投稿者「木原 康明」のアーカイブ

言論・表現の自由と多様性

言論・表現の自由と多様性は民主主義の根幹だ。自由と言ってももちろん他人を傷つけることや絶対に言ってはならないこと、卑劣な表現などは民主主義以前の問題、倫理の問題としてやってはならないことだ。しかし基本的に自由と多様性は認めなければならない。

最近、自民党内での会合での発言が問題になり、責任問題でもめている。今回の発言問題は民主主義国家の政府与党内の発言として決して認められないものだ。与党内での発言は権力者の発言であり、弾圧につながる。一般市民が勝手に発言するのとは訳が違うのだ。

僕は過去のブログで述べたように安倍政権を支持している。支持政党をコロコロと簡単に変えるのはあまりよろしくないとも思っている。どこの政党を支持するかは各自の自由だが、支持政党の行方をじっと見守ることも大事だと思う。

僕は安倍政権を支持しているが、残念なのが安倍氏の取り巻きたちだ。安倍首相自身は慎重に政策を動かしていても、取り巻きたちが安倍政権の盤石なことをいいことに好き勝手言い放題だ。そこには慎重のかけらもない。安倍政権の足を引っ張るだけである。しかしそれらの取り巻きをコントロールしきれていない安倍氏自身にも責任はある。安倍氏も対外政策だけではなく、党内の取りまとめに一度大きく取り組んではどうかと思う。そうでもしないと今の党内の現状では政権が足元からすくわれることにもなりかねないと僕は危惧している。

米宇宙ロケット打ち上げ失敗

アメリカの宇宙ベンチャー企業スペースX社のロケットの打ち上げが失敗した。その前は別のベンチャー企業の打ち上げも失敗している。これはアメリカの宇宙政策の失敗につながるのではないかと僕は危惧している。

数年前、アメリカはNASAのスペースシャトルの引退を宣言し、今はNASAは独自の宇宙船を持たない。スペースシャトル事業からの撤退の原因は、船体の老朽化とコスト高からだ。そこでスペースシャトルの穴埋めの役割を期待されているのがスペースX社だ。

スペースX社に一番求められていたのは、スペースシャトルでの問題点でもあったコスト問題の解決だ。そのためスペースX社の開発はコスト的には安く抑えられているものと思われる。しかしコスト安を重視して打ち上げの失敗すれば元も子もない。最近のロケット打ち上げ失敗でNASAの宇宙政策は見直しを迫られるかもしれない。

今回の失敗の影響は日本にも多岐的に及んでいる。その中の一つが日本の大学が作った観測カメラの打ち上げだ。しかし用意周到だったというべきか、予備まで含めて三台用意していたそうだ。次の打ち上げで再挑戦することになる。

思えばスペースシャトルは世界の子供の夢であった。スペースシャトルをみて宇宙飛行士に憧れた子供がたくさんいたものだ。コスト重視で宇宙政策を見直すのも仕方のないことかもしれないが、宇宙政策に夢は必須だと思う。子供たちの宇宙への夢が次世代の宇宙開発の原動力になる。子供たちの夢を甘く見ないでほしいものである。

少年Aの手記について

最近、18年前に神戸で起きた「酒鬼薔薇事件」の加害者少年Aの書いた手記が出版されて話題になっている。この出版に関しては書店の間でも是非が分かれ、店頭に並ぶことを拒否する書店も出てきている。僕の家の近くの書店では拒否の姿勢を貫き、関連記事を載せている雑誌の取り扱いまで拒否している。今日、大手の本屋に足を運んだが、その書店では少年Aの本が山積みされていた。

ビジネスとして利益を優先させるか、あるいは信念・倫理を重視し取り扱いをやめるか、書店としては悩ましいところであるが、その判断を書店に強制するものではない。その両者がいることは日本の書店業界の多様性・自主性が現れていていいことだと思う。

僕はこの少年Aの手記「絶歌」を読んだわけではないので偉そうなことは言えないが、この本の出版に関する一番の問題は、当たり前のことではあるが自分の起こした殺人事件をネタにして収益を上げていることであろう。そして遺族側からすれば、もう一度事件を煮え繰り返される苦しさがある。

僕自身、少年Aが手記を出すこと自体は否定しないし、実際にこれだけの読者がいることを見ると社会の需要にこたえているとも言える。出版社のビジネスとしてはこれほどおいしいものはない。ただ倫理的な問題はかなり大きいが。

先ほど言ったように僕はこの本を読んでいないし、これからも読むつもりはないので、この本の出版に関して判断を下すことはできないが、この出版の倫理に関しては深い問題がある割に、社会での現在の議論に関しては陳腐であるような感は否めない。

