投稿者「木原 康明」のアーカイブ

ビジネスにおける日韓問題

今、韓国で日本製品排斥運動が起きている。それと同時に日本でも韓国製品排斥の機運が高まっている。韓国での日本製品排斥の原因は、朴の反日運動によるものである。それに対して日本の韓国製品排斥運動の原因は、日本国内ではなく韓国の反日運動に対する反動による嫌韓が原因である。

韓国製品排斥の影響をもろに受けているのがサムスンだ。世界的にみるとサムスンのスマホは世界シェア1位をとっていた。しかし今はアップルの勢いに押されれる形で凋落の一方である。特に日本国内ではその傾向が顕著だ。

そのような現状に対する苦肉の策として、サムスンは日本国内でのサムスンブランドのアピールを廃止することにした。最新のサムスンスマホ本体にはサムスンのロゴはない。さらに日本国内での社名変更まで考えられているらしい。サムスンスマホの韓国色を消すのに躍起になっているのだ。

しかしそもそも以前から韓国製品は日本ではほとんど受け入れられなかった。韓国の現代(ヒュンダイ)自動車がいい例だ。日本に進出して10年ほどで撤退した。サムスンは韓流ブームに乗ってたまたま一時的に受け入れられたと言っていい。韓国製品のイメージは、高くも安くもなく、良くもなくというところであろう。

しかしここ十年以上は日本企業の方が世界的に失敗していた。携帯に限らず全ての物に「値段の高いガラパゴス商品」というレッテルが貼られた。すなわち世界標準を作れなかったのだ。サムスンは過去数年、世界標準を作るのにある程度成功した。それがテレビ・スマホの躍進につながったのだ。

デフレ脱却で日本企業が徐々に盛り返してきている。次世代の世界標準を何とかものにしてほしいが、いい意味でのガラパゴス性も日本の個性として打ち出していってほしいものである。

大阪の学力テスト問題について

4月21日、全国で学力調査テストがあった。このテストの本来の目的は、学力の地域的格差を把握することだ。しかし今回、大阪府がこの学力テストを高校受験の内申点に反映させると発表したことが物議を醸している。簡単に言えば、相対評価から絶対評価に転換するというわけだ。

初めに僕自身の意見を言うと、このことに関しては賛成だ。しかしいきなりこのシステムを導入するには準備がなさすぎだったことは問題かもしれない。

このテストを内申点に反映させることによって、学校がランク付けされること憂慮する人が多い。しかし今の日本の問題として、何事に関してもランク付け・順位付けすることに対してあまりにも嫌悪感を持ちすぎだということがあると思う。これはもうほとんどアレルギーというレベルだ。それでありながらランク付けに対する負の側面を厳密に議論されているところをほとんど聞いたことがない。

ランク付けを否定する人たちは大体平等性に関して敏感だ。しかしそれらの人たちは平等という言葉の意味を履き違えている。できる人とできない人を同等に扱うことが平等ではない。能力に応じてそれ相応の扱いをするのが本来の平等だ。もちろんペーパー一つで簡単に優劣をつけられないこともたくさんある。しかし、才能のあるものに対して才能を認めることも大事である。

大人になれば否が応でも競争にさらされる。中学高校まで競争を否定しながら大人になってすべて競争だと豹変させるのは、それはそれで酷だと思う。確かに競争がすべてではない。個性・オリジナリティも非常に重要だ。しかし順位をつけざる負えないことも多々ある。オリジナリティのない人がランク付けを否定してもそれは単なる愚痴でしかない。

ナンバー1はオンリー1でもある。しかしオンリー1はナンバー1ではない。もう一度人より優れた才能・技術をつけることに重きを置く大切さを説く時期にきているのではないかと思う。

猿橋賞が決定

猿橋賞というのがある。自然科学分野の女性研究者に毎年贈られる賞だ。今年の猿橋賞が、米ワシントン大の鳥居啓子教授(49)に送られることが決まった。専門は植物発生学という分野らしい。植物発生学と聞いてもいまいちピンとこないのだが、生命科学の研究者であることは予想がつく。

