社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

たけしの8.6秒ラッスンゴレライ酷評について

ビートたけしの8.6秒バズーカーに対する酷評が話題になっている。たけしにはたけしの深い持論があってのことだと思うが、お笑いを評価するのはお笑い専門家ではなくて一般素人市民だ。重鎮の評価も一理あるが、一般にうけてなんぼの世界である。

たけしには悪いが最近のたけしのお笑いよりも、ラッスンゴレライの方が僕は圧倒的に面白いと思う。確かに現在の重鎮としてのたけしの存在は今までの面白いお笑いの積み重ねによってできたものである。しかし今のたけしの芸は、面白いというより大物がやっているから笑っているという感じではないのか。

確かにたけしは凄い人である。映画など多彩な方面で才能を発揮している。司会での突っ込みも絶妙である。しかしお笑いに関しては、昔のたけちゃんマンよりラッスンゴレライの方が圧倒的に面白い。一発屋といわれるかもしれないが。

最近、多くの日本人がたけしのお笑いに対して冷静に見れてないのではないかと思う。たけしがやっているというだけで、本当に面白いことかどうかということが判断できていないのである。昔はツービートで漫才をやっていたらしいが、今一度その面白い漫才を見せてもらいたいものである。

韓国・朴の迷走が続く

今、韓国政界が迷走状態である。その迷走は一年前のセウォル号沈没事故から始まった。朴のセウォル号対処で不手際が連発し、それに複数の側近の金銭問題が次々と噴出し、朴の任命責任が問われ、この一年支持率は下がる一方である。先日も中国を中心としたアジア関係の大きな動きがある中、その時朴は地球の裏側の南米に外遊していた。そして帰国した途端、胃痙攣という聞きなれない症状で数日間絶対安静だそうだ。

国家首脳の健康管理は最重要事項だ。第一次安倍内閣が安倍氏の体調不良で退陣することになったことは記憶に新しい。首脳の体調不良は国民から責められるべきことなのである。

しかし朴の周囲でこれだけの不祥事がありながら、朴自身の進退につながらないのは不思議だ。大統領という肩書はそれだけ大きな権力を持っているということだろうか。他人事ながら、大統領を退任した後に不祥事が噴出しないか心配である。

今、日中関係が改善の兆しを見せ、韓国は孤立しないかと焦っている。そして韓国国内経済は悪化の一途をたどっている。いまや朴の頼みの綱は反日しかないように思える。

朴のすることはだいたいパターンが読まれてきた。時期尚早ながら、次期大統領のことが気になる。反日キャンペーンは変わらないだろうが、経済問題、安全保障問題で日本、そしてアメリカとどのように連携をとるのか、気になるところである。

日本の建築文化への疑問

今日本では、住居を建てても30年から50年くらい経つと取り壊して立て直すことが普通になっている。家は古くなると新しく建て直すものだという認識が広まっているのだ。それに沿うように、建築会社も数十年で建て替えることを前提に新築住居を建設している。しかしこのような異常な取り壊し文化は日本だけみたいだ。

もちろんそれには日本特有の事情もある。日本は世界一の地震大国だ。古くなって耐久性の低くなった建物は耐震基準に合わず、新しく建て直すことになる。しかしその一方、千年以上前の文化財と呼ばれるような建築物が幾度もの大地震を乗り越え今も現存している。五重塔は地震の揺れを吸収するように揺れる構造になっている。今の言葉で言うと免震構造とでも言うべきか。昔の人の知恵に驚かされるものである。

最近、東京のホテルオークラが建て替えられることになった。ホテルオークラは名建築物とも言われ、取り壊し反対の声も大きい。数か月前にオバマ大統領が来日した際に宿泊したのもホテルオークラだった。

今、人々の意識も使い捨てからリサイクル、あるいは良い物を長くというふうに変わってきている。その風は建築にも当たらないだろうか。もちろん長く残せるような建築物を作ろうとするとそれなりに費用もかかる。しかし「良い物を長く」という思想は必ず日本国民の中に受け入れられるはずだ。そして高度な文化を発展させるためにはそのような思想は絶対条件として必要だと思う。

