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回復したようだ。

ここ三日ほどの不調から回復したようだ。なのでまた明日からは良い記事を書ければと強く思っている。(本当は「今日から」と言わなければならないところだが・・・。)

ところで話は変わるが、どこにお金をかけるかということは、その人の人間性やセンスが非常に表れる。そしてもちろん、どれだけお金を持っているかということによっても大きく変わる。近年は失われた二十年の影響か、いかに節約するか?いかにお金を貯めるか?ということに世間の話題の中心が行っているように感じる。もちろん、無駄な出費を控えてお金を貯めることは重要だ。しかしそれ以上に大事なのは、お金を出すべきところで思い切って出すという事だ。そもそも、お金を貯める目的も、出すべきところで出せるようにするという事である。なので、お金を貯めるスキルを身に付けると同時に、お金を出すセンスというものを身に付けなければならない。

僕自身も無駄な出費は極力控えようと思っているが、出すべきところでは惜しまず出すということを心がけている。その中でも、書籍にかけるお金は極力惜しみなく使っている。贅沢などはお金に余裕が出来てからでいい。その時を楽しみにしている。今は自分の未来に対する投資に集中している。

しかし、ただ単にお金を出して自分に投資すればいいという訳ではない。その投資を最大限活用しなければならない。例えば、書籍に投資をするのならば、投資をした後にその書籍を縦横無尽に生かさなければならない。「お金+努力」が最大の成果を発揮する肝である。

同じ条件でも、どう考え、どう捉えるかによって、その後の進路は大きく変わる。お金も同じで、どこに自己投資すべきか?という判断次第でその後の自分の未来が大きく変わる。お金をただ単に貯めるだけでは非常にもったいない。今使うべきところで使い、それで成果を挙げ未来に回収すればよいだけの話である。お金に対する考えは、本当に人間性が表れるものだ。

毎日書きたい気持ちはあるが・・・。

毎日ブログをアップするのは僕の日々のワークになっている。毎日ブログを書き、毎日アップすることは、日々のリズムを整えるのにも一役買っている。しかし、時には調子が乗らずになかなか記事が書けない時もある。記事のストックもない。そのような時に無理に書いて質の悪い記事を出すのも本意ではない。なので一日くらい記事を書くのを休もうかとも思うが、休めば休んだで何だか気持ちが悪い。ならば少し譲歩して、調子が乗らず記事が書けないこと、それを記事にしようと今記事を書いている。本意ではないが・・・。

まぁ、一時的に調子が乗らなくても大概二、三日すればまた意欲も湧いてくると思うので大丈夫だとは思うが、不安な気持ちも少しある。記事が書けないだけならいいが、数学や物理が出来ないのはかなりつらい。ここは我慢のしどきか・・・。

とは言え、少しでも早く調子を戻すのに越したことはないので、いろいろ試行錯誤してみようと思う。自分の調子をコントロールするのも大きな実力である。これまで調子の悪い時もいろいろと乗り切ってきたので、これくらいのことはすぐに乗り切れるとは思うのだが・・・。

マンションのクワガタムシ

8月の最後の日、マンションの高い階で、一匹のクワガタムシを見つけた。コクワガタだ。それにしても、街中の高層マンションに、今では見つけるのも難しいクワガタがいたことには驚いたものだ。見つけたコクワガタはYシャツの胸ポケットに入れて家に持ち帰り、今日一夜を共にして山に返すつもりだ。

クワガタの中でも「黒い宝石」とも言われ、何万円もするオオクワガタは数年越冬するそうだが、コクワガタが越冬できないのは知っている。即ち、このコクワガタは長く見積もってもあと数か月の命なのだ。

このコクワガタと出会ったのも何かの縁、今晩だけはコイツに満足してもらおうと、梨の小片を与えてやることにした。それにしてもクワガタがこんなにペロペロとおいしそうに梨を舐めまくるのにはびっくりした。クワガタの舌は意外と長い。

出会いとは何も人間だけではない。虫との出会いもなかなかいいものだ。コイツと出会えて何だか幸せな気分になってきたぞ。明日山に帰って、元気に生きぬいてこい!

1.17 歴史的記憶へと移りゆく阪神・淡路大震災

今日2016年1月17日は阪神・淡路大震災が起きてからちょうど21年目にあたる。毎年この日には大震災関連のイベントが行われるが、年々その扱いは小さくなってきているように思う。もちろんその一番の原因は、5年前に起きた東日本大震災という未曽有の大災害が起きたことであることは言うまでもないが、それと同時に21年という月日が阪神・淡路大震災を歴史へと追いやったことも一因かもしれない。しかしこれは、阪神・淡路大震災は「歴史」の一部となるほどの大災害であったことを物語っている。

今の十代の日本人はすでに誰一人として阪神・淡路大震災を体験していない。何とも不思議な感覚である。21年前の大震災がついこの間の出来事のように思えるのだが。もちろん阪神・淡路より東日本の方が時間的に近いし、災害規模も桁違い、それに加えて震災に誘発されて起きた福島第一原発事故問題は現在も進行形である。

僕は神戸の実家のベットの中で大震災を体験した。あの日のことを鮮明に覚えている。そういえば昨日・今日(16日・17日)は、大学入試センター試験が行われている。大震災の時、僕はセンター試験が終わり、一息ついたところだった。センターが終わり、二次試験に向けて頑張るぞ!という時に震災は起きた。

大学受験に向かう道程で、電車が寸断された区間は歩いて次の駅を目指した。途中、焼け野原になった須磨区と長田区の境目あたりは、木の板が立てられ、その板にはそこにあったであろう家の住民の安否が書かれてあった。三宮では代替バスに乗るため、おそらく千人以上であろう人たちが数時間も並んでバスを待っていた。そして代替バスは倒れた高速道路のすぐ下の道を、渋滞でのろのろと走っていた。

今、日本は大災害時代に入ったと言われている。東日本大震災は桁違いとしても、土砂災害・洪水災害・地震災害・火山噴火災害と次々と災害が起きている。そして「想定外」を想定することが当たり前になってきた。もちろん想定外を認識するきっかけになったのは東日本大震災だ。

今年はまだ17日しかたっていない。あと348日残っている。この348日を日本人は無事切り抜けられるか、その保証はもちろんない。世界ではISの地獄の嵐が吹いている。この国外からの脅威と、国内の災害、今年の日本はこの外に対する目と内に対する目を気にしながら対処していかなければならない。

