投稿者「木原 康明」のアーカイブ

教育殺人

岩手県で中学二年生の生徒が自殺した。その自殺までの経緯があまりにも凄惨だ。教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんはこの事件のことを「教育殺人」と呼んだ。

自殺した生徒は担任に提出する連絡ノートに繰り返しいじめの苦しさを訴えていた。しかしそれに対する担任の返事は全て業務連絡的、機械的なものだった。この担任は教師と言う職をどう考えていたのだろうか。何も今の時代に教師の職業のことを聖職とまでは言わない。しかし今回の教師はまるでコンビニのバイトくらいの感覚で職を遂行していたのではないか。コンビニのバイトをバカにするわけではない。しかしコンビニのバイトと教師の職では給与は桁違いに違う。それは仕事への責任の裏返しでもある。

さらにびっくりしたのが、集会で校長は謝罪の言葉を全く述べなかったことだ。おそらく今は学校ぐるみで保身の道へ突き進んでいるものと推測される。生徒が何かで活躍するとまるで自分たちのことのように学校ぐるみで胸を張るのに、不祥事が起きると誰も関係ないと保身に走る。もうおなじみのパターンだ。

今回の事件は尾木氏が言うように教育殺人と言う言葉がふさわしい。学校ぐるみの犯罪と言えるだろう。もちろんいじめていた加害者生徒には大きな責任がある。しかし今回のいきさつを見ていると、教師もいじめに加担していたも同然だ。

この様な事件が起こるたび、大人の汚い側面が強烈にあらわになる。本当に醜い。この醜い大人たちに「教育」というものをされている生徒たちも被害者だ。今頃、醜い大人たちは自分のことしか考えていないだろう。どうしたら処分を免れるのだろうと。彼らの眼中には自殺した生徒のことは全く映っていない。

練習はウソをつかない

いきなりだが、僕はプロ野球の阪神タイガースファンだ。はっきり言って巨人は嫌いだ。しかしここでは好き嫌いは横に置いて、プロ野球選手の言葉に触れたい。

プロ野球ニュースで7月7日の試合のダイジェストを見ていた。そこで巨人戦のニュースで、不振だった阿部選手がかなり活躍したという話題が出たのだが、そこで阿部選手のインタビューで「練習はウソをつかない」という発言が出た。まさか阿部選手ほどの天才打者からそのような言葉が出るとは思わなかった。それと同時に僕の胸にもこみ上げるものがあった。

僕は努力したからと言って必ず成功するとは思っていない。しかし努力せずに成功することもないと思っている。すなわち努力した人の中から成功者が生まれるということだ。この様なことを言うと、絶対成功するという保証のないことに打ち込むのは無駄だと思う人がいるかもしれない。そのような人は努力する必要はない。そのかわり成功はしないだろう。僕の考え方は一部の人間には夢がないと思われるかもしれない。しかし努力をしないで成功することが夢だなんて僕は全く思わない。そんなものは夢でもなんでもなくて単なる博打である。

しかし阿部選手の言葉は本当に励みになる。やはりトップリーグの最前線の選手が言う言葉は一言一言が重い。僕も阿部選手の言葉を胸の片隅に置いて努力していきたいと思う。

怒りのコントロール

とある記事で、「自滅しないための怒りのコントロール」というものを見た。確かに怒りをコントロールするのは難しい。人によってはそれが自滅の道へと続くこともある。

正直言って僕は感情の起伏は激しい。喜びも怒りもかなり激しく表現する方だ。しかし暴力などは100%起こさない。赤の他人に対して突っかかることはしない。しかし街を歩いているとちょっとしたことで突っかかってくる人は多い。この様なことをするのは若者が多いイメージがあるが、実際は中年以上の人が多いように感じる。本人は普通の会社に勤めていて社会人であることを自負しているのかもしれないが、僕に言わせれば人間のクズである。

そもそも日本では会社に勤めている人間を社会人と呼び、社会人であるかどうかで人間を判断する風潮がある。もちろん僕もいろいろな人間を見てきたが、社会人としてどうかなんて人間性にほとんど関係ない。それは会社で立派な肩書を持つ社会人が、不祥事が起きると全力で保身にまわることを見てもよくわかるだろう。社会人かどうかなんて所詮そんなものだ。

