社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

中国の兵法古書をしたたかに実行する中国・100年計画。

最近、アメリカ・日本が、中国の脅威に対して非常に危機意識を持ち始めている。もちろん以前から危機は感じていたのだろうが、スプラトリー諸島の埋め立て・軍事施設化が行われてから危機意識は非常に高くなっている。なぜアメリカは中国をここまで野放しにしてきたのか。そこにはどうやら中国の兵法に関する古書が一つの鍵になっているらしい。

中国には世界最古の歴史があり、幾たびの国盗り合戦が行われてきた。それらの国盗りの兵法に関する知識の莫大な蓄積が存在する。それらに関する古書を近代・現代の中国指導者達は参考にし実行しているという。

中国の指導者達が2049年までに世界の覇を実行するという計画があるらしい。中華人民共和国の建国が1949年、すなわち建国からちょうど100年で世界を制覇するという野望である。これは100年マラソンとも言われている。

そして現在、中国は強大な経済力を身に付け、その資金力・技術力をもとに巨大な軍事力を身に付けようとしている。

今まで世界の二大大国と言えば、アメリカ・ロシア(ソ連)であった。その二国がしのぎを削っている間に、中国はアメリカなどの力を利用して膨張してきた。漁夫の利とでもいうべきであろうか。

今、アメリカは中国の処遇に非常に頭を抱えていることであろう。現在の状況は中国の思うつぼになっている。最近になってアメリカは、南シナ海の航行の自由作戦などでけん制しだしてきた。それと同時に、日本はアメリカの強固な同盟国として非常に重要度を増している。もう一つのアメリカの同盟国である韓国は中国に肩入れして当てにならない。

アメリカと中国が真っ向から対立した時、日本はその最前線に位置することになる。少し前に集団的自衛権が問題になったが、それを通り越して個別的自衛権のレベルの話になるかもしれない。平和主義は非常に素晴らしいが、口で平和平和と唱えているだけでは平和は維持できないし、自国を守ることもできない。日本国民も一国平和主義から脱出する覚悟が必要なのかもしれない。

大阪ダブル選で、大阪維新の会が圧勝

22日、大阪府知事選、大阪市長選のダブル選挙があった。大阪市長選は橋下氏の後任を選出するものであったが、結果は府・市ともに大阪維新の会の圧勝であった。

今回のダブル選の争点はもちろん大阪都構想であったが、都構想に関しては住民投票で一度は否決されている。しかしその住民投票の結果は非常に僅差での結果であって、今回のダブル選を占うには参考にならないものである。

住民投票で否決に持ち込みながら、なぜ今回の選挙で自民をはじめとする反維新連合が勝てなかったか、それは府民投票からダブル選までの数か月に反維新連合が府民を納得させられるような代案を出せなかったことにあるであろう。

橋下維新が破壊的革命と言われていたのに対して、反維新陣営は創造的革命と訴えてきた。しかし創造的とは聞こえがいいが、結局それが何を指すのか、具体的にどう革命を起こすのか、反維新陣営はそれを示すことができなかった。破壊的であろうとなんであろうと、現時点で革命を遂行できるのは維新側であろうと大阪府民・市民は判断したのであろう。

橋下氏は「いったん」政界の一線から退く。しかし本人も「5年で政権」とポスト安倍を掲げているように、国政に進出することは間違いないであろう。大阪を中心とする関西圏での維新の強さは現在は強固なものとなったが、この勢いを全国にどう広めるか、国政に橋下政権を誕生させるにはかなり困難といえるだろう。

しかし大阪で以前ではありえないような改革を実行してきた橋下氏、国政で橋下改革を実行するのは困難ではあるが、不可能ではないと僕は感じている。

現在の韓国に学問の自由はないのか。朴ユハ教授の慰安婦論をめぐって

慰安婦論をめぐって、慰安婦問題に懐疑的な論評を提出していた韓国の大学教授・朴ユハ氏が在宅起訴された。朴氏は慰安婦問題において、強制性などに対して疑問視する論調を出していたところ、韓国の検察に起訴されたようだ。原告団に含まれている元慰安婦と名乗っている女性の中には、朴氏の起訴のことを全く知らない者もおり、今回の検察側の起訴は政府・世論の顔色をうかがった暴走と思われる。

