投稿者「木原 康明」のアーカイブ

選挙権年齢引き下げ議論について

いま選挙権を20歳から18歳に引き下げようとする語論が行われている。この選挙権を2歳引き下げることによって新たに240万人の有権者が生まれることになる。

初めに僕の意見だが、僕自身は選挙権引き下げに大賛成である。現状として多くの政治家は若者よりも老人の顔色をうかがい、老人優遇の政策を打ち出し続けている。ニュースでも社会システムの問題について、若者に関するニュースより老人問題に関するニュースの方が圧倒的に多い。老人優遇の一方で若者は犠牲になっている。

政治の老人重視、若者軽視の理由は非常に単純で、単に老人の方が人口・投票率ともに高い(多い)ためだ。しかしこの2歳の選挙権引き下げによる240万の票の影響は非常に大きい。政治家も無視できないはずだ。そして若者重視の政治家も必ず増えるはずだ。しかしそのためにはこれらの若者が投票所に足を運び、若者の投票率を引き上げることが絶対的に必要だ。そうでないとこの効果は半減する。

また、選挙権引き下げにより、小・中・高校生の選挙に対する意識も高くなるはずだ。特に高校生は3年生が選挙権を持つことになる。これら青少年の選挙意識の向上が投票率の向上にもつながる。

政治家が若者優遇の政策を打ち出すことは、現在日本の一番の大問題である少子高齢化の対策にも大きく影響するはずだ。現在の少子高齢化の流れは小手先の政策操作では変わらない。政治家、そして日本国民の意識から変えていくことが必要だ。2歳の選挙権引き下げがそのきっかけとなりえると僕は考えている。政治家にはぜひとも前向きに考えてもらいたいものである。

就職活動のフィルター問題

今に始まったことではないが、就活生採用のフィルターがしばしば問題になる。もちろん一番大きなものは学歴フィルターだが、それ以外にも性別フィルター、出身地フィルターなどがあるらしい。

性別や出身地などはもちろん本人にはどうにもならないことなので、それをフィルターにするのは問題があるが、会社・業種などによっては特定の性別を欲している場合もあるので一概にこれを非難するのはどうかと思う。しかし合理性のないフィルターは確かに問題だ。

一番問題になる学歴フィルターだが、学歴に関しては努力で何とかなるものだと学歴フィルターに肯定的な意見がある。これには一理あるが、本来は学歴ではなく学生の才能・人間性を見て判断すべきである。とは言ってもエントリーシートや面接だけでこのようなことを判断するのは難しい、というより不可能に近い。最近はエントリーシート・面接についての訓練をするようなコンサルタントみたいな存在が大きく取り上げられ、就活生も表面重視で全力をつぎ込んでくる。

ならばあとは学歴で判断するしかない。学歴が絶対だとは言わないが、学歴が本人の才能を表している可能性は非常に高く、レベルの高い学校に入ろうという努力の方が、エントリーシート・面接で頑張ろうという努力よりも圧倒的に価値があるのは誰もが認めるところであろう。

とにもかくにも、フィルターがどうのこうの、面接がどうのこうのという前に、学校での勉強・研究に力を入れて打ち込んでほしいものである。それができない者にフィルターが問題だとかいう資格はない。

軍事技術の産業応用

今日もNHKでやっていた番組をヒントにお題を作らしていただいた。番組とは、戦後の日本の産業成長の足跡に関するものである。

周知の事実であるが、軍事技術は最先端の工業技術が使われている。現在広く使われている技術ももとをただせば軍事技術から派生したものが多い。軍事技術は未来の産業技術の宝庫なのである。

戦後、日本は軽工業でいくか、重工業でいくか、選択を迫られた。そこで日本、具体的には通商産業省が軽工業ではなく重工業、そしてその関連工業を重点化指定をした。その理由の一つになったのは、戦時中に養成された軍事関連の技術を開発する高度な技術者の存在だ。そのような技術者が戦後あふれていたそうだ。そのような軍事技術者を戦後産業技術者として活躍してもらおうと考えたのだ。

