投稿者「木原 康明」のアーカイブ

科学と科学技術

日本では特に、科学(サイエンス)と技術(テクノロジー)をひとまとめにして「科学技術」と言われることが多い。技術は科学に基づいているとはいえ、科学と技術は区別しなければならない。

技術は社会への応用・人の役に立つものという色彩が強い。しかし科学(サイエンス)は純粋に自然への探求心に基づくものであって、本来は人に役立てるためにするものではない。結果論として人の役に立つことが往々にあるということである。

しかしこの科学と技術を科学技術とひとまとめにすることによって、科学(サイエンス)自身が役に立つものとみられ、役に立たない科学は価値がないと思われるようになる。

科学(サイエンス)をやっていると言うと、「何の役に立つのですか?」と聞かれることが多いが、僕ははっきり「役に立ちません」と答えることにしている。うやむやにごまかして役に立つこともあるなんていうことはいわない。

しかしこの役に立たない科学は、長い目で見ると大きく役に立つことが多い。ただ現時点では何に役に立つのかわからないだけなのである。何かに役に立つように研究されていものより、むしろ何に役に立つかわからない基礎研究の方が後々大きく役に立つことが多いのである。

科学の価値を判断するときに、役に立つかという論点は一つの目安かもしれないが、純粋に科学的価値を判断することも忘れてはならない。

イスラムの問題か、解釈の問題か

中東周辺の対立がもう何十年も(何百年も?)続いたままである。つい数年前までは中東の問題と言えばイスラエルとアラブ諸国との対立が中心だったが、今ではもっぱらISIL(イスラム国)の問題が中心だ。

なぜ中東ではこうも争いが続くのだろう。イスラムの教えに問題があるのか?しかしイスラムを信仰しているイスラム市民にも善良な市民はたくさんいるはずだ。イスラム教の教義が悪いわけではない。問題はその解釈にあるのだろう。いわゆる原理主義とか過激派とかいわれる組織だ。イスラムの教えを自分達に都合のいいように捻じ曲げて、人々を傷殺する奴らだ。奴らはイスラムを掲げているが、真のイスラムではない。今のイスラム国だってイスラムという看板を掲げて傷殺行為に走っているだけだ。

読売新聞に面白いことが書いてあった。イスラム国の問題は一文明圏の問題を二文明圏の対立の問題にすり替えていると。確かにISILは異常に欧米など対民主主義圏の構図に持っていこうとする。それでいながらイスラム市民に対してさえ殺りく行為を行っている。彼らは自分たちを誇示したいだけだ。

ISILはイスラムという看板を掲げながらイスラム内でも対立している。イスラム教のことに詳しいわけでもなんでもないが、イスラムの教えとはそんなにもあらゆる解釈を導くものなのか、それとも過激派が自分たちの都合のいいことをでっち上げているだけなのか、僕にははっきりわからないが・・・

ギリシャが独に36兆円の賠償請求

ギリシャがドイツに36兆円の賠償金請求をしたそうだ。先の第二次世界大戦での賠償だ。なぜ終戦してから70年もたってそんなことを言いだすのだろうかと思うのだが。

ギリシャはここ数年の金融破綻的状態で、金融事情が非常に厳しい状態だった。そこでギリシャ政府は緊縮政策(すなわち倹約)を行ってきた。ところが国民がこの緊縮政策に嫌気がさして政権を否定し、緊縮政策反対を叫ぶ政権が発足した。

もちろん金融破綻状態のギリシャにお金に余裕があるはずがない。でも倹約は嫌だというのである。そこで他の国からお金を奪えとドイツに目をつけ、いわれのない因縁をつけたのである。

これによく似た国が日本の隣にもある。その国の因縁にはもう日本人は慣れてしまった感があるが、ギリシャのしていることを見ると上には上がいるものだなと変に感心してしまう。世界を見渡せばこのようなならず者国家は地方に一国二国くらいは存在するのかとも思ってしまう。

