思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

危険な香りのする男。

どのような男を目指すのか?人それぞれ目標とする人間があり、そして男としてどうあるべきかと考えているだろう。僕が目標としているところは「危険な香りのする男」だ。

危険な香りとは何か?生き方がハイリスク・ハイリターンであったり、あるいは薬にも毒にもなるとか、いろいろ言える。この様な人間の対比としては「人畜無害」であると言えるだろう。

僕は人畜無害な人間にはなりたくない。全力で生き、いつ死ぬかわからない。100歳まで生きるかもしれないが、明日死ぬかもわからない。そんな生き方をしたいと思っている。

ただ現在、危険な香りのする男になれているかと言われれば、まだそこまではなれていない。超新星のように輝けるか?それとも自滅するか?それでいいと思っている。人間誰しもいつかは必ず死ぬのだから。

自分が人生を懸けていることに全力で当たり、そして私生活でも危険な香りを振りまき続ける。そんな僕の理想とする生き方に思いっきり近づけるように、そして近い将来、僕が危険な香りのする男だと皆から感じられるように、危険を冒し続けたいと思う。

新しい境地。

新しい境地を切り開くことが「進歩」というのかもしれない。いきなり大きな進歩を成し遂げ、とんでもなく新しい境地を切り開くことは稀かもしれないが、昨日より今日、今日より明日と、日々進歩を続け、一歩ずつ小さな境地を切り開いていくことは不可能ではない。

多くの人は安心と安定を望んでいるのかもしれない。しかしそれは言い換えると「現状維持」ということになる。もちろんそういう生き方は悪くないのだろうし、むしろ世間ではそちらのほうが推奨される生き方なのかもしれない。

新しい境地を目指すのは「開拓」を続けることである。そのためには大きな危険が伴うことも少なくない。ハイリスク・ノーリターンになる危険性も大いにある。しかしそれでも新しい境地を目指して危険を冒すことを止められない人がいる。

世の中を進歩させるには、どうしても危険を冒して新しい境地を切り開いて行く人間が必要だ。しかし世の中はそのような人に対して少し冷たいような気もする。他人の目を気にしすぎても仕方ないが、少なくともそこへと突き進む環境だけでも整えたいものである。

健康は最大の実力である。

若い頃は健康であることが当たり前のように思っていたので、あまり健康のありがたみがわからなかったが、最近は健康であることのありがたみがひしひしと感じる。なぜこんなことを感じるかというと、これまで調子を崩したり不健康であったことを経験し、健康でないとできないことが多くあることを強く感じたからだ。

健康とは最大の実力である。世間では「頭がいい」とか「運動神経が良い」という表現でその人の才能を称えるが、健康であるとはそれと匹敵するくらいの、あるいはそれ以上の才能である。

つい最近亡くなったホーキング博士のように、病と闘いながらも大きな才能を発揮する人間もいる。もちろん、ホーキング博士の大きな業績は病で薄らぐものでもなんでもない。

とは言え、社会活動の多くは健康であるかどうかに大きく左右されることが多い。健康であることを最大限発揮して大きな業績を出せばそれは大きな才能であるし、ホーキング博士のように病と闘いながらも巨大な才能を発揮する人間もいる。

とは言え、やはり健康でいるに越したことはないし、健康であることを願うばかりである。ホーキング博士を敬いながら。

物理学と生物学、二つの領域。

物理学と生物学は両方とも科学の基礎である。しかしその特性は大きく違う。物理学は自然の一般性の基礎であり、生物学は自然の特殊性の基礎と言える。

科学には還元主義という考えがある。還元主義とはその名の通り、現象をより根本的な要素に還元してく思想である。例えば、生命現象を還元していけば化学にたどり着き、その化学をさらに還元していけば物理学にたどり着く。その物理学の中で最も還元していった極限にあるのが素粒子論である。

すなわち、還元の矢の先端にあるのが生物学で、矢の根っこにあるのが物理学である。還元の矢の先端に近ければ特殊的性質の色が強く、矢の根っこに近ければ一般的性質の色が強くなる。(紛らわしいが、矢印の根の部分を最初の部分という意味で“先端”と呼び、矢印の先端を最後にたどり着く部分という意味で“根っこ”と言っている。)

生物学の面白さはその特殊性にあり、物理学の面白さはその一般性にある。とは言っても特殊科学である生物学の研究においても、その中にある普遍性を突き詰めることが最も重要になる。ワトソン・クリックの遺伝子の二重らせんはその最たるものであろう。

物理の研究者にとっても生物学的知見は素養として重要であり、生物学者にとっても物理学的素養は重要である。それを行動において強く示したのが量子力学を打ち立てた物理学者・シュレーディンガーの著書「生命とは何か」であろう。

細部を極めるのも必要であるが、広く科学の一般的知見を身に付けることもそれに劣らず重要である。

プロ意識を持っている人が好きだ!