アメリカの日本防衛の確約

現在、日米同盟のさらなる強化が進んでいる。安倍首相はアメリカに対する軍事的支援を積極的に行っていくことを強調しているようだ。その真意は、日本が有事の際にはアメリカの軍事的支援を確約するということを明確にするためだ。

今まで日本は平和のフリーライダーといわれていた。血を流さずに平和にタダ乗りしていたのだ。しかしそのままの状態ではこれからもアメリカの軍事的支援を受けることは確約できない。オバマはアメリカが世界の警察官の役割から降りると明言したのだから。

日本には平和主義者といわれる人が多くいる。軍事などいらないと主張する人たちだ。確かに戦後今までは日本は特に戦争に巻き込まれることなく、軍事など必要ないという幻想にとらわれるかも知らない。しかし自衛隊と米軍の後ろ盾が抑止力になって平和が保たれていることは事実だ。今、中国が台頭してきており、韓国関係も険悪になる中、この平和が恒久的に続くという保証はない。

非暴力・非軍事の象徴としてガンジーの行動を持ち出す人がいる。左頬をぶたれたら右頬を出しなさいと。なぜガンジーはそのようなことができたのか。それはガンジー自身が自己の行動に命を懸けていたからである。何の覚悟も持たない日本国民が非軍事を唱えて軍事的行動を批判するのとは全く違う。それを履き違えている人が多い。

今台頭してきている中国は隣国である。もちろん中国関係の有事が起これば日本もそれに巻き込まれることが予想される。むしろその有事の矛先が真っ先に日本向けられる可能性の方が高い。その時、今の日米同盟強化の効力がものを言うであろう。

ビジネスにおける日韓問題

今、韓国で日本製品排斥運動が起きている。それと同時に日本でも韓国製品排斥の機運が高まっている。韓国での日本製品排斥の原因は、朴の反日運動によるものである。それに対して日本の韓国製品排斥運動の原因は、日本国内ではなく韓国の反日運動に対する反動による嫌韓が原因である。

韓国製品排斥の影響をもろに受けているのがサムスンだ。世界的にみるとサムスンのスマホは世界シェア1位をとっていた。しかし今はアップルの勢いに押されれる形で凋落の一方である。特に日本国内ではその傾向が顕著だ。

そのような現状に対する苦肉の策として、サムスンは日本国内でのサムスンブランドのアピールを廃止することにした。最新のサムスンスマホ本体にはサムスンのロゴはない。さらに日本国内での社名変更まで考えられているらしい。サムスンスマホの韓国色を消すのに躍起になっているのだ。

しかしそもそも以前から韓国製品は日本ではほとんど受け入れられなかった。韓国の現代(ヒュンダイ)自動車がいい例だ。日本に進出して10年ほどで撤退した。サムスンは韓流ブームに乗ってたまたま一時的に受け入れられたと言っていい。韓国製品のイメージは、高くも安くもなく、良くもなくというところであろう。

しかしここ十年以上は日本企業の方が世界的に失敗していた。携帯に限らず全ての物に「値段の高いガラパゴス商品」というレッテルが貼られた。すなわち世界標準を作れなかったのだ。サムスンは過去数年、世界標準を作るのにある程度成功した。それがテレビ・スマホの躍進につながったのだ。

デフレ脱却で日本企業が徐々に盛り返してきている。次世代の世界標準を何とかものにしてほしいが、いい意味でのガラパゴス性も日本の個性として打ち出していってほしいものである。

大阪の学力テスト問題について

4月21日、全国で学力調査テストがあった。このテストの本来の目的は、学力の地域的格差を把握することだ。しかし今回、大阪府がこの学力テストを高校受験の内申点に反映させると発表したことが物議を醸している。簡単に言えば、相対評価から絶対評価に転換するというわけだ。

