思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

想定内を求める世間。予定調和を求める世間。

最近、いや最近に限ったことではないのかもしれないが、世間は予定調和であふれている。メディアも予定調和に呼応する。それを受け取る人間も、予定調和に安心する。

しかし予定調和はしばしば破綻する。それはテレビ上で、ネット上で、あるいは身の回りで。いったん予定調和が崩れると批判の嵐。現代社会で言う「炎上」というやつか。

「予定調和を求める」ということを言いかえると、「レールに乗って走る」ということか。多くの人々は、レールにしがみつき、レールに乗っていることに安心する。そしてレールから外れた、社会で言う「失敗者」を徹底的に批判する。

この様な習慣が日本だけのものかどうか、僕は世界を見渡した訳ではないのではっきりとはわからないが、アメリカ・欧州などではいかに「出る杭になるか」を競い合う。日本はと言えば「出る杭は打たれる」という言葉があることからも言うまでもない。

しかし現在は日本でも、「出すぎた杭」は評価されるようになったのではないかと僕は感じるが、どうだろうか?もちろん、「出すぎた杭」になるためには、途中過程として「出る杭」にならなければならない。つまり出すぎた杭になるためには、それまでの過程で猛烈な向かい風を受けるわけだ。

出すぎた杭になりたいと思う人は、たくさんいると思う。しかし猛烈な向かい風を切り抜ける覚悟はあるか?異端者になるための試練である。

世界で活躍する選手から触発されて、自分をコントロールして意識を高める。

2月18日、フィギュアスケート四大陸選手権女子フリーがあり、三原舞依選手が200点以上の高得点をたたき出し優勝した。これまであまり聞いたことのない名前だったので、どんな子かとネットで調べてみると、僕と同じ神戸出身で、ポートアイランドのリンクで練習している子だと分かった。

俄然親近感が湧き、同じ神戸市民としてこれから応援しようと思うとともに、自分も頑張らないとと自分のお尻を叩く気になった。

僕が取り組んでいるのは数理物理という学問だが、学問とは全く関係ない分野の人たちから精神的な影響を受けることが多い。正確に言うと、自分が影響を受けるように精神的状態をもっていき、世界の一流の舞台で活躍する人物からやる気と自信と向上心をもらうのだ。

これはある意味(良い意味での)マインドコントロールと言えるかもしれない。自分がより高いレベルでのパフォーマンスを発揮するために、自分で精神状態を調整し、”セルフ”マインドコントロールするのだ。

今回の三原舞依選手の活躍も、ただ観て楽しむだけではなく、そのパフォーマンスに自分をも巻き込んでしまうのだ。

とは言え、毎日日本人が何かで優勝しているわけではない。そこでYouTubeを上手く利用する。日本人が活躍する動画で精神状態を高めるのだ。

僕がよく利用する動画は、オリンピックで活躍する日本人選手の動画。特によく観るのが、バルセロナオリンピックの水泳平泳ぎ金メダル・岩崎恭子選手、長野オリンピックのモーグル金メダル・里谷多英選手だ。岩崎選手は弱冠中学生で世界のトップに立った。里谷選手は僕と同じ歳だ。二人に共通するのは、競技前には全く優勝候補ではなかったということ。しかし当たり前のことだが、優勝するための準備と努力を積み重ねていたことは間違いない。

この様に、スポーツ選手の活躍を他人事ととらえずに、その活躍に自分を巻き込み、セルフマインドコントロールすることも、自己管理の一部であり、実力ではないかと思う。

実用指向すぎる思考の社会風潮。

最近、社会が実用指向に偏りすぎているような気がする。確かに不景気で節約し、無駄を省かなければいけないのは十分にわかる。しかし社会の懐も心理も余裕がほとんどないのはどうかと思う。

そのような風潮が最も表れているのは「科学」ではないか。多くの人にとって科学とは、計画を立て、計画通りに進めれば、想定の結果が出るものだと思っているのかもしれない。実用科学ではそれが最も理想的な姿かもしれない。

しかし、特に基礎科学では、想定外の結果から大きな成果が生まれることが多い。言わば「無駄から宝が生まれる」とでも言うべきか。研究を進めるうえでも、心理的にも金銭的にも余裕がないと、独創的な結果は生まれにくい。

しかし、社会はその「余裕」、言い換えれば「無駄」を許さない。その風潮は最近特に強くなってきているように思う。

科学に限らず、日常生活から休日の遊戯まで、ぎっしりと計画を立て、計画を進めることに全力を尽くしてはいないだろうか?

