社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

官僚は敵か味方か

よく政治家が、官僚に対して敵視をむき出しにすることがある。選挙でも官僚主導から政治家主導へ導くと訴え、官僚が悪とでも言わんばかりの主張をたまに聞く。

政治家の答弁にしてもその答弁原案はほとんど官僚が作り上げており、政治に官僚の力は欠かせない。しかし官僚には政治活動はできない。なので政治は政治家がするのが当たり前のことだが、政治家には官僚を敵視するのではなく、むしろ味方に引き入れて官僚の頭脳を使い倒すくらいの気概を持ってほしい。選挙で官僚排除を訴えるのではなく、官僚の力をフルに使うと演説するような政治家がいてもいいのではないか。

少し前の話になるが、菅直人元首相は官僚に対し敵視をむき出しにし、官僚排除を訴えかけていた。その結果と言えば、鳩山氏と並んでダメ首相の二人組である。

官僚の仕事はかなりハードである。政治家の国会答弁がある前には官庁に泊まり込んでほぼ徹夜で答弁原案作成、資料作成に取り組むこともしばしばであるらしい。もちろん権力闘争に明け暮れている官僚もいるだろうが、それに関しては政治家の方がはるかに激しいだろう。

官僚は毒にも薬にもなる。それを薬にするのが政治家ではないか。官僚排除とは言っても政治家だけでは何もできない。個々のプロフェッショナルな案件は、その道に長く取り組んでいる官僚の力は必須である。しかし、官僚が実際にどんなことをしているかはなかなか明らかにならない。そして何か成果が出たり前進した時は、それは政治家が行ったということになる。政治家が俳優とすれば、官僚は影武者というところだろうか。

政治家に最も必要な力のうちの一つは、いかにして官僚を生かすかということではないだろうか。少なくとも、今までの官僚を生かせなかった首相、政治家はダメ政治家だったではないか。

これからは選挙時には、公約の内容だけではなく、その人は公約実現のために官僚を生かす力、人柄があるかという所も見てはどうだろうか。

トヨタの莫大な利益と、下請け会社

昨日、トヨタの三月期の決算が発表された。それによると、2.7兆円の利益が出るそうだ。膨大な額である。ギリシャの国家予算に匹敵する額である。

もちろん日本企業がうまくいくことはいいことだが、昨日のこのトヨタの利益に関するニュースに対する扱いに対して違和感を感じた。トヨタ本体の莫大な利益を下請け企業にも還元しなければならないという弱い論調の一方、そんなことしたらトヨタ本体の利益創造体質が弱くなり良くないという論調が目立つことだ。

とんでもない。トヨタがここまで利益が上げられるのは、一番は円安効果、それから倹約によるものだが、それに匹敵するくらい下請け孫請け部品メーカーに対するコスト削減要求によるものだ。

デフレ不景気の時代、トヨタはこれらの部品メーカーに対し、無茶ともいえるコスト削減を迫り、倒産寸前、あるいは倒産したメーカーも多々あったと聞いている。ならばトヨタ本体に莫大な利益が出た今、まずこれらの下請けメーカーに利益還元することが先ではないか。

トヨタ本体の自分たちだけ良ければいい主義、それに大企業だからと同調するマスコミ。本当にトヨタ本体だけ良ければいいのか。下請け孫請けまで含めて一つの自動車グループと見るべきではないのか。

デフレ不景気の時代、トヨタ本体よりさらに厳しい状態だった下請け孫請けメーカー。マスコミや評論家も、これらの下請け企業まで目を配った論評をしてもらいたい。

「国」と呼ばないで

人質事件でも大きく取り上げられた、イスラム国。日本の報道機関も一般市民も皆、イスラム「国」と呼んでいるが、このイスラム過激派組織をイスラム国と呼ぶのはやめないといけない。

イスラム国と呼ぶことによって、この組織を暗黙の了解として「国」と認めていることになり(もちろん公式見解ではそうではないが)、この組織の宣伝活動の思うつぼになっているのではないか。イスラム国と連呼するテレビ局、新聞社は、無意識のうちにこの組織の戦略に利用されている。

