投稿者「木原 康明」のアーカイブ

睡眠から1日が始まる。

ある本で、「1日は朝始まって就寝前に終わる」のではなく、「寝る時に1日が始まる」と考えるべきだという主張がされていた。まさしく、寝ている間には1日が始まっているのだ。

よくよく考えてみれば、この考え方は納得いく。夜の睡眠の質によって、起きてからの1日ががらりと変わる。睡眠時から戦いが始まっているのだ。

なぜこんなことを言うかと言うと、僕自身睡眠で非常に苦労しているからだ。

寝すぎたり寝不足だったり、睡眠のパターンがガタガタで、自分ではほとんどコントロールできない状態が続いている。睡眠障害の部類に入るのであろう。それだけに就寝前は戦闘モードで、しっかり寝てしっかり起きれるかということに対して非常に心を構えてしまう。

普通の人が簡単にできる事ができないということは、非常に苦しいものである。目標に向かって走っているのに、睡眠一つで中断される。極端に言えば、毎日の睡眠に人生がかかっているとも言える。

睡眠は一日の活動の外にあるのではない。睡眠から一日が始まる、そう考えるとうかうかといい加減な睡眠はできない。

YouTuber集団に、新しいビジネスのあり方を見る。

最近、お気に入りのYouTubeチャンネルがある。「釣りよかでしょう」というチャンネルだ。その名の通り、釣りに関する動画を製作して、YouTubeにアップしている”YouTuber集団”だ。

動画の質は非常に高く、内容も非常に面白いものになっている。特に、製作している彼ら自身が、動画製作をすごく楽しんでいる様子が伝わってくる。釣りをして撮影するところから、専門的な動画編集まで、全て彼らがやっている(ようだ)。

メンバーは6人くらいだそうだが、”釣りよかハウス”という家で共同生活をしている。釣りよかハウスは、釣りの準備と、動画製作の仕事場となっている。動画再生数が多いことで、Googleから表彰もされている。

彼らの仕事を見ていると、21世紀のIT社会における、新しい仕事形態が見えてくる。彼らは本当に楽しそうに釣りをし、フランクに(本人たちは真剣なのだろうが)動画製作の仕事をしている。こんな職場?は見たことがない。

釣りメディアと言えば、20世紀末に(関西で存在した)”週刊釣りサンデー”という釣り雑誌が(関西では)有名だが、”釣りよかでしょう”を観ていると、このようなメディアもありなのかと新時代を感じてしまう。

環境は自分で変えるしかない!

今、自分は試行錯誤(迷走?)している。特に、精神的に強くなるためにはどうすればよいか?どうすればパフォーマンスを上げることができるか?なかなか答えを出せないでいる。

しかし、目標点は見えている。そこへ向かって走るだけなのだが、それがなかなか難しい。自分にしかできないことがある一方、普通の人が簡単にできる事ができなかったりする。

今が正念場と言いつつ、その正念場がずっと続いている。正念場では力が出るものかもしれないが、これだけずっと正念場が続いているとさすがに精神的に苦しいところがある。でも、乗り切れる自信があるから、試行錯誤して走ろうとしている。

結果が出せないでいると、周りの環境もますます厳しくなっていくが、その環境を変える唯一の手段は結果を出すこと。環境は自分で変えるものだと思っている。

つい、周りに原因を押し付けたくなるが、結局自分の人生の責任のほとんどは自分にある。

精神的な弱さと、苦しくてもぶれずに進む強さ、この双方を持ち合わせていると自分では思っている。自分は弱い人間なのか、強い人間なのか、良くわからないが、結果的に現状を乗り切って、強い人間だったと言えるようにしたい。

読書に何を求めるか?

