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グレーを白に持っていく力。今の日本社会と日本企業に足りないもの。

某SNSで、「昔、You Tubeは違法なものだと思って、見ないようにしてた」という投稿があった。この言葉に、日本企業の思想がそのまま表れているようで、かなりひっかかった。

You Tubeは違法かと考えてみると、かなり違法的な要素が多いことに気が付く。著作権なんてあってないようなものだ。もちろん、You Tubeを運営するGoogleはその辺の対策も講じてないわけではないが、規模が大きすぎていたちごっこになって全く追いついていない。

You Tubeを立ち上げた人たちは、もちろんそのグレー性を非常に認識していたことは間違いない。もし日本企業がしようものなら、即消えてしまっていたであろう。しかしそこはグレーゾーンの扱いに巧みなアメリカである。そのグレー性を巧みに潜り抜けて世界最大のメディアにまで高めてしまった。まさにグレーを白にしたと言えるのではないか。

日本企業はグレーゾーンの扱いが下手と言われる。それは企業の力によるものだけでなく、日本社会にも原因がある。社会全体がグレーを避ける風潮があり、グレーを黒とみなす認識が染みついている。自然、企業は少しでもグレーなものに対しては徹底的に避けるようになる。裁判の判決においても、グレーなものを違法とする判決も多い。

日本企業はグローバルスタンダードに追い付いていけないと言われる。特にIT業界では、アメリカがフォーマットを固めた後に参入するケースがほとんどだ。従って手綱はフォーマットを作ったアメリカが握ることになり、日本企業は一ユーザーとなってしまうしかない。

グレーゾーンに対する認識を日本社会全体レベルから変えていかないと、アメリカが握る手綱を奪うことは不可能であろう。これは一個人でできる範囲を超えており、国レベルで法律から見直さなければひっくり返すことはできない。

これらの社会認識を変えることは可能であろうか?

雇用の保証よりも、社会の流動性が必要だ。

この様なことはわざわざ僕が言う必要もないかもしれないが、あえて書くことにした。

日本は世界的に見ても非常に雇用が保障されてきた国だ。このことは労働者にとって非常に恵まれているように思えるが、見方を変えると企業側にも、労働者側にもデメリットが高いことがわかる。

企業側から見ると、簡単に解雇ができない。労働者側から見ると、就職のハードルが高いということになる。この二つのことは独立的な事象ではなく、互いに絡まり合っている。

企業側が簡単に解雇できないから、社員を採用するときには非常に慎重になる。履歴書に空白はあるか?過去の退職の理由は何か?しかしそのようなことはたいてい仕事のスキルとは関係ない。しかし企業側はいかに戦力になるかということよりも、いかにリスクが少ないかということを優先してしまう。このことは企業側にも労働者側にも非常に損失が大きい。

これらの原因は、社会の流動性のなさにあることは言うまでもない。企業がより簡単に解雇できるようになれば、採用するときのハードルも低くなる。採用のハードルが低くなると、もちろん入社もより容易になる。流動性のなさゆえ、それまで退職に踏み切れなかった人たちも、容易に退職し、より力を発揮できる他の会社に移籍できる。有能な人たちにはより大きなチャンスが与えられるようになる。

雇用の強い保証は、才能のない人にとってリスクの回避になるが、それらの人たちの保証が故、有能な人たちが犠牲になっている。有能な人材の犠牲はもちろん、企業の損失、そして社会全体の損失になる。

今、日本の社会形態は転換期にある。いや、転換しなければいけない。有能な人材がしっかりと才能を発揮できる場を与える事、それが重要である。そのためには社会の流動性を高めることは必要不可欠である。

企業・社会側も、リスクを恐れ、履歴書のあら探しをするということは止めなければいけない。いかに戦力になるか、そして有能な戦力にはそれに相当する対価を与える。そうでないと、グローバルに事が進む現在では企業も立ち向かっていけないだろう。

国民的アイドル?

