思想、生き方、考え方」カテゴリーアーカイブ

負の連鎖を断ち切るには。

長いこと生きていれば、時には負の連鎖が続くことも。そんな時、負の連鎖を断ち切るにはどうすればいいか。

1)当たり前のことだが、まず行動。

動かないと何も始まらない。受け身の状態でいては、負の影響を受けるばかりである。そこから抜け出すには自分から動かないといけない。動くことによって、次に進む道が見えてくる。さらにいくつかの可能性を探るために、複数の行動を同時に起こすことも良い。人間、動いてナンボである。

2)一点突破。

資源と動力を一つのことに集中させる。広く浅くだと、全滅してしまうこともよくある。一点の風穴を開けてしまえば、そこから可能性が広がっていく。

先ほど複数の行動を同時に起こすと言ったが、そこで大事になるのが「物事の優先順位」。常に何が自分にとって重要なのか認識しなければいけない。物事の優先順位を認識するためには、物事の本質を見抜く目が重要になってくる。常に感覚を研ぎ澄まさなければならない。

負の連鎖を断ち切るための、僕の備忘録を書き留めてみた。

今の利よりも、将来の大きな利を取る。

どうしても、現在の自分の置かれた状況が気になり、目の前の利を取りがちである。とは言え、まだ目の前の利を確保できればまだましな方だ。現在、どうしようもない窮地に立たされている人もいる。

こんな時、視界を現在からもう少し遠くへ向けてみよう。そこにはさらに大きな世界、そしてそれを乗り越えることができれば大きな利を得られることがわかる。もちろん、そのような世界、そして大きな利を得るためには、現在において「明確な展望」を持っていなければならない。

経済学的に言うと、現在の利より将来の利の方が価値が小さいと言われている。なぜなら、将来自分が生きているかどうか確実ではなく、将来の利を得られる保証はないからだ。

しかし、将来の利は現在の自分を奮い立たせる。常に未来に目を向け、現在の自分を前進させなければならない。

面倒見の良すぎる学校というのも、問題があるような気がする。

最近、小学校から大学・大学院まで、あまりにも面倒見が良すぎるような気がする。小学校ならまだわかるが、最近の大学院では指導教官がご丁寧に一から十までやるべきことを指示する始末である。

もちろん、面倒見が良いことを批判するわけではないが、面倒を見ることによって伸びる人がいる一方、放置され好き放題にさせることによって才能を開花させる人も一定数いる。そして最も重要なのが、放置して伸びる人の方が将来性が圧倒的に高いということだ。

面倒を見すぎる教育者の下で才能をつぶされる人を、僕は今まで見たことがある。学校はただ面倒を見ればよいという単純な話ではない。放置するというのも、立派な教育の一つである。

同時並行で複数の事に取り組むことを楽しむ。

最近はネット・スマホの進化によって、身の回りの事が多様化され、同時に複数の事に取り組むことが多くなった。それのアンチテーゼからか、身の回りをシンプルにする、断捨離などが流行りだ。

確かにあらゆることに追われ、余裕をなくすことは良くないし、身の回りをシンプルにすることはそれを解決する一手段であろう。

その一方で最近僕が思っているのが、「複雑な身の回りを楽しむ」ということだ。すなわち複雑な現状をゲームのように楽しもうという発想だ。こう考え直すと、いろいろあることもかなり楽しくなる。楽しくなれば自然、パフォーマンスも上がってくる。現在の流行の思考とは逆行するものかもしれないが、これも現状打破の一手段だと思っている。

この”ゲーム化”的発想、意外とあらゆることに応用できる。物事によっては、ゲーム化することを真面目ではないと否定されることもあるが、成果を挙げるためには非常に良い発想だと思う。

人生”楽しんだもの勝ち”である。日々を楽しみ、かつパフォーマンスを上げる。この様な理想的な日々を実現させるための一考として、ゲーム化的な発想をするのはどうだろうか。

表を見て、裏を見る。

「奇をてらう」という言葉があるが、これは、「表を見ずに裏を見る」ということである。まず初めに「表を見る」、すなわち物事の基本、あるいはスタンダードを知り抜くことが大事である。物事の基本・スタンダードを知り、物事の本質を見抜く。そのうえであえて裏をかくことが大事なのである。

何かにつけ、基本・スタンダードを知ろうとせずに「裏ワザ」的な事をいきなり狙おうという風潮は、良いことではない。「指揮法を知らない指揮者」と「指揮法を無視する指揮者」は全く違う。しかし世の中には、指揮法を知らない指揮者が多すぎる。物事を十分に考察せずに”陰謀論”などを語る人もそうであろう。

裏をかきたければ、表を熟知しなければいけない。桶狭間の戦いで、相手の戦力・状況・地形・天気を熟知したうえで奇襲をかけた織田信長のように。

良心を持ったワルになれ!

