思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

本は財産。本にかけるお金は人生への投資。

世の中を見ていると、本を読む人と読まない人が極端に分かれるような気がする。もちろん本にお金をかけて読まない”積読”は少し良くないかもしれないが、全く本に接しないよりかはかなりましである。特に専門書は、読むのにかなりの時間と労力がいるので、必然的にある程度”積読”になってしまう。しかし、積読状態である専門書は、研究への自由度の広がりになる。

本の価値は読んだ人にしかわからない。価値がわからないから読まないのか、読まないから価値がわからないのか、鶏が先か卵が先かという問題かもしれないが、人生を価値あるものにするためにもある程度の読書は必要だ。

そして読む本の”質”も重要だ。基本的基礎的文献を読まないで、自己啓発本などの表面的な手っ取り早い本ばかり読んでいては薄っぺらい人間になってしまう。何をするのにも、苦しんでこそ得られるものがある。

ただ、苦痛を感じながら読むのもあまり意味がないのかもしれない。やはり読書も楽しんだ方が圧倒的に良い。そのためには「自分の興味は何か?」ということを自分で認識しなければならない。

本への投資は自分への投資。本は財産。

質の良い価値ある人生にするためにも、人生のお供に質の良い価値ある本を。

結果ありきか?過程ありきか?

物事に取り組むときに、まず目標を掲げることが多いだろう。もちろん目標を掲げることは、非常に意義のあることである。

しかしその目標が、中身のあるものか、外見だけのものか、それらによって大きく意味合いは変わる。

外見により目標、例えば起業であれば「何億円稼ぐ」とか「3年で株式上場する」とかであるが、それだけでは物事は全く進まない。まず「何(なに)で」ということを明確にしないとスタートは切れない。

よくビジネスで成功するためには「”何で”にこだわらないことが大切だ」と言われるが、それは「何で」と言う手段(過程)をいくつも思い描いていて、どれで進めるかこだわらないという意味だ。しかしこの「何で」という手段を定めることが一番難しい。

とは言え、手段を一つに絞る必要は何もない。いくつかあれば、それを全て進めるというのも一つのやり方であろう。全てに全力をつぎ込めるのなら、二兎・三兎の獲物を追えばいい。そうすれば中には大谷翔平のごとく、二刀流・三刀流で活躍する者が現れるかもしれない。

思い込みによる、思考の暗示。

僕はかなり自信家だ。と言っても、今までに何か大きなことを成し遂げたわけでも、人生に成功したわけでもない。

しかしそんな”成し遂げた”とか”成功した”ということは、所詮過去の事でしかない。未来のことに過去のことは関係ない(もちろん関係あることもいろいろあるが)。なので、過去の失敗にとらわれて自信をなくすなんてことはアホらしいと思っている。

例え周りから見て根拠のない自信と思われても、自然に湧き出てくる自信には本人にとっては実際は根拠がある。そして根拠のない自信というのは非常に力になる。心も元気になる。未来を肯定的にとらえられるようになる。

この様に根拠のない自信によって自分を暗示させることによって、成功への道筋が見えてくれば、あとはその道を突っ走るだけだ。

みんなと違っててもいいやんか!過度に協調性を求める日本社会に疑問。

初めに言うのも何だが、僕は協調性がない。取り組んでいることに対する目標も、かなりこだわりがある。とは言っても、何らかの障がいがあるとか、そういうわけではない(睡眠に関してはかなりひどいが)。とは言え、いろいろな意味で自分勝手だとみられることが多いので、周りからの風当たりは強く、精神的にもかなり疲れる。

いろいろ悩み症な所はあるが、陽気でゲラゲラ笑っていることも多い。つい最近、お笑い芸人のカズレーサーさんが、この20年間悩んだことがないという話をしているのを聞いて、悩んで得なことなど何にもないことに気づき、かなり心の持ちようが変わった。少し楽にもなった。

自分は普通の人と比べると変かもしれないし、生き方も普通の人とかなり違う。もちろん、”普通の人”とは何かと問われれば、画一的な答えはないのかもしれないが。でもそんな自分に誇りを持っている。

数学と物理に関しては、すごく真面目に取り組んでいる。数学と物理が大好きだ。

僕は普通の人とはかなり違うかもしれないが、

みんなと違っててもいいやんか!

大きな夢、大きな目標に向かって。

逆転的発想の勉強法

勉強とはどう遂行すべきか?ほとんどの人が「基礎的な事から始めて徐々に応用的事柄に進めていく」と考えていると思う。それはそれで真っ当なことで、正統的な勉強法であろう。

しかし(分野にもよるが)「いきなり最先端なことに取り組んでみて、足りないところを基礎的な文献で補う」という勉強法が非常に効果的なことがある。まず現場で手を動かしてみて、何が足りないかを理解する、ということだ。

”分野にもよる”と書いたが、この勉強法が非常に効果的な分野の一つが、コンピューター関係であろう。コンピューター関連の事は、実際に手を動かさなければ何も始まらない。分厚いWindowsの教科書をどれだけ読んでもパソコンを動かせるようにならない。まずは実戦である。

物理や数学などの学問でも、基礎的文献を理解することは大事だが、実際に最先端の論文に触れてみることは非常に重要である。

基礎から始めて、初めの何分の一でいつも挫けてしまう人は、思いっ切って最前線の事に取り組んでみるのも一つの手だと思う。

人間の”教養”としてのプログラミング知識が必要だ。

最近は、身の回りのほとんどのものが何かしらプログラミングされている。従って、現代社会を理解するうえで、プログラミングの知識が重要になる。プログラミングを知ることによって、「何ができて、何ができないのか」ということを知ることが、非常に重要である。

