思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

健康を持て余すな!

言うまでもなく、健康は最大の財産だ。健康を崩している人はより健康に、そして健康な人はその健康な体を最大限に生かさなければならない。

とは言え、健康を崩している時は健康であることのありがたさを十分に感じるものだが、日常的に健康である人は、なかなか健康であることのありがたさを感じることができない。

しかし、健康であることは最大の武器でもあり、才能でもある。しかし、それを意識せずに怠慢してしまう人間も多い。すなわち健康を持て余しているのだ。

健康を持て余すのは、最大の浪費である。お金の浪費は、大なり小なりそれに見合う授受があるが、健康の浪費は無駄以外の何物でもない。

どの人間でも、100%健康であるという状態はなかなかないかもしれないが、100%でなくても自分が健康であると感じているならば、その健康な心身を最大限に生かして物事に取り組みたいものである。

最後はやはり、自分を信じ抜けるかどうかだ!

「他人の意見をしっかりと聞くことが大事だ」とは、よく言われる。確かに他人の意見が役に立ったとか、それによって成功したとかいう話はよく聞く。しかし他人の意見一辺倒では、自己が入る余地はない。そのような生き方をしても、それは他人の生き方でしかない。

僕は、「失敗してもいいから自分を信じ抜くこと」を大事にしている。上手くいくかどうかわからない他人の意見に従うよりかは、上手くいくかどうかわからない自分の考えに従うことの方が賢明だと考えるからだ。そして、自分自身で出した判断に従えば、例え結果がどうであろうと納得できる。

上手くいかなくてなかなか結果が出ない時、他人の意見に従いすぎて右往左往している人間を見かける。そうではなく、なかかな結果が出ない時こそ、自分を信じ抜くことによって打開策を模索することが大事だ。

最後まで自分を信じ抜けるかどうか、苦しい時こそそれにかかっている。

万人に好かれる方法なんてないんだから。

万人に好かれることばかりを考えていれば、当たり障りのない無色透明の人間になってしまう。しかもその結果、万人に好かれるなんてことにはまずならない。万人に好かれるものと言えば、ビートルズのyesterdayくらいであろう。

人に好かれるかどうかということも大事だが、それと同時に「自分自身が納得できるか」ということも大事だ。自分が納得できないことは、人には伝わらない。自分の口から出る言葉には、自分の人間性、そして生き方が現れている。

さらに言うと、同じ言葉でも、誰が言うかによって、意味合い・説得力が全く変わってくる。無責任な人間の言う言葉には、全く重みが感じられないのもそうであろう。

話しは戻るが、万人に好かれること以上に、「自分がどう生きるべきか」ということを考えなければいけない。その結果として、人に好かれればこの上ない。

日本人にとって”アメリカンドリーム”は覚悟が必要だ。

アメリカンドリームとは、アメリカ大陸開拓時代からある言葉であり、壮大なものである。これまで数々の人間が、このアメリカンドリームをものにしてきた。

しかし裏を返せば、アメリカンドリームにはリスクがあり、金銭的、あるいは身の危険的なリスクを承知の上で突き進まなければならない。

これまで、真の意味でアメリカンドリームをものにした日本人はいないと言われている。その原因は、日本人の性質にも大いに関係していると感じる。

日本人は「石橋を叩いて渡る」という言葉があるように、極端にリスクを嫌うところがある。また叩いても渡れば良い方で、「石橋を叩いても渡らない」という言葉も存在するくらいだ。

日本人がアメリカンドリームに挑むためには、アメリカ人以上に覚悟が必要だ。それはもちろん、地理的な制約もあるだろうし、英語圏ではないという制約もある。もちろん、本当にアメリカンドリームに挑む人にとって、そのような制約など些細なことかもしれないが。

現在では、日本に居ながらでもあらゆるドリームに挑むことは可能だ。だからわざわざアメリカにまで出向く必要なはいのかもしれない。しかし、日本国内規格ではなく、何もかもが世界的スケールで物事が進むアメリカという国は、非常にエキサイティングに感じる。もしかしたら、アメリカンドリームの本質は、金銭的な面以上に「エキサイティングを感じるか」という刺激にあるのかもしれない。

いつまでも笑っていこうと!

悩んでも腹を立てても、ほとんどいいことはない。それならいつでも笑って生きていく方が良い。

僕自身は、かなり喜怒哀楽は激しい方なので、笑う時は思いっきり笑うし、腹を立てるときは腹を立てる。

悩むことが必要な時ももちろんあるが、悩む暇があれば、その分前に進むことを考えたほうが良い。それもびくびくしながら進むのではなく、笑って天真爛漫に進めばいい。

周りの目など、あまり気にする必要はない。僕は全然出来た人ではないので、これからも周りからは非難ゴーゴーかもしれない。しかし、批難されることに対してのネガティブな考えよりも、これから成功した時に対してのポジティブな考えを常に持ち続けて行こうと思う。

僕はいつまでも笑って生きていくぞ!ワッハッハ!