ところで僕は大学・大学院と数学物理関係の研究をしていたが、数学物理関係の女性研究者は本当に少なく、当時は女性研究者が少ないことは当たり前のことと感じていた。理系には女性研究者は少なく、だからこそたまにいる女性理系研究者・学生は「リケジョ」ともてはやされるのだが。理系の中でも数学物理は特に少ない。逆に生命関係の研究者には女性が多いように感じる。この様な女性理系研究者の少なさを解消するためにも、猿橋賞はできたのであろう。

海外の研究者でも日本ほどではなくても女性理系研究者は少ないが、重鎮とも呼ばれ女性研究者は昔から存在する。キュリー夫人は有名だが、数学・物理の双方で19世紀の終わりに活躍したエミー・ネーター女史なども数学物理をしている学生にはおなじみだ。

女性だからといって研究者の門戸を狭くしてはいけない。しかし女性だからといって優遇するのも間違っている。男女同じ目線で評価することが大事だ。それが男女平等につながってくる。

小保方ショックから女性研究者に対して多少評価が厳しくなったかもしれないが、多くの男性研究者を凌駕する大物女性研究者が現れるのを楽しみにしている。

頑張れ、花燃ゆ

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が低視聴率でバッシングを受けている。おそらく内容が地味すぎて一般受けしないのだろうと思う。しかし今年の「花燃ゆ」は僕はこれまでの大河ドラマの中では一番好きだ。数年前に三年にわたって流されたHNK特別ドラマ「坂の上の雲」は桁違いのスケールで、司馬遼太郎の原作もすごく良かったこともあり、史上最強のドラマだったのではないかと思うが、今回の花燃ゆは地味だが深いドラマだと思う。

吉田松陰の思想と行動は圧巻だ。吉田松陰を中心と見ると素晴らしい生き方を訴えてくる、圧巻のドラマと言える。ただ主役が松陰の妹であり、変に乙女チックな所を入れるのが、バランスを崩しているようで残念だ。圧巻の松陰も前半で処刑され、出番は終わる。その後は松陰の弟子の活躍が楽しみだ。

松陰とその弟子を主人公にして堅いドラマにすれば、その男臭さが半沢直樹を思い出させもっとヒットしていたのではないかとも思う。何はともあれまだ前半戦だ。これから巻き返してくることを楽しみにしている。

二足のわらじ

4月19日、とある記事を見た。二足のわらじを履く女性に関する記事だ。その女性の名前は小川理子さん(52歳)。一つの顔はパナソニック役員だ。パナソニック社員20万人以上いる中、役員は48人、全体の0.02%だ。パナソニック史上二人目の役員だそうだ。

もう一つの顔はジャズピアニストだ。そちらの方でもプロ級で、今までにCDを14枚も出しているそうだ。二足のわらじを履こうとすると、それらに優先順位をつけ、どれに重点を置くか迷うところだ。しかし彼女は仕事とピアノの両方を全力で取り組むことを決めたそうだ。

そこで一番悩むのが「時間のとり方」だ。二つのことを同時にするのだから、単純に考えると一つに使える時間は半分になる。その分それらを取り組んでいるときは集中力を倍にして取り組まないと成り立たない。

僕は今、五つのことに取り組んでいる。その五つのことに明確に順位をつけている。一番重要なことには命をかけてでも。そして順位に低いことは余った時間で。というふうに考えているが、この時間の使い方がとてつもなく難しい。そうでなくてもロングスリーパーなので使える時間が少なく、常に睡眠と時間の使い方で悩んでいる状態だ。

もちろん五つのこと全部で成功するつもりで取り組んでいる。とはいうものの、一番重要なことで成功すればいいと思うこともある。むしろそう考えているからこそ、それ以外のこともできるのかもしれない。

小川さんの二足は二つともとてつもなくレベルが高く、二つのプロの顔を持つ女性とでも言うべきかもしてないが、僕は一番重要なことは何が何でもプロに(本当は世界一を目指している)と思っている。いろいろな顔を持っている人は、人間としても非常に面白味のある人だと思うので、そのような面白味のある人間になることも目指していきたいと思う。

起業精神を押し付けるのは無責任だ

今に始まったことではないが、社会の中で、特に知識人がもっと起業しろ、起業精神を持てと煽っている。確かに起業して一から新しいことを始めることは素晴らしいことだ。そして成功すれば大きなリターンが入ってくるのも魅力だ。

