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9月入学を考えるとき。

コロナ禍は悪化の一途をたどっている。その悪影響は医療・経済など様々なところに及んでいるが、1月から始まる入試シーズンへの影響も取り沙汰されている。今関東地方では、緊急事態宣言の発令が検討されていると言う。もちろんコロナに県境などはないので、今日の都心は明日の地方と言う事になり、影響は遅かれ早かれ全国に広がるものと思われる。

もし緊急事態宣言が発令されれば、入試シーズンを直撃する。入試を強行するのにも危険性があり、しかしもし入試が中止されれば次年度の入学者を迎え入れることができない。菅政権が早い段階で緊急事態宣言を出すことができていれば、入試への影響だけでなくクリスマス、そして正月を直撃せずに済んだ可能性は高い。

しかし過ぎたことは仕方がない。問題はこれからどうするかだ。入試を強行するのもしないのも問題があるのならば、残された解決策は9月入学だけだ。これからのワクチン行政が上手くいけば、夏に入試を行い9月入学すると言う事が一番の解決策になるように思える。しかも9月入学を取り入れることによって、海外と教育について足並みをそろえることができる。日本人学生の海外留学が進まないと言う問題がたまに取り沙汰されるが、これによって海外留学に対する足かせが取れることにもなる。

コロナ禍は確かに大きな災いだ。しかし災いだからと言って全てをネガティブに進めるのは間違っている。これを機に9月入学を取り入れることによって、教育環境を大きく発展させることが可能になる。転んでもタダで起きてはならないのである。いま入試だけでなく、学校教育を強行するのにも大きなリスクが伴う。そしてこのような状況では教育を満足に行うこともままならない。今の子供たちの教育環境を整えるためにも、今政府は9月入学を導入するかどうか本気で検討すべき時ではないだろうか。

人生、爆発の予感?

明けまして、おめでとうございます。

ところで、人生においては調子が良い時もあれば悪い時もある。悪い時は何をやってもうまくいかず、このような時には忍んで耐えなければならない。昭和天皇の敗戦時の玉音放送にも、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」と言う有名なお言葉がある。もちろんそのような状況が長期に渡れば心身共に持たないであろうが、長い人生の中にはおそらくほとんどに人にはそのような時期があるだろう。僕だってそのような時はあった。

そしてそのような時とは逆に、何もかもが上手くいくような絶好調な時もあるかもしれない。僕はと言うと、絶好調であっても「何もかも」とは行かないものである。しかしそのように絶好調な時には、全てを爆発させればいい。岡本太郎は「芸術は爆発だ!」と言ったが、僕は「人生は爆発だ!」と言いたい。そしてそのような自分の全てを爆発させる時が、今年であると思っている。いや、そうでなければならない。

今、コロナ禍によって多くの人が苦しい立場に置かれている。その一方、日本の株価はかなりの高水準を記録していると言う。今はコロナ禍で苦しさばかりが強調されるが、苦しい人がいる一方、絶好調な人も多くいるのだ。そしてそれは今だけの事ではなく、いつの時代も同じだ。人生においても好不調の波はあるが、それはある程度社会的なものにも左右される。今のコロナ禍で金銭的に追い詰められればそれは自分の人生の不調にもつながって来るであろうし、もしコロナに感染してしまえば健康的な不調にも追い込まれる。

逆に今まで不調だった人には、今は逆転するチャンスだ。このような時だからこそ、ゲームチェンジャーになれる。報道などを見ると、これまで豊かだったがコロナ禍で追い込まれて苦しい思いをしている人がいることを強調するが、世の中にはこれまでずっと苦しかった人もいるのである。例えばホームレスの人であったり、あるいは日本だけでなく海外にまで目を向ければ明日の命さえも確かではない人もたくさんいる。そのような苦しい人たちがコロナ禍を逆手に取って、ゲームチェンジャーになってくれることを強く望む。そして僕自身も研究においてゲームチェンジャーになるべく突き進んで行こうと思う。

今、コロナ医療従事者に最も必要なのはお金だ!

