投稿者「木原 康明」のアーカイブ

ニューヨークタイムズ紙が「1面」で銃規制についての社説を掲載。カリフォルニアでの銃乱射事件を受けて

12月5日、ニューヨークタイムズ紙は「1面」で銃規制に関する社説を掲載した。社説は日本の新聞を見てもわかるように、1面には掲載されない。日本の大手新聞紙では3面に掲載されるのが普通だ。すなわち、社説を見るためには手で一枚めくらなければいけない。その社説を5日のニューヨークタイムズ紙は「1面」に掲載したのだ。

この社説を1面、すなわち表紙に掲載することは非常にインパクトがある。社説とは字のごとく、「新聞社の説、新聞社の姿勢・思想」である。であるから社説は基本的には各新聞紙それぞれ違う内容を打ち出す。今回のカリフォルニア乱射を受けての銃規制に関しても、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、「銃規制しても乱射事件は防げないに決まっているから、銃規制なんて無駄だよ」という趣旨の記事を書いているという。ニューヨークタイムズ紙とウォール・ストリート・ジャーナル紙の姿勢は正反対なわけだ。

よく知られていることだが、これだけ銃による悲劇が繰り返されても全く銃規制が進まないのは、全米ライフル協会による圧力、族議員へのロビー活動が原因だ。過去に何人もの大統領が銃規制法案の成立を試みたが、ほぼ全て廃案に追い込まれている。

しかしもうアメリカ国民の間でも、銃社会に対して反感を覚える人たちはMAXに達しているのではないか。アメリカは過去に何度も乗り切れられないと思われた難題を解決してきた。奴隷解放問題・黒人差別問題。そして今、この銃規制問題を解決すべき時ではないだろうか。

現大統領のオバマ氏も銃規制法案に前向きだ。もしかしたら次期大統領までかかるかもしれないが、銃規制法案が近い将来成立すると僕は感じている。

最近忘れがちな、北朝鮮の脅威

最近、日本の安全を脅かす国として中国が頻繁に取り上げられ、韓国の反日運動なども話題になるが、北朝鮮の脅威を忘れていないだろうか。最近の僕のブログでも中国の脅威については幾度も触れてきたが、北朝鮮の脅威については忘れがちだったような気がする。

日本人にとって北朝鮮問題と言えば、拉致問題が真っ先に取り上げられる。もちろんそれも日本にとって大事な問題だ。しかし最大の脅威は北朝鮮の核問題である。過去に数度の核実験を行い、それによって起こった地震のマグニチュードは4クラスだ。

北朝鮮の核というと韓国を攻撃するためだと日本人は思いがちだが、日本ももちろん核の攻撃対象である。北朝鮮にとって日本は韓国に次ぐ仮想敵国なのである。

しかし日本人はそのことについて全く気にする様子がない。日米同盟によりアメリカが全て防いでくれる、あるいはアメリカの核の傘があるから大丈夫だと安心しているのであろうか。

核の傘については日本人はせこいと思う。自国は非核三原則(これ自体は素晴らしい思想だと思うが)により核には全く触らないくせに、アメリカの核の傘を要求する。筋金入りの反核運動者は核の傘まで否定しようとするが、その思想の根底に抑止力の概念など全くない。

とにかく、北朝鮮の核は現在進行形の脅威である。今の日本人は、中国・ロシア・北朝鮮の核保有国の脅威に対しての危機感があまりにもなさすぎるのではないかと思う。

下町ロケットが面白い

現在、TBSで放送されているドラマ「下町ロケット」が、非常に面白い。原作は池井戸潤氏の小説で、直木賞作品でもある。このドラマを一言で表すと、「もの作りに対するプライドのぶつかり合い」とでも言えるのではないだろうか。非常にしっかりと作られ、意図もはっきりした素晴らしい作品だと僕は思う。

