社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

ベルリンフィルの首席指揮者をめぐって

最近、ベルリンフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者の交代をめぐって内部で議論が起きていたらしい。ベルリンフィルと言えばウイーンフィルとともに世界の頂点に君臨するオーケストラだ。昔はフルトヴェングラーやカラヤンなど超巨星とも言えるような偉大な指揮者がいたものだが、カラヤンの跡を継いだアバド以来小粒な感がするのは僕だけであろうか。今回のことに関しても僕の不勉強のせいか、前指揮者、新指揮者とも名前を存じなかった。

音楽に疎かった僕がカラヤンのことを知ったのは大学の混声合唱団に入った時のことだった。カラヤンは帝王と言われ、首席指揮者ではなく終身常任指揮者と言われていた。なんだか巨人の長嶋茂雄のようだ。しかし最近は大物と言われる指揮者の名前をあまり聞かない。日本にいて聞くのは日本が誇る偉大な指揮者小澤征爾くらいだ。

小澤征爾と言えばちょっとした思い出がある。もちろん面識などはないのだが。信州松本で毎年開かれるサイトウキネンオーケストラという小澤征爾が主宰する音楽祭がある。大学時代、そのサイトウキネンのチケットを取るのに徹夜で並んでいたところに小澤征爾がサプライズで現れた。もちろん会場は大騒ぎ。僕もどさくさに紛れて小澤征爾と肩を組み写真に写り、シャツにサインをしてもらった。しかし今は写真もシャツも手元にない。小澤先生、ごめんなさい。

話はベルリンフィルに戻って、世界トップの演奏者が集まるベルリンフィルの指揮者は猛獣使いと言われている。演奏者一人一人がライオンなのである。そのような猛獣をいとも簡単に操り最高の音色を奏でさせるカラヤンのような超巨星はこれからまた現れるのだろうか。僕が生きているうちに現れることを期待するところである。

言論・表現の自由と多様性

言論・表現の自由と多様性は民主主義の根幹だ。自由と言ってももちろん他人を傷つけることや絶対に言ってはならないこと、卑劣な表現などは民主主義以前の問題、倫理の問題としてやってはならないことだ。しかし基本的に自由と多様性は認めなければならない。

最近、自民党内での会合での発言が問題になり、責任問題でもめている。今回の発言問題は民主主義国家の政府与党内の発言として決して認められないものだ。与党内での発言は権力者の発言であり、弾圧につながる。一般市民が勝手に発言するのとは訳が違うのだ。

僕は過去のブログで述べたように安倍政権を支持している。支持政党をコロコロと簡単に変えるのはあまりよろしくないとも思っている。どこの政党を支持するかは各自の自由だが、支持政党の行方をじっと見守ることも大事だと思う。

僕は安倍政権を支持しているが、残念なのが安倍氏の取り巻きたちだ。安倍首相自身は慎重に政策を動かしていても、取り巻きたちが安倍政権の盤石なことをいいことに好き勝手言い放題だ。そこには慎重のかけらもない。安倍政権の足を引っ張るだけである。しかしそれらの取り巻きをコントロールしきれていない安倍氏自身にも責任はある。安倍氏も対外政策だけではなく、党内の取りまとめに一度大きく取り組んではどうかと思う。そうでもしないと今の党内の現状では政権が足元からすくわれることにもなりかねないと僕は危惧している。

少年Aの手記について

最近、18年前に神戸で起きた「酒鬼薔薇事件」の加害者少年Aの書いた手記が出版されて話題になっている。この出版に関しては書店の間でも是非が分かれ、店頭に並ぶことを拒否する書店も出てきている。僕の家の近くの書店では拒否の姿勢を貫き、関連記事を載せている雑誌の取り扱いまで拒否している。今日、大手の本屋に足を運んだが、その書店では少年Aの本が山積みされていた。