「人生」という彫刻作品。

自分の人生をどんなものにするか?もちろん人それぞれであろう。人とは違う自分独自の人生を創るという人もいれば、みんなと同じ人生がよいという人もいるだろう。その違いはそれぞれの人生観の違いであって、どちらが良いとか悪いとかいう話ではない。

とは言え、僕自身はやはり、自分独自の人生を創りたいと思っている。

人生とは丸太を彫刻で削っていくようなものだと思っている。生まれたばかりの時は皆同じような丸太である。しかしその丸太に「人生」という彫刻を施していく。そして人生を終えるとき、その彫刻は完成する。

そのような彫刻作品に同じものは二つとない。他人と同じような人生だと思っていても、必ずどこか違いが生まれる。それなら思いっきり人とは違う、思いっきり個性のある彫刻作品に仕上げたい。その細部には、他人にはまねのできない技術も施したい。

これから先、どんな彫刻技術が施されるか、本当にわくわくする。

抽出した理想論ではなく、荒削りの現場の経験が重要だ!

自己啓発本の類の本を読む人は多いが、自己啓発本が役に立ったという話をほんとんど聞いたことがない。それはなぜか?

自己啓発本とか、最近流行の「~の言葉」という本には、非常にきれいにまとまった理想論が載っている。きれいにまとまっているので、非常にわかりやすい。

しかし、そこに載っている言葉は、著者が試行錯誤して考え出された言葉だ。その言葉だけを読んでわかったような気になるかもしれないが、本当に必要なのは抽出された言葉ではなく「抽出する作業」である。

そのためには、きれいにまとまった言葉ではなく、現場の荒削りな生の言葉に触れなければいけない。すなわち、たくさんの”事例”に触れながら、自分独自の理想論を作り上げることが重要なのである。

昔のテレビドラマで、映画にもなった”踊る大捜査線”(フジテレビ)の中で、「事件は会議室で起きているのではない。現場で起きているんだ」と言う言葉があった。まさしくそのとおりであり、名言である。

前線で数多くの事例を扱い、そこから試行錯誤して自分自身の考え・理想を構築していく。それの繰り返しによって、あらゆることのスキルが身に付いていくものだ。

目標設定は適切か?

人間が生きるためには、何らかの目標が必要だ。短期目標・中期目標・長期目標、それぞれをリンクしながら人生を切り開いていく。そして目標は高すぎると全く近づくことができないし、低すぎても達成感が得られない。

僕の現在の目標は、他人から見るととんでもなく高い目標に見えるかもしれない。それは自分でも認識している。しかし、とてつもなく高い目標でも、それが崖の上にあるのか、それともそこへ続く階段が見えているのかで、全く事情は異なってくる。

垂直にそびえる崖の上にあっては、例え高さが5メートルでもたどり着くことはできない。しかし階段があれば、着実に進めば100メートルの高さでもたどり着くことができる。

僕には目標への階段は見えている。その階段は現実か、妄想か、それは実現できたときに証明される。それを証明するために、一歩ずつ着実に階段を上っていこうと思う。

実用と教養を使い分ける。

日々物事に取り組んでいると、どうしても役に立つこと、つまり”実用”に偏りがちになる。役に立つとは、非常に分かりやすい。役に立つと言えば、何でもうなずいてくれそうに思う。もちろん役に立つことは素晴らしいことだ。しかし何だか技術的な事に偏りがちのような気がする。

その対極にあるのが”教養”だ。しかし、教養はすぐに役に立つとは限らない。もちろん教養が役に立つことは多々あるのだが、大概の教養は、徐々に熟成されるのもだ。とは言え、教養だけで納得してしまうのは、半分は自己満足であるような気もする。

結局、実用も教養も両方大切なのだと気付かされる。すなわち、これらは車の両輪なのだ。

実用も教養も、現場での実戦があってのものである。実践無き教養など、何の意味もない。ここで実践とは、「人間としていかにして生きるか」という意味もあるし、「社会でどう行動を起こすか」という意味もある。

実用と教養の相互作用によって、新たなる広がりが生まれる。人生を、そして社会をどう切り開いていくか、そのための武器として、実用と教養を使い分けながら進んでいかなければならない。

基礎と先端の両方攻め。

物事に取り組むには、基礎を身に付けることが大事だ。基礎なしには応用はできない。とは言え、いつまでも基礎ばかりに気を取られていれば、いつになっても最前線に到達しない。

そこで、基礎を習得しつつも、同時に最先端の事柄にも取り組むことが有効になる。基礎を100%習得する前に最先端を知ることによって、逆にどういう基礎が必要なのかということが見えてくる。それによって、本当に習得すべき基礎だけに集中できるので、時間の短縮にもなる。

このように、基礎の習得に励みつつ、最先端の事柄も視野に入れることによって、効果的な成果を挙げることができる。