多くの市民に、イスラム国は「国」だという間違った認識を与えてしまう原因にもなるのではないか。

オバマ大統領や国連など世界的には、ISIL(アイシル)と略称で呼ぶことがメジャーだ。もちろんISILの「S」という文字はState(国)の略だが、アイシルと呼ぶことによって、「国」だという誤った認識、イメージを与えることは避けられるのではないか。

安倍総理をはじめ政府関係者、報道機関、そしてわれわれ一般市民もイスラム国と呼ぶのはもう止めにして、せめて世界的な通称の「アイシル」と呼ぼうではないか。たったそれだけのことで、ISILに多少のダメージは与えられるであろう。

底辺から二番目の人たちの問題

いろいろな世界で、底辺から二番目の人たちというのが一番苦しい立場に立たされている。一番顕著で問題なのが、社会で底辺から二番目の人たちだ。

言葉は悪いが、社会で底辺の人たち、すなわち働けない・職がないという人たちには、セーフティーネットというものが作動して、生活保護の支給や医療費無料などの支援が施されている。それ自体は別に悪くはないし、本当に支援が必要な人には不可欠な制度だろう。

そこで問題になるのが、セーフティネットにギリギリかからない、底辺から二番目の人たちだ。一応職はある。しかし働けど働けど生活保護と同程度か、それを下回る収入しかない。時間もない、金もない。このような人たちは社会の眼中にない。セーフティーネットにかかるかかからないかで天と地の違いだ。

底辺の人たちの問題は盛んに議論されても、底辺から二番目の人たちの問題は全くと言っていいほど議論にならない。

生活保護の受給者が増えているが、その原因は単に困窮している人が増えたというだけではない。底辺から二番目の人たちに対するサポートがないから、生活保護者は底辺を抜け出して二番目になろうとしない。

いま国、自治体による生活保護費の膨張が問題になり、対策を練っているようだが、底辺から二番目の人たちの問題に真剣に取り組まないかぎり、底辺の問題も解決しないだろう。

しかも、底辺から二番目の人たちは社会を支える大きな基盤になっている。しかし社会からの見返りがほとんどない。まずは些細なことでもいい。これらの人たちの医療費負担を減らすとかすると本当に助かると思う。

底辺の人が底辺から抜け出せるようにするためにも、底辺から二番目の人たちにもっと目をつけてほしい。

テロと向き合う日本(人質事件をめぐって)

今朝、後藤健二さんがイスラム国に殺害されたという報道が入った。日本として痛恨の極みだ。

日本人の誰もがイスラム国周辺は危険地域だと知っている。しかしそれを知っているのも後藤さんのように紛争地に赴き、レポートを届けてくれる人がいるからだ。

日本人として悲しい。本当に悲しい。もちろん日本人の命も外国人の命も、同じ一つの命であることには変わりない。どの命も同じくらい重い。しかし使命感を持った同胞がいわれもない殺され方をするのには、悲しくて、憤りを感じる。

しかし、政府もここ数日間よく動いた。安倍首相、菅官房長官をはじめとする政府トップも不眠不休で対応に当たり、疲労困憊していると思う。少し一息ついたら、二度とこのような悲劇が起きないように、対テロ対策には強く当たってほしい。しかしアメリカなどと全く同じ手法をとる必要はない。日本には憲法第九条があり、武力によらない平和的解決を求められている。もちろん欧米諸国と足並みはそろえなければならない。

今回の事件で、日本も対テロ戦争の直接の犠牲者になった。テロは他人ごとではなくなった。日本人もようやく世界の現状に目を覚ました。自己責任論というバカな主張が、最後には、I am Kenji 運動という同胞を思いやる運動に変わった。

最悪の結果にはなったが、これから日本は世界のテロ集団に対してどのような姿勢を取るべきか、明確になったと思う。

歴史認識問題

今年は第二次世界大戦終戦70年目にあたる。そして四日前の1月27日は、ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の舞台となったアウシュビッツ収容所解放70周年の日だった。ドイツではアウシュビッツは負の遺産として決して忘れてはならないものとして、強く記憶に残されている。

