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知を高めたい!ただそれだけ。

「知を高めたい」それだけだ、と言えば嘘になる。生きて行くためにはお金も必要だし、地位や名誉にも興味がない訳ではない。しかし僕の生きる一番の原動力になっているのは、知への欲求であることには間違いない。小学生の頃から数学や物理(理科)に興味があり、素粒子の世界に夢を見ていた。もちろんこれまでに興味の微修正はあったものの、大筋ではその頃と変わりはないと思う。

今、コロナ禍で様々な欲求が抑圧され、これまでの生き方が通用しなくなっている。それはもちろん僕にとっても同じであり、なので新しいことに挑戦して切り抜けようと考えている。そして学問においても、これまで数学・物理一辺倒だったものから、興味の幅を圧倒的に広げようとしている。特に現在はコロナ禍と言う事もあって、コロナに関する科学的情報を身に付けることに力を入れている。

コロナに対する対処として、「正しく恐れることが大事だ」とよく言われる。では正しく恐れるためにはどうすれば良いのか?そのためには敵の情報を正しく掴むことが最も重要だと僕は考えている。なのでコロナを正しく恐れるためには、コロナによる社会的状況だけでなく、コロナに対する科学的知識を身に付けることが非常に重要である。しかし現実を見ていると、感染者数などの社会的情報は頻繁に伝えられるものの、科学的情報が見過ごされているのではないかと強く感じる。人によっては科学的な情報など一般人には無意味だと言うかもしれない。しかし正しい科学的情報が正しい行動へと導くと僕は考えている。

これからはワクチン接種を行っていくと言う段階に入った。そこでワクチンの科学的情報を正しく認識することが重要になってくる。ワクチンの仕組みも知らずに、ただ報道情報に煽られて恐れるのは究極の無知でしかない。とは言っても、ワクチンを接種するかどうかは個人の判断に任される。なのでもしワクチン接種を拒否するにしても、科学的知識に基づいた判断であって欲しいと強く願っている。

コロナが収まったら暴れまくる!

緊急事態宣言が発令して感染者の数は少しは少なくなったが、しかし感染が収まる気配はあまりしない。おそらく緊急事態宣言が解除されればまた増加傾向をたどるだろう。しかし唯一の救いは、ワクチンが急速に実用化され、今年の中頃までには何とか広く行き渡る気配であることだ。ワクチンに関しては否定的な意見があるものの、僕はワクチンの効果は絶大であると考えている。

今、コロナ禍にあって思うように活動ができず鬱々している人は多いだろう。だからと言って今暴れまくってしまえば感染のリスクを増加させることに他ならない。今は我慢の時だ。僕自身も様々な活動を我慢している。しかしだからと言って、何もできない訳ではない。家に引きこもっていてもできることはいろいろある。理論的な研究などは外出しなくてもいくらでもできるし、このコロナ禍を機に新しい活動を始めることもできるだろう。僕自身も今新しいことを始めようと準備している。

ワクチンは多くの人が接種してこそ意味がある。もちろん個人が接種することにもメリットは大きいが、個人が免疫を付けると同時に、国全体が集団免疫を付けることも非常に重要だからである。そしてワクチンが広く行き渡りコロナの危険性が格段に少なくなれば、その時に暴れまくればいいと思っている。その時には僕自身も、研究に、そしてあらゆることに対して暴れまくろうと思っている。

晴耕雨読ならぬ、晴耕コロナ読。今は室内で出来ることをすればよい。もちろん外出せざるを得ない時もあるのでその時は僕も地下鉄に乗って出歩くこともあるが、幸い数理物理の研究は室内で出来る。そしてコロナから解放されたときに暴れまくる準備も徐々に出来つつある。今はその時のために粛々と出来ることをすべき時である。

