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文官統制廃止の議論について

最近、防衛省の文官統制廃止が政府内で議論されているようだ。

防衛相内には背広組と制服組と言われる人に分かれている。背広組とはいわゆる防衛官僚、つまり国家公務員第一種試験を経て入ってきたキャリア官僚だ。文官とはこの防衛官僚を指す。一方、制服組とは自衛官のことだ。

防衛省内では文官統制という仕組みが働いていて、制服組より背広組の方が地位が上にあるということになっている。なぜこのような仕組みになっているのかというと、戦前の軍部の暴走による無謀な戦争を反省して、軍人ではない文官が自衛官を抑制しようという仕組みにするためだ。しかし現在、その文官統制を廃止しようとしている。

そこで文官統制と似たような言葉で、文民統制という言葉を説明しなければいけない。これは文字のごとく国民が軍(自衛隊)を統制しようとするものだが、現実には国民の代表である政治家が軍をコントロールすることを示す。すなわち文民統制の仕組みの一つとして文官統制があるのだ。わかりやすく一言で言うと、文民統制は国の体制の仕組みであり、文官統制は防衛相の内部の仕組みである。

この文官統制廃止には、賛否両論がある。反対の声の理由は軍(自衛隊)が暴走するのではないかということ。しかしこれも極論であって、文官統制が廃止されても文民統制が機能しなくなるわけではない。ただし何重にもある統制機能のうちの一つがなくなるわけではあるが。

賛成の声の理由は、現場を指揮している自衛官の方が現場の状況に精通しており、より的確な指示が出せる。そして指令のスピードが速くなるというものである。

今まで制服組は背広組に苦汁をなめさせられてきた。文官統制廃止によって背広組と制服組の地位が対等になることは制服組にとっては念願であり、背広組にとっては痛いものであろう。

今回の文官統制廃止によって現場の状況が上(防衛相)により正確に伝わるという利点は即座に理解できるが、これをきっかけに制服組の過度な権力拡張になっていはいけない。

戦前、軍部大臣現役武官制というものがあった。陸海軍の大臣は軍部が認めた者に限るというものだ。これによって軍部が認めないと内閣が組めないことになり、軍部の権力が急拡大した。それが太平洋戦争への突入の原因の一つになった。そのようなことを繰り返すことのないように、文民統制はしっかりとしていかなければならないし、国民もそのような監視の目を持たなければならない。

ドイツ・メルケル首相の来日の意図

3月9日、ドイツのメルケル首相が来日した。なかなか強気の政策をする女性首相で、昔のイギリス女性・サッチャー首相を思わせる。

ドイツといえばまず思うのが、強い経済であろう。日本とドイツは共に第二次大戦敗戦国でありながら、今では共に世界有数の経済大国。今回の首相来日にも多くのドイツ経済界有力者が同伴していることからも、ドイツの経済に対する力の入れようがわかる。

ドイツは第二次大戦敗戦後、ナチスの反省のもとに反省外交も行ってきた。そこで今回の来日で発言された一つの言葉に気が止まった。

「隣国であるフランスが非常に寛容だった。」

と言われた。やはり地域として見ればやはりヨーロッパは思想が洗練されているのだろう。日本には日本の良き思想がある。しかしこれからは日本は国内だけではなく東アジア全体の底上げを支え、現実的な思想を洗練していかなければならないのではないかと思う。

そしてメルケル首相は東アジア、特に中国に関する政情に関しても言及された。ドイツと中国は強い経済的な結びつきがあり、ドイツにとって中国は主要な貿易相手であり、メルケル首相も今までに数度中国を訪問している。しかしその中国に対して、東シナ海、南シナ海における中国(国名は名指ししなかったが)の強権的な行動に難を示した。そのうえで、日本とドイツは国際法を厳守して行動することを強調された。

それから印象に残ったのが、ドイツの脱原発政策だ。メルケル首相は脱原発を決定したきっかけは福島の事故だと言われた。世界で最も先進的な技術を保持する日本であのような原発事故が起こったことが非常に衝撃的だったらしい。

もちろんドイツでは地震などほとんど起きない。地震や津波によるリスクは日本に比べて限りなく少ない。しかし東日本の出来事は、いつ何時不可抗力的な災いが起きるかわからないということを示し、他人事ではないと感じ脱原発を決定したらしい。ちなみに2022年までドイツ国内の全原発を停止することになっているそうだ。

