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民主党歴代党首も集団的自衛権を認めていた?

14日の参院平和安全法制特別委員会で、民主党の歴代党首が過去に集団的自衛権を認めていたことを、自民党の佐藤氏が暴いた(msn:産経新聞)。佐藤氏によると、過去に民主党の岡田氏・野田氏の両元党首が集団的自衛権が必要だという趣旨のことを雑誌などで発言していたことを指摘した。やはり政権与党としては集団的自衛権は避けて通れない問題なのかもしれない。この発言が本当ならば、現在の民主党の安保法案反対の攻勢は、集団的自衛権が問題だからではなく、単に与党の出した法案だから安易に反対しているだけということになる。

僕は今までブログで次の二点を主張してきた。

1)安保法案に関しては、国防上・国際貢献上必要なものであって、決して戦争法案などと呼ばれるものではない。

2)ただしこの安保法案の成立へのプロセスは明らかにおかしく、改憲という手続きを取らずに解釈変更で無理やり乗り切ろうという姿勢は、民主主義国家政府として明らかに間違っている。

つまり簡単に言えば、

1)の事柄は安倍首相に賛同する。

しかし

2)の法案成立の手法に関しては安倍首相に大反対である。

しかしこのような民主党党首の政策一貫性の矛盾は、与党も経験した責任野党として明らかに失格である。とはいえ現在民主党は野党第一党である。政府自民党に一番大きな攻撃を加えられるのは民主党だ。今回のような一貫性のなさにはあきれ返るが、安倍政権のおかしいところは徹底的に追及してもらいたいところである。

 

NHK「サイバーセキュリティーのトップスペシャリスト・名和利男氏」

9月14日(月)、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、サイバーセキュリティーのトップスペシャリストの名和利男氏という方を取り上げられていた。名和氏の仕事の様子を見ていると、スペシャリストの中のスペシャリスト、まさしくトップスペシャリストと呼ぶのにふさわしい男だ。

名和氏の「顧客」は主に省庁などの国の根幹にかかわる部分だ。省庁は常に海外のハッカーから狙われている。名和氏はそれらの対策を施し、攻撃者の身元を暴いていく。

ハッカーには悪意のあるブラックハッカーと、それらから身を守るホワイトハッカーに大きく分類される。しかし名和氏の仕事を見ていると、そのようなブラックだとかホワイトだというような画一的な分類に当てはめることはできないと感じた。自国に関してはホワイトでも、攻撃者に対してはブラックととらえられるだろう。名和氏は守るだけではない、攻撃者の先手を打つためにも攻撃者を先回りして攻撃を仕掛けることがある。名和氏はハッカーと言う言葉では括りきれない非常に高度で多様な仕事を仕掛ける。

もちろん攻撃者にとって名和氏は非常に厄介な存在だろう。名和氏自身が狙われる可能性も非常に高い。そのために自身の存在を非常に用心して隠している。それはサイバー空間上だけでなく、日常生活、あるいは外での行動もあえて遠回りするなど慎重に行っている。

それから余談だが、名和氏の使用していたパソコンはPanasonicのレッツノート、高度な信頼性を必要とする仕事をしている人のパソコンは圧倒的にレッツノートが多い。

今回の番組では名和氏をメインに取り上げられていたが、名和氏の仕事内容の関係上、非常にシークレットにしなければならないことが多く、こんなに大々的に取り上げていいものか、視聴している僕の方が心配になった。存在は大々的に明かせないが、いまのネット社会において名和氏は日本の根幹を握っている非常に重要な人物であることには間違いない。

子供の夜の徘徊・大阪男女中学生殺人事件から

ここ一か月ほどの大きなニュースと言えば、大阪での男女中学生殺人事件だろう。この事件に関しては容疑者に対しての非難はもちろん大きいが、それと同時に保護者の責任についての声も小さくはない。なぜ深夜に中学一年生の男女が二人だけで徘徊していたのか、それを野放しにしていた親の責任が問われている。

もちろん親は夜に歩き回るくらいなら大丈夫と判断したのだろう。日本は世界でもまれにみる治安安全大国である。夜中に子供が歩き回れる国など、世界広しと言えども日本だけかもしれない。こんなことはアメリカでは絶対に考えられないことだ。夜中に子供が安全に歩き回れる、このような日本の治安は誇れるものかもしれない。しかし今回はこのような痛ましい事件が起こった。今一度日本の治安に関して考え直す時かもしれない。