コロナワクチンに関する僕の私見。

今世の中のコロナ対策は、いかにしてワクチンでコロナを制覇するかと言う段階に入っている。しかし「制覇する」と言う言葉は適切ではないかもしれない。天然痘のようにゼロにすると言うより、新型コロナを季節性インフルエンザレベルにまで危険性を落とすことが主眼に置かれていると思われるからだ。しかしどうにしろ、新型コロナワクチンは医学的にも政治的にも今年最も重要なミッションになることは間違いない。しかし世の中には的確な情報ももちろん沢山あるが、市民の不安を煽るだけの非常に適切でない情報も氾濫している。

ではなぜ医学や生物学の専門家ではない僕がこのような記事を書こうとするのか?確かに医学・生物学の専門家ではないが、そうは言っても普通の市民よりはそれらの知識はかなりある。そして生物学関係の(準)専門的な書物も頻繁に目を通して基礎的知識、そして最新の知識を更新している。さらに今回の新型コロナに対する対策に関しては、生物学・医学的知識だけではなく確率論的思考なども非常に重要になってくる。そのような数学的思考に関しては僕の得意とするところだ。なので僕が新型コロナ及びワクチンに関する記事を書く意義はそれなりにあると考えている。

ワクチンを接種するかどうかと言う判断をするとき、メリットデメリットを天秤にかけることは非常に重要である。そしてそのような事を考える時、自分個人に関するメリットと同時に、家族的レベルから国家的レベルまでの集団的なレベルでのメリットも考える必要がある。個人的レベルで言えば、自分に抗体によって獲得免疫を付けることであり、家族的には自分が感染を防ぐことによって家族にコロナをうつす危険性を下げる事、そして国家的レベルでは集団免疫を付けることだ。

まず個人的レベルで考える時、主題になるのはワクチンの効果と副反応(副作用)であろう。驚くべきことに、医者の中にもでたらめな記事を書いている人が少なくない。なぜこのような医者によるでたらめな記事が出回っているかと言えば、僕が考えるにはおそらくまともな記事よりもでたらめな記事(ワクチンを否定するような記事が中心)の方がセンセーショナルに映り、人々の目を向けられるからだと考えている。なので医者によるでたらめな記事が出回っているほどいい加減な医者はそれほど多くはないと僕は考えている。しかしこのような記事が出回っている限り、我々市民は記事の妥当性を的確に判断しなければならない。

まず新型コロナワクチンの有効性は、日本で中心となるファイザー製が約95%だと言われている。これはプラセボ群(偽薬、つまり生理食塩水を注射した集団)が二十人発症したとしたとき、本物のワクチンを接種した集団は一人発症すると言う事だ。もちろんこれらの人数は割合(確率)を表している。なので単純に危険性が20分の一になると考えてほぼ問題はない。これは非常に大きな効果である。インフルエンザワクチンの有効性が60%~70%ほどだと言われているので、コロナワクチンの有効性の高さがわかるであろう。そしてインフルエンザワクチンが感染したときの重症化を抑えると言う効果があるように、コロナワクチンも重症化を抑える効果があると言われている。

そして副反応(副作用)に関してだが、これに関してもいくつか報告されている。その中で最も大きな副反応として、アナフィラキシー(重いアレルギー反応)は9万人に一人の割合である。これを確率で表すと、0.0011%と言う事になる。そして現時点ではアナフィラキシーを発症した人たちはほぼ全て退院したという報道もある。少なくとも死者は出ていない。

そして多くの人が気になっているのが、ノルウェーでコロナワクチンを接種した高齢者23人が死亡したと言うニュースであろう。この事実にはいくつか解釈がある。大多数の接種が行われれば、その中の何人かは接種するしないに関わらず死亡する人がいることは容易に考えられる。なのでワクチンを接種した時期と死亡した時期が重なったと言うことである。そして次に考えられるのが、持病などで弱っている人が、接種によって負担がかかり死亡したと言う事である。

このワクチン接種による負担は、おそらくワクチンを体に取り入れることによる体内反応によるものと考えられる。ワクチンと言うものは単純に言うと、ワクチンと言う異物を体内に取り組むことによって免疫反応を起こし、体内で抗体を生産することである。なのでこのような反応は絶対に起こるので、多くの人が発熱や倦怠感が一時的に出て来ることになる。しかしこれは多くの人にとって、抗体がしっかりと生成されて免疫が確実に付けられている証だとも言える。

