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厚生労働省の村木さん

村木厚子さんを覚えているだろうか。厚生労働省局長だった約五年前、郵便不正事件で逮捕され、20日の拘留・取り調べを受け、後に無罪になった女性だ。今では100%冤罪だったことが明らかになっている。

今日、たまたま雑誌で村木さんの2ページの記事を見かけた。そこで僕は今の村木さんの肩書を見て驚いた。現在の村木さんの肩書は「厚生労働省事務次官」、つまり厚生労働省キャリア官僚のトップなのである。僕は本当にうれしかった。めちゃくちゃうれしかった。村木さんのような誠実で、どん底に落ちても信念を曲げず戻ってこられた強い女性が日本の省庁のトップになられている。このことは日本の、そして日本女性全ての象徴であり、財産である。

村木さんの経歴はキャリア官僚としては一風変わっている。もちろん女性キャリア官僚としても珍しいが、東大出身のキャリア官僚がひしめく中、村木さんは高知大学出身なのである。地方国立大学出身で事務次官までなったキャリア官僚は村木さん以外はいないのではないかと思う。

村木さんはもちろん男性キャリア官僚と変わらぬ仕事をしているのはもちろんだが、女性官僚として女性に関わる政策にも重点を置いている。障がい者政策にも関わっていたはずだ。男性官僚と変わらず、それに女性目線をプラスして村木さんしかできない仕事をたくさんやってこられた方だ。

村木さんは郵便不正事件の冤罪で有名になったが、たとえそれがなくても事務次官にまでなられる力と人格の持ち主だと僕は信じている。あとどれくらい事務次官の職をされるのわからないが、村木さんしかできない仕事を思いっきりこなして活躍してもらいたいと願う。そして欲を言えば後に伝説の女性事務次官と呼ばれるくらいの活躍をすることを願うばかりである。

安保法案に関する報道ステーションのニュースで

7月13日(月)の報道ステーションで、安保法案に関する国会での議論のニュースが流れた。国会では4人の有識者が招かれ意見を述べた。

そのうちの一人、元外務官僚は、ISIL(イスラム国)を例に取り上げ、日本一国だけが血を流さないで他国の危機を眺めているだけのような無責任なことは通用しないと述べられた。この意見に関しては僕はもっともだと思う。

さらにもう一人、憲法学者で首都大学東京准教授の木村草太氏は、憲法学的には非常に問題があって、もし集団的自衛権を認めるならば憲法改正と言う手続きを取らなければならないと述べられた。この意見に関しても僕はもっともだと思う。

僕は集団的自衛権法案賛成・反対の両者に対してもっともだと言ったが、これには理由がある。根を正せば両者とも集団的自衛権の思想に関しては賛成なのである。ただ木村氏の意見は憲法学的立場から、もし集団的自衛権を認めるならば正式な手続きを取らなければならないという意見を述べているのである。

なぜ木村氏は憲法改正という手続きにこだわるのか。それはもしこのような正式な手続きをしないで集団的自衛権を認めれば、今回の件に関しては何も問題がなくても、これから将来、今回のことが前例になり憲法解釈ですべてを済ましてしまう、あるいは極端な場合は憲法を無視してしまうような事態が起きる可能性があることを憂慮しているのだと思う。極端に言えば独裁国家になってしまうような。

木村氏は報道ステーションのスタジオにも呼ばれていたが、彼の論点は的確で鋭い。僕は憲法学など素人中の素人であるが、木村氏は憲法学の核心をわかりやすく伝えてくれたと思う。

彼のような若くて気鋭の学者が法案議論の一翼を担っていることは、非常に心強いことだと僕は感じた。これからの木村氏の活動・研究に期待したい。

韓国の国民性は教育から

二日連続で韓国の話題になるが、何しろ韓国は日本の隣国であり無視できないこともある。遠い地球の裏側の国なら無視もできるが、幸か不幸か韓国は隣国だ。

先日、野球の国際大会の台湾-韓国戦で韓国側が卑劣な小細工を仕掛け、台湾国民は怒っているらしい。スポーツの国際大会における韓国の不法行為はもうおなじみで、国際大会があるたびに3つや4つくらいの不法行為が明らかになる。一つ一つのことに言及すればきりがないが、韓国のこのような体質は子供時代からの教育システムが原因ではないかと思う。先ほどスポーツについて言及したが、このようなことは政治・経済など韓国のあらゆる分野で共通にみられることだ。

韓国は日本以上の学歴社会で学歴を得ることには容赦しない。数年前に集団カンニング事件があったことも思い出す。韓国の学歴社会は「自分が上の学校に行く」=「人を蹴落とす」と言う構図がありありと見える。もちろん日本でもそのような構図がないとは言えない。20年以上前には日本も「自分がのし上がるために人を蹴落とせ」という思想がある程度あった。しかし今の韓国の現状はトップの大統領自身がそのような思想に染まっており救いようがない。大統領自身が病的な状態では、それが広まりはするにせよ改善することはないだろう。

