思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

どうすれば人徳を高められるのだろう。

まだまだ徳が足りない。そう思う今日この頃である。

どうすれば人徳を高めることができるのだろうか?徳というものは油断をしているとすぐに下がってしまう。もちろん徳がなくても普通に暮らしてはいける。ただ自分が目指すところ、目指す人間像に到達するためには、徳を高めることが必要だ。

「自分の専門分野だけできればそれでいい」と思う人もいるだろう。しかし人生を一つの創造作品だと考えた時、備えなければならないものはいくつかある。

その一方、なくて良い物も色々とある。何が必要で、何が必要でないか?それをしっかりと判断し、捨てるべきものは捨てるという決断も重要である。

常に理想を追い続け、死ぬまで理想にはたどり着けないのかもしれない。しかしだからといって、理想を追い続けることを止めてしまえば時の針はそこで止まってしまう。

知識はいらない!

書物を読み、知識を習得することは重要な事である。しかし知識を習得することは最終目的ではない。修得した知識を基に、何を構築できるかが重要なのである。

科学を身に付けるとは、自然科学の知識を習得することだと勘違いしている人が多い。しかし科学とは人間の自然に対する思想である。科学的実在は人間の存在と関係なく実在するものであるが、科学理論は人間が構築した自然記述であると同時に人間の自然観を表した思想なのである。

自然科学の歴史は、既存の科学への部分否定の繰り返しである。ただし全否定ではない。否定されると言っても、既存の科学が見捨てられたわけではない。既存科学はその時代の人間の自然観として未来へと残っていく。

さらに科学というものには階層というものがある。生物学や化学、物理学と言われる区別は一種の階層分けであり、物理学で言うと物性物理、原子核物理、素粒子物理へと進むにしたがって深い階層へと入り込んでいく。

6月11日のNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、辞書作りに携わる日本語学者・飯間浩明氏の特集がされていた。辞書作りのプロとは一言で言うと「言葉を扱うプロフェッショナル」と言えよう。そんな「言葉」というある意味知識的な要素に対しても、辞書作りの専門家にとっては思想とか哲学があるようだ。そのような言葉に対する思想や哲学に対して、科学者の思想や哲学に通じるものを感じた。

科学というものは決して知識の羅列ではなく、その根底には思想や哲学が深く流れている。そのような思想や哲学を持っているかどうか、そこがプロフェッショナルのプロフェッショナルである所以と言える。

人間を持った男。

最近、どのような男であるべきかということをよく考える。もちろんその答えは一つではない。それぞれの男によって目指すものはまちまちであろう。

その一つの答えとして「人間を持った男」ということがあるように思える。その人間とは誰か?自分という人間である。自分という人間を持つためには、精神的に自由である必要があるし、自分を完全にコントロールできる必要がある。

そのような人間を目指すために、現在試行錯誤している。非常に考え抜いている。もちろんそのようなことを常に意識しないと、そこへはたどり着けない。でも最近、そこへたどり着くための手応えを感じている。

自分という男を自分の思う高いレベルに持っていくために、まずは自分という人間を手に入れることに挑戦してみよう。

層を二つくらい重ねてから、細部の計算に進む。

数学や物理の理論を勉強をするとき、初めから細部にこだわって厳密な計算のチェックをしていると、全体図が見えなくて迷走することが多い。もちろんそのような厳密計算を重ねて理解していく人もいるのだろうが、僕にはそれができない。

そこで初めは全体図を把握するため猛スピードで流す。そして次はもう少し詳しく見直す。そのように二層くらい重ねてから細部の計算へと進むと、何の計算をしているのか非常に意識することができ、理解がより一層深まる。

二層が面倒なら一層でもいい。まずは全体図の把握、あるいは全体の雰囲気を掴むことが大事だ。このことは数学や物理の理論を想定して書いたが、数学や物理だけでなくあらゆる分野にも適用できると考えている。