日本人がアメリカで失敗する事例の一つに、車の中に子供一人置いて、ちょっと買い物をしてくるというのがある。この行為はアメリカでは逮捕される。アメリカでは家で子供一人にするのも違法だ。アメリカ映画などでベビーシッターがよく出てくるのはそのためである。日本の常識はアメリカの非常識なのである。

今回の事件で親を責めるのは簡単だ。しかし親の事情を考えると限界もあることだろう。今回の事件を事件当事者・被害者家族だけの問題として片づけるのではなく、日本社会全体の問題、大げさに言えば日本全体の治安の問題として見直すべきではないかと思う。これをきっかけにしてマスメディア・政治家・そして一般市民も他人事としてではなく、自分たちの問題として大いに議論しなければならない。

「想定外」を想定する

最近何かと「想定外」なことが多い、つい先日の鬼怒川決壊災害も想定災害マップはあったものの、住民、そして役所の人たちにとっては想定外であったようだ。実際役人たちは災害対策本部を常総市役所に設置したが、その後その常総市役所自体が浸水被害を受け、機能不全に陥った。いかに災害を想定していなかったかということの証拠であろう。気候温暖化などもあり気象災害、そして気候とは関係ないが地震・津波災害など想定外は常識となり、「想定外を想定する」時代になったのではないかと思う。

想定外を想定するという発想は僕が勝手に考えたことで、その言葉の定義は全く定まっていないが、これからこの「想定外の想定」という言葉の定義、そしてどういう試みを想定外の想定とみなすか、これからの災害対策として考えていくのはどうかと思う。

想定外は言葉通り、想定していないことだ。つまり想定外の想定とは、想定外のことが起こった場合にいかにして迅速に対応するかということに尽きるのではないかと思う。そのためには想定外災害に対しての指揮系統を構築する必要がある。つまり見えないものに対する対策だ。もちろん現在でも想定外のことが起きてもそれなりの対処はできていると思う。しかし東日本大震災の例のように、想定外は場合によっては桁違いな被害をもたらす。それを防ぐために必要なことのうちの一つが「固定観念にとらわれない」と言うことだ。東日本大震災の時は、マグニチュード8クラスの地震は起きてもマグニチュード9クラスの地震は絶対に起きないという固定観念が行政にも住民にもあった。しかし調べてみると、約千年前に起きた貞観地震は東日本大震災と同規模の地震だったことがわかった。しかしこのことが言われたのが大震災後のことである。

想定外な事には大概前例が存在しない。だからこそ想定外が起きた場合には現実をいち早く確認し、現実に応じた災害対応を前例・固定観念にとらわれずに実行することが必要だ。

iPod操作ボタン訴訟でアップル社が敗訴

高裁で、iPod操作ボタン訴訟があり、アップル社が敗訴した。訴えていたのは日本の発明家で、損害賠償100億円を要求していたが、今回の訴訟では高裁は約3億円の支払いを命じた。3億円も巨額な金額だが、アップル社にとっては微々たるものだ。訴えた発明家も、要求の100億円には遠く及ばないものの、巨大企業のアップルに勝訴したことで納得したようだ。

このiPodの操作ボタンは、一昔流行した円形のグルグル回すタイプのもので、当時の僕もよくもこんなものを発明したものだと感心したものだ。てっきりアップルが開発したのかと思いきや、日本の発明家が発明していたとはびっくりである。

この訴訟を見て思い出したことがある。数年前の青色発光ダイオードの中村修二さんの訴訟だ。中村氏は去年のノーベル物理学賞日本人トリプル受賞の一人で、同時に受賞した赤崎氏・天野氏の基礎研究に基づいて中村氏が青色発光ダイオードの量産化に成功した。

中村氏の訴訟は元所属の日亜化学を訴えたものだが、そこでの判決は中村氏は600億円を取得する価値があるというものだった。これは発明者に対する画期的な判決だったが、一つ気がかりなのはこの手の発明対価が最終工程の開発者のみに権利が与えられることである。青色発光ダイオードについていえば、量産化に成功した、すなわち最終工程に関わった中村氏に発明対価の権利があり、その成功のもととなった赤崎氏らの基礎研究には何の見返りもない。

もともと基礎研究はお金にならないものがほとんど、いや全部と言っても言い過ぎではないくらいだが、この基礎研究組にもそれなりの報酬を与えるような仕組みはできないものかと思ってしまう。基礎研究は本当に研究が好きでないとやっていられない。また確固たる強い意志も必要だ。この様な基礎研究者に必要な条件は日本人気質に向いているともいえ、それが最近のノーベル賞日本人受賞ラッシュにつながっているのかもしれない。