そして無視できないのが、長期的に見た場合の副作用である。しかしこればかりは短期間では何とも判断できないのでイエスともノーとも言えない。しかしこれを例えて言うと、新しい薬が出た時にも同じことが言える。新しい薬の長期的な副作用は不明である。しかし普段は人々はそのような事はほとんど気にしない。なので薬の場合は気にしないでワクチンに関しては過剰に反応すると言うのはある意味思考的にはおかしな話だと思う。

最後に国家的レベルでの話だが、なぜ集団免疫が重要なのか?まずは集団免疫とは何かと言う事を簡単に説明すると、国民(世界市民?)の何十%が免疫を付けたかと言うことだ。これが一定の割合を超えると、国全体での感染者数が確実に減少傾向になる。そして時間が経つと感染者が(ほとんど)いなくなるということだ。しかしもちろんこのためには一定数以上の市民のワクチン接種が必要になる。なのでワクチンの副反応に過剰に拒否反応を示し接種する人が少なくなると集団免疫を付けることができない。そういう意味で、一人一人がワクチンのメリットデメリットを的確に判断して接種すると言う事が非常に重要なのである。すなわち一人ひとりがワクチン接種することは、国民の集団免疫獲得に貢献することでもあると言える。

ここまで様々な観点からワクチンに関するメリットデメリットを書いてきた。この記事を参考にワクチン接種をするかどうかの判断をしてもらえれば幸いである。ちなみに僕はワクチン接種が可能になると、即接種しようと考えている。とにかくコロナ禍が少しでも早く終息することを強く願っている。

石破さんに挽回を望む。

少し前、石破茂さんのフグ会席が問題になった。これに関しては、石破茂支持者である僕にとっても非常に残念な思いをしたし、かなり失望もした。もちろんこの一件だけで石破茂支持を止めようとは思わないが、石破さんに対してはこの一件の失態を取り返すべく、さらに国の向上・安全に取り組んで行ってもらいたいと強く思っている。

確かに人間誰しも失敗することはある。なので石破さんの一件の失敗は仕方がないと思っている。しかしこの世の中、この情勢の中、このような会席を平気で行ってしまうとは、気の緩みが半端ないと思っている。たかが一件、されど一件と言う事で、この一件の失態は非常に重い意味を持っていると僕は考えている。何しろ一般市民との認識のずれが酷すぎる。多くの国民が苦しんでわずかなお金もない人も多い中、会席で一人4万円のフグ料理は市民と感覚がずれまくっている。金銭感覚のずれと言えば麻生太郎氏が有名だが、僕の支持している石破さんの感覚もこうなのかと考えると、本当に悲しい気分になる。

この一件に関しては本当に非常に失望したが、しかし責任を取るとかそういう形ではなく、日本のために積極的に動いてこのコロナ禍を乗り切り、以前よりもさらに良い国にしてもらいたいものである。そうすることによって、「あの時は失態してしまったが、やはり石破さんを支持し続けて正しかった」と思わせてほしいものである。

石破茂さん、僕はまだあなたを見放してはいない。あなたなら必ず国を良い方向に導いてくれると信じている。しかしもしもう一度同じような失態をしてしまえば、国民はあなたを見放してしまうはずだ。だからこそまずは政局において苦しい立場を乗り切って首相になって欲しい。そして首相として思う存分あなたの理想とする国づくりに励んでもらいたいと強く願っている。

ウイルスについて知りたい!