今、コロナ医療現場が疲弊している。それは病床や医療機器などのハードも、そして医者、看護師たちの人材も、完全に疲弊しきっている。特にコロナ医療従事者の精神面の疲弊は一見して見えない部分であるが故に、我々が思っているよりもはるかに疲弊している可能性がある。それを救う方法はないのか?僕はもうお金しかないと思っている。現在のコロナ医療従事者の報酬は賞与カットなどもあり、仕事の対価として全く見合わないものになっている。もしコロナ医療従事者最低賃金などと言うものがあれば、ほとんどのコロナ医療従事者はその最低賃金に届かないであろう。

何しろコロナ患者と向き合う限り、コロナ感染の危険性は常に付きまとい、言わば命の危険性までもさらしていると言える。そしてそれは医療従事者本人だけでない。家族などの同居人に対しても強い制約をもたらしている。そして理不尽な事に、コロナ医療従事者に対しての社会での風当たりも強い。全く割の合わない仕事である。

小池都知事は小中学生に対して医療従事者に感謝の手紙を書くように呼び掛けたと言う。ふざけるな!強制的に書かされた感謝の手紙を受け取って喜ぶ人がどこにいる!小池都知事の無神経ぶりは本当に理解不能である。今唯一医療従事者を精神的に救うものがあるとすれば、それはお金しかない。我々にできることはそのお金を差し出すことだ。人生はお金ではないと言う人は多いが、時にはお金以上のものがない時もあるのだ。それが今だ。ではそのお金をどう捻出するか?以前、国民一律の10万円給付金があった。それを9万円にして、残りの1万円を全てコロナ医療従事者に集めればよかったのである。そうすればコロナ医療従事者に通常の二倍三倍の給与を与えることができたはずだ。しかし既に給付金配布は終わってしまったので、来年度に国民一人当たり一万円のコロナ医療従事者給付税を集めればよい。それを全てコロナ医療従事者に給付すればよいのである。

医療従事者に対して、使命感ややりがいなどを口にする人がいる。しかしそれは医療従事者本人が言う言葉であって、我々が押し付ける言葉では全くない。もしそんなことを言う人がいれば、勘違いも甚だしい。一般国民ができることは、お金を差し出すことしかないのである。もちろん病院で医療従事者に配慮して診察を受けることは言うまでもない。菅氏、そして二階氏たちはGoToキャンペーンに熱心である。そしてそれによって生み出されるコロナ患者によって医療が崩壊しようとしている。そもそもお金の配置の仕方からして間違っていたのである。これは利権・既得権益がもたらした最も酷い悪例になってしまった。もう時はかなり過ぎてしまったが、せめてこれから出来る事だけでも医療従事者の献身に対して国民は報わなければならない。

キューバ危機において、深く思考する人間がいたからこそ人類は全面核戦争を免れた。

NHKスペシャル・映像の世紀プレミアム 第17集「人類の危機」の動画を観た。この映像の世紀シリーズのテーマ曲「パリは燃えているか」は非常に荘厳な曲であり、僕はこの曲が大好きだ。そして何よりこのシリーズのテーマ曲として非常にマッチしている。

今回観た動画は100年前のスペイン風邪のパンデミックからチェルノブイリ原発事故による危機まで扱っていたが、中盤ではキューバ危機を扱っていた。我々日本人は歴史の授業で「キューバ危機によって全面核戦争直前の状態にまで追い込まれた」と習うが、しかしそれがどれほどの危機だったかについてはいまいち実感がない。僕自身も知識としては知っていても、実感はそれほど感じていなかった。しかし今回観た映像の世紀によって、このキューバ危機による13日間がいかに極限まで追い詰められていたかが分かり、それと同時に愕然とした。結果的には全面核戦争は回避されることになったのだが、現実は核戦争を回避できたことがある意味奇跡であったと言えるくらいの危機であったようだ。

ここでキューバ危機において発生した二つの危機的状況を取り上げる。一つ目はアメリカ統治下の沖縄で起きた危機だ。当時沖縄には核兵器発射基地があった。キューバ危機時、沖縄の核兵器発射基地に4発のミサイル発射命令が下った。しかしそれはおかしなものであった。一発はソ連を狙ったものであったが、その他の3発はソ連以外の国を狙ったものであったと言う。もし基地の司令官が命令に忠実なイエスマンであったのならば、躊躇なく核ミサイルを発射し全面核戦争に突入していたであろう。しかし基地の司令官は、3発が他国へ向けられていることに対して明らかにおかしいと考え、真偽を見極めようとしたと言う。そしてその命令は誤報だと言う事が明らかになった。