ところで原発のリスクは地震津波だけではない。他国からの攻撃によるリスクは非常に大きいが、このことは日本国内ではあまり議論されることがない。実際紛争が起こると、攻撃の対象としてまず原発を狙うのが普通だろう。

もちろん原発の方も対策はしてある。原子炉はある程度の攻撃には耐えられるように設計されているし、僕が「高速増殖炉もんじゅ」に見学に行ったときには装甲車が駐留していた。指令室も特別な人しか出入りが許されない仕組みになっている。しかし本気で攻撃されたら、どんなに対策をしていても原発を壊滅させることはそんなに難しいことではない。すなわち日本は国内各地に爆弾を抱えているようなものなのである。

ところで病気で倒れた第一次安倍内閣の時のスローガンは「美しい日本」だった。確かに日本は国も文化も人間の所作もかなり美しいと思う。しかしドイツの現実的で、取るべきところは非常に厳格に処置をとる、そして徹底的に国民を守るという姿勢は日本も見習わなければいけない。

もちろん安倍首相は、最近の過去の首相に比べてかなり強固に物事を推し進めているように見える。しかしその原点が「国民を守る」というところにあるということを見失ってはいけない。

北欧がランキング上位になることについて

福祉関係や過ごしやすさなどのランキングで決まって上位を独占するのが、ノルウェーなどの北欧の国だ。確かに北欧の福祉政策は至れり尽くせりだし、特に高齢者には非常に住みやすい制度になっている。しかし多くのランキングで決まって北欧が上位を独占することに何か違和感を感じないだろうか。

そもそもランキングの計算の仕方自体が北欧に有利な取り方になっていると疑うのが自然ではないか。確かに福祉は非常に充実している。しかしそれだけの福祉を実行するためにはもちろんそれだけのお金がかかるということだ。そのお金は若者などの労働者から搾取されることになる。

北欧の税金の高さは有名だ。所得税に消費税、たしか消費税は30%近くあるはずだ。それだけお金を取り上げているのなら、そのことに関しては労働者にとってはマイナス要素になるはずだ。しかしランキングを作るときにその部分は全く考慮されてないように思える。すなわち出口だけ見て入口を全く見てないのだ。

北欧の仕組みが悪いと言うつもりは毛頭ない。注文をつけたいのは北欧の国の政策に対してではなくて、ランキング製作者に対してだ。一側面だけ見て評価するのはフェアじゃない。どこかでプラスになれば他のところでマイナスになるのが自然な仕組みだ。北欧の素晴らしい点だけ見て北欧を称賛するのではなく、北欧のマイナス面はどこにあるのかということも一度検証する必要があるのではないかと思う。

ブランド作りが下手な日本

日本はいろいろな物作りで高品質な一級品を作っている。品質に対しての世界からの評価も一級だ。しかしそれをブランドに昇華させるのが下手といわれている。品物は一級。しかしブランド力は二級三級なのである。

しかし最近は日本国内でもブランド作りの重要性が認識されだして、ようやくブランド作りに力を入れだしてきたように思う。

今までは海外からブランドのライセンスを借りて、日本国内で作るという手法が多かった。特にファッションではその傾向が顕著だった。

最近ではバーバリーブランドの行方が話題になっている。今までは日本の三陽商会がバーバリーのブランド使用ライセンスを借りて、国内で作られた物をバーバリーブランドで売っていた。バーバリーブランドのメインとなるトレンチコートは10万円前後。しかし本家本元のイギリスバーバリー社のトレンチコートは20万円以上する。もともとバーバリーとはラグジュアリーブランドなのである。しかし日本国内では三陽商会の戦略で一般ブランドという位置づけで売り出し成功してきた。

しかしバーバリーブランドが日本国内で広く認知されると、本家のイギリスバーバリー社は三陽商会へのライセンス貸与をやめ、自らラグジュアリーブランドとして日本国内に乗り込んできた。

三陽商会はバーバリー戦略で大成功を収めたとはいえ、自社でブランドを作り上げることを全く怠ってきた。そこで次に出た戦略はマッキントッシュロンドンのブランドの借り上げである。以前と同じ手法を繰り返してきたのである。

良い物を作れば必ず売れる。日本人は今までそう信じてきた。しかしその日本は世界でも一、二を争うほどのブランド消費大国となり、海外のブランド製品が世界のどの国よりも売れている。

