにより打ち立てられている。しかし相対性理論は新しい理論だが、論理的には「古典論」の部類に入る。

なぜ「自然が量子の論理であるか」ということに不思議を感じるのか?それは古典論に比べて量子論は複雑、そして一見して非常に不自然に見えるからであろう。しかし量子論は非常に豊富な内容を含んでいる。最近で言うと、超伝導やボース・アインシュタイン凝縮、もっと単純に原子が壊れずに存在するのも量子論のおかげである。

物理学の歴史を単純化すると、

古典論 → 量子論 → 未来の理論(統一理論?)

ということになるだろうが、これはアインシュタイン流に言い直せば、

単純 → 複雑 → 美的

ということになると推測される。

ここで「美的」と書いたが、かのアインシュタインは、根本的基礎理論は美しくなければならないと言い、「美しいかどうか」ということを指導原理にしていた。量子論が現在非常に複雑であるのも、美的への途中過程だからだと思われる。

量子というと一般人には遠い世界に感じられるかも知れないが、今の電子機器製品には量子論は欠かせないし、近い未来には量子コンピューターというとんでもないものができると言われている。

しかし、「なぜ自然(宇宙)は量子なのか?」という問いは、神のみぞ知るということなのか、それともそれ以上の答えを人間は用意できるのか。現在の人間はそれを知る由もない。

天皇陛下が論文を書かれた。

ニュースを見ていると、明仁天皇陛下(平成)が皇居に生息するタヌキに関する論文を書かれたという記事を見つけた。陛下が書かれた論文とはどんなものなのか興味を持ったので、さっそくネットで陛下の論文を見つけて読んでみた。

皇居には多数のタヌキが生息しているらしく、数か所に「溜め糞」と呼ばれるタヌキのトイレのようなところがあるらしい。陛下はその溜め糞で採取したタヌキの糞を顕微鏡で観察して、糞に含まれる内容物を分析したようだ。

ちなみにこの論文は、陛下を含む5人の共著となっている。

僕は普段は物理・数学関係の論文しか読まないので、生物関係の陛下の論文について論評などできないが、興味深く読ましていただいた。

そういえば、昭和天皇も植物の研究をされていたことを思い出し、生物の研究と陛下はゆかりがあるのだろうと感じた。秋篠宮殿下のナマズの研究は非常に有名だ。

ところで論文の内容とは直接関係ないのだが、面白いと思ったところがあった。皇居の住所と陛下の所属機関だ。論文には陛下の所属機関は「御所」となっており、住所は「〒100-0001 東京都千代田区千代田1− 1  御所」となっている。なんだか変に感心してしまった。住所だけ見ても、まさしく住んでいる世界が違う!

我が国の「象徴」が書かれた論文、日本国民として一度見られるのも良いかと思う。日本の陛下が研究という学術に自ら関われていることには、日本国民として誇らしい。

ノーベル医学・生理学賞2016、受賞おめでとうございます。東京工業大・大隅良典栄誉教授。

10月3日夕方に発表された、ノーベル医学・生理学賞に、東京工業大学の大隅良典栄誉教授が受賞されることが決まった。心から祝福いたします。

6時半から受賞者発表があると知っていたので、ノーベル財団のホームページでのネット中継を見ていたが、中継が不調でテレビの速報で知ることになった。大隅教授のことは全く知らなかったが、日本人受賞者の研究内容の概観を知ることくらいは教養のうちだと思い、大隅教授の研究概要をこれから調べようと思う。

大隅教授の研究内容は、たんぱく質の分解のメカニズムを解明したことらしい。専門用語で「オートファジー(自食作用)」と言うそうだ。僕は専門の数理物理以外にも科学全般に興味があるので生物学の初歩の概観くらいは知っているつもりだが、大隅教授の研究のような専門的なことになると手を挙げざる負えない。

さらに驚いたことは、今回の医学生理学賞の受賞は大隅教授の単独受賞であるということだ。日本人の単独受賞は1987年の利根川進博士以来のことである。これはどういうことかと例を挙げて言うと、2008年の物理学賞受賞者の日本人三人、南部陽一郎博士・小林誠博士・益川敏英博士の場合、一個のノーベル賞を三人で分けることになる。それも単純に三等分ではなく、南部博士が二分の一、小林・益川両博士が四分の一ずつである。賞金もそのように分割される。