戦時中、当時の東京帝国大学(今の東大)に第二工学部というものが存在したそうだ。軍事技術を専門に研究する機関である。実は戦後日本の産業界で活躍したトップにこの第二工学部出身の技術者が多くいるらしい。例えば大企業の社長などに第二工学部出身の人が多い。

今の日本にもかなり大きな軍事産業が存在する。例を挙げれば三菱重工などが戦闘機、誘導ミサイルなどの技術で世界最先端を行く。日本の産業技術が高いレベルを維持できているのもこのような軍事産業が存在しているからかもしれない。

軍事産業は上手く民間産業に応用すればこれほど強い力はない。軍事機密との兼ね合いが難しいところだが、この軍事技術民間産業化に積極的に取り組み、民間技術の大幅向上に期待するところである。

SE(システムエンジニア)たちの仕事について

今日の主題はSE(システムエンジニア)。なぜいきなりこんなお題を立てたかというと、ここ数日僕はパソコンと格闘している。TeX(テフ)で数式文章を書いたり、ホームページビルダーで仕事のホームページを立ち上げたり。SEてこんなことをしているのかとちょっと思ったりしたが、実はSEの仕事は一言では表されないくらい多彩だ。SE一人ひとり仕事内容は全く違う。

営業寄りのSEから、プログラミング言語開発などの研究者ともいえるSEまで様々である。僕がパソコンでやってることなどはプログラミング研究からはほど遠い内容で、はっきり言って独創性のかけらもないような作業だ。人が作ったフォーマットを使って作るという感じだが、あまりにも頭を使わない作業の割には、息詰まるとウンウンうなりながら一向に進む気配がない。数理物理の勉強・研究が非常に恋しくなる。それどころか普段仕事で扱っている大学入試問題でさえ独創的に思えてきてしまう。

僕の名古屋の大学院時代の友人に、プログラミングを研究している人がいた。関数型プログラミング言語という、僕にはよくわからないことをやっていたが、彼などはSEというよりほとんど研究者だ。そのような彼を僕は尊敬している。

一方、ほとんどのSEの作業はかなりの単純作業ではないかと思う。最近はSEの人が足りていないので、文系の学部からSEになる人も多いみたいだ。プログラミングとは何かを知らずSEをやっている人たちもいる。

僕がパソコンを使っていて個人的に思うことだが、パソコンで作業をするのは頭に、具体的には知的に良くないように感じる。もちろん前出の彼のようにプログラミングを研究しているような高度に知的なSEはまた全然別なのだが。コンピューターが賢くなっていくのに反比例して、それを使う人間はバカになっていくように思う。もちろんスマホも然りだ。やはりパソコンやスマホから離れる時間は絶対に必要だと思う。コンピューターから離れて自然と戯れる。あるいは僕だったらウィンドウショッピングがひと時の楽しみだ。

コンピューター全盛期の今、コンピューターに依存しない生活というものがより価値があり、重要になってきているのではないかと思う。

戦後経済70年

昨日(31日)の夜、NHKで戦後70年の経済の歩みを特集していた。特にバブル時代の経済状態に重点が置かれていたのだが、承知の通り数年前のアメリカのリーマンショックの時と類似性が見られる。数年前の不況の象徴が証券銀行リーマンブラザーズであることは言うまでもないが、日本のバブル崩壊の象徴が山一證券であることもみんなの知るところだ。

とにかく両者に共通する点を一言で表すならば、金融市場が実体経済からかけ離れすぎていたということであろう。そして右肩上がりが永久に続くのではないかという幻想。

もちろんアメリカにしても日本にしても、バブル状態の時にバブルがはじけるなどということは誰も考えない。多少予測できたのは一部の日銀幹部くらいではないだろうか。

いまバブルの予感がするのが中国だ。確かに現在の中国経済は実態もかなり成長しているとは思う。しかしその一方で投資や都市開発において実態以上の取引がされているのも事実である。中国のウォール街と謳われて開発された超高層ビルの立ち並ぶ通称金融街は事実上の廃墟である。

