思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

YouTuber集団に、新しいビジネスのあり方を見る。

最近、お気に入りのYouTubeチャンネルがある。「釣りよかでしょう」というチャンネルだ。その名の通り、釣りに関する動画を製作して、YouTubeにアップしている”YouTuber集団”だ。

動画の質は非常に高く、内容も非常に面白いものになっている。特に、製作している彼ら自身が、動画製作をすごく楽しんでいる様子が伝わってくる。釣りをして撮影するところから、専門的な動画編集まで、全て彼らがやっている(ようだ)。

メンバーは6人くらいだそうだが、”釣りよかハウス”という家で共同生活をしている。釣りよかハウスは、釣りの準備と、動画製作の仕事場となっている。動画再生数が多いことで、Googleから表彰もされている。

彼らの仕事を見ていると、21世紀のIT社会における、新しい仕事形態が見えてくる。彼らは本当に楽しそうに釣りをし、フランクに(本人たちは真剣なのだろうが)動画製作の仕事をしている。こんな職場?は見たことがない。

釣りメディアと言えば、20世紀末に(関西で存在した)”週刊釣りサンデー”という釣り雑誌が(関西では)有名だが、”釣りよかでしょう”を観ていると、このようなメディアもありなのかと新時代を感じてしまう。

環境は自分で変えるしかない!

今、自分は試行錯誤(迷走?)している。特に、精神的に強くなるためにはどうすればよいか?どうすればパフォーマンスを上げることができるか?なかなか答えを出せないでいる。

しかし、目標点は見えている。そこへ向かって走るだけなのだが、それがなかなか難しい。自分にしかできないことがある一方、普通の人が簡単にできる事ができなかったりする。

今が正念場と言いつつ、その正念場がずっと続いている。正念場では力が出るものかもしれないが、これだけずっと正念場が続いているとさすがに精神的に苦しいところがある。でも、乗り切れる自信があるから、試行錯誤して走ろうとしている。

結果が出せないでいると、周りの環境もますます厳しくなっていくが、その環境を変える唯一の手段は結果を出すこと。環境は自分で変えるものだと思っている。

つい、周りに原因を押し付けたくなるが、結局自分の人生の責任のほとんどは自分にある。

精神的な弱さと、苦しくてもぶれずに進む強さ、この双方を持ち合わせていると自分では思っている。自分は弱い人間なのか、強い人間なのか、良くわからないが、結果的に現状を乗り切って、強い人間だったと言えるようにしたい。

読書に何を求めるか?

東洋経済オンラインで、武田鉄矢が「読書に実用性だけ求めても空しい」と述べている。最近の自己啓発本ブームに一言を放った言葉だ。

読書に何を求めるか、それは人それぞれだと思うが、本の内容に自分を丸投げするのはどうかと思う。本に書いてあることを実践すれば必ずうまくいくと思い、本に救いを求める人。まだそれを実行して前向きに歩いているのならばいいが、読んでそれだけで満足する人も多いのではないか。

読書とは、自分形成の手段だと僕は思っている。しかし、本を一冊読んだからと言ってすぐに自分が変われるわけではない。また見方を変えると、今の自分を確固たるものにするために読書をするということもあるだろう。すなわち、自分が変わらないために読むというものだ。

武田鉄矢がメンバーとして活躍していたグループ”海援隊”の名前は、司馬遼太郎の”竜馬が行く”から取ったものだそうだ。

読書とは一期一会だとよく言うが、読書が人生の岐路での進む道への指針となることもあるだろう。

そして読書をもとに、アウトプットすることも大事だ。アウトプットとは、広い意味で、「どう生き、どう表現するか」ということだ。その手段の一つが”働く”ということ。武田鉄矢は「労働者が仕事にやりがいを見つけるためには、給料以上に働かないかぎりは湧いてこない」と述べている。これは何もサービス残業のことを言っているのではない。仕事というものに対してどういう見方をすればいいか、ということを示唆しているのだろうと思う。

好きなことを仕事にするために進んでいくことも一つの手段であるが、今やっている仕事を極めるということも大きなやりがいにつながるであろう。

山中伸弥先生の言葉。

個人的な話ですが、僕は(日本国民の多くもそうだとは思うのですが)、山中伸弥先生のことは非常に尊敬していて、憧れの研究者でもある。言うまでもなく、山中先生とは、iPS細胞を発見した山中教授の事である。山中先生は研究者として超一流であるが、人間としても頭が上がらないくらい素晴らしい人だと思っている。

その山中伸弥先生の言葉(モットー)が、”VW”だそうだ。もちろん車のフォルックスワーゲンの事ではない。Vision and HardWork の頭文字である。Visionとは”展望”、そしてHardWork は”熱心に働く”と言うことである。このどちらが欠けてもいけない。日本人はHardWork は得意だが、Vision がない人が多いと山中先生はおっしゃられている。

VW を少し言葉を変えれば、考えて方向が定まったらすぐに行動しろ、と言うことかもしれない。”頭”と”体”、これは物事を進める上での両軸であり、この両軸を上手く働かせることが、あらゆることに対して成功の秘訣だと言えるのではないかと思う。

本音を言うとたたかれる社会。

社会に建前はつきものだが、本音と建前の使い分けは簡単ではないようだ。現在のネット社会では、本音を言うと炎上するといった事態が起こることは日常茶飯事である。もちろん、政治家に限って言えば、その一言が国の行方を左右されるため慎重に発言してもらいたいが、普通の人が本音を喋れない社会はストレスがたまるものだ。