もう一つはソ連の潜水艦における出来事だ。ソ連軍の潜水艦がキューバ周辺で活動していたのだが、アメリカ軍はそれを察知し潜水艦周辺に爆雷を落としたと言う。これは潜水艦に対して浮上せよと言う合図であり、アメリカは事前にソ連に対してこの爆雷の意味するところを伝えていたと言う。しかしこの潜水艦の艦長にはその意味が伝わっていなかったのだ。そこで艦長は戦争が始まったと思い、自分たちが自滅することを覚悟で核魚雷を発射しようとした。しかし核魚雷を発射するためには、もう一人、副艦長の許可も必要であった。そこで副艦長は、もし自分たちを攻撃しようとしているのならば簡単に攻撃できるはずで、それをあえてしないのは何かの合図かもしれないと考え潜水艦を浮上させたと言う。

この二つの出来事は、いかに自分の頭で考え判断することが重要であるかと言う事を示唆している。沖縄のアメリカ軍司令官が、あるいはソ連軍の潜水艦の副艦長が何も考えずに核発射命令を出していれば、今頃人類は存在していなかったかもしれない。一人の人間の思考が、人類の存在さえも左右するのである。

日本では特に、学校では教師の言う事を、そして会社では上司の言う事を忠実に聞いて従うことが重要だと教えられ、それに従わないと反抗的だと非難される。しかしそれでは自分の頭で考えられる人間が育たない。日本でも自分の頭で思考し判断する事の重要性をもっと伝えなければならないのではないだろうか?今の菅総理は自分の頭で考えられる人間ではない。なので周りの人間がそれをサポートしていかなければならないが、現状を見るとおそらく側近は全てイエスマンであろうことが想像される。もし今の日本政府がキューバ危機と同じような状況に遭遇すれば、確実に人類は滅亡するであろう。キューバ危機はいろいろな事を教示してくれているが、そのうちの一つとして自分の頭で考え判断することがいかに重要であるかと言う事も示していると考えられる。

権力を上手く使いこなせていない!

権力とは諸刃の剣である。良識のある優秀な人物が権力を持てば世の中は良くなるが、もし知識のない凡庸な人間が持てば世の中は悪化の一途をたどり、民は苦しい思いをすることになる。古代ローマでは、一番の理想は哲学者が皇帝になることだと言われていたと言う。そして実際に一人だけそれを実行した人物がいる。マルクス・アウレリウスである。アウレリウスは「自省禄」と言う非常に素晴らしい書籍を出しており(哲学書と言えるかどうかわからないが、哲学書と言われることが多い)、人間としても一流である。アウレリウスが権力を持った当時のローマ市民はもしかしたら非常に幸福であったのかもしれない。

初めに言ったように、権力とは諸刃の剣である。それが良い方向へと行った例としてマルクス・アウレリウスを取り上げたが、逆はどうであろう?そう、今の日本がそうであると言える。菅氏は権力の使い方がわからず、全てが裏目裏目に出ている。アウレリウスのような優秀な権力者の常として第一に国民・市民の事を考えるが、凡庸な権力者の常として自分の実績にこだわり保身に走る。僕はこれまで菅氏をかなり批判してきたが、菅氏が逆転をする方法がひとつある。それは自分が犠牲になることを厭わないことだ。菅氏の現在の失敗は全て自分の保身に由来することだからだ。

権力とは権力者のためではなく、民のためにある。しかし日本の、いや世界共通かもしれないが、ほとんどの指導者が権力と言うものを勘違いしている。特にそれを助長しているのが、権力の世襲であろう。しかしこれには市民(有権者)にも責任がある。なぜなら世襲政治家に票を入れているのは一般市民に他ならないからだ。もちろん世襲が全て悪いとは言わない。世襲議員が良い政治を実行してくれるのなら大歓迎だ。だからこそ小泉進次郎氏にも期待してしまう。世襲政治家が悪いのではなく、何も考えずに単に有力政治家の後継者と言うだけで票を入れてしまうことが良くないのだ。

今まで批判してきた菅氏は世襲政治家ではない。しかし首相と言う政治家のトップにまで上り詰めた。いや、このような表現は良くないかもしれない。トップまで上り詰めたとか言うと、競争社会での争いであるように聞こえる。いや、現実として政界は熾烈な競争社会であることには間違いないが、しかし本来は政治家は市民の代弁者であり、極論を言えば市民に対する奉仕者だ。なので市民の方に顔を向けていない政治家など論外だ。しかし菅氏は今どこを見ているのか?二階氏の方を向いているのか?どちらにしても現在の菅氏は政治家とは本来どうあるべきかと言う事を完全に見失っているように思える。