ワルとは、世間的に、あるいは社会的・組織的に悪者とされる人間という意味で書いた。

世間から見て、あるいは社会的・組織的に見てワルとはどういう人なのか?このワルとは時代や組織によって定義は変わるし、自分が悪いことをしていないと思っていても悪者というっレッテルを貼られることは多々ある。だから、世間的に良い人間でいようなんてことを考えることにあまり意味はない。自分が正しいと思うこと、自分が悪くないと思うことを貫けばいい。その結果ワルとされても、そんなことは気にする必要はない。

もちろん、極悪のワルになってはいけない。良心を持ったワルにならねばいけない。

世の中の決まり・ルールには、明らかにおかしいというものが多々ある。その時に、それはおかしいからと堂々と決まりを破ることができるか。自分が正しいと思うことを貫くためにルールを破ること、それが勇気である。

ルールをきっちりと守る人には二種類ある。それは、良心から守る人、そしてもう一つは自分の保身だけを考えて守る人。

保身を考えて守る人は、単なるイエスマンでしかない。しかし現実には、ルールというものは保身に訴えかけて守らせるものだという側面は大いにある。

ルールを見て、なぜそうしないといけないのか?という奥に潜む意味を考えないといけない。確かにそんなことを考える人は、取り締まる人・支配者には厄介な存在であろう。逆に言うと、ルールに盲目的に従う人は扱いやすい。

規則の表面だけを見て意味を考えない状態は、パブロフの犬状態だと言える。そんなパブロフの犬に自我はない。

自分が正しいと思うことを正しいと主張できる、良心を持った”ワル”になることが大切だ。

趣味も極める。

本職を極めるのは当然であるが、最近は趣味も極めたいと思っている。その極めたい趣味とは「釣り」である。とは言うものの、最近は少し事情があって、全く釣りには行っていない。でも今取り組んでいることで目標としていることを成し遂げると、再び釣りにも打ち込みたいと思っている。

なぜ、またまた釣り熱が熱くなってきたか?というと、毎日アップされる釣り動画に触発されたからだ。やっぱし僕は釣りが好きなんだ!魚が好きなんだ!と再確認された。

釣りを再開した時に、どこの海に通おうか?何をどう釣ろうか?と考えると何だかわくわくしてくる。そして釣りを気楽な趣味ではなく「極める趣味」として、ちょっとした釣り職人にでもなろうかと妄想している。

良い論文は、噛めば噛むほど味が出る。

論文に限らず、一般の本にも言えることだが、良い論文、良い本というのは、噛めば噛むほど味が出る。すごく短い論文や短編書籍などでも、良いものは何度も何度も繰り返し読み、さらにその度に新しい発見がある。同じところを繰り返し読んでいるだけなのに不思議だ。

最近、とある数学の論文(非常に偉大な論文である)を熟読している。この論文は数年前にプリントアウトしていたのだが、最近(と言ってもかなり前だが)になって深く読み始め、同じところを何度も何度も繰り返し読むのだが、その度に新しい発見があり、新しいアイデアが出てくる。まさしく噛めば噛むほど味が出る論文だ。

最新の論文をやみくもに読むのも悪くないが、良い論文を繰り返し読むことは、多くの論文を手当たり次第に読むより得るものは大きい。

論文のことについて書いたが、これらのことは普通の本・小説にも当てはまる。多くの本より、一つの良書を繰り返し読むことでしか得られないものがある。座右の書というものを一冊作るのも悪くない。

基礎科学者はアスリートか?

以前、「超対称性はスポーツだ!」(超対称性とは素粒子論に出てくる理論の一つである)という声を聞いたことがある。これはどういうことか?

基礎科学もスポーツも、直接何かの役に立てるためにやっているわけではない。基礎科学者は純粋に、「自然の仕組みを解明したい」という思いから自然を追及している。これはアスリートの「速く走りたい」という気持ちと似ている。

科学と言うと、役に立てるために研究していると思っている人は多いが、基礎科学に関しては役に立てるという目的意識は希薄だ。特に素粒子物理に関しては役に立てるという意識は皆無と言っていいだろう。とは言え、現段階で全く役に立たなくても、何十年後かに大きく役に立つということは歴史が示している。

基礎科学をスポーツだと認識できる人がどれだけいるかわからないが、僕は、「基礎科学者とは頭を使うアスリート」だと思っている。

自分の調子を制御する。

自分の体調、自分の思考の調子、自分では知っているようで意外と把握していないことも多い。

毎日最高の調子で過ごしたいが、調子の波はどうしても避けられない。ならば、波の低い部分をできるだけ抑えて、高い部分はできるだけ高くもっていかなければならない。すなわち、自分の調子を制御するということだ。そのためには、毎日毎日試行錯誤。わかったと思っても、次にはそれが通用しないことも。

調子を制御するためには我慢も必要だ。例えば断酒したり、精神的健康を得るために筋トレなど体から整えることも有用だ。

明日調子よく過ごすために、前日から自分を制御して頭と体を整えておかなければならない。