科学・数理(サイエンス)」カテゴリーアーカイブ

違う道を通らなければならない。

過去に多くの人を退けた難問に取り組むならば、過去に取り組んだ人間と同じ道を歩んではならない。同じ道を歩めば、同じ壁にぶつかることは分かっている。同じく壁にぶつかるならば、違う壁にぶつからなければならない。

一億円の懸賞金が懸けられた数学のミレニアム問題であったポアンカレ予想の解決への道筋は、まさしく良い例だ。ポアンカレ予想は長くトポロジー(位相幾何学)の問題だと考えられ、ほとんどの数学者はトポロジー的手法によってポアンカレ予想に取り組んでいた。しかしペレルマンは分野違いの微分幾何学的手法によって解決した。

学問でもビジネスでも、大きな問題に取り組むのは良いことだが、それよりも理想的なのは自分で問題を大きくすることだ。さらに言えば、自分で問題を発見するのが最高である。世間では問題を解くことだけがクローズアップされがちであるが、問題を見つけることはそれ以上に重要である。

自然は驚くほど、整合性が取れている。

なぜ科学というものが存在するのか?それは自然が驚くほど整合性が取れているからである。もし自然が非常に無秩序で何の法則性もなければ、科学というものは存在しえない。

特に興味深いのが、数学と物理学の密接性である。物理理論は必ず数学的な形を取っており、数学的探究によって前に進んで行く。物理とは自然の一番根本に存在する理論であり、それは自然を追及すると必ず数学的な姿をまとっていると言える。

物理を追及することによって自然の理解を深めることができるが、それは自然が数学的整合性を保っているからである。アインシュタインが「なぜ人間は宇宙(自然)を理解できるかがわからない」と言ったそうだが、それは「自然はなぜ整合性が取れているのか?」という問いに言い換えられる。

物理学を創始したニュートンの一番偉大な発見は、「自然は整合性が取れている」と言うことができるかもしれない。ニュートン以来、科学者が行ってきたことは、自然の整合的法則の発見、整合的理論の構築だと言える。

それは原因か?結果か?

こちらは原因を聞いているのに、その答えとして結果を言う人が非常に多い。そうなったのはなぜか?と聞いているのに、それが全然答えになっていないのだ。

これは日常の人付き合いにおいてもよく起こりえることだが、驚くべきことに科学者であっても原因と結果の区別がつかない人がいる。それは特に、生物学・生命分野関係の専門家に多い。

例えば、ダーウィンの進化論などはその最たる例だ。ダーウィンの進化論を履き違えている人は非常に多い。ダーウィンは、何かを(自然が)欲求すればそのようになってくると言いたいのではない。ダーウィンの本質は自然淘汰である。しかし多くの人はそれを理解できていない。ダーウィンの進化論において、自然淘汰を遺伝子レベルで厳密に解明することは大きな課題であろう。

原因と結果の違いを理解できないということは、非常に危機的状況である。そのような点をしっかりと見抜かなければ、疑似科学・エセ科学に騙されることになる。そういう意味では小さいころから科学的素養を身に付けることは非常に重要である。

理論物理学者・ホーキング博士が亡くなられた。

イギリスの物理学者・ホーキング博士が亡くなられた。ホーキング博士は車いすの物理学者として有名で、宇宙物理学が専門と言われているが、一般相対性理論を深く追究されており、相対論と量子論の学際分野で活躍されていたという印象がある。

僕がまだ中学生くらいの頃、「ホーキングの最新宇宙論」という一般向け書物を書かれて僕も興味深く読んだが、一般相対論の専門書「The large scale structure of space-time」は専門家の間では座右の書として有名だ(僕もこの本には少しお世話になっている)。

僕個人的には、ブラックホール・エントロピー(ベッケンシュタイン・ホーキング・エントロピーとも言う)に関する論文を読んだことを思い出す。

これらの分野では、ホーキング博士と並び、同じくイギリスの物理学者・ペンローズ博士が双璧だが、今回のホーキング博士の死去はその片翼を失ったという印象を受ける。

ホーキング博士も取り組んでいた、一般相対論と量子論の融合(量子重力理論)はまだ未完成だが、ホーキング博士の遺志をついでこの理論を完成させる人物は出てくるのか?それとも全く違う形で解決されるのか?これからの理論の発展に注目だ。

アマチュアにも夢がある、天体観測の世界。

先日、超新星の爆発の瞬間を偶然撮影したアルゼンチンのアマチュア天文家が話題になった。超新星爆発の瞬間は全く予測できないので、プロだから撮影できるというものではない。従って在野にいる多くのアマチュア天文家の力が必要になる。もちろん撮影データの解析はプロがするのだが、撮影に成功したアマチュア天文家の功績は絶大だ。

多くの分野ではプロとアマチュアでは力の断層があり、トップアマチュアでも普通のプロにはかなわない。それは昨今話題になっている将棋の世界でも明らかだ。将棋ではアマ四段が奨励会(プロへの登竜門)六級程度と言われ、さらにプロは奨励会三段を切り抜けた四段からだ。

しかし天文の世界のアマチュアは面白い。アマとプロが協力体制を敷いているのだ。今回の重要な発見に関するネイチャー(一流論文雑誌)に掲載された論文の著者には、プロの名前に混ざってアマチュアの天文家の名前もある。