テレビを観ていても、当たり障りのない建前ばかりで、いつからこのような仮面をかぶった社会になったのやらと、観ている方もストレスがたまる。本音でしゃべっているのはビートたけしくらいではないかと思う。ビートたけしは本音でしゃべっても皆が納得してしまうので、本音を喋るビートたけしはますます貴重な存在になっているのではないか。

社会も家の中もストレスの塊である。ストレスから逃れるためにはどうすればいいのか?精神のコントロールに苦労する次第である。

精神的に得をするには。

「得をする」と言えば、お金や物に関しての事だと考えてしまう。それはそれでいいが、「”精神的”に得をする」事を考えるのは非常に大切だ。精神的な得が、あらゆることのパフォーマンスを上げる。

では、精神的に得をするとはどういうことか?単純な考えではあるが、「いかに精神的負担を少なくして行動できるか」ということだ。ストレス・プレッシャーなど、現代社会ではあらゆる精神的負担を受けながら生きていかなければいけない。大なり小なり、精神的負担は避けられないものだ。しかしそれをゼロにすることはできなくても、小さくすることはできるはずだ。

精神的負担を少なくするため、僕はいろいろなことを考え、行動して、模索している。もちろん簡単なことではないが、普段の思考パターンを工夫すれば、少しずつではあるが良くなってきているのを実感している。

最近は悩み症の僕であり、”すーだら節の無責任男”というほど陽気になるにはまだまだではあるが、度量のでかい人間を目指したい!

根性精神主義は、全肯定でも全否定でもいけない。

最近の科学的分析主義によって、昔の根性精神主義が否定されることが多くなった。スポーツでは、肉体の科学的(医学的)な観点から過去のトレーニング方法が否定され、最新の科学的方法が提唱されている。否定されていることの代表例としては、うさぎ跳びや野球の先発投手100球制限であろう。

科学的見地から、より負担が少ない効果的なトレーニングが考案されることは非常に歓迎されることだ。しかし、それと同時にそれまでの精神論を”全”否定されることには少し疑問に思える。

最近はあらゆることにおいて、スマートに事を成そうという考えが強いように思う。特にIT社会による便利な社会化がそれに拍車をかけている。

しかし、努力することは絶対的に必要だし、泥臭く物事を遂行することは非常に重要である。いくら科学的に考えようとも、最後の最後に根性で乗り切らざる負えないこともあるだろう。

根性論は時代遅れかも知れない。しかし、根性論・精神論なき人生は無機質にも思える。最新の見地を上手く利用しながら精神をコントロールすることが、非常に求められる。

妄想力100%!

妄想は活力の源である。

僕はかなりの妄想家(そんな言葉があるのか知らないが)である。特に研究に関しては妄想力全開!ああだこうだと妄想して、構想を練る。ただ、妄想を妄想で終わらせないことが大事だ。そして周りからはいつまで妄想してるんだと言われるかもしれないが、そんなことお構いなし。妄想するのは自由である。

妄想が夢へと広がっていく。そしてその夢を実現するためにさらに妄想を続ける。

人生のギャンブラー。

ギャンブルと言えばお金の賭け事を連想する人が多いと思うが、賭けるのはお金だけではない。人生を賭けるのも一種のギャンブルだ。僕はというと、お金は賭けないが、人生は常に賭けている。いや、自分の信念を貫くためには賭けざる負えないのだ。

平穏より、エキサイティングを求めてしまう。非常に危険なことはわかっているのだが、生きるか死ぬかの瀬戸際で攻防するのはやりがいも非常に大きい。成功しているかと言えば全くそうではないが、自信はある(根拠のない自信?)。根拠があろうとなかろうと、自信は必要だ。自信がないと、人生のギャンブルはできない。

1%の可能性があるとき、1%可能性があるじゃないかと考えるのと、99%失敗してしまうと考えてしまうのでは、結果が全く変わってしまう。さらにその思考が様々な事にも波及する。

可能性がある限り、常にあらゆることに取り組んでみようと思う。間違ってはならないのは、暴挙には出てはいけないということだ。暴挙とは不可能(0%)なことに打って出る事。1%でも可能性があれば、ギャンブルに出るのも悪くない。

IQで才能を測る風潮に、少しあきれる。

IQに関する話題は、定期的に出てくる定番の話題だ。頻繁に耳にするのは「どこどこに、IQ200を超える天才少年が現れた」というものであろう。IQというのは偏差値と同じで、明確に数値で表されるので、非常に分かりやすく、皆がすぐに飛びつきやすいトッピックなのであろう。

別に、IQで人の能力を測ることに対して全否定するつもりはないが、人の能力というものはそんなに単純ではない。数学が得意でも英語が苦手な人もいるだろうし、さらに才能は学問に対するものだけではない。絵画の才能もあれば、音楽の才能もあるだろう。

しかし、数学などに関しては、IQが非常に有効だと考える人は多いかもしれない。確かにある程度の相関関係はあるかもしれないが、既存の問題を解く能力と、新しい理論を創造する能力は必ずしも一致しない。数学業界では”数オリ崩れ”(高校時に数学オリンピックに出るくらいの秀才だったが、研究では結果を出せない)という言葉もあるくらいだ。

最もあきれるのは「誰々はIQでアインシュタインを超える数値であり、アインシュタインを超える天才だ」というものだ。そもそもアインシュタインがIQを測ったことがあるとは考えられないし、実際アインシュタインの方がIQが低いとしても、はっきり言ってそんなことはどうでもいい。一つ言えることは、その高IQ者は所詮IQで測りえる程度の人間だということであり、アインシュタインの創造的才能はIQとは全く別次元のものだということである。