社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

過ちを犯した者は100%悪なのか?悪のあら探しをする社会とメディア。

犯罪報道などを見て毎回思うのだが、犯罪者と思われる人が明らかになった途端、その被疑者(つまりまだ犯罪者だとは確定していない)が悪の塊のような扱いをされ、犯罪とは全く関係のないことまで全て悪であるかのような報道がされることに、非常に違和感を覚える。犯罪者が明らかになったとたん、メディア・社会は犯罪者のあら探しを始めるのだ。

殺人罪で死刑判決を受け、後に冤罪であることが明らかになり解放された袴田巌さんも、逮捕された当初、犯罪とは全く関係のない個人の趣味にまで悪であるかのような好奇な目を向けられたという。

芸能人でも、一つの過ちを犯したタレントが、過ちが発覚した途端、周りの芸能人が一斉にその芸能人のあることないことを好き勝手に暴露し始める。過ちが発覚した途端、急に豹変する周りの人たちに、僕は卑劣な印象を抱く。

悪のあら探しを望む人たちも多いのかもしれないが、僕はそのようなことを見る度に、もういい加減にしてくれと思う。

藤井さん28連勝の陰で、一二三さんが現役引退。

21日、将棋の藤井四段が歴代一位タイの28連勝を記録した。そしてその前日の20日、棋士最年長の77歳の加藤一二三九段が最後の負けを喫し、現役を引退した。藤井・加藤、両人とも、同じく14歳でプロデビューしている。

話しは変わるが、僕は組織階級の仕組みを知るのが好きだ。自衛隊・警察組織など、序列がはっきりしており、昇級には明確な基準がある。そしてキャリア・ノンキャリアなどの昇級システムの圧倒的な違いなどは、部外者から見る分にはなかなか面白い。

組織階級とは少し違うが、将棋も明確な序列がある。プロ棋士のスタートである四段から始まって、序列の頂点である名人位まで、そして最高のタイトルと言われている竜王まで、そのシステムは見ているだけでなかなか面白い。

名人位はC級2組からスタートして頂点のA組まで毎年昇段していっても5年かかる。これらのシステムがなかなか面白い。

藤井さんはどこまで勝ち続けるのか、棋士組織の仕組みと見比べながら結果を見るのも面白い。

最近の安倍政権のおごり高ぶりは、安倍氏支持の僕からしても見るに堪えない。

最近の安倍政権のおごり高ぶりは、自民支持者にとっても見るに堪えないものになっている。

加計学園問題の内部調査の目的は、内部告発者探しとなっているとも言われ、法案はことごとく強行採決という状況だ。強行採決が通るのは数の論理である国会では当然とも言えるが、その責任は選挙で投票した国民にもある。

確かにこれまで日本国は安倍首相・安倍政権に何度となく救われた。特に対韓・対中関係ではむしろ、強権安倍政権によって国益の損失を最小限に抑えられたと僕は思っている。しかし最近の安倍政権周辺、そして安倍首相の答弁を見ていると、そろそろ安倍政権の終焉が近づいていると感じられてならない。

そこで問題になるのは、安倍氏に代わる政治家は存在するのか、という問題だ。この問題に対して、僕は石破茂氏に期待している。

僕は何度もこのブログでも書いているが、石破かぶれだ。石破茂氏には一国民として絶大な信頼を置いている。(僕と石破氏の間で利害関係はもちろん全くないし、接点もない。)しかし、現在の石破氏の状況は孤立している。石破派はわずか19人だ。現状では総理・総裁選には全く太刀打ちできない。辛抱の時だ。

しかし、石破茂氏は総理の器を持つ、現在最も総理にふさわしい人物だと思っている。石破氏の良いところは、何事にも慎重に物事を進めるところだと言える。慎重に物事の本質を見極めようとする。そして防衛に関しては、非常に考えが深い。これは東アジアの軍事状況が不安定な現在では、非常に重要なことである。

ここで断わっておくが、僕は絶対に自民党でなければダメだとは思っていない。民進党でも前原誠司氏(元外務大臣)のような将来有望な中堅政治家も存在する。あるいはたくさんいる若手の中には、器の大きい政治家が埋もれているかもしれない。石破氏には頑張ってもらいたいが、政党にこだわらずニューフェイスの若手政治家の活躍にはさらに期待したいところである。

章男TOYOTAが面白い。

今、豊田章男社長率いるトヨタが面白い。

あくまでも外から見た素人の主観でしかないが、豊田章男氏が社長に就任してから、トヨタは大きく変わったと感じている。もちろん、純利益が2兆円にまで大きくなったと言うことなど、ビジネス的に大成功しているということもあるが、そんなビジネスがどうのこうのという問題ではなく”面白い”のである。