IS空爆、難民、テロの悪循環

現在のシリア難民の現状を、9日のテレビ番組「報道特集」を観て知った。シリア難民は、国内の悲惨な現状・ISの悲惨な支配から逃れて、ヨーロッパを目指して難民になっていると思っていた。しかしシリア難民が逃れる一番の原因を聞いて衝撃を受けた。ISが一番の原因ではないのだ。一番の原因は「ヨーロッパによる空爆」なのだ。フランスやロシアの空爆によって住処を壊滅され、難民となるしかないのだ。これを聞くとまさしく、ヨーロッパは空爆によって自分で自分の首を絞めているようなものだと感じる。

そういえば少し前、ヨーロッパの空爆によって死亡したイスラム人は数千人に上るというニュースを聞いた。その中にはIS構成員以外の多くの住民も含まれていると思われる。この犠牲者の数は、パリでのテロによる死者数をはるかに上回る。イスラムの人にすれば、ヨーロッパが空爆というテロを仕掛けているととらえるのもしかたない。

パリでのテロの前後、レバノンでもISによる大規模なテロが起きている。死者数も数十人にのぼる。しかしこちらのテロに関しては世界でほとんどニュースになっていない。「忘れ去られたテロ」と言われているという。人種差別をなくそうという動きが起きて数十年にもなるが、やはり現在でも潜在意識の中では人種・民族差別の意識は根強く残っているのかもしれない。あるいは先進国至上主義とでもいうのであろうか、発展途上国ではテロが起きても仕方がないという意識があるのだろうか。

当たり前の話ではあるが、ヨーロッパ人の命もイスラム人の命も重さは同じだ。少なくとも建前は。しかしこのようなテロが起きた時には本音が出てしまうのかもしれない。

日本人は建前と本音を器用に使い分けると世界で評判だ。確かにそうかもしれない。しかし欧米人は全て本音なのだろうか。人類皆平等と掲げながら、緊急時には白人の命とイスラム人の命を差別する。もちろん自国の国民を優先して助けるのは当たり前なのかもしれない。しかし頻繁に思うことだが、テロが起きた時の欧米人の発言・哀悼、どこか建前を表しているように思えてならない。パリの犠牲者を哀悼するなら、なぜレバノンの犠牲者も哀悼しない?もちろんフランス市民が自国で起きたテロの犠牲者を一番に哀悼するのはわかる。しかしアメリカ人も、そして何を言おう日本人までパリのテロ一辺倒でレバノンのテロ、空爆の犠牲者のことなど話題にもならない。

ISに発する世界の混乱は、欧米の心の奥底にある差別的感情が大きな原因であるような気がしてならない。そして地理的に離れているので欧米ほど影響はないかもしれないが、日本人の心も例外ではない。どこかイスラム人を見下しているような気がしてならない。もちろんISを許すことはできない。しかしそこでISに報復する前に、自分たちの心の底にあるものを冷静に顧みる必要があるのではないかと思う。

iPS細胞のもととなる細胞の作製に成功。iRS細胞とは?

京都大学再生医科学研究所のグループが、「再プログラム化中間細胞・iRS細胞」というものの作成に成功したというニュースが入ってきた。iRS細胞とはiPS細胞になる前の、iPS細胞のもととなる細胞だ。

iPS細胞は、山中ファクターと呼ばれる4つの遺伝子を細胞に注入し作成される。今回のiRS細胞は、その4つの山中ファクターを注入した後、その細胞がiPS細胞になりきる前の細胞のようだ。iPS細胞になる前の中間状態だから、中間細胞と呼ばれる。

このiRS細胞は、非常に扱いやすい性質を持つということで注目を浴びている。具体的には遺伝子操作がしやすい、そして非常に効率よくiPS細胞を作ることができるというものだ。

iPSとiRS、一文字違いで言葉は非常に判別しづらいが、iRS細胞はiPS細胞の赤ちゃんというところであろうか。

そしてこのiRS細胞の解析で非常に期待されているのが、(僕も個人的にかなり注目している)普通の細胞に山中ファクターを注入してiPS細胞ができるメカニズムの解明だ。現在、山中ファクターを注入するとiPS細胞ができる事がわかっているが、なぜその方法でiPS細胞ができるのか、その詳しい過程は現在でもわかっておらず、ブラックボックスとなっている。すなわち実験では知られているが、理論はわからないのである。

実用的には効率よくiPS細胞が作成できるようになるということで、iRS細胞によってiPS細胞による創薬、臓器作成などの治療などの臨床が早まることも期待できるのではないかと思う。

山中伸弥教授によると、iPS細胞の研究は日本の1勝9敗だという。しかし今回のiRS細胞の成功などのように、中核となる基礎研究では日本の底力を見せることができていると言えるのではないかと僕個人的には思っている。

これからのiPS細胞・iRS細胞の研究の発展、特に日本の研究グループの活躍に期待したい。

IS(イスラム国)が3500人以上を処刑。命っていったい何だ

ISで昨年の6月から1年ほどで3500人以上の人が処刑されたという記事を見た。彼らにとって命とはいったい何なんだろうか。

人の命は世界中のどこでも、いつの時代でも同じだ。そう思っている人は僕も含めて多いはずだ。しかし現実は違うようだ。IS支配地域では人の命は虫けらのように扱われている。そして北朝鮮でもそのようなことがされている話はよく聞かれる。そして我々も無意識のうちに人の命を差別化しているのかもしれない。アラブでのテロは一言で済ますのに対して、パリでのテロは何週間にわたって話題になる。

そして場所だけでなく、時代によっても命の重さは変わる。日本においても太平洋戦争中に特攻隊が結成され、自爆攻撃がされた話は有名だ。その時代、日本人は自国民の命を虫けらのように思っていたのかもしれない。

学校では「命は尊いものだ」と教えられる。しかし、なぜ命は尊いか、それを説明できる教師は少ないだろう。これは簡単に一言で説明できる話ではない。学校で生徒の自殺が起きた時、教師は「命は尊いから大切にしなければならない」と発言する。しかし僕にはそれが呪文、あるいは教師の免罪符にしか聞こえない。命の尊さは、何年・何十年とかけて認識していき、人間は成長していくのである。それを教師が一言で説明できると思うのは勘違いも甚だしい。