そもそも朴教授は学問の一見解として慰安婦問題について言及しており、もしそれに反するものがいれば論理で反証すべきところであろう。それが正当な学問というものだ。今の韓国に学問の自由はない。多くのことで言論統制が行われている。韓国が中国化しているとも言えるだろう。

この様な学問風土の上で学問が育つわけがない。科学研究においても上の顔色をうかがって行われているのだろうか。もしそうだとすれば、韓国ノーベル賞待望論というレベルの話ではない。まず初等教育から学問とは何か、学問とはどうあるべきかということを、きっちりと議論しなければいけない。

今回の学問の制限・検閲は社会分野でのことであるが、そのようなシステムに拍車をかけたのは朴クネ以外の誰でもない。学問を発展させるにはまず学問の自由を保障するところから始まる。現在の韓国を見れば、これからの韓国学問の展望は暗いものであると言える。

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏が障がい者差別的否定的発言

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏が、県の総合教育会議で、「妊娠初期にもっと障害がわかるようにできないか」、「茨城県では減らしていけるようになったらいい」というような発言をしたという。最近はメディアで政治家などの発言に対して上げ足を取るような報道が多いが、今回の長谷川氏の発言はそのようなレベルの話ではない。障がい者に対する行政の根本にかかわる問題である。

障がい者の中には障がいに苦しんでいる人はもちろん多い。障がいがないに越したことはない。しかしそれと、生まれてくる障がい者を減らすというのは別次元の話だ。長谷川氏の発言は、妊娠中に判明した障がい児は堕胎して生まれてこないようにすればよいという意味にとらえられる。これは明らかに障がい者の人権の完全否定であり、命の選別である。障がい者には生きる価値はないと言っているも同然である。障がい者教育に関わる、しかもそのトップにあたる人物がこのような認識をしていることには唖然としてしまう。

僕が思うには、障がい者に対して(過度に)優遇などの特別扱いするのもそれはそれでおかしいと感じている。一番大切なのは、障がい者と健常者を同レベルで見ることである。健常者ができる事でも障がい者にはできないこともあるだろう。そこでできないから特別扱いするのではなく、できないことはできないと認めることが大事だと思う。そして障がい者は障がいがあってもできることをできる範囲でやればいいのである。健常者であってもできないことはいっぱいあるのだから、障がい者ができないことは特別な事でもなんでもない。

障がい者を特別扱いするのではなく、健常者と同じレベルで評価することは障がい者の尊厳を尊重することでもあり、そのようにできる社会が本当に障がい者を受け入れることができる社会なのではないだろうか。「障がい者に優しい社会」と言っているうちは、まだまだ障がい者後進社会なのである。もちろん障がい者に優しいことはいいことではあると思う。しかしそれを口に出して強調しているうちはまだまだなのではないかと思う次第である。

テロはパリだけではない

とある記事を見ていたら、「アラブでは毎日のようにテロが起こって死者が出ているのに、なぜパリだけが注目浴びるのか」という記事が載っていた。確かにおかしな話だ。もちろん理由がないわけではないが、おかしい部分の方が大きいだろう。

世界で人種を超えて皆平等だと常日頃叫んでいても、テロのような緊急事態が起きると人間は本音が出るのかもしれない。やはり欧米人の心のどこかで白人至上主義、あるいは欧米至上主義みたいな思いがあって、アラブで起きていることはどこか遠い出来事のように思っているのかもしれない。また、欧米人の命よりアラブ人の命を軽視しているのかもしれない。

欧米による空爆ではよく誤爆が起こる。これなどはイスラムの人にとってみれば欧米によるテロみたいなものである。しかし誤爆を起こした張本人たちは「間違えました、ごめんなさい」で済むと思っている。

やはり真の平等はまだまだ遠い道のりなのか。アメリカでオバマ氏という黒人大統領が誕生して全人種平等の概念は完全に定着したものと思われたが、今回のパリのテロでそれはまだ完全に成し遂げられていないことが露呈したのかもしれない。