最近、フィギュアスケートの浅田真央さんが現役を引退された。惜しまれながらの引退だ。浅田真央さんと言えば、誰もが認める国民的アイドルである。トップスケーターはこれまでにも何人か出てきたが、国民的アイドルと言えるスケーターは浅田真央さんだけであろう。

舞台は変わって、この人も国民的アイドルと言えるかもしれない。iPS細胞の発見でノーベル賞を受賞された、山中伸弥教授。いやいや、山中先生に対してアイドルと言うのは、非常に失礼かもしれない。国民的研究者とでも言うべきか。

最近、日本人のノーベル賞受賞が相次いでいる。小林誠教授・益川敏英教授、そして去年受賞された大隅良典教授。これらの先生はどの先生もすごい人ばかりではあるが、アイドルとは全く違う。しかし、山中先生は人気がありすぎて、アイドルのような存在にも思えてならない。またまた失礼。僕個人的にも山中先生には憧れを持ってしまう。こんな研究者は、日本人では初めてではないか。精悍な体つき、清潔感のある人柄、そして人格者でもある。それでもって、世界トップの研究者である。さらに山中先生の研究はとてつもなく人の役に立つ。

アイドルと呼ぶのは失礼かもしれないが、このようなスター研究者の存在は、日本の研究の底上げ、子供たちの将来の夢などに非常に良い影響を与えるのではないか。

あまりにも山中先生を尊敬してやまないので、研究者に対してアイドルなんていう失礼な視点で書いてしまった。これからの山中先生のますますの研究の発展を願ってやまない。

政治は安全保障こそ軸だ!

最近の政界は、安倍一強政治と言われ、与党政治家の間では政治的危機感が緩んである。閣僚の問題発言あり、森友問題あり。特に森友問題では首相が直接関係する案件であり、その対応には首をひねる人も多いであろう。もちろん僕もそのうちの一人であるが。

にもかかわらず、安倍内閣の支持率は高止まりしている。その理由はこのことにあるのではないか。

「全ての政策は、安全保障がしっかりとなされているという前提条件のもと、遂行される」

これは当たり前と言えば当たり前のことである。消費税が負担だとか、福祉が弱いなど、政治に不満をぶつける人は多いが、これらは安全保障が保たれているという前提条件のもと。安全保障が崩れれば、消費税どころの問題ではない。安全保障には多くの国民の命、そして平和な生活がかかっているのである。

安倍首相の政治にはなんだかんだと問題はあるが、安倍氏はどの政治家よりも安全保障政策に対してはしっかりと取り組んでいる。強権政治的なところもあるが、安全保障に関しては先手を打っている。日米同盟の強化も然りだ。

現在、日本周辺の政情は不安定だ。北朝鮮に関しては言うまでもない。中国との関係もいつどう転ぶかわからない。次期韓国大統領候補は日本のことを「敵性国家」と呼んでいる。

これから安全保障政策はより重要になることはあっても、軽くなることはない。現在の東アジア情勢は混乱への序章なのか、それともこれから落ち着いていくのか、未来は簡単に見通せないが、とにかく現政権の抜かりない安全保障政策の継続が強く求められている。

憲法第九条をどう考える?

安倍政権になってから、改憲の動きが活発になっている。戦後に公布された日本国憲法は、一度も改憲されたことがない。なので多くの日本人にとって憲法は永久に不変なものだと認識している者も多いが、世界的にみると、70年も改憲されていない国は日本くらいのものだ。他国では頻繁に改憲されている国もある。

憲法改憲の議論で一番の焦点になるのは、間違いなく第九条であろう。いわゆる平和憲法と言われている根源だ。憲法のことをよく知らない人でも、憲法第九条については知っていると言う人も多いだろう。

憲法第九条は改変するべきのか?保存するべきなのか?

