投稿者「木原 康明」のアーカイブ

スマートに生きたいか?

「スマートに生きる」と言っても、スマートとはいろいろな解釈・見方があるので、一概にどういう生き方がスマートだとは言えない。しかしスマートという言葉の解釈の一つに「失敗しない」ということが言えるのではないかと思う。実際にいかに失敗をしないでスマートに生きるかということを考えている人は多いと思う。もちろんそれはそれで立派なことだ。失敗しないで生きることができればどれだけ綺麗かと思ってしまう。

しかし失敗は自分が望むにしろ望まないにしろ、必ずどこかでしてしまう。もし失敗を全くしない人がいたら、宇宙飛行士の油井さんの父が言った「スーパーマン」以外の何物でもない。しかしほとんどの人はスーパーマンではない。僕に至っては「失敗マン」という言葉が似合うくらいだ。お洒落な服装をしてスマートな着こなしをしたいとは思っているが、こと生き方に関してはスマートとは正反対の泥臭い生き方をしている。

しかし失敗を後悔したことはない。もちろん失敗した時は悔しくて悔しくてしかたがない。しかし不思議なことに失敗というものは後になって役立つことが多い。その時、「あの時失敗してよかった」と思うのである。これはものの考えようだろうか。僕はどれだけ失敗してもあきらめることはほとんどない。とはいってもまだ成功したことの方が圧倒的に少ないが、成功の青写真は自分の頭の中で描いている。

失敗は決して無駄にしてはいけない。失敗を糧に変えるくらいの勢いが必要である。「転んでもただでは起きない」という精神である。もしかしたらこのまま失敗し続けて人生が終わるのかもしれない。少なくとも多くの周りの人はそう思っているであろう。しかし自分でいけると思っているうちは大丈夫、精神が死んでいない証拠である。

人間は知的精神的生命である。肉体と精神の互いを持ち合わしている。だから、「肉体の死」とは別に、「精神の死」がいずれやってくる。体は元気でも精神が死にかかっている人は多い。自分の体の健康を考える前に、自分の精神は健全かどうかを考えた方がいいかもしれない。生涯現役とは、肉体が死ぬまで精神が輝いている人のことである。

目指すぞ、生涯現役!

岡田民主党党首の朴大統領訪問で

8月3日、民主党の岡田党首が朴大統領を訪問した。その中で朴大統領は日本に対して、戦後70年安倍談話において、韓国に対して謝罪した村山談話を継承するように求めた。いったい何度謝罪すれば気が済むのかと思っている日本人は少なくないと思う。談話の中に、「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉を挿入せよと圧力をかけている。しかしこのような言葉は日本側が自発的に入れてこそ意味があって、韓国側が入れろというのはとんだ筋違いだ。これはもう、「これからも韓国が日本に対して付け入る隙を作れ」と言っているも同然だ。しかもこれを認めれば韓国側はさらに要求をエスカレートしてくるのは目に見えている。

ところで韓国側は、歴史の「再認識」という言葉を頻繁に使ってくる。「再認識」ということは、すでに「認識」しているということである。すでに認識していることをなぜ再認識しなければいけないのか。再認識をすれば、次は「再々認識」、そして「再々々認識」と延々と要求してくるわけだろう。

以前のブログで書いたように、アメリカ国民の60%は謝罪は必要ないと答えている。敵国だったアメリカがである。韓国は日本に勝利したと言っているが、日本は韓国と戦争した事実は全くない。当時の敵は米英中などであって、朝鮮は当時日本の保護下であった。保護下であった朝鮮と戦争とはいったいどういう論理なのであろうか?

もちろん戦時中、朝鮮(韓国)に対して行った犯罪に対しては謝罪しなければいけないが、すでに日本は韓国に対して謝罪しており、さらに事実無根、あるいは事実や規模が大きく歪曲されたことに対して謝罪する必要は全くないはずだ。

この全く筋違いのトンデモ国家の要求はいつまで続くのだろうか。

魚にも論理的思考能力

とあるニュースで、魚にも論理的思考能力があるという記事を見た。具体的には、AがBよりも強い。BがCよりも強い。ならばAはCよりも強いということを認識できるそうだ。実際に実験して確かめられたらしい。

