投稿者「木原 康明」のアーカイブ

日本のパクリ暴き文化

最近、何かとパクリ疑惑が多い。ついこのあいだの東京オリンピックエンブレムのパクリ疑惑は記憶に新しいが、今度は東京都エンブレムがパクリだと指摘され、舛添東京都知事が釈明した。そこで桝添氏は他のエンブレムと酷似することはありえ、パクリではないと主張した。

僕はこの主張はもっともだと桝添氏の主張を支持したい。もちろん東京都エンブレムがパクリかオリジナルかを判断・断言することはできない。しかしエンブレムやロゴなどは世界に何万・何億と存在するのである。酷似するロゴが全くないという方がおかしいかもしれない。今回は東京オリンピック・東京都のロゴという非常に目立つエンブレムであったために注目を浴びたのかもしれない。とはいえ、パクリを支持するつもりは毛頭ない。しかし現在パクリ疑惑はともかく、パクリ暴き文化ともいえるこれらの風潮は非常にネガティブであるし感心できない。

パクリ疑惑はパクリを認定・確定したものではない。東京オリンピックエンブレムの佐野氏を罵る国民・ネット住民は多いが、佐野氏がどうであれネット住民が匿名でバッシングするのは非常に卑怯だ。もしバッシング・否定するのなら、自分の名前を堂々と名乗ってほしい。

僕は現在のパクリ問題以上に、パクリバッシング文化という非常に陰湿な風潮の方を憂慮している。

ユネスコの政治利用の応酬について

最近、ユネスコの政治利用がかなり醜い。韓国の慰安婦問題、中国の南京大虐殺問題、そして日本も例外ではなくシベリア抑留を申請しようとしてロシアから批判を浴びている。

これらの問題を歴史として記憶することは大いに意義があるが、それらを国際機関に遺産として登録するのは非常に疑問である。まずはじめにそれらの事実関係を立証するのが非常に難しいことがある。登録申請側は自国に有利な事象を、そしてされた側はそれらの事象に猛烈に反発している。

例えば南京大虐殺を例にとると、中国は30万人が虐殺されたと主張している。それに対して当時の南京の人口は25万人だと言われている。この様に明らかな矛盾なら真偽は判断しやすいが、何しろ歴史は過去の事実であって確実な証拠が残っているとは限らない。慰安婦問題についてもどれだけの人数が犠牲に、いやその前にそれらの事実関係は本当に正しいのか、判断材料に乏しいのが現状である。

ユネスコの遺産登録制度は歴史の美点・酷点を忘れないように後世に残すためにできたものであろう。しかし現在は完全に政治手段・プロパガンダに利用されているだけである。このユネスコ遺産の現状を今一度検証し、システムを一新するか廃止するか、考え直した方がいいのかもしれない。現状のユネスコ遺産は明らかに病的な状態に陥っている。

プロスポーツの健全な盛り上がり方

テレビ番組で、今話題のラグビー・五郎丸選手が出演されていた。五郎丸選手と言えば今では日本人なら誰でも知っている超人気者だ。そんな五郎丸選手が活躍したラグビーW杯日本代表だが、イングランドに出発するときの空港での送り出しに集まったファンは数十人だったという。それがW杯で活躍し、凱旋帰国した空港での歓迎に集まったファンは数百人に上ったという。この様なにわかラグビーファンに苦い顔をする人も多いだろうが、僕はむしろこれがプロスポーツの健全な状態であると考えている。

もちろん末永くどんな時も応援するコアなファンはそのスポーツの基礎体力であり、スポーツが社会に根付くために絶対的に必要なものであるが、にわかファンの数はそのスポーツの現在の力のバロメーターである。にわかファンが多いことは非常に素晴らしいことなのである。しかし選手たちが油断をするとそのにわかファンたちは逃げていく。しかしにわかファンを長く惹きつけることができればその一部が固定ファンとなり基礎体力となる。

そしてもう一つ、にわかファンは芸人で言う一発屋に似たところがあるかもしれない。そしてにわかファンと同じように一発屋を否定しバカにする風潮がある。しかし考えてほしい。一発屋になれるのは数多くいる芸人のうちのほんの一握りなのである。ほとんどの芸人は一発屋にさえなれないのである。地道にコツコツと積み上げて少しずつ人気を上げていく芸人は言うまでもなく素晴らしいが、一発屋をきっかけにして人気に火をつけるのも一つの手段である。