怒りの話に戻るが、怒りを我慢するのは体に悪いらしい。しかし怒りを制限しなければいけない時ももちろんある。怒りをコントロールして怒りをうまく表現できるのが「本当の大人」というものかもしれない。しかし実際はそれが非常に難しい。僕は基本的に大人と言う存在が嫌いだ。しかし自分の理想の大人像に近づけるように精進していきたいものである。

韓国に対して怒りを通り越してあきれる、そして韓国に対する日本の報道について

7月5日、日本の明治産業革命遺産に対する世界文化遺産登録が可決された。しかしこの登録については日本と韓国の間で最後までもめにもめた。何がもめたのか、いつものパターンなのでいちいちここで述べるのも無駄であるが、もうここまで来ると韓国に対して怒りを通り越してあきれ返り、韓国が哀れに思えてしまう。

いまヨーロッパではギリシャ問題でもめている。ギリシャの問題は内容が切羽詰っており緊急問題であるが、韓国が日本に対して非難している内容は裏付けもなく、また今回の世界遺産の趣旨からも大きく外れており、くだらないの一言だ。そんなくだらないことを認めるくらいなら無理に世界遺産にしなくていいのではと言うのが多くの日本国民の声ではないか。

それからもう一つ言いたいことは、日本の報道機関に対してである。日本と交わりのある国は韓国・中国だけではない。近くには台湾・フィリピンもあるし、ロシアもある。もっと距離を広げば日本と密接な関係にある国はたくさんある。日本は世界的に見ても最も信頼されている国だ。それなのに流れてくるニュースは韓国が非難したとかケチをつけたとかの、くだらないニュースばかり流してくる。アフリカに対する継続的な援助の話題が二つでも出たことがあるか?初めの一つは出ても二度は流れない。アフリカ住民に対しても失礼である。もっと多様な世界の人間を視野に入れなければならない。しかし報道局の視野に入るのは韓国のくだらない話ばかりである。

南シナ海では中国とフィリピンの間で非常に深刻な事態が起きている。岩礁の埋め立て、軍事要塞化の問題である。このニュースのように世界的に見て重要なニュースはたくさんある。それでいながら報道局が流すのはまた韓国がケチをつけてきたという話題である。

もうこれは報道機関の見識が問われるレベルの問題である。あまりにもレベルが低すぎる。日本国民に、そして世界の市民に非常に失礼なことをしていることに気づかないのかと思う。

ギリシャの国民投票について

日本は現在7月5日午前0時、ギリシャ現地時間5日にギリシャで国民投票が行われる。緊縮財政を伴うEU支援を受け入れるか、それに反対してEU離脱への道を進むのか。簡単に一言で言うと、倹約を約束するか、贅沢したいかみたいな感じだろうか。

日本国民の感覚から言うとギリシャ国民の感覚は異常とも思えるが、南ヨーロッパ気質とでも言うのか、彼ら彼女らは非常に楽天的だ。昔こんな本が日本で流行った。「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」。確かに日本人の用心深さは異常とも思える時があるが、その慎重さと堅実さが今の日本の繁栄を作り上げたのであろうか。

ギリシャの話に戻るが、それにしても情けないのが大統領をはじめとする政治家である。今回の判断は重要事項ではあるが、いちいち国民投票などにするものではなく、大統領の決断一つで決める類のものである。大統領は国民に直接選ばれた者であり、それが故に大きな権力を持つ。今回の国民投票は大統領の責任逃れとしか言いようがない。

今回の判断は、二者の良し悪しを決めると言うより、悪いか・もっと悪いかを決めるもののように思える。はっきり言って完全に手遅れなのである。それを決定的にしたのが、緊縮財政を進めようとした前大統領を否定して、緊縮財政反対の現大統領を国民が選んだことである。現大統領は現在も国民に甘い言葉ばかりささやいている。それに国民も酔いしれている。