ISの話に戻るが、ISは殺りくを繰り返している。その現実は必ず断たねばならない。しかしその主な手段は現時点では空爆となっている。その空爆で欧米は無数のイスラム住民を殺りくしている。もちろんISの首謀者を攻撃しているという言い分はわからなくもない。しかしこの空爆という大量殺りくはどうかならないものかと多くの人は悩んでいるはずだ。空爆は善なのか、悪なのか、それとも必要悪なのか、答えは簡単に出せそうにない。

 

MRJ、初試験飛行に成功

11月11日、三菱重工・三菱航空機の旅客ジェット機MRJ(三菱リージョナルジェット)の初試験飛行に成功した。今までは陸上での試験走行が続いていたが、ようやく空に舞い上がった。今回の成功は国家プロジェクトとして、国産ロケットに次ぐ大きな前進となった。

ドラマ「下町ロケット」では、ロケット部品に対する高度な精度を要する技術が描かれているが、それはジェット機でも同じだ。空を飛ぶものは、わずかな欠陥が墜落という大事故につながってしまう。特に飛行機の場合は一つの事故が数百人の命に関わるとあって、認可を出す省庁も数年、あるいはそれ以上の年月をかけて慎重に慎重を期して審査を行う。

航空機の開発は一つの企業だけで完結できるものではない。MRJは三菱(ブランド)の製品だが、部品などを含めるとその産業のすそ野は広く、多くの中小企業が関わっている。ある部品は台湾で調達する予定であったが、台湾企業は根を上げ、結局日本の小企業が受け持つことになったという。

日本の中小企業が支える技術の精度は世界と比べても数段優れている。今までMRJの計画は何度もの延期を繰り返してきた。それによって失った信頼も小さくないであろう。しかしそれらの延期は信頼性を高めるための延期であったと思われる。2年後、機体が航空会社に納入され運行されたとき、MRJの信頼は不動のものへと変わることを願う。

MRJ(三菱リージョナルジェット)、いよいよ初飛行

11月11日、つまり今日、MRJ(三菱リージョナルジェット)が初飛行することが決まった。今まで5度の延期を経て、待望の飛行試験だ。県営名古屋空港から空へと飛び立つことになる。

MRJは三菱重工業・三菱航空機にとって、これから事業の根幹になるであろう最重要プロジェクトだ。現在、三菱重工の事業の核の一つとなっているロケット事業に続く航空宇宙産業で、失敗は三菱の威信にかけても絶対に許されない。

ロケット事業に関しては、現在テレビドラマ「下町ロケット」で取り上げられており、ドラマの中では帝国重工業という社名で中小企業の佃製作所とのやり取りが行われ、白熱している。

ところで今回の初飛行では、一般客の飛行場の立ち入りは、展望デッキも含めて一切禁止されるという。広く公開すればアピールの場として非常に影響力があると思うのだが、安全を期してということだろうか。それとも三菱側の自信が100%ではないということだろうか。とにかく市民にとっては残念である。

今回の日本初の純国産中型ジェット機の飛行は日本の念願でもある。小型ジェット機のホンダ、中型旅客ジェット機の三菱と、これから日本の航空産業の両翼を担い、成功することを願うばかりである。

MRJ(三菱リージョナルジェット)が離陸直前

現在、日本初のジェット機開発が大詰めを迎えている。三菱のMRJ(三菱リージョナルジェット)だ。そのMRJが現在、離陸直前の状態まで来ている。11月6日の空港での試験走行では、時速220kmまで出力を上げ、前輪が浮上する状態まで来た。

MRJの開発、走行試験は、途中延期を重ね、信頼性に対して疑問を呈する声も聞かれるが、何しろ日本初の純国産ジェット機の開発だけあって想定外の出来事が多かったことが予想される。現在はまだ1ミリも飛んだ実績がないわけだが、間もなく行われる飛行試験が成功すれば、二段階も三段階も開発が進歩したことになる。今月後半には飛行試験の結果は出ているであろうが、この国家の念願でもでもあると言える国産ジェット機の開発が成功に向かうことを願うばかりである。

三菱のMRJは、約100人乗りの中型ジェット機だ。現在それとは別にホンダが6人・7人乗りのプライベートジェット機を開発している。そちらの方も気になるところである。ホンダのプライベートジェット機はすでに空を飛んでおり、形式認証を経て市場に出るのを待っている状態だ。

日本と言えば車産業が盛んであるが、新たに航空機産業を国家産業の要として興せるか、今後の日本の産業技術に大きく影響する鍵となる。

航空機開発は一夜では成り立たないものである。三菱にしろホンダにしろ、20年以上の積み重ねの上で今日の開発にたどり着いている。航空市場は産業障壁が非常に高く、簡単に市場に参入できる分野ではないが、一度参入すれば永続的な市場供給が約束される分野でもある。

数週間後にはMRJの飛行試験の結果が出ている。今後の日本産業を支える分野として、飛行試験成功というニュースを聞けることを楽しみにしている。

iPS細胞の山中伸弥の目指すところは

MBSオンデマンドで、テレビ番組「情熱大陸」の山中伸弥iPS細胞研究所所長の特集を観た。ここ15年程、日本人研究者のノーベル賞受賞が続いているが、山中伸弥先生の存在感はその中でもまた別格の雰囲気を感じる。それはなぜか?その一つの答えが情熱大陸の中で見て取れたような気がする。

多くの研究者にとってノーベル賞は研究人生の頂点に違いない。しかし山中先生は違う。ノーベル賞は研究の通過点であり、これからのiPS細胞研究・医療においてノーベル賞受賞という肩書をいい意味でツールとして上手く使いこなしている。そういう意味で山中先生のノーベル賞の価値は、他のノーベル賞研究者のものよりも何倍も価値があるのではないかと感じる。

山中先生は今は研究者としてより、研究経営者としての役割を重要視している。彼の発見したiPS細胞研究をこれから発展させるには彼一人の仕事では大きく成し遂げられないことを山中先生は自覚している。そのため「研究経営」に徹して、より多くの研究者の力を利用してiPS細胞研究を大きく進めようとしているのである。