現時点の日本ラグビーは一発屋かもしれない。しかしこの状態を、この強さを持続できれば必ず真のメジャースポーツになれる。そうなることを僕は非常に願っている。

ノーベル化学賞・大村智さんの多彩な才能

先日、北里大学の大村智特別栄誉教授がノーベル化学賞を受賞されたことは記憶に新しい。その大村氏であるが、彼は科学者として超一流であることは今回の受賞により明らかであるが、経営者としての腕前も超一流であるという特集記事を、読売オンラインで読んだ。

彼は微生物によって生み出される物質から病原菌を殺す抗生物質を抽出し、この成果がノーベル賞受賞につながった。しかし彼の業績はそれだけではなく多彩な分野に広がる。

抗生物質の抽出に成功した大村さんは、製薬会社のメルク社と共同開発契約を結び、大村さんの全面アップのもとメルク社は製薬事業で大成功する。現在で言う「産学連携」というものである。今盛んになりつつある産学連携を大村さんは何十年も前に実行していたのである。

さらにメルク社からのロイヤリティーにより北里大学・北里研究所に巨額な資金がもたらされた。それまで北里大学・研究所はほぼ破たん状態だったらしい。それが大村さんによってもたらされたメルク社からのロイヤリティーによって大きく立て直されたのである。そして大村さんは北里の理事、理事長として大きく腕を振るわれた。その時、大村さんは経営書を多数読み、経営ノウハウを身に付けたらしい。大村さんは経営者としても超一流だったのである。その後、北里以外の他組織でも経営・運営を任されて立て直された。

科学者というと一日中研究に取り組んで、社会のことにあまり興味がないというイメージが蔓延しているが、大村さんの業績はそのようなイメージを根底から覆すものだ。大村さんの評価は科学的業績だけでは判断できない。アフリカの多くの人間を病魔から救って病原菌を絶滅させた、これは人道的貢献に当たり、実際大村さんはノーベル平和賞の有力候補とも言われていたという。そして経営者としての業績。

いかにも人のためを一番に考えて生きてきた大村さんらしい業績である。

日本人の才能・技能に対しての価値観について

最近、確か韓国の俳優イ・ビョンホンさんについてだったと思うが、彼に大きなスキャンダルが出た。それに対して韓国国内ではバッシングの嵐で、永久にそれを許さないという風潮らしい。それに対して日本人ファンたちは、確かにスキャンダルは良くないが、それと彼の俳優としての演技の上手さは別であって、彼の演技(もちろん彼がイケメンだということもあるだろうが)は好きだからこれからも応援するという人が多いらしい。

確かにスキャンダルはネガティブであるし、ないに越したことはないが、その人の才能とはまた別の話だ。もちろん芸能人は見栄え・普段のイメージまで売りにしているので全く別なわけではないが、例えばスポーツ選手などの場合は仕事の能力とスキャンダルは全く関係ない。スキャンダルが起きたから仕事の能力まで否定するのは間違っている。上述の日本人ファンたちはその点は心得ているのかもしれない。

もちろん犯罪を犯すなどの行為をしたのならば話は別である。しかし日本人の才能・技術を高く尊重する価値観は非常に素晴らしいものだと思うし、分野は全く変わるが、日本人のそのような尊重の心が日本人のノーベル賞レベルの科学者の輩出につながっているのかもしれない。

財務大臣が「軽減税率面倒くさい」とは何なんだ!

