投稿者「木原 康明」のアーカイブ

「反対!」というのは意見じゃない

「「反対!」は意見じゃない」、これはお笑い芸人の松本人志さんの発言だ。確かに「反対だ!」という掛け声だけでは意見ではなく、単なる感情だ。意見を言うなら対案を示さなければいけない。現在多くの若者が街角で叫んでいるが、これは若者だけの話ではない。民主党を筆頭とする野党議員も同じだ。「反対!」とだけ言って対案を一切示そうとしない。若者がデモで叫ぶのはわかるが、国会議員がこのざまでは示しがつかない。

確かに安倍首相をはじめとする与党側にも問題はたくさんある。安倍首相本人に関しても、国のトップとしての説明責任が果たせていない。そして安倍首相の周辺は大量当選の結果にあぐらをかいている。ここ最近の自民党議員の問題発言の連発も緊張感が欠けている証拠だ。

とはいえ野党も情けない。この与党の緊張感の欠けた今こそ論を正し追求するチャンスなのに、結局対案も出せず、論も正せず、与党のすること何でも反対、全く責任野党・対立野党の体を成していない。真正面から論的に対立することさえできていないのである。もちろん党首レベルの人物、例えば民主党の岡田氏などはそれなりの発言をしてくる。しかしその他大勢の議員は小学生レベルだ。小学生の喧嘩しかできないでいる。

松本人志氏が言うように、「反対!」だけでは物事は進まない。何がおかしくどうすればいいのか、与党が納得するくらいの迫力ある論が欲しい。

民主党は現在野党第一党だが、内容は限りなく幼稚なレベルだ。これでは与野党逆転どころか尻すぼみになっていく可能性の方が高いように思える。

アフリカ・マリで立てこもり事件

西アフリカのマリで立てこもり・銃撃事件が起きた。それによりPKO(国連平和維持活動)関係者1人と兵士複数が死亡した。PKOは混乱が収まり立ち直ろうとする地域に派遣されるもので、このPKO関係者は武装していなかったと思われる。言わばそこは建前上は安全地域とされていたわけで、安全地域で銃撃死亡事件が起きたことになる。

現在自衛隊の海外派兵が問題になっているが、その条件は安全地域及び後方支援に限定するということになっている。しかし安全地域とそうでない地域とは厳密に区別することなどは不可能だ。現に世界で一番安全と言われている日本でも殺人事件が年に数多く起きている。

安全な地域に派遣するのだから民間人を派遣すればよいと言った議員もいるが、全く馬鹿げた話だ。本当に安全な所なら派兵という話自体起こらないはずだ。危険はどこに潜んでいるかわからない。だから武装した自衛隊を派遣すると言っているのだ。安全な日本でも凶悪事件は起きる。だから警察は武装している。この様に日本のすべての地域で多数の武装した警官がパトロールしていることを忘れてはいけない。

もちろん敵を触発させ、紛争を拡大させるような派兵だけは絶対にしてはならない。しかし安全には犠牲は伴う。実際に日本国内でも武装した警官が年に複数犠牲になっている。しかし自衛隊に入らない自由が日本にはある。他国の紛争の現場に行きたくない人は行かない自由があるのだ。そのうえで入隊を志願する自衛隊員には頭が上がらない。今の日本の高い地位を維持できる一つの要因は彼らのような志高き人たちがいるからだということは忘れてはいけない。

福島第一原発とは

福島第一原発と言えば、事故・放射線汚染など負のイメージばかり持たれている方が多いと思う。実際福島第一原発がもたらした負の遺産は限りなく多い。それによって被害を受けている方も多くいる。どうしても福島第一のことを考えるとネガティブなことしか頭をよぎらないかもしれないが、ここでは誰も言おうとしないポジティブな事について触れようと思う。福島第一の「正」のことを話すというと不謹慎だと無条件に反発したくなる人も多いとは思うが、実際にポジティブに考えることができる事もあるのである。

まず一番に、現在の福島第一は日本の科学の最先端、さらに日本の英知が集約されていると言える。なぜなら福島の処理の仕方次第で住民の、そして日本の将来が変わってくるからである。例えば無人ロボット、あるいは放射線流出防護施設、さらに放射線物質を直接扱うには最先端の科学技術が必要だ。まさに福島第一は最新科学の実験場なのである。世界で福島第一でしかできないことも多々あるのである。福島第一からさらなる新しい技術も生まれるだろう。

