投稿者「木原 康明」のアーカイブ

ギリシャの国民投票について

日本は現在7月5日午前0時、ギリシャ現地時間5日にギリシャで国民投票が行われる。緊縮財政を伴うEU支援を受け入れるか、それに反対してEU離脱への道を進むのか。簡単に一言で言うと、倹約を約束するか、贅沢したいかみたいな感じだろうか。

日本国民の感覚から言うとギリシャ国民の感覚は異常とも思えるが、南ヨーロッパ気質とでも言うのか、彼ら彼女らは非常に楽天的だ。昔こんな本が日本で流行った。「お金がなくても平気なフランス人、お金があっても不安な日本人」。確かに日本人の用心深さは異常とも思える時があるが、その慎重さと堅実さが今の日本の繁栄を作り上げたのであろうか。

ギリシャの話に戻るが、それにしても情けないのが大統領をはじめとする政治家である。今回の判断は重要事項ではあるが、いちいち国民投票などにするものではなく、大統領の決断一つで決める類のものである。大統領は国民に直接選ばれた者であり、それが故に大きな権力を持つ。今回の国民投票は大統領の責任逃れとしか言いようがない。

今回の判断は、二者の良し悪しを決めると言うより、悪いか・もっと悪いかを決めるもののように思える。はっきり言って完全に手遅れなのである。それを決定的にしたのが、緊縮財政を進めようとした前大統領を否定して、緊縮財政反対の現大統領を国民が選んだことである。現大統領は現在も国民に甘い言葉ばかりささやいている。それに国民も酔いしれている。

今回のEU支援をもし否定した時、その時が国民が本当の現状に目が覚める時ではないかと思う。

ベルリンフィルの首席指揮者をめぐって

最近、ベルリンフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者の交代をめぐって内部で議論が起きていたらしい。ベルリンフィルと言えばウイーンフィルとともに世界の頂点に君臨するオーケストラだ。昔はフルトヴェングラーやカラヤンなど超巨星とも言えるような偉大な指揮者がいたものだが、カラヤンの跡を継いだアバド以来小粒な感がするのは僕だけであろうか。今回のことに関しても僕の不勉強のせいか、前指揮者、新指揮者とも名前を存じなかった。

音楽に疎かった僕がカラヤンのことを知ったのは大学の混声合唱団に入った時のことだった。カラヤンは帝王と言われ、首席指揮者ではなく終身常任指揮者と言われていた。なんだか巨人の長嶋茂雄のようだ。しかし最近は大物と言われる指揮者の名前をあまり聞かない。日本にいて聞くのは日本が誇る偉大な指揮者小澤征爾くらいだ。

小澤征爾と言えばちょっとした思い出がある。もちろん面識などはないのだが。信州松本で毎年開かれるサイトウキネンオーケストラという小澤征爾が主宰する音楽祭がある。大学時代、そのサイトウキネンのチケットを取るのに徹夜で並んでいたところに小澤征爾がサプライズで現れた。もちろん会場は大騒ぎ。僕もどさくさに紛れて小澤征爾と肩を組み写真に写り、シャツにサインをしてもらった。しかし今は写真もシャツも手元にない。小澤先生、ごめんなさい。

話はベルリンフィルに戻って、世界トップの演奏者が集まるベルリンフィルの指揮者は猛獣使いと言われている。演奏者一人一人がライオンなのである。そのような猛獣をいとも簡単に操り最高の音色を奏でさせるカラヤンのような超巨星はこれからまた現れるのだろうか。僕が生きているうちに現れることを期待するところである。

人間にとって教養とは

学生にとってそろそろ期末テストが始まるころだ。好きな教科、得意な教科には力が入るが、苦手な教科はどうしても後回しになってしまう。少なくとも学生時代の僕はそうだった。大学1年生の頃は大嫌いなフランス語の授業を出席だけとって後ろの扉から逃げ出していたのが思い出される。逃げ出した足で大学図書館に向かい、数学や物理の勉強に励んでいた。