中国、南シナ海埋め立て完了か

17日、中国外務省の高官が南シナ海・スプラトリー諸島の埋め立てを完了したと発言したようだ。現在、南シナ海は中国の実効支配にアメリカが猛反発し、米の「南シナ海航行の自由作戦」によって何とか食い止めている状況だ。

中国は、「太平洋には米中の二国が支配するだけの広大な領域がある」との見解を示している。しかしこの南シナ海問題を見ていてもわかるように、中国の太平洋支配が始まれば、それは中国の世界への暴挙の始まりである。

現在の中国は、共産党一党支配、そして自由経済圏化という相反する二つのシステムが同居している。この二つは果たして永遠に共存可能なのだろうか。中国共産党は経済の自由化を進める一方、情報の検閲・制限を断行している。しかし経済自由化によって情報の自由化も進むことは容易に推測される。

経済の自由化が中国の国力を上げることは明白だ。しかしこれと共産党強化とはつながらない。むしろ共産党存続の危機へと向かっている。それに対する危機感は、習近平ら国家首脳による反首脳派に対する弾圧へと向かわせている。現在の弾圧は共産党・習体制の強化につながるという論調が多いが、もしかしたらこれは共産党体制の崩壊への始まりなのかもしれない。

大阪維新・橋下徹の街頭演説を聞いてきた

11月16日、大阪・梅田に行くと、阪急メンズ前で大阪維新の党・橋下徹氏の街頭演説があるというので、興味もあり、聞くことにした。

橋下氏の政治手腕は強引ではあるが実行力があり、多くの市民が認めるところである。そして橋下氏と言えばパフォーマーでもある。演説においてもパフォーマンスは絶妙で、聞く人を引きずり込ませる。

メディアというものは政治家に対して功よりネガティブなことを取り上げがちであるが、やはり生で政治家の話を聞くと、(もちろん本人の功を強調するのはやむ負えないが)、メディアを通してだけでは見えなかったものがいろいろ見えてくるものである。

僕が聞いた街頭演説は、大阪市長選挙・府知事選挙の応援演説であったが、橋下氏の良く言えば妥協のない、悪く言えば強引な橋下政治の成果、そしてこれからの展望がいろいろ聞けてなかなか面白い演説であった。

一度は政界からの引退を表明したが、今日の橋下氏をみていると、とても引退するようには思えない。99%の確率で再び政界の表舞台へ登場するであろう。

これからも当分の間は橋下氏の聖域なき為政が見られそうである。

フランス・TGV事故について

フランス同時多発テロが起きた14日、同じフランスで高速鉄道TGVの事故が起きた。本来ならこのニュース自体が大事故になるレベルだが、同時多発テロという桁違いの大事件が起きたために、TGV事故はあまり大きく報じられていない。

事故のニュースを聞いたとき、テロとの関連を疑った者も多いとは思うが、どうやらTGV事故はテロとは関係なく、スピードの出しすぎが原因とみられている。

TGVは世界的に日本の新幹線に次ぐ歴史があり、高速鉄道の草分けである。しかし新幹線とTGVではおかれている環境が全く違う。日本で初めて誕生した東海道新幹線は、人口密集地を通り、山を避けるためカーブも多く、ただ単にスピードを出せばいいというものではなかった。むしろスピードよりも環境問題の方が圧倒的に困難な問題であった。

それに対してTGVは、多くの路線が田園地帯を走り、騒音問題とは無関係な所が多く、また直線が多いため、スピードに関しては出せるだけ出そうというスタンスだ。鉄道の最高スピード記録はTGVの時速574キロで、現在日本で開発中のリニア新幹線とほぼ同じレベルだ。

このようにTGVはスピードを出すことにまい進していたが、それ以外の困難要因が少ないからかスピードを出すことに(新幹線と比べて)無頓着だったのかもしれない。

今回の事故は試験運転中であり、10人の死者であったが、営業運転であったら桁違いの被害になったところだ。

2015年11月14日はフランスにとって悪夢の日となった。しかしフランスの国力はあらゆる面でおいて世界トップレベルだ。今回のテロによる安全保障対策と、TGVの安全対策、この両者において、今回の二つの出来事をきっかけにしてフランスは再び信頼性を取り戻すに違いない。

