投稿者「木原 康明」のアーカイブ

MRJがようやく動き出した!

三菱航空機の飛行機、三菱リージョナルジェット(MRJ)がようやく動き出した。とは言ってもまだ試験の初段階。三菱航空機のある名古屋空港の滑走路で自らのエンジンを使って滑走路を動くというものだ。その速度は時速10キロ。まだまだ様子見と言ったところだろう。最終的には離陸直前の時速200キロまで上げるそうだ。しかしそれでもまだ空は飛ばない。地上での動作試験から初飛行試験への移り変わり時が一番のポイントになるだろう。

ホンダのビジネスジェットは一足先に大空を飛び回っているが、早くMRJが空を飛行する姿を見たいものだ。成功すれば念願の国産旅客ジェット機の誕生である。

飛行機産業は新規参入障壁が非常に高く、一度参入に成功すると市場をある程度独占できると言われている。今回のホンダと三菱は、市場としてはホンダが7人乗りのビジネスジェット、三菱が約100人乗りの旅客機と綺麗に棲み分けができている。これから先、この二社が世界の空を席巻するする日が来るのを楽しみにしたい。

やっと動作試験にたどり着いた、これからのMRJの一般飛行までの道のりには注目していきたい。

中国の国内体制の変革

中国で船舶転覆事故が発生して一週間。中国の情報統制などやはり事故の情報をコントロールしようとする姿勢は今でも健在だが、しかし以前の完全な情報統制、そして情報の偽装を当たり前のようにする方針からは一つだけ変わったかなと思うことがある。それは事故の死者数だ。乗員乗客456人中432に人の死亡者が出たと発表された。この数字からみて偽装された数字である可能性は極めて低い。中国当局にとってこの数字はかなり悩ましい数字だ。この大惨事に対する不満の爆発が当局に向けられることを当局は一番恐れている。

もちろん遺族不在の処理など不満の爆発する要素はないわけではないが、数年前の中国新幹線の衝突事故の時と比べれば何か変わったかなという感がある。中国新幹線事故の時は死者数はおろか、事故車両を地中に埋めてもみ消すというとんだ行為に出たが、今回はその時に比べれが情報のスピードが速く、事故船体の扱いも無茶なことはやっていない。

習近平体制になって指導部関係で一番力を入れているのが汚職体質の変革である。以前の中国共産党と言えば権力者は何でもあり、汚職など日常茶飯事だったはずだ。それを変革しようとする習主席は非常に評価できる。

一方、南シナ海での埋め立て・軍事要塞化などの軍拡主義には非難すべき点はまだまだあるが、中国国内問題に対する方向性に関してはまともな国になりつつあると感じられる。

パソコンからの情報漏えい

最近何かと情報漏えいが問題になる。以前のベネッセから最近の年金情報漏えいまで、頻繁に情報漏えい問題のニュースが流れている。企業の情報漏えいは企業の存続にもかかわる問題で、ベネッセも経営に非常に大きな打撃を受けた。年金情報漏えい問題に至ってはわれわれ国民の誰が被害を受けているかも明らかではなく、不気味で国の信用問題にも関わってくる。

この様なこともあり、国の、そして国民・企業の情報に対する意識は高まっているが、ひとつ情報ダダ漏れで社会で問題になっていないものがある。電話帳だ。電話帳は数百万件、あるいはそれ以上の情報の塊であり、情報漏えい問題がここまで問題になる割には電話帳が全然問題にならないのが僕は不思議でならない。

実際、振り込め詐欺などの詐欺事件で標的を探す場合にはほとんど電話帳が使われているそうだ。最近は携帯電話やスマホも非常に普及しており、このような悪用を考えると、もう電話帳の役割は終えたのではないかと思う。電話帳はご丁寧に全国各家庭に配布される。全く個人情報のまき散らしとしか言いようがない。

そして最近問題になっているのがパソコンからの情報漏えいだ。パソコン上の情報やファイルはクリック一つで消去できると思っている人が多いらしい。しかしそれは全く違う。デスクトップ上で消去してもハードディスクドライブ(HDD)内には情報は全て残っていると言ってもいい。最近は数千円出せば情報を全て復元できる機械が手に入るそうだ。パソコンを初期化しても以前の情報は残っているらしい。企業では業者に情報消去を依頼するところも多いが、その業者の情報管理意識が低ければ危険極まりない。