ビジネスとして利益を優先させるか、あるいは信念・倫理を重視し取り扱いをやめるか、書店としては悩ましいところであるが、その判断を書店に強制するものではない。その両者がいることは日本の書店業界の多様性・自主性が現れていていいことだと思う。

僕はこの少年Aの手記「絶歌」を読んだわけではないので偉そうなことは言えないが、この本の出版に関する一番の問題は、当たり前のことではあるが自分の起こした殺人事件をネタにして収益を上げていることであろう。そして遺族側からすれば、もう一度事件を煮え繰り返される苦しさがある。

僕自身、少年Aが手記を出すこと自体は否定しないし、実際にこれだけの読者がいることを見ると社会の需要にこたえているとも言える。出版社のビジネスとしてはこれほどおいしいものはない。ただ倫理的な問題はかなり大きいが。

先ほど言ったように僕はこの本を読んでいないし、これからも読むつもりはないので、この本の出版に関して判断を下すことはできないが、この出版の倫理に関しては深い問題がある割に、社会での現在の議論に関しては陳腐であるような感は否めない。

言論の自由はどこまで

先日、自民党の勉強会で作家の百田氏が「沖縄の2新聞紙をぶっ潰せ」と発言したそうだ。百田氏は後に冗談だったと弁解しているが、発言した場所が場所だ。政府与党の自民党内の会合内での発言とあって、その場での発言は半公式であり責任が問われる。もちろん民間人の百田氏に発言の自由はある。しかしその場では公人としての発言が求められている。

現在の沖縄の世論は急進的だ。政府と真っ向から対立し、沖縄内では反安倍色が濃いように見える。その沖縄の世論に本土の日本人が反論を述べるのは自由だ。しかし政府与党が沖縄の世論を押しつぶすようなことは許されない。沖縄世論に反する政策を打ち出すときは、100%納得させるのは無理としても粘り強く対話を重ね誠意を見せることが沖縄県民への礼儀でもある。

地政学的に沖縄は重要な所に位置している。沖縄から基地をなくすことは日本の国防政策としてあり得ない話だ。まずそこから話を進めなければいけない。なぜ本土ではなく沖縄でないといけないのかと。そこを抜きにして強引に沖縄に基地を作ろうとしても沖縄県民は納得できるはずがない。基地をどこに作ろうかではなくなぜ沖縄に基地が必要なのかと。

一般人の発言には自由が伴うが、政府与党側の発言には責任が伴い一般人の発言と区別しなければいけない。百田氏も今回の発言は政府与党内での答弁だという意識が全く欠けていたと見受けられるので、これからのそのような発言の場では十分に慎重になってもらいたいものである。

古典地図から見た尖閣諸島

ここ数年、尖閣諸島の領有権をめぐって日本と中国の間で対立が起きている。日本、中国双方の間でそれぞれ自国の主張があるが、お互い自国の有利な主張しかしないので平行線をたどっている。では尖閣を第三国から見ればどうであろうか。

最近、19世紀終わりに作られた英国・ドイツの地図が発見された。それによると両方とも尖閣は日本領となっていたそうだ。これを聞いて気の早い政治家などは、だから尖閣は古来から日本の領土であったというだろうが、見方を変えれば所詮外国の作った地図がたまたま尖閣を日本領に分類しただけのことでもある。

しかしこのイギリスの地図にはもう少し深い意味がある。当時香港と朝鮮南部の島は英国領であった。そしてその双方を結ぶ航路はイギリスにとって重要であった。そこでその航路上にある尖閣の領有権は英国にとってはっきりさせていなければならない問題であった。そこで英国は尖閣を日本領と認識していたのだ。

領土の領有権をめぐる争いは世界いたるところで起きているが、当たり前のことだがどこの国も自国にとって有利な事しか主張しない。領有権の合理的な解決は不可能かもしれないが、第三国の視点というのは解決の一つの糸口になるのかもしれない。