現在新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、それに的確に対処するにはまずは敵の事を良く知らなければならない。敵の事を知らずにあれこれと考えても、敵を軽く見過ぎたり、あるいは過度に恐れすぎたりすることになる。なので今生きている人間にとって、新型コロナウイルスの事を熟知することは非常に重要である。

現在、新型コロナウイルスについての文献はかなり増えている。初歩的な文献から専門的な文献、さらには専門論文まで様々なものが出版されている。確かに専門論文を読めればいいが、しかし初歩的な文献であっても読まないよりかは余程マシだ。僕も最近、コロナウイルスに関する文献を読み始めている。正確に言うと、新型コロナ(COVID-19)に限ったことではなく、一般のウイルスに関する知識を重点的に取り入れている。ウイルス一般の知識は新型コロナにも応用できるし、また逆に新型コロナの知識をもしかしたら将来出現するかもしれない未知のウイルスに応用することも可能であろう。僕もウイルスの基礎知識を身に付けた後は、専門的な論文まで目を通そうと思っている。

現在の医学における重要なテーマは何か?今現在に限って言えばもちろん新型コロナであろうが、長い目で見ればガン、そしてHIV(エイズウイルス)であろう。ガンに関しては人類が始まるずっと以前から存在する病であり、これまでもガンの制覇は近いと何度も言われながら、制覇には程遠い状況である。ガンは一見単純に思えるが、実はとてつもなく複雑かつ難解な対象なのである。

そしてもう一つ、HIVに関しては、これまでワクチン完成が近いと言われながらもこれまた制覇には程遠い状況である。コロナワクチンは実質一年程で実用化されたにも関わらず、HIVワクチンはかれこれ30年以上も未完成である。HIVの仕組みも非常に複雑であり、その研究は難解かつ挑戦的であろう。僕はHIVワクチンの完成はそう遠くはないのではと思っているが、もしかしたら永久に完成できない可能性もゼロではない。

現在の新型コロナは数年のスパンで見れば(人々が抗体を持つなどして)弱毒化して必ず制覇されるとは思うが、僕の考える医学の二大テーマ、ガン、HIVに対する挑戦はこれからもしばらくは続くだろう。しかし人間の英知はこれまで様々な困難を切り抜けて来た。その代表が天然痘ウイルスの撲滅と言う大事業であろう。そしてガンもHIVも天然痘のように撲滅される時がいつかは来るだろうと僕は考えている。しかしそれが数年後なのか、それともさらに遠い将来なのかはまだ分からない。それらの制覇に挑む医学者の英知に大いに期待している。

紙の本と電子書籍のハイブリッド。

最近、書籍の電子化が急速に進んでいる。小学生の教科書までも電子書籍にすると言う話もされているようだ。このように紙の本を電子書籍に置き換えることによるメリットは大きい。まず一番に、重い教科書をカバンに詰め込んで通学しなくて良いと言う体への負担の軽減がある。これに関しては僕も大賛成だ。僕が小学生・中学生時代は、学校に教科書を置いて帰っただけで怒る教師も少なくなかった。そのような事を考えると、iPad一枚だけ持ち運べればよいと言う事は非常に大きなメリットである。そして学校だけでなく、休日に出かける時にiPadを持ち運び、車や電車の中で勉強できると言うメリットもある。

しかし電子書籍にすることによるデメリットも大きいと僕は考えている。実は紙の本で勉強や研究をしていると、紙の本を使うことによるメリットが巨大であることに気が付く。僕自身もiPadに電子書籍を詰め込んで研究を行おうと思ったことがあるが、結局紙の良さに気づいて、電子書籍と紙の本の両方があるときは間違いなく紙の本を選ぶことになった。紙の本の良さは実際に紙と電子書籍の両方を使い比べなければ実感できないかもしれない。なので非常に分かりにくい部分ではあるが、紙の本を本棚に並べているだけでも効果は絶大である。本棚に並べてある本を眺めるだけで様々なアイデアや構想が思い浮かぶ。本のタイトル、そして時には本の質感から感じ取って発想が生まれることも少なくないのである。そして本棚にある何十冊の本を視界に入れることによって、それらが有機的に繋がることも少なくないのである。もちろん、紙の本をペラペラとめくって見れることによる視認性の大きさも絶大だ。さらに紙の本だと、目的外の知識も視野に入り取り入れることができると言う事も絶大なメリットだ。