初めに僕自身の意見を言うと、このことに関しては賛成だ。しかしいきなりこのシステムを導入するには準備がなさすぎだったことは問題かもしれない。

このテストを内申点に反映させることによって、学校がランク付けされること憂慮する人が多い。しかし今の日本の問題として、何事に関してもランク付け・順位付けすることに対してあまりにも嫌悪感を持ちすぎだということがあると思う。これはもうほとんどアレルギーというレベルだ。それでありながらランク付けに対する負の側面を厳密に議論されているところをほとんど聞いたことがない。

ランク付けを否定する人たちは大体平等性に関して敏感だ。しかしそれらの人たちは平等という言葉の意味を履き違えている。できる人とできない人を同等に扱うことが平等ではない。能力に応じてそれ相応の扱いをするのが本来の平等だ。もちろんペーパー一つで簡単に優劣をつけられないこともたくさんある。しかし、才能のあるものに対して才能を認めることも大事である。

大人になれば否が応でも競争にさらされる。中学高校まで競争を否定しながら大人になってすべて競争だと豹変させるのは、それはそれで酷だと思う。確かに競争がすべてではない。個性・オリジナリティも非常に重要だ。しかし順位をつけざる負えないことも多々ある。オリジナリティのない人がランク付けを否定してもそれは単なる愚痴でしかない。

ナンバー1はオンリー1でもある。しかしオンリー1はナンバー1ではない。もう一度人より優れた才能・技術をつけることに重きを置く大切さを説く時期にきているのではないかと思う。

頑張れ、花燃ゆ

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が低視聴率でバッシングを受けている。おそらく内容が地味すぎて一般受けしないのだろうと思う。しかし今年の「花燃ゆ」は僕はこれまでの大河ドラマの中では一番好きだ。数年前に三年にわたって流されたHNK特別ドラマ「坂の上の雲」は桁違いのスケールで、司馬遼太郎の原作もすごく良かったこともあり、史上最強のドラマだったのではないかと思うが、今回の花燃ゆは地味だが深いドラマだと思う。

吉田松陰の思想と行動は圧巻だ。吉田松陰を中心と見ると素晴らしい生き方を訴えてくる、圧巻のドラマと言える。ただ主役が松陰の妹であり、変に乙女チックな所を入れるのが、バランスを崩しているようで残念だ。圧巻の松陰も前半で処刑され、出番は終わる。その後は松陰の弟子の活躍が楽しみだ。

松陰とその弟子を主人公にして堅いドラマにすれば、その男臭さが半沢直樹を思い出させもっとヒットしていたのではないかとも思う。何はともあれまだ前半戦だ。これから巻き返してくることを楽しみにしている。

起業精神を押し付けるのは無責任だ

今に始まったことではないが、社会の中で、特に知識人がもっと起業しろ、起業精神を持てと煽っている。確かに起業して一から新しいことを始めることは素晴らしいことだ。そして成功すれば大きなリターンが入ってくるのも魅力だ。

しかし起業することはメリットばかりではない。もしかしたらメリットよりさらに大きいリスクがあるかもしれない。開業資金としてまとまったお金が必要だし、開業しても黒字に持っていくのは至難の業だ。

起業して成功する人の何倍もの失敗者が存在する。失敗してやり直そうかというレベルのことならまだいいが、莫大な借金を抱え自殺する人も後を絶たない。

田原総一郎氏は僕の好きな評論家のうちの一人だが、彼がやたらと企業しろ、起業精神を持てと叫んでいるのには納得できない。企業のメリットばかり取り上げて、リスクは一つもしゃべらないのである。田原氏に限らずビジネス雑誌などでも起業のリスクを取り上げたものは非常に少ない。そもそも田原氏は起業したことはあるのかと問いたい。

安易に起業するくらいなら起業しない方が絶対に良い。明確なビジョンと確固たる覚悟がある人だけが起業するべきなのだ。

20代、30代の死因第一位は自殺だ。もちろん自殺の原因は精神疾患など様々だと思うが、事業の失敗による借金が原因の自殺もかなり多い。この様に間違えば命のかかわるようなことを軽薄に煽り立てることは本当にやめていただきたい。

