投稿者「木原 康明」のアーカイブ

オバマ氏、父の祖国ケニアへ

米大統領オバマ氏が現在ケニアを訪ねている。父の祖国だ。ケニアでは熱狂的な歓迎ムードに包まれているみたいだ。異父姉も空港までお迎えだ。世界で一番影響力のある国の大統領だから、ケニアとしてもオバマ氏は誇りであろう。ちなみにオバマ氏自身はアメリカで生まれ、アメリカで教育を受けている。

日本には大統領は存在しない。国のトップである総理大臣は議員による投票で決まるので国民の間接的な選挙による選出というところであろう。しかし一人だけ大統領になった日本人(日系人)がいる。ペルーの元大統領アルベルト・フジモリ氏だ。フジモリ氏が大統領になったときは日本でも熱狂的な渦に包まれた。日系人ということで日本とのつながりも強く、在任中に日本を訪問している。しかし大統領職を退いてからのフジモリ氏の人生は混乱に陥る。

日本も総理大臣制ではなく大統領制にすべきだという声もよく聞く。やはり大統領制では国民の投票によって直接に選ばれるわけで国民との距離も近い。そしてより大きな権力を持つことによって強いリーダーシップをとることができる。

オバマ氏の話に戻るが、オバマ氏の評判は就任当初に比べると芳しくない。当初は初の黒人大統領として大きく注目され、ノーベル平和賞も受賞した。期待を込めてのノーベル賞だった。しかし国内政治・経済の運営はそつなくこなしていたが、対テロ戦争でオバマ氏は混迷に陥る。ISIL(イスラム国)が台頭し、以前の戦争手法が通用しなくなった。オバマ氏も新しい対処の仕方を考えないといけなくなったのであろう。

今アメリカは次の大統領の話題で持ちきりだ。特にヒラリー・クリントン氏への注目は大きい。ヒラリー氏が選出されれば初の女性大統領、そして初の夫婦そろっての大統領となる。これから大統領選への行方には注目である。

首相の動静を見ると

日経のウェブで、昨日の安倍首相の一日の動静を見てみた。政治関係の仕事から入ると思いきや、8時半からホテルの日本料理店でのJR東海の葛西名誉会長との会食から入っていた。葛西氏は経済界の重鎮でもあり、鉄道界のみならず日本の経済界で一目置かれる存在だ。一日の初めは経済からというところであろうか。

その後は各大臣との会議などが分単位で組み込まれている。夕方ころには中学生との交流もある。次世代を担う子供たちからもしっかりと支持を得ようというところだろうか。さすが安倍首相、抜かりはない。ラジオ番組にも出演している。メディア対策も抜け目がないのか。

安倍氏自身は有能な人物だと思っているが、最近の安倍政権の政治運営は明らかに強引な感が否めない。以前は安倍政権を支持していたが、現在は政策ごとに支持しているもの、しないものが分かれ、自分でも安倍政権を支持すべきか考え込んでしまう。

集団的自衛権の内容自体は非常に支持している。これを即座に戦争法案などと叫ぶのは明らかにおかしい。しかし法案の通し方は完全に間違っている。国民不在の手法に見える。国民だってそこまでバカではない。誠実に説明し、改憲という手続きを取れば多くの国民も納得するだろう。数によって強引に通そうとしていると非難する人がいる。確かに強引だ。しかしその前にその数を安倍氏に与えたのは国民だ。そのことを忘れてはいないか。

法案に賛成か反対かというより、これからの安倍政権、そして日本の行方が心配である。最近のおかしな歩みを変えられる人物は石破氏しかいないと私は思っている。今は影を潜めているが、もう一度石破氏の活躍するのを期待している。

実用を極度に重んじる文化について

今日、とある数学の専門書を読んだ。その本の序章で古代ギリシャ時代の最も傑出した数学者アルキメデスのことに触れていたのだが、そこでこのようなことを書いていた。

「ギリシャの実用を極度に軽じる文化の中にあって、・・・」

という文言だ。

古代ギリシャ時代は極度に学問的・抽象的な対象にこそ価値があるとされていた。そこでは学問は貴族、実用性のある工学などは奴隷がするものである、ともとれるような風潮があった。しかし現在の科学に基づいた社会の基礎は、ギリシャの抽象的学問から始まったと言える。

そのような古代ギリシャの文化とは対照的に、現在の社会は極度に実用性を重視しすぎる。科学的価値もいかに役に立つかということに重きを置かれているように感じる。しかし科学の真の価値は役に立つかどうかで判断されるものではない。科学の価値とは、内容の科学的豊富さ・科学的美点・一般性にある。いわば科学とは本来芸術に近いものなのである。そのような思想を極度まで推し進めたのが古代ギリシャ文化である。