情報を完全に消去する方法が一つある。HDDを物理的に壊すということだ。つまりHDDを半分に折ってぶっ壊してしまう。これが一番原始的で一番確実な消去方法なのである。しかしHDDは非常に頑丈で簡単には壊せない。そこで最近はHDDを壊す専用の機械が20万円くらいで売っているらしい。個人で買うには高いが、企業が使う分には十分価値はあるだろう。

情報機器という最先端テクノロジーが最後に行く末が物理的に壊すことだというのは、仮想の世界から現実の世界に戻されたような気がして、現在のIT万能社会から目を覚ましてくれるような気がする。

尊厳死問題について

欧州人権裁判所が、7年間植物状態で意識が戻らない男性の生命維持装置を外すことを認めた。本題に入る前に、欧州人権裁判所なるものが存在することに少し驚いた。さすが人権問題で世界をリードする欧州ならではである。

尊厳死を認めるかどうかの判断にはあらゆるファクターが入り込んでくる。医学的判断、科学的判断、人権判断、宗教的判断から親族の感情まであらゆる要素が入り込んできて、すべてを納得させることができる結論は皆無に等しい。しかしどこかで結論を出さなければいけない。

稀少な例であるが、数年後に意識が戻ったという例も聞いたことがある。さらに意思表示はできなくても本人には意識がある可能性もある。しかし医学的・科学的に言えば脳死状態の場合は意識が戻る可能性はゼロであって、生命的死亡と判断せざる負えない。

尊厳死に関する問題は負の側面だけではなく正の側面も多々ある。脳死移植に関する問題がそれだ。脳死によって一人の死が確定するわけだが、脳死者からの移植によって助かるいくつかの命がある。親族にはもちろんつらいが、その一方生を手に入れられる喜びをかみしめることができる人がいるのである。このように植物状態の本人とその親族だけではなく、社会全体に与える影響も複眼的に考えなければいけない。

死の定義は時代により、また地域により変わり続けている。今の時代に合った「死」の定義は何か。常に最新の医学と知見、世論を考慮しながら判断しなければいけない問題である。

選挙権年齢引き下げ議論について

いま選挙権を20歳から18歳に引き下げようとする語論が行われている。この選挙権を2歳引き下げることによって新たに240万人の有権者が生まれることになる。

初めに僕の意見だが、僕自身は選挙権引き下げに大賛成である。現状として多くの政治家は若者よりも老人の顔色をうかがい、老人優遇の政策を打ち出し続けている。ニュースでも社会システムの問題について、若者に関するニュースより老人問題に関するニュースの方が圧倒的に多い。老人優遇の一方で若者は犠牲になっている。

政治の老人重視、若者軽視の理由は非常に単純で、単に老人の方が人口・投票率ともに高い(多い)ためだ。しかしこの2歳の選挙権引き下げによる240万の票の影響は非常に大きい。政治家も無視できないはずだ。そして若者重視の政治家も必ず増えるはずだ。しかしそのためにはこれらの若者が投票所に足を運び、若者の投票率を引き上げることが絶対的に必要だ。そうでないとこの効果は半減する。

また、選挙権引き下げにより、小・中・高校生の選挙に対する意識も高くなるはずだ。特に高校生は3年生が選挙権を持つことになる。これら青少年の選挙意識の向上が投票率の向上にもつながる。

政治家が若者優遇の政策を打ち出すことは、現在日本の一番の大問題である少子高齢化の対策にも大きく影響するはずだ。現在の少子高齢化の流れは小手先の政策操作では変わらない。政治家、そして日本国民の意識から変えていくことが必要だ。2歳の選挙権引き下げがそのきっかけとなりえると僕は考えている。政治家にはぜひとも前向きに考えてもらいたいものである。

就職活動のフィルター問題

今に始まったことではないが、就活生採用のフィルターがしばしば問題になる。もちろん一番大きなものは学歴フィルターだが、それ以外にも性別フィルター、出身地フィルターなどがあるらしい。

