投稿者「木原 康明」のアーカイブ

信じるべきところで信じる。

何もかも疑っていてはきりがない。疑いが疑いを呼び、疑心暗鬼に陥り身動きが取れなくなる。信じるべきところでしっかりと信じることが大事である。

とは言っても、盲目的に信じることは危険だ。物事、そして人を的確に判断を行い信じることが大事である。

もちろん、すべてを「正確」に判断することは不可能だ。だからこそ正確ではなくても「的確」に判断することが大事なのである。

「的確」という言葉を辞書で調べると、

「的を外さないで間違いがないこと。また、そのさま。」

とある。何だか正確と的確は同義語のように思えるが、少しニュアンスが違うようにも思える。そういうニュアンスを込めて「的確」という言葉を使った。

物事を論理的に判断できても、人間を的確に判断をするのは非常に難しい。だからこそ信用が重要になってくる。自分が相手を信用していることを伝えれば、上手くいかないことも上手くいくことがある。そういう意味でも、人を信じるべきところで信じることが大事である。

物事を、そして人間をどれだけ信じれるかということは、その人の人間としての度量が問われているのかもしれない。

リスクを取るべきところと取らないところを、はっきりさせる。

僕は人生においてかなりリスキーな道を歩んでいると自覚している。とは言っても何も金銭的なリスクを取っているわけではない。もちろん金銭的なリスクも取ってはいるが、僕自身の人生そのものがギャンブルだと思っている。

お金のギャンブルは一切しないが、人生のギャンブルは取り続けている。しかし、リスクを避けるところは避けている(と自分では思っている)。全てにおいてリスクを取り続ける必要なはい。リスクを取るべきところで取って、リスクを避けるべきところで避けることが大事である。

人生の中で前に進むためには、どうしてもリスクを取らなければならない時がある。そのような所でいつもリスクを避け続けていれば、永遠に前進はない。

自分が自滅しない程度にリスクを取ることが大事なのかもしれない。そして時には保険を掛けることも必要である。そのようなことができる自信はないが。

危険な香りのする男。

どのような男を目指すのか?人それぞれ目標とする人間があり、そして男としてどうあるべきかと考えているだろう。僕が目標としているところは「危険な香りのする男」だ。

危険な香りとは何か?生き方がハイリスク・ハイリターンであったり、あるいは薬にも毒にもなるとか、いろいろ言える。この様な人間の対比としては「人畜無害」であると言えるだろう。

僕は人畜無害な人間にはなりたくない。全力で生き、いつ死ぬかわからない。100歳まで生きるかもしれないが、明日死ぬかもわからない。そんな生き方をしたいと思っている。

ただ現在、危険な香りのする男になれているかと言われれば、まだそこまではなれていない。超新星のように輝けるか?それとも自滅するか?それでいいと思っている。人間誰しもいつかは必ず死ぬのだから。

自分が人生を懸けていることに全力で当たり、そして私生活でも危険な香りを振りまき続ける。そんな僕の理想とする生き方に思いっきり近づけるように、そして近い将来、僕が危険な香りのする男だと皆から感じられるように、危険を冒し続けたいと思う。

新しい境地。

新しい境地を切り開くことが「進歩」というのかもしれない。いきなり大きな進歩を成し遂げ、とんでもなく新しい境地を切り開くことは稀かもしれないが、昨日より今日、今日より明日と、日々進歩を続け、一歩ずつ小さな境地を切り開いていくことは不可能ではない。

多くの人は安心と安定を望んでいるのかもしれない。しかしそれは言い換えると「現状維持」ということになる。もちろんそういう生き方は悪くないのだろうし、むしろ世間ではそちらのほうが推奨される生き方なのかもしれない。

新しい境地を目指すのは「開拓」を続けることである。そのためには大きな危険が伴うことも少なくない。ハイリスク・ノーリターンになる危険性も大いにある。しかしそれでも新しい境地を目指して危険を冒すことを止められない人がいる。

世の中を進歩させるには、どうしても危険を冒して新しい境地を切り開いて行く人間が必要だ。しかし世の中はそのような人に対して少し冷たいような気もする。他人の目を気にしすぎても仕方ないが、少なくともそこへと突き進む環境だけでも整えたいものである。

クレイ数学研究所の一億円ミレニアム賞問題。

物理や数学の問題と言うと、学校で解く問題や入試問題を思い浮かべる人は多いかもしれないが、世の中には最先端の数学者や物理学者が血眼になってかかっても解けない未解決問題が存在する。その中でも有名なのが、アメリカのクレイ数学研究所が2000年に一問1億円の懸賞金を懸けたミレニアム賞問題であろう。

クレイ数学研究所のミレニアム賞問題は、以下の7問である。

・リーマン予想

・バーチ&スウィンナートン-ダイア予想

・P vs NP問題

・ホッジ予想

・ポアンカレ予想

・ヤン-ミルズ理論の存在と質量ギャップ

・ナビエ-ストークス方程式

この7問のうち、現在までに解かれたのは、ポアンカレ予想1問のみである。(ポアンカレ予想を解決したペレルマン博士は1億円の受け取りを拒否している。)

この7問の中には、純粋数学的問題だけでなく数理物理学的問題も含まれている。

クレイの問題のような大問題に取り組みながら、その周辺で研究結果を出していくという道も凄く面白いと思うが、この7問に限らず、大きな未解決問題を解決するのは多くの数学者・物理学者の夢である。