アマチュアとプロとの役割の違いはあるが、アマが論文に名前を連ねることができる天文の世界は、アマにとっても非常にエキサイティングである。

短絡的な統計は、最低の手法だ。

「統計学は最強の学問」というタイトルの本を以前見かけたことがあるが、使い方を誤れば「統計学は最低の手法」に成り下がってしまう。統計学はただ単に正確なデータを集めればいいわけではない。問題は集めたデータをどのように処理・解釈するかだ。同じデータでも解釈の仕方によって正反対の結果を導いてしまうこともある。

僕が最も短絡的だと感じているデータは、地震・火山による災害データだ。よく「前回の地震から何十年経っているから、もうそろそろ危ない」といった話をよく聞く。確かに歴史的に見ればそのような見解はあながち間違いではない。しかしそのようなデータは科学を全く無視している。そのような見解は歴史学でしかない。時として統計は科学的見地と融合させることによって絶大な威力を発揮する。

そして統計の誤用の身近な例は、「今まで負け続けたから、次は勝つ頃だ」という使用例だ。これは数学的・確率論的に言えば全く根拠がない。

統計に盲信すれば、統計に騙され誤った判断を下してしまう。常に正確な判断を下すためには、統計の本質を理解し、正確に運用しなければならない。

数学は科学なのか?

数学は科学なのか?科学ではないのか?この問いの結論は真っ二つに分かれる。狭義の意味では数学は科学ではないし、広義の意味では科学と言える。

数理科学という言葉があるように、数学は科学のスタンスでとらえられることが多いが、科学とは本来は自然科学のことを意味し、そういう意味では数学は科学ではない。自然科学はこの世界(宇宙)の実在の本質を究める学問であるのに対し、数学は数的世界の実在を究める学問と言える。自然科学の対象は目の前に広がっており、数学の対象は脳の中に広がっているとも言える。

そして数学のもう一つの大きな特徴は、数学は科学に対する強力な武器となるということである。科学、特に物理学の世界では、数学を武器として前に進められる。科学は数学的体系を装うことにより、確実に前に進められる。実際、物理学者の多くは、数学は強力な武器である(しかし単なる道具に過ぎない)というスタンスを取っている。

そして数学と物理学の中間点に位置するのが数理物理学だ。数理物理学をどうとらえるか?その答えはそれぞれの数理物理学者によって千差万別である。数学を道具としてフルに活用する物理学と捉える人もいれば、物理世界を一つの数学的体系と見て、数学の一分野と捉える人もいる。

結論を言うと、数学は科学か?という問いは答える人によってさまざまであると言えるだろう。だから結局個人的見解になるが、僕自身は科学(物理学)を数学の一分野と捉えている。しかし、物理学は明らかに数学ではない。なぜなら物理学は現実世界(自然・宇宙)の法則(実験)に合致しないと正しいとは認められないからだ。それに対して数学は非常に自由である。

数学と科学の位置関係をどう捉えるか?それを自分の中で明確にするだけでもサイエンスに対する視野は広くはっきりしたものになるだろう。

科学の原理。

科学の理論を構築する時、まず大事なのが第一原理をどこに置くかということだ。例えば物理学で一番重要な原理はエネルギー保存の法則であるが、これを第一原理(つまりスタート)と置くことによって理論が構築される。エネルギー保存則は第一原理であるから、なぜこの保存則が成り立つかということは一切考えないし、エネルギー保存則がなぜ成り立つかは誰もわからない。(厳密に言うと、対称性から保存則が導けるが。)

スタートに何を置くか?それによってできてくるものが全く変わってくる。時には相反する結果が出てくることもある。理論的に構築することはもちろん重要であるが、スタートが間違えていれば間違ったものができてしまう。第一原理(スタート)をどのように設定するか、そこに科学的センスが大きく問われることになる。

代数幾何学の何たるか。

頭というものは不思議である。人にもよるだろうが、調子の良い時と悪い時がある。今日、代数幾何学の専門書を眺めてみると、かなり頭に入る。

微分幾何学は幾何学の一分野と言えるが、代数幾何学は代数学の一分野と言える。

現代代数幾何学はグロタンディーク(20世紀で最も偉大な代数幾何学者)が考案したスキームという概念を用いて展開される。これまでスキームは難解なものと思い避けてきたが、その骨格が見えてきた。

代数幾何学が僕の取り組んでいることに利用できるかどうかわからないが、代数幾何学の何たるかを理解して、探ってみよう。

「科学」、それは普遍的なもの。

なぜ科学を研究するのか?そして科学の価値とは何なのか?それの一つの答えは「科学の普遍性」である。

多くの人にとって、科学の理論よりもエベレストの登頂の方が夢を感じるかもしれない。あるいは社交パーティーのような華やかな世界の方が憧れるかもしれない。確かに世界一高い山への挑戦は非常に分かりやすい。それも人間の挑戦の一つとして価値があるだろう。

では科学世界への挑戦はどうとらえられるだろう。科学は実験室の世界の話に過ぎないのか?あるいは単なる紙上の計算に過ぎないのか?その上辺だけを見れば科学は非常に小さな世界の話である。

しかし科学の最も大きな特徴は「普遍性」である。どう普遍なのか?それは机の上で計算して出した理論は、宇宙のどこに行っても通用する。即ち、机の上で、あるいは実験室の中から宇宙全体を達観しているのである。このスケールの大きさは半端ではない。そう考えるとエベレストも地球上の小さな世界の話である。

この科学のスケールの大きさと普遍性に気付けるかどうか?それに気付けることができた時、世界観は大きな変貌を遂げるだろう。