しかしもちろんiPad一枚で全てを持ち運べることは大きなメリットである。なので出かける時などはiPadで電子書籍を読むことは非常に有効である。このように、紙とiPadを使い分けるハイブリッド形式が良いのではと強く感じている。そしてこれはメリットにもデメリットにもなるのだが、iPadであればすぐにネット検索ができると言う事がある。ネット検索によって知りたいことをすぐに調べられると言う事は大きなメリットであるが、すぐにネットに頼ってしまう癖がつくとデメリットになりかねない。ネットに頼りすぎて、自分の頭で考えると言う習慣がつかなくなる危険性があるからだ。なので小学生などには極力ネットに頼ることを止めさせた方が良い。自分の頭で考える習慣がついた大学生などにネットを積極活用させるのが良いと考えている。

ここからは僕の提案であるが、現在は紙の本と電子書籍の両方を手に入れようと思えば二冊分のお金がいる、しかしこれからは、紙の本を買うと電子書籍を無料ダウンロードできる権利を与えた方が良いと僕は考えている。特に分厚い学術書などはその効果は計り知れない。確かに著作権の問題だとかはあるとは思うが、長期的に考えると社会的メリットは非常に大きい。国の発展にとってもメリットは大きいので、国の政策としてもそのような事を支援していくことは非常に有効だと考えている。しかし現実はこれとは真逆の事が起こっている。結果、意欲的な学生や研究者が危ない橋を渡らざるを得なくなり、国が学問を見捨てることにもつながってくる。このような国家に未来があるか?と問われれば、間違いなく否定的な答えが返って来るであろう。

国内ワクチン開発の進捗状況。

今世界で一番重要なプロジェクトは、間違いなくコロナワクチン開発であろう。世界的にはファイザーなどのいくつかのワクチン開発が有名で、そのうちいくつかは海外でワクチン接種が既に始まっているが、実は日本国内でもワクチン開発は着々と行われている。実際、厚生労働省のホームページを見ると、国内での五つのグループのワクチン開発が表になって記述されている。国内の製薬会社、そして研究所が協力して開発が進められているようだ。

しかし国内でのワクチン開発は、日本国内でもほとんど話題にならない。その理由は、厚生労働省のホームページを見る限りでは、まず一つ目として進捗状況が海外グループに比べかなり遅れているからだと考えられる。厚労省のホームページを見る限りでは、およそ半年、あるいはそれ以上の遅れがあると考えられる。今の時期の半年はかなり大きい。国内ワクチン開発は、やっと臨床治験に入ったかどうかと言うところだ。

そしてもう一つは規模の問題だ。国内ワクチンはまだ製造に関しては見る限りあまり明らかになっていないが、海外ワクチンは年内だけでも億単位の生産が見込まれている。しかしこれからどのような事態が起こるかは明確でなく、状況によっては色々と変化することも考えられる。

日本国内でも話題は海外ワクチン一辺倒であるが、では国内開発ワクチンはあまり意味はないのかと言うと決してそうではない。確かに2021年度前半に限って見ればほとんど海外ワクチンの独壇場であるが、ワクチンは一度打って終わりではない。一度接種したワクチンの効果がどれだけ持続するかはまだはっきりとはわからず、ワクチン効果の持続期間によっては毎年接種する必要に迫られるかもしれない。そうなれば来年、再来年を見越して国内ワクチンを開発する意義は大いにある。

そしてもう一つは変異種である。海外ではコロナウイルスの変異種がいくつか発見されており、その変異種の性質によっては既存のワクチンが効かない可能性も考えられる。そのような事態がこれから発生した時、国内グループによって機敏に対応できることは大きなメリットである。なので長い目で見ると、ワクチンの国内開発は大きな意義があると考えられる。

今年も中盤に入ったころには、日本国内でもワクチン接種が本格化して来る。その時に自分が接種するかどうかはしっかりと考えて判断しなければならない。もちろん接種しない自由もあるかもしれないが、メリットデメリットを冷静に判断すれば、僕自身は絶対に接種した方がメリットが大きいと考えている。そしてワクチン接種は自分だけの問題ではない。自分が接種することによって他人に広げる可能性を格段に下げることができるし、さらには集団免疫形成にも貢献できる。

