社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

強盗に襲われたスガさん

「一緒にいたアソウさんは助けるが、強盗に襲われたスガさんは助けられない。」安倍首相は集団的自衛権に関連する話題でこう話したという。

現在は個別的自衛権は存在し、自分たちに直接影響することに関しては防衛・攻撃はできるが、自分達とは関係ない(と思われる)ところで起きている犯罪には手も足も出せないということだ。しかし集団的自衛権が認められるとそのような事にも関与できるようなことになる。この集団的自衛権の焦点は、日本人(自衛隊員?)が日本に関係ないところで血を流すことになるのではないかという危惧である。しかしこのような思想は半分前時代的な考えが入っているのではないかと思う。

過去、そして今まで、防衛の単位は基本的に「国」であった。すなわち自分の国さえ平和ならば他の国は関係ない。実はこれは日本の平和憲法の思想の一面でもある。日本人は自国の憲法第九条平和憲法を誇りに思っている。しかしこのような自分の安全だけしか考えない思想が平和憲法の思想だと言えるだろうか。

集団的自衛権で実際に血を流す可能性が高いのは自衛隊員である。自衛隊員が戦地に行くことになる。しかしストレートに言えばそれが自衛隊員の仕事である。日本は徴兵制ではない。自衛隊員は皆志願してなっている。自衛隊の仕事は多岐にわたる。災害救助での活躍は最近は目覚ましいものがある。しかし自国が戦闘状態になればその最前線に行くのも自衛隊の仕事である。自衛隊の活動を否定するものは自衛隊員になる必要は全くない。しかし自衛隊員になりながら戦地に行くのは嫌だ、血を流す可能性のある活動なんてけしからんなんていうのは矛盾していないか。

戦地に赴くのが嫌でその時に脱隊する者がいれば、それは自衛隊詐欺以外の何物でもない。もちろん血を流さずに済めばそれが一番いいに決まっている。しかし誰かが血を流さなければいけない時がある。その時、自分たちは平和憲法の国民だから血は流せないので、アメリカが、あるいは他国が代わりに血を流してくださいとでも言うのか、と言う話である。

宇宙からこう言った者がいる。「地球に国境は存在しない」と。もう一国だけの平和が通じる時代ではない。国境は徐々に薄くなってきている。ヨーロッパもEUと言う形で国境が薄くなった。その中で日本は、東アジアは頑なに国境を堅持しようとしている。

まだ現時点では時期尚早かもしれないが、国境と言う概念はこれから薄くなっていく方向に進むのは間違いないであろう。

教育殺人

岩手県で中学二年生の生徒が自殺した。その自殺までの経緯があまりにも凄惨だ。教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんはこの事件のことを「教育殺人」と呼んだ。

自殺した生徒は担任に提出する連絡ノートに繰り返しいじめの苦しさを訴えていた。しかしそれに対する担任の返事は全て業務連絡的、機械的なものだった。この担任は教師と言う職をどう考えていたのだろうか。何も今の時代に教師の職業のことを聖職とまでは言わない。しかし今回の教師はまるでコンビニのバイトくらいの感覚で職を遂行していたのではないか。コンビニのバイトをバカにするわけではない。しかしコンビニのバイトと教師の職では給与は桁違いに違う。それは仕事への責任の裏返しでもある。

さらにびっくりしたのが、集会で校長は謝罪の言葉を全く述べなかったことだ。おそらく今は学校ぐるみで保身の道へ突き進んでいるものと推測される。生徒が何かで活躍するとまるで自分たちのことのように学校ぐるみで胸を張るのに、不祥事が起きると誰も関係ないと保身に走る。もうおなじみのパターンだ。

今回の事件は尾木氏が言うように教育殺人と言う言葉がふさわしい。学校ぐるみの犯罪と言えるだろう。もちろんいじめていた加害者生徒には大きな責任がある。しかし今回のいきさつを見ていると、教師もいじめに加担していたも同然だ。

この様な事件が起こるたび、大人の汚い側面が強烈にあらわになる。本当に醜い。この醜い大人たちに「教育」というものをされている生徒たちも被害者だ。今頃、醜い大人たちは自分のことしか考えていないだろう。どうしたら処分を免れるのだろうと。彼らの眼中には自殺した生徒のことは全く映っていない。

