思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

過去を理解して、未来を見通す。

物事に取り組むにあたって、二つの事が重要になる。一つは過去を理解すること。もう一つは未来を見通すことだ。

過去を理解するとは、一言で言うと勉強することだ。勉強とは過去の知識の理解である。過去の理解なしでは次への進歩はない。

未来を見通すとは、ビジョン、すなわち構想・展望だ。ビジョンを立てるためには、勉強をして過去を理解することが前提となる。すなわち順番としては、まず過去を理解して、それを基に未来を見通すということになる。

毎度登場する、山中伸弥教授の言葉「VW(ビジョン&ハードワーク)」で言えば、過去を理解することはハードワーク、未来を見通すことは言葉通りビジョンとういうことになる。

この二つのうち、片方が優れているとういうことはよくあるが、この二つを兼ね備えている人はなかなかいない。しかしまずは何よりも、勉強することが進歩への第一歩である。それをこなして次への進歩、すなわちビジョンを構築できるように、才覚を磨かなければならない。

無駄な情報を頭に入れないということも大事。

近年、情報社会が発達する中で、いかに多くの情報を手に入れるかということが重要になってきている。特にビッグデータ産業においては膨大な情報を手に入れ解析することが重要である。

しかし人間が生きて行く中で、一人の人間がインプットできる情報量は限られている。その中でいかに必要かつ重要な情報をインプットするかということが問われてくる。それと同時に、いかに害悪な情報を頭に入れないかということも非常に重要である。

害悪な情報を頭に入れたがために、身動きが取れなくなってしまうことがある。本来は手に入れる情報は、身動きの自由度を高めるべきものでなければならない。

情報は自分の身を置いている環境に基づいて、ある程度は勝手に入ってくる。そしてそれ以上の情報は自分から乗り込んで手に入れることになる。厄介なのは、勝手に入ってくる情報の中に害悪な情報が結構混じっていることだ。なので、そのような情報をシャットアウトするための意識を持たなければならない。

情報量で勝負することは、コンピューターに任せておけばよい。一人の人間としては、いかに質の良い情報を手に入れるかということであって、同時にいかに害悪な情報を締め出すかということである。そのためにロジカルで正しい判断力を付けることが求められる。

服装で個性を出すのは違う。

僕は結構、服装とかお洒落に興味がある。そこでファッション雑誌を読んだり、どのような服装をしようかといろいろ考えることがある。

服装やファッションに興味のある人が一度は通る道、それは「どのように服装で個性を出すか?」ということだ。しかし服装で個性を出そうとするほど、どんどん奇抜になってくる。お洒落にしようと思っているのに、何だかおかしくなってくる。テレビでよく見かけるお洒落評論家がその最たる例だろう。ファッション評論家の指南するファッションはほぼ例外なく奇抜で、すごくおかしくてダサい。

また男性ファッションの中心であるスーツは自由度が低く、個性の出す余地は少ない。そのような中で無理に個性を出そうとすると、違和感の感じる服装になってしまう。

そのようなことを考えてたどり着いた結果は、「服装で個性を出すのは違う」ということだ。個性とは人間性で、人の中身から出すものであって、外見で出すものではないということだ。間違ってもスーツ姿の中で個性を出そうとしてはいけない。

ファッションディレクターの干場義雅氏は「最高の普通」と表現している。結局、大人の男性ファッションはそこにたどり着くのではないかと僕も思っている。外見で個性を出す前に内面を磨いて、内から醸し出される個性を身に付けることが重要なのである。

生きることに、命を懸ける。

「生きることに、命を懸ける」とは少しおかしな表現だが、要は生きる上での意識の問題だ。全力で生きることが重要なのは当たり前の話だが、この当たり前の話がなかなか実行できない。

全力で生きるためには、心身共に健康であることが必要だ。そのために体と心、そして頭脳のコンディションを高いレベルで保つことが必要になる。数学者の間では「一に体力、二に体力、三、四がなくて、五に知力」とよく言われる。