古代ギリシャとまでは言わなくても、現在の実用至上主義はいきすぎだと感じる科学者も多く、もう一度学問的・科学的・哲学的価値に基づいた判断によって見直すべきではないかと思う。

役に立つかどうかで判断することは簡単だ。役に立つかどうかは誰が見てもわかる。何も考えなくてもわかるのである。しかし学問的価値・科学的価値を理解するためにはそれ相応の教養が必要だ。現在の大学教育は実用性重視に偏ってきつつある。しかし多くの大学では最初の二年間を「一般教養課程」と呼び、教養を身に付けることを重視してきた。これらの教養は人間としての格を身に付けることでもある。しかし実用的価値判断に偏った無教養社会になれば、そこに住む人々、そして社会全体が薄っぺらなものになってしまう。

今、ギリシャは財政破たんに関する問題で混乱している。そんなギリシャも古代には現在でも模範とすべき立派な学問文化が存在した。今一度古代ギリシャを見返し教養の大切さを確認する必要があるのではないかと思う。

EU、ギリシャ問題で明確になる国境

今、EUがギリシャ問題で揺れている。ギリシャの国民投票でEUの再建案が否決され、そのまま反緊縮路線で進んでいればここまで揺れることはなかったかもしれない。あの国民投票はいったいなんだったのだろうか。ギリシャ首相は国民投票と反する行動をとることとなった。そこでまたEU側は対応策の見直しに取り組むこととなった。

そこで問題になっているのがEUの二大国、フランスとドイツの対立だ。何が何でもギリシャをEUにとどめたいフランスと、EU離脱も辞さない強硬派のドイツ、その対応策の対立によってこの二国が、そしてそれ以外の国までがバラバラになりかけている。

EUはもともとヨーロッパから国境をなくそうとする思想の実現化だ。しかし今、この方向に反してフランスが、ドイツが、そしてイタリア・スペインなどそれぞれの国が国単位の主張を行いEUという統合枠が崩れ始め、国境が明確化してきている。EUの統合路線は夢物語に戻ってしまうのか。

現実論のドイツに対して、理想論のフランス、このような構図が感じられるような気がする。一人笑っているのはヨーロッパの盟主イギリスであろうか。

とにかく一番重要なことは、フランス案を取るにしてもドイツ案を取るにしても早急に対策を推し進めることが今は求められている。この問題をズルズル引きずれば引きずるほど問題は悪化の一途をたどってしまう。後送りをすればもう元には戻れないレベルになってしまうかもしれない。

私は強硬派のドイツ首相メルケル氏が一気に推し進めて次のステージに進めることが今の一番の最良路線ではないかと思っている。

米・キューバが国交回復

20日、アメリカとキューバ間の国交が回復した。キューバとアメリカはキューバ革命以来国交を断絶していたのは非常に有名な話だ。

1950年代中頃、チェ・ゲバラとカストロを中心としたキューバ革命が起き、それ以来50年ほどカストロ氏を議長とした独裁政治が行われていた。それ以来アメリカとの間で対立の歴史が繰り広げられてきた。その中でも有名なのがキューバ危機だ。中学の教科書にも載っているので知っている人も多いが、キューバ危機は冷戦時の米ソ間対立の前線にキューバが立たされていたことを物語る。カストロ氏は今では一線を退き、現在は弟のラウル氏が国を率いている。

キューバは国の体制としては現在も独裁国家だ。しかし他の独裁国家とは趣の違う体制が繰り広げられている。確かにカストロの独裁ではあったが、キューバ革命以降カストロ氏は理想の国家像を模索していたように見える。その一つが医療に関することだ。キューバの医療技術は決して高度なものではない。しかしカストロ氏は医療の完全無料化を行った。これに共感する人は世界中に多く、日本の医師の間でもキューバの医療及び医療体制に貢献したいとキューバに渡る人が複数いる。

とは言え、やはり独裁国家であり、閉鎖的であることは否めない。キューバは野球強豪国としても有名だが、キューバの野球選手の亡命の話題には事欠かない。今まで何人もの選手がアメリカに亡命し、大リーグで活躍することになった。現在、大リーグ最速投手で時速170キロの球を投げるチャップマン投手もキューバからの亡命組だ。しかし今では野球選手の海外渡航が一部解禁になり、現在はキューバリーグと日本プロ野球を掛け持ちしている選手も数人いる。

高い理想を掲げ、チェ・ゲバラとカストロのもと革命を成し遂げたキューバ。それから半世紀以上経つが、彼らの意志はどこまで実現できただろうか。解放しつつあるキューバの未来に注目だ。

今まで以上に頑張ろう

7月19日(日)、芥川賞を受賞された又吉直樹さんの特集をテレビで二本観た。それを観て、少なくとも表面的な事は何もかも僕と正反対だな~と感じた。暗いが冷静沈着で浮かれるところがない又吉さん。それに対して結構明るいが腰が軽くすぐに浮かれてしまう僕。

