投稿者「木原 康明」のアーカイブ

セルフマネジメント。

最近強く感じているのが、「自分をどうマネジメントしていくか」ということだ。自分のマネジメントを甘くしてしまうと、どうしても油断ができ、ついだらけてしまう。もちろん僕がそういう人間だからなのかもしれないが、目標に向かって進んでいる身としてはセルフマネジメントをしっかりと行い、課題をこなしていくことが必要である。

セルフマネジメントの中で特に重要なのは時間の管理だ。無料の娯楽があふれている現代において、少しでも油断をしてしまえばずるずると娯楽にはまってしまう。そうなれば時間の浪費はあっという間だ。

時間のマネジメントは大事だが、その一方で自分の人生は束縛することなく解き放ったほうが良い。人生を計画で固めるのは面白くない。ある程度の方針は立てたほうが良いが、人生に自由度を持たせることは大事である。

セルフマネジメントは、しっかりとした展望を持たせながら、かつ、思考や行動に幅を持たせることが肝である。

「回り道」が近道。

目の前の課題に対して、それは無駄ではないかと思い避けてしまうことが多い。「他に何か近道はないか?」と最短ルートを模索してしまう。もちろん最短でたどり着くことができれば最もいいのかもしれない。しかし最短ルートだと思う道が本当に近道かどうかはわからない。

目の前の課題に対して地道に取り組むことが、近道への一歩だ。目の前に飛び込んできた課題というのは多くの場合無駄ではない。特に先が見えない時は、まず目の前の課題を乗り越えるとよい。

僕は今までたどってきた道に対してほとんど後悔することはないが、ただ一つだけ後悔していることがある。それは英語を避けてきたことだ。英語という目の前の課題を避けてきたばかりに、かなりの遠回りを強いられてきた。やはり目の前の課題にしっかりと取り組むことは大事だ。

そして、自分の行動、自分のやるべきことを自分でしっかりと考えて導き出すことも近道への一歩だ。他人に言われたことしかやらなければ、自分という人間の基盤は築けない。

自分の考えたことをやると言えば、他人の言うことを無視して自己中心的だと見えるかもしれない。しかし「自分のやりたいことしかやらない」という自己中心的な考えと、「自分の考えたことをやる」という意志は全く違う。自分の意志を持って人生を切り開いていくことが大事なのだ。

近道を通るということは、かなり強い意志を持つことが必要である。そして自分で自分の人生を構築していくこと、それが人生の近道と言えるのかもしれない。

「紅白歌合戦」は落ち目なのか?

2017年の紅白歌合戦の視聴率が、ワースト3を記録した。この事実だけを見ると紅白歌合戦が落ち目になっているような印象を受けるが、それは本当だろうか?

かつての紅白歌合戦は視聴率50%越えは当たり前。国民全員が大晦日には紅白を観ていたと言っても過言ではない。しかし2017年の紅白の視聴率は40%を切っている。

紅白の低視聴率化の原因として真っ先に思いつくのは、国民の興味の多様性とネットの台頭であろう。「大晦日は紅白」という固定観念から、お笑い・格闘技へと興味の分散が広がった。そしてネットの普及により、テレビで見なくても「後でYou Tubeで好きな歌手の所だけを観ればいいや」ということになってしまう。

そして僕が一番大きいと思うのが、紅白の4時間ぶっ続けというのが、お手軽社会である現代ではあまりにも長すぎるのではないかということだ。現在のネット動画の主流は10分程の短編動画だ。僕自身も1時間のテレビ番組はほとんど観ないが、You Tubeの13分程の釣り動画は毎日チェックしている。

現代では何もかもが手軽に済ませることが好まれる。先ほどのネット動画もそうだが、小説でも大部なものより短編が好まれる。また数学や物理などの学術書でも大部なものは敬遠され、コンパクトにまとまったものが人気を集めている。

紅白の低視聴率化の理由はいろいろ思い当たるが、これは紅白だけの問題ではなく社会全体の性質の変化が表面的にあぶりだされているのではないかと思う。

紅白に対する考え方の変化は、日本人の国民性の変化を映す鏡ではないだろうか?

書籍を集める?

