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IS(イスラム国)が3500人以上を処刑。命っていったい何だ

ISで昨年の6月から1年ほどで3500人以上の人が処刑されたという記事を見た。彼らにとって命とはいったい何なんだろうか。

人の命は世界中のどこでも、いつの時代でも同じだ。そう思っている人は僕も含めて多いはずだ。しかし現実は違うようだ。IS支配地域では人の命は虫けらのように扱われている。そして北朝鮮でもそのようなことがされている話はよく聞かれる。そして我々も無意識のうちに人の命を差別化しているのかもしれない。アラブでのテロは一言で済ますのに対して、パリでのテロは何週間にわたって話題になる。

そして場所だけでなく、時代によっても命の重さは変わる。日本においても太平洋戦争中に特攻隊が結成され、自爆攻撃がされた話は有名だ。その時代、日本人は自国民の命を虫けらのように思っていたのかもしれない。

学校では「命は尊いものだ」と教えられる。しかし、なぜ命は尊いか、それを説明できる教師は少ないだろう。これは簡単に一言で説明できる話ではない。学校で生徒の自殺が起きた時、教師は「命は尊いから大切にしなければならない」と発言する。しかし僕にはそれが呪文、あるいは教師の免罪符にしか聞こえない。命の尊さは、何年・何十年とかけて認識していき、人間は成長していくのである。それを教師が一言で説明できると思うのは勘違いも甚だしい。

ISの話に戻るが、ISは殺りくを繰り返している。その現実は必ず断たねばならない。しかしその主な手段は現時点では空爆となっている。その空爆で欧米は無数のイスラム住民を殺りくしている。もちろんISの首謀者を攻撃しているという言い分はわからなくもない。しかしこの空爆という大量殺りくはどうかならないものかと多くの人は悩んでいるはずだ。空爆は善なのか、悪なのか、それとも必要悪なのか、答えは簡単に出せそうにない。

 

一枚岩になれない対IS包囲網。トルコのロシア軍機撃墜で

現在、IS(イスラム国)のテロ行為は過激化かつ拡大化してきている。欧米をはじめとして対IS包囲網が敷かれているが、その矢先、トルコのロシア軍機撃墜事件が起こった。これによってトルコとロシアが対立化し、対IS包囲網の内部で亀裂ができつつある。

今は対IS包囲網の内部で攻撃し合う場合じゃない。一枚岩にならなければならない。今回のトルコとロシアの対立で、ISは狂喜していることだろう。ISの思うつぼである。

今回の事件を受け、トルコとロシアの間で解決しなければならない事案は山積しているだろう。しかし解決過程でお互いを攻撃することは望んでいないことを前提条件として打ち出す必要がある。絶対にそうしなければならない。間違ってもこじれた場合には攻撃し合うなんてことがあってはならない。

パリでのテロを受け、現在は世界中のどこでもテロが起きてもおかしくない状態に突入した。もちろん日本も例外ではない。これから2020年東京オリンピックに向けてその危険性は増すことはあっても減じることはないと覚悟しなければいけない。だからこそ、内部紛争している場合ではない。トルコとロシアの仲介をする国が必要だ。トルコと友好国であり、ロシアとも悪くない関係の日本はその候補になりえるだろう。ここは安倍総理に一肌脱いでもらいたいとこだ。これこそ真の国際貢献につながるであろう。

フランス大統領はパリのテロを受け、戦時状態に突入したことを宣言した。そしてそれ以外の欧米をはじめとする世界中の国家は準戦時状態ともいえるあろう。いま、戦争の形が大きく変わろうとしている。戦争を起こすのは国家ではなく、同一な考えを持つグループである。そのグループは国家のように一か所にかたまっているのではなく世界中に散らばっている。サイバー空間でのハッキング集団アノニマスを連想させる。このアノニマスはISをサイバー攻撃すると先日宣言した。このことに関しては欧米国家は内心喜んでいるだろう。アノニマスがどれほどの攻撃を仕掛けるかは現在は未知数であるが、「国家」である欧米・ISと対立するアラブ諸国、そして日本が今一番求められていることは、何度も言うようだが一枚岩になることである。

オウム・菊池直子被告に無罪判決、東京高裁裁判から

オウム真理教の元信者、菊池直子被告の裁判の判決が27日にあり、菊池被告に無罪判決が言い渡された。一言で言うと、検察側の完全な敗北だ。検察側は控訴するだろうが、今回のこの一件の判決は、検察側にも国民にも衝撃的な判決ともいえる。