東洋経済オンラインで、武田鉄矢が「読書に実用性だけ求めても空しい」と述べている。最近の自己啓発本ブームに一言を放った言葉だ。

読書に何を求めるか、それは人それぞれだと思うが、本の内容に自分を丸投げするのはどうかと思う。本に書いてあることを実践すれば必ずうまくいくと思い、本に救いを求める人。まだそれを実行して前向きに歩いているのならばいいが、読んでそれだけで満足する人も多いのではないか。

読書とは、自分形成の手段だと僕は思っている。しかし、本を一冊読んだからと言ってすぐに自分が変われるわけではない。また見方を変えると、今の自分を確固たるものにするために読書をするということもあるだろう。すなわち、自分が変わらないために読むというものだ。

武田鉄矢がメンバーとして活躍していたグループ”海援隊”の名前は、司馬遼太郎の”竜馬が行く”から取ったものだそうだ。

読書とは一期一会だとよく言うが、読書が人生の岐路での進む道への指針となることもあるだろう。

そして読書をもとに、アウトプットすることも大事だ。アウトプットとは、広い意味で、「どう生き、どう表現するか」ということだ。その手段の一つが”働く”ということ。武田鉄矢は「労働者が仕事にやりがいを見つけるためには、給料以上に働かないかぎりは湧いてこない」と述べている。これは何もサービス残業のことを言っているのではない。仕事というものに対してどういう見方をすればいいか、ということを示唆しているのだろうと思う。

好きなことを仕事にするために進んでいくことも一つの手段であるが、今やっている仕事を極めるということも大きなやりがいにつながるであろう。

山中伸弥先生の言葉。

個人的な話ですが、僕は(日本国民の多くもそうだとは思うのですが)、山中伸弥先生のことは非常に尊敬していて、憧れの研究者でもある。言うまでもなく、山中先生とは、iPS細胞を発見した山中教授の事である。山中先生は研究者として超一流であるが、人間としても頭が上がらないくらい素晴らしい人だと思っている。

その山中伸弥先生の言葉(モットー)が、”VW”だそうだ。もちろん車のフォルックスワーゲンの事ではない。Vision and HardWork の頭文字である。Visionとは”展望”、そしてHardWork は”熱心に働く”と言うことである。このどちらが欠けてもいけない。日本人はHardWork は得意だが、Vision がない人が多いと山中先生はおっしゃられている。

VW を少し言葉を変えれば、考えて方向が定まったらすぐに行動しろ、と言うことかもしれない。”頭”と”体”、これは物事を進める上での両軸であり、この両軸を上手く働かせることが、あらゆることに対して成功の秘訣だと言えるのではないかと思う。

本音を言うとたたかれる社会。

社会に建前はつきものだが、本音と建前の使い分けは簡単ではないようだ。現在のネット社会では、本音を言うと炎上するといった事態が起こることは日常茶飯事である。もちろん、政治家に限って言えば、その一言が国の行方を左右されるため慎重に発言してもらいたいが、普通の人が本音を喋れない社会はストレスがたまるものだ。

テレビを観ていても、当たり障りのない建前ばかりで、いつからこのような仮面をかぶった社会になったのやらと、観ている方もストレスがたまる。本音でしゃべっているのはビートたけしくらいではないかと思う。ビートたけしは本音でしゃべっても皆が納得してしまうので、本音を喋るビートたけしはますます貴重な存在になっているのではないか。

社会も家の中もストレスの塊である。ストレスから逃れるためにはどうすればいいのか?精神のコントロールに苦労する次第である。

時間はなぜ過去から未来に、一方向にしか流れないのか?

当たり前の話だが、時間は過去から未来にしか流れない。未来から過去には流れることはない。たまにタイムマシンの話題も出てくるが、少なくとも現時点で未来から過去に流れる現象は観測されていない。

時間が過去から未来にしか流れないことを、「時間の矢」という。時間の矢の問題は、人類誕生以来数万年(もっと長いか?)の謎である。実はこの問題は古くから物理学者たちも、科学的に説明しようと試みてきたが、現在も解決の決定打は出ていない。

時間の矢の問題の謎に関するキーは、”エントロピー”という物理量にあることは、多くの物理学者の認識するところだ。しかし、エントロピーとは関係ないところから時間理論が出てくることも、十分に考えられる。