なぜフランス同時多発テロが起きたのか

パリで13日(日本時間14日未明)、同時多発テロが起きた。現在確認されているだけで127人の死亡が明らかになっている。現場の状況から死者・負傷者の数は増えると思われる。

まずはテロで亡くなられた多くの方々への哀悼の意を表したい。

そもそも今回のテロはなぜフランス・パリで起きたのか。その理由として、フランス軍によるISなどシリアへの空爆への報復だと言われている。しかし僕は以前起きた、風刺週刊誌、シャルリー・エブドへの銃撃事件が非常に関係しているのではないかと思う。シャルリー・エブドはイスラムの預言者ムハンマドを侮辱するような風刺を行った。これに反するイスラム勢力が銃撃を行った。

西側諸国はこの風刺に対して言論の自由を主張し擁護している。しかしこれは西側諸国の自国の都合しか考えていない主張ではないかと思う。もちろん風刺をすることは違法ではない。しかしもしキリストが侮辱されたらヨーロッパ国民はどう思うだろうか。おそらく自分たちが侮辱されたものととらえるだろう。

世界秩序は欧米の都合だけで動いているのではない。他国には他国の都合・文化がある。しかし欧米(シャルリー・エブド)は他国の文化を無視したも同然のことをしたのだ。

もちろんそれに対抗する手段として、銃撃やテロをすることは決して許されない。テロと断固戦うことは間違っていないと思う。しかし欧米が他国の文化を軽視し侮辱し続ける限り、今回のフランスのようなテロはなくならないのではないかと思う。

ISはどうしようもない奴らで、理屈が通じない奴らであろう。しかしテロを防ぐ手段として厳重に警戒するだけでは根本的な防衛はできないだろう。他国の文化を尊重することが一番の対策になるのではないだろうか。

他文化を排除するのは欧米の思想にも反するはずだ。言論・風刺の自由を擁護するなら、他国の他文化も(モラルに反しない限り)尊重すべきである。

少年法をめぐって

最近、少年法、つまり19歳以下の少年少女が犯罪を犯しても罪が問われないというこの法律についての是非が問われている。この問題のきっかけになったのは、最近の少年少女犯罪、特に名古屋大学女子学生(当時19歳)による殺人事件と、「サカキバラ」事件の少年Aについての動向であろう。

名大女子学生による殺人事件では、犯行後、犯人の女子学生がツイッターで「ついにやった。少年法マンセー(万歳)」と書き込んだという。すなわち少年法を盾にして罪が問われないことを計算して行われた計画的犯罪であると言える。まさしく少年法の趣旨が裏目に出た形だ。

そしてサカキバラ少年Aでは、被害者を無視した手記の出版、そしてホームページの立ち上げが問題視されている。

少年法の趣旨は、19歳未満の少年少女による犯罪では罪を問うのではなく、教育による更生をもって社会復帰を助けるという、いわば加害者保護法である。そしてそれには教育によって必ず更生できるという前提がある。少年Aの場合は、手記・ホームページ共に被害者感情を逆なでするものではあるが、再犯を犯した訳ではなく、少年法が効果がなかったと判断するのは早計であろう。

しかし、名大女子学生事件では、少年法がまさに「悪用」されたとしか言いようがなく、少年法の是非が非常に議論になるところであろう。

20歳を境目に天と地ほど変わる少年法にはもちろん問題は山積であるが、その解決の一つとして少年法の柔軟な適用が考えられるだろう。20歳で一様に分けるのではなく、特に18歳・19歳あたりの犯罪者に対しては少年法を適用するかどうかケースバイケースにするのである。名大女子学生事件の動機を見ると、そうせざる負えないだろう。ただしその判断を誰がどうやって判断するか、もちろん裁判官が判断するのであろうが、難しい問題であろう。

少年法は選挙権と連動している。選挙権が18歳以上になれば少年法適用も18歳未満になるであろう。選挙権は大人であることを示すものである。選挙権年齢が議論されている現在、少年法も合わせて国民全体を巻き込んだ議論が望まれる。