毎年秋になると、ノーベル賞は日本の風物詩になってきた感がある。そして明日・明後日と物理学賞・化学賞と続く。さらに日本人の受賞が続くのか、非常に気になるところである。

人間の臓器と、セイコーの時計に共通する機構と精神。

山中伸弥先生と山中先生が発見したiPS細胞に非常に興味を持っており、先日、iPS細胞の現状を解説する動画を見ていた。iPS細胞の話はいつ聞いても非常に将来性のある、非常に魅力的な科学技術だ。改めてiPS細胞の凄さと山中先生の成した偉業に感嘆した。

ところでiPS細胞は万能細胞であるから、心臓や筋肉の細胞にも分化できる。しかし心臓や筋肉は鼓動や運動を行うわけであるから、何かしらの刺激を与えて動かしてやらなければいけない。その信号が電気信号である。

脳からの指令は電気信号として目的の臓器へと伝わる。iPS細胞から作成された臓器の卵にも、電気信号を与えることによって鼓動などの運動をさせることができる。即ち人間の体は電気信号によって高度に制御されているのだ。

この様な話を聞いてふと思い出したのが、日本が誇る世界的時計企業セイコーの腕時計だ。時計の歴史は簡単に言うと、昔からある機械式、1960年代にセイコーが開発して一気に腕時計の主役に躍り出たクォーツ式がある。ゼンマイで動く機械式に対して、電気信号で非常に正確に制御をしているのがクォーツ式である。

そしてセイコーは1990年代、機械式とクォーツ式のいいとこどりをした新機構「スプリングドライブ」を発明した。簡単に言うと、動力はゼンマイから得て、その動力によって微弱な電流を起こし、クォーツ式の原理で制御しようと言うものだ。これは世界でもセイコーにしかできない画期的最先端技術だ。(最近になって、ピアジェが似たような機構を開発した。)

ところで人間の臓器とセイコーの時計をなぜ取り上げたかというと、この「繊細な電気信号で動きを制御する」という機構が臓器と時計で非常に似ていると感じたからだ。物を作るだけなら作れるかもしれない。(いや、実際は時計を作るのは非常に難しいが。)しかしそれを自分の力(すなわちゼンマイ)で電気信号を起こし、制御するという機構は、時計界ではセイコーだけが、そして医療界では日本発の技術であるiPS細胞が大きくリードしている。

この時計作成と臓器作成、全くの異分野に思えるが、その根底に流れる思想の一部は共有しているのかもしれない。これこそジャパニーズスピリット、世界をリードする原動力である。

20年後の情報社会のリーダーになりたいのなら、「量子情報技術」に注目だ!

現在、情報社会を生き抜くため、あるいは高いポジションに就くためには、情報技術・コンピュータースキルは欠かせないと言われている。特に最近の親たちは、子供たちにコンピュータープログラミングのスキルに力を入れることに必死になっているようだ。コンピュータースキルの重要性は明らかだ。

しかし、一般の市民がコンピューター(パソコン)を買えるようになった1980年代はどうだったであろうか?当時パソコンは一部のマニアの間での機器でしかなかった。それに当時数十万円するパソコンに価値を見出せる人はほとんどいなかった。それから30年以上経ち、一般家庭にパソコンが行き届き、さらにスマートフォンのようにコンピューターが携帯できる時代になり、ようやく市民も情報技術・プログラミングスキルの重要性に気づき始めた。とは言え、それらの人たちも情報技術・プログラミングそのものの知識をどれだけ持っているかと言えば多少疑問であり、「プログラミングブーム」に流されている感もぬぐえない。

20世紀中ごろ、コンピューターの黎明期にあったような状況が、現在も起きているのではないかと僕は思っている。それは何かというと「量子情報・量子コンピューター」の分野である。はっきり言ってこれまでの「古典的情報・コンピューター」は成熟の域に達し、原理的部分は完成しきっており、市民はパッケージングされたソフトやアプリなどの末端的操作のスキル向上に励んでいる。

しかし量子情報・量子コンピューターは全く違う。量子分野では基本的素子を作る技術でさえまだまだ初歩的段階であり、現在は技術より理論が大きく先を行っている。逆に言うと、量子的な技術はこれから爆発的に発展する可能性があり、今から量子情報・量子コンピューター技術に取り組めば二世代先のトップランナーになれる可能性があるのである。その頃になっておそらく一般市民は量子の重要性に気づき、「量子プログラミングブーム」が起きるかもしれない。しかし現在は20世紀中ごろのコンピューターと同じように、市民はほとんどその可能性に気づいておらず、子供に量子情報技術を身につけさせようという親は全くといって存在しない。