「木を見て森を見ず」とはよく言う言葉だが、細部の計算にはまり全体図を把握しないのはこのような事だと思う。

まずは高速道路を猛スピードで走るがごとく理論の初めからあるところまで(最後でなくてもいい)飛ばしてみよう。その後に同じ道を下道で色々な店に立ち寄るがごとくじっくりと味わってみよう。

アリバイを作らない。

白洲次郎は決してアリバイを作ろうとはしなかったという。アリバイは時には大事だが、多くの場合保身でもある。結果的にアリバイはあればいいが、決してアリバイを作ろうとは思わない方がいい。

現在の政治家問題に関しても、あるいは日大問題に関しても、大人たちは大人のアリバイ作りに必死になっているように思える。もちろんそれが正しいアリバイならまだいいかもしれない。しかし現在のアリバイの応酬は偽りのアリバイに思えてならない。偽りのアリバイなら、まだ何もない方がましだ。

アリバイを作らないということは、考えようによっては非常に危険に思えるかもしれない。しかしアリバイを作らないという姿勢で一貫すれば、長い目で見れば信頼度も増し、決して悪いことではない。目先の事ばかり見て判断するのではなく、長い目で見て判断することが大事である。

危険に危険を重ねれば、ある意味感覚も麻痺してくるが、判断基準になるラインが変わり高い所を目指すことができるようになる。そのように意図的に自分の感覚を麻痺させることも、非常に重要な人生戦略である。

アリバイ作りに精を出し、コソコソと生きるような真似だけはしたくはない。とは言え、現段階でそれが完全にできているかといえばまだそこまではいっていない。

アリバイを作らないという行為も、自分の生き方の自由度を上げるための重要な戦略だ。そのような自分の目指す生き方をするためにも、今は一歩一歩自分のラインを上げていくしかない。

「学ぶ」のではなく、「落とし込む」。

人生において学ぶことは非常に重要だが、ただ無目的に学べばいいという訳ではない。重要なのはフレームをしっかりと構築したうえで、その枠組みに「落とし込む」ことだ。

「学ぶ」と「落とし込む」は何が違うのか?学ぶことに対してはスタイルはあまり関係ないが、落とし込むためには自分のスタイルを確立していなければならない。自分がどのような人間か?そして何を目的に生きているか?そのように、自分という人間をしっかりと認識していなければ落とし込むことはできない。

もちろん落とし込むという作業の前段階には、学ぶという作業が必要だ。何かを学んだうえでそれを落とし込むか、排除するか、そのような判断力を身に付けていなければならない。

落とし込むという技術を身に付けるためには、それなりの訓練が必要だ。あるいは経験が必要かも知れない。しかし落とし込む技術を身に付ければ、学ぶという行為に対する効率が飛躍的に向上する。

学ぶときには、落とし込むことを想定して先読みしなければならない。

継続は力なり!

「継続は力なり」とはよく言う言葉だが、なかなかそれができない人が多いのかもしれない。結果が出ないと、他の事に変えようかと迷うことも多いだろう。取り組んでいることに思い入れがなければなおさらだ。

では、継続へと突き進む原動力は何か?それは「好きだ」という気持ちであったり、「面白い」という気持ちである。それがなければ継続することは難しい。

もちろん、好きでもないことをやらざるを得ないこともあるだろう。しかしそこも考えようだ。好きでもないことも、周り巡って本当にやりたいことにつなげることもできる。意外と全ての事はつながっているものだ。そのように考えるためには、思考をコントロールすることが必要だ。しかしそのような思考のコントロールは他人から導かれるものではない。自分自身で導くほかはないのだ。

思考のコントロールをするためには、自分の環境を整えることも必要だ。そしてお金の使い道も考えなければいけない。本当に必要なものにお金を投資できているか?目先の事ばかり考えていないか?自分の知性・知識を高め、行動の自由を獲得するためにお金を投資しなければならない。

話しは戻るが、継続を力に変えるために、それを促進させるために環境を整え、お金を投資し、人間関係を構築していくことが必要だ。僕自身、そのために非常に重要視しているのが書物への投資だ。本は大切にしなければならない。しかしそれは本の「紙(ペーパー)」を大切にするのではない。本の中身の「情報・知識」を大切にするべきなのである。

また今から書物との格闘が続く。そのような格闘の継続が力になると信じている。

自分の精神力と勝負だ!