今の日本には、不景気が続いたとは言え、世界的に見ればお金はある。物もある。しかしどれだけ余裕があるだろうか?日本人は余裕の上手い使い方を知らない人が多いような気がする。余裕があってもただ何もしないでボーっとしているだけになるとか。余裕は生産的活動の準備に充てなければならない。そのためにはリラックスして余暇を過ごすという無駄も必要だ。

小学校から大学、そして社会まで、いわゆる「レール」の上を進み、レールにしがみつくという生き方は、それはそれで一つの生き方としてはありなのかもしれない。しかし脱線して、無駄を経験し、失敗を経験し、自分独自の生き方を模索するという生き方が、もう少し試みられてもいいのではないかと僕は思うのだが・・・

情報過多の時代の、情報のコントロール。

「いかに多くの情報を手に入れるか」という時代は過去のものになり、現在は「いかに情報をコントロールするか」という時代になっている。

ここで言う”情報のコントロール”とは、情報を操作するという意味だけではなく、”いかに不必要な情報をシャットダウンするか”ということも含まれる。

ネット社会の今、ネットで検索することによって、誰でも簡単に情報を手に入れることができる。しかしその「情報の質」を気にしたことがあるだろうか?ネットでの情報は玉石入り混じっており、価値ある情報からデマまで様々な情報が飛び回っている。価値ある情報も混じっているものの、非常に質の低い情報が多いのが現実だ。こんな時代こそ、再び「新聞」を重要視すべきではないかと思う。

最近、新聞による情報を否定し、スピードある生のネットの声に注目すべきだという意見が強まっている。その様な意見が出る理由は、ネットでは十ある情報のうち一つ正しいものがあると、その一つが強調されるが、新聞では十ある情報で九つ正しいものがあっても、残りの一つが強調されることにあると思われる。

確かにネットのスピードと生の声を無視することはできないが、鯛と同じで「腐っても新聞」なのである。基本的に情報の基盤は新聞に置くべきという理由はそこにある。

あと、必要な情報かどうかという判断基準に、「その情報は自分のパフォーマンスを上げるか」ということがある。パフォーマンスを下げる情報は入ってくる前に遮断しなければいけない。しかしネットで情報を集めていると、パフォーマンスを下げる情報が多いことに気付く。そういう意味でも新聞は重要だ。

日常で「誰と会うか」にも気を付けなければいけない。自分のパフォーマンスを下げる人、パフォーマンスを下げる情報を垂れ流す人とは、会うのを避けなければいけない。

この様に、「いかに情報をシャットアウトするか」という問題は現代では非常に重要であるが、それがなかなか難しい問題であり、それにどう取り組むかが自分も含めて多くの人にとっての課題であろう。

進化論は、科学的思考力だけではなく、人間力も試される。

1月22日(日)、テレビで池上彰氏解説のアメリカ特集をやっていた。何気なく見ていると、話は少し宗教的な方向に。

アメリカに、ノアの方舟を模したテーマパークができたらしい。池上氏たちはそのテーマパークに潜り込み、取材を行っていた。

聖書にはこんなことが書いているらしい。

人類を含む地球上の全てのものは、6000年前に神が創造したと。そして大洪水が起こり、ノアの方舟に逃れたノア一族と動物たちだけが生き残り、洪水が収まった後、それらの子孫だけが繁栄したと。