そしてもう一つは廃炉技術に関することである。廃炉技術とはとてつもなく難解な作業である。古いビルのようにただ壊すだけというようにはいかない。福島第一の事故が起こる以前、日本には福井に「ふげん」という廃炉研究施設があった。もちろん今でもある。ふげんでの廃炉研究は数十年スパンでの研究計画が立てられていた。廃炉とはそれほど困難な作業なのである。しかし福島第一の事故により時間の猶予は全て吹っ飛んだ。今すぐにでも廃炉技術を確立させることが要求されたのである。福島第一の事故により、ふげん計画の比にならないスピードで廃炉研究は進むだろう。

現在世界には数百基の原発が存在する。そしてその全てがいずれは廃炉を迎えることになる。しかし現在、廃炉技術は世界のどの国も確立した技術を持っていない。その時には福島第一での経験と技術が大きな力になるであろう。日本は廃炉技術大国と言われるかもしれない。

これらのことは福島の住民にすれば不謹慎と取られるかもしれないが、福島第一の負の影響については多くの人が述べてきた。そこでその反対「正」の側面も誰かが言わなければ中立な判断ができなくなり、正常な評価ができなくなる。そこであえてこのような内容のブログを書くことにした次第である。

原爆だけじゃない、手段の違いで罪を決めるな

8月6日、広島の原爆投下70年を迎えた。原爆の悲惨さは様々な所で語られている。それは非常に大事なことだ。しかし人間には寿命があり、あと数年・十数年もすればこの世から広島・長崎被爆者はこの地上から消える。そしていずれは僕たちもこの地上から消えることになる。今はまさに被爆者当人から直接体験を聞く最後の段階に入っている。核兵器の悲惨さは決して忘れてはならない。

そして僕が常々思っていることが一つある。核戦争の悲惨さは決して繰り返してはならない。しかし悲惨なのは核兵器だけではない。焼夷弾の大量投下・機銃掃射・地雷、そして今まさに行われているISIL(イスラム国)の大量虐殺、これらすべてのことはどれがより悲惨かという順序など付けられない。原爆だけが特別なのではないのである。全てが特別、人間が人間を殺すという行為には違いない。

とはいえISILの行為を指をくわえて見ているだけでは悲惨さが拡大していくのは確実だ。そのISILに対して空爆を行う。これは必要悪というものかもしれない。そして一国平和主義の思想はもう通用しなくなっている。安保法案に対する安倍首相の行為には多数の疑問が残る。明らかに説明不足だ。集団的自衛権の思想自体は国際貢献度が高く、懇切丁寧に説明すれば国民も納得するはずだ。数々の成果を上げてきた安倍首相だけに、今回の安保法案の審議には非常に残念だ。

平和は口で言っているだけでは実現できない。何かしらの行動が必要だ。それはデモかもしれない。それはペンかもしれない。また最悪の場合それは空爆かもしれない。とにかく視野を広く持つことが大事だ。日本だけを見ていてはいけない。中東も、中央アジアも、アフリカも全て視野に入れ、全体が良くならないと意味がない。そして時間的にもそうだ。今だけではなく恒久的な平和が絶対的に必要なのである。

原爆だけが特別ではないが、広島・長崎の原爆は戦争の悲惨さの象徴である。唯一の被爆国として平和的行動をとること、それが日本しかできない日本が取るべき行動だ。

カジノ誘致は時代に逆行している

世界的にカジノがいたるところに建設される中、日本でも自民党・維新の党などが推進役になってカジノ建設へと動いている。日本では賭博は犯罪であり、ギャンブルが恒常的に社会問題化している中、なぜ今カジノ建設なのだろうか?

カジノ建設・誘致の目的は言うまでもなく税収のアップと地方創生だ。確かに税収がアップすることも地方を創生することもいいことに違いない。しかしそのためなら手段はどんなものでもいいのだろうか?

日本では博打は犯罪である。したがってカジノ建設は犯罪を誘致しているようなものである。もちろん今のままでは法に引っかかるので、カジノに対する例外的法案を立てようとしている。何が何でもカジノ誘致ありきという姿勢である。

韓国にはカジノが十数か所あるが、韓国民が入場できるカジノは江南道のカジノ一か所である。江南道は僻地であり地方創生が目的で作られたのであろう。しかしその江南道の今は凄まじいことになっている。消費者金融・質屋が乱立し、来場者が乗り付けた車を担保にお金を貸し付ける業者も多いらしい。江南道がどんなところか僕は知らないが、いくら僻地だと言ってもそんなところに住める人間は全うではないはずだ。少なくともまともな教育など不可能である。

そういう韓国だが、過去にパチンコ撲滅に成功している。パチンコも言うまでもなく実態は博打である。しかし日本政府は税収や政府支持率の落下を恐れてかパチンコ廃絶には一向に動く様子がない。もちろん国会議員の中にもパチンコ族などの抵抗勢力がいるのであろう。同じ博打である競艇の笹川一族の権力は有名だ。