ドラマ中に出てくる企業もまた面白い。帝国重工や宇宙開発機構などは、それぞれ三菱重工、JAXAをモデルとしていることは明らかである。しかもこの二社が現実に日本のロケット開発の中心であることから、ドラマに現実味を持たせている。そして余談だが、ドラマの中心である佃製作所の佃航平であるが、数年前の三菱重工の社長(現相談役)は(関係ないとは思うが)佃和夫という人物である。

もの作りによって成長してきた日本にとって、このドラマは出るべくして出てきたといえるのかもしれない。もの作りに実感のない日本人も多いとは思うが、このドラマによってもの作りとは何かということがかなり伝わったのではないか。

同じ池井戸氏の小説をもとにして作られ、大ヒットしたドラマ「半沢直樹」は銀行を舞台としたドラマであったが、その金融業界ももの作りの業界との取引がなくては成り立たない。どうしても資金を握っている銀行の権力が大きく取り上げられるが、その源泉となっているのは日本のもの作りである。そういう意味でも半沢直樹と下町ロケットは非常に強いつながりがある。

そしてまたまた余談だが、ドラマ中に出てくる帝国重工・宇宙航空部部長、財前部長を演じる吉川晃司さんがすごく格好いい。ダークネイビーのスリーピーススーツが非常にお似合いで貫録がある。財前部長のスーツのブランドを調べてみたが、わからなかった。

現在、下町ロケットは後半の「ガウディ編」に入り、ロケットとはガラッと変わって医療機器の開発がテーマとなっている。医療機器業界は宇宙航空業界以上にわかりにくい業界である。その業界がどのように描かれているのか、今後の展開が楽しみである。

寄付をするfacebookのザッカーバーグの矛盾。facebookの英国法人の法人税が80万円

facebookのザッカーバーグCEOが5兆円の寄付をすることを表明した。そのこと自体に関しては非常に素晴らしいと思うし、僕が口出しすることでもないかもしれない。アメリカには寄付文化が根付いており、ザッカーバーグに限らずアメリカの経営者が多額の寄付をすることはよくある話だ。

しかしその一方で首をかしげたくなるようなニュースを聞いた。facebookの英国法人が法人税を80万円しか納めていないというのだ。facebookの社員がではない。会社がである。ザッカーバークの寄付行為と英国法人のこの小額な法人税は矛盾するのではないか。

もちろん80万円しか納めていないとは言っても脱税しているわけではない。合法的行為である。おそらくfacebookはあらゆる節税行為を実行してきたに違いない。しかし5兆円の寄付をするのならば、その前に常識的な税金を払うべきではないだろうか。それが筋というものである。この英国法人の税金のことを考えると、ザッカーバーグの寄付もむしろ悪質に思えてくる。

税金を払うことは非常に重要な社会貢献であり、多額の税金を払うことは寄付に勝るとも劣らない。その税金を軽視し、多額の寄付をするfacebookならびにザッカーバーグの行為は、完全に社会的ポーズである。

facebookならびにザッカーバーグさん、寄付をする前に、常識的な税金を払って社会に貢献してください。それでも余力があるならば大いに寄付をしてもらいたい。

性善説と性悪説、日本が世界に実行する積極的和平をどうとらえるか

日本国内、日本人は、物事を性善説でとらえようとする。世の中は皆良い人ばかりだという前提で物事・理論を進めようとする。それは日本が世界に非常に誇るべきことであり、日本の心の美である。しかし残念ながら、世界は性悪説で物事は進められ、決定される。

典型的な例が、憲法第九条かもしれない。現行憲法はもとはと言えば、戦後、マッカーサー率いる進駐軍(GHQ)によって考案されたという。すなわち現行日本国憲法は日本人が作ったものではない。そういう意味で現行憲法は日本人自身によって日本自身の手で作り直さなければいけないのかもしれない。

しかし憲法第九条を軸とする平和憲法は、性善説を前提とする日本人に非常に融和的な要素を持ち得る。しかし悲しいかな、世界は性悪説で動いている。日本人はこちらが手を出さなければ、誰も攻めてこないと思っている。しかし現実は中国をはじめとする他国は隙あらば攻めようと虎視眈々と日本を狙っている。