しかし根本にある考えは共通するところもあるのかとも思った。それは軸足をしっかり持っていること。又吉さんは小説を書きながらも芸人を根本の軸足としてしっかり持っている。僕は最近いろいろなことに取り組んでいるが、軸足は全て数理物理の研究においており、それを変えることは絶対にありえない。ただ又吉さんと違うところは、又吉さんは現在しっかりプロとして稼いでいるところである。しかし僕も今のままでいるつもりはない。

又吉さんは話していた。成功する保証はないが努力を続けることの怖さと大切さについて。僕も成功する保証は全くない。しかし不安症の僕だが数理物理の研究を続けることについて不安に思ったことだけは全くない。根拠のない自信と言うかなんというか。周りから見れば全く根拠はないように見えるかもしれない。しかし僕の中には明確な根拠があり、構想は明確に描かれている。だから不安に思うことは全くないのである。ただ時間は過ぎていく。時間がかかっていることには少し焦っているところはあるかもしれない。

去年の終わりからいろいろなことに取り組み始めた、お金を稼ぐことを目的としたものもあるが、それとは別にR-1の予選に出ることが気持ちを活性化させる副題の一つになっている。今年度末のR-1も再び挑戦してみようと思う。

ただやはり他のすべてを捨てても、数理物理の研究に打ち込む心だけは忘れない。

櫻井パパに見る官僚人事

先日、総務事務次官、つまり総務省の官僚トップに櫻井俊氏が決まった。ジャニーズの櫻井翔さんのパパだ。櫻井氏の官僚人事をめぐっては、ここ二年ほど伏線があったようだ。

櫻井氏は東大出身で当時の郵政省に入省し、入省当初から将来の次官候補として見られるほど優秀な人物だったらしい。総務省は旧自治省・旧郵政省・旧総務庁の合併によってできた省庁だ。その中で規模的に旧自治省・旧郵政省組が大きな権力を握り、次官はその二つの出身から交代になるのが慣例だ。そして去年2014年の夏の次官任命の最有力候補は櫻井氏だったらしい。しかし櫻井氏は落選したが、No2の座にとどまることになった。

官僚人事で一番大きな権力を持つのは官房長官、つまり菅氏だ。菅氏が内閣人事局が作った資料を基に絞り込む。そこで菅氏が政治的取引によって櫻井氏の任命を拒否したらしい。普通はこの時点で官僚出世コースは終わりだ。ところが今年、櫻井氏は二度目の候補で事務次官の座を手に入れた。

菅氏がどうして櫻井氏を嫌うのか、一般市民の僕にはわからないが、官僚と政界とは対立したり繋がったり、本当に入り組んだ世界だ。

櫻井翔さんのパパとして普通の次官以上に注目を浴びることになるとは思うが、誰であれ日本国を背負う人間として日本の発展に一役買ってもらいたいものである。

巨星散る・南部陽一郎博士

ノーベル賞物理学者、南部陽一郎氏が死去したことが明らかになった。94歳だった。

南部氏に関する俗的な話題はもちろんノーベル物理学賞を受賞したことに尽きるが、そのことを表現するときに「日本人物理学者」と表現すべきかどうかが議論になる。南部氏は東大卒業後、大阪市立大学で職に就いた後アメリカに渡り、そのままアメリカを研究拠点とし、アメリカ国籍を取得している。すなわち国籍上はアメリカ人なのである。日本生まれのアメリカ人と言う方が正確である。このことについては日本としては名誉なことではない。何しろ超一流物理学者が日米の研究環境を比較してアメリカを選択し、日本を捨てたわけであるから。異能流出である。

南部氏の物理学的な業績は多岐にわたり、広く深いものである。南部氏を表現するときによく使われるのが「時代を先取りしすぎた」という言葉だ。南部氏の研究は数十年後のスタンダードになっている。

僕が物理の勉強において初めて南部博士の名前に触れたのは、場の量子論の「南部・ヨナ-ラシーニョ模型」だ。南部氏の業績は、博士の代名詞ともいえる「自発的対称性の破れ」や「南部-ゴールドストン定理」をはじめ、どれをとっても重要なものばかりだ。最近流行りの超弦理論(超ひも理論)ももとをただせば、「南部-後藤のひも仮説」にたどり着く。素粒子論を学ぶ者にとって南部理論は必須だ。

南部氏は一般向けの書物も書いている。講談社ブルーバックスシリーズの「クォーク」という書物だ。これはブルーバックスの中でもベストセラーで、広く一般市民に親しまれている。

今、僕の机上の本棚に、「BROKEN  SYMMETRY , Selected Paper of Y.Nambu」という本がある。南部博士の論文集である。僕が昔、KEK(高エネルギー加速器研究機構)での研究会に参加した時に、途中の東京の本屋さんで買った本だ。恥ずかしながら、深く読んだとは言えないのだが。論文集が出版されるのは一流物理学者の証だ。