突然だが、雑誌で白洲次郎の記事を見た。終戦直後、GHQは白洲を評して「従順ならざる唯一の日本人」と言ったという話は有名だが、白洲次郎の姿に一つの目標とする人間の姿を見た。

人生常に勝負であると言えるが、勝負といえば他人との戦いを思う人は多いと思う。いや、ほとんどの人にとっては勝負とは他人との勝負であろう。もしかしたら、スポーツにおける勝負、受験における勝負、仕事上での勝負を想像するかもしれない。しかし、白洲次郎の姿を見ると、他人との勝負などちっぽけな事のように思える。最大の勝負は「自分との勝負」である。

自分の何と勝負するのか?それは自分の「精神力」である。ある高レベルのラインを超えると、他人よりも自分の中身・精神の方が最大の味方であり、最大の敵であることに気付く。他人と勝負している間はたかが知れている。自分の精神力との勝負に勝利すれば、自分の全てを手に入れることができる。

今自分はどのレベルにいるのか?まだ他人との勝負に明け暮れているレベルかもしれない。しかしそのレベルであっても自分の精神力と勝負することはできる。

自分がたどり着くことができる最高のレベルに向かって、自分の精神力との勝負に真剣に向き合う。そのような姿勢を取ることができれば、これまでの世界は非常にちっぽけなもののように思える。

日本にはいない才能。

世界でナンバーワンの才能は日本にいるのか?日本には錦織圭はいるが、ナダルはいない。湯川秀樹はいたが、アインシュタインはいなかった。中田英寿はいたが、メッシはいない。世界トップクラスの日本人は少なからずいるが、世界で圧倒的なトップに君臨する日本人はいただろうか?

僕の尊敬する山中伸弥教授は世界トップの研究者と言える。山中教授が日本に拠点を置いているのは奇跡だ。しかし現在の山中教授は研究よりもマネジメントに翻弄されている。もちろん世界のiPS細胞研究界をマネジメントしてリードできるのは山中教授しかいないのだが。

これから日本に必要なのは、世界トップクラスの日本人ではなく、圧倒的にインパクトのある世界トップの日本人だ。研究者でもスポーツ選手でもなんでもいい。とにかく圧倒的にインパクトのある世界トップの人材が一人欲しい。もしそのような日本人が出てくれば、日本人の思考から文化まで大きく変えることができる。

繰り返し言う。世界トップクラスではなく、圧倒的な世界トップだ!

行動の自由度を高める。

自分の行動の自由度は、大きく二つのものに由来する。一つは物理的なものから来る自由度。もう一つは精神的なものから来る自由度だ。

物理的な自由度は非常に分かりやすい。例えば自動車を手に入れることによって自由度を高めることができるし、さらにはお金を手に入れることによってできる事が増える。また社会的地位なども一種の物理的な自由度と言えるかもしれない。

問題は精神的な事から来る自由度だ。これは一見わかりにくいが、誰もが非常に左右されるものだと思う。自分の考え方、行動指針によって、行動の自由度は大きく変わる。また周囲をどれだけ気にするかということにも影響されるだろう。

当たり前の事だが、精神的なものから来る自由度は、お金ではなかなか解決できない。そのため、自分で自分の精神をコントロールするしかない。そのためには、自分が自分の精神・自分の考え方にどれだけ束縛されているかを知る必要がある。普段はあまり意識することはないが、意外と自分の考え方によって行動が束縛されていることが分かる。

行動の自由度を高めると、世界観が変わる。物理的にも精神的にも世界の大きさが変わる。もしかしたら自分の度量も大きくなるかもしれない。自分を新しいステージに進めるためにも、まずは行動の自由度を高めることを意識してみよう。