ただ一つ救いようがあるとすれば、現在韓国は一応独裁国家ではない。大統領には任期がある。任期が来れば大統領が変わる(可能性がある)。しかしあまり楽観的な展望はできないだろう。前大統領に反する政策を打ち出せば、国民の反発を招く可能性があるからだ。特に反日思想に関してはそうだ。次期大統領が度の過ぎる反日に危機感をおぼえていても、現大統領が反日なしで国民をコントロールすることをできなくしてしまった。よって自身は反日でなくても反日路線を維持しなければいけない。

もし韓国の国民性を変えるならば、幼少期からの教育を改革するしかないだろう。今の韓国を見ていれば、教育に難があることは一目瞭然だ。スポーツは精神面が前面に出るのでそれが直に表れる。したがってスポーツを見ればある程度の国民性は推測される。

とにもかくにも今の韓国は教育から変えていかなければならない。そうでないと韓国自身が自国の足を引っ張ることになるし、隣国にも悪影響が及ぶだろう(もう及んでいるが)。

世界遺産登録をめぐっての日韓関係

先日、明治産業革命施設に対するユネスコの世界遺産登録をめぐっての日韓のやり取りは熾烈を極めるものだったようだ。6月には一度日韓合意ができていた。そこでは遺産に対して「forced to work(働かされた)」という表現を使うことで合意したが、いざ始まると韓国は「forced labor(強制労働)」という表現を強調してきた。この悪意に満ちた韓国の対応に日本外務省、そして安倍総理も怒り心頭だったようだ。

それが明らかになってすぐ、外務省の杉山審議官は即韓国に飛んだ。韓国に着いた杉山氏は韓国外務省に乗り込んだが、そこでの韓国の対応はのらりくらりと逃げるような対応だったそうだ。forced to workをforced laborに変えた理由も、単に言葉を短くしただけだと言い逃れていたらしい。もちろん杉山氏をはじめとする日本政府は激怒していた。forced ladorと言う言葉は十数年前に「強制労働」を表す言葉だと国際的に認められている。翌日も杉山氏は韓国外務省に乗り込んだ。そこでは怒号が飛び交う応酬であったらしい。

この様に、日本政府・日本外務省は毅然と韓国政府に立ち向かった。韓国側からは脅しともとられるようなやり取りだったらしい。しかしこのような日本側の強硬な態度のおかげで日本人の尊厳が守られたのだ。

今までは日本政府といえば対外的には弱腰で有名で、特に難癖をつけてくる中韓に対してはほとんど反論できなかった。しかし今回は日本政府も堪忍袋の緒が切れた。一度このような対応ができるとそれが実績になり、これからも毅然とした態度をとることに躊躇しなくなるだろう。

今まで一方的にやられ、日本国民もやるせない気持ちだった。しかし今回の日本政府の対応に、日本国民も世界に対して毅然とした態度を持つきっかけになり、日本国民としての尊厳・誇り・自信を深めることになるだろう。

強盗に襲われたスガさん

「一緒にいたアソウさんは助けるが、強盗に襲われたスガさんは助けられない。」安倍首相は集団的自衛権に関連する話題でこう話したという。

現在は個別的自衛権は存在し、自分たちに直接影響することに関しては防衛・攻撃はできるが、自分達とは関係ない(と思われる)ところで起きている犯罪には手も足も出せないということだ。しかし集団的自衛権が認められるとそのような事にも関与できるようなことになる。この集団的自衛権の焦点は、日本人(自衛隊員?)が日本に関係ないところで血を流すことになるのではないかという危惧である。しかしこのような思想は半分前時代的な考えが入っているのではないかと思う。

過去、そして今まで、防衛の単位は基本的に「国」であった。すなわち自分の国さえ平和ならば他の国は関係ない。実はこれは日本の平和憲法の思想の一面でもある。日本人は自国の憲法第九条平和憲法を誇りに思っている。しかしこのような自分の安全だけしか考えない思想が平和憲法の思想だと言えるだろうか。

集団的自衛権で実際に血を流す可能性が高いのは自衛隊員である。自衛隊員が戦地に行くことになる。しかしストレートに言えばそれが自衛隊員の仕事である。日本は徴兵制ではない。自衛隊員は皆志願してなっている。自衛隊の仕事は多岐にわたる。災害救助での活躍は最近は目覚ましいものがある。しかし自国が戦闘状態になればその最前線に行くのも自衛隊の仕事である。自衛隊の活動を否定するものは自衛隊員になる必要は全くない。しかし自衛隊員になりながら戦地に行くのは嫌だ、血を流す可能性のある活動なんてけしからんなんていうのは矛盾していないか。