そして日本で生まれたiPS細胞の研究を、日本の技術として、メイドインジャパンとして大きく発展させたいという思いが山中先生にはある。

以前、山中先生は、iPS細胞研究において日本は1勝9敗だと言われていた。その1勝とは彼がiPS細胞を発見したこと。それからの発展においては全敗だということだ。

現在、iPS細胞の研究は国を挙げてオールジャパン体制で行われている。民間からの寄付も集まりつつあるという。そしてもうすぐ第三の研究棟が完成するという。日本発の発明で日本の技術として、これからのiPS細胞研究・技術が大きく発展することを願うばかりである。

追いつめられても絶対に倒れない。最近の近況

ここ最近のブログでは、社会・時事問題、そしてここ数日はノーベル賞関連の記事を書いていたが、少し一服として僕の近況を書いてみたい。

今日の午後、友人と年末年始にあるお笑いのR-1ぐらんぷりの予選に向けてネタを練っていた。しかし夕方になって一つ気になることがあった。この年末年始、またR-1は開催されるのか?確か去年の今頃は大会要領は発表されていたはずだ。そこで気になって主催者の吉本に電話をかけて聞いてみた。すると現在プロジェクトはないということなのである。(汗)。どうやらスポンサーが集まらないらしい。このことは去年から気になっていた。前々回は「東洋水産」という冠スポンサーがついて、正式名称は「東洋水産R-1ぐらんぷり」だった。しかし僕が予選に初参戦した前回はこの「東洋水産」が抜けていたのである。なのでその時から少し嫌な気配がしていた。とはいえまだ未定ということなのでわずかな可能性に期待しよう。

実は本当は今年から復活するM-1グランプリに出場したいのであるが、相方が人前に立ちたくないということでOKが出ない(汗・汗・汗)。M-1に出るのは僕の悲願でもあり、前回のR-1は出場自体が目標だったが、次にお笑い賞レースに出場するときは本気で勝ちに行きたい。勝てる見込みがなければ出ないつもりだ。

数理物理の研究や仕事のことで崖っぷちに立たされているが、どんなに極限状態でも絶対に挫折しないのが僕の取り柄である。失敗はしても挫折はしない。はっきり言って精神的にはいろいろきつい状態ではある。僕自身いろいろ悩むたちではあるが、挫折は死ぬまでしないつもりである。

今年もあと三か月弱、人生何が起きるかわからない。転機は突然やってくる。その時にしっかりチャンスをつかむためにも、日々コツコツと継続して努力することが大切である。

NHK「サイバーセキュリティーのトップスペシャリスト・名和利男氏」

9月14日(月)、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、サイバーセキュリティーのトップスペシャリストの名和利男氏という方を取り上げられていた。名和氏の仕事の様子を見ていると、スペシャリストの中のスペシャリスト、まさしくトップスペシャリストと呼ぶのにふさわしい男だ。

名和氏の「顧客」は主に省庁などの国の根幹にかかわる部分だ。省庁は常に海外のハッカーから狙われている。名和氏はそれらの対策を施し、攻撃者の身元を暴いていく。

ハッカーには悪意のあるブラックハッカーと、それらから身を守るホワイトハッカーに大きく分類される。しかし名和氏の仕事を見ていると、そのようなブラックだとかホワイトだというような画一的な分類に当てはめることはできないと感じた。自国に関してはホワイトでも、攻撃者に対してはブラックととらえられるだろう。名和氏は守るだけではない、攻撃者の先手を打つためにも攻撃者を先回りして攻撃を仕掛けることがある。名和氏はハッカーと言う言葉では括りきれない非常に高度で多様な仕事を仕掛ける。

もちろん攻撃者にとって名和氏は非常に厄介な存在だろう。名和氏自身が狙われる可能性も非常に高い。そのために自身の存在を非常に用心して隠している。それはサイバー空間上だけでなく、日常生活、あるいは外での行動もあえて遠回りするなど慎重に行っている。

それから余談だが、名和氏の使用していたパソコンはPanasonicのレッツノート、高度な信頼性を必要とする仕事をしている人のパソコンは圧倒的にレッツノートが多い。

今回の番組では名和氏をメインに取り上げられていたが、名和氏の仕事内容の関係上、非常にシークレットにしなければならないことが多く、こんなに大々的に取り上げていいものか、視聴している僕の方が心配になった。存在は大々的に明かせないが、いまのネット社会において名和氏は日本の根幹を握っている非常に重要な人物であることには間違いない。

MRJ(三菱リージョナルジェット)が10月に初飛行

三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)が10月に初飛行することとなった。念願の国産ジェット機初飛行である。厳密にはホンダジェットが先を越しているが、国産中型旅客ジェット機としては初だ。

戦後日本はアメリカから航空機禁止令を発令され、航空機を作ることが禁止されていたが、40年前のプロペラ機開発を経て念願のジェット機だ。飛行機の重要部分は三菱重工業が受け持つが、繊維会社のハイテク機材は見逃せない。この日本のハイテク機材の開発によって日本はボーイングの機体製作に関わり、航空機開発のノウハウを蓄積していった。

受注の方も順調にいっているようだが、計画の遅延により不安の声もきこえなくもない。MRJの開発は半オールジャパンとでも言っていいのではないか。

10月の初飛行は楽しみでもあり、ロケットの打ち上げ時のような緊張感をもたらす。MRJが日本の製造業再興の起爆剤になればと願うばかりである。

批判だけが能じゃない

物事を考えるうえで批判精神は重要である。考える学問・哲学でもカントの有名な三つの書物は「三大批判」と言われている。しかし日常生活で全てのことを批判する人などいるであろうか。

しかし政治の世界では基本的に野党は与党のすることは全て批判することになっている。そのような考え方は、政府与党の政策に対するチェック機能になっており必要なことでもある。しかし政党に所属する議員すべてが同じ考えを持っているなどあり得るはずがない。しかし政党とは集団そのものが思想を持つものともいえるので、個の思想はある程度無視されるのかもしれない。

とはいえ、与党も野党もある程度平等な視点を持つことも大事ではないかと思う。おかしいと思う案に対しては思いっきり反対すればいいが、理にかなった案は与党野党関わらず認める姿勢も必要ではないかと思う。それが大人の政党というものではないか。

日本共産党の存在自体を否定するつもりはないが、与党のすることなすこと全てに反対だとわめくのは、それはもう幼稚園児野党とも言えるのではないか。そこには思想など全くなくて、ただ与党に反逆することだけが生きがいだという姿勢しかない。

