投稿者「木原 康明」のアーカイブ

戦後経済70年

昨日(31日)の夜、NHKで戦後70年の経済の歩みを特集していた。特にバブル時代の経済状態に重点が置かれていたのだが、承知の通り数年前のアメリカのリーマンショックの時と類似性が見られる。数年前の不況の象徴が証券銀行リーマンブラザーズであることは言うまでもないが、日本のバブル崩壊の象徴が山一證券であることもみんなの知るところだ。

とにかく両者に共通する点を一言で表すならば、金融市場が実体経済からかけ離れすぎていたということであろう。そして右肩上がりが永久に続くのではないかという幻想。

もちろんアメリカにしても日本にしても、バブル状態の時にバブルがはじけるなどということは誰も考えない。多少予測できたのは一部の日銀幹部くらいではないだろうか。

いまバブルの予感がするのが中国だ。確かに現在の中国経済は実態もかなり成長しているとは思う。しかしその一方で投資や都市開発において実態以上の取引がされているのも事実である。中国のウォール街と謳われて開発された超高層ビルの立ち並ぶ通称金融街は事実上の廃墟である。

そして現在の日本も例外ではないと思う。過去のバブルはバカだったと言いつつも、現在の金融好景気がまた永遠に続くと思っている節がある。いま日本は投資ブームである。NISAなど、手軽に投資を始められる環境が整っている。個人的な感じだが、「投資をする人は賢い、投資をしない人はバカだ」という風潮があるように感じられる。しかし投資を一切しないというのも一つの選択でもある。

浮かれて投資をマネーゲームみたいな感覚で(マネーゲームも立派な投資だと思うが)ブームに乗るように手を付けるのはいかがなものかと思う。そもそも投資は経済に対する支援なのである。そのような視点が全く欠けているのは非常に大きな問題である。

巨大地震に対する科学的理解

30日午後8時過ぎ、太平洋の日本沖合で巨大地震が起きた。地震の大きさを表すマグニチュードは8.5で、普通なら超巨大地震になろうかというレベルだ。日本でも広い範囲で大きな揺れを感じたようだ。しかしこれだけの巨大地震が沖合で起きて、津波が起きなかったことには非常に不思議に感じた。

今回の巨大地震で津波が起きなかった理由は、震源の深さにあるらしい。今回の地震の深さは590kmだった。普段日本付近で起きる地震の震源の深さは数十キロというものが多かった記憶がある。わかりやすく言えば、地震は海水のある海から500キロ以上離れたところに起きたと言える。そう考えれば津波が起きなかったことも納得できるだろう。

地震研究は基本的に実験ができない。(最近は人工地震というものを起こして地殻を調べることができるそうだが。)すなわち一回一回の地震そのものが実験のサンプルみたいなものであって、一回の地震でどれだけデータをとれるか、どれだけ解析できるかが地震学者の腕の見せ所である。

今回の地震は深さ590キロという非常に特殊な巨大地震であり、サンプルとしても非常に貴重だ。地震研究というと防災に直結する研究が主流のように思えるが、今回の地震からは地球の内部構造など地球科学に大きなヒントを与えるような地震ではないかと僕は勝手に思っている。

社会では地震学者に防災に役立つ研究を100%望んでいるが、科学的意義のある研究に一般市民も理解を示し、興味を持たなければならないのではないかと思う。

今回の特殊な巨大地震からどのようなことが解明されるのか、科学的興味のあるところである。

沖縄の基地問題

ただいま5月30日(土)午前2時、テレビで田原総一郎司会の「朝まで生テレビ」をやっている。まだ始まったばかりで全部見ることはできないが、今日は戦後70年特集ということで沖縄のテレビ局で生収録されている。まだ最初の部分しか見てないが、沖縄基地問題、特に普天間基地の辺野古への移転がメインテーマになりそうだ。

歴史的観点、政治的観点、沖縄県民の感情的観点から話を進められているが、現在世界的に注目を浴びている中国の軍備拡大・海洋進出について、沖縄の地政学的観点が議論される気配がない。沖縄は日本の中で最も中国に近いところに位置し、中国との有事の際は最前線に立たされる。

最近の中国の経済急拡大により、各先進国も中国の巨大な経済力に遠慮してか、なかなか中国に対して強く発言できないでいる。中国に対するけん制の最前線は日本、そしてそのバックにいるアメリカだ。

もちろん現在の普天間基地は街の真ん中に位置し、非常に危険であり、何が何でも移設をしなければならないことは明白だ。普天間を移設することは決まっている。しかし受け入れ先がないのである。

