思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

周りの目を気にする?気にしない?

「周りの目を気にするな!」とはよく言われるが、多くの人はどうしても周りの目が気になってしまう。しかし周りの目を気にすることは悪いことばかりではない。周りの目、世間の目を気にすることは、周りとの協調、社会との協調について欠かせないことであるし、全く周りの目を気にしなかったらその先にあるのは単なる暴走だ。

しかし周りの目を過度に気にするのはよくない。周りの目を気にせずに自我を守るということも大切である。もし何かで一番を目指すのなら、周りを気にせずに自分を信じるということは必須である。周りを気にしすぎるとどうしても二番煎じ、三番煎じになってしまう。

自分を信じることと暴走的なわがままは紙一重である。もし結果的に成功すれば自分を信じる人と言われるし、失敗すればわがままであると言われる。しかし現在の自分の展望に自信があるのなら、わがままと言われることを覚悟で自分を信じてもいいのではないだろうか。

それは原因か?結果か?

こちらは原因を聞いているのに、その答えとして結果を言う人が非常に多い。そうなったのはなぜか?と聞いているのに、それが全然答えになっていないのだ。

これは日常の人付き合いにおいてもよく起こりえることだが、驚くべきことに科学者であっても原因と結果の区別がつかない人がいる。それは特に、生物学・生命分野関係の専門家に多い。

例えば、ダーウィンの進化論などはその最たる例だ。ダーウィンの進化論を履き違えている人は非常に多い。ダーウィンは、何かを(自然が)欲求すればそのようになってくると言いたいのではない。ダーウィンの本質は自然淘汰である。しかし多くの人はそれを理解できていない。ダーウィンの進化論において、自然淘汰を遺伝子レベルで厳密に解明することは大きな課題であろう。

原因と結果の違いを理解できないということは、非常に危機的状況である。そのような点をしっかりと見抜かなければ、疑似科学・エセ科学に騙されることになる。そういう意味では小さいころから科学的素養を身に付けることは非常に重要である。

心と体は連動する。

人間というものは、心と体の双方が存在することによって成り立っている。心だけの人間なんていないし、体だけの人間もいない。心の調子が不安定の時は体の調子にも影響する。だから体の健康を保つためにはまず心を健全にしないといけない。

ただ、強靭な精神力で思い通りにいかない体を維持する人間もいる。先日亡くなった物理学者のホーキング博士だ。ホーキング博士は手足などの体がほとんど動かない。そのような状況でどのように研究を行い、どのように書物を執筆していたか想像できないが、それらの大きなハンデも強靭な精神力があれば乗り切れるのであろうか。

ホーキング博士の生き方を見ていると、小さなことでくじけそうになる自分が恥ずかしい。くだらないことで悩む自分が恥ずかしい。「大丈夫なのか?」ではなく「何とかなる!」という思考が大事なのだろう。保険より挑戦が大事だ。

人間は誰しも寿命がある。百数十年後には現在生きている人間は確実に死んでおり、人類は全て入れ替わっている。その世代に受け継がれるのは体ではなく精神である。そのような精神を打ち立てるためにも、今生きている体を健全に保つことを心がけなければならない。

心の容量。

心の容量(キャパシティー)に余裕がないと、寛容な判断ができなくなる。そのように余裕がない時、その理由は二つある。一つは元々の容量が少ない場合。もう一つはいろいろ詰め込まれて空きがない場合だ。

心はパソコンのストレージと同じで、いかに空き容量を確保するかが重要だ。しかし簡単に容量を増やすことができない一方、油断すればすぐに容量は少なくなってしまう。

ストレスフルな現代社会において、寛容に振る舞うことができないこともよくある。人に対してストレスを感じるとき、その原因はその人にあるのではなく、自分の心に余裕がないことが原因であることに気付く。人に対して寛容になれないことは、自分に対して大きな制限にもなってしまう。

容量を少しでも大きくし、無駄なものは抱え込まずに心に余裕を持たせる。それはなかなか簡単な事ではないが、日常においてそのようなことを意識しつつ寛容に、そしてさらに心臓に毛を生やすことができれば、人生がより明るく、そして軽やかになるであろう。

人生で、社会で、暴れまくる!

普通、暴れまくると言えば迷惑な話に聞こえそうだが、人生において、そして社会において暴れまくることは、究極であり重要だ。自分のテリトリーで、そして自分の専門分野で、日本国内だけでなく世界の舞台で暴れまくることは重要である。

ただ、多くの人はおとなしすぎる。遠慮をしすぎる。何かで前に出ようとするとき、厚かましいくらいがちょうどいいのである。

最近は良くも悪くもオンリーワンということが重視され、競争とは距離を置く風潮がある。なぜか競争というものが悪者にされているが、社会の本質は競争であると言っても過言ではない。山に籠って仙人にでもならない限り、競争は避けられない。

ただ競争だけに明け暮れるのではなく、自分のオリジナリティーをじっくり発酵させることももちろん重要である。発酵という言葉の通り、これは非常に時間のかかることであるし、我慢がいることでもある。

自分が自分でいるためにどうすればいいか?競争の中にいながらも、自分の独自性というものを見極め温めなければならない。そしておとなしくいるだけでなく、それぞれの世界で暴れまくらなければならない。

弱さを見せれる人になれ!