ただ初めから否定することを決めているのは楽だが、平等な視点で批判することはかなり難しい。同じ批判でもこの二つを混同してはいけない。これは子供と大人の違いである。

理にかなったことには賛同し、おかしいことには批判する、これが本来あるべき姿だと思うが、実際はこれがなかなかできないのである。

A級戦犯の遺書を公開

先日、あるお寺で太平洋戦争のA級戦犯で絞首刑された7人の遺書が公開された。A級戦犯といえば東条英機が圧倒的に有名だが、それ以外の6人のことをご存じだろうか。僕自身もとりわけ詳しいわけではないが、そのうちの一人、元首相・外相の広田弘毅には非常に強い思い入れがある。その理由は、15歳の時に読んだ一冊の文庫本だ。城山三郎の「落日燃ゆ」という本なのだが、内容は広田弘毅の生涯や思想を一冊にまとめた小説だ。

僕は今まで読んだ小説の中でもこの本が一番面白かったと思っている。広田弘毅はA級戦犯で絞首刑にされた7人の中で唯一の文官、つまり非軍人だ。しかし時代がそうさせたのか、戦前の軍国主義に進んでいこうとしているときに首相に指名され、戦争への道を避けようとしたにもかかわらず軍部に引きずられるようにA級戦犯にされた。

広田のA級戦犯については今でも議論され、冤罪であったという意見が今では強い。極東軍事裁判の判事の中でも無罪を主張し続けた外国人判事もいる。

広田はもともと外務官僚だ。外務省同期には戦後首相になった吉田茂がいる。広田が吉田に比べて圧倒的早く外相・首相になったことからもわかるように、広田は圧倒的に優秀な官僚であった。しかしそれが災いし戦犯になることになった。それと対照的なのが吉田で、出世が遅かったがために戦後活躍することができた。

A級戦犯は戦争の一部の縮図に過ぎない。しかし戦犯を知ることによって軍国主義時代の中枢の動きが明らかになる。軍国主義に走っていった日本の中で、広田のような信念を持った文官が犠牲になったことも広く日本人に知ってほしいものである。

EU、ギリシャ問題で明確になる国境

今、EUがギリシャ問題で揺れている。ギリシャの国民投票でEUの再建案が否決され、そのまま反緊縮路線で進んでいればここまで揺れることはなかったかもしれない。あの国民投票はいったいなんだったのだろうか。ギリシャ首相は国民投票と反する行動をとることとなった。そこでまたEU側は対応策の見直しに取り組むこととなった。

そこで問題になっているのがEUの二大国、フランスとドイツの対立だ。何が何でもギリシャをEUにとどめたいフランスと、EU離脱も辞さない強硬派のドイツ、その対応策の対立によってこの二国が、そしてそれ以外の国までがバラバラになりかけている。

EUはもともとヨーロッパから国境をなくそうとする思想の実現化だ。しかし今、この方向に反してフランスが、ドイツが、そしてイタリア・スペインなどそれぞれの国が国単位の主張を行いEUという統合枠が崩れ始め、国境が明確化してきている。EUの統合路線は夢物語に戻ってしまうのか。

現実論のドイツに対して、理想論のフランス、このような構図が感じられるような気がする。一人笑っているのはヨーロッパの盟主イギリスであろうか。

とにかく一番重要なことは、フランス案を取るにしてもドイツ案を取るにしても早急に対策を推し進めることが今は求められている。この問題をズルズル引きずれば引きずるほど問題は悪化の一途をたどってしまう。後送りをすればもう元には戻れないレベルになってしまうかもしれない。

私は強硬派のドイツ首相メルケル氏が一気に推し進めて次のステージに進めることが今の一番の最良路線ではないかと思っている。

MRJがようやく動き出した!

三菱航空機の飛行機、三菱リージョナルジェット(MRJ)がようやく動き出した。とは言ってもまだ試験の初段階。三菱航空機のある名古屋空港の滑走路で自らのエンジンを使って滑走路を動くというものだ。その速度は時速10キロ。まだまだ様子見と言ったところだろう。最終的には離陸直前の時速200キロまで上げるそうだ。しかしそれでもまだ空は飛ばない。地上での動作試験から初飛行試験への移り変わり時が一番のポイントになるだろう。

ホンダのビジネスジェットは一足先に大空を飛び回っているが、早くMRJが空を飛行する姿を見たいものだ。成功すれば念願の国産旅客ジェット機の誕生である。

飛行機産業は新規参入障壁が非常に高く、一度参入に成功すると市場をある程度独占できると言われている。今回のホンダと三菱は、市場としてはホンダが7人乗りのビジネスジェット、三菱が約100人乗りの旅客機と綺麗に棲み分けができている。これから先、この二社が世界の空を席巻するする日が来るのを楽しみにしたい。

やっと動作試験にたどり着いた、これからのMRJの一般飛行までの道のりには注目していきたい。

FIFAの腐敗と汚職

FIFA(国際サッカー連盟)の汚職に捜査のメスが入った。捜査の対象になったのは14人の幹部、そして金額にして180億円にもなる。夢を売る職業に関わっている人たちがいつの間にかサッカーそっちのけで拝金主義に走っているのである。

あ~、本当に大人は汚い。二日前のブログでも書いたが、大人なんて何も偉くないし、立派でもない。もちろん立派な大人もいるが。こんな腐った大人たちが子供に教育し、子供に夢を与えるなんておかしな話だ。むしろ大人が子供から学んだ方がいいくらいかもしれない。

本当に心が暗くなるニュースだ。

B29爆撃機が飛行

8日、ワシントン上空をB29爆撃機など56機がワシントン上空を飛行した。対ドイツ戦勝70周年記念のためだ。B29と言えば日本でも無差別爆撃を受けたことで有名だが、第二次大戦のアメリカ戦勝の象徴ともいえる機体なのであろう。

対ドイツ戦勝70周年があったということは、もうすぐ日米終戦70周年がやってくるということだ。アジアでは日本戦のイメージが強いと思われるが、ヨーロッパではドイツ及びイタリアが戦敵だったとみられているのだろう。その中間に位置するアメリカは日本戦と同時にヨーロッパ戦線でも戦わなければいけなかった。まさに板挟み状態である。