そして現在の日本も例外ではないと思う。過去のバブルはバカだったと言いつつも、現在の金融好景気がまた永遠に続くと思っている節がある。いま日本は投資ブームである。NISAなど、手軽に投資を始められる環境が整っている。個人的な感じだが、「投資をする人は賢い、投資をしない人はバカだ」という風潮があるように感じられる。しかし投資を一切しないというのも一つの選択でもある。

浮かれて投資をマネーゲームみたいな感覚で(マネーゲームも立派な投資だと思うが)ブームに乗るように手を付けるのはいかがなものかと思う。そもそも投資は経済に対する支援なのである。そのような視点が全く欠けているのは非常に大きな問題である。

巨大地震に対する科学的理解

30日午後8時過ぎ、太平洋の日本沖合で巨大地震が起きた。地震の大きさを表すマグニチュードは8.5で、普通なら超巨大地震になろうかというレベルだ。日本でも広い範囲で大きな揺れを感じたようだ。しかしこれだけの巨大地震が沖合で起きて、津波が起きなかったことには非常に不思議に感じた。

今回の巨大地震で津波が起きなかった理由は、震源の深さにあるらしい。今回の地震の深さは590kmだった。普段日本付近で起きる地震の震源の深さは数十キロというものが多かった記憶がある。わかりやすく言えば、地震は海水のある海から500キロ以上離れたところに起きたと言える。そう考えれば津波が起きなかったことも納得できるだろう。

地震研究は基本的に実験ができない。(最近は人工地震というものを起こして地殻を調べることができるそうだが。)すなわち一回一回の地震そのものが実験のサンプルみたいなものであって、一回の地震でどれだけデータをとれるか、どれだけ解析できるかが地震学者の腕の見せ所である。

今回の地震は深さ590キロという非常に特殊な巨大地震であり、サンプルとしても非常に貴重だ。地震研究というと防災に直結する研究が主流のように思えるが、今回の地震からは地球の内部構造など地球科学に大きなヒントを与えるような地震ではないかと僕は勝手に思っている。

社会では地震学者に防災に役立つ研究を100%望んでいるが、科学的意義のある研究に一般市民も理解を示し、興味を持たなければならないのではないかと思う。

今回の特殊な巨大地震からどのようなことが解明されるのか、科学的興味のあるところである。

沖縄の基地問題

ただいま5月30日(土)午前2時、テレビで田原総一郎司会の「朝まで生テレビ」をやっている。まだ始まったばかりで全部見ることはできないが、今日は戦後70年特集ということで沖縄のテレビ局で生収録されている。まだ最初の部分しか見てないが、沖縄基地問題、特に普天間基地の辺野古への移転がメインテーマになりそうだ。

歴史的観点、政治的観点、沖縄県民の感情的観点から話を進められているが、現在世界的に注目を浴びている中国の軍備拡大・海洋進出について、沖縄の地政学的観点が議論される気配がない。沖縄は日本の中で最も中国に近いところに位置し、中国との有事の際は最前線に立たされる。

最近の中国の経済急拡大により、各先進国も中国の巨大な経済力に遠慮してか、なかなか中国に対して強く発言できないでいる。中国に対するけん制の最前線は日本、そしてそのバックにいるアメリカだ。

もちろん現在の普天間基地は街の真ん中に位置し、非常に危険であり、何が何でも移設をしなければならないことは明白だ。普天間を移設することは決まっている。しかし受け入れ先がないのである。

鳩山元首相が勝手に発言した県外移設も考慮の余地はあるとは思うが、沖縄の地政学的関係を考えると多少の不安が残る。しかし県外移設ができる事柄に関しては県外移設を進めるのも一つの手だ。しかし普天間基地の代替えが県外でもできるのか、辺野古でないとダメなのか、これは地政学的意味と、受け入れる住民の民意の双方を考えなければいけない。