昨今の物理界は、超弦理論などの流行りの理論に飛びつく傾向があるが、古くからある根源的な重要問題に取り掛かることも非常に重要である。

未解決の数学の話。

数学の未解決問題と言えば、真っ先に、クレイ数学研究所が提示した7つの”ミレニアム懸賞問題”が思いつく。この7問には、1問につき約1億円の懸賞金がかけられている。現在までに解決されたのは、ペレルマンによる”ポアンカレ予想”の一問だけだ。

この7問は数学の未解決問題となっているが、中には物理に近いものも含まれている。流体力学の”ナビエ・ストークスの方程式”も物理に近い一問であろう。

そのほかに、”4次元ヤン・ミルズ理論”と言うものが含まれている。この問題は簡単に言うと、ヤン・ミルズ理論という物理(素粒子論)の理論を数学として厳密に構成しろ、という問題だ。

ヤン・ミルズ理論の”物理”としての研究は非常に発展して盛んに行われているが、”数学”としての研究は現在は行き詰っているようだ。状況としては2次元・3次元理論でもがき苦しんでいるという感じで、とてもじゃないけど4次元まで手を出せないというところか。

この理論は、幾何学的アプローチと言う観点からは数学としても非常に完成度が高い研究がされている。問題は関数解析的観点からの理論の存在証明だ。

ヤン・ミルズ理論の数学的構成の問題などは、懸賞問題になるほどのオープンプロブレム(公開されている問題)であるが、そのような問題以外にも、誰にも知られていない”問題を発見して”取り組むのも非常に価値ある研究である。と言うより、むしろ知られていない問題を見つけること自体が重要な研究と言える。

愛媛・今治殺人事件で参考人自殺。報道の論調がおかしい。

愛媛県今治市で起こった母子殺傷事件で、参考人として”任意”で事情聴取されていた、30代の女性が自殺した。そのことに関するテレビニュースなどの報道の論調があまりにもおかしい。

女性が自殺したことに関して、「警察はなぜ見張りをできなかったのか」とか、「女性警察官を付き添うべきだった」と言うような論調が繰り広げられている。

それに対して警察は、「それをすると、捜査の任意性が保てなくなる」というコメントをしている。

このやりとりに関して、僕は警察のコメントの方が真っ当であり、報道があまりにもおかし過ぎると考えている。

警察が言うように、捜査はあくまでも”任意”であり、自殺した女性が犯罪者だと確定したわけでもなんでもない。任意事情聴取である限り、任意性を保つことは絶対的に必要であり、聴取時点で女性の身の自由は保障されている。

日本では特に、”容疑者”=犯人、とみなす風潮が強いが、容疑者はあくまでも容疑であって、犯人と断定されているわけではない。ましてや、今回の女性は容疑者でさえもなく、社会的報道があたかも”犯人”とみなしているようなことは明らかにおかしすぎる。罪を確定させるのは裁判所であり、報道マスメディアでは断じてない。

精神的に得をするには。

「得をする」と言えば、お金や物に関しての事だと考えてしまう。それはそれでいいが、「”精神的”に得をする」事を考えるのは非常に大切だ。精神的な得が、あらゆることのパフォーマンスを上げる。

では、精神的に得をするとはどういうことか?単純な考えではあるが、「いかに精神的負担を少なくして行動できるか」ということだ。ストレス・プレッシャーなど、現代社会ではあらゆる精神的負担を受けながら生きていかなければいけない。大なり小なり、精神的負担は避けられないものだ。しかしそれをゼロにすることはできなくても、小さくすることはできるはずだ。

精神的負担を少なくするため、僕はいろいろなことを考え、行動して、模索している。もちろん簡単なことではないが、普段の思考パターンを工夫すれば、少しずつではあるが良くなってきているのを実感している。

最近は悩み症の僕であり、”すーだら節の無責任男”というほど陽気になるにはまだまだではあるが、度量のでかい人間を目指したい!