章男氏が社長になった当時、僕はどうせトヨタの御曹司が社長になって、良くない方向になっていくのではないかとたかをくくっていた。ところが章男氏が社長になって3年ほど経つと、会社はビジネス的にも上手くいっているようであり、それより何よりも面白くなってきたのである。

「面白い商品を出す、面白い会社、面白いことにも挑戦している」

僕自身、トヨタの車と縁があるとは言えないが、はたから見ていても今のトヨタ・レクサスの車は非常に魅力ある。車はエンジンだ、質感だとは言っても、第一印象のデザインがよくなければ興味が湧かない。そのデザインを見ても、今のトヨタ・レクサスは非常にかっこよく、大人っぽい。もちろん機械的な質に関しては言うまでもない(と思う)。

最近では、レクサスがボートを製品化するとニュースが出た。ラグジュアリーボートである。おそらく値段は億するであろう。無茶な気もするが、今のレクサスならあり得るような気もする。

今のトヨタを一言で表すなら「無難な車から、面白い製品へ」ということになるのかもしれない。

自動車評論に対する先入観?

僕は本屋さんでの立ち読みがほぼ毎日の日課になっている。ジャンルはファッションから時計・自動車・釣りなどのアウトドア関連の雑誌など様々だが、立ち読みではできるだけ、科学などの僕の専門分野の本は読まないようにしている。

その中で自動車に関する雑誌を立ち読みしていていつも気になるのだが、ほとんどの自動車評論家は、ドイツ車、特にメルセデスベンツ・BMW・アウディ(VWを含む)を絶賛していて、それに対して日本車は詰めが甘いと批判する人が多い。というより、もうそれが自動車評論のお決まりパターン化している。

僕自身、そんなドイツ車に乗っているわけでもなく、自動車評論をできる立場でもなんでもないが、そのような自動車評論家の評論の根底には、ドイツ車(ヨーロッパ車)がありき、それに対して日本車はどこまで近づけているか、という視点で評論されているようでならない。もちろんドイツ車が最終地点にセットアップされているならば、日本車は確実にその下に位置することになる。実際ドイツ車の方が良いのかもしれないが。

しかし、評論の視点は多面的でなければならない。質感以外にも燃費・安定性・故障の少なさなど、探せばいろいろな視点が見つかる。しかしほとんどの評論家は同じような視点で、同じようなコメントをマニアックな用語で述べている。そもそも皆同じことを言うならば、何人も自動車評論家はいらないと思うのだが。それとも御用評論家なのか?

この様な状態なので、最近は自動車雑誌を見ても、写真を眺めてうっとりすることはあっても、評論を読む気にはなれない。どうせいつも通りマニアックな言葉を使ってマンネリ化した評論に終始しているのだろうと。

これらの僕の見解は間違っているかもしれない。いや、自動車雑誌ファンからすれば「お前は何もわかっていない」と言われるのはわかっている。しかし自動車評論家の評論に”多面性”という視点が欠けていることは確実だと思う。

金曜の夜、街の中国人パワーに圧倒させられる。

26日金曜日、大阪に用事があって、夜に難波をぶらついた。最近何度か難波に行くことがあったが、毎回感じるのが来日中国人の圧倒的パワーだ。中国人の爆買いが一時期話題になり最近は下火になったと言われるが、そんな現在でもまだまだ健在であるように感じた。

客が中国人なら、店員も中国人だ。ブレスケアを買おうとドラッグストアに行って店員に尋ねると、対応する店員までもがほとんど中国人なのだ。戎橋筋・心斎橋筋は中国人でごった返している。店の看板にはどこも中国語表記であふれている。

普段は神戸三宮で事を済ますことが多いが、神戸と大阪では国際度が桁違いに違う。難波を行きかう中国人が皆非常に活発的に見えたのは気のせいか、それともそれが今の中国の勢いか。

中国人の爆買いで難波は潤っているように見えたが、果たしてこれがいつまで続くのか。中国人パワーに圧倒された、難波での金曜の夜であった。

信頼できる政治家がまた一人亡くなった。与謝野馨氏。

また信頼するに値する一人の政治家が亡くなった。与謝野馨氏、78歳であった。

与謝野馨氏は物静かという印象が大きいが、政策通として名が通っており、日本の政界にとって非常に貴重な人材であった。

これまで、財務大臣、内閣官房長官などの要職を歴任し、政界では非常に大きな存在であった。また物静かな印象のある一方、冷静で的確な判断を下す信頼できる政治家の一人だという評価もあったと思う。