しかし基礎研究は応用研究・開発の源であることは言うまでもない。基礎研究者の処遇をおろそかにすると、技術立国日本の立場も将来的に危ういものにしてしまうかもしれない。

民主・枝野氏が「ナチスと同じ立憲主義の破壊だ」と安倍批判

民主党の枝野氏が、現在の安保法案の議論に対して、「この法案を成立させようというプロセスを考えると、まさに立憲主義の破壊だ。ある学者が言っていたが、憲法秩序を破壊する一種のクーデターだ。」と安倍政権を批判した。これは非常に本質をついている。この安保法案の一番の問題は、法案の中身ではなく成立へのプロセスだからである。

この法案自体は決して「戦争法案」と言われるようなものではない。戦争を未然に防ぐ、あるいは世界の安全保障に貢献するための法案だと思っている。しかし現在進行しているようなプロセスを認めてしまうとどうだろう。非常に悪しき前例になってしまう。安倍氏には悪意がなくても後世の政治家がこの悪しき前例を根拠に暴挙に出ることが考えられる。

立党以来改憲を標榜している自民党がなぜこの機会を改憲の機会にしなかったのか、非常に疑問である。この安保法案は改憲の好機だったはずだ。しかし安倍政権は解釈変更で乗り切ろうとしている。

この安保法案を解釈変更で済まそうとしていることについては過去に僕のブログでも問題視してきたはずだが、この際は枝野氏をはじめとする野党は徹底的に究明してほしいと思う。そうでないと世界から評価されている安保法案が悪法と認識されることになってしまうであろう。

和歌山県太地町でのイルカ捕獲批判について

ここ数年、和歌山県太地町でのイルカの追い込み漁が世界で批判を浴びている。追い込み漁が残虐で他の狩猟法が残虐でないという理論は僕には理解できないが、それ以上にイルカ漁だけ批判を浴びていることには非常に疑問を感じる。

人間はいろいろな動物の肉を食べて生きている。完全な菜食主義者と言うなら別だが。イルカを食べているかどうかはともかく、ほとんどの人は牛肉は食べているだろう。しかしそれと同時にほとんどの人は数人前に切られた肉片しか目にしてないだろう。もちろん普段食している牛肉ももとはと言えば生きている牛だ。そして食膳に出てくる前には必ず殺されている。この牛を殺される「作業」を見たことはあるだろうか?おそらくほとんどの人は(自分も含めて)見たことはないであろう。しかし容易に想像できるように非常に残虐な作業であろう。

イルカの追い込み漁が非難を浴びているのは、牛でいうところの殺す作業をたまたま映像で流されたことによるものだ。牛の殺されるところを映像で見て、残虐だから牛肉は食べてはいけないと言う人はいるだろうか?もちろんいないとは言わない。しかしほとんどの人は牛肉を食べ続けるだろう。むしろ牛肉を食べる人は牛が殺されるところを意識的に見ようとはしていないのかもしれない。

昔から日本人は肉を食べる時には、命あるものをいただく大切さを感じていたはずだ。今は料理として出される最終工程しか目に見えないので、そのような大切さを感じることもほとんどなくなった。イルカ漁もそうだが、現在も我々が食べている牛肉・豚肉ももとはと言えば殺されて食されている、そのような命への感謝の気持ちを忘れてはいけない。イルカ漁問題も、それが残虐だと非難するだけでは問題の全体が見えていない。

安倍総理70年談話・外国語版

8月14日、安倍総理は戦後70年談話を出したことは、日本国内はもとより海外でも波紋を与えた。日本人は普通に日本語で話された、あるいは日本語で書かれた談話を見たものと思われるが、実はこの70年談話、外国語版も同時に公開されたのである。具体的には英語版・中国語版・韓国語版だ。しかしこの中で韓国語版は英語版・中国語版の10分の1しか閲覧されていないのである。人口比を考えれば単純に比較できるものではないが、具体的な数で言うとたった五千なのである。逆に言うと10億を超える人口を持つ中国でも閲覧数は五万ということになる。

中国はもとより、特に韓国では談話が発表された時には予想された通り非難の嵐だったが、その中で談話の中身を実際に見た人はどれだけいたのであろうか。このことからメディア・世論が煽っていたことは明らかである。