憲法第九条には手を付けるべきではないという意見は多いと思うが、その一番の原因になっているのはもちろん教育であろう。現在の学生のことはよくわからないが、少なくとも僕らの世代以前の人にとっては、「憲法第九条があるから現在の日本は平和であるので、絶対に憲法は変えるべきではない」ということを、小学、あるいは中学で教えてこられた。その影響は非常に大きい。

なのになぜ、現在改憲なのか?もちろん一番の原因は日本周辺の国際情勢、そして国連活動などに対する国際貢献への自由度を高めるということだろう。

日本がどうあろうと、地政学的リスクは変えられない。中国・北朝鮮という脅威からは逃げられないし、現在も北朝鮮のミサイル発射による脅威は高まりつつある。

いくら日本が平和平和と叫んでも、脅威からは逃げられない。それにもかかわらず現在日本が攻められないのは、間違いなくアメリカの軍事的保護下にあるからだ。第九条存続を訴えることは、永久にアメリカの軍事的保護下にいようと言うことと等価だ。しかしそのようなことが永久に続くとは限らない。

とは言え、”平和思想”としての第九条は非常に重要である。日本の憲法第九条の存在は、世界に向けて平和を発信している。即ち、第九条の存在そのものが価値あるとも言える。

読売オンラインで、第九条は誰が作ったかということが議論されていた。当時の幣原喜重郎首相説とマッカーサー説が有力であるらしい。幣原説=護憲派、マッカーサー説=改憲派という構図であるそうだ。もちろんこのような議論は学問的にも意義あるものだとは思うが、憲法第九条に対する議論の核心はそんなところにはないように思えてならない。

第九条の議論は、「どうすれば日本が、そして世界がより平和になれるか?」それに尽きるのではないかと思う。もちろんこのことを具体的に詰めるのは容易ではない。なにしろ未来を見通さなければならないのだから。とは言え、形式的な不毛議論で判断することは、できるだけ控えなければならない。

今、仮に政治家になるとしたら、どの党でどうすればエキサイティングか?

最近、国会では森友学園問題で盛り上がっているが、今、もし自分が政治家になるとしたら(なれないけど)、どうすれば面白いか?

僕自身は現在、どの党を支持しているかと言われれば、「自民党」だと答える。しかしもし自分が政治家になれるとしたら、どの党に入りたいかと問われれば、「民進党」と答えるかもしれない。

なぜか?それは民進党がどん底まで落ちぶれているからだ。その傾向は蓮舫体制になってさらに加速化してきた。それに対して、自民党政権は様々な問題があるにしろ、民進党に比べれば格段に盤石だ。

民進党がどん底の状態であるということは、言い換えれば後は、昇るか消滅するかのどちらしかない。民進党ベテラン人があれだけ体たらくだと、若手が変えるしかない。ベテランに対する支持も非常に低い。だからこそ、若手が変革を起こす余地が大いにある。

それに対して、自民党は盤石すぎて若手が出る幕が少ないであろう。現在の自民党では、若手は雑巾がけをするしかない。

民進党の気鋭の若手と言えば前原誠司氏がいると言えるが、はたから見ていると前原氏は権力的な野望があるようには見えない。そこが誠実でいいところかもしれないが、政権を奪取してトップに立つためには強い野望も必要だ。

これからの民進党内で、暴れまわって自分の党を潰しにかかるくらい勢いのある若手政治家は現れるのであろうか?潰れてもおかしくない政党だからこそ、潰すの前提に変革しまくるのも面白いと思うのだが。

今の民進党の若手政治家は、非常にチャンスだと思ってほしいものである。

 

ジャパネットたかた・髙田明さん。日本を愛し、本当に人を助ける人とはこういう人なんだと考えさせられた。

日本のお茶の間でおなじみの、ジャパネットたかたの髙田明さん。髙田さん自身はすでに社長を辞められ、一線から退かれているが、ここぞという時には今でも力になっているらしい。(東洋経済オンラインを参考)

ここぞという時とは、そう、大災害時である。地震列島である日本では、震災被害は避けて通れない。いつ、どこで大地震が起こり、自身にも降りかかってくるかわからない。直近の地震被害と言えば、熊本地震が思い出される。

震災被害が起きれば、瞬く間に列島を覆うのが「自粛」の空気。東日本大震災時には、テレビ番組が数日間にわたってCMなしで放送されたことが記憶に新しい。ジャパネットたかたでも、東日本大震災直後は、テレビショッピングを自粛していた。