高度な論理的思考能力は人間の特権だと思われていたが、単純な思考能力なら魚にもあるということだ。大げさにいえば魚にも小さな知性があると言えるのかもしれない。

海の中は魚にとってサバイバルだ。食うか食われるか。人間社会よりもシビアな世界かもしれない。そのようなサバイバルの中を生き残るために論理的思考能力を身に付けたと考えれば自然なことなのかもしれない。ダーウィンのいうところの「自然淘汰による進化」というところか。

ならば気になるのが、生物の階層の中で論理的思考を持つか持たないかのラインはどこにあるのかということである。はたして最下層に近いアメーバなどにもわずかながらでも論理を認識できるのか。

しかし論理で考えているのか本能なのか、その識別は難しい。さらにいえば本能も論理によって突き動かされているともいえる。微生物が臭いを検知してエサのある場所までたどり着くのは本能だと言えるが、その本能ははたして論理によって導かれたものだろうか。

こんなことを考えていけばもう概念の線引き自体が怪しくなる。少なくとも言えるのは、このような、論理があるかないかということが気になるのは人間だけだということだ。

大学発ベンチャー企業

ここ十年ほどだろうか、大学での活動がきっかけとして設立された企業、大学発ベンチャー企業が活発だ。しかしその内容は大きく変化しているらしい。というのは、十年ほど前ぐらいは大学発ベンチャー企業は主に私立大学がメインだったのだが、ここ五年ほどは国立大学の躍進が大きいのだ。その原因はベンチャー企業の内容が変化しているからだ。私立大学メインだった10年ほど前は大学発ベンチャーといえばIT関連がほとんどだったのが、最近は生命科学・医学分野が大きく勢力を伸ばしているのだ。

ITがメインだった頃、ITの性質上、個人や小規模的つながりであってもアイデア一つで勝負に出ることができた。それに対して生命科学・医学分野は大学での研究と直結しており、また内容が専門的かつ高度なため研究に重点を置いているトップレベル国立大学が非常に有利になったのである。実際東大・京大がベンチャー企業の数を大きく伸ばしている。

IT社会と言われて久しいが、ITブームも少し一段落したこともあって大学発ITベンチャーも落ち着いてきたのであろう。それに対して生命科学・医学関連はここ十数年ほど激動とも言われるような大きな動きがあった。まず21世紀初めのヒトゲノム(人の遺伝子情報)の解析が完成したことであろう。その結果が最近実用にも応用され遺伝子検診などのサービスなどに結び付いている。

さらにもう一つ見逃せないのが、京都大学の山中伸弥教授によるiPS細胞の発見であろう。iPS細胞の発見は直接的・間接的に生命科学・医学分野を大きく触発し、この分野の実用にも大きく影響を与えている。iPS細胞自体の直接的な実用への応用は最近始まったばかりで、理化学研究所の高橋政代研究員の網膜の再生への応用が臨床段階に入ったことが記憶に新しい。iPS細胞は限りなく大きい潜在歴能力を秘めており、これから10年、20年かけて爆発的な応用的成果を上げることが予想される。

僕がいた名古屋大学でも小規模ながらベンチャーをサポートするような機関があり、これからどのような成果が出るか気になるところである。

朴大統領の妹・朴クンリョン氏

今、韓国国内で朴大統領の妹、朴クンリョン氏が物議を醸している。日本人もびっくりすることに、日本擁護ととらえられる発言を繰り返しているのだ。今の韓国内で日本擁護的発言ができる人はこの人しかいないだろう。

具体的には、

「天皇が謝罪しているのに、首相が変わるごとに謝罪を要求することはない」

「靖国問題に韓国が口出しすることは内政干渉だ」

「慰安婦は韓国国民が面倒を見るべきだ」

などの発言だ。この様な発言をしたのが朴大統領の妹とは日本人としても信じられない。なぜここまで親日的発言を繰り返すのだろうかと思うが、一つの理由として朴大統領への反発があるようだ。朴大統領とクンリョン氏の関係は良好ではないらしい。

しかしこの様な発言は冷静に考えると全く当たり前のことであるが、今までの反日運動を見てきて日本人である我々も感覚が麻痺している。

もちろんクンリョン氏が親日だからと言ってどうなるということではないが、半独裁状態の朴政権の首領朴大統領に真正面から物を言えるのはクンリョン氏しかいないかもしれない。