朝生の初めで、沖縄県内の米軍基地の地図が出された。今までそのような地図を恥ずかしながら見たことがなかったのだが、それを見ると沖縄の軍事的負担はとてつもなく大きい。日本の防衛の地理的均衡としてこの状態は全くバランスが取れてない。

沖縄の基地問題は日本国民全体の問題でもある。鳩山元首相が発言した「県外移設」は世論として、余計なことを言ってくれたという感があるが、しかし防衛の地理的均衡を考えると日本本土の国民も何らかの形で受け入れるのが筋ではないかと思う。

FIFAの腐敗と汚職

FIFA(国際サッカー連盟)の汚職に捜査のメスが入った。捜査の対象になったのは14人の幹部、そして金額にして180億円にもなる。夢を売る職業に関わっている人たちがいつの間にかサッカーそっちのけで拝金主義に走っているのである。

あ~、本当に大人は汚い。二日前のブログでも書いたが、大人なんて何も偉くないし、立派でもない。もちろん立派な大人もいるが。こんな腐った大人たちが子供に教育し、子供に夢を与えるなんておかしな話だ。むしろ大人が子供から学んだ方がいいくらいかもしれない。

本当に心が暗くなるニュースだ。

専守防衛

日本の安保政策の大原則は「専守防衛」だ。敵から攻撃を受けて初めて自衛行動をとる。もちろんこれでは対応できないこともある。何かが起きてから動いては遅い場合もあるのだ。安倍首相はこの二つの考えの間のバランスを模索しているように思える。

日米同盟は非常に重要だが、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることがあってはならない。しかし「米国の戦争に巻き込まれる」という言葉の定義もしっかりしなければならない。日米双方に密接に関係ある戦争が起こらないとは限らない。その時はもちろん「巻き込まれる」という言葉は相応しくない。

今の安保政策の大筋はほぼ決まっている。今は細部を詰める段階だ。ここで曖昧な解釈を残すと後に大問題に発展する可能性があるので、抜かりのないように議論してもらいたい。

アイドルヘリウム事故に対する大人たちの対応

数か月前、アイドルグループの一人がバラエティ番組でヘリウムガスを吸引し(声質を変えるゲームのため)、意識を失って倒れた事故があったことを覚えているだろうか。一時は痙攣や意識障害があり、高次脳機能障害も心配されており、後遺症が心配だ。幸い現在はかなり回復しているようで、アイドル活動を再開しているようである。

僕はこの事故に対して非常に激怒している。事故が起こったことは仕方がない。激怒しているのは事故に対する事後の大人たちの対応だ。テレビ局側が会見を開いたのが事故から一週間後。会見では終始お茶を濁していたらしい。そして制作会社は事故直後にホームページの番組制作実績からこの番組を削除したようだ。本当に僕は怒り狂っている。

子供に犠牲を押し付けながら、大人たちは保身に終始する。この事故の件の対応からもわかるように、多くの大人なんて立派でもなんでもないのである。自分たちのことを社会人だから立派だと言いながらそれ以外の人間を見下す。それでいて不祥事が起これが保身・保身なのである。社会人という言葉なんて何の価値もない。そういう言葉を使って自分たちを誇示しているだけである。

岡村孝子さんの歌の歌詞にこんなフレーズがある。

「大人になるほど嘘を覚えた」

大人になり人間的に立派になる人ももちろんいるが、多くの人は肩書が立派になるにつれ人間性が没落していく。最近で一番いい例がNHKの籾井会長だろう。彼を見ればこの歌詞の意味もよくわかる。

とはいえ、被害にあったアイドルがほぼ回復し、復帰するまでになったことは喜ばしいことだ。被害にあったアイドルの本人の名前は公表されていないので誰かわからないが、このまま後遺症も残らず元気に成長していくことを応援したい。