社会・時事ネタ」カテゴリーアーカイブ

内閣官房参与は多すぎるのか?

毎日新聞のウェブで、「内閣官房参与、15人も必要?自民野党時は「多すぎる」」という記事を読んだ。内閣官房参与は特定分野のスペシャリストで、総理に助言する非常勤のアドバイザーだ。普段はなかなか表に出ることはないが、国政の鍵を握る人たちだと言えるのかもしれない。

現在、内閣官房参与をされている飯島勲氏はテレビでもおなじみで、飯島氏は内閣官房参与を国民に身近に感じさせてくれる存在かもしれない。

内閣官房参与が15人も必要か?という問いに対して、僕は肯定的だ。特定分野のスペシャリストとしての役割は大きく、存在意義も非常に大きい。ただ、今回新たに任命された二人の参与に対しては、その存在に疑問を抱かざる負えない。

この新しい二人の参与は元国会議員であり(そのうちの一人は衆議院議員総選挙で落選した人だ)、官邸関係者は「政治経験が豊富で、アドバイザーとして適任だ」と語っているようだが、そもそも政治家のトップであり政治のトップスペシャリストである総理大臣が、政治経験が豊富であると元国会議員を置くのは、参与の趣旨からしても明らかにおかしい。しかも一人は、「首相と衆院当選同期で盟友」であるらしく、これでは仲の良い者を近くに置いたと言われても仕方がない。

内閣官房参与は非常に重要なスペシャリスト集団だ。だからこそ、その趣旨に沿った真に有能なスペシャリストを慎重に任命してもらいたい。

配慮ではなく、生徒を盾に取った保身だ!

大阪府立高校での黒染め強要問題。そこで学校側の言い分が次々と出されているが、学校問題で毎回思うことだが、なぜ大人はここまで汚く保身に走るのだろうか。

生徒が不登校になってからクラス名簿と座席表から除名していたということが明らかになった。このこと自身ももちろん問題だが、その除名した理由が「生徒が登校していないことを、ほかの生徒から変に詮索されないよう配慮して載せなかった。登校すればすぐに元に戻すつもりだった」(読売オンライン)であったという。学校側が排除しておきながら登校すれば元に戻すというのも矛盾しているが、生徒を盾に取った言い分には卑劣さを感じさえする。

大人は子供よりも立派であるとは僕は全く思わない。子供の方が真実を見極めていることは良くあることであり、大人になればなるほど汚いことを覚えていく。それにしても度重なる学校問題での大人教師の言い分は毎回卑劣を極める。

このような社会的問題が起きても、教師にとっては学校も生徒もどうでもいいのか?自分の身分さえ保証されればどうでもいいのか?もちろん立派な教師もたくさんおり、むしろ生徒想いの教師の方が多数であるだろうが、生徒を盾に取った卑劣な保身教師には怒りを感じる。

政治家の言葉使い。

政治家の発する一言一言は、社会全体から注目を浴びている。そして注目されるのは発言内容だけではない。言葉使いも注目されるポイントだ。その言葉使いに政治家の人柄なり思想がにじみ出てくる。

最近は自党の党首に向かって品の悪い言葉使いで非難したり、あるいは公では到底使ってはいけない言葉を平気で発する政治家も存在する。

選挙時のポスターには、多くの政治家が肩書として「弁士」と名乗っている。弁士であるからには、発言にはプロ意識を持ってもらいたいものである。そして国会では弁をもって物事を正してもらいたいものである。

思考の停止した教師たち。

最近物議を醸している大阪府立高校での髪黒染め強制問題。昔からつくづく考えるのが、規則の妥当性を全く考えずに規則を強制する教師たちの存在についてだ。

どんな世界でも規則は完全ではない。悪法というものは多くの世界で存在する。少し前に「規則を破ることの大切さ」というテーマでブログを書いたが、まさしく今回の問題はそれにあたる。その規則にはどういう意味があるのか?ということを自分の頭で考えて、そのうえでどう考えてもおかしい規則は「破るべき規則」であって、破るべき規則を破ることは非常に重要である。

政治政党の中には「悪法も法である」という立場をとるものもあるが、少年少女の人生を破壊するような規則を放置していいはずがない。

おそらくこれらの教師たちはこれまで、学生時代から従順に規則を守り続けてきた人たちであろう。それ故に「なぜその規則が存在するのか?」ということを自分の頭で考えることを怠ってきたのではないか。