最近、本で面白い話を読んだ。昔、ヴェイユとセール(二人とも超一流の数学者だ)が日本に来たとき、この二人が池に飛び込んで泳ぎだした。それに負けじと日本人数学者達も池に飛び込んだが、皆、池の水が冷たすぎてすぐに飛び出したという。そしてヴェイユとセールが走り出すと、今度は日本人数学者達は陸の上では負けないぞと走り出したが、皆、全くかなわなかったという。数学者が青白い顔をしてひ弱な体をしていると思っているのならば、それは世間の偏見である。一流数学者はたくましい人が多い。

人生に保険を掛けているようでは、一流になれない。それはどのような分野においてもそうであると思う。そして普通に生きることができればいいと思っていては、普通にも生きれないと思う。

「生きることに、命を懸ける」、そのような覚悟を持てば一流になれるという保証は全くないが、完全燃焼して自分が納得のいく生き方をするためには、これくらいの覚悟は必要だ。

見た目、人間性、社会的地位。

見た目と人間性と社会的地位。この三つを兼ね備えた人間は少ないが、この三つは人間的魅力として非常に重要である。

「人間は見た目ではない」とよく言われるが、見た目は人間の魅力として非常に重要な要素である。見た目だけは努力だけではどうにもならないと考える人はいるだろうが、僕は見た目も自分次第で良くなると思っている。もちろんいきなりイケメンになることはできないが、自分の心の持ちようで若々しさが表情に表れたりしてくる。そして体つきも見た目の重要な要素であるが、筋トレやジョギングをすることによって体形を変えることができる。意外と見た目に人となりが現れるものである。

そして人間性であるが、人間性が非常に重要であることは、おそらく万人が認めるところであろう。いくら社会的地位が高くても、人間性が伴っていなければ幻滅する。人間性は生まれつきの部分もあるだろうが、心構えや人生の歩み方、そして経験によって大きく変えることができる。

最後に社会的地位であるが、もちろん努力によって社会的地位を築くことは可能であるが、運にも左右されるのも事実である。しかし巡ってきた運を掴めるかどうかということも実力のうちである。自分の取り組んでいる分野で実績を挙げ、社会的地位を築くという前向きな努力は、常に心がけておきたいものである。

見た目、人間性、社会的地位、この三つを兼ね備えることは容易ではないが、不可能ではないと思っている。この三つを兼ね備えた、大きな魅力ある人間に成長することは僕の大きな目標であるが、近い将来にそれが達成できるように日々鍛錬を重ねていきたいものである。

実はこの三つの魅力を兼ね備えた人物が、僕の中で二人いる。iPS細胞を発見した山中伸弥教授と、将棋の羽生善治さんだ。お二人とも非常に魅力ある人間である。このお二人と取り組んでいることは異なるが、このお二人に少しでも近づけるように、そして少しでも超えられるように、魅力を重ねながら生きて行こうと思う。

失敗してもいいんだ!

失敗をネガティブにとらえる人は多いが、僕は必ずしも失敗を悪いものだとは思っていない。大事なのは失敗を失敗で終わらせずに次へのステップへとつなげることだ。

僕は誰よりもたくさんの失敗を経験していると思っている。もしかしたら他人の十倍、いや百倍くらいの失敗を経験をしているかもしれない。しかし失敗の数と同じだけフィードバックを行っている。失敗を決して無駄にしない。その努力は誰よりも行っている。

失敗はどれだけ経験してもよいが、失敗を挫折につなげてはいけない。失敗を次の成功へとつなげる努力が大事である。

失敗をしないというのは、それは挑戦をしていない証拠である。失敗をしていないことは何の自慢にもならない。もちろん失敗自体も自慢にもならないが、失敗を次の成功へとつなげることができればそれは自慢してもいいと思っている。