アメリカ・オーストラリア・イギリスには事前に外務省のルートを通じて伝えられており、談話への評価は非常に高いものであった。しかし中国・韓国ではあれだけ注目されていたにも関わらず、内容そのものにはほとんど目を通されていないのである。

相手を見ずに批判だけは大々的に行う。日本及び日本人にはそのような相手に失礼なことはしないように、中国・韓国を反面教師としなければならない。相手国を批判するときには相手国の目を見て礼を尽くして批判しなければならない。

戦後の日本はディズニーランドか

8月31日の田原総一郎さんのブログを読んだ。その中で田原氏と元東京都知事の猪瀬氏の対談について触れていた。そこで猪瀬氏は「戦後の日本はディズニーランドだ」と述べたらしい。もちろん僕自身も戦後の日本しか知らない世代であるが、現在の子供も含め、戦後世代は世界のサバイバルを知らない世代だ。日本国内は厚く保護され、猪瀬氏が言うように戦争は「想定外」なのだ。

現在、安保法案問題が問題になっている。そして安保法案賛成派も反対派も共にほとんどの人が戦後世代だ。戦争を実体験として知らない。戦争は残虐であり絶対に起こしてはならない。それは安保法案賛成派も反対派も同じだ。安保法案賛成派は戦争賛成派ととらえられるような発言があるが、安保法案賛成派の人たちは戦争を起こさない、あるいは未然に防ぐために安保法案が必要だと考えているのである。

吉本芸人の小藪千豊さんは、今の現状をこのように表現している。「中国がおもいきりミサイルと軍人をバーっと並べている」と。まさしくそれが現状なのである。今、沖縄から米軍基地を無くしたらどうなるか。中国は沖縄も自国の領土だと主張している。中国は無傷で沖縄に上陸できるのである。日本が攻めなくても他国が攻めてこないとは限らない。今までは米軍及び自衛隊の抑止力が働いて紛争に巻き込まれなかったのが現実である。それを何もしなくても他国が攻めてこないと勘違いしてはいけない。

安保法案反対派を否定するつもりは全くない。安保法案を反対するのも一つの意見であろう。しかし安保法案を否定してそれだけで終わりでは明らかに無責任である。安保法案賛成反対に関わらず、いかにして紛争が起こらない世界を作るかを真剣に議論しなければいけない。

日本人のディズニーランド気分はもう終わりにしなければいけない。もちろん戦争をせよなんていう気は毛頭ない。しかし日本、そして世界の安全保障について、今世界が置かれている現状を直視して真剣に考えなければいけない。

警察の暴力団対策について

初めに述べておくが、僕は暴力団に対して容認する気は毛頭ない。しかし現在の警察・法律の暴力団対策についてはやり方としてどうかと思うものもあり、それが現在の山口組の分裂騒動にも無関係ではないのではと思う。

ここ十年前後の暴力団対策関係の法案に関して思うことは、一つに法案が果たして効果的かと思われること、もう一つは暴力団に逃げる隙を一切与えないのはかえって暴力団の行為をエスカレートさせるのではないか、と言うことである。

数年前、テレビで実に不毛な議論がされていた。暴力団にサービスを提供するのが違法だと言う法案ができた時だ。蕎麦屋の出前は少人数なら個人的な事だからOKで、集団に対しては暴力団の会議であろうと考えられるからダメだというものだ。では何人前までの出前はOKで、何人前からダメなのかと真剣に議論されていた。実にバカバカしくて不毛な議論だ。

ここ数年の暴力団対策関連法案を見ていると、昔のアメリカの禁酒法を思い出す。趣旨は少し違うが、禁酒法は害のあるもの(酒)を完全に抑え込んだために地下ルートができ、アル・カポネらマフィアの巨大化のきっかけを作ってしまった。今回の山口組分裂も暴力団の資金源である金融ルートを地下に潜らせ、膨大な資金が組内部で偏ったことが発端になったようだ。

それと、それら暴力団対策法案を立案しているのが、現場で捜査に当たっている警官ではなく、霞が関のキャリア官僚が一手に行っていることも原因であるみたいだ。警察キャリア官僚は現場の様子を実際に見てはいない。法案によって暴力団とともに現場の警官も振り回されているようだ。

もっと現実に合った効果的な対策をすることが必要だ。そのためには少しの逃げ道を作ることも必要かもしれない。とにかく現場の警官の声をしっかり拾わなければいけない。