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物事の本質が全く見えていない、米共和党大統領候補トランプ氏

12月5日、ロンドンの地下鉄でISに同調する者による襲撃事件が起きた。襲撃者は「シリアと同胞のためだ」と叫んだが、被害者の通行人(この方はイスラム教徒ではない)は「お前のようなやつはムスリム(イスラム教徒)ではない」と言い放ったという。この被害者の通行人の言葉は、非常に本質を突いた言葉である。英キャメロン首相も、これは的を得た言葉だと非常に称賛している。

それに対して対照的なのが、アメリカの共和党大統領候補のトランプ氏だ。彼は最近のIS関連のテロを受けて、「アメリカからイスラム教徒を排除する」という趣旨の発言をしている。あまりにも短絡すぎる発言で、これが大統領候補の発言かと空いた口がふさがらない。しかしこのようなトランプ氏の単純で刺激的な言葉はアメリカ国民には受けが良いようで、トランプ氏は支持率を上げている。

もちろん、イスラム教徒を排除したところで、何の本質的な解決にもならない。こんなことをしたところで、ISを刺激し同調者を増やすだけで、困難を拡大するだけだ。トランプ氏には物事の本質というものが全く見えていない。もしこんな人物が米大統領になれば、アメリカの、いや世界の恥だ。

トランプ氏は実業家としては有能なのかもしれない。しかし政治家としての資質は全くなく無能だと言わざる負えない。ただ、刺激的な言葉を発して国民から注目を浴びる事だけは上手いのかもしれない。もし万が一、こんな人物がアメリカの大統領になったらと思うとぞっとする。アメリカ国民の賢い選択に期待しよう。

補正予算に3兆円超。その使い道に憤りを覚える

補正予算に3兆円超のお金が繰り込まれるという。しかしこの金額はともかく、その使い道に非常に憤りを覚える。使い道の何に対して憤りを覚えるか。

この補正予算を受けて、65歳以上の低所得者高齢者に対して3万円の給付金を与えるという。言い方を変えれば典型的なばらまきだ。高齢者政策に対して使うにしても、例えば老人ホームの充実化をはかる、障がい者政策につぎ込むなど、持続的な計画に対して補助を出すとかなら非常に納得できる。なぜならそれは後々国家の財産になるからだ。しかし一時的に三万円を給付するなどは、本当に一時的な目先の小遣いみたいなものでわずかなメリットもない。政府自民党が高齢者から興味を少しひくくらいでしかない。

それから65歳以上の高齢者限定であるが、若者でも中年でも低所得者は等しく厳しい。政府自民党は高齢者に優しい政策をしているつもりであろうが、3万円のばらまきなど循環的な効果は期待できないし、生活に厳しい若者・中年を見捨てるような政策である。

そしてこの高齢者限定の政策は、若者が選挙に行かないという理由があるにしろ、若者の間で循環的な政治不信を招くものである。このような政策を実行するようでは、少子高齢化の解決など全く期待できない。政府自民党のしていることは自己矛盾に陥っているのである。

安倍首相は国際関係に関して非常に大きな仕事を成し遂げているとは(僕個人的には)思うが、肝心な国内の足元がおろそかになっているのではないか。こんなことをしていると本当に足元をすくわれるかも知れない。

インドでの高速鉄道計画、日本の新幹線方式が正式決定。安倍首相のインド訪問で

インドでの高速鉄道計画に、日本の新幹線方式が採用される見通しだ。12日の安倍首相とインド・モディ首相との会談で正式決定する。日本の新幹線輸出は、台湾に続いて二例目になる。インドネシアでの高速鉄道受注では中国に敗れたが、何とか盛り返した形だ。

日本の新幹線の技術・システムは非常にハイスペックだ。しかしインドネシアの受注競争ではそのハイスペックさがアダになった。インドネシアにすれば、過剰な安全システム、過剰な走行速度よりも、それなりのものを非常に安くで作ってくれる方がありがたいのだ。全てのことにおいて過剰なスペックを求める、特に安全面に関しては完璧さを求める日本人には理解しづらいかもしれない。しかしインドネシアの国内事情を考えると、インドネシアの選択は当然ともいえる。これは何も金銭面だけのことではない。治安面でも不安を抱えるインドネシアで、大金を投じて異常な安全面を誇る新幹線を投入する意義がどこにあるのだろうか。新幹線に投じるような大金があれば、治安向上にそのお金を投資したほうがより安全な国家が作れる。新幹線に大金を投じても、安全なのは新幹線の車内だけで、新幹線車両から一歩出ると治安が失われるということになりかねない。

