投稿者「木原 康明」のアーカイブ

巨星散る・南部陽一郎博士

ノーベル賞物理学者、南部陽一郎氏が死去したことが明らかになった。94歳だった。

南部氏に関する俗的な話題はもちろんノーベル物理学賞を受賞したことに尽きるが、そのことを表現するときに「日本人物理学者」と表現すべきかどうかが議論になる。南部氏は東大卒業後、大阪市立大学で職に就いた後アメリカに渡り、そのままアメリカを研究拠点とし、アメリカ国籍を取得している。すなわち国籍上はアメリカ人なのである。日本生まれのアメリカ人と言う方が正確である。このことについては日本としては名誉なことではない。何しろ超一流物理学者が日米の研究環境を比較してアメリカを選択し、日本を捨てたわけであるから。異能流出である。

南部氏の物理学的な業績は多岐にわたり、広く深いものである。南部氏を表現するときによく使われるのが「時代を先取りしすぎた」という言葉だ。南部氏の研究は数十年後のスタンダードになっている。

僕が物理の勉強において初めて南部博士の名前に触れたのは、場の量子論の「南部・ヨナ-ラシーニョ模型」だ。南部氏の業績は、博士の代名詞ともいえる「自発的対称性の破れ」や「南部-ゴールドストン定理」をはじめ、どれをとっても重要なものばかりだ。最近流行りの超弦理論(超ひも理論)ももとをただせば、「南部-後藤のひも仮説」にたどり着く。素粒子論を学ぶ者にとって南部理論は必須だ。

南部氏は一般向けの書物も書いている。講談社ブルーバックスシリーズの「クォーク」という書物だ。これはブルーバックスの中でもベストセラーで、広く一般市民に親しまれている。

今、僕の机上の本棚に、「BROKEN  SYMMETRY , Selected Paper of Y.Nambu」という本がある。南部博士の論文集である。僕が昔、KEK(高エネルギー加速器研究機構)での研究会に参加した時に、途中の東京の本屋さんで買った本だ。恥ずかしながら、深く読んだとは言えないのだが。論文集が出版されるのは一流物理学者の証だ。

やはり南部博士の話題で、一般市民の一番の興味はノーベル賞であるので、ノーベル賞の話題で終わることにする。2008年のノーベル物理学賞は南部博士・益川敏英博士・小林誠博士の日本人トリプル受賞であった。しかし三者三分の一ではなく、南部氏が二分の一、益川氏・小林氏がそれぞれ四分の一ずつである。賞金もそのように分配される。単純に言えば、南部氏のノーベル賞は、益川氏・小林氏の二倍の価値があるということである。

南部博士の冥福をお祈りいたします。

集団的自衛権に関する安保法制と政治

7月16日、集団的自衛権に関する安保法制が衆院を通過した。この法案をめぐっては多くの国民の間で是非に関する議論が沸き起こっている。賛成意見にも反対意見にもそれぞれ分はあるが、はたしてどうすべきであろうか。

僕自身、集団的自衛権に関しては賛成である。ただ安倍総理の手法には大いに問題があると感じている。ここはしっかりと改憲という手続きを取り、法治国家としての尊厳を見せなければいけない。

今、反対派の人たちは、この法案を認めてしまうと戦争に巻き込まれてしまうと訴えている。その根拠が戦後現在まで他の地域の争い・混乱に接触しなかったおかげで一度も戦争に巻き込まれなかったという主張だ。しかし武装した自衛隊が行かなかったことでどうなったか?日本としては丸腰の民間人、あるいは外交官が紛争の最前線に立たされてきた。そしてこれまでに外交官をはじめ、民間人などの武器を持たない人たちが犠牲になってきた。

国際ボランティアの中田厚仁さんを覚えているだろうか。カンボジアでボランティア中に銃弾の犠牲になった若者だ。武装して給料をもらっている自衛隊が国内で敵のいない訓練地で体を鍛えている間に、丸腰で給料のない日本人ボランティアが犠牲になる始末なのである。これが本当に平和国家と言えるのだろうか。もし平和国家を掲げるなら、国内だけではなく国外の荒れている地域も平和にしなければいけない。そしてそれをすることが一番可能なのが自衛隊なのである。