最後に、僕自身も起業自身は否定しないし、果敢に取り組もうとする人は素晴らしいと思うが、安易に起業すること、そしてそのような風潮を煽り立てるのは止めなければならないと思っているのである。

政府のテレビ番組介入について

政府・自民党がNHKとテレビ朝日に対して事情聴取をした。NHKについての聴取は「クローズアップ現代」でのやらせについてであって、HNK側に明らかに放送倫理に違反があると思われるので仕方ないとは思うが、問題はテレビ朝日についてだ。

聴取はテレビ朝日の「報道ステーション」内でのやり取りに関することであって、具体的には解説者の古賀氏が政府の圧力を受けているという発言に対してであった。番組内での古賀氏の振る舞いは適切ではないにしても、報道の自由という観点では外部の組織が介入すべきことではない。ましてや今回は政府・自民党が直接聴取を行っており、番組への圧力以外の何物でもない。

別にアメリカ・イギリスが進歩しているからといって、米英と比較する必要はない。しかし今回の件は外国と比較するまでもなく明らかにおかしい。軍事政権の報道検閲と全く同じだ。これが本当に自由主義国家日本の政府のとるべき行動かと疑ってしまう。

安倍政権に関しては個人的には支持しているが、今回の件には全く支持することはできない。もしこのような強権政治を安倍政権が続けるようなら、自由主義国家日本の総理としての資質に疑問がもたれる。

経済政策も大事だが、言論の自由は生きていくうえで個人意思への尊重に対する一番身近な保障だ。これが認められないと半軍事政権状態だと言われても仕方がない。

近頃の選挙で安倍自民党が圧倒的勝利を続け、安倍総理もかなり強気な政策をとっているが、この強気が独裁状態になると総理交代も訴えていかなければならない。政権政党交代まで行かなくても、自民党内に石破氏など総理の資質を満たした人物は存在する。これからの石破氏などの党内抵抗勢力の安倍政権監視に期待したいところである。

信頼できる製品への流れ

最近、日本製回帰の流れが加速している。日本製への流れ、それは信頼性への流れである。デフレ脱却から日本経済全体に余裕ができたせいか、国民が安物への追求から少し高くても信頼できるものへと追求の方向を変えてきた。

その流れの直撃をもろに受けたのがマクドナルドだ。もちろん現在のマクドナルドの極度の不振は景気や日本の国民性だけではない。異物混入、そして10年ほど前からの藤田体制からの脱却による負の影響、それに今の日本の流れが後押しした形だ。そしてマクドナルドは現在日本の経済の失敗の象徴となった。

それに対して成功の象徴となったのはユニクロである。一昔前、ユニクロは安物の象徴だった。しかしそれが過去の日本にマッチし、急成長を遂げた。そして日本経済が変わった。それに準備していたかのようにユニクロは淡々と改革を進めていた。

今でもユニクロの価格の安さは変わりないが、昔と比べて製品は格段とよくなっている。ちょっとした良品が格安で買えるのである。これはユニクロの企業努力以外の何物でもない。確かに雇用に関してはブラックとも言われているが、それに関しても改革をしていこうというのが感じられる。

一番の企業努力は製品向上への追求である。繊維会社と共同開発し、その研究開発に多額の研究費を投じている。このことが現在のユニクロ成功の一番の核心だろう。利益追従だけを見ていたのでは今のユニクロはない。もちろん利益を出すことは最重要事項ではあるが。

失敗と成功の象徴としてマクドナルドとユニクロを見てきたが、この構図は現在の日本の産業全体に見て取れる。これからも日本経済は変わっていくであろうが、それに柔軟に対応して成長していく企業はどれくらい現われるであろうか。僕は経済学者ではないので予想はできないが、そのような企業が多々現れてくるのを楽しみにしている。