しかし今回、インドは日本の新幹線を選んでくれた。日本人にとっては非常に喜ばしいことだ。新幹線を通じて安全面を求める姿勢を打ち出せば、新幹線の車内から出ても治安が良い国家になるという社会を作る、そんな一歩になるはずだ。日本にとっても、新幹線を採用してくれたインドに対し、あらゆる面に対して支援する方向に向かうだろう。

いま、世界で高速鉄道計画ブームが起こっている。日本のライバルはフランス・ドイツ・中国だ。スペックだけ見れば日本は断トツである。しかしインドネシアの件でもわかったように、高速鉄道計画には国内情勢・政治事情が複雑に絡んでくる。そして日本もそれに対処しようと首相をトップとするオールジャパン体制を築いている。これからの世界での受注争いで健闘することを期待する。

日本と韓国の事件報道を比較する

先日、靖国神社での爆破事件の犯人が捕まった。正確には犯人ではなくて「容疑者」と言わなければならないかもしれない。容疑者は韓国人だ。容疑者は事件後、即韓国へ出国したが、数日たってなぜかまた日本に入国してきた。もちろん即逮捕である。

今問題になっているのは、容疑者の報道手法である。日本では容疑者といえども実名で顔写真入りで報道され、民衆に情報をさらされる。しかし韓国ではまだ「容疑者」段階の人間の実名と顔写真が流されることは、一部の例外を含めてありえないという。そのことに関連して、韓国メディアは日本メディアが韓国人容疑者を実名写真入りで報道したことを批判している。

ここは日本である。日本で起こった事件について報道するとき、日本の手法に沿って報道するのは当たり前である。韓国が横やりを入れるようなことではない。

しかしこれをきっかけに今一度考えてみるのも一考ではないかと思う。容疑者はあくまで容疑者、まだ犯人と断定されたわけではないのである。後に無罪判決が下されるかもしれない。日本では容疑者と犯人が同義語になっている。しかし容疑者は「容疑をかけられている」という段階であり、あたかも確実に犯人であるかのような日本の報道は人権上間違っているのかもしれない。

今回の話題は韓国の横やりから起こったことであるが、今一度日本の犯罪報道の仕方を考え直すのにいい機会かもしれない。

ニューヨークタイムズ紙が「1面」で銃規制についての社説を掲載。カリフォルニアでの銃乱射事件を受けて

12月5日、ニューヨークタイムズ紙は「1面」で銃規制に関する社説を掲載した。社説は日本の新聞を見てもわかるように、1面には掲載されない。日本の大手新聞紙では3面に掲載されるのが普通だ。すなわち、社説を見るためには手で一枚めくらなければいけない。その社説を5日のニューヨークタイムズ紙は「1面」に掲載したのだ。

この社説を1面、すなわち表紙に掲載することは非常にインパクトがある。社説とは字のごとく、「新聞社の説、新聞社の姿勢・思想」である。であるから社説は基本的には各新聞紙それぞれ違う内容を打ち出す。今回のカリフォルニア乱射を受けての銃規制に関しても、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、「銃規制しても乱射事件は防げないに決まっているから、銃規制なんて無駄だよ」という趣旨の記事を書いているという。ニューヨークタイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙の姿勢は正反対なわけだ。

よく知られていることだが、これだけ銃による悲劇が繰り返されても全く銃規制が進まないのは、全米ライフル協会による圧力、族議員へのロビー活動が原因だ。過去に何人もの大統領が銃規制法案の成立を試みたが、ほぼ全て廃案に追い込まれている。

しかしもうアメリカ国民の間でも、銃社会に対して反感を覚える人たちはMAXに達しているのではないか。アメリカは過去に何度も乗り切れられないと思われた難題を解決してきた。奴隷解放問題・黒人差別問題。そして今、この銃規制問題を解決すべき時ではないだろうか。

現大統領のオバマ氏も銃規制法案に前向きだ。もしかしたら次期大統領までかかるかもしれないが、銃規制法案が近い将来成立すると僕は感じている。

最近忘れがちな、北朝鮮の脅威

最近、日本の安全を脅かす国として中国が頻繁に取り上げられ、韓国の反日運動なども話題になるが、北朝鮮の脅威を忘れていないだろうか。最近の僕のブログでも中国の脅威については幾度も触れてきたが、北朝鮮の脅威については忘れがちだったような気がする。