戦地に赴くのが嫌でその時に脱隊する者がいれば、それは自衛隊詐欺以外の何物でもない。もちろん血を流さずに済めばそれが一番いいに決まっている。しかし誰かが血を流さなければいけない時がある。その時、自分たちは平和憲法の国民だから血は流せないので、アメリカが、あるいは他国が代わりに血を流してくださいとでも言うのか、と言う話である。

宇宙からこう言った者がいる。「地球に国境は存在しない」と。もう一国だけの平和が通じる時代ではない。国境は徐々に薄くなってきている。ヨーロッパもEUと言う形で国境が薄くなった。その中で日本は、東アジアは頑なに国境を堅持しようとしている。

まだ現時点では時期尚早かもしれないが、国境と言う概念はこれから薄くなっていく方向に進むのは間違いないであろう。

教育殺人

岩手県で中学二年生の生徒が自殺した。その自殺までの経緯があまりにも凄惨だ。教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんはこの事件のことを「教育殺人」と呼んだ。

自殺した生徒は担任に提出する連絡ノートに繰り返しいじめの苦しさを訴えていた。しかしそれに対する担任の返事は全て業務連絡的、機械的なものだった。この担任は教師と言う職をどう考えていたのだろうか。何も今の時代に教師の職業のことを聖職とまでは言わない。しかし今回の教師はまるでコンビニのバイトくらいの感覚で職を遂行していたのではないか。コンビニのバイトをバカにするわけではない。しかしコンビニのバイトと教師の職では給与は桁違いに違う。それは仕事への責任の裏返しでもある。

さらにびっくりしたのが、集会で校長は謝罪の言葉を全く述べなかったことだ。おそらく今は学校ぐるみで保身の道へ突き進んでいるものと推測される。生徒が何かで活躍するとまるで自分たちのことのように学校ぐるみで胸を張るのに、不祥事が起きると誰も関係ないと保身に走る。もうおなじみのパターンだ。

今回の事件は尾木氏が言うように教育殺人と言う言葉がふさわしい。学校ぐるみの犯罪と言えるだろう。もちろんいじめていた加害者生徒には大きな責任がある。しかし今回のいきさつを見ていると、教師もいじめに加担していたも同然だ。

この様な事件が起こるたび、大人の汚い側面が強烈にあらわになる。本当に醜い。この醜い大人たちに「教育」というものをされている生徒たちも被害者だ。今頃、醜い大人たちは自分のことしか考えていないだろう。どうしたら処分を免れるのだろうと。彼らの眼中には自殺した生徒のことは全く映っていない。

韓国に対して怒りを通り越してあきれる、そして韓国に対する日本の報道について

7月5日、日本の明治産業革命遺産に対する世界文化遺産登録が可決された。しかしこの登録については日本と韓国の間で最後までもめにもめた。何がもめたのか、いつものパターンなのでいちいちここで述べるのも無駄であるが、もうここまで来ると韓国に対して怒りを通り越してあきれ返り、韓国が哀れに思えてしまう。

いまヨーロッパではギリシャ問題でもめている。ギリシャの問題は内容が切羽詰っており緊急問題であるが、韓国が日本に対して非難している内容は裏付けもなく、また今回の世界遺産の趣旨からも大きく外れており、くだらないの一言だ。そんなくだらないことを認めるくらいなら無理に世界遺産にしなくていいのではと言うのが多くの日本国民の声ではないか。

それからもう一つ言いたいことは、日本の報道機関に対してである。日本と交わりのある国は韓国・中国だけではない。近くには台湾・フィリピンもあるし、ロシアもある。もっと距離を広げば日本と密接な関係にある国はたくさんある。日本は世界的に見ても最も信頼されている国だ。それなのに流れてくるニュースは韓国が非難したとかケチをつけたとかの、くだらないニュースばかり流してくる。アフリカに対する継続的な援助の話題が二つでも出たことがあるか?初めの一つは出ても二度は流れない。アフリカ住民に対しても失礼である。もっと多様な世界の人間を視野に入れなければならない。しかし報道局の視野に入るのは韓国のくだらない話ばかりである。

南シナ海では中国とフィリピンの間で非常に深刻な事態が起きている。岩礁の埋め立て、軍事要塞化の問題である。このニュースのように世界的に見て重要なニュースはたくさんある。それでいながら報道局が流すのはまた韓国がケチをつけてきたという話題である。

もうこれは報道機関の見識が問われるレベルの問題である。あまりにもレベルが低すぎる。日本国民に、そして世界の市民に非常に失礼なことをしていることに気づかないのかと思う。