それはファッションだけではない。車などもイタリア、ドイツ、イギリスのものが同等性能の日本車より上にみられ、プレミアがついている。最近になってようやくトヨタのレクサスブランドがプレミアブランドと認知されだしてきた。

多くのブランドにはブランド料なるものが上乗せされ、それを嫌う人も多い。しかしブランドとは信用なのである。ブランド料はその製品に対する信用の対価なのである。したがっていくら良い物を作ってもブランドは一日一年ではできない。ブランドを作るには時間をかけて信用を積み重ねるしかないのである。

もちろん意識的にブランド構築に取り組まないと「日本は良い物を作るけど・・」としかならないのである。

日本製品は底力はある。品質も一級品だ。ブランドを作り出す素地は出来上がっているのである。日本製品をグローバルに売り出すには、後はブランド戦略だけである。

いま日本のブランド戦略は序章である。このブランド戦略が成功すれば日本の産業はよりゆるぎないものになる。そして日本なら必ずその戦略を成功してくれると思う。

在韓アメリカ大使襲撃、朴の命運

昨日のブログで在韓アメリカ大使傷害事件のことに触れたが、一日経って韓国の世論が変なことになっている。アメリカ大使を襲撃した理由が、親北朝鮮思想であると様々な所で主張されているのである。犯人が親北朝鮮を叫んでいることはわかった。ではなぜその攻撃の矛先がアメリカ大使だったのか。

もちろんアメリカは北朝鮮を敵にしているので、言っていることもわからない訳ではない。しかしアメリカ本国で韓国批判ともとれる発言が発せられて数日後のアメリカ大使襲撃である。このことからこの事件の一番の理由はアメリカに対する反抗であることは言うまでもない。しかし韓国市民、韓国政府はその事実をいっこうに認めようとはしない。なぜならそれを認めてしまうと、責任の矛先は韓国市民および朴をはじめとする韓国政府に向けられるからだ。

これから数日数週間は、朴をはじめ韓国政府の動向が気になる。朴の動向次第で朴の支持率および韓国に対するアメリカの信頼が急直下する可能性があるからだ。

朴は突発的事故に対する対応に弱い。その弱さが最も明白に表れたのはセウォル号沈没事件であろう。沈没事件に対する朴のずさんな対応により朴の支持率はメキメキ下がり始めた。もちろん支持率が下降した理由は沈没事件だけではなく、経済政策の失策なども関係しているだろう。

今回の傷害事件の対応次第で、評価を上げることもできるし下降することにもなりうる。今のところ、今回の朴の対応はかなり動きが鈍いように思える。もちろん裏でいろいろと動いているのかもしれない。しかし今回の事件をきっかけに評価を下げてしまうような、そんな予感を与える。

在韓アメリカ大使傷害事件

在韓アメリカ大使が韓国で襲われた。犯人の男は米韓合同軍事演習反対を叫んでいたのだが、ここ三日ほどのアメリカの動きに伏線があったものと思われる。

数日前、アメリカは従軍慰安婦問題に対し、「過去の出来事を責めてナショナリズムお煽り称賛を浴びるのは簡単であり、そんな軽々しい賛同を得るべきではない」という趣旨の発言を発した。そのような発言は国家のとる行動としては当たり前のことだが、韓国はこの発言を、アメリカは日本の肩を持つものだととらえたようだ。それが逆恨みとなり、今回の大使傷害事件に結び付いた。

朴は大使に対して犯人を厳正に処罰すると電話したそうだが、そもそも朴のしていることが支離滅裂だ。朴の低俗迎合的な反日政治が今回の事件につながったとは少しも思っていないように見える。

そもそも慰安婦問題のどこが問題か。確かに慰安婦事件が戦時中にあったならばそれは問題だ。しかしまずは慰安婦問題が実際にあったかどうかの厳正な調査が必要だろう。しかし韓国の言い分は朝日新聞に載った記事をもとにしており、それ以上の根拠は何も示されていない。その朝日新聞の記事もずさんな捏造だったことが今では明らかになっている。つまり、慰安婦問題がどれだけ問題かという以前に、そのような事実はなかったのではないかと言われている。