韓国に対して怒りを通り越してあきれる、そして韓国に対する日本の報道について

7月5日、日本の明治産業革命遺産に対する世界文化遺産登録が可決された。しかしこの登録については日本と韓国の間で最後までもめにもめた。何がもめたのか、いつものパターンなのでいちいちここで述べるのも無駄であるが、もうここまで来ると韓国に対して怒りを通り越してあきれ返り、韓国が哀れに思えてしまう。

いまヨーロッパではギリシャ問題でもめている。ギリシャの問題は内容が切羽詰っており緊急問題であるが、韓国が日本に対して非難している内容は裏付けもなく、また今回の世界遺産の趣旨からも大きく外れており、くだらないの一言だ。そんなくだらないことを認めるくらいなら無理に世界遺産にしなくていいのではと言うのが多くの日本国民の声ではないか。

それからもう一つ言いたいことは、日本の報道機関に対してである。日本と交わりのある国は韓国・中国だけではない。近くには台湾・フィリピンもあるし、ロシアもある。もっと距離を広げば日本と密接な関係にある国はたくさんある。日本は世界的に見ても最も信頼されている国だ。それなのに流れてくるニュースは韓国が非難したとかケチをつけたとかの、くだらないニュースばかり流してくる。アフリカに対する継続的な援助の話題が二つでも出たことがあるか?初めの一つは出ても二度は流れない。アフリカ住民に対しても失礼である。もっと多様な世界の人間を視野に入れなければならない。しかし報道局の視野に入るのは韓国のくだらない話ばかりである。

南シナ海では中国とフィリピンの間で非常に深刻な事態が起きている。岩礁の埋め立て、軍事要塞化の問題である。このニュースのように世界的に見て重要なニュースはたくさんある。それでいながら報道局が流すのはまた韓国がケチをつけてきたという話題である。

もうこれは報道機関の見識が問われるレベルの問題である。あまりにもレベルが低すぎる。日本国民に、そして世界の市民に非常に失礼なことをしていることに気づかないのかと思う。

ギリシャの国民投票について

日本は現在7月5日午前0時、ギリシャ現地時間5日にギリシャで国民投票が行われる。緊縮財政を伴うEU支援を受け入れるか、それに反対してEU離脱への道を進むのか。簡単に一言で言うと、倹約を約束するか、贅沢したいかみたいな感じだろうか。

日本国民の感覚から言うとギリシャ国民の感覚は異常とも思えるが、南ヨーロッパ気質とでも言うのか、彼ら彼女らは非常に楽天的だ。昔こんな本が日本で流行った。「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」。確かに日本人の用心深さは異常とも思える時があるが、その慎重さと堅実さが今の日本の繁栄を作り上げたのであろうか。

ギリシャの話に戻るが、それにしても情けないのが大統領をはじめとする政治家である。今回の判断は重要事項ではあるが、いちいち国民投票などにするものではなく、大統領の決断一つで決める類のものである。大統領は国民に直接選ばれた者であり、それが故に大きな権力を持つ。今回の国民投票は大統領の責任逃れとしか言いようがない。

今回の判断は、二者の良し悪しを決めると言うより、悪いか・もっと悪いかを決めるもののように思える。はっきり言って完全に手遅れなのである。それを決定的にしたのが、緊縮財政を進めようとした前大統領を否定して、緊縮財政反対の現大統領を国民が選んだことである。現大統領は現在も国民に甘い言葉ばかりささやいている。それに国民も酔いしれている。

今回のEU支援をもし否定した時、その時が国民が本当の現状に目が覚める時ではないかと思う。

ベルリンフィルの首席指揮者をめぐって

最近、ベルリンフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者の交代をめぐって内部で議論が起きていたらしい。ベルリンフィルと言えばウイーンフィルとともに世界の頂点に君臨するオーケストラだ。昔はフルトヴェングラーやカラヤンなど超巨星とも言えるような偉大な指揮者がいたものだが、カラヤンの跡を継いだアバド以来小粒な感がするのは僕だけであろうか。今回のことに関しても僕の不勉強のせいか、前指揮者、新指揮者とも名前を存じなかった。