株主総会がピークを迎える

多くの会社の株主総会が先日一斉に行われた。株主総会は90年ころからほとんどの企業が同日に一斉に行われるのが習慣だった。その理由は総会屋対策。当時総会を荒らして企業に金品を要求する総会屋の動きが活発だった。それを防ぐためにほとんどの企業が同日に株主総会を開くようになった。そうすれば一人で同日に何社の総会に出席することはできないので、この総会屋対策は一定の成果を上げた。

しかしもちろん本来の株主たちも数社の株を所有していても一社の総会しか出席できなくなる。この様な弊害が指摘されていた。そういうこともあって今では総会日程が分散する傾向にある。

ところで今話題になっているトヨタのAA型株というものがある。購入すると5年は売ることはできないが、5年後には元本が保証されているというものだ。この株によってトヨタは中・長期的な資金を獲得できるというメリットがあり、株購入者にも元本は保証されるというメリットがある。この新型株について今年のトヨタの株主総会はもめたらしい。物言わぬ株主が増えるのではないかと。結局採決の結果、新型株は導入される見通しとなった。

何かと保守的と言われる日本企業。このトヨタの革新的試みには大いに期待したいところだ。この新型株が証券業界に風穴を開けることになるであろうか。

三菱の水陸両用車が注目浴びる

今、三菱重工が水陸両用車を研究開発しており、それに米海兵隊が注目しているそうだ。というのは、現在海兵隊などで用いられている両用車は水上で時速15キロ、それに対して三菱の両用車は時速40キロ出せるそうだ。格段の違いである。これには米英の開発会社もギブアップしたようだ。

日米が現在水陸両用車を重要視する理由が一つある。対中国の対するものだ。今、中国が南シナ海で環礁を埋め立て軍事拠点化しようとしている。それに対して日米は有事の際にはその環礁を突破しなければいけない。そのためにも高性能な水陸両用車は必須なのだ。

三菱の両用車が注目を浴びている理由はもう一つある。コストだ。英企業は技術的には可能かもしれないが、コストを考えると無理だと言っている。それを三菱はクリアしそうなのだ。コストの面に関しては最近の為替レートも少しは関係あるのかもしれない。しかし限られた予算で高性能製品を開発するのも高度な技術力が必要だ。

車・鉄道・飛行機などで最近快進撃を始めた日本企業。軍事技術に耐えうる製品を世に送り出せるのは日本の高度な技術力の証だ。なぜなら最も最先端で最高な技術は最初に軍事面に応用されることが多いからだ。

パリ航空ショー

先日、パリで航空ショーが行われた。世界各国から様々な航空機が所狭しと並んでいる。航空ファンなどは航空機の展示に気持ちを高ぶらせたことだろう。

この航空ショーはただの展示会ではない。航空機メーカーと航空会社の間の商談会でもあるのだ。もちろん日本の会社も参加している。三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)だ。しかしMRJはこの商談会での受注はゼロだった。それに対してMRJのライバルのブラジルの航空機メーカーは50機も受注した。この差は実績の差以外の何でもない。MRJの開発は遅れに遅れ、先日飛行場の滑走路を走った(歩いた?)だけだ。まだ空は1センチも飛んでいないのだ。したがって実績はゼロに等しい。そんな会社に大きな期待をするのも無理な話だ。しかしこれから巻き返すチャンスは十分にある。ぜひとも巻き返してほしいものである。

今まで飛行機と鉄道は棲み分けができていた。短距離は鉄道、長距離・海外へは飛行機と。しかし鉄道の高速化に応じて鉄道が飛行機のシェアを侵食しだしてきた。特に日本国内ではそれが顕著だ。ヨーロッパでも今はフランスとイギリスの間をユーロスターという高速鉄道で行き来できる。いま飛行機と鉄道はしのぎを削り合っている。日本は鉄道分野では新幹線という世界一の製品を手にしている。そして今飛行機産業にも食い込もうとしている。まだ日本の飛行機産業は新幹線には全然かなわないが、数十年後には新幹線と飛行機が日本の交通産業の両輪として世界でフルに力を発揮しているところを見たいものである。