中国による尖閣諸島、そして日本領空・領域侵犯、そして韓国の竹島問題、ロシアによる北方領土問題など、上げればきりがない。そして自衛隊は年間数百回ものスクランブル発進によってそれらを瀬戸際で防いでいるのである。何もしないで自国の平和は守れない。積極的防衛が行われているからこそ平和は維持されるのである。

日本人にとって、水と安全はタダだと昔は言われていた。確かに水道水の安全性は世界で断トツトップであろう。しかし現在の日本では安全はタダではなくなった。自分で警戒して守るか、セキュリティ会社にお金を払って守ってもらうしかない。現にALSOKやセコムなどの有料で安全を守る会社が活躍している。

そして国家も同じである。現在の日本の防衛費は約5兆円である。それだけの大金をつぎ込んで我々日本人の平穏な生活が確保できているのである。

少し前の安全保障法案(安保法案)は多くの国民から「戦争法案」と揶揄された。そう言いたい気持ちは大いにわかる。そんなものなしで平和が維持できるものなら、絶対にその方がいいに決まっている。しかし世界は性悪説で動いている。日本も積極的和平に取り込まないと、自国が取り込まれてしまうのである。

とは言え、憲法改正に賛成の僕も、心の中では憲法第九条は日本の平和主義の象徴として残してもらいたいと思っている。世界は必ず日本の憲法第九条をどこかで意識しているはずだ。憲法第九条が世界の潮流を左右するときが来るかもしれない。甘い考えだと思いつつも僕はそう願っている。

絶滅危惧種のDNA保存プロジェクト

現在、英国で絶滅危惧種のDNA保存プロジェクトが行われている。もちろんその目的は、一度絶滅した動物を、再生科学が発達した未来にもう一度よみがえらそうというものである。

地球では過去に5度の大量絶滅が起きたという。前回の大量絶滅では恐竜が絶滅した。そして現在6度目の大量絶滅が進行中である。

現在生活している我々は、現在大量絶滅が起きていると言ってもピンとこないが、大量絶滅は1日1年で起きるものではない。何十年・何百年かけて進行するものだ。何百年というと非常に長いように思えるが、地球の歴史数十億年と比べれば数百年など一瞬である。

そして過去の大量絶滅と現在の大量絶滅の決定的な違い、それは現在の大量絶滅の原因が99%人間によるものだということだ。人間の活動による乱獲・温暖化・大気汚染など、原因は複合的だが、全て人間由来のものだ。

もちろん現在絶滅に瀕している動物の生態を回復できればそれに越したことはないが、絶滅危機の多数の種を救うことは今の人間にはできない。苦肉の策としてDNA保存のプロジェクトが行われている。この領域まで人間が手出ししていいものかと考え込む人も多いだろうが、生命倫理は時代によって進歩(変遷)していく。数十年後にはDNA保存は当たり前のことだととらえられているかもしれない。さらに人間のDNA保存による人命再生なども行われている可能性も十分に考えられる。

生命科学にとって、科学技術と生命倫理は両輪である。科学の暴走を倫理が抑制する、そのように科学は発達してきた。ともあれ、個人的には今回のDNA保存プロジェクトに関してはかなり賛成である。100%とは言いきれないが。

IS(イスラム国)が3500人以上を処刑。命っていったい何だ

ISで昨年の6月から1年ほどで3500人以上の人が処刑されたという記事を見た。彼らにとって命とはいったい何なんだろうか。

人の命は世界中のどこでも、いつの時代でも同じだ。そう思っている人は僕も含めて多いはずだ。しかし現実は違うようだ。IS支配地域では人の命は虫けらのように扱われている。そして北朝鮮でもそのようなことがされている話はよく聞かれる。そして我々も無意識のうちに人の命を差別化しているのかもしれない。アラブでのテロは一言で済ますのに対して、パリでのテロは何週間にわたって話題になる。