性別や出身地などはもちろん本人にはどうにもならないことなので、それをフィルターにするのは問題があるが、会社・業種などによっては特定の性別を欲している場合もあるので一概にこれを非難するのはどうかと思う。しかし合理性のないフィルターは確かに問題だ。

一番問題になる学歴フィルターだが、学歴に関しては努力で何とかなるものだと学歴フィルターに肯定的な意見がある。これには一理あるが、本来は学歴ではなく学生の才能・人間性を見て判断すべきである。とは言ってもエントリーシートや面接だけでこのようなことを判断するのは難しい、というより不可能に近い。最近はエントリーシート・面接についての訓練をするようなコンサルタントみたいな存在が大きく取り上げられ、就活生も表面重視で全力をつぎ込んでくる。

ならばあとは学歴で判断するしかない。学歴が絶対だとは言わないが、学歴が本人の才能を表している可能性は非常に高く、レベルの高い学校に入ろうという努力の方が、エントリーシート・面接で頑張ろうという努力よりも圧倒的に価値があるのは誰もが認めるところであろう。

とにもかくにも、フィルターがどうのこうの、面接がどうのこうのという前に、学校での勉強・研究に力を入れて打ち込んでほしいものである。それができない者にフィルターが問題だとかいう資格はない。

軍事技術の産業応用

今日もNHKでやっていた番組をヒントにお題を作らしていただいた。番組とは、戦後の日本の産業成長の足跡に関するものである。

周知の事実であるが、軍事技術は最先端の工業技術が使われている。現在広く使われている技術ももとをただせば軍事技術から派生したものが多い。軍事技術は未来の産業技術の宝庫なのである。

戦後、日本は軽工業でいくか、重工業でいくか、選択を迫られた。そこで日本、具体的には通商産業省が軽工業ではなく重工業、そしてその関連工業を重点化指定をした。その理由の一つになったのは、戦時中に養成された軍事関連の技術を開発する高度な技術者の存在だ。そのような技術者が戦後あふれていたそうだ。そのような軍事技術者を戦後産業技術者として活躍してもらおうと考えたのだ。

戦時中、当時の東京帝国大学(今の東大)に第二工学部というものが存在したそうだ。軍事技術を専門に研究する機関である。実は戦後日本の産業界で活躍したトップにこの第二工学部出身の技術者が多くいるらしい。例えば大企業の社長などに第二工学部出身の人が多い。

今の日本にもかなり大きな軍事産業が存在する。例を挙げれば三菱重工などが戦闘機、誘導ミサイルなどの技術で世界最先端を行く。日本の産業技術が高いレベルを維持できているのもこのような軍事産業が存在しているからかもしれない。

軍事産業は上手く民間産業に応用すればこれほど強い力はない。軍事機密との兼ね合いが難しいところだが、この軍事技術民間産業化に積極的に取り組み、民間技術の大幅向上に期待するところである。

SE(システムエンジニア)たちの仕事について

今日の主題はSE(システムエンジニア)。なぜいきなりこんなお題を立てたかというと、ここ数日僕はパソコンと格闘している。TeX(テフ)で数式文章を書いたり、ホームページビルダーで仕事のホームページを立ち上げたり。SEてこんなことをしているのかとちょっと思ったりしたが、実はSEの仕事は一言では表されないくらい多彩だ。SE一人ひとり仕事内容は全く違う。

営業寄りのSEから、プログラミング言語開発などの研究者ともいえるSEまで様々である。僕がパソコンでやってることなどはプログラミング研究からはほど遠い内容で、はっきり言って独創性のかけらもないような作業だ。人が作ったフォーマットを使って作るという感じだが、あまりにも頭を使わない作業の割には、息詰まるとウンウンうなりながら一向に進む気配がない。数理物理の勉強・研究が非常に恋しくなる。それどころか普段仕事で扱っている大学入試問題でさえ独創的に思えてきてしまう。

僕の名古屋の大学院時代の友人に、プログラミングを研究している人がいた。関数型プログラミング言語という、僕にはよくわからないことをやっていたが、彼などはSEというよりほとんど研究者だ。そのような彼を僕は尊敬している。