そしてパチンコ廃絶どころか、新たにカジノという大規模博打場を建設しようとしているのである。もう今の日本は博打大国である。もっと全うなことで向上させようとは思わないなのだろうか?それともまともなことで活性化できないから犯罪行為によって活性化させようということだろうか。もちろん誘致しようとしている当事者には犯罪意識など全くないのだろう。

日本は世界第三の経済大国で、カジノなど頼らずに活性化を実現することは可能なはずだ。それにカジノについては正の要素よりも負の要素の方が圧倒的に多い。目先に利益だけを見ずに、長い目で見た国益を考慮すべきだ。まずはパチンコ撲滅に取り組むことから始めることを僕は望む。

スマートに生きたいか?

「スマートに生きる」と言っても、スマートとはいろいろな解釈・見方があるので、一概にどういう生き方がスマートだとは言えない。しかしスマートという言葉の解釈の一つに「失敗しない」ということが言えるのではないかと思う。実際にいかに失敗をしないでスマートに生きるかということを考えている人は多いと思う。もちろんそれはそれで立派なことだ。失敗しないで生きることができればどれだけ綺麗かと思ってしまう。

しかし失敗は自分が望むにしろ望まないにしろ、必ずどこかでしてしまう。もし失敗を全くしない人がいたら、宇宙飛行士の油井さんの父が言った「スーパーマン」以外の何物でもない。しかしほとんどの人はスーパーマンではない。僕に至っては「失敗マン」という言葉が似合うくらいだ。お洒落な服装をしてスマートな着こなしをしたいとは思っているが、こと生き方に関してはスマートとは正反対の泥臭い生き方をしている。

しかし失敗を後悔したことはない。もちろん失敗した時は悔しくて悔しくてしかたがない。しかし不思議なことに失敗というものは後になって役立つことが多い。その時、「あの時失敗してよかった」と思うのである。これはものの考えようだろうか。僕はどれだけ失敗してもあきらめることはほとんどない。とはいってもまだ成功したことの方が圧倒的に少ないが、成功の青写真は自分の頭の中で描いている。

失敗は決して無駄にしてはいけない。失敗を糧に変えるくらいの勢いが必要である。「転んでもただでは起きない」という精神である。もしかしたらこのまま失敗し続けて人生が終わるのかもしれない。少なくとも多くの周りの人はそう思っているであろう。しかし自分でいけると思っているうちは大丈夫、精神が死んでいない証拠である。

人間は知的精神的生命である。肉体と精神の互いを持ち合わしている。だから、「肉体の死」とは別に、「精神の死」がいずれやってくる。体は元気でも精神が死にかかっている人は多い。自分の体の健康を考える前に、自分の精神は健全かどうかを考えた方がいいかもしれない。生涯現役とは、肉体が死ぬまで精神が輝いている人のことである。

目指すぞ、生涯現役!

岡田民主党党首の朴大統領訪問で

8月3日、民主党の岡田党首が朴大統領を訪問した。その中で朴大統領は日本に対して、戦後70年安倍談話において、韓国に対して謝罪した村山談話を継承するように求めた。いったい何度謝罪すれば気が済むのかと思っている日本人は少なくないと思う。談話の中に、「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉を挿入せよと圧力をかけている。しかしこのような言葉は日本側が自発的に入れてこそ意味があって、韓国側が入れろというのはとんだ筋違いだ。これはもう、「これからも韓国が日本に対して付け入る隙を作れ」と言っているも同然だ。しかもこれを認めれば韓国側はさらに要求をエスカレートしてくるのは目に見えている。

ところで韓国側は、歴史の「再認識」という言葉を頻繁に使ってくる。「再認識」ということは、すでに「認識」しているということである。すでに認識していることをなぜ再認識しなければいけないのか。再認識をすれば、次は「再々認識」、そして「再々々認識」と延々と要求してくるわけだろう。

以前のブログで書いたように、アメリカ国民の60%は謝罪は必要ないと答えている。敵国だったアメリカがである。韓国は日本に勝利したと言っているが、日本は韓国と戦争した事実は全くない。当時の敵は米英中などであって、朝鮮は当時日本の保護下であった。保護下であった朝鮮と戦争とはいったいどういう論理なのであろうか?