僕は学生時代からかなりの書籍(数学・物理関係の専門書)を購入してきた。いや、“収集”していると言った方が正しいかもしれない。コレクターのような気質のところもある。以前、そんな書籍のコレクターでもある自分に対して、果たしてそれで良いのか?という疑問を持ったこともある。本を集めたからといって、それが全て役に立つとは思えない。そもそも読んでいない本の方が多い。

しかし、昔コレクトした本が最近になって意外にも役に立つことが多い。本を購入することで現在取り組んでいることが前進するのなら、安いものだ。

いや、専門書は全然安くない。和書でもだいたい四千円くらいは平気でするし、洋書は平気で一万円はする。したがって普通に買っていれば出費はかなりデカい。そこで古本・中古本の出品をまめにチェックし、必要かつお買い得な本は見つけ次第、即注文している。とは言え、専門書は中古本でもかなり高い。特に絶版本は定価より高いのは当たり前だ。

確かに購入した全ての書籍が役に立つわけではない。しかしある時、過去に購入(収集?)した本が突然役に立つことがよくある。そういう意味では。本は人生の財産であると言えるのかもしれない。

「評価がない」のが一番苦しい。

社会の中で生きている限り、周りからの評価は付きものだ。何かのアクションを起こしている限り、何らかの評価が下される。時には、いや多くの場合、周りからダメ出しを食らったり、厳しい評価を下される。

確かに厳しい評価を下されるのは辛いかもしれないが、少なくとも周りから注目され評価を下される状況に立たされており、まだましと言えるのかもしれない。一番つらいのは、評価を下されることさえされない状況だ。

評価を下されない、つまり評価がないのは、それを続けるモチベーションを保つうえでもかなり厳しい状況だ。そのような状況を耐え、何とか日の目を浴びるところまで継続できるか?これはもう気力と興味を持って何とかたどり着くしかない。

最近話題の職業であるYou Tuberであるが、人気You Tuberと言えども、最初から何十万もの再生回数があるわけではない。とある人気You Tuberは、「最初の何か月、あるいは何年、再生回数が5回とか10回という状況を耐えられるか」ということを言っていた。即ち、評価されない時代をどう耐えるか?ということだ。

ネットで炎上という話題もよく聞くが、少なくとも彼らは炎上するほど注目されているということだ。少なくとも彼らはアクションを起こしている。

評価がないという「死のトンネル」を潜り抜けられるかどうか?そのためには周りの評価に一喜一憂しない「鈍感力」が必要だ。

あけまして、おめでとうございます。2018!

あけまして、おめでとうございます。

2017年、いろいろあったな~。と言いたいところだが、あまりパッとしない一年だった。はっきり言って、不完全燃焼。何もかもが中途半端。

2018年は成し遂げる年。完成する年。結果を出す年。

背水の陣である。

結果を出すまではあらゆることを我慢できるけど、我慢もそこそこにして、結果を出して解き放たねばいけない。

ところで、平成は31年の4月末までと決まった。あと1年4か月で今上天皇は上皇になられる。上皇という存在は歴史上の存在だと思っていたが、まさか現代に上皇が現れるとは思わなかった。

おそらく今年中に次の元号が発表される。昭和天皇が崩御された時、「平成」の元号を発表したのは当時の小渕官房長官(後の首相)。次の元号は菅官房長官が発表するのだろうか?

僕の現在の状況を打開するには、克服しなければいけないことがたくさんある。克服できるかどうかではなく、克服しなければ明日はないと思っている。

平成30年、悔いのないように思いっきり暴れまくるぞ!

世の中の一年、僕の一年。

あっという間に大晦日になってしまった。この今年最後の日、簡単に一年を振り返ってみようと思う。

世の中、社会の一年はどうだったか?世界的に見ると、1月にトランプ大統領が就任、そして北朝鮮は定期的に弾道ミサイル発射を続け、地下核実験を強行してきた。2017年の社会情勢はトランプと金正恩との対立が際立っていたように思う。金正恩はミサイル・核という物理的手段の開発を猛スピードで進展させたが、これからアメリカはそれをどこまで制御できるか?注目である。

国内の政治面では、衆議院議員総選挙で安倍自民が圧勝。麻生氏が自民圧勝の理由を「北朝鮮のおかげ」と失言したが、現実問題としてこれは正しいだろう。もちろん現役の政治家が言う言葉ではないが、北朝鮮のミサイルが何発も飛んでくる中、それに対処する能力が最もあるのは、基盤がしっかりし、パイプが太い安倍自民であると言わざるを得ない。

また、将棋界は空前の話題に沸いた。藤井四段の29連勝、羽生氏が永世七冠を獲得、加藤一二三さんの人気など、将棋とはあまり縁のない一般市民にも注目された。藤井四段、そして羽生氏共に、来年からも目が離せない。

僕個人の一年に関しては、はっきり言って不完全燃焼だったとしか言いようがない。燃えようにも燃えきれなかった。やはり自分を制御し、時には解き放つというメリハリができなかったように思う。できる時は無意識にでもできるものだが、できない時はどうしてもできない。