少年だけでなく、大人にも大志を抱くことは凄く大事だし、エキサイティングなことである。

健康は最大の実力である。

若い頃は健康であることが当たり前のように思っていたので、あまり健康のありがたみがわからなかったが、最近は健康であることのありがたみがひしひしと感じる。なぜこんなことを感じるかというと、これまで調子を崩したり不健康であったことを経験し、健康でないとできないことが多くあることを強く感じたからだ。

健康とは最大の実力である。世間では「頭がいい」とか「運動神経が良い」という表現でその人の才能を称えるが、健康であるとはそれと匹敵するくらいの、あるいはそれ以上の才能である。

つい最近亡くなったホーキング博士のように、病と闘いながらも大きな才能を発揮する人間もいる。もちろん、ホーキング博士の大きな業績は病で薄らぐものでもなんでもない。

とは言え、社会活動の多くは健康であるかどうかに大きく左右されることが多い。健康であることを最大限発揮して大きな業績を出せばそれは大きな才能であるし、ホーキング博士のように病と闘いながらも巨大な才能を発揮する人間もいる。

とは言え、やはり健康でいるに越したことはないし、健康であることを願うばかりである。ホーキング博士を敬いながら。

物理学と生物学、二つの領域。

物理学と生物学は両方とも科学の基礎である。しかしその特性は大きく違う。物理学は自然の一般性の基礎であり、生物学は自然の特殊性の基礎と言える。

科学には還元主義という考えがある。還元主義とはその名の通り、現象をより根本的な要素に還元してく思想である。例えば、生命現象を還元していけば化学にたどり着き、その化学をさらに還元していけば物理学にたどり着く。その物理学の中で最も還元していった極限にあるのが素粒子論である。

すなわち、還元の矢の先端にあるのが生物学で、矢の根っこにあるのが物理学である。還元の矢の先端に近ければ特殊的性質の色が強く、矢の根っこに近ければ一般的性質の色が強くなる。(紛らわしいが、矢印の根の部分を最初の部分という意味で“先端”と呼び、矢印の先端を最後にたどり着く部分という意味で“根っこ”と言っている。)

生物学の面白さはその特殊性にあり、物理学の面白さはその一般性にある。とは言っても特殊科学である生物学の研究においても、その中にある普遍性を突き詰めることが最も重要になる。ワトソン・クリックの遺伝子の二重らせんはその最たるものであろう。

物理の研究者にとっても生物学的知見は素養として重要であり、生物学者にとっても物理学的素養は重要である。それを行動において強く示したのが量子力学を打ち立てた物理学者・シュレーディンガーの著書「生命とは何か」であろう。

細部を極めるのも必要であるが、広く科学の一般的知見を身に付けることもそれに劣らず重要である。

データは助けにはなるけれど、全てではない!

近年、非常に高度な情報社会になってきたが、それと同時に起こっているのがデータ万能主義だ。データは確かに大きな力にはなる。だからと言ってデータに溺れてはいけない。データは助けにはなるけれど、全てではないのだ。

近年、ビッグデータが非常に注目を浴び、データサイエンティストの活躍が注目を浴びている。しかしこのような情報社会下でも、独創的な仕事を中心とした世界ではデータだけではどうにもならない発想が重要だ。

例えば単純作業や、多くのデータを解析することによって成り立つ世界では、すでに人間は太刀打ちできない。だからこそ、人間はコンピューターが活躍するところとは別世界で勝負せざるを得ない。

自分はどこで勝負すべきか?現在の状況ではなく、十年後、二十年後を見据えて勝負を懸けることが重要になってくる。

プロ意識を持っている人が好きだ!

例え社会的地位としてプロであろうとなかろうと、僕は常にプロ意識を持つことを心がけている。自分が打ち込んでいることに対して、決して甘えないという覚悟を持って取り組んでいる。

僕自身、プロ意識を持つことを心がけていると同時に、世の中でプロ意識を持って生きている人は素敵だと思うし、そのような人が大好きだ。直接陽の当たらない縁の下の力持ちから、テレビで脚光を浴びている有名人まで、プロと呼ばれている人はたくさんいるが、その中で強くプロ意識を持って取り組んでいる人は非常に魅力的に見える。

何に対してもプロになるためには非常に厳しい道を歩まないといけないし、時間もかかる。しかし“プロ意識”はすぐにでも持つことができる。将来プロになることを目指す人にとって、まずはプロ意識を持つことがそれに向かう第一歩になるのではないかと思う。

精神と肉体。

頭を使う生き方をしている人でもその頭を支えているのは体であるし、逆に体を使う生き方をするにしてもその体を動かすのは頭だ。どんな生き方をするにしても、精神と肉体は切り離せない。

研究者という頭を使う仕事をしている人の中にも、体を動かし鍛えている人は多い。僕の大学時代の恩師の数学者はハードな筋トレをしていたし、iPS細胞の山中伸弥教授がジョギングを日課とし、しばしばフルマラソンに参加しているのは有名な話だ。

一流のプロスポーツ選手はほぼ例外なく頭をフルに使っている。イチロー選手が非常に頭脳明晰な選手であることは明らかであるし、大谷翔平選手も非常に思考しながらプレーに取り組んでいる。

ただ体が強ければいいとか、頭が良ければいいという訳ではなく、頭と体、精神と肉体の両方を鍛錬することが重要であり、片方の鍛錬がもう一方のパフォーマンスに大きく影響を与えることを認識して生きることが大切である。