あと数か月で日本敗戦70周年がやってくるが、中国・韓国が大々的に日本戦戦勝キャンペーンをすることが予想される。しかし実際は日本は中国とは日中戦争から戦っていたが、朝鮮とは全く戦っていないのである。朝鮮との間では戦争関係は全くなかった。であるから、朝鮮・韓国の対日戦勝など存在しないのである。

韓国は先の安倍首相米国訪問に関しての演説に関連して、ますます歪曲の度合いを深めてきた。終戦70周年で韓国がどれだけ歴史を歪曲・捏造してくるか、それに対して安倍首相がどれだけうまく粘り強く反論するか、少し見ものである。

MRJ社長交代

4月の終わり、三菱航空機(三菱リージョナルジェット、MRJ)の社長が交代した。ここ数年、MRJの初飛行・納期が幾度も遅れ、親会社の三菱重工業がしびれを切らしたものと思われる。MRJは世界に打って出る宿命を持っている。そこで新社長に就任したのが、主に海外進出を担当した三菱重工役員だ。

数年前まで、MRJの未来は非常に明るいものだった。しかし度重なるスケジュールの延期により、海外他社の開発が追いつき、MRJのアドバンテージがなくなってきており、現在は危機的状態にある。しかし良い見方をすれば、それだけ性能と安全性に念には念を入れているともいえるので、納入した後の評価次第では挽回できるかもしれない。

航空機事業では、今三菱だけではなくホンダも注目を浴びている。MRJが100席ほどの中型機に絞っているのに対し、ホンダジェットは7人程度のビジネスジェットである。ホンダジェットはエンジンを両翼の上に配置し、流体力学的に非常にバランスのとれた構成をとることに成功し、見かけの美しさとともに非常に高い評価を受けている。エンジンを両翼の上に置く(普通は下に置いている)という常識破り的な発想も、常に未来を開拓していくホンダマインドが発揮されている。

MRJとホンダジェットは今対照的な立場に立っているが、10年後には両社順調に飛行し、安定飛行を続けていることを願うばかりである。

日常を楽しむ

現代、いや現代に限らずいつの時代もストレス社会と言われている。仕事で疲れ、家に帰ってきては家族のプレッシャーが。一日中どこにいても休まる時がないという人も多いのではないか。

そこで一つ気分発散とお出かけすることになる。今の時期だとスキー・スノーボード、それから釣りや近くのゲームセンターに行くのかもしれない。しかしたまに特別なことをして気分を発散するのもいいが、普段の日常の中で気分発散でき、休まればそれに越したことはない。

僕の場合だと数理物理の研究が一番の心の安定剤になっている。結果はなかなか出なくても人生をそれにかけてるし、研究ができることが人生一番の幸せだと思っている。

最近は思ったことはすぐに行動に移すことにしている。行動に移すことはそれなりに精神的エネルギーを使うが、しかし少しずつ形になっていくのがすごく楽しい。一つ行動に移せば、一つ楽しめる。

嫌々やっていても何もいいことはない。どうせするならどんなこともエンジョイしたい。それから取り組むからには中途半端ではなく、何事にも全力でぶつかりたい。過去の自分は物理が一番大事と思うあまり、他のことに対して曖昧な態度をとり続けてしまった。しかし今はあらゆることにばく進中である。

ばく進は去年の12月のR-1ぐらんぷり予選に出場したことから始まった。結果は惨敗で悔しくはあったが。それまでお笑いに自分が挑戦するとは全く思っていなかった。しかしちょっとしたきっかけで出ることになり、そこから僕のばく進は始まった。

いま五つのことに取り組んでいる。もちろん全部成功させるつもりである。そして一つ気づいたことがある。

「何事も全力で取り組むことが、エンジョイすることにつながる」と。

NHK籾井会長の人格を疑う

この人ほど人格を疑ってしまう公人も珍しい。NHKの籾井会長だ。

最近はゴルフに使ったハイヤーの交通費が問題になっている。ゴルフに行くのに使ったハイヤーの私費をHNKの経理に回させて公費として落としていたのである。そのことについて国会内でも問題になっている。

最近民主党内の会議でそのことを追及された籾井氏は「ハイヤーの料金のシステムなど、岡田代表でも知らないだろう」というような趣旨のことを言い、会議を取り仕切っている人物から叱責される場面があったようだ。もうNHK会長として適任かどうかというレベルを超えて、人格として適正かどうかというレベルである。自分が責められると、無関係の人物に「お前も同じことをするだろう」となすりつけるのである。もうあいた口がふさがらない。

これと同じようなことが会長就任時にもあった。日付欄を空欄にした辞表を理事全員に提出させていた件である。これはいつでも籾井氏が好きな時に理事の首を切れるようにしたものである。普通常識的に考えて、そのようなことは企業倫理上考えられない。しかしここでも籾井氏は「どの企業でもやっていることだ」とのさばったのである。

しかしいったい誰がこのような人物を会長に仕立て上げたのだろう。このような人物がトップまでも仕上がっていく日本の企業とはいったい何なのだろうか。

「籾井さん、今すぐNHK会長職を辞職してください。それが99%の国民の総意です。あなたには日本のため、社会のために働くということはできないと思われます。人間としても欠陥品です。今の職はあなたには相応しくありません。真剣に立派に生きている多くの日本人に迷惑がかかるだけです。」

籾井様へ      木原康明

神戸の街

最近の僕のブログは社会問題に関することが続き、かなり堅苦しくなってしまったので、今日は話題をガラッと変えて僕の生まれ育った神戸の街について書こうと思う。

神戸は山と海に囲まれたバラエティに富んだ環境が気持ちいい。特に市街地は山と海に挟まれるかのように東西に細長く伸びている。市街地の中心である三宮からも、南へ少し歩けば神戸の港があり、北へ少し歩けば北野の異人館街そして六甲山がある。

三宮の中でもセンター街は一番人通りが多く、休日などは人でごった返しているが、そこから少し西へ抜けると元町、そしてその南には旧居留地など落ち着いたところがあり、神戸の中でも一番お洒落なところだ。

百貨店は三宮駅前のそごうと元町の大丸があり、立地条件で言うとそごうの方が圧倒的にいいのだが、大丸の方が神戸のお洒落のシンボルとなっている。そして大丸の中の方角案内が面白い、北側・南側ではなく、「海側」「山側」と矢印の方向案内がある。海と山に挟まれた神戸ならではの発想だ。