音楽に疎かった僕がカラヤンのことを知ったのは大学の混声合唱団に入った時のことだった。カラヤンは帝王と言われ、首席指揮者ではなく終身常任指揮者と言われていた。なんだか巨人の長嶋茂雄のようだ。しかし最近は大物と言われる指揮者の名前をあまり聞かない。日本にいて聞くのは日本が誇る偉大な指揮者小澤征爾くらいだ。

小澤征爾と言えばちょっとした思い出がある。もちろん面識などはないのだが。信州松本で毎年開かれるサイトウキネンオーケストラという小澤征爾が主宰する音楽祭がある。大学時代、そのサイトウキネンのチケットを取るのに徹夜で並んでいたところに小澤征爾がサプライズで現れた。もちろん会場は大騒ぎ。僕もどさくさに紛れて小澤征爾と肩を組み写真に写り、シャツにサインをしてもらった。しかし今は写真もシャツも手元にない。小澤先生、ごめんなさい。

話はベルリンフィルに戻って、世界トップの演奏者が集まるベルリンフィルの指揮者は猛獣使いと言われている。演奏者一人一人がライオンなのである。そのような猛獣をいとも簡単に操り最高の音色を奏でさせるカラヤンのような超巨星はこれからまた現れるのだろうか。僕が生きているうちに現れることを期待するところである。

言論・表現の自由と多様性

言論・表現の自由と多様性は民主主義の根幹だ。自由と言ってももちろん他人を傷つけることや絶対に言ってはならないこと、卑劣な表現などは民主主義以前の問題、倫理の問題としてやってはならないことだ。しかし基本的に自由と多様性は認めなければならない。

最近、自民党内での会合での発言が問題になり、責任問題でもめている。今回の発言問題は民主主義国家の政府与党内の発言として決して認められないものだ。与党内での発言は権力者の発言であり、弾圧につながる。一般市民が勝手に発言するのとは訳が違うのだ。

僕は過去のブログで述べたように安倍政権を支持している。支持政党をコロコロと簡単に変えるのはあまりよろしくないとも思っている。どこの政党を支持するかは各自の自由だが、支持政党の行方をじっと見守ることも大事だと思う。

僕は安倍政権を支持しているが、残念なのが安倍氏の取り巻きたちだ。安倍首相自身は慎重に政策を動かしていても、取り巻きたちが安倍政権の盤石なことをいいことに好き勝手言い放題だ。そこには慎重のかけらもない。安倍政権の足を引っ張るだけである。しかしそれらの取り巻きをコントロールしきれていない安倍氏自身にも責任はある。安倍氏も対外政策だけではなく、党内の取りまとめに一度大きく取り組んではどうかと思う。そうでもしないと今の党内の現状では政権が足元からすくわれることにもなりかねないと僕は危惧している。

少年Aの手記について

最近、18年前に神戸で起きた「酒鬼薔薇事件」の加害者少年Aの書いた手記が出版されて話題になっている。この出版に関しては書店の間でも是非が分かれ、店頭に並ぶことを拒否する書店も出てきている。僕の家の近くの書店では拒否の姿勢を貫き、関連記事を載せている雑誌の取り扱いまで拒否している。今日、大手の本屋に足を運んだが、その書店では少年Aの本が山積みされていた。

ビジネスとして利益を優先させるか、あるいは信念・倫理を重視し取り扱いをやめるか、書店としては悩ましいところであるが、その判断を書店に強制するものではない。その両者がいることは日本の書店業界の多様性・自主性が現れていていいことだと思う。

僕はこの少年Aの手記「絶歌」を読んだわけではないので偉そうなことは言えないが、この本の出版に関する一番の問題は、当たり前のことではあるが自分の起こした殺人事件をネタにして収益を上げていることであろう。そして遺族側からすれば、もう一度事件を煮え繰り返される苦しさがある。

僕自身、少年Aが手記を出すこと自体は否定しないし、実際にこれだけの読者がいることを見ると社会の需要にこたえているとも言える。出版社のビジネスとしてはこれほどおいしいものはない。ただ倫理的な問題はかなり大きいが。