もう一国平和主義は通じない。戦後の日本人にとって戦争とは現実の世界の出来事ではなくテレビの中のフィクションだった。もし近くの自衛隊員などが海外へ赴くのを自分の目で確かめることができれば、戦争の悲惨さも少しは実感できるであろう。

日本は島国のせいか、国境線が見えない割には日本と外国を強く区別する。しかし平和に国境線があってはならない。国境線の内側は平和なら外側は爆弾が落ちてもいい、というような考えはもう通用しない。実際イスラム国と呼ばれている疑似国家には国境線はない。もう平和に対する見方を国境線で区別する時代は終わったのである。

日本の平和だけではなく、世界の平和を心から願おう。

ビジネスにも品がある

その人の人間性を評価するときに、品は重要な要素だ。品がなければ人間性の評価も低くなる。それと同じように、ビジネスにも品がある。しかしビジネスにおいて品のことを考える人は少ないかもしれない。ビジネスではとにかくお金をたくさん儲けた人が勝ちだという風潮がはびこっている。人間を、持っているお金で判断する人も多い。しかし僕はこれに異議を唱えたい。

正直言って現在の僕はお金がない。それを理由に僕の意見が説得力がないと言う人はこの記事を読むのをやめても全然かまわない。

僕のビジネスは始まったばかりである。今まで数理物理のことばかり考えてきた。そしてこれからも数理物理の研究のことを第一に、大切に考えていきたいと思っている。数理物理の研究で妥協をする気は全然ない。今までは研究を大切にするあまりお金のことを常に後回しにし、軽視してきた。しかしこれからは研究もビジネスも全力で取り組もうと思う。

そこでビジネスをするにあたり、品というものを大切にしたいと思っている。ただやみくもに数字だけですべてを判断するようなビジネスはしない。もちろんビジネスでは数字は一番大切かもしれない。しかし僕はビジネスはあらゆる要素の集合体であると思う。お金儲けというものを中心にいろいろなプロジェクトを進めていく。お金を単にお金で終わらせずに数字以上のもっと価値あるものにしたい。

そして僕がビジネスを進めていくうえで一番重視しているのは「アイデア」だ。ぼくの個人的な考えだが、アイデアのあるビジネスは品がある。アイデアのないビジネスは品がない。そう思っている。そういう意味では品のあるビジネスの方が圧倒的に成功する率は高いし、利益も大きい。

僕の個人的な目標として、2020年にあるものを購入することを一つの目標にしている。研究で成功し、その品物が買えているか、5年後が楽しみだ。

金正恩の暴走

いま、北朝鮮の金正恩がとてつもない暴走をしている。今日も国防相の側近が粛清されたというニュースが入ってきた。中世ヨーロッパの恐怖政治を思わせるが、今の北朝鮮はそれ以上かもしれない。中世の独裁者でも側近をそんなに簡単に粛清したりはしなかっただろう。

この北朝鮮の粛清の嵐は北朝鮮の崩壊の前兆か、それともまだまだ続くのか。単純に考えると、これだけ頻繁に粛清をしていると人材がいなくなる。自然、能力のない正恩に対するイエスマンだけが生き残ることになる。無能な幹部ばかりの国がそう長く続くはずがない。やはりこの粛清の嵐は崩壊の前兆と見るべきであろう。

ところで正恩の夫人はブランド物に夢中だ。以前もディオールのバックを持って現れた。しかし不思議なことに正恩はいつもダサい人民服だ。あの人民服はダンヒルの生地ででもできているのだろうか?ここまで贅沢な生活をしていながらあの人民服にあの刈り上げカット、理解不能である。もちろんあの刈り上げカットは祖父の金日成に似せるためにしているというのがもっぱらの噂だ。しかし髪型は似ていても政治手腕は月とスッポンだ。

