投稿者「木原 康明」のアーカイブ

ウルトラCには訳がある。

とんでもない大きなことを成し遂げること(奇跡)を「ウルトラC」とよく言われる。この言葉の由来は、体操競技のC難度の技から来ている。

他人がウルトラCを決めると、不可能なことが奇跡的に起きたという捉え方をよくされる。しかし、決めた本人にとっては、そこまでの道筋がしっかりとあり、決して不可能なことを奇跡的に起こした訳ではない。そこには必ず訳があるのである。

生みの苦しみは、しばしば周りの人にはよく見えない。時には他人からは、「苦労もしないで楽に決めやがって」と見られることもある。とは言え、別に他人に対して苦しみを見せる必要は全くないのだが。

生みの苦しみを経て成し遂げた体験は、必ず自分の財産になる。なぜなら、成し遂げられるべくして成し遂げたのだから。例え他人からウルトラCだとか奇跡だとか言われようとも、地道な道のりを経て成し遂げたことに対して、自分自身が納得できればそれでいい。

流行を追うことと、変わらないものを守ること。

物事には大なり小なり流行というものが存在する。ファッションから言葉遣い、そして科学の研究にも流行のテーマがある。そこで重要になるのが、流行を取り入れつつ、変わらないものを守るということ。

ファッションでも、全てを流行のもので固めると、逆にこっけいに見えてしまう。かと言って、流行を完全に無視すると、それはそれで野暮ったくなってしまう。

科学の研究でも同様のことが言える。流行のテーマばかりを追いかけていると、最先端の結果のわずかな継ぎ足しでしかなくなる。いつの時代にも、過去の重要な結果というものが存在する。そのような基本文献は、昔のものでも無視できないし、それに軸足を置くことは大事なことである。。

しかし、ファッションにしろ何にしろ、流行と変わらないものとの絶妙なバランスを取ることが大事である。これが片方に傾くと、単なる自己満足になってしまう。

言うのは易しだが、このバランスを崩さずに双方に目を向けることが大事である。

負の連鎖を断ち切るには。

長いこと生きていれば、時には負の連鎖が続くことも。そんな時、負の連鎖を断ち切るにはどうすればいいか。

1)当たり前のことだが、まず行動。

動かないと何も始まらない。受け身の状態でいては、負の影響を受けるばかりである。そこから抜け出すには自分から動かないといけない。動くことによって、次に進む道が見えてくる。さらにいくつかの可能性を探るために、複数の行動を同時に起こすことも良い。人間、動いてナンボである。

2)一点突破。

資源と動力を一つのことに集中させる。広く浅くだと、全滅してしまうこともよくある。一点の風穴を開けてしまえば、そこから可能性が広がっていく。

先ほど複数の行動を同時に起こすと言ったが、そこで大事になるのが「物事の優先順位」。常に何が自分にとって重要なのか認識しなければいけない。物事の優先順位を認識するためには、物事の本質を見抜く目が重要になってくる。常に感覚を研ぎ澄まさなければならない。

負の連鎖を断ち切るための、僕の備忘録を書き留めてみた。

今の利よりも、将来の大きな利を取る。

どうしても、現在の自分の置かれた状況が気になり、目の前の利を取りがちである。とは言え、まだ目の前の利を確保できればまだましな方だ。現在、どうしようもない窮地に立たされている人もいる。

こんな時、視界を現在からもう少し遠くへ向けてみよう。そこにはさらに大きな世界、そしてそれを乗り越えることができれば大きな利を得られることがわかる。もちろん、そのような世界、そして大きな利を得るためには、現在において「明確な展望」を持っていなければならない。

経済学的に言うと、現在の利より将来の利の方が価値が小さいと言われている。なぜなら、将来自分が生きているかどうか確実ではなく、将来の利を得られる保証はないからだ。

しかし、将来の利は現在の自分を奮い立たせる。常に未来に目を向け、現在の自分を前進させなければならない。

面倒見の良すぎる学校というのも、問題があるような気がする。

最近、小学校から大学・大学院まで、あまりにも面倒見が良すぎるような気がする。小学校ならまだわかるが、最近の大学院では指導教官がご丁寧に一から十までやるべきことを指示する始末である。

もちろん、面倒見が良いことを批判するわけではないが、面倒を見ることによって伸びる人がいる一方、放置され好き放題にさせることによって才能を開花させる人も一定数いる。そして最も重要なのが、放置して伸びる人の方が将来性が圧倒的に高いということだ。

面倒を見すぎる教育者の下で才能をつぶされる人を、僕は今まで見たことがある。学校はただ面倒を見ればよいという単純な話ではない。放置するというのも、立派な教育の一つである。

華やかな表舞台の陰で。

最近の小学生に人気の職業ランキングの上位に、YouTuber(ユーチューバー)が食い込んでいるようだ。そして最近の人気と言えば、藤井聡太四段の連勝でフィーバーが起こっているプロ棋士だ。

YouTuberもプロ棋士も、表舞台は華やかだが、実際の仕事は非常に地味な作業の積み重ねで、陰では非常に厳しい作業を行っている。

最近、僕の好きなYouTubeの釣りチャンネルをアップしているYouTuberの仕事内容・日常生活内容を知ったが、一週間で釣り3日、編集4日という割合だそうだ。編集は朝から夜まで行う。YouTuberというと、楽しいことをして、それを撮影してアップするという行為しか表には出されないが、実際はそれ以外の地道な編集作業がメインの仕事になっている。

そしてプロ棋士も同様である。対局している時間より対局以外の時間の方が圧倒的に長いが、対局時以外の時間はほとんど研究に時間を割いている。

そして、YouTuberやプロ棋士以外の世界でも、このような事情は同様であろう。いや、YouTuberやプロ棋士で飯を食っている人数の少なさを考えると、YouTuberやプロ棋士の方が圧倒的に厳しい。

どうしても華やかな表舞台ばかり目が行きがちであるが、小学生の人気職業などを見ると少し危機感を抱いてしまうのは僕だけであろうか?