今回のEU支援をもし否定した時、その時が国民が本当の現状に目が覚める時ではないかと思う。

ベルリンフィルの首席指揮者をめぐって

最近、ベルリンフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者の交代をめぐって内部で議論が起きていたらしい。ベルリンフィルと言えばウイーンフィルとともに世界の頂点に君臨するオーケストラだ。昔はフルトヴェングラーやカラヤンなど超巨星とも言えるような偉大な指揮者がいたものだが、カラヤンの跡を継いだアバド以来小粒な感がするのは僕だけであろうか。今回のことに関しても僕の不勉強のせいか、前指揮者、新指揮者とも名前を存じなかった。

音楽に疎かった僕がカラヤンのことを知ったのは大学の混声合唱団に入った時のことだった。カラヤンは帝王と言われ、首席指揮者ではなく終身常任指揮者と言われていた。なんだか巨人の長嶋茂雄のようだ。しかし最近は大物と言われる指揮者の名前をあまり聞かない。日本にいて聞くのは日本が誇る偉大な指揮者小澤征爾くらいだ。

小澤征爾と言えばちょっとした思い出がある。もちろん面識などはないのだが。信州松本で毎年開かれるサイトウキネンオーケストラという小澤征爾が主宰する音楽祭がある。大学時代、そのサイトウキネンのチケットを取るのに徹夜で並んでいたところに小澤征爾がサプライズで現れた。もちろん会場は大騒ぎ。僕もどさくさに紛れて小澤征爾と肩を組み写真に写り、シャツにサインをしてもらった。しかし今は写真もシャツも手元にない。小澤先生、ごめんなさい。

話はベルリンフィルに戻って、世界トップの演奏者が集まるベルリンフィルの指揮者は猛獣使いと言われている。演奏者一人一人がライオンなのである。そのような猛獣をいとも簡単に操り最高の音色を奏でさせるカラヤンのような超巨星はこれからまた現れるのだろうか。僕が生きているうちに現れることを期待するところである。

人間にとって教養とは

学生にとってそろそろ期末テストが始まるころだ。好きな教科、得意な教科には力が入るが、苦手な教科はどうしても後回しになってしまう。少なくとも学生時代の僕はそうだった。大学1年生の頃は大嫌いなフランス語の授業を出席だけとって後ろの扉から逃げ出していたのが思い出される。逃げ出した足で大学図書館に向かい、数学や物理の勉強に励んでいた。

ところでなぜ僕はフランス語をやらなければいけなかったのだろうか。フランス圏の国など一度も行ったこともないし、大学のフランス語の授業以外でフランス語に触れたことも皆無だ。今覚えている言葉と言えば「ソレイユ(太陽)」という言葉くらいだろうか。

大学の1、2年生の時期を教養課程と言う。もちろんフランス語の授業も教養課程の一環だ。専門を極めようと大学に入っても、初めの二年間は教養をしっかり叩き込まれる。なぜそこまで教養にこだわるのか。それはひとえに大学を出た者は専門知識と同時に大卒生にふさわしい人間の格としての教養を身に付けてほしいからだ。

教養はその人の人間の格・人間性をもっともよく表す。見る人が見れば30秒も話すとその人の教養のレベルはわかるものである。いくら専門知識があっても、いくら仕事ができても、教養のない者は最終的には軽んじられる。教養を身に付けることは大事だが、それ以前に教養の重要性を理解することはもっと大事だ。教養の重要性を理解していない人間は総じて薄っぺらい。

教養と言っても嫌なことを嫌々することは苦しい。まずは興味の幅を広げてあらゆる分野に挑戦する、それが教養の幅を広げる一歩ではないかと思う。

最近立て続けに起きる火山噴火について

ここ最近、日本列島各地で火山の噴火が立て続けに起きている。西之島での海底噴火では陸地の拡大が続き注目度も大きく、これからの行方が気になる。ここ数日では箱根山の小規模噴火が話題になっている。僕は地学の専門家ではないので詳しいことは判断できないが、やはり気になるのは地震と火山の関係、東日本大震災との関連、そして一番気になるのはやはり富士山の噴火ではないだろうか。

今、日本列島は地殻変動活動期に入っていると言われる。その幕開けが東日本大震災だ。しかしそもそもそのような活動期なるものが科学的に存在するかどうかは疑問だ。科学的にそのような活動期に入ったというよりも、地震噴火が頻繁に起きているから活動期だと言っているだけに思える。