あと神戸と切っても切り離せないのがパンだ。神戸は日本で一番パンの消費量が多いらしい。実際神戸を歩くといたるところにパン屋さんがあることがわかる。それがまたどこも美味しいのだ。おそらくパン屋さんが乱立しているため競争が激しく、美味しいパン屋だけが生き残ったのだろう。

そして神戸といって忘れてはならないのが阪神大震災だ。今ではその被害の面影はほとんどないが、神戸の中心ともいえる阪急電車の三ノ宮駅の駅舎は震災で崩れ、今でも半分仮駅舎のような感じで残っている。

震災は僕が大学受験生の時に起きた。センター試験の直後に地震があり、国立2次試験に向かう時には電車は部分的にしか走っておらず、地下鉄の駅からJRの駅まで焼野原の中を歩いて行ったのを覚えている。「私たちは無事です」という木でできた立札が地面に立てられていたのが今でも忘れられない。

東京にはあらゆるものが集まり何でもそろっているかもしれないが、神戸の適度な規模の雰囲気、旧居留地に代表される歴史あるお洒落は心地よく感じられ、神戸独特の良さではないかと思う。

 

負け戦はしない

負けるとわかっていて挑むのは暴挙だ。しかし、どうしても戦いたい時がある。その時は事前に準備をして、少しでも勝つ可能性が高くなるようにしなければならない。準備とは「努力」だ。努力は必ず成功することを保証するものではない。努力しても負ける時は負ける。努力は可能性を高めるものだ。

今年は勝ち戦にこだわろうと思う。

まず、

1)数理物理の研究・・・必ず結果を出す。納得のいく論文を書き上げる。(自信あります)

2)思想・哲学活動・・・とにかく考え抜きます。日本で一番考えているんじゃないかというくらい考えます。数理物理の研究にも結び付いています。(自信あります)

3)執筆活動・・・これは今年の目標の一つです。テーマは二つあるので二つ執筆したいのですが、まずサイエンス関係の本を執筆したいと思います。(自信があるというより、まずは取り組まないと始まりません)

4)お金を稼ぐ・・・やはりお金がないと継続性が出てきません。上に書いたことで稼げれば一番いいけど、今はまずそれ以外のことでプロジェクトを立ち上げることを考えています。(まあまあ自信があります)

3)お笑い・・・次回のR-1ぐらんぷり、出場しようか思案中です。負け戦はできないので、勝てる見込みがあると判断すればまた挑戦します。

今年もあと10か月、年末に笑っていられるように、日々努力努力!

執筆に再度トライ

去年、原稿を執筆したのだが、なかなか出版までこぎつけられない。商業出版までこぎつけられるのは、1パーセントとどこからか聞いたことがある。自費出版ならだれでもできるが、商業出版となると至難の業なのだ。

去年はうまくいかなかったが、今年また再度トライしてみようと思う。去年書いた分野は考え方・思想系だが、今回はサイエンス関係の原稿を執筆してみようと思う。去年は思いついたことを書いて編集したので、全体の構成がもう一つだった。そこで今回はまず構成から始め、しっかりと骨格から作り上げていこうと思う。

数式を入れた文章を書くのにはTeX(テフ)というソフトが便利だ。数学の論文は今では全てTeXで書かれている。パワーポイントで作った図を張り付けるのだが、パワーポイントにTeXpointというソフトを取り込んで数式を組み込めるようにする。

執筆を始めるまでのパソコンの設定が結構大変で、それだけで滅入りそうになることもある。しかしそんなことは一度すれば同じ手法で繰り返しできるので、一度できてしまえば肩の荷がホッと下りる。

パソコンをいじくっていて思ったのだが、数学や物理でなかなかうまくいかない時、頭の中でいろいろと試行錯誤しているので、理解が深まったり別の考えが思いついたりして、表面上は進んでいなくてもいろいろと得られるものがある。しかしパソコン設定などで悩んでいるときは、いろいろ試行錯誤するのだが、自分の中で何も得るような感覚がない。うまくいかなければ理解もゼロという感覚なのである。

もちろんプログラミングの研究者など高度なパソコン技術に取り組んでいる人は、試行錯誤していろいろと得るものはあるのだとは思うのだが、所詮僕らは大衆ユーザーに毛が生えたくらいのものだ。使えたらそれでいい。もちろん理解が深まればそれに越したことはないが。

今年も2か月過ぎたが、これからも挑戦することがいろいろある。もうとにかく動きまくります。

考えたら、即行動

僕の現在の基本方針の一つに「とにかく行動に起こす」というものがある。本を読んで理解するだけなら簡単だ。まず自分の頭で考える。そして動く。動いて初めて意味を持つ。

またまたNKH大河ドラマの「花燃ゆ」の話だが、吉田松陰も「考えるだけでは意味がない。行動に移して初めて意味を持つ」みたいなことを言っていた。黒船に乗り込むようなとんでもない行動も、その精神が原動力になっているのかもしれない。吉田松陰みたいな大先生には及ばないが、私も今年はいろいろ行動を起こし、またいろいろ起こしつつある。

本当は一番やりたいこと一つに没頭したいのだが、今の自身の立場から言ってそれは無理だ。もちろん数理物理の研究は譲れないが、今年はやろうと思ったことはすぐにやってみることにしている。

考えたら、即断し、即行動。

最近も仕事関係で一つプロジェクトを進めることを決めた。昨年末から数えて、四つ目の行動になる。

「面倒くさいな」などと思っていたら、いつまでたっても行動に移せない。「とにかくやってみるか」とまず少し前進することが大事である。

西川きよしが言うように、何事も「小さなことからコツコツと」。その精神を肝に銘じて一歩一歩進もうと思う。時には大きな飛躍もしたいが。

G型大学と、L型大学に分離する議論について

最近、大学をG(グローバル)型大学とL(ローカル)型大学に分離しようという議論が起こっている。現在の大学ではアカデミックな教育が主流となっており、平均的な大学でも経済の授業ではマクロミクロ経済学のようなアカデミック学問を教えるというような教養主義教育を行っている。