現在ほとんどの人が可能性に気づいていないからこそ、量子情報技術の分野には大きなチャンスがある。さらに黎明期から取り組めば、根本的技術に対する知識の理解度も全く違うので、他と大きく差を付けられる。

もちろん、現在はまだ量子コンピューターは存在しない(量子コンピューターもどきと言われるものは存在する)。量子コンピューターを完成させるという大きな夢を持てるのも、現在の子供たちの大きな特権だ。

これから20年後・30年後には必ず量子の時代がやってくる!

AI(人工知能)への依存と危険性。人類はいつまで存在できるのであろうか。

最近、何かと話題になるAI(人工知能)。AIには大きな可能性を秘めており、ここ2、3年の間に、AIの利用、AI技術に対する投資が飛躍的に増えた感がする。具体的に挙げると、自動車の自動運転から医療における診断まで、様々な分野へAIは進出しようとしている。

確かにAIによる高度な技術に対する自動化は非常に魅力的である。しかし、AIの大きな可能性は破壊的な可能性も秘めている。このことは今でも多くの人が気付いているようだが、便利な可能性への成果が目に現れてきている現在、なかなか話題になることはない。

このAIの破壊的な可能性とはどういうことか。例えて言うと、映画「ターミネーター」のような世界と言うとわかりやすいだろうか。ターミネーターでは、人工知能をもつ殺人アンドロイドが人類を滅亡させようとしている。以前は所詮映画の中の世界に過ぎないと多くの人が思っていたが、今では非常に現実味のある話である。

もちろん、そのようなターミネーターを作ろうとしている研究者は(おそらく)いないだろう。しかし、AIの一番恐ろしいことは、コンピューターが「自我」を持つことである。自我をもったAIは人間の制御から解放され、暴走していくだろう。もちろん人類を敵にまわすAIが出てくるのも時間の問題だ。

なぜ研究者はAIを作ろうとするのか?それはもちろん人類の役に立てるためということもあるだろうが、一番の理由は単にAIの研究が面白いからというものであろう。

AIの研究が危険をはらんでいることは誰にでもわかるが、しかし誰もそれを制止することができない。まさに科学技術はパンドラの箱なのである。

はたして人類はいつまで存在することができるのであろうか。

iPS細胞臨床実用への先駆者、理化学研究所・高橋政代先生

最近、非常に気になる一人の科学者がいる。理化学研究所・多細胞システム形成研究センターの高橋政代先生だ。彼女はノーベル医学・生理学賞を受賞された山中伸弥教授が発見したiPS細胞を初めて臨床に応用した、眼科を専門とする医学者だ。

山中先生がiPS細胞を発見された時は、その成果は基礎科学の成果としての意味合いが近かった。しかしその後、iPS細胞の研究は基礎から臨床などの応用へ軸足を移しつつ、すそ野は非常に広がっていった。僕は医学の専門ではないのでその世界のことは詳しくはわからないが、医学の基礎研究を応用して臨床までもっていくには、研究的にも金銭的にも非常に膨大な労力が必要で、非常に困難な道のりであるらしいということは、いろいろな情報から聞こえてくる。

2014年、高橋政代先生は、眼の網膜に関連する「加齢黄斑変性」という病気の治療にiPS細胞から作った組織を移植し、世界で初めてiPS細胞の臨床に成功した。その成功はiPS研究の応用の到達点ではなく、スタートである。この高橋先生の臨床の成否はこれからの全てのiPS細胞の臨床の行方を左右するものであり、高橋先生へのプレッシャーも並大抵なものではなかったようだ。

そして何より忘れてはならないことは、iPSは「日本発」の研究・技術であること。山中先生が発見されたiPS細胞の研究を、世界で初めて「日本」で臨床に成功したことは、日本の医療研究・臨床、そして産業にとって非常に大きな意味がある。

ところで、高橋政代先生の旦那さんも京都大学iPS細胞研究所で教授をされている医学者である。夫婦そろって日本の、いや世界のiPS細胞研究をリードされているのであろう。