ただ今回の判決に関して、一方的におかしいと言うつもりはない。むしろ日本の裁判システムの現状が現在は正常に稼働しているともいえる。それはこういうことだ。

過去の裁判では今回の判決とは全く逆のことが幾度か起きてきた。最近では袴田巌さんの判決が記憶に新しい。無罪である人間が不当な証拠で有罪、しかも死刑判決が下された。袴田さんは不幸中の幸いと言っては非常に失礼になるが、晴れて冤罪判決が確定され自由の身となられた。しかしこれまでに冤罪の疑いのある死刑囚が死刑執行された例がいくつか存在する。普段の社会生活で犯罪にあうのは怖いが、犯罪を犯していない人間が冤罪で突然国家権力に拘束されるのはもっと怖い。袴田さんはその犠牲になられた。

今回の菊池被告の判決は、有罪の疑いが強いが、不十分な証拠と取り調べに対して嫌疑不十分と判断された。この判決に不満を持つ国民は非常に多いと思われるが、裁判の原則は推定無罪である。疑いが曖昧な人間を一方的な思い込みで有罪にしては決してならない。袴田さんの二の舞は決して起こしてはならないのだ。

菊池被告への個人的な感情はともかく、裁判のシステム、今回の判決に対しては検察の敗北ということ以上に、裁判の正当性を主張するものであり、今回の裁判に関わった裁判官に対して支持を表したい。

この裁判は間違いなく最高裁に控訴されると思うが、検察はさらに確証の高い証拠を提示し、論理的弁証を行い、もしこれが有罪ならば最高裁判事を完全にうならせる形で判決を取ってほしい。

一億総活躍社会へ向けて。貧困からキャバクラで働く女子大生。(TBS・NEWS 23 より)

現在の安倍内閣の一つの目玉でもある、一億総活躍相。日本国民が幅広く活躍できる社会を目指してこれから政策を実行しようとしているところだ。その中の一つとして、意欲ある学生が大学・大学院へ進学し、勉学にまい進できる環境を作ることも、一億総活躍社会へ向けての重要な政策だ。

しかし、現在の大学生を取り巻く環境、ことに金銭的に余裕のない学生に対して社会が十分な環境を提供できているかというと、疑問に思うことが多い。11月26日のTBS・NEWS23で、貧困学生を取り巻く厳しい環境について特集された。

家庭の事情により仕送りを受け取れない学生も多いという。そのような学生の支援として奨学金制度があるが、日本の奨学金制度は世界の先進国の中では特に異常な状態に陥っている。現在の日本の奨学金制度はほとんど(99%と言っていいほど)貸与型である。しかもその半数の人は利子つきの貸与である。僕も大学院時代、奨学金を借りたが、もちろん貸与型であった。日本の奨学金はでは貸与型が常識であるが、海外(アメリカなど)ではこれを奨学金とは言わない。「ローン」と言うのである。海外で奨学金と言えば給付型が常識であるが、日本では給付型はほぼ皆無である。

一億総活躍社会を目指すには、将来の社会の戦力である学生に対する支援・援助は不可欠だ。しかし現在の日本では大学の卒業時点である社会生活スタート時に、数百万円という借金を背負わしているのである。こんな間抜けな国は世界のどこを見ても見当たらない。現在の日本は自分で自分の首を絞めつけているようなものである。要領よく切り抜けることができる社会人はいいが、一つの失敗が人生を大きく狂わせる、そのような原因に現在の奨学金はなっている。

NEWS23では、学費の捻出に苦しみ、キャバクラに従事する女子学生を取り上げていた。キャバクラの派手なイメージとは裏腹に、彼女らの生活は非常に暗いものになっている。彼女らは、キャバクラなど辞めれるものなら今すぐにでも辞めたいと言う。しかし金銭事情がそれを許さないのだ。

大学で高等教育を受ける代償がキャバクラでのバイトであるとは、今の学生を取り巻く社会は病んでいるとしか言えない。安倍総理が一億総活躍社会実現を目玉として取り組むのなら、このような普段は焦点が当たらない、しかし根深い問題にいち早く取り組んでほしい。せめて彼女らが訴える「昼の仕事で働きたい」という願いだけでもかなうような社会にしなければならない。

 

中国の兵法古書をしたたかに実行する中国・100年計画。

最近、アメリカ・日本が、中国の脅威に対して非常に危機意識を持ち始めている。もちろん以前から危機は感じていたのだろうが、スプラトリー諸島の埋め立て・軍事施設化が行われてから危機意識は非常に高くなっている。なぜアメリカは中国をここまで野放しにしてきたのか。そこにはどうやら中国の兵法に関する古書が一つの鍵になっているらしい。