読売オンライン記事で、麻生財務大臣の発言が載せられた。それによると軽減税率に対して、

「みんな面倒くさいと言っている」

と言ったという。麻生氏自身が面倒くさいと言ったわけではないが、その後に、

「我々に押し付けないでくださいよ」

と言ったことからも、麻生氏自身が軽減税率導入に対する対処に、面倒くさいと思っているととらえるのが順当だろう。

麻生氏は麻生財閥の御曹司だ。彼にとって食料品・日常生活用品が10%だろうが軽減されようが何にも感じるものがないのだろう。しかしギリギリの生活を強いられている市民からすれば軽減税率は日常生活に直結する。麻生氏にそのような実感は全くないのであろう。

麻生氏の行きつけのバーは、帝国ホテルのバーであるらしい。カクテル一杯が数千円の世界である。軽減税率が面倒くさいからカクテルも全部軽減すればいいとでも言いそうである。

「面倒くさい」が普通の政治家の発言なら「また失言したな」で終わるかもしれない。しかし麻生氏は財務大臣である。失言というレベルの話ではない。しかも総理大臣経験者。民主党時代の菅・鳩山元総理は何かとバカにされているが、これに自民麻生氏も加えて「何とか三兄弟」とかできそうである。

TPPは環太平洋地域の共同体になりえるか

最近、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)が大筋合意した。僕自身、TPPによって関係各国間の関税システムがどのようになるかなどの詳細は分からないが、アメリカ・オバマ大統領たちはこのTPPを単なる経済協定ではなく、「経済上の安全保障同盟」とみなしているようだ。

話は少しそれるが、ヨーロッパでは昔、EC(ヨーロッパ共同体)という欧州諸国の共同体が結成され、それが現在のEU(ヨーロッパ連合)へと発展してきた。これは欧州諸国間の融合、あるいは国境の存在を薄くする動きだ。そうすることによってEU関連諸国間での対立、特に軍事的対立の可能性は確実に減少する。

このEUの試みを見本にして、東アジアもEUのような共同体を作るべきではないかと僕は感じていた。しかし現在は日本と中・韓との対立などがあり、そのような共同体を作るような機運ではない。そこで今回の「安全保障同盟」としてのTPPである。TPPは現在はあくまでも経済上の協定に過ぎないが、これをきっかけにして環太平洋地域の「軍事的な安全保障同盟」まで発展しなのかと僕は思った。今まで東アジア地域を一つにするという視点はあったが、環太平洋地域を一つにまとめ上げるという視線は僕自身を含めてあまりなかったのではないかと思う。

太平洋戦争は環太平洋間での対立であった。そのことからも環太平洋地域の共同体を成立させることは非常に意義があるのではないかと思う。もちろんその環太平洋地域には東アジアも含まれるわけであって、より広い地域を網羅できる。

現在のTPPには中国・韓国は参加していないが、オーストラリア・ニュージーランドのようなキーとなるような国も含まれている。これから環太平洋地域連合が共同で世界情勢に働きかけ大きな影響力を持つと、日本をはじめ環太平洋内のその他の国にとっても発展する転機となるかもしれない。

大臣の歴史・そして新しくできた一億総活躍の政策

自民党・二階俊博総務会長が講演会で

「文部大臣は日本国ができた時からずっとある。1億総活躍大臣なんてこのあいだできたばかりでたいしたことない」

と発言したらしい。二階氏に対してどうというわけではないが、大臣の重要性を歴史という一視点だけで判断するのは果たしてどうかと思う。

もちろん文部科学大臣は文部大臣という名前の頃から非常に長い歴史がある。立派な庁舎も存在する。文部科学省・文部科学大臣の重要性は今さら言うまでもない。単純に考えても現在のところ、一億総活躍大臣よりも文部科学大臣の方が圧倒的に重要だと感じる国民の方が大多数だろう。

しかし今、安倍総理が誰もが考えなかった一億総活躍大臣というものを作ったことは、これが安倍総理の肝入りで作られたのだろうと推測できる。この一億総活躍大臣が重要になるかそうならないかは安倍総理の動き次第だ。安倍総理は一億総活躍大臣に対して何かしら重要な役割を持たせてくるであろう。

一億総活躍が重要かそうでないか、それは数年のスパンで判断すべきことではないかと思う。「一億総活躍」という響きはいい。しかしこれを形だけで終わらさないためにも、一億総活躍に向けての具体的政策を打ち出し、国民にアピールしていかなければならない。もし安倍総理の任期終了と一億総活躍大臣の終焉が同時ならば、一億総活躍の政策は安倍総理の失敗と言わざる負えない。

