社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

「記憶にございません」は、せこい。

政治家への疑惑追及で定番の答弁となっている「記憶にございません」という言葉。この言葉は考えれば考えるほどせこい言葉であることに気付く。

この言葉の特徴は、「やっていません」とは言っていないところだ。記憶にございませんと否定して、もし本当であることが暴露されると「やっていたけど記憶にないだけだ」と言い逃れができる点だ。すなわち嘘は言っていないと。

政治家は非常に便利な言葉を開発したものだ。国会での疑惑の追及は「記憶にございません」のオンパレードだ。この言葉は本当に禁止用語にしてもらいたいくらいだ。

「記憶にございません」と弁明する政治家は、それだけで信用すべき価値のない人間である。

即結果を出す大谷翔平。

今、二刀流・大谷翔平が熱い。メジャーリーグが開幕し、初先発初勝利後、3試合連続の本塁打。もちろん活躍の内容も素晴らしいが、即戦力として求められ、即結果を出すことには頭が下がる。

僕自身は何に対しても意外と粘り強くこなすのだが、大体想定よりもはるかに長い時間がかかっている。時間が決められると時間内にはできない。即結果を出すということができないのだ。

時間がかかっても、それに見合うだけの成果を出せればよいと思っている。しかし人生は有限だ。いくら長くなっても寿命が来るまでに達成しなければならない。

大谷翔平のように大きな結果を即出すという離れ業はできないが、大きな結果を出すべく粘り強く前に進んでみよう。

知識の奥深さ。

科学や医学の事を取り上げるメディアは非常に多いが、それらのメディアで取り上げられている知識にどれくらいの深さを求めるかということは難しい問題である。あまりにも深く専門的になると見る人も離れてしまうので、どうしても表面的・実用的な知識の紹介になってしまう。それらの代表的な例がクイズ番組であろう。

実用的知識や雑学などは非常に面白く、知らないよりも知っていたほうが良いが、その一方で専門的見識を軽視することは非常に危険である。全ての分野において専門的見識を持つことは不可能であるが、自分の専門分野を持ち、その専門分野において深い見識を持つことは非常に重要である。

自分の専門分野を究めることは、その専門分野だけでなく、日常的な知識に対しても思考の深さを与える。表面的な実用的雑学的知識を習得すると同時に、知識を深く掘り下げる作業が人間の幅を広げることになるだろう。

企業の研究に、独創性はいらないのか?

タイトルをこのように書いたが、もちろん企業における研究でも独創的な研究はいくらでもある。しかし僕が最近感じているのは「独創的なテーマの選定」の必要性だ。

最近、大手企業をはじめ、AI研究所なるものが続々でき、AI研究に対して巨額の予算が投じられている。もちろんそれだけの予算が投じられる背景には、将来ビジネスとしてそれを上回る利益を回収できる見込みがあるからだろう。

企業は大原則として利益追求のためにあるのだから、儲かる研究に資金を投じるのは当然である。しかし大手企業が新しい独創的テーマを選定できないことに、多少危機感を覚える。それで次世代ビジネスの世界で戦っていけるのかと。

分野が違うと、意外と本質は見えないものなのかもしれない。しかし本質の中には分野を問わず共通基盤的なものもある。そのような共通基盤的な本質を把握することは、どのような対象を専攻するにあたっても必要だと思うのだが。

批判を恐れてはいけない。

最近何かと批判・炎上が話題になるが、批判に対して過敏になりすぎている世論・メディアに疑問を感じる。

例えば、批判が100件あったと言ったら単純に多いようにも思えるが、日本人口を単純に1億人と考えれば100人はたった0.0001%に過ぎない。100万人でやっと1%なのである。もちろん批判的な人たちが皆、批判的行動を起こすとは限らないので何とも言えないが、メディアが十人・百人の批判に過敏になるのは行き過ぎだと思う。

一般論に変わるが、どんなことに対しても批判的な勢力は一定の割合で存在する。だから100%支持されようと考えるのはナンセンスだ。確かに批判の割合が多ければそれは考え直すべきなのかもしれないが、一つ一つの批判に対して過敏になる必要はない。

それに新しいこと、革新的な事を行う場合は、ある程度の批判は付きものだ。これらの批判を気にしすぎていては革新は生まれない。批判を覆すほどの結果を出せば、何も問題はないのである。

高梨沙羅、W杯歴代最多54勝目!

スキージャンプ・高梨沙羅さんが、歴代最多のW杯54勝目をあげた。通算104戦目での勝利なので、単純に出場試合の半分以上で勝利していることになる。

高梨沙羅さんと言えば、五輪で勝てないと言われることも多いが、W杯でこれだけ勝ち続けることは五輪で金メダルを取る事よりも圧倒的に難しい。五輪が瞬間風速だとすれば、W杯での通算勝利は持久力だと言える。

高梨さんはまだ21歳。これからさらに記録を伸ばし続ける可能性はある。4年後は五輪で勝利とつい思ってしまうが、今のままでも十分に偉大だ。

高梨さんに対して今日本人にできる事は、世界の頂点に立つ高梨さんを励みに自分もより上を目指すことだろう。この何気ないことの積み重ねが、結果的に頂点に立てるか平凡に終わるかという差になって表れてくる。

高梨さんの勝利に奮い立って、世界を舞台に暴れよう!