先ほど言ったように僕はこの本を読んでいないし、これからも読むつもりはないので、この本の出版に関して判断を下すことはできないが、この出版の倫理に関しては深い問題がある割に、社会での現在の議論に関しては陳腐であるような感は否めない。

言論の自由はどこまで

先日、自民党の勉強会で作家の百田氏が「沖縄の2新聞紙をぶっ潰せ」と発言したそうだ。百田氏は後に冗談だったと弁解しているが、発言した場所が場所だ。政府与党の自民党内の会合内での発言とあって、その場での発言は半公式であり責任が問われる。もちろん民間人の百田氏に発言の自由はある。しかしその場では公人としての発言が求められている。

現在の沖縄の世論は急進的だ。政府と真っ向から対立し、沖縄内では反安倍色が濃いように見える。その沖縄の世論に本土の日本人が反論を述べるのは自由だ。しかし政府与党が沖縄の世論を押しつぶすようなことは許されない。沖縄世論に反する政策を打ち出すときは、100%納得させるのは無理としても粘り強く対話を重ね誠意を見せることが沖縄県民への礼儀でもある。

地政学的に沖縄は重要な所に位置している。沖縄から基地をなくすことは日本の国防政策としてあり得ない話だ。まずそこから話を進めなければいけない。なぜ本土ではなく沖縄でないといけないのかと。そこを抜きにして強引に沖縄に基地を作ろうとしても沖縄県民は納得できるはずがない。基地をどこに作ろうかではなくなぜ沖縄に基地が必要なのかと。

一般人の発言には自由が伴うが、政府与党側の発言には責任が伴い一般人の発言と区別しなければいけない。百田氏も今回の発言は政府与党内での答弁だという意識が全く欠けていたと見受けられるので、これからのそのような発言の場では十分に慎重になってもらいたいものである。

古典地図から見た尖閣諸島

ここ数年、尖閣諸島の領有権をめぐって日本と中国の間で対立が起きている。日本、中国双方の間でそれぞれ自国の主張があるが、お互い自国の有利な主張しかしないので平行線をたどっている。では尖閣を第三国から見ればどうであろうか。

最近、19世紀終わりに作られた英国・ドイツの地図が発見された。それによると両方とも尖閣は日本領となっていたそうだ。これを聞いて気の早い政治家などは、だから尖閣は古来から日本の領土であったというだろうが、見方を変えれば所詮外国の作った地図がたまたま尖閣を日本領に分類しただけのことでもある。

しかしこのイギリスの地図にはもう少し深い意味がある。当時香港と朝鮮南部の島は英国領であった。そしてその双方を結ぶ航路はイギリスにとって重要であった。そこでその航路上にある尖閣の領有権は英国にとってはっきりさせていなければならない問題であった。そこで英国は尖閣を日本領と認識していたのだ。

領土の領有権をめぐる争いは世界いたるところで起きているが、当たり前のことだがどこの国も自国にとって有利な事しか主張しない。領有権の合理的な解決は不可能かもしれないが、第三国の視点というのは解決の一つの糸口になるのかもしれない。

株主総会がピークを迎える

多くの会社の株主総会が先日一斉に行われた。株主総会は90年ころからほとんどの企業が同日に一斉に行われるのが習慣だった。その理由は総会屋対策。当時総会を荒らして企業に金品を要求する総会屋の動きが活発だった。それを防ぐためにほとんどの企業が同日に株主総会を開くようになった。そうすれば一人で同日に何社の総会に出席することはできないので、この総会屋対策は一定の成果を上げた。

しかしもちろん本来の株主たちも数社の株を所有していても一社の総会しか出席できなくなる。この様な弊害が指摘されていた。そういうこともあって今では総会日程が分散する傾向にある。

ところで今話題になっているトヨタのAA型株というものがある。購入すると5年は売ることはできないが、5年後には元本が保証されているというものだ。この株によってトヨタは中・長期的な資金を獲得できるというメリットがあり、株購入者にも元本は保証されるというメリットがある。この新型株について今年のトヨタの株主総会はもめたらしい。物言わぬ株主が増えるのではないかと。結局採決の結果、新型株は導入される見通しとなった。

何かと保守的と言われる日本企業。このトヨタの革新的試みには大いに期待したいところだ。この新型株が証券業界に風穴を開けることになるであろうか。