また与謝野馨氏と言えば、著名な歌人・与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫であるということでも非常に有名であった。

現在の政界を見ていても、与党・野党双方とも、一方的なごり押しで事を進めたり、またノリで批判したりといった好ましくない状況が散見されるが、そのような時代だからこそ与謝野氏のような冷静に判断できる政治家の必要性は非常に高くなっていると思う。与謝野氏の死去は本当に惜しい。

与謝野馨氏のご冥福を祈ります。

民進党・蓮舫代表、政策が全く見えてこない。

民進党の蓮舫代表が、日々口から火を噴いている。国会では毎日のように答弁している印象を受けるが、蓮舫氏に同調する気になれない。なぜか?

それは、蓮舫氏が次から次へと討論し攻撃している内容が、相手政治家の足をすくうこと、失態を追及することばかりで、政策関連の事が(実際はやっているのだろうが)全く見えてこないからだ。

もちろん、現政権与党の政治家の落ち度を正すことは、野党議員の重要な仕事だ。しかし、そればかりでは政治家とは言えない。”政治”を中心に政策を議論することが、政治家の一番重要な仕事であることは間違いない。

蓮舫氏は、政治家としての優先順位を全く勘違いしているとしか思えない。この様な状態だと、支持率一桁状態から抜け出す機運にはならないであろう。

愛媛・今治殺人事件で参考人自殺。報道の論調がおかしい。

愛媛県今治市で起こった母子殺傷事件で、参考人として”任意”で事情聴取されていた、30代の女性が自殺した。そのことに関するテレビニュースなどの報道の論調があまりにもおかしい。

女性が自殺したことに関して、「警察はなぜ見張りをできなかったのか」とか、「女性警察官を付き添うべきだった」と言うような論調が繰り広げられている。

それに対して警察は、「それをすると、捜査の任意性が保てなくなる」というコメントをしている。

このやりとりに関して、僕は警察のコメントの方が真っ当であり、報道があまりにもおかし過ぎると考えている。

警察が言うように、捜査はあくまでも”任意”であり、自殺した女性が犯罪者だと確定したわけでもなんでもない。任意事情聴取である限り、任意性を保つことは絶対的に必要であり、聴取時点で女性の身の自由は保障されている。

日本では特に、”容疑者”=犯人、とみなす風潮が強いが、容疑者はあくまでも容疑であって、犯人と断定されているわけではない。ましてや、今回の女性は容疑者でさえもなく、社会的報道があたかも”犯人”とみなしているようなことは明らかにおかしすぎる。罪を確定させるのは裁判所であり、報道マスメディアでは断じてない。

震災復興大臣に見る、政治家の資質。

今村雅弘・震災復興大臣の辞任を受け、吉野正芳・新大臣の就任が26日決定した。

今月に入って、今村前大臣の失言が相次いだ。政治家の失言は珍しいものではない。しかし今村氏の二度の失言は復興大臣としての資質と直接かかわる部分であり、今村氏が復興大臣としての資質を全く持ち合わせていないことを証明するものであった。今村氏を任命した安倍総理は、何年も今村氏を見続けたはずだ。にもかかわらず、今村氏の資質を見抜けず、今村氏を任命したことは、安倍氏の任命責任が大きく問われる。

26日の深夜のニュース番組に、自民党の石破茂氏が出演していた。そこで、問題の発言の部分だけ切り取って報道するのはいかがなものかという話題が出たが、石破氏は「政治家は言葉を切り取られるという前提で発言しなければならない」という趣旨のことを発言された。それはもっともなことである。なぜなら、政治家の発言一つが国を動かす力があり、政治家の一言が国を良くも悪くもする。従って、政治家は自らの発言には慎重に慎重を期すべきだ。メディアに対して「その部分だけを切り取って」と不満を言う時点で、政治家としての資質がないと言える。

そして復興大臣に関してだが、震災復興大臣にはやはり被災地域からの選出議員がふさわしいのではないかと思う。佐賀出身の今村氏にはなかなか被災者の現状が感じられなかったのではないか(もちろん佐賀出身だからというより、今村氏自身の資質の問題ではあるが)。吉野・新大臣は福島出身(選出)、被災地出身者が震災復興大臣に任命されたことは非常に歓迎されることである。

吉野・新震災復興大臣の被災地・被災者のための政策実行を期待しよう。