日本人にとって北朝鮮問題と言えば、拉致問題が真っ先に取り上げられる。もちろんそれも日本にとって大事な問題だ。しかし最大の脅威は北朝鮮の核問題である。過去に数度の核実験を行い、それによって起こった地震のマグニチュードは4クラスだ。

北朝鮮の核というと韓国を攻撃するためだと日本人は思いがちだが、日本ももちろん核の攻撃対象である。北朝鮮にとって日本は韓国に次ぐ仮想敵国なのである。

しかし日本人はそのことについて全く気にする様子がない。日米同盟によりアメリカが全て防いでくれる、あるいはアメリカの核の傘があるから大丈夫だと安心しているのであろうか。

核の傘については日本人はせこいと思う。自国は非核三原則(これ自体は素晴らしい思想だと思うが)により核には全く触らないくせに、アメリカの核の傘を要求する。筋金入りの反核運動者は核の傘まで否定しようとするが、その思想の根底に抑止力の概念など全くない。

とにかく、北朝鮮の核は現在進行形の脅威である。今の日本人は、中国・ロシア・北朝鮮の核保有国の脅威に対しての危機感があまりにもなさすぎるのではないかと思う。

下町ロケットが面白い

現在、TBSで放送されているドラマ「下町ロケット」が、非常に面白い。原作は池井戸潤氏の小説で、直木賞作品でもある。このドラマを一言で表すと、「もの作りに対するプライドのぶつかり合い」とでも言えるのではないだろうか。非常にしっかりと作られ、意図もはっきりした素晴らしい作品だと僕は思う。

ドラマ中に出てくる企業もまた面白い。帝国重工や宇宙開発機構などは、それぞれ三菱重工、JAXAをモデルとしていることは明らかである。しかもこの二社が現実に日本のロケット開発の中心であることから、ドラマに現実味を持たせている。そして余談だが、ドラマの中心である佃製作所の佃航平であるが、数年前の三菱重工の社長(現相談役)は(関係ないとは思うが)佃和夫という人物である。

もの作りによって成長してきた日本にとって、このドラマは出るべくして出てきたといえるのかもしれない。もの作りに実感のない日本人も多いとは思うが、このドラマによってもの作りとは何かということがかなり伝わったのではないか。

同じ池井戸氏の小説をもとにして作られ、大ヒットしたドラマ「半沢直樹」は銀行を舞台としたドラマであったが、その金融業界ももの作りの業界との取引がなくては成り立たない。どうしても資金を握っている銀行の権力が大きく取り上げられるが、その源泉となっているのは日本のもの作りである。そういう意味でも半沢直樹と下町ロケットは非常に強いつながりがある。

そしてまたまた余談だが、ドラマ中に出てくる帝国重工・宇宙航空部部長、財前部長を演じる吉川晃司さんがすごく格好いい。ダークネイビーのスリーピーススーツが非常にお似合いで貫録がある。財前部長のスーツのブランドを調べてみたが、わからなかった。

現在、下町ロケットは後半の「ガウディ編」に入り、ロケットとはガラッと変わって医療機器の開発がテーマとなっている。医療機器業界は宇宙航空業界以上にわかりにくい業界である。その業界がどのように描かれているのか、今後の展開が楽しみである。

寄付をするfacebookのザッカーバーグの矛盾。facebookの英国法人の法人税が80万円

facebookのザッカーバーグCEOが5兆円の寄付をすることを表明した。そのこと自体に関しては非常に素晴らしいと思うし、僕が口出しすることでもないかもしれない。アメリカには寄付文化が根付いており、ザッカーバーグに限らずアメリカの経営者が多額の寄付をすることはよくある話だ。

しかしその一方で首をかしげたくなるようなニュースを聞いた。facebookの英国法人が法人税を80万円しか納めていないというのだ。facebookの社員がではない。会社がである。ザッカーバークの寄付行為と英国法人のこの小額な法人税は矛盾するのではないか。

もちろん80万円しか納めていないとは言っても脱税しているわけではない。合法的行為である。おそらくfacebookはあらゆる節税行為を実行してきたに違いない。しかし5兆円の寄付をするのならば、その前に常識的な税金を払うべきではないだろうか。それが筋というものである。この英国法人の税金のことを考えると、ザッカーバーグの寄付もむしろ悪質に思えてくる。