言論の自由はどこまで

先日、自民党の勉強会で作家の百田氏が「沖縄の2新聞紙をぶっ潰せ」と発言したそうだ。百田氏は後に冗談だったと弁解しているが、発言した場所が場所だ。政府与党の自民党内の会合内での発言とあって、その場での発言は半公式であり責任が問われる。もちろん民間人の百田氏に発言の自由はある。しかしその場では公人としての発言が求められている。

現在の沖縄の世論は急進的だ。政府と真っ向から対立し、沖縄内では反安倍色が濃いように見える。その沖縄の世論に本土の日本人が反論を述べるのは自由だ。しかし政府与党が沖縄の世論を押しつぶすようなことは許されない。沖縄世論に反する政策を打ち出すときは、100%納得させるのは無理としても粘り強く対話を重ね誠意を見せることが沖縄県民への礼儀でもある。

地政学的に沖縄は重要な所に位置している。沖縄から基地をなくすことは日本の国防政策としてあり得ない話だ。まずそこから話を進めなければいけない。なぜ本土ではなく沖縄でないといけないのかと。そこを抜きにして強引に沖縄に基地を作ろうとしても沖縄県民は納得できるはずがない。基地をどこに作ろうかではなくなぜ沖縄に基地が必要なのかと。

一般人の発言には自由が伴うが、政府与党側の発言には責任が伴い一般人の発言と区別しなければいけない。百田氏も今回の発言は政府与党内での答弁だという意識が全く欠けていたと見受けられるので、これからのそのような発言の場では十分に慎重になってもらいたいものである。

古典地図から見た尖閣諸島

ここ数年、尖閣諸島の領有権をめぐって日本と中国の間で対立が起きている。日本、中国双方の間でそれぞれ自国の主張があるが、お互い自国の有利な主張しかしないので平行線をたどっている。では尖閣を第三国から見ればどうであろうか。

最近、19世紀終わりに作られた英国・ドイツの地図が発見された。それによると両方とも尖閣は日本領となっていたそうだ。これを聞いて気の早い政治家などは、だから尖閣は古来から日本の領土であったというだろうが、見方を変えれば所詮外国の作った地図がたまたま尖閣を日本領に分類しただけのことでもある。

しかしこのイギリスの地図にはもう少し深い意味がある。当時香港と朝鮮南部の島は英国領であった。そしてその双方を結ぶ航路はイギリスにとって重要であった。そこでその航路上にある尖閣の領有権は英国にとってはっきりさせていなければならない問題であった。そこで英国は尖閣を日本領と認識していたのだ。

領土の領有権をめぐる争いは世界いたるところで起きているが、当たり前のことだがどこの国も自国にとって有利な事しか主張しない。領有権の合理的な解決は不可能かもしれないが、第三国の視点というのは解決の一つの糸口になるのかもしれない。

株主総会がピークを迎える

多くの会社の株主総会が先日一斉に行われた。株主総会は90年ころからほとんどの企業が同日に一斉に行われるのが習慣だった。その理由は総会屋対策。当時総会を荒らして企業に金品を要求する総会屋の動きが活発だった。それを防ぐためにほとんどの企業が同日に株主総会を開くようになった。そうすれば一人で同日に何社の総会に出席することはできないので、この総会屋対策は一定の成果を上げた。

しかしもちろん本来の株主たちも数社の株を所有していても一社の総会しか出席できなくなる。この様な弊害が指摘されていた。そういうこともあって今では総会日程が分散する傾向にある。

ところで今話題になっているトヨタのAA型株というものがある。購入すると5年は売ることはできないが、5年後には元本が保証されているというものだ。この株によってトヨタは中・長期的な資金を獲得できるというメリットがあり、株購入者にも元本は保証されるというメリットがある。この新型株について今年のトヨタの株主総会はもめたらしい。物言わぬ株主が増えるのではないかと。結局採決の結果、新型株は導入される見通しとなった。

何かと保守的と言われる日本企業。このトヨタの革新的試みには大いに期待したいところだ。この新型株が証券業界に風穴を開けることになるであろうか。

インプットとアウトプット

インプットとアウトプット、自分はどちらに重きを置いているだろうか。

インプットとは具体的には何か。例えば読書、勉強などは代表的なインプット作業だ。しかしインプットだけで終わってしまえば非常にもったいない。なぜなら本当に重要なのはインプットではなくアウトプットだからである。インプットをいくらしてもお金はもらえない。東大生がどれだけ高度な勉強をしてもそれにお金を払う人は一人もいない。なぜなら仕事とはアウトプットだからである。

何もインプットを否定するつもりは全然ない。しかしインプットをアウトプットの布石にしなければそれは単なる自己満足で終わってしまう。

本を読むのもいいが、本当に重要なのは本を書くこと、あるいはそこまでいかなくても文章を書くことではないかと思う。研究者ならば理論を勉強することではなく、新しい発見を論文に書くことである。