ものは考えようで、同じことを経験してもそれに対するとらえ方は人それぞれである。失敗に対する意識を変えるだけで、物事の動き方は大きく変わるに違いない。

信じるべきところで信じる。

何もかも疑っていてはきりがない。疑いが疑いを呼び、疑心暗鬼に陥り身動きが取れなくなる。信じるべきところでしっかりと信じることが大事である。

とは言っても、盲目的に信じることは危険だ。物事、そして人を的確に判断を行い信じることが大事である。

もちろん、すべてを「正確」に判断することは不可能だ。だからこそ正確ではなくても「的確」に判断することが大事なのである。

「的確」という言葉を辞書で調べると、

「的を外さないで間違いがないこと。また、そのさま。」

とある。何だか正確と的確は同義語のように思えるが、少しニュアンスが違うようにも思える。そういうニュアンスを込めて「的確」という言葉を使った。

物事を論理的に判断できても、人間を的確に判断をするのは非常に難しい。だからこそ信用が重要になってくる。自分が相手を信用していることを伝えれば、上手くいかないことも上手くいくことがある。そういう意味でも、人を信じるべきところで信じることが大事である。

物事を、そして人間をどれだけ信じれるかということは、その人の人間としての度量が問われているのかもしれない。

リスクを取るべきところと取らないところを、はっきりさせる。

僕は人生においてかなりリスキーな道を歩んでいると自覚している。とは言っても何も金銭的なリスクを取っているわけではない。もちろん金銭的なリスクも取ってはいるが、僕自身の人生そのものがギャンブルだと思っている。

お金のギャンブルは一切しないが、人生のギャンブルは取り続けている。しかし、リスクを避けるところは避けている(と自分では思っている)。全てにおいてリスクを取り続ける必要なはい。リスクを取るべきところで取って、リスクを避けるべきところで避けることが大事である。

人生の中で前に進むためには、どうしてもリスクを取らなければならない時がある。そのような所でいつもリスクを避け続けていれば、永遠に前進はない。

自分が自滅しない程度にリスクを取ることが大事なのかもしれない。そして時には保険を掛けることも必要である。そのようなことができる自信はないが。

危険な香りのする男。

どのような男を目指すのか?人それぞれ目標とする人間があり、そして男としてどうあるべきかと考えているだろう。僕が目標としているところは「危険な香りのする男」だ。

危険な香りとは何か?生き方がハイリスク・ハイリターンであったり、あるいは薬にも毒にもなるとか、いろいろ言える。この様な人間の対比としては「人畜無害」であると言えるだろう。

僕は人畜無害な人間にはなりたくない。全力で生き、いつ死ぬかわからない。100歳まで生きるかもしれないが、明日死ぬかもわからない。そんな生き方をしたいと思っている。

ただ現在、危険な香りのする男になれているかと言われれば、まだそこまではなれていない。超新星のように輝けるか?それとも自滅するか?それでいいと思っている。人間誰しもいつかは必ず死ぬのだから。

自分が人生を懸けていることに全力で当たり、そして私生活でも危険な香りを振りまき続ける。そんな僕の理想とする生き方に思いっきり近づけるように、そして近い将来、僕が危険な香りのする男だと皆から感じられるように、危険を冒し続けたいと思う。

新しい境地。

新しい境地を切り開くことが「進歩」というのかもしれない。いきなり大きな進歩を成し遂げ、とんでもなく新しい境地を切り開くことは稀かもしれないが、昨日より今日、今日より明日と、日々進歩を続け、一歩ずつ小さな境地を切り開いていくことは不可能ではない。

多くの人は安心と安定を望んでいるのかもしれない。しかしそれは言い換えると「現状維持」ということになる。もちろんそういう生き方は悪くないのだろうし、むしろ世間ではそちらのほうが推奨される生き方なのかもしれない。

新しい境地を目指すのは「開拓」を続けることである。そのためには大きな危険が伴うことも少なくない。ハイリスク・ノーリターンになる危険性も大いにある。しかしそれでも新しい境地を目指して危険を冒すことを止められない人がいる。

世の中を進歩させるには、どうしても危険を冒して新しい境地を切り開いて行く人間が必要だ。しかし世の中はそのような人に対して少し冷たいような気もする。他人の目を気にしすぎても仕方ないが、少なくともそこへと突き進む環境だけでも整えたいものである。