思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

当たっても、砕けるな!

「当たって砕けろ」とはよく言うものである。しかし、失敗して砕けてしまえば、どうにもならない。もちろん、砕けても何度でも立ち上がるという意味なのかもしれないが、そうなら「当たったくらいで砕けずに、何度でも立ち上がれ」ということだろう。

砕けてしまうことを過度に恐れて、当たることさえしない人も多い。「当たらずに、砕けずに」という考えだ。そんな無難な考えに魅力を感じるか?と僕などは思ってしまうのだが、そんな無難な生き方も現代人の処世術なのかもしれない。

遊びも本気、仕事も本気!

人生はマラソンのようなものである。マラソンではペース配分が大事だ。それと同じで、人生もペース配分が重要になる。時には本気で、時には手を抜いて、というように、物事にメリハリをつけることであろう。

しかし、長い人生と言えども、人生は有限である。何事にも本気で取り組むことも重要である。仕事に本気で取り組むことは重要であろう。そして遊ぶときも本気でぶつかることが大事だ。仕事も遊びも本気で取り組むことによって相乗効果が生まれる。

仕事も遊びも人生の重要な一部分である。そんな人生の一部分を適当に過ごすのはもったいない。とは言え、疲れた時には気を抜くことも大事だ。本気で続けることと、緩急のメリハリをつける事とのバランスは難しいかもしれないが、もっと本気で生きてみようと思うこの頃である。

目の前に本がある。

今、目の前に本がある。和書・洋書、専門書が並べられており、その中には積読?状態の本も少なくないが、本に囲まれている。

それらの本をどのように生かすか?それらの本の何冊かを上手く利用すれば、新しい結果が生み出せるのかもしれない。何冊もの本を前にして、結果を出せないこともある。要は、本があるかないか、本を読むかどうかではなく、自分でどう解釈し結果へと変化させるかだ。

大学時代から、かなりの数の書物を買いあさってきた。本の数が多ければよいというものではないということは、頭では分かっている。それでも定期的に本を買ってしまう。

本は物質的にみればただの紙だが、僕にとっては宝物である。

背水の陣は最強である。

背水の陣とは、最も危険な状態であることは言うまでもない。しかし背水の陣から大逆転を収めることが多々ある。それはもちろん危機的意識から来る底力によるものである。

我々のような一般人は、危機意識がないとどうしても怠慢してしまうことが多い。そんな時はいっその事、自分で危機的状況を作り上げればいい。自分を背水の陣へと追い込むのだ。それはもちろん、精神的には非常にきついことである。しかしそうでもしないと、自分の置かれている立場はより一層厳しくなる。

自分を背水の陣へと追い込むのには、勇気がいる。なぜならば、それで失敗したら残るのは”死”しかないからだ。しかしそこまでしなくても、時には自分を奮い立たせるために自分を追い込むことも必要だ。

型を極める人、型を破る人。

物事を極めていくということは、物事の型を理解するということである。将棋にも、柔道にも、そして野球にも、歴史あるものには全て型が存在する。そして科学においては、基礎理論が型であると言えるのかもしれない。

最終的にトップに君臨するには、型を極めなければいけない。そしてそれでも先を目指す人は、型を破るという行為に出るのかもしれない。型を極めるか、型を破るかは、人それぞれであろう。

しかし型を極めずに型を破ろうというのは、それは単なる奇策でしかない。そんな奇策には何の意味もない。

型を極め、型を破った時、そこに新しい型が生まれる。すなわち、型というものはトップに君臨する破壊者が生み出すものだとも言える。

科学でも、既存の理論を否定し、新理論が打ち立てられたとき、その新理論が新しい型になる。

新しい型を作り上げることを夢見る人は多いが、まずは型を知り、型を極めることに邁進しよう。

科学者とは探検家だ!

あるテレビ番組(クレイジージャーニー・TBS、再放送)で、高橋大輔さんという日本人探検家が出演されていた。そこで高橋さんは、マチュピチュを発見したハイラム・ビンガムのことに言及し、「現在マチュピチュを訪れる人々は、ビンガムの発見の追体験をしている」と言われた。マチュピチュに限らず、現代人は第一発見者の追体験していると言える。

それは科学でも同じだ。現代において相対性理論を学んでいる学生、あるいは相対論のユーザーである研究者は、アインシュタインの発見を追体験しているのだ。そして科学者とは、もちろん第一発見者である探検家であることは言うまでもない。