僕はキリスト教の信者でもなんでもないので、その程度の簡単な事しか知らない。

ノアの方舟の話に基づくと、人類は神が創造したもので、ダーウィンの進化論などは全くのデタラメであるということになる。神と聖書を絶対的だと信じるキリスト教原理主義の人たちは、進化論を否定する。

池上氏らのお話は、「アメリカには進化論を否定するおかしな人がいっぱいいるんだよ」という論調であったが、僕は池上氏らの論調に関しても非常におかしく感じた。

そもそも、進化論を正確に知ろうと思えば、進化論の根幹である「自然淘汰論」を理解しないといけないし、それを掘り下げていけば、「遺伝子の突然変異」「分子遺伝学」から「統計学」まで様々な知識が必要になる。そこまで理解している人はいったいどれだけいるのであろうか?おそらく日本人でも数百人に一人くらいであろう。

しかし日本では、ほとんどの人が進化論を信じ、神の創造説をバカにする人も多い。しかしどっちもどっち、進化論を「信じて」いても、「理解」はしていない人がほとんどなのである。

ではなぜほとんどの人は進化論を信じて疑わないのか?それは進化論が常識であるから、あるいは科学的に証明されているから、という理由であろう。結局自分では何一つ考えていない人が多いのである。本気でダーウィンの理論を知りたければ、岩波文庫にも「ダーウィニズム論集」という書物があるので、それらの本をしっかりと熟読すればよい。

もっと単純に、神の創造説を信じる人と、進化論を信じる人の違いは、情報源が「聖書」か「教科書」かの違いだけなのである。

さらに言えば、科学などは「今日の常識は明日の非常識」なんてことが当たり前にある。なので「常識だから」とか、「科学的だから」などという理由では何一つ理解していないのである。

簡単なことでいいから、まずは「自分の頭で考える」ということから始めないと、「知っているだけで全く理解していない」ということになりかねない。

人として大事な、三つの見かけ。

人として大事なもの、それぞれ持論があるだろう。外見は大事だという人もいれば、人間は内面で勝負だ!という人もいるだろう。外見と内面、どちらが大事か?それは人それぞれの価値観によるもので、単純にどちらの方が大事とは言えない。あえて言うなら、どちらも大事だ。

内面の大切さと外見の大切さは、質的に違う。人の内面である「心」「性格」「感情」、これらが人間の行動をつかさどっていることは言うまでもない。内面は行動に表れる。

それに対して、外見は人に対する印象を左右する。人間は内面だと思っていても、素敵な身なりの人、清潔感のある人、はたまた素敵な香りの人は素敵に感じる。また後に述べることに関係するが、内面は外見に表れるとも言う。そういう意味では外見と内面は表裏一体なのかもしれない。とは言え、虚勢を張るような外見、無理な外見はいただけない。

見かけを外見・内面に分けて考えたが、実はもう一つの見かけがある。それは先ほど少し述べた「内面から現れる外見」。

人間には、「その人が醸し出す雰囲気」というものがある。それはある意味外見であるが、お金をかけて着飾ったところで作り出すことはできない。「心」だとか「徳」だとかが作り上げるものだ。しかし努力次第で良くすることもできなくもない。例えば「言葉づかい」だとか、「マナー」を磨くことによって、醸し出す雰囲気は変えることができる。心に関しても、意識の持ちようによっては変えられるであろう。

人の”内面”・”外見”・”内面から出る外見”、どれも非常に大切で大きな財産であり、その人となりを表す。ただ着飾るだけなら、お金をかければできる。しかしこの三つの財産は、お金をかけたからと言ってすぐに身に付くものではない。それだけにこれらの財産を一度身に付けると、数字では表せない非常に大きな魅力となる。

素敵な人間になるために・・・

1つの仕事をやるのに、8割が準備、2割が本番。

「1つの仕事をやるのに、8割が準備、2割が本番」

テレビアナウンサーの古舘伊知郎さんは、こう言ったらしいです。その真偽はともかく、それは何事にも言えることです。

「突然、すい星のように現れてきて、大きなことを成し遂げた」こんなことをよく聞きます。周りで見ている人間は、本気でそう思っているのかもしれません。しかし、何もしなかった人間が突然躍進する、そんなことは絶対にありません。あるとすれば、くだらない宝くじくらいのものです。