しかし大学分離の議論では、G型大学(旧帝国大学及び早慶のようなトップレベルの大学)とL型大学(その他の大学)に完全に分離して、G型大学では従来のようなアカデミックな教育を進めるものの、L型大学では実業教育に特化した教育を行うというものである。先ほど出した経済の授業で言うと、L型大学では会計ソフトの使い方など、仕事で実際に必要なスキル(手に職とでも言うべきか)を叩き込むのである。

こうなってしまえば名称は「大学」であるものの、実際は職業訓練学校である。はたして大学をこのような職業訓練の場で終わらしてしまっていいのか。

職業訓練の場のような学校を作ることは結構なことである。問題はそれを大学が担うということである。もし職業訓練に特化するならば、大学という看板を下ろしてもらいたい。大学は最高学府である。だからこそ、レベルが少し低いと言えども大学にはアカデミックな教育、高度な教養を身に付ける場であってほしい。教養に興味のない者は、大学ではなくて職業訓練学校に行けばいいのである。

アカデミックな教育、教養が役に立たないとは、実に早計である。もちろん教養は実用を目的にしたものではないかもしれない。しかし高度な教養は社会全体のレベルを底上げし、産業の高度化をもたらす力になるであろう。また教養は人生の基盤でもあり、より質の高い人生を送るためには不可欠である。

ここまで言って納得できない人は、大学などに行かずに職業訓練学校に行って手に職をつければいいのである。職業訓練学校を低く見るつもりはない。高度な技術を身に付けるには職業訓練学校に行くべきだとも思う。

そもそも問題は大学を作りすぎたことにあるのかもしれない。今の大学の乱立状態は異常である。なぜ最高学府が一国に数百も必要なのか。

アカデミックな大学はレベルにかかわらず絶対に必要だが、アカデミックな教育、教養教育を学校側も学生側も望んでいない大学はすぐにでも「大学」の看板を下ろして職業訓練学校に衣替えしてほしいものである。

今すべきことは何か

志は高きものを持っていると自負している。

でもそれに似合わず、だらけである。

そんなだらけな自分に鞭を打ちたい。

早寝早起きして、思いっきり動きたい。

毎日そう思っているが、なかなか体がついてこない。

いきなり頂点には立てない。

初めから立つ必要もないかもしれない。

まずすべきことは、身の回りのこと、身近なこと、手元にあることから。

動乱の時代には、ぶつける対象はいくらでもある。

しかし平穏な時代の方が、その対象を見つけるのは意外と難しい。

ぶつける対象を見つける必要もないかもしれない。

だからと言って、何もしないのは間違っている。

人間としての軸を、太く、堅くしなければならない。

とにかく、今できることから取り組む。

動く。

だから数理物理の勉強、研究は続けていく。

数理物理は私の軸だが、それをもとに思想も高めなければならない。

数理物理と思想、哲学、

周りから見れば双方関係ないように思えるかもしれない。

でも私にとって数理物理も思想の一部。

思想は人間そのもの。

だから常に追い求める。

I am Kenji(人質事件をめぐって)

イスラム国人質事件で、現段階で湯川さんは殺害されたといわれているが、後藤健二さんはまだ生存しているようだ。

この事件に対する対応は世界が見ている。日本国政府の対応、そして日本国民の対応。

人質事件が起こると毎度出てくるのが「自己責任論」。しかし同じ日本人をそんなに簡単に見捨てていいのか。そのような日本人の声は、全世界が聞いているぞ。日本という国、日本国民はそんな自分勝手な低レベル国家なのかと。

今すべきは後藤さん助けるために少しでも状況を好転させること。これは日本政府だけの役割と思うかもしれないが、日本国民一人一人の声も集まれば日本国の世論となり、イスラム国側に圧力をかけられるかもしれない。そのためにも自己責任論などという、自ら同胞を見捨てるようなバカな声を発信してはいけない。

しかし、いま嬉しい運動が起こっている。

「I am Kenji」運動。

もちろんこれは、パリのテロ事件での、「I am  シャルリー」運動をもじったものと思われるが、このような運動を起こし、日本国民が一致団結していることを示すことが、今われわれ一国民がイスラム国に圧力をかけられる一番の手段ではないか。

「I am Kenji」

そして後藤健二さんが無事戻ってきたら、こう声をかけてあげよう。

「また紛争地に行って、良質なレポートを届けてくれ」と。

日本の研究風土について

1月7日の読売新聞のコラムに、昔ノーベル医学・生理学賞を受賞された利根川進博士の書かれた記事が書かれていた。利根川博士は京大を出た後、アメリカに渡られて研究されているので、日本とアメリカの研究風土の違いに詳しい。

利根川博士が言われるには、日本は枠組みを決められた中での研究(あるいは科学技術全般)には非常に優れた成果を出すが、枠組みを壊すような研究が出てこない、というようなことを言われていた。

それから日本では研究(特に税金が投入されている研究)に対して、すぐに結果を出すことを求められ、地道に進めていくような基礎研究がなかなかされないと言われていた。

ここからは私事にもなるが、私は海外に出たことがないので海外の研究風土については見聞きしたことでしか知らないが、日本の大学では型にはめられた、あるいはレールを敷かれた研究にしか取り組まないようなことを感じてきた。

今は大学院重点化などで院生に対する教育は至れり尽くせりになっているが、放置して好き勝手なことを自分の責任でやらせるということも必要ではないかと思う。もちろん後者の方はなかなか結果が出ないこともあろうが、ブレークスルーになるような枠組みを壊す研究結果はレールを敷かれた上を走っているだけでは決して出てこないと思う。

私はいま大学や研究機関には所属してないので、他の研究者から見るとアマチュアだと言われるかもしれないが、三つほどの研究テーマに取り組んでいる。どれも人から与えられたものではなくて、自分で考え出したテーマだ。その点は、超弦理論などの流行のテーマにしか飛びつかない研究者とは違うことを誇りに思う。研究内容も重要なものであると自分では認識している。

いま誇りであると書いたが、本当に皆に誇るのは、しっかりと結果を出してからにしよう。いま自分の置かれた研究環境ははっきり言って全然よくない。ただ好き勝手な研究テーマについてやっていることに救いを見いだせる。

兎にも角にも、結果を出さないことには実績にならないし、発言しても誰も聞いてはくれない。焦ることはないとはいってもそううかうかしてはいられない。