投稿者「木原 康明」のアーカイブ

FIFAの腐敗と汚職

FIFA(国際サッカー連盟)の汚職に捜査のメスが入った。捜査の対象になったのは14人の幹部、そして金額にして180億円にもなる。夢を売る職業に関わっている人たちがいつの間にかサッカーそっちのけで拝金主義に走っているのである。

あ~、本当に大人は汚い。二日前のブログでも書いたが、大人なんて何も偉くないし、立派でもない。もちろん立派な大人もいるが。こんな腐った大人たちが子供に教育し、子供に夢を与えるなんておかしな話だ。むしろ大人が子供から学んだ方がいいくらいかもしれない。

本当に心が暗くなるニュースだ。

専守防衛

日本の安保政策の大原則は「専守防衛」だ。敵から攻撃を受けて初めて自衛行動をとる。もちろんこれでは対応できないこともある。何かが起きてから動いては遅い場合もあるのだ。安倍首相はこの二つの考えの間のバランスを模索しているように思える。

日米同盟は非常に重要だが、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることがあってはならない。しかし「米国の戦争に巻き込まれる」という言葉の定義もしっかりしなければならない。日米双方に密接に関係ある戦争が起こらないとは限らない。その時はもちろん「巻き込まれる」という言葉は相応しくない。

今の安保政策の大筋はほぼ決まっている。今は細部を詰める段階だ。ここで曖昧な解釈を残すと後に大問題に発展する可能性があるので、抜かりのないように議論してもらいたい。

アイドルヘリウム事故に対する大人たちの対応

数か月前、アイドルグループの一人がバラエティ番組でヘリウムガスを吸引し(声質を変えるゲームのため)、意識を失って倒れた事故があったことを覚えているだろうか。一時は痙攣や意識障害があり、高次脳機能障害も心配されており、後遺症が心配だ。幸い現在はかなり回復しているようで、アイドル活動を再開しているようである。

僕はこの事故に対して非常に激怒している。事故が起こったことは仕方がない。激怒しているのは事故に対する事後の大人たちの対応だ。テレビ局側が会見を開いたのが事故から一週間後。会見では終始お茶を濁していたらしい。そして制作会社は事故直後にホームページの番組制作実績からこの番組を削除したようだ。本当に僕は怒り狂っている。

子供に犠牲を押し付けながら、大人たちは保身に終始する。この事故の件の対応からもわかるように、多くの大人なんて立派でもなんでもないのである。自分たちのことを社会人だから立派だと言いながらそれ以外の人間を見下す。それでいて不祥事が起これが保身・保身なのである。社会人という言葉なんて何の価値もない。そういう言葉を使って自分たちを誇示しているだけである。

岡村孝子さんの歌の歌詞にこんなフレーズがある。

「大人になるほど嘘を覚えた」

大人になり人間的に立派になる人ももちろんいるが、多くの人は肩書が立派になるにつれ人間性が没落していく。最近で一番いい例がNHKの籾井会長だろう。彼を見ればこの歌詞の意味もよくわかる。

とはいえ、被害にあったアイドルがほぼ回復し、復帰するまでになったことは喜ばしいことだ。被害にあったアイドルの本人の名前は公表されていないので誰かわからないが、このまま後遺症も残らず元気に成長していくことを応援したい。

「木を見て森を見ぬ」

安保法案の議論に対する安倍首相の言葉だ。

今、安保法案・集団的自衛権に関する詳細な議論と詰めがなされている。もちろん安倍首相をはじめとする与党は法案作成へまい進しているが、野党はその細部に対してケチをつけ続けている。ケチをつけていると言っても、与党のすることにケチをつけて監視するのが野党の役割と言えばそれまでだが、安倍首相のことばの通り「木を見て森を見ず」という感が強く感じられる。

そもそも自衛隊は何のために海外に出ようとしているのか。今日本に求められているのは自国の平和を守ると同時に「他国の平和も守る」ということだ。もちろんお節介な海外活動はしてはならないが、他国から平和を守るために日本の力を貸してほしいと言われれば力になるのが安倍首相が目指す方向だ。