中国には世界最古の歴史があり、幾たびの国盗り合戦が行われてきた。それらの国盗りの兵法に関する知識の莫大な蓄積が存在する。それらに関する古書を近代・現代の中国指導者達は参考にし実行しているという。

中国の指導者達が2049年までに世界の覇を実行するという計画があるらしい。中華人民共和国の建国が1949年、すなわち建国からちょうど100年で世界を制覇するという野望である。これは100年マラソンとも言われている。

そして現在、中国は強大な経済力を身に付け、その資金力・技術力をもとに巨大な軍事力を身に付けようとしている。

今まで世界の二大大国と言えば、アメリカ・ロシア(ソ連)であった。その二国がしのぎを削っている間に、中国はアメリカなどの力を利用して膨張してきた。漁夫の利とでもいうべきであろうか。

今、アメリカは中国の処遇に非常に頭を抱えていることであろう。現在の状況は中国の思うつぼになっている。最近になってアメリカは、南シナ海の航行の自由作戦などでけん制しだしてきた。それと同時に、日本はアメリカの強固な同盟国として非常に重要度を増している。もう一つのアメリカの同盟国である韓国は中国に肩入れして当てにならない。

アメリカと中国が真っ向から対立した時、日本はその最前線に位置することになる。少し前に集団的自衛権が問題になったが、それを通り越して個別的自衛権のレベルの話になるかもしれない。平和主義は非常に素晴らしいが、口で平和平和と唱えているだけでは平和は維持できないし、自国を守ることもできない。日本国民も一国平和主義から脱出する覚悟が必要なのかもしれない。

大阪ダブル選で、大阪維新の会が圧勝

22日、大阪府知事選、大阪市長選のダブル選挙があった。大阪市長選は橋下氏の後任を選出するものであったが、結果は府・市ともに大阪維新の会の圧勝であった。

今回のダブル選の争点はもちろん大阪都構想であったが、都構想に関しては住民投票で一度は否決されている。しかしその住民投票の結果は非常に僅差での結果であって、今回のダブル選を占うには参考にならないものである。

住民投票で否決に持ち込みながら、なぜ今回の選挙で自民をはじめとする反維新連合が勝てなかったか、それは府民投票からダブル選までの数か月に反維新連合が府民を納得させられるような代案を出せなかったことにあるであろう。

橋下維新が破壊的革命と言われていたのに対して、反維新陣営は創造的革命と訴えてきた。しかし創造的とは聞こえがいいが、結局それが何を指すのか、具体的にどう革命を起こすのか、反維新陣営はそれを示すことができなかった。破壊的であろうとなんであろうと、現時点で革命を遂行できるのは維新側であろうと大阪府民・市民は判断したのであろう。

橋下氏は「いったん」政界の一線から退く。しかし本人も「5年で政権」とポスト安倍を掲げているように、国政に進出することは間違いないであろう。大阪を中心とする関西圏での維新の強さは現在は強固なものとなったが、この勢いを全国にどう広めるか、国政に橋下政権を誕生させるにはかなり困難といえるだろう。

しかし大阪で以前ではありえないような改革を実行してきた橋下氏、国政で橋下改革を実行するのは困難ではあるが、不可能ではないと僕は感じている。

現在の韓国に学問の自由はないのか。朴ユハ教授の慰安婦論をめぐって

慰安婦論をめぐって、慰安婦問題に懐疑的な論評を提出していた韓国の大学教授・朴ユハ氏が在宅起訴された。朴氏は慰安婦問題において、強制性などに対して疑問視する論調を出していたところ、韓国の検察に起訴されたようだ。原告団に含まれている元慰安婦と名乗っている女性の中には、朴氏の起訴のことを全く知らない者もおり、今回の検察側の起訴は政府・世論の顔色をうかがった暴走と思われる。

そもそも朴教授は学問の一見解として慰安婦問題について言及しており、もしそれに反するものがいれば論理で反証すべきところであろう。それが正当な学問というものだ。今の韓国に学問の自由はない。多くのことで言論統制が行われている。韓国が中国化しているとも言えるだろう。

この様な学問風土の上で学問が育つわけがない。科学研究においても上の顔色をうかがって行われているのだろうか。もしそうだとすれば、韓国ノーベル賞待望論というレベルの話ではない。まず初等教育から学問とは何か、学問とはどうあるべきかということを、きっちりと議論しなければいけない。