「物事を知る」と言うことは、「何ができないかを知ること」である。コンピューターによって便利になったことは多いが、しかし世の中がコンピューターに取って代わられたわけではない。

そして最近の風潮で一番危険なのが「AI(人工知能)によって何でもできるようになる」という考えである。この「何でもできる」というところが大問題である。なぜなら、”何でもできる”と考える人は、実は”何も理解していない”からである。

これは科学も同じである。科学を理解している人は、「科学には何ができないのか」ということを理解している。科学を理解していない人は「科学によって何でもできる」と考えてしまう。

プログラミングを少しでもかじれば、”コンピューターには何ができないのか”、そして”AIは何でもできるわけではない”ことが理解できるであろう。

実戦的英語力。

最近、グローバル社会化が急伸し、国際コミュニケーション力、とりわけ英語力が非常に重視されている。僕も英語力はつけたいと思い何度も英語の参考書を開くのだが、全然集中力が続かない。ご想像の通り、僕の英語力は最低レベルである。

とは言え、大学院時代から数学・物理関係の洋書・論文は読んできたので、専門の英文はだいたい辞書なしで読める。専門英語は専門用語と初歩的な文法がわかれば読めるのである。と言っても、僕は初歩的な文法力も非常に怪しい。わからない単語もしばしば出てくる。しかし辞書はほとんどひかない。わからないところは前後の文章の関係から推測するのである。

専門洋書は読めても、子供が読むような簡単な英語で書かれた物語は全く読めない。実は文法的には専門洋書よりも、物語の方がかなり高度である。専門の英語は、世界中のどの研究者が読んでも正確に理解できるようにするため、文法的には非常に簡単になっているのである。

教養としての英語も大事だと思うが、研究や仕事といった実戦的な英語力を付けることは教養英語以上に大事である。英語力のない僕が言っても全く説得力がないかもしれないが、実戦英語は英文を完璧に理解することではなく、わからない部分も推測して解釈することが重要だと思う。それができれば、意外とスムーズに読めるようになるものである。

睡眠から1日が始まる。

ある本で、「1日は朝始まって就寝前に終わる」のではなく、「寝る時に1日が始まる」と考えるべきだという主張がされていた。まさしく、寝ている間には1日が始まっているのだ。

よくよく考えてみれば、この考え方は納得いく。夜の睡眠の質によって、起きてからの1日ががらりと変わる。睡眠時から戦いが始まっているのだ。

なぜこんなことを言うかと言うと、僕自身睡眠で非常に苦労しているからだ。

寝すぎたり寝不足だったり、睡眠のパターンがガタガタで、自分ではほとんどコントロールできない状態が続いている。睡眠障害の部類に入るのであろう。それだけに就寝前は戦闘モードで、しっかり寝てしっかり起きれるかということに対して非常に心を構えてしまう。

普通の人が簡単にできる事ができないということは、非常に苦しいものである。目標に向かって走っているのに、睡眠一つで中断される。極端に言えば、毎日の睡眠に人生がかかっているとも言える。

睡眠は一日の活動の外にあるのではない。睡眠から一日が始まる、そう考えるとうかうかといい加減な睡眠はできない。

YouTuber集団に、新しいビジネスのあり方を見る。

最近、お気に入りのYouTubeチャンネルがある。「釣りよかでしょう」というチャンネルだ。その名の通り、釣りに関する動画を製作して、YouTubeにアップしている”YouTuber集団”だ。

動画の質は非常に高く、内容も非常に面白いものになっている。特に、製作している彼ら自身が、動画製作をすごく楽しんでいる様子が伝わってくる。釣りをして撮影するところから、専門的な動画編集まで、全て彼らがやっている(ようだ)。

メンバーは6人くらいだそうだが、”釣りよかハウス”という家で共同生活をしている。釣りよかハウスは、釣りの準備と、動画製作の仕事場となっている。動画再生数が多いことで、Googleから表彰もされている。

彼らの仕事を見ていると、21世紀のIT社会における、新しい仕事形態が見えてくる。彼らは本当に楽しそうに釣りをし、フランクに(本人たちは真剣なのだろうが)動画製作の仕事をしている。こんな職場?は見たことがない。

釣りメディアと言えば、20世紀末に(関西で存在した)”週刊釣りサンデー”という釣り雑誌が(関西では)有名だが、”釣りよかでしょう”を観ていると、このようなメディアもありなのかと新時代を感じてしまう。

環境は自分で変えるしかない!

今、自分は試行錯誤(迷走?)している。特に、精神的に強くなるためにはどうすればよいか?どうすればパフォーマンスを上げることができるか?なかなか答えを出せないでいる。

しかし、目標点は見えている。そこへ向かって走るだけなのだが、それがなかなか難しい。自分にしかできないことがある一方、普通の人が簡単にできる事ができなかったりする。

今が正念場と言いつつ、その正念場がずっと続いている。正念場では力が出るものかもしれないが、これだけずっと正念場が続いているとさすがに精神的に苦しいところがある。でも、乗り切れる自信があるから、試行錯誤して走ろうとしている。

結果が出せないでいると、周りの環境もますます厳しくなっていくが、その環境を変える唯一の手段は結果を出すこと。環境は自分で変えるものだと思っている。

つい、周りに原因を押し付けたくなるが、結局自分の人生の責任のほとんどは自分にある。

精神的な弱さと、苦しくてもぶれずに進む強さ、この双方を持ち合わせていると自分では思っている。自分は弱い人間なのか、強い人間なのか、良くわからないが、結果的に現状を乗り切って、強い人間だったと言えるようにしたい。