中国・韓国はそれぞれ、南京大虐殺・従軍慰安婦問題をナチスと重ねて問題化しようとしている。日本の見解によると、中国の主張する南京大虐殺の殺害数は大きく誇張されていると言われ、慰安婦問題は事実と異なると言われている。

おそらく文献や文書などの記録に基づく主張だとは思うが、70年後の現在に生きている我々には正確な事実は直接にはわからない。しかし日本と中韓の政府・国家の信用度を考えると、90%日本の主張が正しいとは思われるが、真の事実は当時の当事者しかわからない。あるいは当事者などいないかもしれない。

しかしこれだけ事実とは異なる可能性の濃い事象が広く伝わったのは、日本政府の主張が弱すぎること、そして中韓の強力なロビー活動によるものというのが一般認識だ。特に韓国のロビー活動は有名で、韓国ではノーベル賞が取れないのはロビー活動が弱いからだという意見もあるくらいだ。

話は少しそれたが、歴史とは過去の問題なので、現在に生きる人間にとって正しい歴史認識を持つことは難しい。またその人、国の立場によって歴史解釈は変わってくる。真実は一つでも、解釈・認識は一つではないのだ。

最近になって、日本政府はようやく自国の歴史認識について主張し始めた。遅きに失したという感は否めないが、何もしないよりましだ。日本の、外交の振る舞いに対する美意識は、海外では通用しない。日本の文化を否定する気は全くないが、外交においてはグローバルに通用する日本流を確立していかなければならない。

ネクスト資本主義

最近、「資本主義」というものに、人々は疑問を持ち始めた。今までの資本第一主義の社会に何かしら違和感を感じているのだろう。

昨日1月29日の田原総一郎氏のブログで、氏は現在の資本主義に言及し、資本主義の終焉、ポスト資本主義について意見を述べている。氏は資本主義に置き換わる、新しい「・・主義」を模索し探しているのだろう。

しかし私は社会のシステムを「主義」とひとくくりででまとめてしまうことに限界があるのではないかと思う。

いま、あらゆるジャンルで「多様性」というものが注目されている。資本主義の次に来るのもまさしく「多様化された社会」ではないだろうか。

今までは資本主義陣営では、共産主義は批判の的であった。しかし共産主義自体はもともと民衆の格差をなくすために考案された。実際の共産主義国の実情はともかく、共産主義の理念自体は悪くないと思う。

そしていま、世界的ベストセラーになっている、トマ・ピケティの著書「21世紀の資本」(あまりにも分厚いので僕はあまり読む気にならないが)では、資本主義社会では貧富の格差が大きくなっていくのが普通の状態だと警鐘を鳴らしているらしい。しかしピケティに言われなくても、貧富の差の問題は今では万人が認識している。

それから私が思うには、資本主義というのは「社会組織第一主義」でもあるのだと思う。しかしいま重きは、社会組織から個人個人に移ってきている。そういう意味でも多様性のある社会が重要になってきているのだ。

「主義」という言葉でまとめてしまっては多様性を押し殺してしまうかもしれない。そういう意味で、ポスト資本主義とは言わずに、私はあえて「ネクスト資本主義」という言葉を使った。

多様性とは言い換えると「バラバラ」ということかもしれない。社会秩序を保ちながら多様性を容認するのは簡単ではない。しかしその舵取りをする政府、あるいは霞ヶ関、社会的指導者は、そのバランス感覚に細心の注意を払わなければならない。

ともかく、人々が住みよい社会、そして個人の意思が尊厳される世の中になることを願っている。

パーフェクトベビー

ここ数年、遺伝子検査の進歩が目覚ましい。血液を検査するだけで、現在の病気や体質だけでなく、将来に罹患するであろう病気までわかっしまうらしい。

もちろんこのような流れは、現存する人間だけでなく、将来生まれてくるであろう胎児にもなされることは容易に推察できる。

以前から、胎児の遺伝子を検査して、ダウン症などの遺伝病が発覚すると堕胎するということは、「命の選別である」と問題になっていた。そして現在では男女の産み分けも100%の確率でできるらしい。さらに受精卵の遺伝子検査をすることによって、生まれてくる人間の遺伝病だけではなく、性格や才能までわかるらしい。