不思議の国北朝鮮、この不思議が崩壊するのも近いだろう。フィリピンのマルコス政権が壊れた後は、イメルダ夫人の数千足もの婦人靴が現れた。北朝鮮が崩れた後、何が出てくるのか。そのような変な興味もわいてくる。

厚生労働省の村木さん

村木厚子さんを覚えているだろうか。厚生労働省局長だった約五年前、郵便不正事件で逮捕され、20日の拘留・取り調べを受け、後に無罪になった女性だ。今では100%冤罪だったことが明らかになっている。

今日、たまたま雑誌で村木さんの2ページの記事を見かけた。そこで僕は今の村木さんの肩書を見て驚いた。現在の村木さんの肩書は「厚生労働省事務次官」、つまり厚生労働省キャリア官僚のトップなのである。僕は本当にうれしかった。めちゃくちゃうれしかった。村木さんのような誠実で、どん底に落ちても信念を曲げず戻ってこられた強い女性が日本の省庁のトップになられている。このことは日本の、そして日本女性全ての象徴であり、財産である。

村木さんの経歴はキャリア官僚としては一風変わっている。もちろん女性キャリア官僚としても珍しいが、東大出身のキャリア官僚がひしめく中、村木さんは高知大学出身なのである。地方国立大学出身で事務次官までなったキャリア官僚は村木さん以外はいないのではないかと思う。

村木さんはもちろん男性キャリア官僚と変わらぬ仕事をしているのはもちろんだが、女性官僚として女性に関わる政策にも重点を置いている。障がい者政策にも関わっていたはずだ。男性官僚と変わらず、それに女性目線をプラスして村木さんしかできない仕事をたくさんやってこられた方だ。

村木さんは郵便不正事件の冤罪で有名になったが、たとえそれがなくても事務次官にまでなられる力と人格の持ち主だと僕は信じている。あとどれくらい事務次官の職をされるのわからないが、村木さんしかできない仕事を思いっきりこなして活躍してもらいたいと願う。そして欲を言えば後に伝説の女性事務次官と呼ばれるくらいの活躍をすることを願うばかりである。

安保法案に関する報道ステーションのニュースで

7月13日(月)の報道ステーションで、安保法案に関する国会での議論のニュースが流れた。国会では4人の有識者が招かれ意見を述べた。

そのうちの一人、元外務官僚は、ISIL(イスラム国)を例に取り上げ、日本一国だけが血を流さないで他国の危機を眺めているだけのような無責任なことは通用しないと述べられた。この意見に関しては僕はもっともだと思う。

さらにもう一人、憲法学者で首都大学東京准教授の木村草太氏は、憲法学的には非常に問題があって、もし集団的自衛権を認めるならば憲法改正と言う手続きを取らなければならないと述べられた。この意見に関しても僕はもっともだと思う。

僕は集団的自衛権法案賛成・反対の両者に対してもっともだと言ったが、これには理由がある。根を正せば両者とも集団的自衛権の思想に関しては賛成なのである。ただ木村氏の意見は憲法学的立場から、もし集団的自衛権を認めるならば正式な手続きを取らなければならないという意見を述べているのである。

なぜ木村氏は憲法改正という手続きにこだわるのか。それはもしこのような正式な手続きをしないで集団的自衛権を認めれば、今回の件に関しては何も問題がなくても、これから将来、今回のことが前例になり憲法解釈ですべてを済ましてしまう、あるいは極端な場合は憲法を無視してしまうような事態が起きる可能性があることを憂慮しているのだと思う。極端に言えば独裁国家になってしまうような。

木村氏は報道ステーションのスタジオにも呼ばれていたが、彼の論点は的確で鋭い。僕は憲法学など素人中の素人であるが、木村氏は憲法学の核心をわかりやすく伝えてくれたと思う。

