思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

「何をすればいいか?」を自分の頭で考えることが大切だ。

ここ近年、ハウツー本や自己啓発本がブームだ。しかし、それらの本を読んで実行した人はどれだけいるだろうか?ゼロとは言わないが、ほとんどいないだろう。なぜそれらの本を読んでも実行できないのか?それは自分の頭で考えた結論ではないからだ。

どうすれば上手くいくか?どうすれば向上するか?それらの手法ばかり目が行く人が多いが、本当に重要なのは、「どうすべきか?」を自分の頭で考えて導き出すことだ。

自己啓発本には威勢のいいことばかり並べられているが、それらをどう考えて導き出すか、ということはほとんど書かれていない。結論ばかり並べられて、道筋が書かれていないのだ。

そのような結論が書かれた本ではなく、思考を深めるための中身の濃い書物を手に取ってみよう。そして、自分の頭で考えることを心がけることが大切だ。

社会的に汚い存在ということと、人間的に汚いということは、全く違う。

社会的評価というものは、自分の意図しないところで作られることが多い。いくら品行良く生きていても、周りの評価はそれに比例しない。最近、投資家の村上世彰氏を見ていてそう思った。

社会的評価と人間性は別物だ。村上世彰氏や、あるいはホリエモンもそうかもしれない。社会的立場にある人間は、表舞台にさらされている分、一挙手一投足によって社会的評価が左右される。時には前衛的でありすぎるが故に、刑務所に入れられてしまうことがある。本人は潔白であっても、社会的には汚い存在とされてしまう。

社会的評価というものは、社会の気まぐれであるので、社会的評価を気にしすぎる必要はない。別に社会的に汚い人間でもいいではないかと思う。自分が一人の人間として信じる道を歩けばいい。周りは周り、自分は自分と思えばいい。社会的評価を気にしすぎると、自分を縛り付けてしまうだけだ。

周りから汚いと思われようがどうでもいい。むしろある程度汚い方が生きやすいし、潔癖な人間よりもむしろ健全かもしれない。周りに合わせるのではなく、前衛的に道を切り開くことが大事だ。自分に自信を持って、信じる道を貫くことが大事だ。

選択と集中。

物事には優先順位を付けることが大事だ。そして、優先順位を付けるには、物事の本質を見抜き、どれが重要かを判断しなければいけない。

「選択と集中」が大事だとよく言われるが、選択して集中するためには、まずは広く物事を見通さなければならない。そのためには、幅広い知識が必要だ。大学で言うと、3年次・4年次での専門課程に入る前に、1年次・2年次で一般教養の訓練を受けることにあたる。

社会では、スペシャリストか、ジェネラリストか、という選択を迫られる。しかし重要なのは、スペシャリストでありながら一般的な見識を持つこと、またはジェネラリストでありながら専門的知識を持つことである。

自分を解き放つ!

自分に対して何か制限を課していないだろうか?例えば僕だったら、「一日一つのブログ記事を書く」ということも、一つの制限だった。元はと言えば、毎日ブログを更新しようということだったが、最近では「一つ”しか”更新しない」という制限になっていた。そういう制限を取っ払って、「書ける時はいくつでも書こう」というスタンスに変えることにした。

そこで今日も、この記事で4つ目のブログ記事だ。思ったら、考えたら、どんどんブログ記事を書いていこうと思う。書けるときは、一日に複数の記事をどんどん書いていく。

自分に対する制限は、何もブログ記事だけではない。筋トレの腹筋の回数、数理物理の研究に打ち込む時間帯、など様々ある。

しかし、怠慢している時間はどんどん制限して抑えなければいけない。本屋での立ち読みも制限しないといけないかもしれない。

とは言え、自分に対する積極的前進と向上のためには、制限を課すことは無意味だ。思いっきり暴れまくって、自分を解き放たなければならない!

闇に包まれても。

闇に包まれている時は、いつ闇から抜け出せるか不安だ。闇からの出口はまだまだ遠いのか、それともすぐそばなのか。闇からの出口というものは出てみるまで分からない。

しかし闇に包まれていても、出た時の準備を怠ってはならない。闇から出た時、最大限に羽ばたけるように、抜かりない準備をしておかなければならない。

ただ、その場に留まっていれば、出口は永久に現れない。だから最低限の前進はしなければならない。なんなら、もがき苦しむのも悪くない。何もしないよりましだ。ただ前を見てもがき苦しまなければならない。

出口から出た時、どんな輝く光を浴びられるか。それを考えるとわくわくする。そんな気持ちを「希望」というのかもしれない。

努力は嘘をつく。

努力は嘘をつく。それでも努力を続けるか?それとも嘘をつくから努力をしないか?そこが分かれ目である。

要は、挑戦し続けるか?それとも現状維持するか?ということである。しかし、現状維持で満足すれば、その後現状維持を続けることは困難であろう。

挑戦と努力は一体である。最近は何かとゆとりが大事だとか、汗を流すことを格好悪いだとか、精神論を否定する人もいるが、しかし努力なしの進歩などはありえない。

しかし悩ましいのが、努力は成功を保証するものでないということである。とは言え、常に保証を背にしないと進めない保身的な人に、成功はない。失敗するリスクを抱えているからこそ、成功のチャンスが訪れるのである。

挑戦する前に、結果がすでに分かっていることなんてない。結果が分かっていることなど、挑戦とは言わない。事前に結果がわからないから、結果を過度に気にしすぎるのは良くない。少し遠い未来の展望と、目の前の課題をクリアすることに全力を注いで、挑戦し続けよう。

高須院長の生きている姿を見ると、歳をとっても捨てたもんじゃないと明るい希望を抱ける。

高須クリニックの高須克弥院長が元気すぎる!高須院長の現在の年齢(2017年7月時点)は72歳だ!元気すぎる!