しかしよくよく考えてみると、災害時の自粛は、被害者にとってもほとんどメリットがない。不謹慎なものを省くのは当然としても、通常の活動の自粛はメリットがないばかりかデメリットの方が大きい。このことは多くの国民も感じていることだとは思うが、どこからともなく自粛の圧力がかかってくるようだ。

その自粛の圧力を破った人の一人が髙田明さんだった。髙田さんは、自粛をして何もしないのではなく、ショッピング営業を行い、売り上げを義援金として送ろうと考えた。そして5日後の3月16日、テレビショッピングを行い、売り上げの全金額7068万円と、それとは別に5億円を被災地に贈られた。その時のテレビショッピングでは、すでに一線を退かれていた高田明さんが直々に出演されたそうだ。

熊本地震の時にも同じように義援活動をされている。

髙田明さんは、日本の政治にも貢献されている。と言っても政治活動にのめりこんでいるわけではなく、政府の方針を後押しするような活動をされているのだ。

エコ政策に対してはエコ商品の売り上げを後押しし、地方創生政策に対しては、「おさんぽジャパネット」という番組を通じて日本各地を歩き、各地の良い物を紹介し、番組の最後でご当地商品のテレビショッピングを行っているそうだ。

この様に積極的に日本のため、日本国民のために動き回られている髙田明さんを見ると、ブログでべらべらとしゃべっているだけの僕自身が情けなくなってくる。

「日本愛」とは、自国至上主義で他国を攻撃することではなく、「困っている人を助ける」、そのような単純な事が根本にあるのではないかと髙田明さんの活動を知って感じた。

この様に、日本に愛を持って接している髙田明さんに感謝と尊敬の念を抱かずにおられない。

森友学園疑惑。昭恵夫人の行動に、安倍首相の責任問題をどう考えるべきか?フジテレビ・Mr.サンデーを観て。

ここ最近、国会で森友学園疑惑について取り上げられているが、これまでは一般大衆誌を元ネタに追及する野党議員のレベルの低い議論を冷ややかな目で見ている状態だった。しかし3月5日(日)の、フジテレビ「Mr.サンデー」を観て、この問題に対する見方が大きく変わった。

普段は、ワイドショーや一般大衆誌のような、火のないところに煙が立つレベルの低い情報源はまともにとらえなかったが、今回のMr.サンデーの特集では、安倍昭恵首相夫人の軽率な行動が「映像」としてはっきりと流されていたので、こうなると話は別だ。

もちろん、今回の疑惑に関しては、首相サイドが周りの人間に利用されていただけという可能性も高いが、しかし本当に利用されていたとしても、最高権力者がいとも簡単に利用されてしまうのであれば、それは権力者としての資質が問われかねない。

森友学園疑惑では、首相本人より夫人が(意図的でないにしろ)積極的に関わっていたようだが、首相夫人という立場は、公人か私人かという議論は差し置いても、大きく責任が問われることは言うまでもない。なぜなら、森友学園という「窓口」から、首相(夫人)のお墨付きのもと、偏った主義・主張が垂れ流されていたからだ。

これまで僕は、安倍首相に対してはかなり肩を持ってきた方だが、この森友学園疑惑に関しては安倍首相に対して厳しい眼で見ざる負えない。

今回の疑惑は、野党にとっては与党・自民党を攻撃するこれとないチャンスだが、初めに述べたように数百円の週刊誌を元ネタに追及するようなありさまである。ここまで高支持率で安泰だった安倍政権にしっかりと一矢を入れることは、野党はもちろん、与党が足元を見直すためにも必要である。

思想無き民進党政治。党の問題か、議員個人の問題か。

最近、民進党に関して頻繁に話題になるのが「ブーメラン」だ。民進党の周りにはブーメランが飛び回っている。

先日も、教育方針に問題のある幼稚園の教諭を政府が表彰していたことに対して、民進党・大西健介議員が自民党を追及していた。表彰は2回されており、平成20年と24年である。そのことに対して大西議員は自民党が党ぐるみで関わっていたのではないかと発言していたが、24年と言えば民主党・野田政権時代であり、言うまでもなく大西議員の追及は自身の党へのブーメランとなって帰ってきた。