法治国家であっても、法を破らなければならない時がある。

法治国家においては、法は絶対的であると言われる。果たしてそうであろうか?もし自分の信条・信念に反する法であれば、それに逆らうのも十分にありだと僕は考えている。だからこそ杉原千畝は自分の良心を貫き、香港では周庭さんたちが立ち上がっているのである。さらに言えば、この国のトップである首相は本当に法を厳密に守っているのであろうか?甚だ疑問である。

とは言え、僕はやみくもに法を破れと言っているわけではない。法は国家の存続において非常に重要である。さらに日本の最高法規である日本国憲法は非常に素晴らしく立派なものであると感じている。しかし社会の主役は誰か?決して法が主役であってはならない。人間が主役なのである。だからこそ、人間をないがしろにするような法に対しては徹底的に立ち向かわなければならないのである。僕は決して改憲派ではないが、もし憲法が時代に合わなくなり人間を無視するようになれば、憲法を改正することも十分に視野に入れなければならないと考えている。

法が絶対的ではないことを例示することは簡単だ。もし法が絶対的なものだと考えれば、ナチスドイツにおいては悪いのは法を破った市民、そしてユダヤ人の方だとなってしまう。しかし誰が考えても悪いのはナチスの方だ。そして杉原千畝は法を破ることによって何千人もの人間の命を救うことになった。もちろんこんな大々的なものでなくても、身近な法であっても、人々の自由に反する法は色々とある。もちろん何でもかんでも自由にすれば良いと言う訳ではなく、当たり前の事であるが人を傷つける自由など誰にもない。

なぜ僕は今回の記事でこんなことを書いたのか?それは僕にとって信念に反する法が存在するからだ。その法は人々の思考の自由を奪い、さらには日本国の発展をも妨げるものである。さらに言えば、その法は憲法にさえ反していると僕は考えている。一部の全くおかしい利権を認めるがために、国民の思考の自由を束縛している。日本はいつからこのように知を放棄する国になったのだろうか?僕は決して法治国家を否定しようとは思わないが、このことにおいては徹底的に立ち向かって行こうと思っている。

感染症対策が一番の経済対策だ!

普段は感情を表に出さないドイツのメルケル首相は議会で感情を爆発させ、感染症対策の重要性を訴えかけ国民に協力を呼び掛けたと言う。それに対してどこかの総理はネットでギャグにもならないギャグを放ち、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。一国民として非常に恥ずかしく、また情けない気がするのは僕だけであろうか?

今政界で、またあらゆるメディアで議論されているのは、「感染症対策か?それとも経済対策か?」と言う事である。しかし僕はこれは違うと思っている。いま必要なのは「感染症対策 and 経済対策」と言う事である。そんなことを言うと、そんな虫の良い話はないと言われるかもしれない。なぜなら感染症対策をすれば経済は急激に落ち込むと誰もが考えているからだ。しかし僕ははっきりと言う。

「感染症対策を徹底することが、一番の経済対策になる!」

これはどういうことか?感染症対策をすることにより街に出る人が減り、お金が回らなくなる。旅行に行く人が減り、飲食をする人も減る。それによって旅行業界、そして飲食業界は大打撃を受ける。それは事実であろう。しかしだからと言って感染症対策を無視するとどうなるのか?当たり前の話だが、コロナ感染者は激増する。そしてそのような状況を放置すると、後々さらに経済が回らなくなる。コロナの影響が大きくなればなるほど、経済的な打撃も大きくなるだろう。コロナの状況が小さいうちだと自粛の規模も期間も少なくて済む。しかしコロナ被害が大きくなればなるほど自粛の規模も大きくなり、期間も長くせざるを得ない。即ち、早め早めの感染症対策が、後々経済的にも好影響を与えることになる。

政府はこれまで旅行業界、そして飲食業の支援のため、GoToキャンペーンを大々的に行ってきた。しかしこのことが結局旅行業界、そして飲食業界の首をさらに絞めることになる。そして苦境に立たされているのは旅行・飲食業界だけではない。かなり広い業種において大打撃が与えられている。そして時期的にも、自粛はクリスマス、正月を直撃することになった。早め早めに手を打っていれば、このような時期の自粛を避けることができたのは明らかであろう。

なぜこのようになったのか?ドイツの首相は国民の事を一番に考え、どっかの総理は自分の実績作りと自分の保身を一番に考えているからである。ああ、一国民として本当に情けない。石破茂さん、早く総理になってください!