今の反日一色の韓国情勢を一気に変えることはできないが、クンリョン氏が何かのきっかけになるかもしれないと淡い期待を持ってしまう。

磯崎首相補佐官の発言について

先日、磯崎首相補佐官が安保法案に関して「法的安定性は関係ない」と発言したことが物議を醸している。周りの人間からしたら、それを言っちゃおしまいよ、というのが本音であろう。この発言は議席多数を獲得した安倍首相近辺の気の緩みとしか言いようがない。今いかに法的に問題なく安保法案を国民に納得させようとしているところにこの発言、安倍首相サイドにとっても痛い発言だろう。

僕は以前に安保法案に関して、法案の中身は納得できるが、改憲という手続きを取らないで国民不在で法案を通そうとしているところに問題があると言ってきた。集団的自衛権に関しても懇切丁寧に国民に説明すれば国民も納得できない話ではないはずだ。今まで海外派兵に関してはイラクなどのような遠隔地がほとんどだった。しかし今の仮想敵国は中国だ。中国は隣国である。何かあれば確実に日本は直接巻き込まれる。そこがイラクなどと決定的に違うところだ。

日本国内のメディアはどちらかというと韓国の反日運動を取り上げようとするが、中国問題は韓国問題の比ではない。何しろ中国問題は量的にも質的にも桁違いだ。もちろん今回の安保法案の表向きの趣旨はISIL(イスラム国)などに対する対テロ戦争を想定してということになっている。しかし安倍氏をはじめとする政府の本心は対中国を想定してのことである。しかし表だって中国を仮想敵国だと表明することはできない。国民もその辺の阿吽の呼吸を読み取るべきだ。

とは言え、今回の磯崎首相補佐官の発言は、立法を掌る政治家の発言として明らかに軽率すぎるものであることは言うまでもない。

明治天皇の玄孫二人が日本を語る

とある記事で明治天皇の二人の玄孫、竹田恒泰さんと渡辺徹さんの対談を見た。竹田さんはテレビでおなじみの人だが、渡辺さんは初めて存じた。二人とももう皇籍からは離れており、対談を見てもお二人とも快活な日本人という感じを受けた。

元皇族の話としてやはり気になるのが日本史の話だ。日本史の授業では歴代天皇が度々登場する。その度にお二人ともドキドキしていたそうだ。歴代天皇は全ておじいちゃんのおじいちゃんの・・・という関係だからもちろんだろう。しかし先祖が天皇だという人は何も皇室の人だけではない。統計学的には日本人は皆天皇家の子孫なのである。なぜなら親は2人、祖父祖母は4人と遡っていけば何十代か前の先祖は1億人を優に超える。なので日本史というのは日本国民すべての先祖の歴史でもあるのである。

日本史についてお二人が語っておられたのは、今の日本史は客観的過ぎるということである。外国では自国の歴史のことをNational History、すなわち「国史」というらしい。国民は皆当事者意識を持って国史を学ぶ。

竹田氏はアメリカの国史の教科書を取り寄せて読んだらしい。それによるとアメリカの国史は手に汗を握るような展開なのだそうだ。日本に置き換えると真珠湾攻撃をした。その後アメリカはどう反撃して、日本はどう防いだかというような展開だろう。

それから日本史は自虐的史観が多い。先の戦争に対しても常に自虐的姿勢をとってきた。そこでは東条英機は悪党のボスであった。しかし最近、安倍首相がアメリカ議会で講演した時、安倍氏は一切謝罪しなかった。それに対してアメリカ国民の約6割はもう謝罪しなくていいと答えたという。

自国に都合の悪いことは一切表にしない中国のような歴史は虚勢であり明らかに間違っているが、日本国民はもっと自国日本についてもっと自信を持ってもいいのではないか。そして明治天皇玄孫二人もおっしゃっていたが、「日本は」という第三者的な言葉ではなく「我が国は」と胸を張って語ってもいいのではないかと思う。

人工知能は人間を超えるのか

科学の社会的危惧のうちの一つに「人工知能は人間を超えるのか」というものがある。人工知能は科学的問題であることは言うまでもないが、それ以上に社会的な問題として注目を浴びている。

人工知能の社会的側面としては、それまで人間がやっていたことを人工知能が取って代わるというものが二番目に大きな問題であろう。そうなれば社会の構造、労働の在り方が一変することは容易に想像できる。あるいはそれまで100人でやっていたことが一人でできるようになるということも考えられる。経営者のとっては非常にありがたいことではあるが、単純労働者にとっては死活問題である。