もちろん戦時中、朝鮮(韓国)に対して行った犯罪に対しては謝罪しなければいけないが、すでに日本は韓国に対して謝罪しており、さらに事実無根、あるいは事実や規模が大きく歪曲されたことに対して謝罪する必要は全くないはずだ。

この全く筋違いのトンデモ国家の要求はいつまで続くのだろうか。

魚にも論理的思考能力

とあるニュースで、魚にも論理的思考能力があるという記事を見た。具体的には、AがBよりも強い。BがCよりも強い。ならばAはCよりも強いということを認識できるそうだ。実際に実験して確かめられたらしい。

高度な論理的思考能力は人間の特権だと思われていたが、単純な思考能力なら魚にもあるということだ。大げさにいえば魚にも小さな知性があると言えるのかもしれない。

海の中は魚にとってサバイバルだ。食うか食われるか。人間社会よりもシビアな世界かもしれない。そのようなサバイバルの中を生き残るために論理的思考能力を身に付けたと考えれば自然なことなのかもしれない。ダーウィンのいうところの「自然淘汰による進化」というところか。

ならば気になるのが、生物の階層の中で論理的思考を持つか持たないかのラインはどこにあるのかということである。はたして最下層に近いアメーバなどにもわずかながらでも論理を認識できるのか。

しかし論理で考えているのか本能なのか、その識別は難しい。さらにいえば本能も論理によって突き動かされているともいえる。微生物が臭いを検知してエサのある場所までたどり着くのは本能だと言えるが、その本能ははたして論理によって導かれたものだろうか。

こんなことを考えていけばもう概念の線引き自体が怪しくなる。少なくとも言えるのは、このような、論理があるかないかということが気になるのは人間だけだということだ。

大学発ベンチャー企業

ここ十年ほどだろうか、大学での活動がきっかけとして設立された企業、大学発ベンチャー企業が活発だ。しかしその内容は大きく変化しているらしい。というのは、十年ほど前ぐらいは大学発ベンチャー企業は主に私立大学がメインだったのだが、ここ五年ほどは国立大学の躍進が大きいのだ。その原因はベンチャー企業の内容が変化しているからだ。私立大学メインだった10年ほど前は大学発ベンチャーといえばIT関連がほとんどだったのが、最近は生命科学・医学分野が大きく勢力を伸ばしているのだ。

ITがメインだった頃、ITの性質上、個人や小規模的つながりであってもアイデア一つで勝負に出ることができた。それに対して生命科学・医学分野は大学での研究と直結しており、また内容が専門的かつ高度なため研究に重点を置いているトップレベル国立大学が非常に有利になったのである。実際東大・京大がベンチャー企業の数を大きく伸ばしている。

IT社会と言われて久しいが、ITブームも少し一段落したこともあって大学発ITベンチャーも落ち着いてきたのであろう。それに対して生命科学・医学関連はここ十数年ほど激動とも言われるような大きな動きがあった。まず21世紀初めのヒトゲノム(人の遺伝子情報)の解析が完成したことであろう。その結果が最近実用にも応用され遺伝子検診などのサービスなどに結び付いている。

さらにもう一つ見逃せないのが、京都大学の山中伸弥教授によるiPS細胞の発見であろう。iPS細胞の発見は直接的・間接的に生命科学・医学分野を大きく触発し、この分野の実用にも大きく影響を与えている。iPS細胞自体の直接的な実用への応用は最近始まったばかりで、理化学研究所の高橋政代研究員の網膜の再生への応用が臨床段階に入ったことが記憶に新しい。iPS細胞は限りなく大きい潜在歴能力を秘めており、これから10年、20年かけて爆発的な応用的成果を上げることが予想される。

僕がいた名古屋大学でも小規模ながらベンチャーをサポートするような機関があり、これからどのような成果が出るか気になるところである。

朴大統領の妹・朴クンリョン氏

今、韓国国内で朴大統領の妹、朴クンリョン氏が物議を醸している。日本人もびっくりすることに、日本擁護ととらえられる発言を繰り返しているのだ。今の韓国内で日本擁護的発言ができる人はこの人しかいないだろう。

具体的には、

「天皇が謝罪しているのに、首相が変わるごとに謝罪を要求することはない」

「靖国問題に韓国が口出しすることは内政干渉だ」

「慰安婦は韓国国民が面倒を見るべきだ」

などの発言だ。この様な発言をしたのが朴大統領の妹とは日本人としても信じられない。なぜここまで親日的発言を繰り返すのだろうかと思うが、一つの理由として朴大統領への反発があるようだ。朴大統領とクンリョン氏の関係は良好ではないらしい。

しかしこの様な発言は冷静に考えると全く当たり前のことであるが、今までの反日運動を見てきて日本人である我々も感覚が麻痺している。

もちろんクンリョン氏が親日だからと言ってどうなるということではないが、半独裁状態の朴政権の首領朴大統領に真正面から物を言えるのはクンリョン氏しかいないかもしれない。

今の反日一色の韓国情勢を一気に変えることはできないが、クンリョン氏が何かのきっかけになるかもしれないと淡い期待を持ってしまう。