今回の問題を機に、周りのあらゆることに対して「それは正しいのか?どういう意味があるのか?」ということを振り返って考えるきっかけになればと僕は期待している。

「非常識=悪」ではない。

山尾志桜里衆議院議員が、スキャンダルの相手を政策顧問に置いたという報道に対して非常識だという声がある。確かに非常識と言えば非常識だ。普通の人がしないという意味で非常識だ。

しかし「非常識=悪」とは僕は考えていない。

僕はこれまで山尾議員を擁護するようなブログ記事を2度ほど書いたと思う。ではなぜ山尾議員を擁護するのかというと、理由は簡単で、「批判するようなことではない」からだ。

スキャンダルでも、金銭的スキャンダルとなると話は全く違う。金銭的スキャンダルを起こす議員に対しては、議員としてのモラルの欠如が問われるところである。もちろん、政治活動にはお金は付きものであるし、資金を集めることは議員としての宿命であるとも言える。だから、議員がお金を集めること自体はグレーであっても必ずしも悪とは言えない。しかし某議員のように、私腹を肥やすための不正なお金集めをする者は、はっきり言って議員の資格はない。

山尾議員の場合、単なる個人的色恋沙汰に過ぎない。多くの人は良い印象を持たないかもしれないが、政治家としての人間性とははっきり言って関係ない。

今回山尾議員は、そのスキャンダルの相手を政策顧問に置いた。確かにどういう意図なのか理解できないところはある。しかし山尾議員がこの弁護士の手腕を高く評価し、政策顧問として置くことを強行したのならば、僕はこの腹の座った山尾議員の決断を称賛したい。もちろん、個人的な好みで置いたのならば論外であるが。

首相動静を楽しむ。

多くの新聞の片隅には、首相動静というものが載っている。首相の一日の行動を事細かに書き表したものだ。

11月3日の安倍総理の首相動静には、トランプ大統領の長女・イバンカさんとの会食の日時が分刻みで記述してある(時事通信の時事ドットコムで確認)。イバンカさんとの会食は、旅館「星のや東京」で行われたと記述されている。何気ないことだが、旅館の名前を聞くだけで会食の様子が想像される。

昔、麻生氏が総理をされている頃、帝国ホテルのバーに通っていたことは有名だ。もちろんその事も、当時の首相動静に書かれていたはずだ。そのような行動からも、麻生氏の趣味なり人となりがうかがえる。

11月5日、トランプ大統領が来日する。安倍首相とトランプ大統領は、鉄板焼きの店で和牛ステーキと海鮮料理を食事するという報道があった。トランプ大統領が肉好きということを受けての事だそうだ。その鉄板焼き屋さんの店名はまだ出ていないが、少し気になるところだ。

以前、オバマ大統領が来日した時は、銀座の寿司屋「すきやばし次郎」で会食をしたことは有名だ。

この様な首相の日常を知るだけでも、日本を背負う公人の考えが伝わってきて意外と面白い。

「勝った、負けた」だけが全てではない。

先日の衆院選が終わり、各党は結果について総括をしている。大勝した自民党では安倍首相が足元をより固めつつあるが、苦戦した希望の党、維新の会では、代表の責任問題が問われている。

このような状況の下、希望の小池代表、維新の松井代表の辞任を求める声が上がっているが、選挙に負けたからといって即辞任を求めるのは非常に短絡であるように思える。辞めるのは簡単であるし、いつでもできる。しかし現在小池氏、松井氏に求められているのは、辞任ではなく党の立て直しである。党を立て直すことによって責任を果たすということではないだろうか。

世の中、「勝った、負けた」だけが全てではない。ましてや選挙というものは水物であり、偶然に左右されるところも大きい。もちろん、政治においては選挙に勝って発言権を得ないことには何も始まらない。しかし党の代表レベルの人には、もっと高い視点、政略だけではなく長いスパンで見通した大局的な政策で物事の判断を下してほしい。そのようなことを考えると、今求めるべきことは「辞任」ではないことは明白であろう。

トリプル選挙(衆院選・神戸市長選・神戸市議補選)を終えて。

22日の衆議院議員総選挙を終えて、少し世の中が落ち着いた頃かもしれない。僕の住んでいる神戸市では、衆院選の他、神戸市長選・神戸市議補選もあり、トリプル選挙となった。