医学者と言えば機械的に患者と接しているというイメージを持つ人もいるかもしれないが、ある記事によると高橋政代先生は非常に感情的な方で、自分の研究のことを話すときに患者さんのことを思い出し、途中で涙を流すこともあるそうだ。そういえば山中伸弥先生も非常に患者想いの研究者である。このような人間味豊かな研究者が、基礎研究を本当に役に立つ臨床応用へと発展させているのかもしれない。

僕は度々、科学というものに対して、役に立つかどうかという物差しだけではなく、「科学的価値」というもので評価することが大事だと繰り返し述べてきた。しかし高橋先生、山中先生のような人間の命さえも救ってしまう「究極に役に立つ科学」には、底知れぬ価値を感じてしまう。

これからのiPS研究の臨床の成功を祈るばかりである。

熊本で大地震。気象庁および地震学者の、お粗末な後付見解

14日から熊本地方で大きな地震が相次いでいる。16日未明には、14日の地震より規模が大きい、マグニチュード7.3の地震が起きた。被害者の安全を祈るばかりである。

いつものことながら、気象庁及び地震学者の見解があまりにもひどい。はっきり言って素人レベルだ。もちろん専門家はある程度の根拠をもって言っているのであろうが、それから導き出される発言がこのレベルかと思うと情けないばかりである。

さらに14日の地震が起きた後、「震度6弱の余震が起きる可能性があるので注意してください」と気象庁及び地震学者は発言していた。この様な余震の予想などははっきり言って素人でも判断できるレベルだ。

そして現実は、16日にさらに大きな地震が起きることになる。すると気象庁及び地震学者はコロリと発言を変え、16日の地震が本震で、14日の地震は前震だったと論を覆した。全く持ってお粗末な後付見解である。

地震学という学問はもちろん基礎科学的な性質を持ち、実学一辺倒ではない。ですから地震学の全てを社会に還元しなければいけないとは思わない。しかし他の学問よりも社会への影響の大きな学問でであることは言うまでもない。地震学の主目的は防災・予知である。残念ながら地震予知に関してはまだ地震学はそれが可能なレベルには達していない。しかし防災に関しては現段階でも十分できる事はあるはずだ。

これも素人の僕の後付意見になるが、なぜ地震学者は14日の地震が前震で、後に本震が起きる「可能性」を指摘しなかったのか?このことに関してプロである地震学者は説明責任を負うべきではないだろうか。地震が起きるたびに毎回発言される地震学者の後付発言にはもううんざりである。一般市民は、現在の地震学はどれほど進歩していて、また何ができないか判断できない。今一度地震学者たちは、現在の地震学の状況を国民に正確に説明する責任があるのではないだろうか。

小保方氏ホームページ立ち上げ。そもそも科学とはどうあるべきか

4月の初め、STAP細胞の小保方晴子氏が「STAP HOPE PAGE」というタイトルのホームページを立ち上げた。「”HOPE” PAGE」と名付けたように、小保方氏にとってはわずかな希望にでもつなげるサイトなのであろう。

この「STAP HOPE PAGE 」は、世界中の研究者に対して小保方氏のSTAP細胞研究の正当性を示すのが目的で、もちろん全文英文で書かれている。内容の重点は、STAP細胞製作の手順、すなわちレシピを公開するもので、専門的な内容まで(おそらく厳密に)書かれている。

これを見て専門外の僕がどうこうと批評できるものではないが、もしかしたらというささやかな期待も少しある。

ところでそもそも科学の世界で成果をあげるとはどういうことか?ほぼどの分野でも「こうだ!」と主張しても何の成果にもならない。数学なら厳密な証明が必要だし、生物学なら実験で証明されなければならない。

例外として、数学では「予想」というものが存在し、それを証明して初めて「定理」になるのだが、しばしば証明した学者よりも予想した学者の方が圧倒的に有名であったりする。

フェルマー予想(フェルマーの大定理とも呼ばれる)はフェルマーが予想してから360年後の1995年にワイルズによって証明され、「ワイルズの定理」となったが、今でも「フェルマーの大定理」という名称の方が主流だ。ペレルマンの証明した「ポアンカレ予想」もそうであろう。

この様に理論的証明、あるいは実験証明の伴わないものは、基本的に科学とは言わない。(フェルマー予想のような一部の例外を除いては。)小保方氏が今回ホームページ上で厳密な実験レシピを示したことは、科学者としての責任を最低限果たしたものといえるだろう。