彼のような若くて気鋭の学者が法案議論の一翼を担っていることは、非常に心強いことだと僕は感じた。これからの木村氏の活動・研究に期待したい。

韓国の国民性は教育から

二日連続で韓国の話題になるが、何しろ韓国は日本の隣国であり無視できないこともある。遠い地球の裏側の国なら無視もできるが、幸か不幸か韓国は隣国だ。

先日、野球の国際大会の台湾-韓国戦で韓国側が卑劣な小細工を仕掛け、台湾国民は怒っているらしい。スポーツの国際大会における韓国の不法行為はもうおなじみで、国際大会があるたびに3つや4つくらいの不法行為が明らかになる。一つ一つのことに言及すればきりがないが、韓国のこのような体質は子供時代からの教育システムが原因ではないかと思う。先ほどスポーツについて言及したが、このようなことは政治・経済など韓国のあらゆる分野で共通にみられることだ。

韓国は日本以上の学歴社会で学歴を得ることには容赦しない。数年前に集団カンニング事件があったことも思い出す。韓国の学歴社会は「自分が上の学校に行く」=「人を蹴落とす」と言う構図がありありと見える。もちろん日本でもそのような構図がないとは言えない。20年以上前には日本も「自分がのし上がるために人を蹴落とせ」という思想がある程度あった。しかし今の韓国の現状はトップの大統領自身がそのような思想に染まっており救いようがない。大統領自身が病的な状態では、それが広まりはするにせよ改善することはないだろう。

ただ一つ救いようがあるとすれば、現在韓国は一応独裁国家ではない。大統領には任期がある。任期が来れば大統領が変わる(可能性がある)。しかしあまり楽観的な展望はできないだろう。前大統領に反する政策を打ち出せば、国民の反発を招く可能性があるからだ。特に反日思想に関してはそうだ。次期大統領が度の過ぎる反日に危機感をおぼえていても、現大統領が反日なしで国民をコントロールすることをできなくしてしまった。よって自身は反日でなくても反日路線を維持しなければいけない。

もし韓国の国民性を変えるならば、幼少期からの教育を改革するしかないだろう。今の韓国を見ていれば、教育に難があることは一目瞭然だ。スポーツは精神面が前面に出るのでそれが直に表れる。したがってスポーツを見ればある程度の国民性は推測される。

とにもかくにも今の韓国は教育から変えていかなければならない。そうでないと韓国自身が自国の足を引っ張ることになるし、隣国にも悪影響が及ぶだろう(もう及んでいるが)。

世界遺産登録をめぐっての日韓関係

先日、明治産業革命施設に対するユネスコの世界遺産登録をめぐっての日韓のやり取りは熾烈を極めるものだったようだ。6月には一度日韓合意ができていた。そこでは遺産に対して「forced to work(働かされた)」という表現を使うことで合意したが、いざ始まると韓国は「forced labor(強制労働)」という表現を強調してきた。この悪意に満ちた韓国の対応に日本外務省、そして安倍総理も怒り心頭だったようだ。

それが明らかになってすぐ、外務省の杉山審議官は即韓国に飛んだ。韓国に着いた杉山氏は韓国外務省に乗り込んだが、そこでの韓国の対応はのらりくらりと逃げるような対応だったそうだ。forced to workをforced laborに変えた理由も、単に言葉を短くしただけだと言い逃れていたらしい。もちろん杉山氏をはじめとする日本政府は激怒していた。forced ladorと言う言葉は十数年前に「強制労働」を表す言葉だと国際的に認められている。翌日も杉山氏は韓国外務省に乗り込んだ。そこでは怒号が飛び交う応酬であったらしい。

この様に、日本政府・日本外務省は毅然と韓国政府に立ち向かった。韓国側からは脅しともとられるようなやり取りだったらしい。しかしこのような日本側の強硬な態度のおかげで日本人の尊厳が守られたのだ。

今までは日本政府といえば対外的には弱腰で有名で、特に難癖をつけてくる中韓に対してはほとんど反論できなかった。しかし今回は日本政府も堪忍袋の緒が切れた。一度このような対応ができるとそれが実績になり、これからも毅然とした態度をとることに躊躇しなくなるだろう。

今まで一方的にやられ、日本国民もやるせない気持ちだった。しかし今回の日本政府の対応に、日本国民も世界に対して毅然とした態度を持つきっかけになり、日本国民としての尊厳・誇り・自信を深めることになるだろう。