しかし最近、一つの問題が提示されている。それはワクチンによって集団免疫を形成しても、ワクチン接種による抗体が効かない変異種が出てそれが広がる可能性があることである。その場合、集団免疫で既存種が抑え込まれた場合、逆に変異種の拡散を後押ししてしまう可能性がある。しかし先ほども言ったように、このような変異種にも対応できる体制を整えるためにも、国内ワクチン開発体制を確立することが重要になる。今年度前半は海外ワクチンに頼らざるを得ないが、将来の事を見越しても国内ワクチン開発に大きな期待を寄せている。

「~だと思います」と「~だと考えている」の違い。

ある記事で、菅氏が会見で語尾に「~だと思います」と付けまくっていることを問題視していた。それは僕も大いに共感する。僕自身はこのブログでもそうだが、極力「思います」と言う言葉を使うのを避け、そのかわりに「考えている」と言う言葉を使うようにしている。ではなぜ「思います」で締めくくることが問題なのか?

僕が一番思うのは、「思います」と言う言葉には意志が全く感じられないことである。「思ってはいるけど本当はどうかは分かりませんよ」と言う逃げの姿勢であり、責任感が全く感じられない。国のトップである首相にとって、意志をはっきりと国民に伝えることは非常に重要である。そのようなトップの強い意志を国民が感じ取ってこそ、この人に国の舵取りを任せようと支持できるのである。それに対して「考えている」と言う言葉は、「自分の頭で考えたことなので、責任も自分にある」ということであり、強い意志がこもっている。

そして二つ目は、「考えている」と言えば、「考えた結果次にどう動こうか」と言う次へのアクションが生まれる。そしてそのアクションによってさらに次のアクションが生まれる。というように、未来を積極的に切り開いて行くことができるのである。しかし「思います」と言ってしまえば思っているだけで、それで終わってしまう。自分は思っているけどどうなっても仕方がない、と言う意味合いである。

このような語尾の言葉一つとっても、その人の意志や覚悟が強く読み取ることができる。いま国民からの支持率がじり貧に陥っているのはそういうところから来ているのだと思う。もちろん原因はそれだけでない。しかしこのような無責任な言葉の語尾と不実行な姿勢は完全に一致しているのではないか。おそらく菅氏が言葉の語尾の問題に気が付いたとしても、そう簡単には修正できないと思う。それは意志が言葉について行かないからだ。そして語尾を直すと言う事は、自分の責任を増大させることでもあるからだ。果たして菅氏はそのような意志を持って変革できるであろうか?

自由は健康あってのもの。

今コロナ禍にあって、自由を取るか?コロナ対策を取るか?と言う選択の間で世界が揺れている。特に欧米では自由に対する意識が非常に強いので、外出の自由やマスクをしない自由を声高に叫んで自由を死守する動きが目立っている。日本においてはほとんどの人がマスクをしているものの、飲食などを巡って様々なところで対立が起きている。

自由と言うものは非常に重要である。自由から様々な独創的なものが生まれ、また自由に行動移動をすることにより観光や様々な活動が可能になる。しかしそれらの前提として、健康だから出来ると言う事があるのではないだろうか?健康だからこそ様々なところに移動出来るのであり、また健康だからこそ取り組める物事も少なくない。例えば病院に入院している身では、県外に旅行することもできない。

平時であれば徹底的に自由にこだわるのも良い。しかし今は完全なる非常時である。誰もがコロナに感染する危険性がある。なのでそのような可能性を極限まで下げる必要がある。そして皆がコロナ感染の危険性を避けるため、ある程度(あるいはかなりの?)自由が一時的に束縛されるのも受け入れるべきではないだろうか?コロナを全く気にせずに行動飲食をすることが自由だと思っている人も少なくない。しかしそれはあくまで平時に限ったことである。例えば自由に飲食行動をすることによって自分が、あるいは皆がコロナに感染してしまえば、それによって極度に自由が制限されるのである。なので皆が自由を享受するためにも、今は一人一人が我慢することが必要なのではないだろうか?今少し自由を制限することが、長い目で見れば大きな自由につながるのである。

自分が健康であることによって大きな自由を享受することができ、他人をコロナから守ることによって皆が自由を享受できるのである。今短期的な自由にこだわるのではなく、長期的な大きな自由を獲得するためにも、様々な物事を大局的に捉え判断する事が必要なのではないだろうか?