その一方、毎日の日課に関しては、相変わらずコンスタントに実行している。筋トレ、そしてこのブログの執筆とアップ。また日課ではないかもしれないが、毎日アップされる「釣りよかでしょう」という15分程の釣り動画を観ることが些細な楽しみである。

来年は完全燃焼できるように、暴れまくりたいと思う。

ではでは、良いお年を。

今年のスポーツを振り返って。

スポーツ界でも、今年一年いろいろあった。その中で特に印象に残ったのは、陸上100m・桐生祥秀選手の9.98秒だ。一昔前ならば、9秒台は世界でトップレベルのタイムだが、それを日本トップ選手が記録したことは感慨深い。とは言え世界的に見れば、一昔前のカール・ルイスから今年引退したウサイン・ボルトへと飛躍的にタイムは伸びてきている。桐生選手がこれからどこまで記録を伸ばすのか、注目だ。

そして、今年は満足のいく結果を残せなかったが、元日本ハム、現エンゼルスの大谷翔平の潜在能力には人を惹きつけるものがある。来年メジャーでどこまで二刀流を極めるか、これも注目だ。

逆に個人的に残念なのが、阪神タイガースだ。今年の阪神は成績的には決して悪くはない。しかし日ハム・大谷とは対照的に何か惹きつけるものがない。そして今年のドラフトでも清宮などの注目選手の獲得に失敗し、来年に対してもあまりワクワク感がない。昔の新庄剛志のような華のある選手が出てきて、グラウンドを思いっきり“シンジョイ”してほしいものである。(僕は阪神ファンである)

そして来年初めには冬季五輪が開催される。女子ジャンプ・高梨沙羅がリベンジを果たすのか?フィギュアスケート・羽生結弦が五輪二連覇を果たすのか?いろいろ見所があるが、自分にゆかりのある選手も気になる。同じ神戸市民の女子フィギュア・坂本花織選手、同じ出身大学のスピードスケート・小平奈緒選手などである。

いろいろ挙げてみたが、来年一番気になるのはやはり大谷翔平だ。彼の規格外レベルの二刀流がメジャーでどこまで通用するのか?いや通用するというレベルではなく暴れまわってほしい。そして日本人と米国人の度肝を抜くような活躍を期待している。

「日韓合意破棄」は、韓国が国家としての体を成していないことを意味する。

慰安婦問題の日韓合意で「最終的かつ不可逆的な解決」としたことに関して、韓国・文大統領は「この合意で慰安婦問題は解決されない」という見解を述べた。まだ日韓合意が破棄されたわけではないが、もし破棄となれば、それは現在の韓国が国家としての体を成していないことを自ら宣言するものであると言える。

いくつもの問題を抱えながらもこれまで日本政府が対韓関係を重視してきた理由は、一番に「隣国である」という揺るぎない事実からだ。日本という国は韓国との関係なしには成り立たない。しかしこれには「韓国が国家として成り立っている」という前提があってのものだ。しかし日韓合意が破棄となればこの前提は崩れ去る。日韓合意破棄により韓国が国家と見なされなくなれば、対韓関係は大幅に見直さざるを得ない。

現在、朝鮮半島は、北朝鮮問題という非常に大きな問題を抱えている。もちろん日本もこの問題に対して無関係ではない。今、日韓関係は非常に重要な局面にあるのである。

韓国、そして日本もだが、国家の問題に対して優先順位をはっきりとさせないといけない。今優先すべき課題は何か?冷静に考えればそれは明確に見えてくるはずだ。

「被害者も悪い」の論理はおかしい!

犯罪・事故などが起きて必ず出てくるのが「被害者も悪い」という声だ。時には加害者以上のバッシングを受けることもある。はたして「被害者も悪い」は正しいのだろうか?

確かに被害者にも落ち度があることは多い。いや、落ち度がないなんてことはほとんどない。しかしそれは、落ち度がある被害者が悪いというものではなく、落ち度などは探せばどうにでも見つけられるということだ。

普段の行動において、全く落ち度がない人などいるのだろうか?おそらくいない。交通事故などはその典型的な例だ。自動車は走っている(完全に止まっていない)限り、ほとんどの場合被害者にも責任が生じる。時には殺人事件の被害者に対しても、こじつけのような悪意の感じられる責任を押し付ける声を聞くことがある。

人間は落ち度を持ちつつ暮らしている。したがって人間の落ち度を過度に指摘するのはナンセンスだ。ましてや事件の被害者の落ち度を追及するのは、ほとんどの場合社会的に間違っている。

現代の日本社会では「自己責任」という言葉だけが独り歩きしている。