税金を払うことは非常に重要な社会貢献であり、多額の税金を払うことは寄付に勝るとも劣らない。その税金を軽視し、多額の寄付をするfacebookならびにザッカーバーグの行為は、完全に社会的ポーズである。

facebookならびにザッカーバーグさん、寄付をする前に、常識的な税金を払って社会に貢献してください。それでも余力があるならば大いに寄付をしてもらいたい。

性善説と性悪説、日本が世界に実行する積極的和平をどうとらえるか

日本国内、日本人は、物事を性善説でとらえようとする。世の中は皆良い人ばかりだという前提で物事・理論を進めようとする。それは日本が世界に非常に誇るべきことであり、日本の心の美である。しかし残念ながら、世界は性悪説で物事は進められ、決定される。

典型的な例が、憲法第九条かもしれない。現行憲法はもとはと言えば、戦後、マッカーサー率いる進駐軍(GHQ)によって考案されたという。すなわち現行日本国憲法は日本人が作ったものではない。そういう意味で現行憲法は日本人自身によって日本自身の手で作り直さなければいけないのかもしれない。

しかし憲法第九条を軸とする平和憲法は、性善説を前提とする日本人に非常に融和的な要素を持ち得る。しかし悲しいかな、世界は性悪説で動いている。日本人はこちらが手を出さなければ、誰も攻めてこないと思っている。しかし現実は中国をはじめとする他国は隙あらば攻めようと虎視眈々と日本を狙っている。

中国による尖閣諸島、そして日本領空・領域侵犯、そして韓国の竹島問題、ロシアによる北方領土問題など、上げればきりがない。そして自衛隊は年間数百回ものスクランブル発進によってそれらを瀬戸際で防いでいるのである。何もしないで自国の平和は守れない。積極的防衛が行われているからこそ平和は維持されるのである。

日本人にとって、水と安全はタダだと昔は言われていた。確かに水道水の安全性は世界で断トツトップであろう。しかし現在の日本では安全はタダではなくなった。自分で警戒して守るか、セキュリティ会社にお金を払って守ってもらうしかない。現にALSOKやセコムなどの有料で安全を守る会社が活躍している。

そして国家も同じである。現在の日本の防衛費は約5兆円である。それだけの大金をつぎ込んで我々日本人の平穏な生活が確保できているのである。

少し前の安全保障法案(安保法案)は多くの国民から「戦争法案」と揶揄された。そう言いたい気持ちは大いにわかる。そんなものなしで平和が維持できるものなら、絶対にその方がいいに決まっている。しかし世界は性悪説で動いている。日本も積極的和平に取り込まないと、自国が取り込まれてしまうのである。

とは言え、憲法改正に賛成の僕も、心の中では憲法第九条は日本の平和主義の象徴として残してもらいたいと思っている。世界は必ず日本の憲法第九条をどこかで意識しているはずだ。憲法第九条が世界の潮流を左右するときが来るかもしれない。甘い考えだと思いつつも僕はそう願っている。

IS(イスラム国)が3500人以上を処刑。命っていったい何だ

ISで昨年の6月から1年ほどで3500人以上の人が処刑されたという記事を見た。彼らにとって命とはいったい何なんだろうか。

人の命は世界中のどこでも、いつの時代でも同じだ。そう思っている人は僕も含めて多いはずだ。しかし現実は違うようだ。IS支配地域では人の命は虫けらのように扱われている。そして北朝鮮でもそのようなことがされている話はよく聞かれる。そして我々も無意識のうちに人の命を差別化しているのかもしれない。アラブでのテロは一言で済ますのに対して、パリでのテロは何週間にわたって話題になる。

そして場所だけでなく、時代によっても命の重さは変わる。日本においても太平洋戦争中に特攻隊が結成され、自爆攻撃がされた話は有名だ。その時代、日本人は自国民の命を虫けらのように思っていたのかもしれない。

学校では「命は尊いものだ」と教えられる。しかし、なぜ命は尊いか、それを説明できる教師は少ないだろう。これは簡単に一言で説明できる話ではない。学校で生徒の自殺が起きた時、教師は「命は尊いから大切にしなければならない」と発言する。しかし僕にはそれが呪文、あるいは教師の免罪符にしか聞こえない。命の尊さは、何年・何十年とかけて認識していき、人間は成長していくのである。それを教師が一言で説明できると思うのは勘違いも甚だしい。

ISの話に戻るが、ISは殺りくを繰り返している。その現実は必ず断たねばならない。しかしその主な手段は現時点では空爆となっている。その空爆で欧米は無数のイスラム住民を殺りくしている。もちろんISの首謀者を攻撃しているという言い分はわからなくもない。しかしこの空爆という大量殺りくはどうかならないものかと多くの人は悩んでいるはずだ。空爆は善なのか、悪なのか、それとも必要悪なのか、答えは簡単に出せそうにない。