ワクチンで世の中は変わるのか?

僕の結論から言うと、「圧倒的に変わる」と言う事だ。しかしそれには条件がある。国民のほとんどがワクチンを接種することだ。

その根拠を述べよう。まずワクチンを接種する目的は何か?それは大きく二つある。一つ目は、個人がワクチン接種することによって免疫ができ、コロナに感染する確率を大幅に低減できることだ。そして二つ目は、多くの国民がワクチン接種することによって集団免疫を獲得することだ。そこで重要になるのが、ワクチンの有効性はどのくらいなのか?そしてどれだけ多くの国民が接種するのか?と言う事だ。ファイザー製などのコロナワクチンの有効性は極めて高い。具体的に言うと、90%超にもなる。これがどれだけ高い数字かと言う事をインフルエンザワクチンと比較すると、インフルエンザワクチンの有効性は60%~70%と言われている。なのでインフルエンザワクチンを接種してもインフルエンザに感染する人は結構出て来る。しかしコロナワクチンのように90%を超えると、数値的にはほぼ感染しないと言ってよいレベルだ。しかしもちろん100%ではないので絶対感染しないとは言えないが、ワクチン接種による感染防止効果はかなり高いと考えられる。

しかし一人がワクチン接種しても、社会的効果は発揮できない。より多くの人が接種することにより集団免疫を獲得することができ、感染者数を減少することができる。その増減の分かれ目のラインが何%なのかはまだはっきりしないが、90%を超える人がワクチン接種すれば確実に集団免疫を獲得することができる。国民の内90%以上の人が、有効性90%を超えるワクチンを接種すれば、効果は絶大であることは間違いない。

しかし現在、ワクチン接種に前向きな人は6割から7割と言われている。これでは集団免疫獲得によってコロナを制圧するための効果は激減する。なのでこれからの課題は、いかに多くの人にワクチン接種をしてもらえるかにかかっている。

おそらく最大の懸念は、ワクチンの副作用であろう。しかしここでメリットとデメリットを天秤にかけなければならない。僕自身の考えではメリットの方が圧倒的に大きいと考えているので、接種可能になれば即座に接種を受けに行こうと思っている。しかしワクチンの副作用を考える時に難しいのは、普通の薬は基本的に病人に投与するのに対して、ワクチンは基本的に健康な人に打つ事である。なので仮に副作用が現れると、打たなければ健康なままだったのにとなってしまう。

ここで重要になってくるのは、マスコミの報道である。仮にワクチン後に死亡したとしたとき、それを何の検証もせずにワクチン接種後に死亡したと安易に報道してしまえば、ワクチン忌避が起き集団免疫獲得が出来なくなってしまう。膨大な数の接種が行われれば、偶然その後に(副作用ではなく)他の病気などで死ぬ人が出て来るのは当然考えられる。なのでその死者が、あるいは副作用と思われるものが出た時は、それは本当にワクチンの副作用なのかと言う事を慎重に検証しなければならない。

今年前半の政府の最大の仕事は、いかに多くの人にワクチン接種をしてもらって国民に集団免疫を付けられるかと言う事である。しかし何も積極的施策を行わなければ、前述したように7割弱に終わる可能性がある。なのでGoToなどにお金をばらまくのではなく、いかに積極的にワクチンを受けてもらえるかと言う事にお金をかけるべきである。例えば接種を受けてくれた人には集団免疫獲得に力になってくれたお礼として1万円給付するのも良いと思う。もし一早く集団免疫獲得に成功すれば、経済的にもそれ以上のメリットはあるであろう。そしてその結果、必ず世の中は大きく良くなると僕は強く思っている。