この問題は捏造とはいえ、今では非常にデリケートな問題になっている。日本では捏造が認知されていても、アメリカなど海外で捏造だと主張すれば、日本の歴史を知らない外国人は歴史の修正、人権侵害だと訴える。今の現状は一日本人がどうにかできるレベルを超えてしまっている。

これからの日本の名誉回復は、安倍首相をはじめとする日本政府の身の振り方にかかっている。幸い安倍首相はそのようなことに対しての発言・行動は非常に慎重かつ冷静であり、何とか前進しそうだという希望を持たせてくれる。

安倍首相のすることを無批判に受け入れるつもりはないが、現在日本国の首相である人物に対して、一日本人としてバックアップしていくことが必要なのではないかと思う。自民党だからというわけではない。もし与党が別の政党でも、日本国のために動いている限り、政党を支持しているしていないにかかわらず政府にはできる限り支持するつもりである。

現在は安倍首相は日本国のためにうまく動いていると僕は個人的には思っている。なので現在は安倍首相を8割くらいは支持している。

指導死

今日、「指導死」と言う言葉を初めて知った。指導死とは複数の教員が一人の生徒を取り囲んでプレッシャーをかけたりして、生徒が追いつめられて自殺をすることである。

指導死はまだ一般にはほとんど認知されていない。今では広く認知されている体罰死に比べると、指導死は指一本触れるわけではなく、表沙汰になりにくいということもあるのかもしれない。

当たり前のことだが、人を死に追い詰める指導なんて指導でもなんでもない。いじめと同じ犯罪である。中には教師の誤解による冤罪も多々あるようだ。教師という立場の人間なら何をやっても許されるのか。

南朝鮮や中国では反日無罪というのが広く認知されているようだが、学校では教師無罪ともいうべきものがあるように思える。もちろん昔に比べればそのような状態も厳しくなっていているように思えるが。

学校は無法地帯。生徒に対してではなく教師に対してである。今でも指導死のようなことがあることに愕然とする。

学校には校則というものがあるが、それは生徒に対するものである。指導死などが起こる現状下では、教師に対する校則も必要ではないかと思ってしまう。

「生徒の指導のため」という言い分を隠れ蓑にして、自分の保身のことしか考えていない教師には、本当に憤りを感じる。

25年ほど前、神戸の兵庫県立神戸高塚高校で校門圧死事件という事件があった。登校している女子生徒を遅刻を取り締まる教師が校門で押しつぶし、圧死させたというものである。学校側は警察が来る前に、地面に流れ出た血をホースで流し証拠隠滅を図った。本当に凄惨な事件だが、その後学校側はとにかく事件を風化させて忘れさせようと必死になっていたように見える。もしかしたら今の高塚高校生の中にも事件を知らない人が多いのではないかと思う。この事件の顛末などは、保身に走る学校の身勝手な振る舞いが非常にはっきりと表れたものではないかと思う。

生徒が死ぬと、命を大切に事件を忘れてはいけないと連呼するが、学校側が犯した殺人についてはとにかく風化をさせようとする。

僕が子供の頃から学校嫌いである理由の一部は、そのようなところにある。教師のために生徒がいる、そのようなことを思っている教師にはすぐにでも学校の現場から立ち去ってもらいたいものである。

坂本ラヂオという会社

昨日、とある記事を見た。

坂本ラヂオ株式会社という会社がある。まず何がすごいかと言うことを一言で言うと、2011年の売り上げが5000万円だったのが、2014年には40億円になったそうだ。社員数は18人。一人当たり2億円以上を稼ぎ出している計算になる。

しかも社風が面白い。値引きはしない。ノルマは課さない。

以前僕のブログでトヨタの莫大な利益に関して書いたが、企業は値引きをしようとすると、それをメーカーに強要する。そしてメーカーは部品会社に強要する。そのように下請け、孫請け会社がどんどんじり貧になっていくという構図だ。

値引きをすると消費者が得をするように思えるかもしれないが、そうではない。値引きをすればメーカーでは経費削減をせざる負えなくなる。そしてアフターサービス、さらには品物の品質がどんどん悪くなってくる。