しかし起業することはメリットばかりではない。もしかしたらメリットよりさらに大きいリスクがあるかもしれない。開業資金としてまとまったお金が必要だし、開業しても黒字に持っていくのは至難の業だ。

起業して成功する人の何倍もの失敗者が存在する。失敗してやり直そうかというレベルのことならまだいいが、莫大な借金を抱え自殺する人も後を絶たない。

田原総一郎氏は僕の好きな評論家のうちの一人だが、彼がやたらと企業しろ、起業精神を持てと叫んでいるのには納得できない。企業のメリットばかり取り上げて、リスクは一つもしゃべらないのである。田原氏に限らずビジネス雑誌などでも起業のリスクを取り上げたものは非常に少ない。そもそも田原氏は起業したことはあるのかと問いたい。

安易に起業するくらいなら起業しない方が絶対に良い。明確なビジョンと確固たる覚悟がある人だけが起業するべきなのだ。

20代、30代の死因第一位は自殺だ。もちろん自殺の原因は精神疾患など様々だと思うが、事業の失敗による借金が原因の自殺もかなり多い。この様に間違えば命のかかわるようなことを軽薄に煽り立てることは本当にやめていただきたい。

最後に、僕自身も起業自身は否定しないし、果敢に取り組もうとする人は素晴らしいと思うが、安易に起業すること、そしてそのような風潮を煽り立てるのは止めなければならないと思っているのである。

政府のテレビ番組介入について

政府・自民党がNHKとテレビ朝日に対して事情聴取をした。NHKについての聴取は「クローズアップ現代」でのやらせについてであって、HNK側に明らかに放送倫理に違反があると思われるので仕方ないとは思うが、問題はテレビ朝日についてだ。

聴取はテレビ朝日の「報道ステーション」内でのやり取りに関することであって、具体的には解説者の古賀氏が政府の圧力を受けているという発言に対してであった。番組内での古賀氏の振る舞いは適切ではないにしても、報道の自由という観点では外部の組織が介入すべきことではない。ましてや今回は政府・自民党が直接聴取を行っており、番組への圧力以外の何物でもない。

別にアメリカ・イギリスが進歩しているからといって、米英と比較する必要はない。しかし今回の件は外国と比較するまでもなく明らかにおかしい。軍事政権の報道検閲と全く同じだ。これが本当に自由主義国家日本の政府のとるべき行動かと疑ってしまう。

安倍政権に関しては個人的には支持しているが、今回の件には全く支持することはできない。もしこのような強権政治を安倍政権が続けるようなら、自由主義国家日本の総理としての資質に疑問がもたれる。

経済政策も大事だが、言論の自由は生きていくうえで個人意思への尊重に対する一番身近な保障だ。これが認められないと半軍事政権状態だと言われても仕方がない。

近頃の選挙で安倍自民党が圧倒的勝利を続け、安倍総理もかなり強気な政策をとっているが、この強気が独裁状態になると総理交代も訴えていかなければならない。政権政党交代まで行かなくても、自民党内に石破氏など総理の資質を満たした人物は存在する。これからの石破氏などの党内抵抗勢力の安倍政権監視に期待したいところである。

信頼できる製品への流れ

最近、日本製回帰の流れが加速している。日本製への流れ、それは信頼性への流れである。デフレ脱却から日本経済全体に余裕ができたせいか、国民が安物への追求から少し高くても信頼できるものへと追求の方向を変えてきた。

その流れの直撃をもろに受けたのがマクドナルドだ。もちろん現在のマクドナルドの極度の不振は景気や日本の国民性だけではない。異物混入、そして10年ほど前からの藤田体制からの脱却による負の影響、それに今の日本の流れが後押しした形だ。そしてマクドナルドは現在日本の経済の失敗の象徴となった。

それに対して成功の象徴となったのはユニクロである。一昔前、ユニクロは安物の象徴だった。しかしそれが過去の日本にマッチし、急成長を遂げた。そして日本経済が変わった。それに準備していたかのようにユニクロは淡々と改革を進めていた。

今でもユニクロの価格の安さは変わりないが、昔と比べて製品は格段とよくなっている。ちょっとした良品が格安で買えるのである。これはユニクロの企業努力以外の何物でもない。確かに雇用に関してはブラックとも言われているが、それに関しても改革をしていこうというのが感じられる。