やはり南部博士の話題で、一般市民の一番の興味はノーベル賞であるので、ノーベル賞の話題で終わることにする。2008年のノーベル物理学賞は南部博士・益川敏英博士・小林誠博士の日本人トリプル受賞であった。しかし三者三分の一ではなく、南部氏が二分の一、益川氏・小林氏がそれぞれ四分の一ずつである。賞金もそのように分配される。単純に言えば、南部氏のノーベル賞は、益川氏・小林氏の二倍の価値があるということである。

南部博士の冥福をお祈りいたします。

集団的自衛権に関する安保法制と政治

7月16日、集団的自衛権に関する安保法制が衆院を通過した。この法案をめぐっては多くの国民の間で是非に関する議論が沸き起こっている。賛成意見にも反対意見にもそれぞれ分はあるが、はたしてどうすべきであろうか。

僕自身、集団的自衛権に関しては賛成である。ただ安倍総理の手法には大いに問題があると感じている。ここはしっかりと改憲という手続きを取り、法治国家としての尊厳を見せなければいけない。

今、反対派の人たちは、この法案を認めてしまうと戦争に巻き込まれてしまうと訴えている。その根拠が戦後現在まで他の地域の争い・混乱に接触しなかったおかげで一度も戦争に巻き込まれなかったという主張だ。しかし武装した自衛隊が行かなかったことでどうなったか?日本としては丸腰の民間人、あるいは外交官が紛争の最前線に立たされてきた。そしてこれまでに外交官をはじめ、民間人などの武器を持たない人たちが犠牲になってきた。

国際ボランティアの中田厚仁さんを覚えているだろうか。カンボジアでボランティア中に銃弾の犠牲になった若者だ。武装して給料をもらっている自衛隊が国内で敵のいない訓練地で体を鍛えている間に、丸腰で給料のない日本人ボランティアが犠牲になる始末なのである。これが本当に平和国家と言えるのだろうか。もし平和国家を掲げるなら、国内だけではなく国外の荒れている地域も平和にしなければいけない。そしてそれをすることが一番可能なのが自衛隊なのである。

もう一国平和主義は通じない。戦後の日本人にとって戦争とは現実の世界の出来事ではなくテレビの中のフィクションだった。もし近くの自衛隊員などが海外へ赴くのを自分の目で確かめることができれば、戦争の悲惨さも少しは実感できるであろう。

日本は島国のせいか、国境線が見えない割には日本と外国を強く区別する。しかし平和に国境線があってはならない。国境線の内側は平和なら外側は爆弾が落ちてもいい、というような考えはもう通用しない。実際イスラム国と呼ばれている疑似国家には国境線はない。もう平和に対する見方を国境線で区別する時代は終わったのである。

日本の平和だけではなく、世界の平和を心から願おう。

ビジネスにも品がある

その人の人間性を評価するときに、品は重要な要素だ。品がなければ人間性の評価も低くなる。それと同じように、ビジネスにも品がある。しかしビジネスにおいて品のことを考える人は少ないかもしれない。ビジネスではとにかくお金をたくさん儲けた人が勝ちだという風潮がはびこっている。人間を、持っているお金で判断する人も多い。しかし僕はこれに異議を唱えたい。

正直言って現在の僕はお金がない。それを理由に僕の意見が説得力がないと言う人はこの記事を読むのをやめても全然かまわない。

僕のビジネスは始まったばかりである。今まで数理物理のことばかり考えてきた。そしてこれからも数理物理の研究のことを第一に、大切に考えていきたいと思っている。数理物理の研究で妥協をする気は全然ない。今までは研究を大切にするあまりお金のことを常に後回しにし、軽視してきた。しかしこれからは研究もビジネスも全力で取り組もうと思う。

そこでビジネスをするにあたり、品というものを大切にしたいと思っている。ただやみくもに数字だけですべてを判断するようなビジネスはしない。もちろんビジネスでは数字は一番大切かもしれない。しかし僕はビジネスはあらゆる要素の集合体であると思う。お金儲けというものを中心にいろいろなプロジェクトを進めていく。お金を単にお金で終わらせずに数字以上のもっと価値あるものにしたい。

そして僕がビジネスを進めていくうえで一番重視しているのは「アイデア」だ。ぼくの個人的な考えだが、アイデアのあるビジネスは品がある。アイデアのないビジネスは品がない。そう思っている。そういう意味では品のあるビジネスの方が圧倒的に成功する率は高いし、利益も大きい。

僕の個人的な目標として、2020年にあるものを購入することを一つの目標にしている。研究で成功し、その品物が買えているか、5年後が楽しみだ。