まだ、2割の成果が出ればマシなもので、成功の日の目を見ずに去っていく人も多いと思われます。僕自身が現在取り組んでいることも、試行錯誤の繰り返し、失敗してはまた失敗。これで終われば単なるバカで終わるかもしれませんが、99%の準備をして、1%の成果を出すために、それを成し遂げるために日々取り組んでいるようなものです。

目標には、短期的なもの、長期的なもの、それぞれあります。すぐにスパッと決めてしまえる人間は、すごく格好良いと思います。しかし僕はそれが非常に苦手です。短期的目標を立てても、いつの間にか長期的目標に変わってしまいます。しかしその過程で、目標内容はどんどん形を変え、膨れ上がり、大きな目標に変わります。大きな目標に変わった分、成功した時の楽しみも期待も大きくなります。

やはり

「継続は力なり」

継続して取り組み、積み重ねることによって、「突然」成功が訪れるのだと思います。

ルパンのように!

皆様、あけましておめでとうございます。

今年もブログ執筆、ボチボチとやっていこうかと思います。

ところで、自分ってこうだ!自分はこうありたい!みたいな、自分のテーマ曲みたいなものはありますか?僕のテーマ曲(と言うのも変ですが)は、

「ルパン三世のテーマ曲」

です。絶対に!

期待と理想を込めて、ルパンのようにありたいと思っています。

ルパンの陽気で遊び心のあるところが大好きなんです!

そして、その陽気な遊び心が最も表現されているのが、「ルパン三世のテーマ曲」、例のオープニングの有名な曲です。

ルパン三世のテーマ曲に関することなのですが、最近YouTubeではまっている動画があります。「826aska」さんの動画です。826askaさんは現在中学3年生のエレクトーン奏者で、その演奏技術はプロ顔負けの(だと僕は勝手に思っている)、高い技術を持ち合わせています。最近は、テレビにも出演されているようなので、知っている方もおられるかと思います。

826askaさんの演奏は、YouTubeで様々な曲がアップされているので、簡単に視聴できます。826askaさんの演奏する「ルパン三世のテーマ曲」も絶品で、ルパンの陽気さが非常に感じられます。動画で演奏が見られるので、826askaさんの超絶技巧な手さばきも楽しめます。826askaさんの演奏を「一人オーケストラ」と評する人もいるそうです。やはり何事も、最高を極めた人物の技術には、本当に感服させられます。

さあ、826askaさんの「ルパン三世のテーマ曲」を聴いて勢いをつけて、今年は自分の年にするぞ!と宣言します。数理物理の研究で。

今年も一年、よろしくお願いします。

好きだ!でも苦しい!でも努力はやめない!

僕は子供の頃から好きなことを続けている。それをやめるつもりはない。おそらくやめる時は死ぬ時であろう。とにかく数学と物理が大好きだ!

しかし、「好きなことをやっている=楽をしている」わけではない。好きなことをずっと続けるということは、多くの場合、非常に苦しいものだ。しかし苦しいからと言って、やめようとは思わない。これほど続けていると、苦しさも快感になってくる。

お金を儲けるだけが目的ならば、人に言われることをやるのが手っ取り早いかもしれない。好きなことで儲けるのは、一部の人を除いて至難の業である。

努力したからといって、必ず成功するとは限らない。しかし成功するためには努力することが不可欠だ。「成功するかどうかわからないけど努力する」そういう人の中から成功者が生まれるのだと思う。

12月27日、テレビ番組で元広島カープの投手・黒田博樹さんのインタビューがあった。あれだけの成功者でありながら、現役時代は楽しいと思ったことがなかったそうである。引退後になって振り返った時、楽しかったと思えたそうだ。しかし、僕の勝手な感かも知れないが、黒田選手は野球が大好きだったに違いない。嫌いなことに世界トップクラスの努力はできないはずだ。しかし、好きと楽は違う。好きだからこそ、自分にムチを打って追い込むことができる。