ギリシャの国民投票について

日本は現在7月5日午前0時、ギリシャ現地時間5日にギリシャで国民投票が行われる。緊縮財政を伴うEU支援を受け入れるか、それに反対してEU離脱への道を進むのか。簡単に一言で言うと、倹約を約束するか、贅沢したいかみたいな感じだろうか。

日本国民の感覚から言うとギリシャ国民の感覚は異常とも思えるが、南ヨーロッパ気質とでも言うのか、彼ら彼女らは非常に楽天的だ。昔こんな本が日本で流行った。「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」。確かに日本人の用心深さは異常とも思える時があるが、その慎重さと堅実さが今の日本の繁栄を作り上げたのであろうか。

ギリシャの話に戻るが、それにしても情けないのが大統領をはじめとする政治家である。今回の判断は重要事項ではあるが、いちいち国民投票などにするものではなく、大統領の決断一つで決める類のものである。大統領は国民に直接選ばれた者であり、それが故に大きな権力を持つ。今回の国民投票は大統領の責任逃れとしか言いようがない。

今回の判断は、二者の良し悪しを決めると言うより、悪いか・もっと悪いかを決めるもののように思える。はっきり言って完全に手遅れなのである。それを決定的にしたのが、緊縮財政を進めようとした前大統領を否定して、緊縮財政反対の現大統領を国民が選んだことである。現大統領は現在も国民に甘い言葉ばかりささやいている。それに国民も酔いしれている。

今回のEU支援をもし否定した時、その時が国民が本当の現状に目が覚める時ではないかと思う。

ベルリンフィルの首席指揮者をめぐって

最近、ベルリンフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者の交代をめぐって内部で議論が起きていたらしい。ベルリンフィルと言えばウイーンフィルとともに世界の頂点に君臨するオーケストラだ。昔はフルトヴェングラーやカラヤンなど超巨星とも言えるような偉大な指揮者がいたものだが、カラヤンの跡を継いだアバド以来小粒な感がするのは僕だけであろうか。今回のことに関しても僕の不勉強のせいか、前指揮者、新指揮者とも名前を存じなかった。

音楽に疎かった僕がカラヤンのことを知ったのは大学の混声合唱団に入った時のことだった。カラヤンは帝王と言われ、首席指揮者ではなく終身常任指揮者と言われていた。なんだか巨人の長嶋茂雄のようだ。しかし最近は大物と言われる指揮者の名前をあまり聞かない。日本にいて聞くのは日本が誇る偉大な指揮者小澤征爾くらいだ。

小澤征爾と言えばちょっとした思い出がある。もちろん面識などはないのだが。信州松本で毎年開かれるサイトウキネンオーケストラという小澤征爾が主宰する音楽祭がある。大学時代、そのサイトウキネンのチケットを取るのに徹夜で並んでいたところに小澤征爾がサプライズで現れた。もちろん会場は大騒ぎ。僕もどさくさに紛れて小澤征爾と肩を組み写真に写り、シャツにサインをしてもらった。しかし今は写真もシャツも手元にない。小澤先生、ごめんなさい。

話はベルリンフィルに戻って、世界トップの演奏者が集まるベルリンフィルの指揮者は猛獣使いと言われている。演奏者一人一人がライオンなのである。そのような猛獣をいとも簡単に操り最高の音色を奏でさせるカラヤンのような超巨星はこれからまた現れるのだろうか。僕が生きているうちに現れることを期待するところである。

言論・表現の自由と多様性

言論・表現の自由と多様性は民主主義の根幹だ。自由と言ってももちろん他人を傷つけることや絶対に言ってはならないこと、卑劣な表現などは民主主義以前の問題、倫理の問題としてやってはならないことだ。しかし基本的に自由と多様性は認めなければならない。

最近、自民党内での会合での発言が問題になり、責任問題でもめている。今回の発言問題は民主主義国家の政府与党内の発言として決して認められないものだ。与党内での発言は権力者の発言であり、弾圧につながる。一般市民が勝手に発言するのとは訳が違うのだ。

僕は過去のブログで述べたように安倍政権を支持している。支持政党をコロコロと簡単に変えるのはあまりよろしくないとも思っている。どこの政党を支持するかは各自の自由だが、支持政党の行方をじっと見守ることも大事だと思う。

僕は安倍政権を支持しているが、残念なのが安倍氏の取り巻きたちだ。安倍首相自身は慎重に政策を動かしていても、取り巻きたちが安倍政権の盤石なことをいいことに好き勝手言い放題だ。そこには慎重のかけらもない。安倍政権の足を引っ張るだけである。しかしそれらの取り巻きをコントロールしきれていない安倍氏自身にも責任はある。安倍氏も対外政策だけではなく、党内の取りまとめに一度大きく取り組んではどうかと思う。そうでもしないと今の党内の現状では政権が足元からすくわれることにもなりかねないと僕は危惧している。