今回の学問の制限・検閲は社会分野でのことであるが、そのようなシステムに拍車をかけたのは朴クネ以外の誰でもない。学問を発展させるにはまず学問の自由を保障するところから始まる。現在の韓国を見れば、これからの韓国学問の展望は暗いものであると言える。

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏が障がい者差別的否定的発言

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏が、県の総合教育会議で、「妊娠初期にもっと障害がわかるようにできないか」、「茨城県では減らしていけるようになったらいい」というような発言をしたという。最近はメディアで政治家などの発言に対して上げ足を取るような報道が多いが、今回の長谷川氏の発言はそのようなレベルの話ではない。障がい者に対する行政の根本にかかわる問題である。

障がい者の中には障がいに苦しんでいる人はもちろん多い。障がいがないに越したことはない。しかしそれと、生まれてくる障がい者を減らすというのは別次元の話だ。長谷川氏の発言は、妊娠中に判明した障がい児は堕胎して生まれてこないようにすればよいという意味にとらえられる。これは明らかに障がい者の人権の完全否定であり、命の選別である。障がい者には生きる価値はないと言っているも同然である。障がい者教育に関わる、しかもそのトップにあたる人物がこのような認識をしていることには唖然としてしまう。

僕が思うには、障がい者に対して(過度に)優遇などの特別扱いするのもそれはそれでおかしいと感じている。一番大切なのは、障がい者と健常者を同レベルで見ることである。健常者ができる事でも障がい者にはできないこともあるだろう。そこでできないから特別扱いするのではなく、できないことはできないと認めることが大事だと思う。そして障がい者は障がいがあってもできることをできる範囲でやればいいのである。健常者であってもできないことはいっぱいあるのだから、障がい者ができないことは特別な事でもなんでもない。

障がい者を特別扱いするのではなく、健常者と同じレベルで評価することは障がい者の尊厳を尊重することでもあり、そのようにできる社会が本当に障がい者を受け入れることができる社会なのではないだろうか。「障がい者に優しい社会」と言っているうちは、まだまだ障がい者後進社会なのである。もちろん障がい者に優しいことはいいことではあると思う。しかしそれを口に出して強調しているうちはまだまだなのではないかと思う次第である。

テロはパリだけではない

とある記事を見ていたら、「アラブでは毎日のようにテロが起こって死者が出ているのに、なぜパリだけが注目浴びるのか」という記事が載っていた。確かにおかしな話だ。もちろん理由がないわけではないが、おかしい部分の方が大きいだろう。

世界で人種を超えて皆平等だと常日頃叫んでいても、テロのような緊急事態が起きると人間は本音が出るのかもしれない。やはり欧米人の心のどこかで白人至上主義、あるいは欧米至上主義みたいな思いがあって、アラブで起きていることはどこか遠い出来事のように思っているのかもしれない。また、欧米人の命よりアラブ人の命を軽視しているのかもしれない。

欧米による空爆ではよく誤爆が起こる。これなどはイスラムの人にとってみれば欧米によるテロみたいなものである。しかし誤爆を起こした張本人たちは「間違えました、ごめんなさい」で済むと思っている。

やはり真の平等はまだまだ遠い道のりなのか。アメリカでオバマ氏という黒人大統領が誕生して全人種平等の概念は完全に定着したものと思われたが、今回のパリのテロでそれはまだ完全に成し遂げられていないことが露呈したのかもしれない。

中国、南シナ海埋め立て完了か

17日、中国外務省の高官が南シナ海・スプラトリー諸島の埋め立てを完了したと発言したようだ。現在、南シナ海は中国の実効支配にアメリカが猛反発し、米の「南シナ海航行の自由作戦」によって何とか食い止めている状況だ。

中国は、「太平洋には米中の二国が支配するだけの広大な領域がある」との見解を示している。しかしこの南シナ海問題を見ていてもわかるように、中国の太平洋支配が始まれば、それは中国の世界への暴挙の始まりである。

現在の中国は、共産党一党支配、そして自由経済圏化という相反する二つのシステムが同居している。この二つは果たして永遠に共存可能なのだろうか。中国共産党は経済の自由化を進める一方、情報の検閲・制限を断行している。しかし経済自由化によって情報の自由化も進むことは容易に推測される。

経済の自由化が中国の国力を上げることは明白だ。しかしこれと共産党強化とはつながらない。むしろ共産党存続の危機へと向かっている。それに対する危機感は、習近平ら国家首脳による反首脳派に対する弾圧へと向かわせている。現在の弾圧は共産党・習体制の強化につながるという論調が多いが、もしかしたらこれは共産党体制の崩壊への始まりなのかもしれない。