これからの日本を活気のある明るいものにするためにも、一億総活躍の政策が成功することを祈る。

世界で一番貧しい大統領、ウルグアイのムヒカ氏(フジテレビ・Mr.サンデーより)

10月11日、フジテレビの「Mr.サンデー」で、ウルグアイの大統領を5年務め、2015年2月に退任した、ホセ・ムヒカ氏の特集をやっていた。ムヒカ氏は「世界で一番貧しい大統領」と言われた男だ。彼のインタビューを観た日本人の中には、彼の考えに共感した人は多かったのではないかと思う。一番「貧しい」という言葉は彼に失礼かもしれない。確かに貧乏ではあるが、彼の心は決して貧しくはなく、温かく輝いていた。

ムヒカ氏はなぜ貧乏なのか。もちろん大統領にまでなった男だ。お金を得ようと思えば得られたはずだ。しかし彼はそれを選ばなかった。大統領時代の給料の9割を寄付していたのだ。なぜ彼はそのような行動をとったのか。それは「大統領は多数派に選ばれた者だから、生活水準も多数派の平均の生活をしなければいけない」という信念からである。ウルグアイは決して経済的に豊かな国ではない。したがって彼の信念に従えば豊かな生活はできなかったのである。

彼は日本に関して非常に深い理解を持った人物だ。そして彼は、江戸末期の開国前の日本を非常に称賛し、現在の日本を批判している。なぜ彼は現在の日本を批判しているのか。彼はもともと「消費社会」そして「西洋文化」を否定している。お金があれば欲しいものが買えるが、それよりもっと大切なのは豊かな心だ。そして心は生き物からしか得られない。生き物とは人間、犬、そして草花も例外ではない。彼はそのようなあらゆる生き物を大切にする。物質などは必要最小限あればいいのだと彼は言う。

彼の言葉に日本人は非常に反省する。本当に大切なものは何なのか。高級な車、立派な家、豪華な家具、そしてあらゆる物質的豊かさ。今の日本人はそのようなものを追いかけているのではないだろうか。もちろんムヒカ氏の思想がすべてではない。物質的豊かさに満足するのもそれはそれでいいのかもしれない。しかし物質と心がどちらが大切かと問うた時に、もし物質を選んでしまったら少し心が病んでいるのかもしれない。

最近の僕も何かしら物質的なものを追い求めていたかもしれない。お金は天使でもあり魔物でもある。お金を得た人間の人間性によって姿を変える。お金に、そして物質に飲み込まれてはいけない。ムヒカ氏はそのようなことも訴えたかったのかもしれないと僕は感じた。

僕にとって大事なのは何か。心も物質も大事だ。しかし僕にとって一番大事なのは物理・数学の研究だ。それが心も満たしてくれる。それはムヒカ氏が大事だと主張しているものとは少し違うかもしれない。しかし僕にとってそれが一番大事で生きる原動力になっているのである。数学・物理の心とでも言うべきだろうか。

ノーベル「政治学」賞

最近に始まったことではないが、多くの人がノーベル平和賞、そしてノーベル文学賞が「政治化」していると感じているのではないだろうか。平和賞が政治的色彩を帯びるのはまだ理解できるが、最近は文学賞がさながら「政治学賞」となっている状態に反発を覚える人も多いのではないだろうか。

今年のノーベル文学賞受賞者も非常に政治色が濃い人物だ。そして日本で毎年注目を浴びている村上春樹氏も、作品自体が政治色のあるものだとは言わないが、赴いた場所で、そして賞の授賞式で政治的発言をする。以前ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏の受賞の決定となった作品は、広島の原爆の悲惨さを書いた「広島ノート」だ。べつに大江健三郎氏の書いていることを否定しようという思いは毛頭ない。しかし大江氏の文学的価値があまり注目されない中での受賞は疑問に思う。もういっそうの事「ノーベル政治学賞」でも作ったらどうだという気持ちになる。

大江氏の前の日本人ノーベル文学賞となると、日本人なら誰もが知る川端康成氏だ。川端氏は純文学的要素・日本的な繊細な文学的表現が評価され受賞された。最近は政治色の濃い文学賞に世界の人々ももう飽きているのではないだろうか。そろそろ純文学的に評価されたノーベル文学賞の報を聞きたいところである。