NTTドコモ「ahamo」に対する提言。

少し前にNTTドコモが打ち出した中容量シンプル低価格プラン「ahamo」が、非常に評判を得ている。それに対してauが打ち出した大容量複雑高価格プランが批判を浴び続け炎上している。ドコモのahamoは僕にとっても非常に魅力的なプランであり、さっそく事前予約申し込みを行った。

しかしこのドコモのahamo、全てが良いとこだらけと言う訳ではない。低価格とトレードオフな面もいくつかある。それはドコモのプランとは言え、ドコモショップでのサポートが基本的に全く受けられないと言う事だ。もちろん契約もオンライン上のみである。なので対面で契約したい人や、ショップで分からないことを聞きたい人などは、基本的にahamoは候補にあがらない。それを知らずにahamoを契約してしまうと後悔してしまうかもしれない。しかしオンライン操作に慣れている人にとっては、非常に魅力的なプランであることは間違いないだろう。

とは言え、通常はショップなど全く利用する気はなくても、何かの緊急時(例えばスマホの故障や紛失)の時にショップが使えないと、不便で不安に思うことも確かである。そこで、ahamoの利用者でもお金を払えばショップでのサポートを受けられるようにすればどうかと僕は提言したい。通常はショップは全く利用しない。しかしショップでサポートを受けたいときは、何千円か払って受けられるようにする。その金額はかなり高くても良いと思う。何なら一万円近くしても良い。なぜなら重要なのは、お金を払えばショップで何とかなると言う安心感が目的だからである。そうすることによって、低価格の魅力と、いざという時はショップでサポートを受けられると言う安心感が両立でき、さらに魅力的なプランとなるだろう。

そしてこのことは、ショップ側にとっても魅力的なシステムになるだろう。携帯ショップでは、昼間の時間帯などはシニアが押しかけサービスのボランティア状態になっていると言う。そしてahamo自体、ショップにとっては一つの脅威になるだろう。しかしahamoの有料サポート化によって、ショップもそれなりの利益が得られ、ボランティア化することもなくなる。考えようによっては、従来プランの客よりもahamoの客の方が上客になるかもしれない。

ドコモにとっての一番の課題は、オンラインプランとショップ維持の両立であろう。しかしahamoのショップでのサポート有料化を行えば、それらの両立はある程度可能になる。初めに言ったように、料金はかなり割高でも良い。必要なのは「いざ」という時の安心感であるからである。ぜひショップでのahamo客有料サポート化を実現してもらいたい。

ガースー(菅)の無策無能ぶり。

初めに言っておく。今回の記事は菅をこき下ろすものだ。そしてもう一つ言っておく。もう菅に敬称は付けない。呼び捨てにする。もう僕の頭は怒りから火が飛び出て消火できないレベルだからだ。

僕は菅が総理に就任した直後から、菅を批判し続けてきた。しかし就任初日だけは、さすがにまだ総理として何も行っていない菅を批判するのもおかしいと思い、中立な目で見てみようと言う立場を表明した。しかしすぐに僕の予想は悪い方向で的中してしまう。日本学術会議問題、そしてコロナ対策。菅のする事全てに共通することは、陰湿、そして自分の頭で考えられない(つまり無能)、そして保身だ。そして僕の頭からは火が飛び出て来た。

ではなぜ、僕は菅の就任直後から菅を批判し続けてきたのか?それはそれまでの官房長官としての菅を見続けてきた結果だ。しかし菅の官房長官としての仕事はこれまで評価されてきた。なぜ官房長官・菅は評価されてきたのか?それはまず失言しない事、そして批判を上手くかわし続けてきたことだ。しかし総理となった今となってはどうだろうか?失言しないのは官僚が用意した原稿を棒読みしているから。そして批判を上手くかわすのは責任逃れに終始しているから、と言い換えられる。

先日、日本国民として衝撃的な言葉を聞く。「ガースーです!」菅がニコ生で放った言葉だ。若者に媚びを売っている場合か!コロナで国民が苦しんでいる中、無神経にもほどがある。もちろんコロナ対策で有効な手を打ち出し続けているのならまだわかる。無策無能をさらし続け、この無神経である。はっきり言って、菅に総理の資格はない!