情報は正しいか?

近年のネット社会化によって、あらゆる情報が無料で簡単に手に入るようになってきている。しかし、その情報は本当に正しいか?と問われると、疑わしい情報もかなりある。

特にネット情報は真偽疑わしいものが混在しており、素直に情報を受け取ることは非常に危険だ。そういう意味で、現在においても信頼性の高い新聞紙による情報はかなり価値があると言える。

テレビにおいては、堅い報道番組とワイドショー的な情報番組では信頼性の落差は非常に大きく、特に後者においては司会者・コメント者が真偽に対する深い考察もなく情報・意見を垂れ流しにしていることもよく見られ、時にはそれらの真偽疑わしい情報が世論を形成する場合もあり、非常に危惧される状況である。

最近、フェイクニュースが問題にされている。悪意の持った偽情報に関しては言語道断だが、現実問題としてフェイクニュースが世間では真情報と信じられることも多く、情報を受け取る者に対しても情報に対する姿勢が問われるところだ。

これらの通り、現代では「火のないところに煙が立つ」ということが当たり前のように起こっており、そのような現実を情報受信者に対しても肝に銘じて情報に向き合うことが求められる。

大坂なおみの圧倒的勝利!

日本時間19日早朝、プロテニスの大坂なおみ選手が、四大大会に次ぐ主要な大会で初の優勝を果たした。もちろんこの結果は凄いのだが、それ以上にすごかったのがその中身だ。元世界ランク1位、そして現世界ランク1位を倒しての勝利だ。しかも試合の中身も大坂なおみの一方的な試合であった。優勝賞金1億4千万円の価値は十分にある。

大坂なおみを最近テレビで見たのは、とあるバラエティー番組で、サーブしたテニスボールを的に当てるというものだった。その番組でのトライは完璧ではなかったが、今考えるとそれも愛嬌だとも感じる。人間性もユーモアがあり、チャーミングで親しみを感じる。

日本人女子では伊達公子以来の世界トッププレーヤーだが、その強さは既に伊達の全盛期を超えているように思える。早計かもしれないが、今回の戦いを観ていると世界ランク1位も夢じゃないように思える。

少し前まで錦織圭選手の試合を手に汗を握って観ていたが、これからは大坂選手に注目だ!

最年少記録を打ち立て続ける藤井六段。年齢をどう捉えるか?

藤井聡太六段がまた一つの記録を作った。順位戦C級2組を全勝(史上6人目)で一期抜け。そして年間60勝(史上4人目)、先日には年度記録4冠(史上3人目)も達成している。最年少記録を次々と打ち立て続ける藤井聡太六段は驚異的としか言いようがない。

もちろん年少で記録し続けることはそれだけで大きな価値があるが、しかし記録は年少でないと価値がないわけではない。米長邦雄永世棋聖のような大器晩成の棋士もおり、その他の分野を見渡しても晩成の人物はいたるところで見かける。

もう歳だからとあきらめる人は多い。もちろんそれは賢い選択であろう。ただ、賢すぎる生き方をする人物は、なかなか偉大にはなれないような気がする。大成するためにはバカな面は多かれ少なかれ必要だ。バカになり切れるか、そこが非常に重要なポイントである。

バカというのはネガティブな事ではない。バカになりきるためには才能・人間性など、あらゆる資質が必要である。才能がない人間はバカにはなりきれない。

自分はどこまでバカになり切れるか?そんなことに挑戦したいと思う今日この頃である。

昭恵夫人は利用されているのか?

現在、国会で渦中の人となっている安倍昭恵夫人。森友問題に関しては次々と疑惑が出ているが、昭恵夫人はどこまで責任を取るべきなのだろうか?

もちろん、現在の財務省を中心とする問題はあくまで“疑惑”なので真相は完全に明らかになっていないが、普通に考えれば昭恵夫人は完全に森友側に利用されていたと言えるだろう。とは言え、首相夫人の立場でありながら簡単に利用されるのは問題であり、昭恵夫人に全く悪意はなかったにせよ責任問題は生じてくる。

責任の本丸は財務省であり、また首相であるといえる。この双者は切っても切れない関係であり、片方だけに責任を負わせるのはとかげのしっぽ切りとなってしまう。もちろん首相に関しては支持率などの国民の審判が下されるので、財務省側だけに責任を負わせたからといって首相が無傷で済むわけではない。さらにそれによって国会が進行しなければ、首相の責任問題はさらに強くなる。

とは言え、昭恵夫人に責任はあったとしても、過度な責任を押し付けてはならない。責任の矢面に立つのは安倍首相・麻生財務大臣、そして財務省である。そして官僚・職員に対して一極に責任を押し付けることはあってはならない。先日、職員に自殺者が出てしまったが、一極に責任を押し付けると第二の自殺者が出ないとは限らない。与党・財務省の対応、そして野党の追及に関しては共に、過度な偏りのない行動が強く求められる。