最近も、テレビ番組で中傷を受けたとして、謝罪を求めていた。その翌日には問題は解決したのだが、そのやり取りが爽快すぎる。少しもネチネチしていないのだ。謝罪を受けた高須院長は、「全部許すぜ!」と全面的に許す姿勢を見せ、度量の大きさを見せた。

歳を取ると、頑固になったり、もちろん体も弱くなったりするものだが、高須院長にはそんな兆候は微塵も見られない。高須院長の活発さや明るさは、現在の中年、そしておそらく若者も、「歳を取っても明るい生き方ができるんだ」と希望を抱かされる。

高須院長は、私生活でも快調だ。漫画家の西原理恵子さんと一緒に楽しんでおられる。西原さんとは結婚はしていないが、二人は私生活を謳歌されている。

ああ、お年を召しても高須院長のような明るい生活を続けたい!以前の高須クリニックのCMで、ヘリコプターに乗って快調に飛んでいるカッコいい高須院長を思い出す。

あっ、僕は基本は独りでいようとは思っているのだけど・・・

趣味ってなんだ?

趣味は本当に必要なのか?

最近の日本では、良くも悪くも趣味が美徳とされ、趣味は持つべきだという強迫観念があるように思える。しかし趣味は本当に必要なのか?と問われると、僕はどっちでもいいと答える。

趣味が生きる原動力になるのなら、その人にとって趣味は素晴らしいものであるし、暇つぶしに趣味をやっているのなら、はっきり言ってどうでもいい。

ただ一番問題なのが、世間が、社会が、趣味を強要している場合だ。世間が強要しているとは、人と会うと「趣味は何?」とお決まりのように質問することだ。もちろん話のネタ、話の入り口として軽い気持ちで聞いているのだとは思うが、特に趣味を持っていない人には迷惑であり、ストレスにもなる。

しかしもっと深刻なのは、社会が強要していることだ。例えば、入社面接で「趣味は何ですか?」と聞かれることが多いようだ。しかし、仕事をすることと趣味とは何も関係ないし、何の相関関係もない。こう言うと、面接官は「趣味が豊かな人の方が社交的で、円滑に仕事を進めることができる」などという後付としか思えない理由を付けるかもしれないが、僕には全くそうは思えない。少なくとも仕事内容・スキルが重視されるアメリカ・ヨーロッパにおいて、そんなことを入社面接で聞くバカはいないだろう。

それにそんなことを面接で聞く面接官は、本当は「一応定番の質問で、どこの会社でも聞いているだろうから」程度の横並び意識で質問しているのであろう。そんな質問をする面接官・企業は、自らの無能をさらけ出しているだけだ。

面白い人間か?豊かな人間か?という問いに、趣味は関係ない。もちろん趣味を持つこと自体は何も悪くない。しかし趣味がなくてもそれでいい。

ところで、十数年くらい前に田原総一郎氏の書かれた本のタイトルが、僕は大好きだ。そのタイトルは、

「面白い奴ほど仕事人間」

最後に僕自身の事を言うと、釣りが好きなので(最近は休止しているが、ゆとりができれば毎週末にでも行きたいと思っている)釣りが趣味とも言えるし、筋トレも趣味とも言える。音楽を聴くのも大好きだ。こう書くと、なんか趣味が多いような気がする。しかし、そんなことは僕自身の評価には何も関係ないと思っている。

ストレスフルな時代をどう乗り越えるか。

現代社会は、何かとストレスがかかる。もちろん同じ状況でも、ストレスの度合いはかなり違ってくるとは思うが。ストレス耐性の強い人間になることは、多くの人が望んでいることではないかと思う。

ところで、ストレスは記憶力に大きな影響を与えると言われている。記憶力をつかさどる、脳の「海馬」というところが、ストレスに非常に弱いらしい。悪くなった記憶力を回復させるためには、ストレス脳を何とかしなければいけない。

ストレス脳の回復には、運動がいいようだ。僕の場合、起きてから毎日筋トレをしているが、腹筋を何十回としている間ストレスは忘れ、腹筋をしながら前向きな考え事をしている。やはり体を動かして中にたまったものを吐き出すというのは、すごくいいと思うし、絶対に必要だと思う。

極端に言えば、現代社会を乗り越えられるかどうかは、いかにストレスに打ち勝って、ストレスの攻撃をかわすか、と言えるのかもしれない。自分も今は非常にストレス脳になっているが、前に進むためには何とかストレス脳を解消しなければいけない。

あと、余談:ストレスの解消にブラックチョコレートも良いらしい。僕もチョコレートを食べると、少し楽になる(ような気がする)。

自分を信じ抜くこと。

目標に向かって挑戦している者にとって、自分を信じ抜くことは大事だ。挑戦し続ける原動力になる自信と希望を持ち続けるには、自分を信じる心が必要不可欠だ。

極端な話、根拠のない自信でもいい。根拠のない自信でも、自信がないよりかはるかにましだ。根拠なんてものは、後からできてくる。

自分のことは、自分が一番よくわかっている。もちろん周りの人の方が見えていることもあるが、自分の頭の中、自分の心の中は、自分にしか見えないものであり、その自分にしか見えないものを基にして、意志というものが形成される。

周りの人の目を気にしすぎては、自分を縛り付けるばかりだ。もちろん社会で生きていくには、周りの目、周りの評価は気になるところだろう。しかし、自分の進むべき道は他でもない、自分自身が決めることだ。

自分の進むべき道を決めたら、後は自分を信じ抜いて進むだけだ。