今まで自分がインプットで満足していたならば、そろそろアウトプットに軸足を移すのもいいのではないかと思う。

三菱の水陸両用車が注目浴びる

今、三菱重工が水陸両用車を研究開発しており、それに米海兵隊が注目しているそうだ。というのは、現在海兵隊などで用いられている両用車は水上で時速15キロ、それに対して三菱の両用車は時速40キロ出せるそうだ。格段の違いである。これには米英の開発会社もギブアップしたようだ。

日米が現在水陸両用車を重要視する理由が一つある。対中国の対するものだ。今、中国が南シナ海で環礁を埋め立て軍事拠点化しようとしている。それに対して日米は有事の際にはその環礁を突破しなければいけない。そのためにも高性能な水陸両用車は必須なのだ。

三菱の両用車が注目を浴びている理由はもう一つある。コストだ。英企業は技術的には可能かもしれないが、コストを考えると無理だと言っている。それを三菱はクリアしそうなのだ。コストの面に関しては最近の為替レートも少しは関係あるのかもしれない。しかし限られた予算で高性能製品を開発するのも高度な技術力が必要だ。

車・鉄道・飛行機などで最近快進撃を始めた日本企業。軍事技術に耐えうる製品を世に送り出せるのは日本の高度な技術力の証だ。なぜなら最も最先端で最高な技術は最初に軍事面に応用されることが多いからだ。

人間と地球上生物の大量絶滅

現在、地球史上6度目の生物大量絶滅期に入っているというアメリカの大学の研究グループの結果が出ている。今、通常の100倍のペースで種の絶滅が進んでいるそうだ。現在の絶滅期は6度目だということだが、過去の5回と決定的に違うことがある。それは現在の絶滅期が人間の手によるものだということである。過去の絶滅期は隕石の衝突や火山の爆発など天災的なものであった。しかし現在、人間は地球上の種の存続の運命まで握っている。

そしてもう一つ、われわれに直接的にかかわることがある。それは将来、その絶滅種の中に「人間」も入る可能性が非常に高いことだ。人間は人間まで絶滅させてしまうかもしれない。

僕の私観だが、もし人間の絶滅がおこるならばそれは一瞬、あるいは非常に短期間で絶滅するのではないかと思う。わかりやすい例では核兵器によるもの、急激な環境汚染、あるいは想定しえない要素も現在の社会には山ほどある。むしろ核兵器などは核削減など対策もわかりやすいが、想定しえないものに対しては対策もしえない。

現在の生物学では人間は哺乳類の一種とみなされている。しかし何十万年後、何百年後に知的生物が存在していれば、人間は既存の生物の一種とはみなされないだろう。おそらく知的新生物とでもいうような全く新しい系統の生物種とみなされるはずだ。

文明の発展は大天災でも起きない限り発展し続ける。しかし今、人間は無制限の発展に進むのではなく適切な発展を遂行していくことに注意を払わなければいけないのではないかとと思う。これから人間は人間とその文明をうまくコントロールしていかなければならない。

パリ航空ショー

先日、パリで航空ショーが行われた。世界各国から様々な航空機が所狭しと並んでいる。航空ファンなどは航空機の展示に気持ちを高ぶらせたことだろう。

この航空ショーはただの展示会ではない。航空機メーカーと航空会社の間の商談会でもあるのだ。もちろん日本の会社も参加している。三菱航空機のMRJ(三菱リージョナルジェット)だ。しかしMRJはこの商談会での受注はゼロだった。それに対してMRJのライバルのブラジルの航空機メーカーは50機も受注した。この差は実績の差以外の何でもない。MRJの開発は遅れに遅れ、先日飛行場の滑走路を走った(歩いた?)だけだ。まだ空は1センチも飛んでいないのだ。したがって実績はゼロに等しい。そんな会社に大きな期待をするのも無理な話だ。しかしこれから巻き返すチャンスは十分にある。ぜひとも巻き返してほしいものである。

今まで飛行機と鉄道は棲み分けができていた。短距離は鉄道、長距離・海外へは飛行機と。しかし鉄道の高速化に応じて鉄道が飛行機のシェアを侵食しだしてきた。特に日本国内ではそれが顕著だ。ヨーロッパでも今はフランスとイギリスの間をユーロスターという高速鉄道で行き来できる。いま飛行機と鉄道はしのぎを削り合っている。日本は鉄道分野では新幹線という世界一の製品を手にしている。そして今飛行機産業にも食い込もうとしている。まだ日本の飛行機産業は新幹線には全然かなわないが、数十年後には新幹線と飛行機が日本の交通産業の両輪として世界でフルに力を発揮しているところを見たいものである。