一方、ほとんどのSEの作業はかなりの単純作業ではないかと思う。最近はSEの人が足りていないので、文系の学部からSEになる人も多いみたいだ。プログラミングとは何かを知らずSEをやっている人たちもいる。

僕がパソコンを使っていて個人的に思うことだが、パソコンで作業をするのは頭に、具体的には知的に良くないように感じる。もちろん前出の彼のようにプログラミングを研究しているような高度に知的なSEはまた全然別なのだが。コンピューターが賢くなっていくのに反比例して、それを使う人間はバカになっていくように思う。もちろんスマホも然りだ。やはりパソコンやスマホから離れる時間は絶対に必要だと思う。コンピューターから離れて自然と戯れる。あるいは僕だったらウィンドウショッピングがひと時の楽しみだ。

コンピューター全盛期の今、コンピューターに依存しない生活というものがより価値があり、重要になってきているのではないかと思う。

戦後経済70年

昨日(31日)の夜、NHKで戦後70年の経済の歩みを特集していた。特にバブル時代の経済状態に重点が置かれていたのだが、承知の通り数年前のアメリカのリーマンショックの時と類似性が見られる。数年前の不況の象徴が証券銀行リーマンブラザーズであることは言うまでもないが、日本のバブル崩壊の象徴が山一證券であることもみんなの知るところだ。

とにかく両者に共通する点を一言で表すならば、金融市場が実体経済からかけ離れすぎていたということであろう。そして右肩上がりが永久に続くのではないかという幻想。

もちろんアメリカにしても日本にしても、バブル状態の時にバブルがはじけるなどということは誰も考えない。多少予測できたのは一部の日銀幹部くらいではないだろうか。

いまバブルの予感がするのが中国だ。確かに現在の中国経済は実態もかなり成長しているとは思う。しかしその一方で投資や都市開発において実態以上の取引がされているのも事実である。中国のウォール街と謳われて開発された超高層ビルの立ち並ぶ通称金融街は事実上の廃墟である。

そして現在の日本も例外ではないと思う。過去のバブルはバカだったと言いつつも、現在の金融好景気がまた永遠に続くと思っている節がある。いま日本は投資ブームである。NISAなど、手軽に投資を始められる環境が整っている。個人的な感じだが、「投資をする人は賢い、投資をしない人はバカだ」という風潮があるように感じられる。しかし投資を一切しないというのも一つの選択でもある。

浮かれて投資をマネーゲームみたいな感覚で(マネーゲームも立派な投資だと思うが)ブームに乗るように手を付けるのはいかがなものかと思う。そもそも投資は経済に対する支援なのである。そのような視点が全く欠けているのは非常に大きな問題である。

巨大地震に対する科学的理解

30日午後8時過ぎ、太平洋の日本沖合で巨大地震が起きた。地震の大きさを表すマグニチュードは8.5で、普通なら超巨大地震になろうかというレベルだ。日本でも広い範囲で大きな揺れを感じたようだ。しかしこれだけの巨大地震が沖合で起きて、津波が起きなかったことには非常に不思議に感じた。

今回の巨大地震で津波が起きなかった理由は、震源の深さにあるらしい。今回の地震の深さは590kmだった。普段日本付近で起きる地震の震源の深さは数十キロというものが多かった記憶がある。わかりやすく言えば、地震は海水のある海から500キロ以上離れたところに起きたと言える。そう考えれば津波が起きなかったことも納得できるだろう。

地震研究は基本的に実験ができない。(最近は人工地震というものを起こして地殻を調べることができるそうだが。)すなわち一回一回の地震そのものが実験のサンプルみたいなものであって、一回の地震でどれだけデータをとれるか、どれだけ解析できるかが地震学者の腕の見せ所である。

今回の地震は深さ590キロという非常に特殊な巨大地震であり、サンプルとしても非常に貴重だ。地震研究というと防災に直結する研究が主流のように思えるが、今回の地震からは地球の内部構造など地球科学に大きなヒントを与えるような地震ではないかと僕は勝手に思っている。

社会では地震学者に防災に役立つ研究を100%望んでいるが、科学的意義のある研究に一般市民も理解を示し、興味を持たなければならないのではないかと思う。

今回の特殊な巨大地震からどのようなことが解明されるのか、科学的興味のあるところである。