そして場所だけでなく、時代によっても命の重さは変わる。日本においても太平洋戦争中に特攻隊が結成され、自爆攻撃がされた話は有名だ。その時代、日本人は自国民の命を虫けらのように思っていたのかもしれない。

学校では「命は尊いものだ」と教えられる。しかし、なぜ命は尊いか、それを説明できる教師は少ないだろう。これは簡単に一言で説明できる話ではない。学校で生徒の自殺が起きた時、教師は「命は尊いから大切にしなければならない」と発言する。しかし僕にはそれが呪文、あるいは教師の免罪符にしか聞こえない。命の尊さは、何年・何十年とかけて認識していき、人間は成長していくのである。それを教師が一言で説明できると思うのは勘違いも甚だしい。

ISの話に戻るが、ISは殺りくを繰り返している。その現実は必ず断たねばならない。しかしその主な手段は現時点では空爆となっている。その空爆で欧米は無数のイスラム住民を殺りくしている。もちろんISの首謀者を攻撃しているという言い分はわからなくもない。しかしこの空爆という大量殺りくはどうかならないものかと多くの人は悩んでいるはずだ。空爆は善なのか、悪なのか、それとも必要悪なのか、答えは簡単に出せそうにない。

 

一枚岩になれない対IS包囲網。トルコのロシア軍機撃墜で

現在、IS(イスラム国)のテロ行為は過激化かつ拡大化してきている。欧米をはじめとして対IS包囲網が敷かれているが、その矢先、トルコのロシア軍機撃墜事件が起こった。これによってトルコとロシアが対立化し、対IS包囲網の内部で亀裂ができつつある。

今は対IS包囲網の内部で攻撃し合う場合じゃない。一枚岩にならなければならない。今回のトルコとロシアの対立で、ISは狂喜していることだろう。ISの思うつぼである。

今回の事件を受け、トルコとロシアの間で解決しなければならない事案は山積しているだろう。しかし解決過程でお互いを攻撃することは望んでいないことを前提条件として打ち出す必要がある。絶対にそうしなければならない。間違ってもこじれた場合には攻撃し合うなんてことがあってはならない。

パリでのテロを受け、現在は世界中のどこでもテロが起きてもおかしくない状態に突入した。もちろん日本も例外ではない。これから2020年東京オリンピックに向けてその危険性は増すことはあっても減じることはないと覚悟しなければいけない。だからこそ、内部紛争している場合ではない。トルコとロシアの仲介をする国が必要だ。トルコと友好国であり、ロシアとも悪くない関係の日本はその候補になりえるだろう。ここは安倍総理に一肌脱いでもらいたいとこだ。これこそ真の国際貢献につながるであろう。

フランス大統領はパリのテロを受け、戦時状態に突入したことを宣言した。そしてそれ以外の欧米をはじめとする世界中の国家は準戦時状態ともいえるあろう。いま、戦争の形が大きく変わろうとしている。戦争を起こすのは国家ではなく、同一な考えを持つグループである。そのグループは国家のように一か所にかたまっているのではなく世界中に散らばっている。サイバー空間でのハッキング集団アノニマスを連想させる。このアノニマスはISをサイバー攻撃すると先日宣言した。このことに関しては欧米国家は内心喜んでいるだろう。アノニマスがどれほどの攻撃を仕掛けるかは現在は未知数であるが、「国家」である欧米・ISと対立するアラブ諸国、そして日本が今一番求められていることは、何度も言うようだが一枚岩になることである。

オウム・菊池直子被告に無罪判決、東京高裁裁判から

オウム真理教の元信者、菊池直子被告の裁判の判決が27日にあり、菊池被告に無罪判決が言い渡された。一言で言うと、検察側の完全な敗北だ。検察側は控訴するだろうが、今回のこの一件の判決は、検察側にも国民にも衝撃的な判決ともいえる。