日本は戦後、非常に困窮した時期があった。レベルは違うが最近でも数年前までデフレ不況と言われていた。そこで日本国民は何とか頑張って乗り越えようと必死にもがいた。しかしギリシャ、そして我々の隣国は発想から違うのである。お金がないなら奪ってしまえという発想なのである。

日独がというより、真面目に頑張って発展しようとしている発展途上国・新興国に失礼な話である。この真面目にのし上がっていこうとしている途上国には我々も惜しみない援助をしていかなければならない。少なくともならず者の隣国にまわすお金があれば、途上国援助に少しでもまわしたほうがいい。

歴史認識問題卒業

福田康夫元首相が講演で、そろそろ歴史認識問題を卒業しなければいけないと発言したらしい。もっともである。戦後70年目で70年経っても隣国から70年前の歴史がどうこうと言われるのは異常である。日本人なら誰もが気付いていることだが、これは嫌がらせ以外の何物でもない。

ではなぜこんなにもしつこく嫌がらせを続けてくるのか。もちろんそれは韓国・中国にとってそうすることが都合がいいからであって、政治道具の常とう手段になっているからである。特に韓国では大統領支持率が下がったとき、必ず反日を煽って国民から受けようとする。もう考えが単細胞レベルである。

中国も韓国もわかっている。70年が意味することを。しかし一度やるとやめられないのである。逆にそれをやめてしまうと国民の方からバッシングされる。

日韓の間の信頼関係は完全に失ってしまった。それは政府文書にも明白に表示されるに至ったことでもわかる。韓国はアメリカとの関係でも最近こじれ始めてきている。頼るは中国だ。韓国はこれからアメリカの傘から外れて中国の傘に入ろうとしている。それに伴って日米関係はより一層重要な意味を持つことになるだろう。

韓国の政治は利害ではなく感情で動く。今の韓国は完全に「反日」という感情で動いている。これからは韓国は中国の属国的役割を果たすようになる。韓国を独立国として見るより、中国の一地方と見る方がすべてがわかりやすくなり理解できるであろう。

日本としては、中国との前線が38度線から日本海まで下りてくるわけだから、安全保障上のリスクはかなり高くなるだろう。以前の日米韓の防衛圏から日米二か国の防衛圏へと変わる。それに伴って日本国民の防衛上の負担は増すであろうが、東アジア情勢がこうなった今ではそこは覚悟しなければならない。

上西議員問題について

維新の党、上西議員の行動が今問題になっている。国会の予算審議を休んで旅行に出かけていたというものだ。上西議員自身は公務で行ったのであって、遊びに行ったわけではないと言っている。しかし問題はその釈明である。疑義がかけられたら公の場で堂々釈明すべきであった。しかしその対応を中途半端のまま曖昧に一日を過ごしていた。

これは旅行がどうのこうのという以前に、議員としての資質が疑われる対応である。維新の橋下氏があきれるのも無理はない。

しかも後になって休んだ予算審議の前日に同僚議員とパブに行っていたという事実まで出てきた。懇願されて行ったと言っているが、パブと予算審議のどちらが大事なんだと国民叫びたいだろう。

ここまでこのような話を書いたが、はっきり言って書く価値もないと思い始めたので、今日はもうこれ以上は書くのをやめることにする。

数日後になって上西氏が議員でいるかどうか、自分の資質を顧みて判断してもらいたい。

統一地方選挙のポスターで

今、統一地方選挙の選挙活動真っ最中だ。僕の住んでいるところでも、県議会議員選挙、市議会議員選挙が行われる。

そこで今日、立候補者がポスターを張っている掲示板をじっくり見てみた。当たり前のことかもしれないが、多くの候補者が甘い言葉、刺激のある言葉を大々的に宣伝していた。その中で一人の候補者のポスターに目が留まった。