そして一番の問題は人工知能が人間を超えてしまうということである。もしそうなれば人間が人工知能に支配・コントロールされるということが起きる。まさしく映画ターミネーターの世界である。そして人工知能は自発的に自らの知能の向上を続けていくであろう。人間は家畜に成り下がるのであろうか。

この様なことから人工知能の倫理は非常に重要な問題である。人工知能が人間を超えることが明確になった時点で研究を続けるかどうか見直さなければいけないが、この手の研究は禁止しても必ず誰かが続けていくであろう。まさしくパンドラの箱を開けてしまうようなものだ。

これからの科学研究にはより一層倫理的観点が必要になるであろう。しかしその倫理とはこれまでのように、宗教的倫理だとか生命倫理などというような生易しいものではない。人類が絶滅するかどうかというようなことを視野に入れたものになる。科学というものは性質上後戻りできない。しかし一つだけ言えることは、一般市民も科学的教養を身に付け、科学的事柄に正しい判断を下せるような判断力を身につけなければいけないということであろう。もう自分は文系だからなどというような言い訳は通用しない。

批判だけが能じゃない

物事を考えるうえで批判精神は重要である。考える学問・哲学でもカントの有名な三つの書物は「三大批判」と言われている。しかし日常生活で全てのことを批判する人などいるであろうか。

しかし政治の世界では基本的に野党は与党のすることは全て批判することになっている。そのような考え方は、政府与党の政策に対するチェック機能になっており必要なことでもある。しかし政党に所属する議員すべてが同じ考えを持っているなどあり得るはずがない。しかし政党とは集団そのものが思想を持つものともいえるので、個の思想はある程度無視されるのかもしれない。

とはいえ、与党も野党もある程度平等な視点を持つことも大事ではないかと思う。おかしいと思う案に対しては思いっきり反対すればいいが、理にかなった案は与党野党関わらず認める姿勢も必要ではないかと思う。それが大人の政党というものではないか。

日本共産党の存在自体を否定するつもりはないが、与党のすることなすこと全てに反対だとわめくのは、それはもう幼稚園児野党とも言えるのではないか。そこには思想など全くなくて、ただ与党に反逆することだけが生きがいだという姿勢しかない。

ただ初めから否定することを決めているのは楽だが、平等な視点で批判することはかなり難しい。同じ批判でもこの二つを混同してはいけない。これは子供と大人の違いである。

理にかなったことには賛同し、おかしいことには批判する、これが本来あるべき姿だと思うが、実際はこれがなかなかできないのである。

産経新聞記者の韓国大統領行動報道事件、訴訟について

産経新聞記者による、韓国朴大統領の不明行動の記事に対しての名誉棄損訴訟の公判が7月27日に行われた。この裁判は産経新聞記者がセウォル号沈没時に朴大統領が男と密会しており、7時間にわたって消息不明だったという報道をしたことに対しての、朴大統領側からの名誉棄損訴訟である。今日はその事象に関して、西日本新聞の韓国支社の記者が証言を行った。

男と密会していたかどうかはともかく、セウォル号沈没という一大事の時に大統領が7時間にわたって消息不明など、普通の先進国ではありえないことだ。いや、先進国かどうかにかかわらずこんなことは普通はありえない。

新聞の第二面か三面あたりの記事に注目したことがあるでしょうか?日本の新聞には第二・三面に小さくだが、首相の前日の一日の行動が記録されている。「首相の一日」というなタイトルで書かれているはずだ。首相は日本で一番の公人と言ってもよく、首相の一分一秒の行動がそのまま日本の行方を左右されると言っても過言ではない。したがって首相の一日の行動は全て記録され、国民に公表されるのだ。

しかし今回の朴大統領の事象では、7時間にわたって消息が不明になっているのである。日本の首相においては絶対にありえないことだ。朴側は男と密会していないと訴えているが、問題の本質はそんなことでは全くない。朴側の勘違いも甚だしい。通常時においても数時間にわたって一国のトップが消息不明になるということなどは大問題になるようなことであるが、今回のことはセウォル号沈没という数百名が犠牲になるという緊急時のことである。韓国の危機管理の甘さが三流国だと露呈したようなものだ。こんなことに対して訴訟を起こしている暇があったら、危機管理の強化に時間を割いた方がよっぽど賢明である。反日などと叫んでいる暇はないはずだ。

日本の近国に北朝鮮というならず者国家があることは日本国民は皆承知であるが、隣国である韓国までここまで落ちぶれた三流国家であることに今回の訴訟で日本国民は気付いたであろう。