そんな黒田選手の発言を聞くと、僕なんかはまだまだ甘いと反省させられる。「それだけ好きだったら、もっと追い込んで努力しろよ」と。努力したくても、頭が回らない時がある。体がついてこない時がある。しかしそんなことも、自分に甘い言い訳に過ぎないのか。

僕には目標がある。しかしそれを達成するためには努力は不可欠だ。だから今の一番の課題は、目標を達成することではない。努力することである。努力もしないで目標だけ言っても、単なる甘々である。とにかく努力がしたい。

そういえばそのテレビ番組では、水泳の北島康介選手も出ていた。北島選手もとんでもないくらい努力したそうだ。世界のトップを極めた人が、とんでもない努力を自分の口から言うからには、本当に想像を絶するくらい努力したのであろう。

スポーツは、医療のように直接何かに役に立つというわけではない。しかし現代社会では、スポーツ選手の存在は人類を活気付けるために不可欠なものになっている。北島康介選手の努力を聞いて、自分ももっと努力しないと、と我に返る。

なんだか努力努力と言って暑苦しくなってしまったけど、自分を戒めるためにも努力についてしつこく書いてみた。

世の中はお金だけでまわっているのではない。人間はお金を稼ぐためだけに生きているのではない。深みのある人間になろう!

今日、某記事で、日本の教育について批判する記事を見た。勉強することに優先順位を付けろというものだ。それだけなら僕自身も思うことがある。しかしその順位が僕とは全く正反対なのである。

その記事の著者は、数学なんて役に立たない。買い物の時の値段の計算さえできれば事足りる。鎌倉幕府がいつできたなんてどうでもいい。そんなくだらない教育より、株の売買の仕方やビジネスの仕方など、どうすればお金を稼ぐできるかということを教える方がはるかに実利にかなう、というものだ。

僕は空いた口がふさがらなかった。

現在、日本は世界の先進国のトップレベルの基準を満たしている。経済が不景気だと言っても世界第三位の経済大国だ。経済だけではない。最近、海外で注目されている日本人の文化水準の高さもそうだ。これらは長い年月をかけて作り上げてきた高度な教育文化の賜物だ。経済大国になったのも、株やビジネスに知識を全てつぎ込んだからではない。その根底には幅広く高度な教育が横たわっている。株やビジネスで儲けることは、その上澄み液をすくい取ることに過ぎない。高度な教育と幅広く深い教養人が積み上げてきた知恵がなければ、ビジネスの土台さえおぼつかない。

もちろん、ビジネスに打ち込むビジネスマン、金融エリート、経営者を否定しようなんて毛頭思っていない。しかし今まで出会った優秀なビジネスマンはほぼ例外なく勉強熱心で、興味の幅も広く、様々な知識に対して貪欲だ。金さえ儲けられれば他はどうでもよいという考えのビジネスマン、経営者に一流はいない。

現在、世界はスペシャリストの時代に入った。何か一つのことで飛び抜けた知識や技術を求められている。しかし同時にジェネラリストの時代であるとも僕は考えている。スペシャルな知恵や技術は、ジェネラルな土台に裏付けられていることが多い。実際、分野のトップを走る人間は博学かつ哲学的でもある。それはスポーツであっても例外ではない。プロ野球の大谷翔平選手の人間性を見ても良くわかる。イチロー選手も然りだ。

お金だけ儲けてそれだけで満足ならば、中学で勉強をやめ、投資やビジネスに打ち込めばよい。それで成功するならの話だが。しかし僕はそんな薄っぺらい人間になってほしくない。今日見た記事を書いた著者のように、薄っぺらい大人が薄っぺらい次世代の大人を作ってしまう。

今の子供たち、青年たちには、人間として深みのある教養人になってほしい。そして深みのある国を支え、深みのあるスペシャリストになる、そのような土台を作ることが、現在の大人の仕事のうちの一つでもある。