ただ今回の判決に関して、一方的におかしいと言うつもりはない。むしろ日本の裁判システムの現状が現在は正常に稼働しているともいえる。それはこういうことだ。

過去の裁判では今回の判決とは全く逆のことが幾度か起きてきた。最近では袴田巌さんの判決が記憶に新しい。無罪である人間が不当な証拠で有罪、しかも死刑判決が下された。袴田さんは不幸中の幸いと言っては非常に失礼になるが、晴れて冤罪判決が確定され自由の身となられた。しかしこれまでに冤罪の疑いのある死刑囚が死刑執行された例がいくつか存在する。普段の社会生活で犯罪にあうのは怖いが、犯罪を犯していない人間が冤罪で突然国家権力に拘束されるのはもっと怖い。袴田さんはその犠牲になられた。

今回の菊池被告の判決は、有罪の疑いが強いが、不十分な証拠と取り調べに対して嫌疑不十分と判断された。この判決に不満を持つ国民は非常に多いと思われるが、裁判の原則は推定無罪である。疑いが曖昧な人間を一方的な思い込みで有罪にしては決してならない。袴田さんの二の舞は決して起こしてはならないのだ。

菊池被告への個人的な感情はともかく、裁判のシステム、今回の判決に対しては検察の敗北ということ以上に、裁判の正当性を主張するものであり、今回の裁判に関わった裁判官に対して支持を表したい。

この裁判は間違いなく最高裁に控訴されると思うが、検察はさらに確証の高い証拠を提示し、論理的弁証を行い、もしこれが有罪ならば最高裁判事を完全にうならせる形で判決を取ってほしい。

一億総活躍社会へ向けて。貧困からキャバクラで働く女子大生。(TBS・NEWS 23 より)

現在の安倍内閣の一つの目玉でもある、一億総活躍相。日本国民が幅広く活躍できる社会を目指してこれから政策を実行しようとしているところだ。その中の一つとして、意欲ある学生が大学・大学院へ進学し、勉学にまい進できる環境を作ることも、一億総活躍社会へ向けての重要な政策だ。

しかし、現在の大学生を取り巻く環境、ことに金銭的に余裕のない学生に対して社会が十分な環境を提供できているかというと、疑問に思うことが多い。11月26日のTBS・NEWS23で、貧困学生を取り巻く厳しい環境について特集された。

家庭の事情により仕送りを受け取れない学生も多いという。そのような学生の支援として奨学金制度があるが、日本の奨学金制度は世界の先進国の中では特に異常な状態に陥っている。現在の日本の奨学金制度はほとんど(99%と言っていいほど)貸与型である。しかもその半数の人は利子つきの貸与である。僕も大学院時代、奨学金を借りたが、もちろん貸与型であった。日本の奨学金はでは貸与型が常識であるが、海外(アメリカなど)ではこれを奨学金とは言わない。「ローン」と言うのである。海外で奨学金と言えば給付型が常識であるが、日本では給付型はほぼ皆無である。

一億総活躍社会を目指すには、将来の社会の戦力である学生に対する支援・援助は不可欠だ。しかし現在の日本では大学の卒業時点である社会生活スタート時に、数百万円という借金を背負わしているのである。こんな間抜けな国は世界のどこを見ても見当たらない。現在の日本は自分で自分の首を絞めつけているようなものである。要領よく切り抜けることができる社会人はいいが、一つの失敗が人生を大きく狂わせる、そのような原因に現在の奨学金はなっている。

NEWS23では、学費の捻出に苦しみ、キャバクラに従事する女子学生を取り上げていた。キャバクラの派手なイメージとは裏腹に、彼女らの生活は非常に暗いものになっている。彼女らは、キャバクラなど辞めれるものなら今すぐにでも辞めたいと言う。しかし金銭事情がそれを許さないのだ。

大学で高等教育を受ける代償がキャバクラでのバイトであるとは、今の学生を取り巻く社会は病んでいるとしか言えない。安倍総理が一億総活躍社会実現を目玉として取り組むのなら、このような普段は焦点が当たらない、しかし根深い問題にいち早く取り組んでほしい。せめて彼女らが訴える「昼の仕事で働きたい」という願いだけでもかなうような社会にしなければならない。