安倍首相は「木を見て森を見ず」と言ったが、「木も見て森も見る」、つまり大局観と細部の両方はそれぞれ両輪であって、どちらの観点が欠けてもダメなのである。

僕自身が海外派兵されるわけではないので勝手なことは言えないが、自衛隊が海外派兵して死傷する事態が起こるのはもちろん想定しなければならないことかもしれない。自衛隊員が死傷することに対して「そうなったら誰が責任がとるのだ」という声があるが、誰が責任をとるという問題ではない。日本の自衛隊は徴兵制ではなく、それぞれの自衛隊員は納得して入隊している。もちろん海外派兵されて負傷する事態もそれぞれの自衛隊員は想定しているであろう。有事の際に派遣拒否するような自衛隊員は詐欺隊員だ。

日本では自衛隊の安全ばかりが議論になるが、世界で安全を守っている自衛隊・軍人は日本だけではない。日本がいかなければ他国が傷つく。他国の部隊が負傷することはどうでもいい問題なのか。これからは自衛隊だけではなくて、派遣されている全ての国の部隊全体の安全と貢献を考え、一国の考えだけでなく関連する全ての国の連携を考えて動かなければならない。

訪中団の歓迎

現在、自民党の二階総務会長をはじめとする三千人規模の訪中団が中国で歓待を受けている。今までの反日ムードとは打って変わったような歓待だ。特に中国トップの習近平主席が訪中団三千人の前でスピーチしたことは驚きに値する。いったいこの変わりようは何なのか。一時的なものなのか。

一つの大きな理由として、やはり日本の経済力は無視できないと気付きだしたことかもしれない。やはり経済規模世界第二位の中国と第三位の日本の経済の相乗効果は計り知れない。

そしてもう一つの理由であるが、日本と中国が接近して非常に痛い国がある。韓国である。韓国は今まで中国に最接近し、猛烈な反日で中国と共闘してきた。しかしそれだけの猛烈な反日活動ができたのも後ろに中国がいたからできたことである。そこで日本と中国が接近すれば韓国ははしごを外された形になる。この様に日本と韓国とをうまく操ろうと考えてのことなら、中国の策は巧妙だ。

軍事面はともあれ、経済面・民間交流の分野ではこの流れはいい形になるだろう。この中国のポーズが一時的なことか、継続的な事か、それは夏に発表される安倍談話に対する評価によってすべてがわかる。

歪曲?美化?

中国の習氏は、日本の先の大戦に対する歪曲・美化を許さないと訴えかけた。歪曲?美化?はたして日本の、そして安倍首相は一度でもそんなことを主張したであろうか?歪曲や美化、それはそのまま中国、そして習氏に当てはまる言葉ではないだろうか。

中国、習氏は先の大戦に対して一方的に自国の美化に終始し、歪曲し続けているのではないかと思う。しかしこんなことを反論しても通じる相手ではない。日本は中国に対してではなく、世界に対して正当な理論を主張しなければならない。

そこで基調となる指針としては、「整合性のある筋の通った主張は必ず通じる」、これを正直なまでも突き通すことだと思う。持論を突破する唯一の指針はこれのみだ。これ以外に世界を納得させる手法はない。変な小手先の細工を施すことだけは絶対にやってはならない。

中国の主張することに対する反論を突き通すには、これ一つしかない。

核兵器を「使わせない」

現在、核拡散防止条約(NPT)について議論されている。日本が呼びかけている各国首脳の被爆地訪問に賛同する国々は多いが、一国だけそれに反対している。中国だ。NPTの文書は全会一致が原則だ。従って中国一国が反対すれば採択されない。

中国は「歴史認識の歪曲」を主張して反対意見を述べているのだが、歴史を「歪曲」し「直視」しないのは全く持って中国の方だ。日本は被害者の立場を主張したくて被爆地訪問を訴えているのではない。核兵器の悲惨さを世界に理解してもらうために訴えているのだ。その核兵器の悲惨さを中国は理解しようとしない。

ところで核兵器が世界から廃絶されるにこしたことはない。しかし現実問題として現在はそれは不可能な状況だ。ならば核兵器を「使わせない」ようにしなければならない。そのためには単に核兵器をなくすだけでは全く効果はない。理性ある国が必要最小限の核兵器を保有することによって、その他の核保有国が核使用することを抑止する。