弱さを見せられるのは、強さの裏返しである。本当に弱い人は、弱さをひた隠しにしようとする。いかに弱さを見せられる人間になれるか、そこに人間としての器が試されている。

弱さを見せて、それが相手に受け入れられるようになれば、もう十分に強い。自信を持って見せる弱さには、強さがにじみ出ているからだ。逆に弱さを隠すために見せる強さは虚勢でしかない。虚勢を張っても、見る人によってはすぐに見抜かれる。自分がそこまで強くなくても、少しずつ弱さを見せいていけばいい。弱さを見せることによって本当の自分を自覚し、自分がどの方向に進めばいいのかが見えてくる。

弱さを見せて強くなる。そんなことが自然にできれば、意識しなくても一歩ずつ理想への階段を昇って行けるであろう。

もはや震災後ではない?

太平洋戦争後、1950年代だろうか?「もはや戦後ではない」という言葉が流行ったらしい。これは戦後のネガティブな意識から脱却して、次の時代へ向かおうという未来志向な意識の表れだと思う。戦後ではないとは言っても、必ずしも戦争を忘れるということではない。

3.11、東日本大震災から7年経った。震災を風化させてはいけないが、「もはや震災後ではない」という意識も大事なのではないだろうか。もちろん東北の現地の住民は十分に未来志向の意識を持ち、次へ進もうとしているのだと思う。いつまでも震災後ではいられない。

歴史も人生も、過去を教訓にしながら未来を見据えて進むものだと感じる。過去を忘れてはならないが、過去を引きずってはならない。人生で言えば「もはや過去の自分ではない」という未来志向の意識が大事なのだと思う。

歴史も社会も人生も、常に過去を乗り越え、そして未来の自分を構築するために時には過去の自分を捨てないといけない時もあるのかもしれない。今重要なのは、過去ではなく未来なのだから。

健康であるということは、最大の実力だ。

人間一生、常に健康であるということはありえないだろう。誰しも調子を崩したり病気になったりすることはある。しかし健康をいかにして維持するかということは非常に大事である。

健康を崩して思い通りにいかなかったということはよくあることだ。しかし、「実力はあるけど調子を崩して上手くいかなかった」という言い訳は極力するべきではない。なぜなら、健康を維持できるかということも、非常に大きな実力の一部であるからだ。健康であることは、大きな才能である。

そんな僕も過去に大きく調子を崩したことがある。それが故に思い通りにいかなかったことも多々ある。しかしそれも人生の重要な一部分であり、調子を崩して上手くいかなかったのは実力が足りなかったからだと思っている。

しかしそのように上手くいかなかった過去を覆して挽回できれば、それも大きな実力である。全ての事は実力だと僕は思っている。

過去は変えられない。だから過去を悔やんでも仕方がない。しかし未来は思い通りに変えられると僕は思っている。あるいは、未来を思い通りに変えられるかということも実力に大きく関わってくるのかもしれない。一番重要な実力は、自分の未来を変える力であると言えよう。

睡眠は善か?悪か?

僕は自他共に認める超ロングスリーパーだ。しかし日常においてロングスリーパーであることによるメリットはほとんどなく、デメリットでしかない。しかも睡眠リズムは非常に不規則だ。

ところで睡眠は善なのか?悪なのか?よく「寝ているのは死んでいるのと同じだ」と言われる。確かに寝ている間は社会生活を何もしていないので、そういう意味では死んでいるのと同じと言えるかもしれない。しかし当たり前の話だが、睡眠を取らずに生活を送っていれば、生活や社会活動の質は圧倒的に落ちてしまう。そういう意味では起きている時の質を上げるためにも睡眠は欠かせない。

タレントの武井壮さんは1時間しか寝ないらしい。実際テレビ番組で武井さんの睡眠の検証をしていたが、(真実は分からないが)本当であるらしい。僕には考えられないことだが、社会には3時間ほどしか寝ない超ショートスリーパーがいる。かのナポレオンも3時間しか寝なかったという話は有名だ。社会生活において、取り組む時間の長さが鍵を握る仕事をしている人にとってはショートスリーパーであることは非常に重要だ。

その一方、圧倒的に質が重要な仕事も存在する。もしかしたら学問の研究もそうかもしれない。相対性理論で有名な物理学者・アインシュタインもロングスリーパーであり、一日10時間寝ていたという話は有名だ。

通常の日常生活・社会生活を送る上では適切な睡眠時間、あるいは適度に短い睡眠時間で規則正しく生活することが一番理想的でメリットが多いかもしれないが、特殊な例では睡眠の多さが鍵を握る活動を行っている人もいる。ただしこれらの人は社会的には非常に厳しい立場に置かれることが多いようだ。

裏は見せるべきではない。

人間はいろいろなことに対して裏も知りたいという欲求があるが、多くの事に関して裏はあまり知らないほうが良い。特にエンターテイメントにおいては、それを仕事にしない限り裏の事は知らないほうが良い。

19世紀に活躍した大数学者ガウスは、社会に結果を公表するときには完成した建造物(数学理論)だけを見せるべきであって、建造物を構築する際に作った足場(理論構築の過程)は見せるべきではないと言い、そのことを自身の美学としていたという。それは理論としては洗練しているが、他の数学者からすればガウスがどのように考えていたかがつかみにくいところである。

しかしただ単に楽しみたい時には、数学にしてもエンターテイメントにしても、表面的な事をなぞるだけの方が面白いことが多々ある。裏にある現実を見ると、あまりにも生々しく冷めてしまう危険性があるからだ。

仕事に関しては徹底的に裏を知る必要があるが、日常生活を普通に楽しみたいのならあまり裏に深入りしないほうが良いだろう。