この事例は単純には、政権の歴史を認識していなかっただけと言えるが、その根本的問題は非常に深刻だ。

そもそも表彰一件一件に、政府首脳が関わっていたとは到底考えにくい。まさしく今の民進党、あるいは大西議員の追求は重箱の隅をつつくようなあらさがし以外の何物でもない。この何の思想もない追及がブーメランの根源である。

このブーメランパフォーマンスは民進党のお家芸と言われるまでにいなったが、ある意味、蓮舫・民進党代表の思想無き方針が末端まで浸透しているとも言える。党の問題か、議員個人の問題か、どちらかと問われれば、もうどちらもだとしか言いようがない。

この記事で民進党に対する一般的な批判を書いているととらえられるかもしれないが、僕の本心は、民進党が真っ当な政党になってほしい、民進党に思想ある政治をしてほしいと願う気持ちであふれている。しかし、少なくとも蓮舫体制ではそれは99%無理であると断言できる。民進党にも真っ当な政治家はいる。最近出番はめっきり減っているが、民進党・前原誠司氏などは、誠実な政治ができる可能性のある政治家なのではないだろうか。

いつになるかわからないが、また二大政党体制が確立し、お互い良い意味でけん制し合って、発展的な政治ができるような政界を作ってほしいものである。

安倍首相は独裁なのか?

最近は何かと、安倍首相の強権政治が話題になる。実際に、現在の日本の政界で、安倍首相にまともに対抗できる人物はほぼいない。あえて言うなら石破茂氏くらいだろう。石破氏は安倍氏に対抗すべく、現安倍内閣ではあえて入閣せず、次期政権の構想を練っていると言われている。

アメリカの大統領は、期間限定の独裁政権とも言われ、非常に大きな権力を持っている。

新政権のトランプ氏は矢継ぎ早に政策を実行しているが、そんなトランプ氏も安倍首相に対しては敬意を払っているのではと僕は思っている。

もちろんその一番の理由は国家元首として、安倍首相が民主主義先進国の中でドイツのメルケル首相に次いでの古株であること、しかもそのメルケル首相も間もなく任期が切れる。したがって事実上、安倍首相が一番のベテランになる。

この時期に安倍首相がベテラン首相であることは、あらゆる意味で日本にとって良かったのではないかと思う。その理由は対米・対中関係に関してだ。対米関係に関しては、今トランプ氏をコントロールできる元首は安倍首相だけとなっている。安倍首相がトランプ氏に寄りすぎているのを危険視する人もいるが、僕は非常にメリットが大きいと感じている。

対中関係は深刻だ。もし安倍首相が新人総理ならば、おそらく中国は軍事的・経済的に容赦しないであろう。中国軍機に対するスクランブル発進が数百回とかなり多いことが問題になっているが、安倍首相の強権と実績がなければおそらくスクランブルどころではないであろう。

対米・対中をはじめ、現在何とか日本が上手く切り抜けているのも、経験を積んだ安倍首相の強権があってのものだ。その強権が独裁かどうかと言われれば、「半独裁」という言葉が適切かもしれない。

独裁者と言えば非常に危険なイメージがあるが、独裁者の評価は独裁者の人物次第で良くも悪くもとらえられる。非常に有能な人格者が独裁者になれば、国は非常に豊かに発展する可能性が高い。そのような例が、古代ローマ帝国のマルクス・アウレーリウスなのではないか。

しかし現実は劣悪な人間が独裁者になることがほとんどだ。あるいは独裁者になると劣悪になるのかもしれないが。それらの一番典型的な例が、ヒトラーであろう。

ともあれ、半独裁の安倍首相は、僕は現在の日本にとっては利が大きいのではないかと思う。というより、半独裁ができるくらいの強権首相でないと、現在の東アジアは乗り切れない。それは現在の韓国を見ればよくわかるだろう。

一番心配なのは、次期政権の発足時だ。新米首相が現在の東アジア情勢を乗り切れるか。なかなか難しいことだが、石破かぶれの僕は石破茂氏なら心配ないと思っている。

とにかく現政権下の日本では、強権安倍政権に期待するしかない。