一番の企業努力は製品向上への追求である。繊維会社と共同開発し、その研究開発に多額の研究費を投じている。このことが現在のユニクロ成功の一番の核心だろう。利益追従だけを見ていたのでは今のユニクロはない。もちろん利益を出すことは最重要事項ではあるが。

失敗と成功の象徴としてマクドナルドとユニクロを見てきたが、この構図は現在の日本の産業全体に見て取れる。これからも日本経済は変わっていくであろうが、それに柔軟に対応して成長していく企業はどれくらい現われるであろうか。僕は経済学者ではないので予想はできないが、そのような企業が多々現れてくるのを楽しみにしている。

産経新聞韓国支局長、解放

つい数日前、産経新聞の加藤前韓国支局長が解放された。約8か月間韓国国外に出国できずに事実上の拘束状態だった。韓国といういびつな権力構造・病理が垣間見られた一件だった。

加藤氏は朴に対する私的な交際報道をめぐって、それは虚偽だと訴えられて拘束された。この報道が事実かどうかは定かではないが、それにより権力側が訴えるというのは対抗手段として間違っている。

朴は大統領であり、公人中の公人だ。国のトップである公人に対する交際報道は公的情報である。大統領ともあれば、あることないこと書かれるのは普通のことだ。もし間違ったことを書かれれば、報道機関を通して反論し本当のことを主張すればいいだけの話だ。しかも今回の話はセウォル号沈没事件発生時という緊急的事態の真っただ中での話で、朴は記事の真偽にかかわらず説明責任があったはずだ。

しかし説明責任などどこ吹く風、日本に対する個人的な恨みからか、権力により強引に処分しようとしてしまった。韓国には報道の自由などないと世界に訴えかけているようなものだ。

しかし救いだったのが、加藤氏の対応、産経新聞の対応、日本国政府の対応が非常に大人だったことだ。加藤氏には非常に災難な出来事であったが、今回の出来事を全体的に見れば日本にとって非常にプラスであったと思う。少なくとも世界はそう見ているはずだ。

日本は今まで大人すぎるところがあり、自国のことを非難されてもあえて反論しないことが多かった。それが日本の美徳であった。今回の件に対する対応はその大人的な面がプラスに働いたと思う。しかしこれからは世界標準として反論すべきところは反論しなければいけない。今、安倍総理はそのような方向に強気に持っていこうとしている。日本の国益のためにもそのような方向性は維持していかなければならない。

命の選別

新型出生前診断で胎児に異常の見つかった妊婦のうち、83%の妊婦が中絶を選んだらしい。この出生前診断はいろいろな問題・課題を抱えている。一言でそれがいいとか悪いとか言えない。

出生前に診断で産むか中絶するかを決めるのは、いわゆる「命の選別」にあたる。遺伝子に異常のある胎児は生まれる資格がないのか?現在、社会で障がい者を健常者と同じように接しようという流れの中で、この命の選別はそれに逆らうものではないのか?しかし育てる自信のない親に対して強制的に産めとは言えない。

ではそもそも異常のある新生児を育てるのは不可能なのか?まずこの問題に取り組むには社会がこの問題に対して積極的関心を持たなければならない。ダウン症の人たちには症状の重い人から健常者に近い人まで様々いる。しかしそれは健常者でも同じで健常者でも育てるのは難しい人はいるし、健常者もいつ重病にかかるかわからない。

ダウン症の人たちに一つの光を当てる人がいる。金澤翔子さんだ。今では有名なので知っている人も多いとは思うが、彼女はダウン症でありながら書道家として書道の道を極め、2年前のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を書かれた人だ。確かに見かけや話し方などの外見はダウン症を感じさせるが、書道に対しては日本を代表する書家になるなど輝くものもあるし、話す内容も非常にしっかりした信念を持って話されている。

確かにすべての障がい者がこのように輝けるとは思わない。健常者でも輝いている人は少ないのだから。

しかしきついことを言うようだが、中絶は殺人行為である。生まれる前だから殺人ではないなどとは決して言えない。ただ法的に殺人ではないだけであって、倫理的には殺人だ。しかしだからといって中絶者を一方的を責めることはできない。おそらく中絶する妊婦さんも非常につらく苦しいのだと思う。

これは答えのない問題と思う。したがってどれだけ時間がたっても結論は出せない。しかし命の選別行為は決してよくないことは確かだ。