気にしないと気付かなかったかもしれないが、その候補者のポスターは他の候補者と明らかに違った。何が違ったかというと、他の候補者がスローガンを全面的に押し出しているのに対し、その候補者は僕の住んでいる区のそれぞれの地区(8つほどに分けてある)に対して、一つの地区に五つほど取り組むべきこと(公約とでも言うべきか)を具体的に明示してあったのだ。8つの地区にそれぞれ五つの公約なので、全部では40くらいの公約であろうか。

勢いや刺激で当選しようという候補者が多い中、具体的政策を40も掲げて、しかもそれぞれの地区に対応した政策を掲げるのは大変なことである。選挙区民一人ひとりの顔を見てくれているなという気が非常に感じられたポスターであった。

もちろん選挙では僕はその候補者に投票しようと思う。その候補者の具体名、政党を挙げると選挙法違反になってしまうのであげられないが。

このような候補者はなかなかいないとは思うが、真摯に政治と向き合おうという気が感じられるか、それとも政党の力をバックにノリで議員になろうとしているだけなのか、ポスターをじっくり見るだけでもある程度は感じられるような気がする。

皆様の選挙区にはこのような候補者はいるか、一度ポスターに気を留めてみるのもいいのではないかと思います。

メダカでパーキンソン病を再現

京都大学の研究グループが、メダカを使ってパーキンソン病を再現することに成功したそうだ。

パーキンソン病は脳の伝達物質が減少し、筋肉の震えなどの症状が出る難病だ。これまでに治療方法は見つかっていない。

今回京都大学のグループは、メダカの遺伝子のうちの一つを抑制させることによってメダカにパーキンソン病の症状を出すことに成功した。遺伝子を操作して特定の症状を出すのは、iPS細胞の作製に通じるものがあるのではないかと私は思ってしまう。iPS細胞は、通常の細胞(例えば皮膚の細胞)に山中ファクターと呼ばれる四つの遺伝子を入れることによって万能細胞に変化させる。

21世紀の生物学・医学の研究の中心は「脳」の解明だと言われていた。1987年にノーベル医学生理学賞を受賞された利根川進博士も免疫の研究でノーベル賞を受賞し、脳の研究に移った。

1990年代のヒトゲノム解析計画から遺伝子の研究が躍進し、山中博士のiPS細胞の発見で一つの絶頂を迎えたのではないかと思う。iPS細胞の万能性によってiPS細胞をさまざまな病的な細胞に変化させ、それを(実験台として)利用し、創薬のペースが飛躍的に早くなることが予想されている。

今回のパーキンソン病のメダカの作成成功は、この病的なメダカを実験台にし、薬の有効性、治療方法の確立など、様々な期待を背負うだろう。

生物学・医学は単に科学の発展のみならず、病気の治療など人類への貢献度が非常に大きいものが多く、一つ一つの研究が持つ社会的意味合いも大きい。それはiPS細胞の医療への貢献が年々急拡大していることからも容易に感じられる。

今回のパーキンソン病のメダカの研究も、将来医療に大きく貢献させる、そんな予感を感じるものである。

核兵器廃絶に向けて

今日、各核保有国の核兵器保有数の一覧を見た。ロシアが8000発、アメリカが7000発、三位のフランスが300発と、ロシア・アメリカが圧倒的保有数を誇る。ちなみに北朝鮮は6~8発だ。

1980年代までの冷戦時代、米ソは核開発競争に興じていた。最盛期にはおそらく今の何倍も保有していたのではないかと思われる。核兵器削減が米ソ(ロシア)の間で交わされて少なくなったとはいえ、それでも8000発である。

今の核兵器は数発で地球を滅ぼす力があると言われている。8000発という現実離れした数は、自国の威信を示すための数字だと思われる。現在は核兵器を使用するような大規模戦争は現実的ではなく、地方紛争・テロ対策戦争が主戦場になっている。それに伴って使用兵器も変わってきており、核兵器ではなく劣化ウラン弾が問題になったりしている。

核兵器廃絶はもちろん重要だが、核でなければ何を使っていいというわけではもちろんない。どんな兵器でも人を傷つけ殺すものには変わりないのだから。被害にあった人々にしてみれば、核であろうと銃弾であろうと関係ない。