鳩山元首相が勝手に発言した県外移設も考慮の余地はあるとは思うが、沖縄の地政学的関係を考えると多少の不安が残る。しかし県外移設ができる事柄に関しては県外移設を進めるのも一つの手だ。しかし普天間基地の代替えが県外でもできるのか、辺野古でないとダメなのか、これは地政学的意味と、受け入れる住民の民意の双方を考えなければいけない。

朝生の初めで、沖縄県内の米軍基地の地図が出された。今までそのような地図を恥ずかしながら見たことがなかったのだが、それを見ると沖縄の軍事的負担はとてつもなく大きい。日本の防衛の地理的均衡としてこの状態は全くバランスが取れてない。

沖縄の基地問題は日本国民全体の問題でもある。鳩山元首相が発言した「県外移設」は世論として、余計なことを言ってくれたという感があるが、しかし防衛の地理的均衡を考えると日本本土の国民も何らかの形で受け入れるのが筋ではないかと思う。

FIFAの腐敗と汚職

FIFA(国際サッカー連盟)の汚職に捜査のメスが入った。捜査の対象になったのは14人の幹部、そして金額にして180億円にもなる。夢を売る職業に関わっている人たちがいつの間にかサッカーそっちのけで拝金主義に走っているのである。

あ~、本当に大人は汚い。二日前のブログでも書いたが、大人なんて何も偉くないし、立派でもない。もちろん立派な大人もいるが。こんな腐った大人たちが子供に教育し、子供に夢を与えるなんておかしな話だ。むしろ大人が子供から学んだ方がいいくらいかもしれない。

本当に心が暗くなるニュースだ。

専守防衛

日本の安保政策の大原則は「専守防衛」だ。敵から攻撃を受けて初めて自衛行動をとる。もちろんこれでは対応できないこともある。何かが起きてから動いては遅い場合もあるのだ。安倍首相はこの二つの考えの間のバランスを模索しているように思える。

日米同盟は非常に重要だが、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることがあってはならない。しかし「米国の戦争に巻き込まれる」という言葉の定義もしっかりしなければならない。日米双方に密接に関係ある戦争が起こらないとは限らない。その時はもちろん「巻き込まれる」という言葉は相応しくない。

今の安保政策の大筋はほぼ決まっている。今は細部を詰める段階だ。ここで曖昧な解釈を残すと後に大問題に発展する可能性があるので、抜かりのないように議論してもらいたい。

アイドルヘリウム事故に対する大人たちの対応

数か月前、アイドルグループの一人がバラエティ番組でヘリウムガスを吸引し(声質を変えるゲームのため)、意識を失って倒れた事故があったことを覚えているだろうか。一時は痙攣や意識障害があり、高次脳機能障害も心配されており、後遺症が心配だ。幸い現在はかなり回復しているようで、アイドル活動を再開しているようである。

僕はこの事故に対して非常に激怒している。事故が起こったことは仕方がない。激怒しているのは事故に対する事後の大人たちの対応だ。テレビ局側が会見を開いたのが事故から一週間後。会見では終始お茶を濁していたらしい。そして制作会社は事故直後にホームページの番組制作実績からこの番組を削除したようだ。本当に僕は怒り狂っている。

子供に犠牲を押し付けながら、大人たちは保身に終始する。この事故の件の対応からもわかるように、多くの大人なんて立派でもなんでもないのである。自分たちのことを社会人だから立派だと言いながらそれ以外の人間を見下す。それでいて不祥事が起これが保身・保身なのである。社会人という言葉なんて何の価値もない。そういう言葉を使って自分たちを誇示しているだけである。

岡村孝子さんの歌の歌詞にこんなフレーズがある。

「大人になるほど嘘を覚えた」

大人になり人間的に立派になる人ももちろんいるが、多くの人は肩書が立派になるにつれ人間性が没落していく。最近で一番いい例がNHKの籾井会長だろう。彼を見ればこの歌詞の意味もよくわかる。

とはいえ、被害にあったアイドルがほぼ回復し、復帰するまでになったことは喜ばしいことだ。被害にあったアイドルの本人の名前は公表されていないので誰かわからないが、このまま後遺症も残らず元気に成長していくことを応援したい。

「木を見て森を見ぬ」

安保法案の議論に対する安倍首相の言葉だ。

今、安保法案・集団的自衛権に関する詳細な議論と詰めがなされている。もちろん安倍首相をはじめとする与党は法案作成へまい進しているが、野党はその細部に対してケチをつけ続けている。ケチをつけていると言っても、与党のすることにケチをつけて監視するのが野党の役割と言えばそれまでだが、安倍首相のことばの通り「木を見て森を見ず」という感が強く感じられる。

そもそも自衛隊は何のために海外に出ようとしているのか。今日本に求められているのは自国の平和を守ると同時に「他国の平和も守る」ということだ。もちろんお節介な海外活動はしてはならないが、他国から平和を守るために日本の力を貸してほしいと言われれば力になるのが安倍首相が目指す方向だ。