例え社会的地位としてプロであろうとなかろうと、僕は常にプロ意識を持つことを心がけている。自分が打ち込んでいることに対して、決して甘えないという覚悟を持って取り組んでいる。

僕自身、プロ意識を持つことを心がけていると同時に、世の中でプロ意識を持って生きている人は素敵だと思うし、そのような人が大好きだ。直接陽の当たらない縁の下の力持ちから、テレビで脚光を浴びている有名人まで、プロと呼ばれている人はたくさんいるが、その中で強くプロ意識を持って取り組んでいる人は非常に魅力的に見える。

何に対してもプロになるためには非常に厳しい道を歩まないといけないし、時間もかかる。しかし“プロ意識”はすぐにでも持つことができる。将来プロになることを目指す人にとって、まずはプロ意識を持つことがそれに向かう第一歩になるのではないかと思う。

精神と肉体。

頭を使う生き方をしている人でもその頭を支えているのは体であるし、逆に体を使う生き方をするにしてもその体を動かすのは頭だ。どんな生き方をするにしても、精神と肉体は切り離せない。

研究者という頭を使う仕事をしている人の中にも、体を動かし鍛えている人は多い。僕の大学時代の恩師の数学者はハードな筋トレをしていたし、iPS細胞の山中伸弥教授がジョギングを日課とし、しばしばフルマラソンに参加しているのは有名な話だ。

一流のプロスポーツ選手はほぼ例外なく頭をフルに使っている。イチロー選手が非常に頭脳明晰な選手であることは明らかであるし、大谷翔平選手も非常に思考しながらプレーに取り組んでいる。

ただ体が強ければいいとか、頭が良ければいいという訳ではなく、頭と体、精神と肉体の両方を鍛錬することが重要であり、片方の鍛錬がもう一方のパフォーマンスに大きく影響を与えることを認識して生きることが大切である。

本はとにかく買いまくれ!

勉強や研究に取り組んでいる人にとって、書物は必要不可欠な道具だ。もちろん本をほとんど参照せずに創造的な仕事をする尊敬すべき人もいるが、多くの研究者にとって書物を身から離すことはできない。

僕は学生時代、とにかく本を買いまくっていた。その域は半分コレクターと言ってもいいくらいであった。他の学生からは、本ばかり買ってどうするんだという目で見られていた。そういうこともあって、少し本を買うのを遠慮している時期もあったのだが、昔買った本が後々役に立つということが多く、昔本を買って良かったと思う一方、遠慮して買わなかった本が絶版になり手に入れられないということも多く、買わなかったことを後悔することも多い。

本を買いまくると言っても、意味のない本は買う必要はない。例えばファッション雑誌などは全て立ち読みで済ませるし、一般書なども結構立ち読みで流し読みをしている。しかし少しでも気になる専門書は極力購入することにしている。

最近はamazonという非常に便利なネットショップが存在する。特に専門洋書関係は実在店舗には全く置いていないので、全てネットで注文することになる。しかし和書に関しては、できるだけ実在店舗で手に取り購入することにしている。

意味のない本を買えとは全く言わないが、自分の知性を少しでも高める書物はとにかく買いまくることを強くお勧めする。もちろん、予算との兼ね合いがあるが、書物にはお金を優先的に投入するだけの価値はある。

隙間時間を上手く使う。

最近僕が強く感じているのが、いかに隙間時間を上手に使うかということだ。今取り組んでいることに対してまとまった時間が取れ、集中できれば一番いいが、普段生活していればやはり雑用などが入り、時間が細切れになってしまう。したがってこのような隙間時間をいかにうまく使うかが、成否の分かれ目になってくる。

隙間時間を「これだけしか時間がないからどうでもいいや」と思うか、「少ない時間だけど、その時間を使って少しでも前に進めよう」と思うか、このような思い方一つで取り組み方が大きく変わってくる。

僕が非常に有用な時間だと感じているのが、電車の中の時間だ。電車に乗っている時間というものは隙間時間だと言えるが、電車の中の適度な雑音が結構心地よく、集中するのに最適な環境であるように思える。

これまで成功者を見ていると、皆、隙間時間の使い方が非常に上手い。一分の時間さえも大切にしている。隙間時間を上手く使えるかどうかはの分かれ目は、時間を大切にする心にあるのかもしれない。

ファンキーなホンダ・モンキー125cc。

ホンダの人気原付バイク「モンキー」の125cc版が、今年7月に発売されるという記事を見た。もともとモンキーは50ccのバイクであったが、規制とか何とかで発売が中止され、125ccとして生まれ変わるみたいだ。

モンキーは実にファンキーなバイクだ。人間で言えば、久保田利伸とかルパン三世が似合いそうだ。ルパン三世はチンクエチェント(FIAT500)という車に乗っていたが、もしルパンがバイクに乗っていたら間違いなくモンキーであろう。ちなみに僕は大学時代まで、久保田利伸に似ていると言われていた。

僕はファンキーなことが大好きだ。ブログでは毎日、少し真面目な記事を書いているが、根はファンキーである。いや、ファンキーでありたいと思っている。ルパンみたいになりたいと思っている。

今年の7月にモンキーが発売されると知って、本気でモンキーが欲しくなった。(僕は中型二輪の免許を持っており、昔はホンダ・NSR250という凄く速いバイクに乗っていた。)モンキーに乗ってファンキー道を極めるのも面白いかもしれない。

自分に厳しすぎるのも良くない。

自分に甘いのは良くないと言われるが、逆に自分に厳しすぎるのも良くない。必要なのは適度な厳しさであり、次につながる反省である。次につながらない厳しさは百害あって一利なしだ。

そして時には自分に甘くなるのも良いかもしれない。精神的に緊張し厳しく判断する時と、甘くリラックスする時の緩急をつけることが必要である。ビジネスマンがアフター5に飲みに行くのも、次の日への活力だと考えれば、何もかもを極限まで追いつめるのも良くないことが分かる。

僕自身も自分に厳しくすべきところは厳しくすべきだと常々思うが、自分に甘いためか、つい気分転換に走ってしまうことが良くある。もちろんいつも気分転換に浸るわけにはいかないが、気分転換をした際はその気分転換を次への原動力に転換すべく進まなければならないと感じている。