値段はそのまま価値を表しているのである。

自分の話になるが、僕はパソコンはパナソニックのレッツノートしか使わないことにしている。知っている人もいると思うが、レッツノートはパソコンの中では最も値段が高い部類に入る。普通のファミリーユーザーでは使っている人は稀であろう。しかしビジネスマンの間では圧倒的な人気がある。なぜか。信頼性が他のメーカーのパソコンに比べて圧倒的に高いのである。まず壊れにくい。さらに非常に手厚いサポートが電話一本で受けられる。もちろん信頼ある日本製。パソコンの信頼性がそのままビジネスの成果に表れるのなら、値段が高くてもレッツノートを選ぶのもうなずけるであろう。

話を戻すが、このように値引きを強要する文化は、中長期的に見れば負の影響が大きい。長い目で見れば消費者も損をしているのである。

坂本ラヂオのような会社は稀で、値引きを強要するような消費者には受け入れられないかもしれないが、このような会社が急成長しているということは、値段が価値を表しているということをしっかり認識している人もそれなりにしっかりといるということであろう。

もちろん何もかも高いものを買う必要はない。安くで済ませるものは安くで済ますのは賢い選択かもしれない。しかししっかりした物をと考えている物には、それなりの対価を払って手に入れるのがより賢い選択かもしれない。

良い面を見るか、悪い面を見るか

選挙になるといつも悩むのが、票を入れたいと思える候補者がいないということだ。いいなと思う候補者がいても、悪い面が見えたりしてやっぱり嫌だなと思ってしまう。全てが良くて悪い面がない候補者なんていないのかもしれない。ならばどこかで妥協しなければならない。

なぜいきなりこんなことを書いたのかと言うと、2月25日の読売新聞に「大きな実績を残したと思う戦後の首相ランキング」というのが載っていて、2位が小泉純一郎で、1位は田中角栄だったのである。

田中角栄と言えば政治で大きな実績を残した一方、ロッキード事件などのお金にまつわる大きな犯罪を犯したことでも有名だ。おそらく戦後一番悪いことをした首相ランキングがあるならば圧倒的に1位になっていたであろう。

すなわち田中角栄は、良い面でも偉大、悪い面でも偉大なのである。田中角栄が悪い人間だといって排除されていたら、今の経済大国日本は確実に存在していなかった。かといって悪い面は許されることではないが。

やはり政治家を選ぶときは、良い面を見て、悪い面には目をつぶらなければいけないのか。偉大な政治家は劇薬である。悪い面が全くない政治家がいるならば、それは無色無臭の水かもしれない。

政治家としての力と金権にまみれた悪い面、どちらを判断材料にすればいいのか、非常に難しいところで簡単に答えは出ない。

ただ、逮捕されて数十年経ち、今は亡き田中角栄が戦後の首相の中で一番評価されている現実は一つのヒントになるのかもしれない。

農林政策について

農相が辞任するというニュースが流れた。当然と言えば当然だ。農相が砂糖業界から献金を受けるなんて、贈収賄事件以外の何物でもない。大臣ともあろう者がこの100万円(大臣への企業献金としてはたった百万円というべきか)の献金が何を意味するところかわからないはずはないであろう。

砂糖業界から農相へ、小学生でもわかるような実に単純な構図だ。

ところで最近少し忘れ去られた感があるTPP。今は話が進んでいるのだろうか。TPPの協議の中での一番の焦点はやはり米であろう。米は日本人の主食だ。米の自給率は非常に高いが、米の輸入を解禁するともちろん自給率は下がるだろう。安い米が入ってきて一部の日本人にとってはうれしいが、主食の自給率が下がることは非常に危険なことである。輸入はいつどのような理由でストップされるかわからない。あらゆる食物の自給率が下がっている中、米の自給率は何としても確保しなければいけない。

とは言っても、一部の米農家が高品質な米を生産しようと努力している一方、輸入がされないのをいいことに、努力しないでただ作っているだけの米農家もいる。TPPに反対しているのはこの後者の方だ。高品質米は国内だけでなく、海外でも必ず需要はある。むしろブランド米として世界へ流通させる絶好のチャンスであろう。

牛肉も同じだ。安いアメリカ牛が入ってくる中、日本の高級ブランド牛は世界が求めている。

この高品質高級戦略は、イタリア型戦略と言える。イタリアの経済規模は決して巨大ではない。しかし車のフェラーリからファッションに至るまで、高品質高付加価値戦略でその存在感は巨大であり、業界をリードしている。

日本の農政もこれからはこのイタリア型戦略に舵を切ることによって、自給率維持と世界への流通の両立が可能に違いない。