ところでなぜ僕はフランス語をやらなければいけなかったのだろうか。フランス圏の国など一度も行ったこともないし、大学のフランス語の授業以外でフランス語に触れたことも皆無だ。今覚えている言葉と言えば「ソレイユ(太陽)」という言葉くらいだろうか。

大学の1、2年生の時期を教養課程と言う。もちろんフランス語の授業も教養課程の一環だ。専門を極めようと大学に入っても、初めの二年間は教養をしっかり叩き込まれる。なぜそこまで教養にこだわるのか。それはひとえに大学を出た者は専門知識と同時に大卒生にふさわしい人間の格としての教養を身に付けてほしいからだ。

教養はその人の人間の格・人間性をもっともよく表す。見る人が見れば30秒も話すとその人の教養のレベルはわかるものである。いくら専門知識があっても、いくら仕事ができても、教養のない者は最終的には軽んじられる。教養を身に付けることは大事だが、それ以前に教養の重要性を理解することはもっと大事だ。教養の重要性を理解していない人間は総じて薄っぺらい。

教養と言っても嫌なことを嫌々することは苦しい。まずは興味の幅を広げてあらゆる分野に挑戦する、それが教養の幅を広げる一歩ではないかと思う。

最近立て続けに起きる火山噴火について

ここ最近、日本列島各地で火山の噴火が立て続けに起きている。西之島での海底噴火では陸地の拡大が続き注目度も大きく、これからの行方が気になる。ここ数日では箱根山の小規模噴火が話題になっている。僕は地学の専門家ではないので詳しいことは判断できないが、やはり気になるのは地震と火山の関係、東日本大震災との関連、そして一番気になるのはやはり富士山の噴火ではないだろうか。

今、日本列島は地殻変動活動期に入っていると言われる。その幕開けが東日本大震災だ。しかしそもそもそのような活動期なるものが科学的に存在するかどうかは疑問だ。科学的にそのような活動期に入ったというよりも、地震噴火が頻繁に起きているから活動期だと言っているだけに思える。

そして今、富士山の噴火と同等以上に注目を浴びているのが南海トラフ地震だ。20年ほど前までは地震の話題と言えば、今にも起こると言われていた首都圏直下型地震一色であった。しかし阪神・東日本大震災を経験し、首都圏直下型地震の話題はすっかり影を薄めたように思う。しかし地震は忘れたころに起きる。話題が薄れた今、人々の警戒感も緩み首都圏直下型の危険は増しているのではないかと思う。

今、南海トラフ地震が警戒されているのはその桁外れの大きさだ。東日本大震災もマグニチュード9という超巨大地震だったが、南海トラフも最大予測はそれに匹敵すると言われている。数年前まで話題にのぼらなかったのがウソのようだ。

日本に住んでいる限り火山と地震は切っても切り離されない。この様な話題は時には必要以上に煽られているようにも感じるが、人々に警戒感をもたらすという意味では非常に良いことではないかと思う。日本人である限り、頭の隅には少しでも火山・地震のことを念頭に置いておくことは必要だ。

言論・表現の自由と多様性

言論・表現の自由と多様性は民主主義の根幹だ。自由と言ってももちろん他人を傷つけることや絶対に言ってはならないこと、卑劣な表現などは民主主義以前の問題、倫理の問題としてやってはならないことだ。しかし基本的に自由と多様性は認めなければならない。

最近、自民党内での会合での発言が問題になり、責任問題でもめている。今回の発言問題は民主主義国家の政府与党内の発言として決して認められないものだ。与党内での発言は権力者の発言であり、弾圧につながる。一般市民が勝手に発言するのとは訳が違うのだ。

僕は過去のブログで述べたように安倍政権を支持している。支持政党をコロコロと簡単に変えるのはあまりよろしくないとも思っている。どこの政党を支持するかは各自の自由だが、支持政党の行方をじっと見守ることも大事だと思う。