強盗に襲われたスガさん

「一緒にいたアソウさんは助けるが、強盗に襲われたスガさんは助けられない。」安倍首相は集団的自衛権に関連する話題でこう話したという。

現在は個別的自衛権は存在し、自分たちに直接影響することに関しては防衛・攻撃はできるが、自分達とは関係ない(と思われる)ところで起きている犯罪には手も足も出せないということだ。しかし集団的自衛権が認められるとそのような事にも関与できるようなことになる。この集団的自衛権の焦点は、日本人(自衛隊員?)が日本に関係ないところで血を流すことになるのではないかという危惧である。しかしこのような思想は半分前時代的な考えが入っているのではないかと思う。

過去、そして今まで、防衛の単位は基本的に「国」であった。すなわち自分の国さえ平和ならば他の国は関係ない。実はこれは日本の平和憲法の思想の一面でもある。日本人は自国の憲法第九条平和憲法を誇りに思っている。しかしこのような自分の安全だけしか考えない思想が平和憲法の思想だと言えるだろうか。

集団的自衛権で実際に血を流す可能性が高いのは自衛隊員である。自衛隊員が戦地に行くことになる。しかしストレートに言えばそれが自衛隊員の仕事である。日本は徴兵制ではない。自衛隊員は皆志願してなっている。自衛隊の仕事は多岐にわたる。災害救助での活躍は最近は目覚ましいものがある。しかし自国が戦闘状態になればその最前線に行くのも自衛隊の仕事である。自衛隊の活動を否定するものは自衛隊員になる必要は全くない。しかし自衛隊員になりながら戦地に行くのは嫌だ、血を流す可能性のある活動なんてけしからんなんていうのは矛盾していないか。

戦地に赴くのが嫌でその時に脱隊する者がいれば、それは自衛隊詐欺以外の何物でもない。もちろん血を流さずに済めばそれが一番いいに決まっている。しかし誰かが血を流さなければいけない時がある。その時、自分たちは平和憲法の国民だから血は流せないので、アメリカが、あるいは他国が代わりに血を流してくださいとでも言うのか、と言う話である。

宇宙からこう言った者がいる。「地球に国境は存在しない」と。もう一国だけの平和が通じる時代ではない。国境は徐々に薄くなってきている。ヨーロッパもEUと言う形で国境が薄くなった。その中で日本は、東アジアは頑なに国境を堅持しようとしている。

まだ現時点では時期尚早かもしれないが、国境と言う概念はこれから薄くなっていく方向に進むのは間違いないであろう。

小保方氏とは何だったのか

最近、STAP細胞騒動の張本人小保方氏が論文を雑誌に載せるのにかかった60万円を理研に返却したという報道があった。この騒動が60万円で済むわけがない。理研としても「形として」ということであろう。一言で言えば「ポーズ」である。

正しいことを証明することはできても、間違ったことを証明するのは意外と難しいものだ。小保方氏の疑惑についても99%嘘だと思っていても残りの1%はどうだ、と言うことになる。

数学ではこれは意外と簡単だ。理論が正しければ正しい、間違いがあれば正しくないということである。とは言ってもアンドリュー・ワイルズがフェルマーの大定理の証明論文を提出した時には、数グループに分担した検証グループが1年以上かけて判定した。とはいえ、このような例は数学でも例外的な部類に入る。

話は小保方氏に戻るが、多くの若手研究者は研究ポストに就こうと必死に努力している。その中でも正規のポストに就けるのは一部だ。時間もかかる。お金もかかる。小保方氏は理研の正規のポストに就き、年収は1000万円だったと言われている。記者会見の時には立派な指輪が話題になった。今考えると本当に強い憤りを感じる。

研究者として成功するには非常に困難ないばらの道を歩まなければならない。その途中で自殺する研究者も多いと言われている。小保方氏への社会の対応と、研究者への厳しい試練双方に何ともやるせない気持ちを感じてしまう。