なぜここまで僕が怒っているのか?それは総理としての資質の問題もあるが、根本をたどれば全て菅の人間性にたどり着く問題だからだ。政治家として以前に、人間としてどうしようもない人間だ。十年ほど前の民主党政権時代、菅(カン)元首相はかなり批判を浴びた。菅(カン)氏も当時は相当こき下ろされたように記憶している。しかし菅(スガ)より菅(カン)氏の方が百倍マシだ。少なくとも菅(カン)氏は菅(スガ)のように陰湿に物事を進めるようなことはほとんどなかった。なので菅(カン)氏を呼び捨てにしようとは思わない。僕が批判していた末期の安倍政権時でさえ、安倍前首相の事を呼び捨てにするなど一度もなかった。しかし菅(スガ)に敬称など付ける気には全くなれない。

現在、菅の支持率は急降下している。言っておくが、支持率が急降下したから僕は菅をこき下ろしているのではない。政権発足時から菅に対してはかなり批判をしている。僕は過去のブログ記事で「菅政権は短命で終わる」と書いた。しかし実際は僕の想像より早く終焉するのではと言う気配になってきた。少なくとも総選挙をすれば終わりだ。

菅の側近たちは、コロナ禍が酷くなってきたから支持率が下がったと言っているらしい。勘違いするな!それは結果論であって、何もしない無策無能ぶりが顕著に表面化した結果だ!コロナ禍が酷くなったのも、GoToキャンペーンや様々な活動の制限を打ち出さなかった結果であるのは明らかだ。僕のような一市民でさえ、GoToキャンペーンが始まったとき、誰が考えてもコロナ抑制に逆行するので停止すべきだと訴えかけた。しかし菅たちは何食わぬ顔で無策を続けている。そしてGoToによるコロナ感染者は数百人に過ぎないと自分たちの都合の良い数字だけをエビデンスだと持ち出し、GoToの停止を訴えかける人たち(医学の専門家を含む)に対してエビデンスがないと無視続けている。

菅!あんたに総理の資格はない!それ以前に人間としても卑劣だ!毎回繰り返すが、石破総理が渇望される。僕は今自民を支持しているのではなく、石破茂氏を支持している。もちろん、石破総理が誕生すれば、石破自民党を全面的に支持するつもりだ。

人を欺くau(KDDI)の料金表示があまりにも悪質で酷い!

9日、au(KDDI)の新料金プランが発表された。新料金プランと言えば、先日NTTドコモが格安プランを発表したことが記憶に新しい。それを受けてauも思い切った大容量格安プランを発表すると思いきや・・・。

その内容を簡単に述べよう。ギガ無制限でズバリ3760円!ドコモほどではないが、20ギガの制限があるドコモと比べてもそこそこ安い!

しかしこれにはからくりがある。auが提示する5つの条件を満たせばこの値段になると言うものだ。では、これらの条件を満たさなければどうなるのか?

9350円。

もう何も言えない。しかし実態はさらに悪質だ。auの表示では、「3760円~」としか書いていない。そして割引条件のうち二つはそれぞれ初めの6か月(1400円引き)と12か月(1000円引き)である。つまり一年後には少なくとも2400円アップの6160円になる。この手法を僕が非常に悪質だと思っているのは、初めの数か月減額によって、見かけの提示額をいくらでもコントロールできることだ。例えば初めの一か月9340円引きとすれば、このプランは実質10円と言う表示もできる。市民をバカにするのもいい加減にしてほしい。

 ところでYouTubeで次のように上手い事を言っている人がいた。

「新プラン、3760円、しかし

6か月以上利用:罰金1400円、1年以上利用:罰金1000円、光電話なしで利用:罰金1000円、一人で利用:罰金2020円。

真実の値段、9350円」

うーん、納得。

それにしても、auはなぜこんな詐欺まがいの酷いプランを大々的に発表したのだろう。この発表を止めるように助言する側近はいなかったのか?本当にコントとしか思えない。auは3760円とアピールしているが、ニュース記事ではどこも忖度なしに9350円と報道している。

auのこのプランが狙うところは一つ。老人などの情報弱者を食い物にすることだ。普段情報に接しない高齢者、そしてプランなど気にしなくて何も考えずに利用している若者などから取れるだけ取っておこうと言うものだろう。

ドコモの格安プランahamoが発表された直後のこのauの大々的な発表!もうコントとしか思えない。しかし悪質で放置もできない。ここでこそ総務省の出番だろう。