安倍思想は軍国主義への足音か

現在、国会で安保法制の議論が行われている。安倍首相の主張を一言でまとめると、「自衛隊が軍事行為をしなければ、後方支援や他国の支援は可能だ」というものだ。

今まで日本は金は出すが血は流さないと他国から非難され続けてきた。その批難に対して後ろめたさを感じているのだろう。単純に考えて紛争地域に行って血を流さずに済むとは考えにくい。本当に血を流さずに済むのならば自衛隊ではなくて民間人がいけばいい。僕自身は血を流すか流さないかという議論は重要ではない。なぜなら自衛隊は緊急時には血を流す覚悟で国を守る使命を持っていると思っているからだ。もちろん血を流さずに済むのならそれに越したことはない。無駄な血は絶対に流してはいけないのだ。しかし国民が危機にさらされている時には血を流す覚悟で守る、それが自衛隊の存在意義である。

今回の安保法制の問題点は、自衛隊が守るのが他国の国民、他国の軍隊であるということである。「自衛隊」という名前の通り、自衛隊は自国・日本国とその国民を守るためにある。それが他国まで乗り込むのは理にかなったことかということである。

瀬戸内寂聴さんが、安倍首相は軍国主義者で軍隊の足音がすると言っている。さらに昭和10年代の状況に似ていると言っている。僕は昭和初期には存在していなかったので、昭和10年代の状況が実際どんな感じだったかとは本でしか知らないが、瀬戸内寂聴さんのようにその時の様子を肌で感じた人の言葉は重い。

僕は安倍首相のことを軍国者だとは思っていない。しかし安倍首相の安保政策によって軍事行動に巻き込まれる可能性は高くなるのは確実ではないかと思う。日本の自衛隊の位置づけは世界的に見ても非常に特殊なので、他国の例をそのまま当てはめることはできない。それに憲法第九条との兼ね合いもある。

僕は安倍首相は信頼に足る男だと思っている。もちろん細かいことを言えば安倍首相のすることに批判もなくはない。しかし安倍首相を信じている。ただもし安倍首相が暴走気味になった時には民主党の岡田代表あたりが中心になって抑止しなければいけない。

ギリシャの金融危機

ギリシャの金融危機が最終局面に入りつつある。ギリシャのデフォルト(債務不履行)は現実的になりつつあるが、その先にはEU離脱というさらに大きな問題が待ち構えている。

EU離脱の境目は通過をユーロから独自通貨に変えた時だ。ギリシャのEU内での経済規模はわずか2%弱だが、ギリシャのEU離脱がEU全体にもたらす影響はもちろん小さくない。特にヨーロッパ各政府はギリシャから大きな債務を買っている。これをユーロ建てにするか、新通貨建てにするかによっても影響を受ける国が変わってくる。

ギリシャの金融破綻状態の一番の原因は緊縮政策の失敗にある。もちろんその前に財政政策、特に公務員を中心とする問題などがあるが、金融政策の失敗は政治家の失敗という以上に国民が導いたという色が濃い。節約はしたくないという思いから一時しのぎの考えで緊縮反対政党を選び、破たんへと突き進んでいる。

ドイツなどはギリシャの財政破たんを防ぐべく最大限の支援をしてきた。しかしそれに対してギリシャが出した行動は、ドイツに第二次大戦のナチスに対する莫大な賠償金を請求するということだった。ここまでひどくないが、東アジアのどこかの国に似ている。

ギリシャの現状況を導いた芯を一言で言えば「国民性」ではないか。しかし国民性は教育によって大きく変わる。現在の日本の国民性を形作っているのは高度な義務教育であることは間違いない。ギリシャもまずは長期的観点から見て教育改革から始めることが重要なのではないかと思う。