今回の選挙に関してはいろいろ感想はある。まずは愛知7区の山尾志桜里氏が当選したことが個人的にはうれしかった。山尾氏は選挙前のスキャンダル報道で劣勢に立たされたが、山尾氏の政治的手腕に関しては高く評価されており、スキャンダルに関しても政治とは全く関係のない色恋沙汰であり、今回の山尾氏の当選は愛知7区の市民をはじめ、国民が見るべきところをしっかりと見据え、良識ある判断を下したものだと僕個人的には感じている。

そして何より今回の衆院選の結果についての最大の関心は、自民党をはじめとする与党が3分の2を取るかということであろう。安倍首相率いる与党は3分の2を獲得したわけであるが、これからは改憲についての話題が最大の関心事となるであろう。

改憲に関しては、真っ先に第九条が論争されるが、改憲は何も第九条に関してだけではない。その他の事項に関しても改憲の対象となっているが、僕が恐れているのは第九条の混乱のどさくさに紛れて、その他の事項に関して特に論争もされずに改憲が成し遂げられてしまうことだ。

最も恐れるのが「条文の拡大解釈・拡大適用」である。極端な例で言うと、戦前の治安維持法のような状況がもたらされることを、最も恐れる。もちろん、第九条に関しても然りである。

ただ、安倍一強による強権政治は、メリットも大きい。特に対北朝鮮をはじめとする安全保障の分野に関しては、安倍首相の強腕による効果は計り知れない。そして対米関係に関しては、安倍首相だからこそトランプ氏に対して対等に渡り合えることができると言えるだろう。

しかし、ここまで安倍自民が大勝して強権を持つ状況に関しては、正直言って危機感を覚える。

これから近い将来にあるであろう、改憲に関する国民投票に関しては、しっかりと熟考し、適切な判断をすることが国民には求められる。これからの日本に関して安倍一強政権が吉と出るか凶と出るか、それには国民の意志も大きく関わることになる。

福井中2自殺。教師のための学校になってはいなかったか?

福井で起きた中学2年生の自殺事件で、当時の状況が明らかになりつつある。

自殺した中学生は、度々教師から過度の叱責を受けていたという。「聞いた人が身震いするくらい怒られていた」(朝日新聞デジタル)という証言もあるそうだ。このような事例は定期的に起こっているが、その度に思うのが「教師のための学校になっているのではないか?」ということだ。

学校は言うまでもなく子供に対する教育の場であり、子供のための施設でもある。学校というものは「子供ありき」で考えなければいけない。しかし今回の事例などは、「教師ありき」であり、教師の円滑な運営のため、あるいは教師のエゴによってもたらされたと思わざる負えない。

もちろん、昔に比べて状況は改善しているようにも思え、体罰についても昔に比べればかなり減ってきているようにも思える。しかし今回の事例のような悲惨な事件は後をたたない。

昔はこのような事件は今よりもかなり多かったのかもしれない。ただ明らかになっていなかっただけだと思える。今は少なくなったとはいえ、このような事件は一件たりとも起こしてはならない。そして交通事故とは違って、ゼロにすることは不可能ではない。教師の意識次第で絶滅させることは可能だ。そのためには繰り返し述べるが「生徒のための学校」という認識を強くもつことが必要である。

本当に重要なのは、日本で活躍する外国生まれ・外国籍だ!

今年のノーベル文学賞に決まった、カズオ・イシグロさん。彼は日本生まれの英国人だ。日本生まれの外国人受賞者は、青色発光ダイオードの中村修二さん(米国人)、素粒子論の南部陽一郎さん(米国人)がいる。彼らは日本生まれの元日本人だと大きく騒がれた。

しかし、本当に重要なのは「日本で活躍する外国生まれの外国籍」だ。中村修二さん、南部陽一郎さんはいわば頭脳流出組であり、厳しく言えば「日本を見限った」と言える。

これから重要になってくるのは「いかに海外の優秀な人物を日本に受け入れるか」だ。優秀な外国人に、「日本に行きたい」と思わせるような国にならなければいけない。

もちろん、研究の分野に限らず、ビジネスマンなど様々な分野に関してだ。世界の中から日本が選ばれる、そのような国を作り上げることが、これからの日本の発展には欠かせない。