科学者に限らす、プロフェッショナルと言われる人は、大なり小なり探検家的要素があるのではないか。プロフェッショナルというものは、自分が第一人者であるという意識を持つことによって、そしてそのような意識が前進していく原動力になる。

そして人生においても、常に人生を開拓していく探検家であり続けることが大事である。

物事を甘く見ず、かつ過剰にも反応せず。

物事を正確に理解するのは、意外と難しい。人によっては甘く見てしまい、あるいは過剰に反応してしまったりする。

甘く見て失敗してしまう話はよく聞くが、かと言って過剰に用心するのも良い効果はない。正確に物事をとらえるためには、まず物事に対する先入観を排除しなければいけない。そして感情的にならないことも大切だ。起きたことを純粋にとらえて冷静に判断できるか、それにかかっている。

 

1位でないと評価されない世界がある。

8月27日、バドミントンの世界選手権で、奥原希望選手が金メダルを獲得した。去年のオリンピックでタカマツペアが金メダルを取ったことが記憶に新しいが、それに続く金メダルは日本人として誇らしく思う。

世の中には1位でないと評価されない世界が存在する。多くのスポーツもそうだし、科学の世界でもそうである。2位を取って伝説になる人はいない。岩崎恭子・里谷多英・北島康介、そしてイチローなど、伝説の選手は皆1位の選手である。

2位を取って狂喜する人、2位を取って悔し涙を流す人、それぞれいるが、圧倒的に可能性を秘めているのはもちろん悔し涙を流す人である。また、2位を取って非難されるのは、期待の表れである。

ところで余談だが、僕が個人的に観てみたいのが、野球世界一を決めるリーグだ。もちろんWBCのような世界大会もあるが、プロ野球常設チーム世界一を決める戦いを観てみたいのである。そこまでいかなくても、日本を本拠地とするメジャーリーグチームが1チームだけでもできないものかと思ってしまう。サッカーで言う、バルセロナのような世界一を決める試合を観たいのである。

本題に戻るが、もちろん初めから2位を目指している人はいない。あえて言えば、1位になれなくて悔し涙を流すからこそ、2位にも価値があると言える。そして、1位を目指せる人は、1位を目指せる幸せを感じながら、自分の手で1位をつかみ取ろう!

ルールを守ることは必要だが、ルールに固執しすぎないことが大事だ!

野球などのスポーツでは、まずルールありきでプレーが始まる。そもそもルールなしではスポーツは始まらない。スポーツにおいてルールは絶対的である。

しかし、世の中で生きていくうえでは、ルールに固執しすぎないことが大事だ。とは言え、世の中でもルールを守ることは非常に大事だ。基本はルールありきである。

しかしルールに固執し過ぎるあまり、物事の本質が見えなくなることがよくある。そんな時はいったん白紙に戻して、真っ白なところから物事を考え直す必要がある。ルールがあるが故に、先入観に縛られては元も子もない。

とは言え、何でもかんでもルールを無視すればいいというわけではない。しかし、物事を打開しなければいけない局面において、いったんルールという前提条件から離れてみるのが有効である。

若者の活躍には期待するが、中年たちも負けられない!

自分はまだまだ若いと思っているが、そうは言っても年齢を見れば立派な中年だ。しかし、歳を取っても熱い闘志は常に持ち続けなければいけない。

サッカーのポジションには、GK(ゴールキーパー)・DF(守備手)・MF(中盤)・FW(最前線の攻撃手)がある。僕自身のタイプは、絶対にFWだと認識している。しかしFWでありながら、なかなか点を取れないでもがいている。

FWは、点を取ってナンボのポジションである。いくら内容が良くても、点を取れないFWは評価されない。

FWと言ってまず思い浮かぶのは、キング・カズこと三浦知良であろう。カズは十代の頃に単身ブラジルに渡り、Jリーグ誕生時からのスター中のスターである。彼はまさしく挑戦者の中の挑戦者と言えよう。そしてFWとして多くのゴールを決め、点を稼いできた。

そんなカズも今では50歳。中年であるが、今でも現役Jリーガー(J2)であり、FWとして最前線で戦っている。

歳を取るとどうしても守りの思考に入ってしまう人が多い。人生のそれぞれの時期によって、自分の置かれる位置は刻々と変わるかもしれない。しかし攻めの姿勢は常に持ち続けなければいけない。自分のタイプがFWならなおさらだ。

点を取れないでいるとき、どれだけ我慢できるか。そしてそんな時にも準備を怠らすにコンディションを保てるか。それがトンネルを抜けた時のパフォーマンスに大きくつながる。