そして今、富士山の噴火と同等以上に注目を浴びているのが南海トラフ地震だ。20年ほど前までは地震の話題と言えば、今にも起こると言われていた首都圏直下型地震一色であった。しかし阪神・東日本大震災を経験し、首都圏直下型地震の話題はすっかり影を薄めたように思う。しかし地震は忘れたころに起きる。話題が薄れた今、人々の警戒感も緩み首都圏直下型の危険は増しているのではないかと思う。

今、南海トラフ地震が警戒されているのはその桁外れの大きさだ。東日本大震災もマグニチュード9という超巨大地震だったが、南海トラフも最大予測はそれに匹敵すると言われている。数年前まで話題にのぼらなかったのがウソのようだ。

日本に住んでいる限り火山と地震は切っても切り離されない。この様な話題は時には必要以上に煽られているようにも感じるが、人々に警戒感をもたらすという意味では非常に良いことではないかと思う。日本人である限り、頭の隅には少しでも火山・地震のことを念頭に置いておくことは必要だ。

言論・表現の自由と多様性

言論・表現の自由と多様性は民主主義の根幹だ。自由と言ってももちろん他人を傷つけることや絶対に言ってはならないこと、卑劣な表現などは民主主義以前の問題、倫理の問題としてやってはならないことだ。しかし基本的に自由と多様性は認めなければならない。

最近、自民党内での会合での発言が問題になり、責任問題でもめている。今回の発言問題は民主主義国家の政府与党内の発言として決して認められないものだ。与党内での発言は権力者の発言であり、弾圧につながる。一般市民が勝手に発言するのとは訳が違うのだ。

僕は過去のブログで述べたように安倍政権を支持している。支持政党をコロコロと簡単に変えるのはあまりよろしくないとも思っている。どこの政党を支持するかは各自の自由だが、支持政党の行方をじっと見守ることも大事だと思う。

僕は安倍政権を支持しているが、残念なのが安倍氏の取り巻きたちだ。安倍首相自身は慎重に政策を動かしていても、取り巻きたちが安倍政権の盤石なことをいいことに好き勝手言い放題だ。そこには慎重のかけらもない。安倍政権の足を引っ張るだけである。しかしそれらの取り巻きをコントロールしきれていない安倍氏自身にも責任はある。安倍氏も対外政策だけではなく、党内の取りまとめに一度大きく取り組んではどうかと思う。そうでもしないと今の党内の現状では政権が足元からすくわれることにもなりかねないと僕は危惧している。

米宇宙ロケット打ち上げ失敗

アメリカの宇宙ベンチャー企業スペースX社のロケットの打ち上げが失敗した。その前は別のベンチャー企業の打ち上げも失敗している。これはアメリカの宇宙政策の失敗につながるのではないかと僕は危惧している。

数年前、アメリカはNASAのスペースシャトルの引退を宣言し、今はNASAは独自の宇宙船を持たない。スペースシャトル事業からの撤退の原因は、船体の老朽化とコスト高からだ。そこでスペースシャトルの穴埋めの役割を期待されているのがスペースX社だ。

スペースX社に一番求められていたのは、スペースシャトルでの問題点でもあったコスト問題の解決だ。そのためスペースX社の開発はコスト的には安く抑えられているものと思われる。しかしコスト安を重視して打ち上げの失敗すれば元も子もない。最近のロケット打ち上げ失敗でNASAの宇宙政策は見直しを迫られるかもしれない。

今回の失敗の影響は日本にも多岐的に及んでいる。その中の一つが日本の大学が作った観測カメラの打ち上げだ。しかし用意周到だったというべきか、予備まで含めて三台用意していたそうだ。次の打ち上げで再挑戦することになる。

思えばスペースシャトルは世界の子供の夢であった。スペースシャトルをみて宇宙飛行士に憧れた子供がたくさんいたものだ。コスト重視で宇宙政策を見直すのも仕方のないことかもしれないが、宇宙政策に夢は必須だと思う。子供たちの宇宙への夢が次世代の宇宙開発の原動力になる。子供たちの夢を甘く見ないでほしいものである。