このように、生まれてくる人間を人の手で操作し、誕生する理想的な赤ちゃんを、「パーフェクトベビー」というらしい。

パーフェクトベビーの問題を一言で断罪するのは非常に難しい。社会的問題、宗教的問題、倫理的問題、科学的問題などの複合的な見解が複雑に絡み合う問題なので、永遠に答えの出ない問題かもしれない。

しかし多くの人は何かしら違和感を感じるところだろう。永遠に解決できない問題かもしれないが、議論はしなければならない。簡単に線引きできる問題ではないが、社会的ルールとしてどこかで線引きしなければいけない。

優秀で健康な子供に生まれてきてほしいというのは、親にとっては誰でも思う親心だ。しかしこのパーフェクトベビーをめぐる問題には、ゆがんだ親心が関わっていないかと思うのだが。

これから社会で大いに議論し、適切な落としどころを見つけなければいけない問題だ。

置いた拠点に悔やまれる(人質事件をめぐって)

現在、1月28日午前三時。

数時間前に新たな映像がネットに流された。それによると後藤健二さんの救出期限は24時間とイスラム国側に指定された。

そこでやはり悔やまれるのは、救出拠点をヨルダンに置いたことだ。確かにヨルダンは親日国家で、ヨルダン国家・国民には感謝しなければいけない。

しかしなぜ拠点をトルコに置かなかったのか。それが悔やんでも悔やみきれない。トルコは以前ブログで書いたように、歴史的な経緯もあって、「超」が付くほどの大親日国家だ。しかも報道によると、トルコは以前、イスラム国に拘束されていた人質数十人を奪還したようだ。このように、親日であり、人質救出の実績のあるトルコに窓口を置かなかったのは、日本の痛恨の極みである。

もちろんトルコに拠点を置いたからといって、必ず成功するとは限らない。しかしトルコに拠点を置かなかったことは、救出作戦とは関係なしにしても、外交として一つの失敗だったのではないか。僕はヨルダンに何も悪気はないし、親日であることには感謝しているが、トルコではなくヨルダンに拠点を置いたことに関しては全く理解できない。

しかし一度ヨルダンに拠点を置いたからには、それで突き通すしかない。安倍首相をはじめ日本政府、そしてヨルダン政府は全力を尽くしているのも伝わってくるので、外部の人間としてはそれらの政府、首相を信じることしかできない。

それから、安倍首相にとってはここは踏ん張りどころだとは思うが、健康には留意してほしいと思う。

一人の日本国民として、日本国首相安倍を見守っています。

I am Kenji(人質事件をめぐって)

イスラム国人質事件で、現段階で湯川さんは殺害されたといわれているが、後藤健二さんはまだ生存しているようだ。

この事件に対する対応は世界が見ている。日本国政府の対応、そして日本国民の対応。

人質事件が起こると毎度出てくるのが「自己責任論」。しかし同じ日本人をそんなに簡単に見捨てていいのか。そのような日本人の声は、全世界が聞いているぞ。日本という国、日本国民はそんな自分勝手な低レベル国家なのかと。

今すべきは後藤さん助けるために少しでも状況を好転させること。これは日本政府だけの役割と思うかもしれないが、日本国民一人一人の声も集まれば日本国の世論となり、イスラム国側に圧力をかけられるかもしれない。そのためにも自己責任論などという、自ら同胞を見捨てるようなバカな声を発信してはいけない。

しかし、いま嬉しい運動が起こっている。

「I am Kenji」運動。

もちろんこれは、パリのテロ事件での、「I am  シャルリー」運動をもじったものと思われるが、このような運動を起こし、日本国民が一致団結していることを示すことが、今われわれ一国民がイスラム国に圧力をかけられる一番の手段ではないか。

「I am Kenji」

そして後藤健二さんが無事戻ってきたら、こう声をかけてあげよう。

「また紛争地に行って、良質なレポートを届けてくれ」と。