僕は安倍政権を支持しているが、残念なのが安倍氏の取り巻きたちだ。安倍首相自身は慎重に政策を動かしていても、取り巻きたちが安倍政権の盤石なことをいいことに好き勝手言い放題だ。そこには慎重のかけらもない。安倍政権の足を引っ張るだけである。しかしそれらの取り巻きをコントロールしきれていない安倍氏自身にも責任はある。安倍氏も対外政策だけではなく、党内の取りまとめに一度大きく取り組んではどうかと思う。そうでもしないと今の党内の現状では政権が足元からすくわれることにもなりかねないと僕は危惧している。

米宇宙ロケット打ち上げ失敗

アメリカの宇宙ベンチャー企業スペースX社のロケットの打ち上げが失敗した。その前は別のベンチャー企業の打ち上げも失敗している。これはアメリカの宇宙政策の失敗につながるのではないかと僕は危惧している。

数年前、アメリカはNASAのスペースシャトルの引退を宣言し、今はNASAは独自の宇宙船を持たない。スペースシャトル事業からの撤退の原因は、船体の老朽化とコスト高からだ。そこでスペースシャトルの穴埋めの役割を期待されているのがスペースX社だ。

スペースX社に一番求められていたのは、スペースシャトルでの問題点でもあったコスト問題の解決だ。そのためスペースX社の開発はコスト的には安く抑えられているものと思われる。しかしコスト安を重視して打ち上げの失敗すれば元も子もない。最近のロケット打ち上げ失敗でNASAの宇宙政策は見直しを迫られるかもしれない。

今回の失敗の影響は日本にも多岐的に及んでいる。その中の一つが日本の大学が作った観測カメラの打ち上げだ。しかし用意周到だったというべきか、予備まで含めて三台用意していたそうだ。次の打ち上げで再挑戦することになる。

思えばスペースシャトルは世界の子供の夢であった。スペースシャトルをみて宇宙飛行士に憧れた子供がたくさんいたものだ。コスト重視で宇宙政策を見直すのも仕方のないことかもしれないが、宇宙政策に夢は必須だと思う。子供たちの宇宙への夢が次世代の宇宙開発の原動力になる。子供たちの夢を甘く見ないでほしいものである。

少年Aの手記について

最近、18年前に神戸で起きた「酒鬼薔薇事件」の加害者少年Aの書いた手記が出版されて話題になっている。この出版に関しては書店の間でも是非が分かれ、店頭に並ぶことを拒否する書店も出てきている。僕の家の近くの書店では拒否の姿勢を貫き、関連記事を載せている雑誌の取り扱いまで拒否している。今日、大手の本屋に足を運んだが、その書店では少年Aの本が山積みされていた。

ビジネスとして利益を優先させるか、あるいは信念・倫理を重視し取り扱いをやめるか、書店としては悩ましいところであるが、その判断を書店に強制するものではない。その両者がいることは日本の書店業界の多様性・自主性が現れていていいことだと思う。

僕はこの少年Aの手記「絶歌」を読んだわけではないので偉そうなことは言えないが、この本の出版に関する一番の問題は、当たり前のことではあるが自分の起こした殺人事件をネタにして収益を上げていることであろう。そして遺族側からすれば、もう一度事件を煮え繰り返される苦しさがある。

僕自身、少年Aが手記を出すこと自体は否定しないし、実際にこれだけの読者がいることを見ると社会の需要にこたえているとも言える。出版社のビジネスとしてはこれほどおいしいものはない。ただ倫理的な問題はかなり大きいが。

先ほど言ったように僕はこの本を読んでいないし、これからも読むつもりはないので、この本の出版に関して判断を下すことはできないが、この出版の倫理に関しては深い問題がある割に、社会での現在の議論に関しては陳腐であるような感は否めない。