安倍首相は「木を見て森を見ず」と言ったが、「木も見て森も見る」、つまり大局観と細部の両方はそれぞれ両輪であって、どちらの観点が欠けてもダメなのである。

僕自身が海外派兵されるわけではないので勝手なことは言えないが、自衛隊が海外派兵して死傷する事態が起こるのはもちろん想定しなければならないことかもしれない。自衛隊員が死傷することに対して「そうなったら誰が責任がとるのだ」という声があるが、誰が責任をとるという問題ではない。日本の自衛隊は徴兵制ではなく、それぞれの自衛隊員は納得して入隊している。もちろん海外派兵されて負傷する事態もそれぞれの自衛隊員は想定しているであろう。有事の際に派遣拒否するような自衛隊員は詐欺隊員だ。

日本では自衛隊の安全ばかりが議論になるが、世界で安全を守っている自衛隊・軍人は日本だけではない。日本がいかなければ他国が傷つく。他国の部隊が負傷することはどうでもいい問題なのか。これからは自衛隊だけではなくて、派遣されている全ての国の部隊全体の安全と貢献を考え、一国の考えだけでなく関連する全ての国の連携を考えて動かなければならない。

訪中団の歓迎

現在、自民党の二階総務会長をはじめとする三千人規模の訪中団が中国で歓待を受けている。今までの反日ムードとは打って変わったような歓待だ。特に中国トップの習近平主席が訪中団三千人の前でスピーチしたことは驚きに値する。いったいこの変わりようは何なのか。一時的なものなのか。

一つの大きな理由として、やはり日本の経済力は無視できないと気付きだしたことかもしれない。やはり経済規模世界第二位の中国と第三位の日本の経済の相乗効果は計り知れない。

そしてもう一つの理由であるが、日本と中国が接近して非常に痛い国がある。韓国である。韓国は今まで中国に最接近し、猛烈な反日で中国と共闘してきた。しかしそれだけの猛烈な反日活動ができたのも後ろに中国がいたからできたことである。そこで日本と中国が接近すれば韓国ははしごを外された形になる。この様に日本と韓国とをうまく操ろうと考えてのことなら、中国の策は巧妙だ。

軍事面はともあれ、経済面・民間交流の分野ではこの流れはいい形になるだろう。この中国のポーズが一時的なことか、継続的な事か、それは夏に発表される安倍談話に対する評価によってすべてがわかる。

歪曲?美化?

中国の習氏は、日本の先の大戦に対する歪曲・美化を許さないと訴えかけた。歪曲?美化?はたして日本の、そして安倍首相は一度でもそんなことを主張したであろうか?歪曲や美化、それはそのまま中国、そして習氏に当てはまる言葉ではないだろうか。

中国、習氏は先の大戦に対して一方的に自国の美化に終始し、歪曲し続けているのではないかと思う。しかしこんなことを反論しても通じる相手ではない。日本は中国に対してではなく、世界に対して正当な理論を主張しなければならない。

そこで基調となる指針としては、「整合性のある筋の通った主張は必ず通じる」、これを正直なまでも突き通すことだと思う。持論を突破する唯一の指針はこれのみだ。これ以外に世界を納得させる手法はない。変な小手先の細工を施すことだけは絶対にやってはならない。

中国の主張することに対する反論を突き通すには、これ一つしかない。

核兵器を「使わせない」

現在、核拡散防止条約(NPT)について議論されている。日本が呼びかけている各国首脳の被爆地訪問に賛同する国々は多いが、一国だけそれに反対している。中国だ。NPTの文書は全会一致が原則だ。従って中国一国が反対すれば採択されない。

中国は「歴史認識の歪曲」を主張して反対意見を述べているのだが、歴史を「歪曲」し「直視」しないのは全く持って中国の方だ。日本は被害者の立場を主張したくて被爆地訪問を訴えているのではない。核兵器の悲惨さを世界に理解してもらうために訴えているのだ。その核兵器の悲惨さを中国は理解しようとしない。

ところで核兵器が世界から廃絶されるにこしたことはない。しかし現実問題として現在はそれは不可能な状況だ。ならば核兵器を「使わせない」ようにしなければならない。そのためには単に核兵器をなくすだけでは全く効果はない。理性ある国が必要最小限の核兵器を保有することによって、その他の核保有国が核使用することを抑止する。

とはいえ現在、核保有国と非核保有国の間での認識ギャップはかなり大きい。核保有国のエゴがまかり通っているとは言えなくもない。核に関する議論はかなり歪んだ状態にあるように思えるが、とはいえ現段階では核を「使わせない」体制を世界で維持しなければならない。