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MRJ社長交代

4月の終わり、三菱航空機(三菱リージョナルジェット、MRJ)の社長が交代した。ここ数年、MRJの初飛行・納期が幾度も遅れ、親会社の三菱重工業がしびれを切らしたものと思われる。MRJは世界に打って出る宿命を持っている。そこで新社長に就任したのが、主に海外進出を担当した三菱重工役員だ。

数年前まで、MRJの未来は非常に明るいものだった。しかし度重なるスケジュールの延期により、海外他社の開発が追いつき、MRJのアドバンテージがなくなってきており、現在は危機的状態にある。しかし良い見方をすれば、それだけ性能と安全性に念には念を入れているともいえるので、納入した後の評価次第では挽回できるかもしれない。

航空機事業では、今三菱だけではなくホンダも注目を浴びている。MRJが100席ほどの中型機に絞っているのに対し、ホンダジェットは7人程度のビジネスジェットである。ホンダジェットはエンジンを両翼の上に配置し、流体力学的に非常にバランスのとれた構成をとることに成功し、見かけの美しさとともに非常に高い評価を受けている。エンジンを両翼の上に置く(普通は下に置いている)という常識破り的な発想も、常に未来を開拓していくホンダマインドが発揮されている。

MRJとホンダジェットは今対照的な立場に立っているが、10年後には両社順調に飛行し、安定飛行を続けていることを願うばかりである。

NHK籾井会長の人格を疑う

この人ほど人格を疑ってしまう公人も珍しい。NHKの籾井会長だ。

最近はゴルフに使ったハイヤーの交通費が問題になっている。ゴルフに行くのに使ったハイヤーの私費をHNKの経理に回させて公費として落としていたのである。そのことについて国会内でも問題になっている。

最近民主党内の会議でそのことを追及された籾井氏は「ハイヤーの料金のシステムなど、岡田代表でも知らないだろう」というような趣旨のことを言い、会議を取り仕切っている人物から叱責される場面があったようだ。もうNHK会長として適任かどうかというレベルを超えて、人格として適正かどうかというレベルである。自分が責められると、無関係の人物に「お前も同じことをするだろう」となすりつけるのである。もうあいた口がふさがらない。

これと同じようなことが会長就任時にもあった。日付欄を空欄にした辞表を理事全員に提出させていた件である。これはいつでも籾井氏が好きな時に理事の首を切れるようにしたものである。普通常識的に考えて、そのようなことは企業倫理上考えられない。しかしここでも籾井氏は「どの企業でもやっていることだ」とのさばったのである。

しかしいったい誰がこのような人物を会長に仕立て上げたのだろう。このような人物がトップまでも仕上がっていく日本の企業とはいったい何なのだろうか。

「籾井さん、今すぐNHK会長職を辞職してください。それが99%の国民の総意です。あなたには日本のため、社会のために働くということはできないと思われます。人間としても欠陥品です。今の職はあなたには相応しくありません。真剣に立派に生きている多くの日本人に迷惑がかかるだけです。」

籾井様へ      木原康明

G型大学と、L型大学に分離する議論について

最近、大学をG(グローバル)型大学とL(ローカル)型大学に分離しようという議論が起こっている。現在の大学ではアカデミックな教育が主流となっており、平均的な大学でも経済の授業ではマクロミクロ経済学のようなアカデミック学問を教えるというような教養主義教育を行っている。

しかし大学分離の議論では、G型大学(旧帝国大学及び早慶のようなトップレベルの大学)とL型大学(その他の大学)に完全に分離して、G型大学では従来のようなアカデミックな教育を進めるものの、L型大学では実業教育に特化した教育を行うというものである。先ほど出した経済の授業で言うと、L型大学では会計ソフトの使い方など、仕事で実際に必要なスキル(手に職とでも言うべきか)を叩き込むのである。

こうなってしまえば名称は「大学」であるものの、実際は職業訓練学校である。はたして大学をこのような職業訓練の場で終わらしてしまっていいのか。

職業訓練の場のような学校を作ることは結構なことである。問題はそれを大学が担うということである。もし職業訓練に特化するならば、大学という看板を下ろしてもらいたい。大学は最高学府である。だからこそ、レベルが少し低いと言えども大学にはアカデミックな教育、高度な教養を身に付ける場であってほしい。教養に興味のない者は、大学ではなくて職業訓練学校に行けばいいのである。

アカデミックな教育、教養が役に立たないとは、実に早計である。もちろん教養は実用を目的にしたものではないかもしれない。しかし高度な教養は社会全体のレベルを底上げし、産業の高度化をもたらす力になるであろう。また教養は人生の基盤でもあり、より質の高い人生を送るためには不可欠である。

ここまで言って納得できない人は、大学などに行かずに職業訓練学校に行って手に職をつければいいのである。職業訓練学校を低く見るつもりはない。高度な技術を身に付けるには職業訓練学校に行くべきだとも思う。

そもそも問題は大学を作りすぎたことにあるのかもしれない。今の大学の乱立状態は異常である。なぜ最高学府が一国に数百も必要なのか。

アカデミックな大学はレベルにかかわらず絶対に必要だが、アカデミックな教育、教養教育を学校側も学生側も望んでいない大学はすぐにでも「大学」の看板を下ろして職業訓練学校に衣替えしてほしいものである。

I am Kenji(人質事件をめぐって)

イスラム国人質事件で、現段階で湯川さんは殺害されたといわれているが、後藤健二さんはまだ生存しているようだ。

この事件に対する対応は世界が見ている。日本国政府の対応、そして日本国民の対応。

人質事件が起こると毎度出てくるのが「自己責任論」。しかし同じ日本人をそんなに簡単に見捨てていいのか。そのような日本人の声は、全世界が聞いているぞ。日本という国、日本国民はそんな自分勝手な低レベル国家なのかと。

今すべきは後藤さん助けるために少しでも状況を好転させること。これは日本政府だけの役割と思うかもしれないが、日本国民一人一人の声も集まれば日本国の世論となり、イスラム国側に圧力をかけられるかもしれない。そのためにも自己責任論などという、自ら同胞を見捨てるようなバカな声を発信してはいけない。

しかし、いま嬉しい運動が起こっている。

「I am Kenji」運動。

もちろんこれは、パリのテロ事件での、「I am  シャルリー」運動をもじったものと思われるが、このような運動を起こし、日本国民が一致団結していることを示すことが、今われわれ一国民がイスラム国に圧力をかけられる一番の手段ではないか。

「I am Kenji」

そして後藤健二さんが無事戻ってきたら、こう声をかけてあげよう。

「また紛争地に行って、良質なレポートを届けてくれ」と。