とはいえ現在、核保有国と非核保有国の間での認識ギャップはかなり大きい。核保有国のエゴがまかり通っているとは言えなくもない。核に関する議論はかなり歪んだ状態にあるように思えるが、とはいえ現段階では核を「使わせない」体制を世界で維持しなければならない。

「太平洋は米中だけのものではない」

「太平洋は米中だけのものではない」とは森元首相の発言。もっともであるが、これは中国の習近平主席の「広大な太平洋は米中の2大国を受け入れるのに十分な空間がある」という発言に対してのものだと思われる。

習近平の勘違いも甚だしい。いったいいつの時代の思想なのか。中国は戦前日本の帝国主義を大々的に批判しているが、習氏の考えは戦前日本の帝国主義を地で這うものである。おそらくアメリカも習氏の発言を聞いてあきれていることだろう。太平洋の大小の島しょ国は完全に無視した発言である。

この様に、中国は完全に歴史を逆行している。習氏には世界の歴史をしっかり学んでほしいものである。中国は歴史を忘れてはならない。

しかし中国の経済力は莫大だ。世界は中国の経済を無視できないでいる。それがために中国に対して何も言えないでいる国家が多い。イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国もしかりである。おそらく中国のに真っ向から意見をぶつけることができるのは米国、そしてその次に日本ではないだろうか。中国の隣に位置する日本は中国を監視する役目を務めることが世界から期待されているのではないだろうか。

高齢者負担と若者へのしわ寄せ

最近、何かと高齢者への負担増加に対する反発が話題になる。年金受給額の引き上げをはじめ高齢者への負担増加が迫られている。

高齢者の反発の声は頻繁に話題になるが、それは高齢者は有権者である(当たり前の事だが)ことと、選挙投票率の高さがものを言っているからであろう。

しかし高齢者負担よりもっと深刻な問題がある。若者への負担しわ寄せである。特に20歳未満の子供・青少年には選挙権がなく、実質的に発言の場がない。20歳以上の若者に関しては、高齢者よりも数が少なく、選挙投票率が低い(これは若者の責任でもあるが)こともあり、社会では若者の存在が軽く見られている。

いまの国の国民に対するサポート体制は半分自転車操業的な様相を感じる。多くの若者は現在を生きることに必死で明日を考える余裕がないように見える。このことはもう高齢者負担増の問題の比ではない。数年後、数十年後に出てくる問題なのでまだ切迫感はないが、そろそろ問題の焦点を高齢者から若者に当てなければならないのではないかと思う。

高齢者だけを見ていては根本的な解決は一切なされない。若者たちを取り巻く状況を改善し、若者たちの問題に真剣に取り組むことが、国全体の問題を解決する先鞭になる。すぐに解決する問題ではもちろんないが、長期的な観点から若者たちの未来を考えていかなければならない。

これからの維新の会

今回の大阪市住民投票で維新の会が進める大阪都構想が敗れた。差はたった1%ほど。反対派は勝利したと雄たけびを挙げ、賛成派は負けを認めることになった。しかし結果は51対49。これは構想反対の結果を市民すべての民意だと受け取るにはあまりにも厳しい結果だ。勝利の祝杯を挙げる自民党議員がいる中、一人の自民党幹部は厳しい表情を浮かべていた。「この投票に勝者も敗者もない」と。

ところで今回の結果を受けての橋下氏の振る舞いは非常に潔い。反対派多数の確定が決まるや、即、大阪市長辞任ではなく政界引退を表明された。この橋下氏の進退、そして投票結果を受けての発言を聴くと、民主主義への多大な尊敬の念がうかがえる。橋下氏と言えば多少強引な手腕に頼るところがあり、好き嫌いのはっきり分かれる政治家であったが、今まで振り返ると要所要所では民意を聞き取ることにこだわっていたように思う。まさに強いリーダーシップを持った民主主義者ではなかったのではないだろうか。

これからの維新の会、そして維新の党であるが、いまメディアでは橋下氏がいなくなった維新は求心力をなくし、急速に勢力を落としていくのではないかと言われている。しかしこの橋下氏の会見、進退などの振る舞いを見て、好感を持った市民は多いはずだ。橋下氏は来年はもういないが、この橋下氏の残した遺産はこれからの維新に対してプラスの方向へ大きく作用するのではないかと思う。この橋下氏の遺産を生かすも殺すもこれからの維新の議員の政策・実行力・決断力次第である。