言論の自由はどこまで

先日、自民党の勉強会で作家の百田氏が「沖縄の2新聞紙をぶっ潰せ」と発言したそうだ。百田氏は後に冗談だったと弁解しているが、発言した場所が場所だ。政府与党の自民党内の会合内での発言とあって、その場での発言は半公式であり責任が問われる。もちろん民間人の百田氏に発言の自由はある。しかしその場では公人としての発言が求められている。

現在の沖縄の世論は急進的だ。政府と真っ向から対立し、沖縄内では反安倍色が濃いように見える。その沖縄の世論に本土の日本人が反論を述べるのは自由だ。しかし政府与党が沖縄の世論を押しつぶすようなことは許されない。沖縄世論に反する政策を打ち出すときは、100%納得させるのは無理としても粘り強く対話を重ね誠意を見せることが沖縄県民への礼儀でもある。

地政学的に沖縄は重要な所に位置している。沖縄から基地をなくすことは日本の国防政策としてあり得ない話だ。まずそこから話を進めなければいけない。なぜ本土ではなく沖縄でないといけないのかと。そこを抜きにして強引に沖縄に基地を作ろうとしても沖縄県民は納得できるはずがない。基地をどこに作ろうかではなくなぜ沖縄に基地が必要なのかと。

一般人の発言には自由が伴うが、政府与党側の発言には責任が伴い一般人の発言と区別しなければいけない。百田氏も今回の発言は政府与党内での答弁だという意識が全く欠けていたと見受けられるので、これからのそのような発言の場では十分に慎重になってもらいたいものである。

古典地図から見た尖閣諸島

ここ数年、尖閣諸島の領有権をめぐって日本と中国の間で対立が起きている。日本、中国双方の間でそれぞれ自国の主張があるが、お互い自国の有利な主張しかしないので平行線をたどっている。では尖閣を第三国から見ればどうであろうか。

最近、19世紀終わりに作られた英国・ドイツの地図が発見された。それによると両方とも尖閣は日本領となっていたそうだ。これを聞いて気の早い政治家などは、だから尖閣は古来から日本の領土であったというだろうが、見方を変えれば所詮外国の作った地図がたまたま尖閣を日本領に分類しただけのことでもある。

しかしこのイギリスの地図にはもう少し深い意味がある。当時香港と朝鮮南部の島は英国領であった。そしてその双方を結ぶ航路はイギリスにとって重要であった。そこでその航路上にある尖閣の領有権は英国にとってはっきりさせていなければならない問題であった。そこで英国は尖閣を日本領と認識していたのだ。

領土の領有権をめぐる争いは世界いたるところで起きているが、当たり前のことだがどこの国も自国にとって有利な事しか主張しない。領有権の合理的な解決は不可能かもしれないが、第三国の視点というのは解決の一つの糸口になるのかもしれない。

株主総会がピークを迎える

多くの会社の株主総会が先日一斉に行われた。株主総会は90年ころからほとんどの企業が同日に一斉に行われるのが習慣だった。その理由は総会屋対策。当時総会を荒らして企業に金品を要求する総会屋の動きが活発だった。それを防ぐためにほとんどの企業が同日に株主総会を開くようになった。そうすれば一人で同日に何社の総会に出席することはできないので、この総会屋対策は一定の成果を上げた。

しかしもちろん本来の株主たちも数社の株を所有していても一社の総会しか出席できなくなる。この様な弊害が指摘されていた。そういうこともあって今では総会日程が分散する傾向にある。

ところで今話題になっているトヨタのAA型株というものがある。購入すると5年は売ることはできないが、5年後には元本が保証されているというものだ。この株によってトヨタは中・長期的な資金を獲得できるというメリットがあり、株購入者にも元本は保証されるというメリットがある。この新型株について今年のトヨタの株主総会はもめたらしい。物言わぬ株主が増えるのではないかと。結局採決の結果、新型株は導入される見通しとなった。

何かと保守的と言われる日本企業。このトヨタの革新的試みには大いに期待したいところだ。この新型株が証券業界に風穴を開けることになるであろうか。