量子コンピューターについて。

先日、日本が量子コンピューター研究に多額の投資を行うと発表し、それを受けて量子コンピューター関連銘柄が高騰しているというニュースがあった。

量子コンピューターとは、従来のコンピューターとは原理が違い、高性能というより全く質的に違うといってよい。従って計算速度も桁違いに速い。

量子コンピューターはまだ研究段階で、実用化はまだ先だと言われている。とは言え、少し特殊な「量子アニーリング」という原理を使った量子コンピューターはすでにカナダの企業により実用化されている。(この量子アニーリングの原理は、日本人が発明した。)しかし、”王道”の量子コンピューターはまだ素子を開発している段階だ。

量子コンピューターの理論研究の現状は、一昔前までは”ニールセン・チャン”と言われる量子コンピューターの教科書が唯一の文献であったが、最近では日本語の教科書も結構出てきている。

技術的な現状は、正直、僕には詳しいことはわからない。しかし、NECなどの日本企業が地道に開発を続けているという話は聞くが、あまりメジャーな研究ではないような気がする。

量子コンピューター・量子情報関係では、「量子暗号」の研究がそこそこ実用化に近づいているようだ。量子暗号は、”絶対に破られない暗号”だと言われている。

この、国による大規模投資がどれだけの成果を挙げられるか?科学的にも経済的にも注目を浴びるだろう。

トランプ大統領の暴言。

先日起きた、白人至上主義を掲げる差別主義者たちと、それを批判する反差別主義者たちが対立していたデモで、差別主義者の車が突っ込み死者が出た事件。この件に対してトランプ大統領の発言は次のような趣旨だ。

”ビジネスが上手く行き、雇用を創出できれば、差別主義などあまり重要ではない”(これは発言そのものではなく、発言の趣旨である)

これはもう、自由主義ではなく、暴言である。

アメリカは自由の国だと昔から言われている。しかしその一方、奴隷解放・黒人差別などに対しては毅然とした態度を取り、撤廃することに成功した。そして黒人大統領誕生(オバマ氏)にまで至った。そのオバマ氏に対する評価は厳しかったが、オバマ氏を大統領に選んだ国民は良識がある人たちだと思っていた。

しかしその同じアメリカ国民は、トランプ氏を選んだ。そしてそのトランプ氏は差別主義を助長している。もちろん、全国民がトランプ氏を支持しているわけではないので、「アメリカ国民は」と一括りにはできないが、トランプ氏に対する失望は日に日に増してくる。

トランプ氏には、「本当に大切なものは何か」ということに気付いてほしい。

同時並行で複数の事に取り組むことを楽しむ。

最近はネット・スマホの進化によって、身の回りの事が多様化され、同時に複数の事に取り組むことが多くなった。それのアンチテーゼからか、身の回りをシンプルにする、断捨離などが流行りだ。

確かにあらゆることに追われ、余裕をなくすことは良くないし、身の回りをシンプルにすることはそれを解決する一手段であろう。

その一方で最近僕が思っているのが、「複雑な身の回りを楽しむ」ということだ。すなわち複雑な現状をゲームのように楽しもうという発想だ。こう考え直すと、いろいろあることもかなり楽しくなる。楽しくなれば自然、パフォーマンスも上がってくる。現在の流行の思考とは逆行するものかもしれないが、これも現状打破の一手段だと思っている。

この”ゲーム化”的発想、意外とあらゆることに応用できる。物事によっては、ゲーム化することを真面目ではないと否定されることもあるが、成果を挙げるためには非常に良い発想だと思う。

人生”楽しんだもの勝ち”である。日々を楽しみ、かつパフォーマンスを上げる。この様な理想的な日々を実現させるための一考として、ゲーム化的な発想をするのはどうだろうか。

終戦記念日で想う、戦争放棄と防衛。

今年の8月15日、終戦72年を迎えた。全国戦没者追悼式での天皇陛下お言葉、及び安倍首相の言葉は、改めて戦禍を再び繰り返さないとの意思表示を述べるもので、日本の戦争放棄の基礎方針を確認された。

ところで現在の防衛政策での主眼の一つは、明らかに北朝鮮問題であろう。もちろん長い目で見れば、中国の脅威も見逃せない。しかし現時点だけを考えると、北朝鮮のミサイル問題は切羽詰った緊急問題である。

戦争放棄と防衛、この二つは決して分離して考えられるものではなく、密接につながっている。防衛には大きく積極的防衛と消極的防衛がある。積極的防衛は敵の攻撃に対して先手を打って、敵の攻撃拠点を狙うということだろう。消極的防衛はあくまで敵が直接攻撃したものに対してだけ防衛するというものだ。

積極的防衛はもちろん戦争放棄に反する可能性が高い。しかし自国防衛のためには積極的防衛という選択肢も念頭に入れなければならない。これらのことを否定して被害が大きくなれば、元も子もない。

しかし、積極的防衛を盾に戦争を開始してしまうということも否定できない。この様なことは断じて許されない。過去の戦争のほとんどは、防衛を名目に戦火の口火が切られている。

戦争放棄と防衛の定義をしっかりと定め、戦争を起こさないで解決するにはどのようにするのが最善策か?という最善手を常に模索していくことが要求される。このことは、政治家だけの仕事ではない。国民の意識にも大きく影響されるため、国民一人一人が常に関心を向けることが必要になる。決して無関心になってはいけない。