アメリカ製兵器は紛争地帯に流れ、そこで使用され、またアメリカが補給するというルートができている。それによってアメリカ軍需産業は成り立っている。今のアメリカは、自ら手を汚して血を流させることは少なくなっている。その究極が無人攻撃機だろう。中東で攻撃活動を行っている無人攻撃機はアメリカ国内のコントロール室から操縦されている。それに伴って攻撃している人々も攻撃している実感が希薄になっていく。

このように、攻撃に使用する武器、手段は年々変わっているが、武器や手段によって許されたり許されなかったりするのは明らかに間違いであり、必要悪として攻撃せざる負えない時は、人を傷つけている、殺害しているという実感を持つことは忘れてはならない。

野依理研理事長交代

理研のトップが野依良治氏から松本前京大総長に交代した。野依氏にとっては苦悩の理事職だったに違いない。STAP細胞不祥事時の理事長と記憶に残るだろう。今ではSTAP責任問題で揺れた野依体制であったが、野依氏が偉大な化学者だったことを忘れてはないだろうか。

野依氏は言わずと知れたノーベル賞化学者である。名古屋大学教授時代の2001年にノーベル化学賞を受賞されている。受賞時には大きく取りざたされて持ち上げられたものだが、それもこんなに手のひらを返されるような扱いをされるものかと悲しい気がした。

ノーベル賞受賞時は「鬼の野依」と呼ばれて、研究姿勢の厳しさが注目浴びた。それをあざ笑うかのような小保方氏の研究姿勢の甘さである。野依氏は理研中枢におり、小保方氏を直接指導することはなかったと思われるが、小保方氏にこの野依氏の厳しさが伝わっていればここまで大きな問題になっていなかったのではないかと悔やまれる。

野依氏はノーベル賞受賞以降、研究機関管理職として多忙を極めたと予測されるが、偉くなったからと管理職に登用するのはどうかと思う。野依氏のような超一流の化学者を最後まで第一線で現役として研究に打ち込める環境を与えるのも周りの役目ではないか。

なにはともあれ、野依さん、お疲れ様でした。これからまた研究生活に戻ってくれればと思っています。

日常を楽しむ

現代、いや現代に限らずいつの時代もストレス社会と言われている。仕事で疲れ、家に帰ってきては家族のプレッシャーが。一日中どこにいても休まる時がないという人も多いのではないか。

そこで一つ気分発散とお出かけすることになる。今の時期だとスキー・スノーボード、それから釣りや近くのゲームセンターに行くのかもしれない。しかしたまに特別なことをして気分を発散するのもいいが、普段の日常の中で気分発散でき、休まればそれに越したことはない。

僕の場合だと数理物理の研究が一番の心の安定剤になっている。結果はなかなか出なくても人生をそれにかけてるし、研究ができることが人生一番の幸せだと思っている。

最近は思ったことはすぐに行動に移すことにしている。行動に移すことはそれなりに精神的エネルギーを使うが、しかし少しずつ形になっていくのがすごく楽しい。一つ行動に移せば、一つ楽しめる。

嫌々やっていても何もいいことはない。どうせするならどんなこともエンジョイしたい。それから取り組むからには中途半端ではなく、何事にも全力でぶつかりたい。過去の自分は物理が一番大事と思うあまり、他のことに対して曖昧な態度をとり続けてしまった。しかし今はあらゆることにばく進中である。

ばく進は去年の12月のR-1ぐらんぷり予選に出場したことから始まった。結果は惨敗で悔しくはあったが。それまでお笑いに自分が挑戦するとは全く思っていなかった。しかしちょっとしたきっかけで出ることになり、そこから僕のばく進は始まった。

いま五つのことに取り組んでいる。もちろん全部成功させるつもりである。そして一つ気づいたことがある。

「何事も全力で取り組むことが、エンジョイすることにつながる」と。